ラジオドラマ『清水の舞台から』の舞台裏


『 イントロダクション 』

放送局:MBSラジオ
放送日時:2004年3月23日〜3月26日
タイトル:清水の舞台から
出演:高橋愛 辻希美 稲葉貴子 梅田千絵 竹本翔之介
スタッフ:泉田晋平(脚本) 島修一(演出) 杉浦直人・田中貴久(技術) 濱谷光太郎(効果)

あらすじ:
京都の清水寺近くに住む高校生のさやかは、ずっと心に思っている幼馴染みの健太の母からもうすぐ東京へ引越しすると告げられる。
途方にくれるさやかの元に現れたのは清水寺にとりついていると言う幽霊のつか。驚くさやかにつかは「清水の舞台から飛び降りたら願いが叶う」と言う。
言われるままに飛び降りるさやか。果たして願いは叶うのか・・・。

経緯:
MBSラジオ放送のラジオドラマ番組『ドラマの風』がアップフロントエージェンシーとの共同企画として、『ハロープロジェクトメンバーによるラジオドラマのシノプシス(あらすじ)』を一般公募したのが昨年の夏。それに幸運にも佳作として入選し、ラジオドラマ化が果たされた幸せ者の筆者が、ラジオドラマを聞いてみての感想、あらすじとの差異、自慢、高橋かわいい、ののたんは奇跡、稲葉んってどうよ、などのことを書き記す場としてこのページを作成するものとする。



『 主要登場人物とキャスト 』


 名前:河合さやか
 年齢:16歳
 出身:京都
 配役:高橋愛

清水寺の近くに住む16歳の高校生。性格はおっとりしていてマイペースであるが、時々マイペースが過ぎて、周りを省みずに暴走することがある。幼馴染の健太のことが好き。健太との共通点を作るために剣道をやっている。基本的に自分にあまり自信がなく、健太に告白する勇気を持てずにいる。



 名前:越中健太
 年齢:16歳
 出身:京都
 配役:辻希美

さやかと同じく清水寺の近くに住む16歳の高校生で、さやかとは幼馴染。バカがつくほどの剣道好きで、剣道のことしか頭にない。剣道の腕前はかなりのもので、ついでに男前なので、本人に自覚はないが結構もてるようだ。



 名前:つか
 年齢:不詳(200歳程度?)
 出身:京都
 配役:稲葉貴子

清水寺に取り付いているという非常識な幽霊。幽霊にもかかわらず、性格は明るくて話好き。健太のことで思い悩むさやかの前に現れてさやかの恋愛成就の手助けをしようとする。協力的なのには何かわけがあるようなのだが・・・。


『 第一話 〜竹刀はカーボン〜 』

あらすじ:
この物語の主人公は河合さやか(高橋愛)。16歳。剣道部に所属する高校生。
さやかは今日も剣道の大会であっさりと負けてしまう。だけどそれは、単にさやかに剣道へのやる気がないことが原因。さやかが剣道をしているのは、幼馴染で、そして初恋の相手でもある越中健太(辻希美)が剣道をやっているというそれだけの理由だったから。
大会の後、健太の家によったさやかは、そこで健太の母から、健太の一家が東京の父親のもとへ引越しすることをつげられる。
ショックを受けるさやか。『なんで健ちゃん言うてくれへんの・・・もう会われへんようになるんかな・・・・』
失恋の予感に呆然と歩いていたさやかは、やがて清水寺の境内へとたどり着く。そしてそこでつか(稲葉貴子)に出会う。
つかは自分が清水寺に取り憑いている幽霊であるといい、さやかの片思いを助けてあげると伝える。
『この清水の舞台から飛び降りたら願いがかなうんやで』と。
だが、『うさんくさいわぁ、あほ!』と言って、さやかは走り去る。
『呪たろかぁ』と追っかけてくるつか。(続く)

