愛と麻琴



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夜になって緒方さんから電話がかかってきた。
明日は朝の11時に迎えに行くからということだった。
「わかりました」と私は答えた。
それから、私の娘。を辞めたいという気持ちを改めて伝えておいた。緒方さんはその件については何も答えなかった。
それは許してくれるという意味なのだろうか。

電話は、その緒方さんからの連絡だけだった。
麻琴ちゃんからはともかく、あさ美ちゃんや里沙ちゃんからも連絡はなかった。
そっとしておくように言われてるのかな、そんな風に思った。
でも、あさ美ちゃんと里沙ちゃんには私の決意を話しておくのが礼儀だろうと思って私は受話器をとった。
といってもそれはただのいい訳で、本当は寂しくて2人の声を聞きたかったのだ。

電話をかけた。
でも2人は出なかった。収録か何かをしているのだろうか?
携帯メールで電話をくださいとメッセージを送った。
しかしいつまで待っても、2人からの電話もメールもなかった。

寂しかった。でもそれ以上に腹が立った。
私がこんな状況なのに電話どころがメールひとつよこさないなんてどういうこと。
「何よ、歌だってダンスだって、私や麻琴ちゃんよりも全然下手っぴのくせに!」
そう言って私は、クッションを電話に投げつけた。
クッションは見事電話に命中し、電話機が「ガチャン!!」という大きな音をたててテーブルから落ちた。
テーブルから離れたところにあるソファーで寝ていた麻琴がおどろいて起きてこちらを見たが、
またすぐにソファーで眠り始めた。

「・・・・・ごめん・・・」
私は、あさ美ちゃんと里沙ちゃん、それと電話機に謝った。

別に私はあさ美ちゃんや里沙ちゃんを見下しているつもりはなかった。
確かに2人に比べれば、歌もダンスも実力は上だという自負はある。
けれども、私にはバレエを習っていた経験や、合唱部にいたという経験がある。
経験があるんだから、うまくて当たり前だと思っていた。
だから、そういう経験のないあさ美ちゃんや里沙ちゃんがうまくできないのを見ても
別段馬鹿にすることもなかったし、逆にそういう経験が無いのにもかかわらず、
何事も私と互角にこなしていく麻琴ちゃんをすごいと思っていた。

でも今、私は決して2人には言えないような台詞を言った。
(「何よ、歌だってダンスだって、私や麻琴ちゃんよりも全然下手っぴのくせに!」)
結局は、私は心の底では2人のことを馬鹿にしていたのかもしれない。
いや、馬鹿にするとまではいかなくても、少なくとも、ライバルとしては気にもかけていなかった。
そんなので本当の仲間と言えるのだろうか。
私はずっと麻琴ちゃんだけを見てきた。
ハローキッズで、5期メンを2チームにわけてコーナーをやると聞かされたときも
「私、麻琴ちゃんとがいいです」と2人もいる前で堂々と言い放ったこともあった。
そんな私の態度は、2人にはどううつったんだろう。

そんなことを考えていてふと気づいた。
麻琴ちゃんに嫌われたからって、私は今度は2人の自分への気持ちを気にしてる。
私ってすごくさみしがりやで、そしてどうしようもなくわがままだ。
だから嫌われたんだ・・・・

私は動く気力もなく、ただベッドのそばの床に座っていた。
外れた受話器からは静かに「プー プー」という発信音がいつまでもなっていた。


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翌日、時間どおりに緒方さんが私を迎えに来た。
緒方さんがわざわざ迎えにきてくれるのも珍しい。
私は麻琴にお留守番を頼んで家をでた。かしこい子だから一人でも大丈夫だろう。

「今日は何をするんですか?」
私は尋ねた。
「あぁ今日はレコーディングだ。東雲のスタジオに行くぞ」
「レコーディング・・・・でも私、昨日も言いましたけど・・・娘。を辞めたいって・・・」
「まぁその件についてはスタジオで話そう。つんくさんにももう話してある」
「・・・はい」
つんくさんとも話をしなくちゃならないのか。正直気がのらない。
なんで辞めたいんだって聞かれた時、私はなんと答えればいいのか?
それは、やはり正直に答えるしかないんだろう。
『麻琴ちゃんに嫌われたから。これ以上嫌われたくないから』と。
怒られるかな?それともあきれられるのかな?
そりゃ周りから見たら、なんて馬鹿馬鹿しいことを言ってるんだって思うだろう。
それくらい私にもわかってる。
友達の一人と喧嘩したから辞めるなんて、学校のクラブかなんかと一緒に考えてるんじゃないかって。

