「M」

エピローグ


----------------□


『・・・・つまり明らかにそこに「感情」というものが誕生していたことは認めざるを得ないのです』

宗像はそこで言葉をきり、聴衆を見回した。
みなが驚きの表情を浮かべている。この話はすでに新聞や論文上でなんども書いていることではあるが、やはり目の前で当事者に語られると、その驚くべき事実に聴衆は感情を動かされるのだろう。
前列に座るマスコミの女性記者は一心不乱にメモを取り、会場の半ばに座る学生がとなりの学生とそんなことがありえるのか?という表情で語り合っていた。

『あの部屋に入れば消滅する。それは絶対的な規則として彼らのアルゴリズムに組み込まれていたのです。ですが、彼らはそれを破った。そしてそれが破られたのは、私が全く想定していなかったものが彼らの中に生まれたからなのです。それが「感情」です。感情がアルゴリズムよりも高い優先度を持ったのです』

宗像は一息ついて、机の上のグラスに手を伸ばし水を飲んだ。
冷房がしっかりと効いているはずのこの東西大学記念館の講堂だが、1500人以上の人間がみっしりと入っているためか、はたまた外から聞こえてくるセミの声のためか、やや蒸し暑く感じる。
だが詰め掛けた人々は、講演がはじまって約一時間たつものの、席を立つものもなく、一心に宗像の講演を聴いていた。
宗像は軽く咳払いすると、講演を締めくくるべく最後のまとめに入った。

『それが、私がmシステムを構築するための理論やノウハウをすべて公開せずにいる理由なのです。世界中の研究者仲間や、企業や、そして政府までもが同じシステムを構築するための知識の開示を私に求めています。私をケチで強欲で、社会への貢献意識がゼロの愚か者扱いするものもいます。また、考えられないような報酬を呈示して私をスカウトしようとしている企業もあります。
『しかし、このシステムは、人間を生んでしまうのです。「感情」というものを持った我々と変わらぬ本物の人間です。お分かりでしょう?これがいかに危険なことか。あの世界が消えたとき、この世界の人間を2人失いました。そして同時にそこに住んでいた数百万の「人間」が消えたのです。命をもった人間がです。これは言って見れば・・・大量虐殺でした』
聴衆は息を呑んだ。
『だからこそ、仮想世界を構築するための知識や理論がもっとしっかりと構築され、基礎実験が何度も行われ、そしてそこに世界を作ることにおいて我々この世界の人間がかなりの責任を負えるようになるまで、mシステムが未成熟なまま世に出ることはさけたいのです。私は・・・』
『私は、また悲劇が起こることはどうしても防ぎたいのです。彼らのために。そして、西田君のためにもです』

そして宗像は話が終わったことを示すべく、聴衆に向かって一礼をした。
すぐさま聴衆から割れんばかりの拍手が上がった。
宗像は顔を上げ、ふたたび一礼すると、壇の右手へ向かって一歩を踏み出した。

その時、最前列に座っていたマスコミの記者の一人が立ち上がり
『一つだけ質問させてください』
と手を上げて大きな声を出した。
壇の端にたっていた司会役の女性が
『すいません、質疑応答は今回の講演には含まれていませんのでご遠慮ください』
とマイクを通して冷静な声で言う。
だがその中年の男性記者はひるまず
『一つだけ、お願いします。どうしても納得いかない点があるんです』
と叫んだ。
『質問は文書の形でお受けすることになっておりますので』
だが司会の女性がそう言うと、記者は仕方がないという風情で椅子に座ろうとした。

その時、宗像が壇の中央に戻って言った。
『納得いかないというのはどういうことでしょう?』
記者は再び立ち上がった。
『すいません、ありがとうございます宗像教授。納得いかないというのは教授が現在裁判所に申請されている実験のことです。西田瑞貴さんを実験に使うことを申請されていますね。そして彼女を再びmシステムにつなごうとしておられるという。これはさきほど教授がおっしゃられたことと矛盾しませんか?システムが未成熟なまま再び人間を生み出すことにはならないのですか?』
聴衆がざわめいた。
そんな話は始めて聞くからだ。
宗像も少し驚いた表情になったが、すぐに冷静な表情に戻ると、記者を見て話し始めた。
『よく調べてますね。ええ。確かにそのような申請はしております。彼女を再びmシステムにつなぐつもりでおります』
さらに聴衆がざわめいた。
そしてざわめきが多少おさまるのをまって、宗像は再び話し始めた。
『実は、mシステムが稼動している間は、一定間隔でデータのバックアップをとっていました。それが今も残っています。最新のものは、あの世界が消え去る一週間まえ、あちらの世界での一週間まえのデータです。それが私の手元にはあります』
そして一息ついてから続けた。
『私はそれを使って西田君を生き返らせたいと思っているのです』

さらに聴衆がざわめいた。だが今度はざわめきが消えるのを待たずに宗像は続けた。
『ご存知のように西田君は現在植物人間状態であり、医者によると回復のめどはないとのことです。ですが、mシステムにつなぎ再びあちらの世界で生きるということは出来ないか。実はあの事件以来、私はひたすらそのための準備であり、実験を続けてきました。
『そしてやっとその目処がたってきたところなのです。以前のm世界は西田君の脳の働きに依存していました。ですから西田君が向こうの世界で死ぬと同時に、m世界も崩壊しました。ですが、その依存をシステムから除去する方法が最近やっとわかったのです。もっともこれは既にある程度構築された世界のデータがある場合のみ有効な方法なので、新規に世界を作る分には使えない方法です。ですが西田君がいたあの世界でなら使えます。西田君がいなくても安定する世界です。
『ですから、システム的な未成熟は完全に除去されたとは言えなくても、それなりのレベルには達したと思うのです。それに既にそこに生きていた人間を戻そうというわけですから、リスクを犯してでもやるべきではないかと判断したのです。ですが、これは実験には使えません。安全のため外部からの干渉を徹底的に排除するつもりでおります。ですからいざ実験を再開しても、それは実験ではありません。ただ動かすのみです。内部で何か起こっているかはわかりません。ですがそれが一番安全に、西田君を生き返らせる方法なのです。
『彼女は向こうの世界でこれからも生き続けるのです。きっとおばあさんになって命を終える日までです。そして西田くんが命を終えても世界は生き続けます。そこで命が生まれ、そしてまた消えていくでしょう。きっと永遠に。それが許されることなのかは私にも分かりません。ですがそれで西田君の命が救えるのならば、私はやりたいのです。彼女が愛した世界を取り戻したいのです』

いつの間にか聴衆のざわめきはやんでいた。
みながその行為の意味を考えていた。
宗像も、自らそう言ったように、それが正しいことなのかは分からなかった。
だが、正しいかどうかはともかくとしても、実行したいという思いは確固たるものとして心の中にあった。

『それでは』
宗像はそう言って再び壇上を去ろうとした。
『あともう一つ!』
先ほどの記者が思い出したように再び叫んだ。
宗像はさすがにもういいだろうという顔をしたが記者が続けた。
『簡単な質問ですので・・・・。mシステムのmというのは何の意味のmなんでしょうか?未だ語られたことはなかったと思いますが』
記者はそういって少し笑った。
『そうですね・・・』
宗像はマイクに向かって言った。
『頭文字ですよ』
『頭文字・・・あぁ教授のお名前は雅人さんでしたね?』
『私じゃありません』
宗像はすぐにそう答え、そして続けた。

『まり。真実の真に里とかいて真里。彼女のあちらの世界での名前です。そこから取りました』
宗像はそう言って少し照れ笑いをした。



----------------□


>エピローグ2

>目次