感想:
この第一話のポイントはやはり高橋の京都弁である。これが半端なくかわいい。確かにたどたどしい感じの京都弁なのであるが、もともと京都弁と共通点もなくはない福井弁を使う彼女であるので、その微妙な混ざり具合がなんともおもしろかったりするのだ。
また、京都弁を意識することでつたない感じになるのが声の印象を幼い感じにしていて、それもまたかわいらしさを増している。これだけでも高橋ファンにはたまらないのではないだろうかと思った。
もっともこれがTVなどのメディアだと、うそ臭い方言がマイナス効果になるかもしれないのだが、ラジオドラマというメディアはこういうものを演出としてしまう利点をもっていると感じた。
一方、辻は京都弁+男言葉という設定でしゃべっているのだが、それでもやっぱり聞こえてくる印象は辻希美である。型にはまらず、型をぶち破るのが辻希美。これはもはや辻の絶対無比な個性として評価したいところである。
稲葉の関西弁はさすがに安心して聞ける。おかげで、高橋と辻のおかしな京都弁だけだとぬるくなりがちなところを、稲葉がしっかりと締めてくれている。
このように、メイン3キャラクターについては、個性的でありながらもバランスよく配役がされているなぁということを強く感じた。

話に関しては第一話ではとりあえず序章のみ。基本的にシノプシス通りの展開である。ただ、剣道部という設定はシノプシスの中にはなかった。
このあたり聞きながら『剣道部ってなんやねん』とか『おお引越し!書いてた書いてた!』とかほくそえみながら聞けるというのはとても楽しいものだった。

あと、驚いたのはつかの唐突な登場の仕方。いきなり『私幽霊です』といって登場するというそのシュールさはいかがなものかとも思ったが、まぁさやかが幽霊の登場に全く驚かなくて、つかががっかりっていうシーンのためにはこの方がよかったのかも。
僕が考えていた登場の設定では、さやかが告白するかどうかを清水の舞台の上で悩んでいるときに、(清水の舞台から飛び降りるつもりで告白してみようかなぁという感じ)、背後からつかが現れて、飛び降りることを薦めるものの、自分は昔そこから降りて死んで今幽霊で〜すって告白するって感じだった。
まぁシノプシスの方が話の流れは丁寧だったと思うけど、でもテンポがよくなかったかもしれない。第一話の肝としてはさやかとつかの掛け合いのテンポのよさというものがあったので、これはこの完成稿でよかったのだなと思う。

資料:
 脚本から推測される清水寺周辺相関地図



『 第二話 〜恋愛成就〜 』

あらすじ:
やっぱり立ち止まってつかの話を聞くことにしたさやか。
つか曰く、清水の舞台から飛び降りれば願い事がかなうという。ただし、人の心を動かすような願いはだめなのだそうだ。江戸時代には200人を超える人たちが飛び降りたとか。そしてつかもその一人だという。
だけど、飛び降りた人の2割近くはそのまま亡くなっていて、つかもその一人と聞いたさやかは、『めっちゃ死んでるやん』といって帰ろうとするが、つかは、『特別に私が下で受け止めたるから大丈夫』と熱心にすすめる。
そして、悩んだ末にさやかは飛び降りることにする。どうしてもこのまま健太と離れ離れにはなりたくなかったのだ。
舞台の手すりの上に立つさやか。願い事は唯一つ。恋愛成就!
『おりゃ!』っと飛び降りたさやか。そして気がつけば翌日になっていた。あれは夢だったんだろうか。
しかし・・・・、健太の引越しはなかったことになっていた。願いがかなったのだ。つかによると願いは全部で7つかなえることができるらしい。残りは6つ。(続く)

感想:
相変わらず、さやかとつかの掛け合いがとても子気味よい。さやかの『めっちゃ死んでるやん』や『もともとな、幽霊にな、いきなりな、〜な、〜な』と続く最後が「な」の言葉の羅列などはとてもセンスがよいと思った(もちろん僕が書いた台詞ではない)。
あと、坂本竜馬のエピソードの部分『坂本竜馬はこの景色を見ながら日本の行方を憂いたらしいけど、私が憂うのは私の恋の行方』は秀逸(ちなみに坂本竜馬の墓はこの清水寺のすぐ近くにある)。
さらに、健太への『なんでもない・・・・』の高橋の演技も見事であったと思う。

