「M」

第6章 side-B


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『やあ、西田君おかえり』
私が目を覚まし開いたカプセルから上半身を起こすと、宗像教授の声が背後から聞こえた。
『ただいま・・・』
私は、ぼーっとしたまま惰性で返事をした。
本来なら教授に対してそんな言葉遣いをしたりはしないのだが、リンクアウト直後の頭の状態ではあまり理性が働かないためとりあえず頭に浮かんだ言葉がでてしまう。
それでも以前は「帰りました」という風にまだましな返事をしていたのだが、ここ何回かはすっかり「ただいま」になってしまった。おそらく「ただいま」という言葉を使う機会が増えたからだろう。

私はカプセルから外へ出て立ち上がり、深呼吸をする。
空気がおいしい。
東京の空気は汚いという。
以前裕ちゃんが「東京の空気は筑波山の頂上の空気の15倍汚いんやで」とどこで身に着けたのか知らない知識を私に披露していたけれども、それでも今の私には十分においしく感じる。

『変わりはないか?』
教授が私に声をかける。
『ふぁい』
あくびをしかけていたので思わずそんな返事になる。
『おいおい。とりあえずコーヒーでも飲んで頭をすっきりさせてきたまえ』
私がこんな状態ではまともな話はできないと判断したか、せっかちな教授にしては珍しい言葉をかけてくれる。
『わかりました』
そう答え、私は外に出ることにする。
自分のデスクの引き出しから財布を取り出し、ドアへと向かう。

そして、ドアをくぐろうとしたとき、
(ガンッ!!)
『痛っ!!』
私は思わず悲鳴を上げた。
またやっちゃった。
『おい気をつけてくれよ。最近いつもそこに頭ぶつけてるな。大事な体なんだから頼むよ』
大事な体という表現もどうだかなぁと思いつつ、私は頭上の表彰状が入った鉄の額縁をにらむ。いくらなんでもドアの上になんて飾らなくてもいいのに。おかげで私の背丈では体をかがめないと今のように頭をぶつけてしまうのだ。
教授曰く、『ここにあれば必ず人の目に留まる』ってことだそうだが、それは目には留まるでしょうが、美観が台無しなんですけども。まぁいまさら美観がどうこうという研究室でないけれど。

『行ってきます』
私は頭を押さえながらそう言って、研究室を出た。


缶コーヒーですませてしまおうかとも思ったけれど、少しお腹がすいていたので、食堂へ行くことにした。
食堂はこの理工学部の教練の中にはないので、建物を出て100mほど正門の方へ歩くことになる。
学内はいつもより人が多く感じる。まだ4月だから新入生がまじめに大学に来ているのだろう。
これがゴールデンウィークを超えるくらいになると、出るべき授業、出なくてもいい授業の区別を新入生もしだすので、目に見える勢いで人の数が減ってしまうけれど。

しかし、いつものことだけれど、この景色の違和感は絶大だなと思う。
人がものすごく小さく見えて、寝ているうちに自分がまた成長してしまったんじゃないかという気になる。
見慣れたはずの光景なのに、まるで別世界にいるよう。
今度身長を測りなおしてみようか。
いや、やめておこう。まだ伸びていたりしたらショックで寝込みそうだ。

やがて食堂に着き、朝食セットを頼む。
ここの食堂のおばちゃんは、私を見ると必ず食事の量をやや多めにしてくれる。
気持ちは嬉しいんだけど、正直なところ気分はあまり良くはない。
それでも『ありがとうございます』と声をかけ、私は窓際のテーブルについた。

食事をとりながら食堂に設置されているTVを見る。朝のワイドショーをやっているようだ。
この手の番組はやはり好きになれない。だからあまり注目しないようにして、外の景色を眺めていたのだが、「モーニング娘。」という言葉がTVから聞こえてきたので、私はいそいでテレビを見た
そこでは、モーニング娘。が主演して夏に公開される映画の製作発表の模様が流れていた。
記者会見の席にはメンバー10人がいた。
見慣れた顔が4人。見慣れない顔が2人。懐かしい顔が3人。そして・・・もう1人。
『こっちにはいるんだよね・・・・明日香に紗耶香に彩っぺ』
映画の記者会見なのに、その記者会見自体が映画の1シーンであるような不思議な感じがする。
明日香と見慣れない顔の一人が、圭織が話しているにもかかわらず勝手に笑いながら談笑している。
明日香はこういう場所でこんな態度とらないよ。
なんとなく腹が立っている自分がいる。

やがて画面が切り替わり、現在撮影中というその映画の一部が流れ出した。
妙に演技のうまい保田に中澤。逆にとことん大根な安倍。
となりのテーブルでTVを見ている男の子の集団も、安倍の演技を見て『すげ〜これで主役かよ』と笑っている。
私もあまりのひどさに呆然とする。こんなに下手だったんだ。上手そうな顔だと思っていたんだけど。