でも、私にとって麻琴ちゃんは特別なんだ。
これが麻琴ちゃん以外の誰か別のメンバーに嫌われたとかなら、別に辞めようなんて思ったりはしない。
いつだって後ろ向きで人に言われないと何もできなかった私が、前向きに変われたのは麻琴ちゃんがいたから。
その麻琴ちゃんに嫌われた状態で同じグループにいるなんて、私には耐えられない。
きっと、みんなに迷惑をかけることになる。
こればっかりは、がんばればどうにかなるというレベルの問題じゃないんだ。
もし両親に嫌われた子供がいたとしたら、その子はその家の中に自分の居場所を見つけることはできないだろう。
それと同じで、麻琴ちゃんに嫌われた私にモーニング娘。の中の居場所は見つけれられない。

「高橋、スタジオにつくまでにこれを聞いておけ」
そういって緒方さんは私にMDを渡した。
「今日レコーディングする曲だ。詩はまだラララだけどな」
そういって手渡されたMDには、「5期メンユニットシングル曲」と書かれてあった。
5期メンのユニットの曲・・・・そうか、今日はその曲をレコーディングするんだ・・・・。
今またレコーディングはしたくないと言っても同じ事の繰り返しだろうと思ったから、素直にMDを聞くことにした。
それに正直、曲に興味があった。どんな曲なんだろう。

MDプレイヤーにMDをいれて、耳にイヤホンをさしてから再生ボタンを押す。
間もなく、曲が流れ出した。
ん?・・・・びっくりした。これはバラード曲だ。
私達若い5期メンバーのユニットなんだから、てっきり元気のよいポップソングだと思っていたのでかなり意外だった。
つんくさんが自らラララで歌を吹き込んでいるこのバラード曲にしばし聞き入る。
すごくきれいなメロディー。でも決して大人びた哀愁サウンドって感じではなくて、どことなくさわやかな感じもあって
私達5期メンバーにもあってるような感じがする。素敵な曲だ。
私は、いつのまにか、つんくさんの声に合わせて一緒にラララと歌っていた。
この曲。歌いたい。私達4人で歌いたい。
私はそんなかなわぬ希望を抱きつつ、ただ泣きながら歌っていた。
頭の中では、TVの画面の中で4人でこの曲をしっとりと歌っている映像が、浮かんでは消えた。


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「失礼します」
私はレコーディングスタジオに入った。
そこには、つんくさんをはじめとするレコーディングスタッフの人達。
そしてあさ美ちゃんと里沙ちゃん。そして、麻琴ちゃんがいた。

「おはようございます」
わたしは誰に向けるでもなくそう言った。
「おはよう」
「おはようございます」
つんくさんやレコーディングスタッフの人達が答えてくれる。
あさ美ちゃんがこっちを向いてにっこり笑って言った。「おはよう、愛ちゃん」
里沙ちゃんは、あさ美ちゃんの言葉につられるようにして慌てて「おはよう」と言った。
緊張している感じで笑顔がないけれども、決してそっけない感じではない。
そしてあさ美ちゃんと里沙ちゃんは2人とも目が真っ赤だ。
きっと、私のことで悩んでくれたんだろう。
私は心の中で(ごめんね)ともう一度謝った。
麻琴ちゃんの声は聞こえなかった。でも口が「おはよう」の形に動いたのはわかった。

「よし、4人とも揃ったな。んじゃさっそく歌入れしてみよか」
そう、つんくさんが言った。

「あ、あのっ!!」
「あのっ!」
2つの声が同時に響いた。ひとつは私の声。そしてもう一つは麻琴ちゃんの声。
「なんや、2人してハモってもてからに。仲ええなぁ」
そう言って笑うつんくさん。
私は気まずい気持ちになる。
つんくさん、私達のこと知ってるだろうに・・・。