話の流れはここでもシノプシスを踏襲してもらっている。『人の心を変えることは出来ない』『200人が飛び降りた』『つかが下で受け止めてくれる』『最初の願いは引越しをとめる事』あたりはそっくりそのままである。このあたりはシノプシスを書いたものとしては、丁寧に踏襲してもらっていてとても嬉しいものだった。

これは余談であるが、最初に書いていたシノプシスの草案では、最初の願いのときは、さやかは飛び降りるというこれからの行動の緊張のため願い事をするのを忘れて飛び降りて、飛び降りた後に、『あ・・・・願い事するん忘れとった・・・』とかいってつかに『お前はあほか』とどつかれるというエピソードを書いていた。だが、字数の制限上カットしたのだが、それも書いていたらやってくれていたんじゃないかなぁと思うと、ちょっと残念。

シノプシスとの差異という点では、シノプシスでは最初の願いは『引越しを中止』と明言していたのに対し、放送では『恋愛成就』という漠然とした願いが『引越し中止』という結果に現れるという形になっていた。
これは『人の心を変えることはできない』という条件設定的には、『引越し中止』という具体的な願いを掛けるというシノプシス案の方がきれいだし、聞いていて違和感もないと思う。だけど完成稿の漠然とした願いの方が、『その結果はどうなるんだろう』という期待を視聴者に投げかけることが出来る。そういう意味で後者(完成稿)の方がラジオドラマとしては優れているのではないかなと謙虚に受け止めておきたい。

あと、もう一つ。清水から飛び降りると願いがかなうという伝説は、ラジオドラマ中ではわりと有名なエピソードっぽく扱われている。なのでさやかもその話を聞いて特に意外性を感じていない。
だが、多分このエピソードはそんなに有名なものではないと思うので(2,3割くらいの人しか知らないと思うのだが)、『清水の舞台から飛び降りるつもりで・・・・』という勇気を出してという意味の言い回しとの対比でもう少し意外性を表現した方が、話に深みが増したような気が個人的にはしている。

資料:
清水の舞台から飛び降り234件(清水寺紹介HPより)



『 第三話 〜メグライアン〜 』

あらすじ:
調子に乗ったさやかは、原チャと新しい携帯が欲しいと願って清水の舞台から飛び降りる。そしてその願いはかなえられる。
さらに原チャの免許をもっていないことに気がついたので、再び飛び降りて免許を手に入れる。
そんなさやかに対してつかは『あんた何がしたいん?』と懸念を示す。かなえられる願いはあと3つしか残っていないのだ。我に返ったさやかは、では健太に好かれるために、健太に好みのタイプを聞こうとする。
遠まわしに聞くつもりがダイレクトに聞いてしまったりもしつつ、健太の好みを把握したさやか。健太はメグライアンと吉永小百合が好みらしい。
そこで、さやかは『剣道の腕前が上がる』ことと、吉永小百合にちなんで『着物の似合う日本美人になる』ことを願うことにする。これで健太の好みの女性になれるはず。
そう思って飛び降りるさやか。これで健太に気にいられるだろうか。願いはあと、たったの一つ・・・。(続く)

感想:
この回は全体的に高橋の声のトーンが抑え目だったように思う。これまでの回と同じように馬鹿なことを言ってる場面でも、気持ちテンション落とした演技をしていたような。最終話に向けていわゆる起承転結の『転』的な雰囲気を出すために、それがいい効果を出してると思った。もちろんそれはスタッフの意図したところもあるのかもしれないけど、高橋自身も最終話に向けて、意識的か無意識かはわからないが、そういう方向性をもって演じてたのかもしれない。
まぁ身贔屓の可能性も高いが、いずれにせよ今回の高橋の演技はすごくよかったと思う。