やがて再び画面は記者会見の模様に戻る。
小さな体で大きなマイクを持っている女の子がうつる。
なんとなくほっとした気分になる。
がんばってるんだよねこの子も。
そしてニュースは別の話題へとうつった。


『矢口ってさぁ、すっぴんやばいらしいよ』
そんな声が背後のテーブルの男の子から聞こえてきた。
『なんでさぁ』
『いやあれは絶対やばいって。化粧見ればわかる』

(ガンッ!!)
私は軽くテーブルを叩いて席を立った。軽く叩いたつもりだったのだが、予想以上に大きな音が鳴り響いたため、私の周りでの会話がやみ、少しの緊張感が起こったのを感じた。
私は構わず、そのまま食器の返却コーナーへと向かった。


自分の悪口を言われているようで腹が立った。



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研究室に戻ると、教授が難しい顔をしてうなっていた。
『50倍、75倍、さらには645倍か・・・・明らかに自然崩壊時の極値と判断するには無理がある・・・う〜む・・・・』
『どうしました?教授』
私は教授のそばに立ち、話しかける。
『うむ・・・・何か向こうの様子で変わったことはあるかね?』
私のほうに椅子を向けて、教授が尋ねかける。
『いえ。もうここしばらくはすっかり安定したといっていいと思います』
『そうか』
『変わりがあるというか、予定通りで無いといえば、時間の相対速度のぶれが相変わらずかなりの振り幅を持っていることくらいですが。でもそれは今はいいんですよね?』
『あぁそれはいい。むしろ最終的にも今テストしている動的時間モデルを採用しようかとも思い始めているのだよ。無理に静的な時間モデルを強要しても不安定要素を増すばかりか、それほどメリットもないだろう。向こうにリンクインして1日経つ間に、こちらで進む時間が5時間だろうが7時間だろうが、ようはリンクインしている人間がそれを知ることさえ出来ればいいんじゃないかと思ってね。だがそのためにはこちらの情報を、向こうの世界の任意の場所に送るシステムが必要になってこれはまた別のやっかいになってしまうわけだがな。だが静的モデルにこだわることに比べればそちらの方が楽だろう。情報伝達はいずれはやらねばならんことだしな』
動的モデルの採用か。
教授が言うようにそれ自体は問題ないと私は思う。ただ、そうやって問題がまた片付いていくのが私には不安だった。
そう、ここ最近の私は、教授がmシステムの問題を何か解決していくたびに不安になっていった。それは私の残された時間を減らしていくことだったから。何か問題が起きればいいのに、最近は不謹慎にもいつも心の奥底でそう願っていた。もちろんそれは、向こうの世界を壊さない程度のレベルのものに限る。

『どうした?』
私の複雑な表情を読み取ったのか、教授が私を怪訝な顔で見つめる。
負い目のある私はその視線から逃れたくて、急いで言葉を口にした。
『それ以外は特に感じたことはないですが・・・何か問題でも』
私の質問に対し、教授が答える。
『うむ、C14エラーが急増していてね。しばらくは全くなかったのに、今は半年前のレベルまで戻っている。それもここ最近で急にだ。どうもおかしい』
『C14というと、mシステム内での環境構築プロセスだったでしょうか?』
『そうだ。これが自己修復レベルを超えると向こうの世界そのものが成り立たなくなる。まぁもっとも自己修復レベルには程遠いからそこまでの心配をすることはないのだが。ただ原因が不明なので気になるわけだ。一度安定したのに何故また今になって?』
『システムの物理的破損ってことはないんですか?』
『物理チェックは何度もかけてみたがそれらしい気配はない。それに、それが理由ならばB10やA3エラーも併発しなければならんがそんな兆候はないからな』

正直言って、一番私にとっては都合のいいレベルの問題だった。だがそれを喜んでいる自分の醜さが少し嫌だった。
だから、ここ最近自分の周りで起こった事象の中に不自然なものはないか、何かヒントになることはないかと必死に頭を働かせた。
しかし、何も思い浮かばない。
『とりあえず、しばらく様子をみてはいかがしょう?』
『様子を見る?この私がか?そんな受身な態度は好きではないな・・・・・』
そう言うと教授は自分のPCに向かい何かを考え始めた。
『あの教授・・・』
『だまって』
どうやら熟考モードに入るとともに、不機嫌スイッチもONになってしまったらしい。
まぁこのタイプのものはそう長くは続かないから放って置けばすぐに直るが。
とはいえ、今は触らないほうがいい。あちらに戻るのも待ったほうがいいだろう。

『いったん自宅に戻ります。でもまたすぐに戻りますから』
私はそう言って、今度はちゃんとドアのところで背をかがめて研究室を出た。



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