そして、次に言葉を出したのは麻琴ちゃんだった。
「あの、私・・・モーニング娘。・・・辞めたいんです・・・・だから歌えません」
えっ・・・何を言い出すの?
「麻琴ちゃん!!」
麻琴ちゃんは私のほうを一瞬向こうとしたけれど、すぐにやめた。
「何を言い出すんや麻琴ちゃん!なんで麻琴ちゃんが辞めんの!変なこと言わんといて!!」
私は思わず完全な福井弁になるほどに興奮していた。
「ねぇ、私のせい?私のせいなんやろ?そんなん・・・言わんでよ・・・」
おとといの事件以来、私が泣くのはもう何度目なんだろうか。
「私が辞めるから・・・・ねっ?もう緒方さんにもつんくさんにも言ってあるの・・・私モーニング娘。辞めるって・・・だから・・・」
「だめだよ!!」
麻琴ちゃんがやっとこっちを向いてくれた。私と同じように顔はぐしゃぐしゃだ。
「だめ!なんで愛ちゃんが辞めなきゃなんないの!」
「だって、私のせいなんでしょ・・・私のせいで麻琴ちゃん・・・・」
「違うよ!そんなんじゃない。私が悪いの・・・私が悪いんだから・・・・愛ちゃんのせいじゃない・・・」
「でも!」
でも・・・・その後の言葉が出てこない。私には何を言えばいいのかわからなかった。
麻琴ちゃんのことだ、きっと私の気持ちなんてお見通しなのだろう。
私は麻琴ちゃんに嫌われたことが耐えられなくて辞める決心をした。
そして麻琴ちゃんはきっと、私にそんな決心をさせたことに責任を感じているんだ。
きっとどちらかが辞めればすむ問題。そしてどちらかが辞めないとすまない問題。
そうなったからには、責任感の強い麻琴ちゃんがする決断は決まっている。
そう思うと麻琴ちゃんを説得できる言葉が見つからなかった。

麻琴ちゃんが辞めて私だけが残る。
少しだけ想像してみた。
麻琴ちゃんを追い出し、私だけがモーニング娘。として歌う姿。
無理だよ麻琴ちゃん。私はずっと麻琴ちゃんを追い出したという罪の意識に責められつづける。
きっとテレビの前で笑顔なんてできない。
・・・でも、それは麻琴ちゃんにとっても同じことなんじゃないかなって気がついた。
もし私だけが辞めたならば、きっと麻琴ちゃんもずっと罪の意識にさいなまれつづけることになるんだろう。

わからない。どうすればいいの。
私は一寸先も見えない暗闇のなかで、果てしなく大きな迷宮をさまよっているような気分だった。
出口があるかどうかもわからない迷宮を・・・・


「小川、高橋」
言葉もなく立ち尽くす私達につんくさんが話しかける。
「2人はなんでモーニング娘。になりたい思たんや?」

それは・・・・

「歌が好きだから」
麻琴ちゃんと私はまた同じことを同時に言った。
「そうやな」
つんくさんは今度はちゃかしたりしなかった。真剣な表情で言葉を続ける。
「モーニング娘。になりたいっていう理由には色々あるやろ。
歌が歌いたい。ドラマに出たい。CMに出たい。有名になりたい。芸能人になりたい・・・。
俺はな、その中のどんな理由を持っとってもええと思う。
有名になりたい、多いに結構。正直でええやないか。
俺かってアマチュア時代はめちゃめちゃ有名になりたかったしな」
みんながつんくさんの言葉を真剣に聞いている。
「そやけどな、他にどんな理由を持っとってもええけども、『歌が好き』っていう気持ちが一番でないとあかんのや。
この気持ちが一番でないかぎりは、どんなに可愛い娘でも、どんなに歌がうまくても、
俺はモーニング娘。としては認めへん。
オーディションでもな、このことを一番大事な点としていままで見てきたつもりや」
それは私もオーディションでのつんくさんとの面接の時に感じだことだった。
面接で歌が好きと言うことは簡単だ。
でもなぜ好きか?どういうときに好きと感じるか?という質問に答えることは難しい。
その質問に私はつんくさんを満足させる答えをできたと思っている。だって私は本当に「歌が好き」だから。
それはきっと、麻琴ちゃん、あさ美ちゃん、里沙ちゃん。そして先輩達も。
「そしてお前らはそんな俺が認めたやつらや。歌が好きという気持ちを俺にぶつけて俺の心を響かせてくれたんや」

返す言葉がなかった。
そう、私も麻琴ちゃんも歌が好き。本当に好き。
でも今、歌とは関係ないところで、歌うことを辞めようとしている。
恥ずかしい。つんくさんの目を見れない。
・・・でも・・・・でもやっぱり・・・・
つんくさんの言ってることはもっともだ。頭では理解している。
けれども・・・感情がついていかない。
私は顔を上げることが出来なかった。


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