演出面に関しても、『夜まで待とか』というつかの台詞の直後にゴーンという鐘の音を入れて夜に移行する場面や、さやかが飛び降りる時に毎回いちいち『河合さやか16歳。花もうやらむ女子高生。願いはうんちゃらかんちゃら〜』という前置きを入れてお約束化するなど効果的な演出が心地いい。このあたりはこのラジオドラマ全編を通じてとてもよく出来ていると思う。

さて、話の中身の方であるが、ここにきてシノプシスとの差異が多少出てきた。
まずシノプシスではさやかは物欲には走らない。シノプシスの方では、さやかは願いを使ってひたすら一途に健太に好かれようとする。頭をよくするだとか、足を速くするとか、自分自身を変えることに尽くす。
だが一方、完成稿の方では物欲に走ってしまう。
この差はかなり大きなものだろうと思う。この差については最終話の感想で述べることにする。



『 最終話 〜ほんなら〜 』

あらすじ:
剣道の大会で圧勝するさやか。5番目の願いがかなったわけである。剣道が強くなった自分を見て健太は喜んでくれると思っていたさやかであるが、逆に健太は落ち込んでいるように見える。効果はなかったようだ。
どうすればいいのか分からなくなり落ち込むさやかに、つかが昔話をする。好きな男性と結ばれることを願って清水の舞台から飛び降りて死んでしまった若い女性の話。
その女性は男性から好かれていたにもかかわらず、自分に自信が持てなくて、神様を頼って飛び降り、そして打ち所が悪くて死んでしまった。そしてその後悔の気持ちを今も引きずっているという。つか自身のことと思われるその話を聞いたさやかは、最後の願いを決める。
そして『もとの私に戻りたい』という願いを胸に、清水の舞台から飛び降りる。
気がつけば、健太の引越しの話を聞いた直後の時間に戻っていた。
さやかは勇気を出してありのままの自分で健太に告白する。清水の舞台から飛び降りた気持ちで。
告白は成功し健太の気持ちもさやかと一緒だったことがわかる。離れ離れにはなるけれども、気持ちは通じた瞬間。そしてつかはその2人の姿を見届けて天へと帰っていった。(終)

感想:
正直なところ、さやかの最後の願いに至る話の展開に違和感は感じた。『本当の私に戻りたい』というのがさやかの最後の願いなわけであるが、この脚本では実際のところ、さやかは元に戻りたいというほど変わってはいないのだ。せいぜい剣道が上手くなったくらいである。
つまり『振り幅が狭い』ので、本当の自分に戻るという願いの重みがあまり感じられなかった。
僕が想定していた脚本では、さやかは6つの願いによって大きく変化していた。不器用だったさやかが、なんでも器用にこなす人間となり、その自信によって性格にも多少変化を生じる。だが、健太が好きだったのは不器用でも一生懸命なさやかであり、それに気がついたさやかが最後に『元の私に戻して』と願って本当の自分を取り戻すというもののつもりだったのだが。
もちろん、基本的に狙っていることはそのまま再現してくれているのだが、さやかの内面の変化というものが残念ながらラジオドラマの方ではあまり描かれていない。放送時間の問題もあったろうし、四話構成という構成の問題もあったのだと思う。物欲に走るシーンがないと、多少物語が単調になるし、さやかの内面の変化まで描いていたら時間が足りなくて中途半端なものになったかもしれない。それはわかるのであまり文句も言えないのだけど、でも贅沢を言わせてもらえば、もう少し振り幅を大きくして欲しかったなと思う。

ただ、つかの成仏前の台詞はほとんどそのまま使ってくれていてそこはすごく嬉しかった。『うちもあんたみたいに気づいていれば、よかったんやけどね・・・・』なんてそっくりそのまま。これは嬉しいものである。もっとも100人斬りのことは知らないけども。
そもそも、さやかが健太にいよいよ告白するというところで終わるという、投げっぱなしな終わり方を僕は想定していた。
『清水の舞台から飛び降りる』という言葉を『願掛け』から『勇気を出す』という意味にさやかが変化させた時点で終わるってのが格好いいのではないかなと思っていたから。ただそれだと、少々不親切ではあったかもしれないし、さやか&健太の告白シーンの身悶え感も味わえなくなってしまう(健太の『絶対帰ってくるし』は辻の底力を見た気がした)ので、あれはラジオドラマの通りにきっちり終わらせるのでよかったとも思う。



『 まとめの感想 』
まぁ人間とは贅沢なもので、最初は自分の書いたあらすじがラジオドラマになるというだけで歓喜100%だったのが、徐々に、こうして欲しかったという欲望も頭をもたげてくるものである。それは今こうやって文章化している段階で、自分自身改めて強く感じる。全く贅沢者である。
だが、シノプシスの基本的な流れはすべて踏襲してもらっていて、いやそればかりか、当人がまったく考えていなかった、そしてとても効果的なエピソードを多数追加してもらっているわけで、もちろん不満よりも圧倒的に感謝の方が大きいのである。特にさやかとつかのテンポのいい掛け合いなんぞは、予想だにしなかったレベルの楽しさであった。
それに、『本当の私』というテーマ、そして『清水の舞台から飛び降りる』という言葉を『願掛け』から『勇気を出す』という意味に捉えなおす。この2点の表現について少々弱かったんではないかという懸念を僕は持っているわけだが、それは僕が勝手に弱く捉えているだけで聞いている人には十分に伝わっているのかもしれない。
ラジオドラマというのは、想像力に頼るところが大きい。聞いている人が自分なりの想像力を働かせて、好きなように解釈できるという強みがある。小説と映像に例えれば、むしろ小説に近い。だからこそ、あまり押し付けがましく丁寧に表現しないほうがいいのかもしれないから。

配役についてはほぼ100%希望通りに近いもので、この点はすごくラッキーだったし、また、感謝したいところである。
特に主役の高橋は、はっきり言って脚本を食っていた。高橋のキャラクターの魅力が脚本を凌駕していて、ドラマを聞いた後印象に残るものが話の内容よりも高橋だったって感想の人が多いのではないかと思う。
まぁそれはそれで成功の形だと思うのでよかったと思う。子が親を超えて、親がそれを喜ぶみたいな。正しい例えではないけど、まぁそういった印象のものである。

最後に一ファンとしての今の気持ちを書くと、これまたやはり人間とは贅沢に慣れてしまうもので、このラジオドラマをやってみての高橋、辻、稲葉の感想を知りたいなぁなどとさらに欲求はエスカレートしている。京都弁が苦労したとか、男言葉は難しかったとか、告白シーンは照れたとか。
さらにはこのドラマを演じたことによって、高橋の考え方、例えば自分の現在の娘。内での立ち位置なんかについて何かしらの影響を及ぼしていたりするといいなぁなどと思ってしまったりもする。
全く贅沢なものである。



『 最後に 』
やたらと長くなってしまったのでここまで読んでる人がいるのかって気もするが、まぁ最後にちょっとだけ。
話自体はありふれたテーマなのである。ただそれを『清水の舞台から飛び降りる』っていう言葉が持つ2つの意味にうまく当てはめることができたとは思う。
そしてそのうちの一つの意味である『願かけ』という意味が、それほどメジャーじゃなかったのもよかったのだろう。
当てはめることができたと書いたが、正直なところ、偶然当てはまったって感じである。そもそも僕は願かけの意味があったなんてことはこのシノプシスを書く段階まで知らなかった。シノプシスの舞台の候補の一つとして清水寺について調べているうちに知ったのである。そういう点では運がよかったところが大きい。
ただ、これまでプロット募集系のものには大体すべてに応募してきたわけで、このシノプシスで10作目くらいにはなる。だから継続の力というのは間違いなくあると思う。努力はしてみるものだ。


とはいえ、それはもちろん、周りの力のおかげがあってのことである。特に今回のラジオドラマのスタッフの方々(キャストの方々を含む)。お礼を言う機会も無いので、とりあえずこの場で感謝の意を記しておきたい。

ありがとうございました。




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