メイドのお仕事




 ハイ・ラガード挙げての武芸大会は、まだまだ続いていたが、冒険者には関係なかった。
 少々町中が騒がしいし、大会に来たついでに世界樹に登ってみよう、なんて好奇心旺盛な旅人のせいで入り口だの1階だのは混雑していたが、さすがに18階の磁軸を利用するパーティーは数が少ないため、いったん入ってしまえばいつも通りの探索だ。
 「さて、本日は19階の探索だが…衛士隊からの連絡が途絶えた、とのことで、18階から19階にかけて、戦闘跡が無いかの確認も頭においておくこと」
 ネルスの指示を受けて、18階から階段へのショートカットへも、周囲に気を配りながら歩いていった。
 そして、ショートカットを抜けた途端。
 剣戟の音と悲鳴が聞こえてきた。
 「おぉ、衛士隊じゃな」
 「間に合ったみたいですね」
 連絡が途絶えたのでその原因確認、つまりはっきり言って死亡確認の依頼であったので、正直まだ持ちこたえているとは思っていなかった。
 衛士たちと戦っているのは、いつもこの辺りにいるカマイタチに似た魔物だった。刃のようになった尻尾が、衛士たちの鎧を易々と切り裂いていく。
 「行くか」
 魔物の気を引くべく、大きな音を立ててそちらに向かう。
 戦っている衛士たちも気づいたのか、こちらを向いて声を上げた。
 「冒険者か!助かる!」
 「行きます!」
 エルムが漆黒のしなやかな鞭を振り上げた。びしぃっと小気味よい音を立ててカマイタチの刃を折る。大枚払っただけあって、かなりの攻撃力だ。何故か、衛士が一緒に興奮しているようだけど。
 「うち、どうしよっかな〜普通に攻撃がよぉ通じとるみたいやから…寝かせるわ」
 毒ではなく睡眠状態にさせ、敵の攻撃を防ぐ。
 「まあ起こしてしまうんですけどね〜」
 寝た子を銃撃で目覚めさせたファニーが苦笑するが、次のエルムの一撃で魔物は息絶えた。
 他に2匹ほど同じような魔物がいたが、さして苦労もせず倒していった。
 安全を確認してから衛士の方に向かうと、生き残った衛士がヘルメットを脱いで頭を下げた。
 「助かった。ありがとう。どこのギルドか聞いて良いか?」
 「ギルド<デイドリーム>。ちょうど19階に向かうところだったのでな」
 「あぁ、あの。強いし公宮の依頼もよくこなしてくれるという…また上に報告しておくよ。頑張ってくれ」
 生き残った衛士は数名で、他にも死傷者がいるようだった。
 いつもながら、こっちが開いたらすぐに衛士を送り込む、という公宮の姿勢は一定評価できるが、焦るあまり実力の足りない者まで送り込んでいるのではなかろうか、という疑念が湧く。
 こちらの表情から、それが見てとれたのか、衛士は仲間の治療の手を止めてこちらを振り向いた。
 「我々は、それなりに研鑽を積んでいる部隊だったのだが…19階の入り口付近で、急に巨大な影が過ぎったのだ。金色の煌めきを感じたかと思うと、凄まじい速度でそれが近づき、暴風が吹き荒れてたまらず吹き飛ばされ…ここに落ちたのは幸いだった。下まで落ちていたら…」
 ぞっとしたような表情で十字を切った衛士から目を逸らし、天井を見上げる。
 言われてみれば、穴が開いて青空が見えている。よくまあ助かったものだ。
 「…そのような魔物がいるとなると…やはり、若様に探索をさせるわけには参りません」
 サナキルがどうやら高所恐怖症らしくて、階段及び19階の探索が厳しそうだ、というのは聞いている。壁がない、というだけでも駄目なのに、更にどこからか現れる巨大な魔物に吹き飛ばされる可能性がある、なんて、高所恐怖症の人間なら身動き一つとれなくなるだろう。しかも、身動きしなかったら安全か、というと、全くそんなこともないし。
 20階がどうなっているのか、今の時点ではさっぱり分からないが、出来るだけこちらで進めておくしかない。ただでさえルークのホーリーギフトのせいであちらばかりレベルアップしているところなのだ。たまにはこういう機会があってもいい。
 衛士と別れて、そのまま正面の階段へと向かう。
 聞いていた通り、壁のないすかすかな階段は気持ちの良いものではないが、仮に足を踏み外しても18階に落ちるだけだと思えば、そう怖くもない。
 5人が縦列になって、普通にすたすたと階段を登っていくと、そこは石畳が浮いた島になっている19階だった。
 「出来るだけ、端の方で戦闘になるのは避けること。戦闘になった場合、端を背にするのは絶対避けること。特にエルム、鞭を巻き付けたままにして、引っ張られるのには気を付けろ」
 斧のネルスは踏み込みさえ気を付けていれば勢い余って飛び出すことは無いだろうが、エルムは鞭である。鳥なんぞに巻き付けて、それが飛び立ってしまったら床を踏み外しかねない。
 「分かりました。鞭打つようにします」
 エルムが素直に頷いた。クイーンズボンテージなんて妖しげな鞭を使っているのに、相変わらず大人しい。
 浮島の距離を測って地図に書き込んでいく。
 金色の板は、どういう仕組みなのか5人が乗るまで動かず、乗った途端に、ヴーンと微かな震えを足裏に感じさせつつまっすぐに移動した。到着すると、そのまま金色の板が止まったままのものもあるし、すぐに元の位置に戻ってしまうものもある。
 広々として、抜け道の存在を確認する必要が無い分、探索はさくさく進んでいくが、敵側からも姿が丸見えなため、襲撃が多いのが時間がかかる原因だ。
 そして、予想通り鳥系の敵が多いので、攻撃が当たらないことも多く、ピエレッタの睡眠で動きを止めてから倒す、というパターンになり、TPもどんどん消費されていく。
 おまけに、時々どーんと待ちかまえているふっくらした鳥が邪魔をする。最初に戦った時には、二人ほど石化されてしまったため、次からはファニーの威嚇射撃で回避したりもしたのだが、地形上どうしても戦わざるを得ないこともあり、テリアカβが足りずに帰ってくる羽目になった。
 まだ20階への階段は見つかっていない。
 幸い、金色の板はまっすぐ進むようなので、地図を見て、行っていないものを確認していけばよいのだが、意外と入り組んでいて面倒だ。
 ともかくは、TP回復のためにも宿に帰って休もう、ということになった。
 宿に帰ると、武芸大会の前座でジューローが優勝したということで、酒場で祝賀パーティーが行われると言われ、付き合いもあるのでそっちに向かうことにする。
 もっとも、未成年のエルムとピエレッタは、食事だけして酒は飲まずに帰ってくることにしたし、ファニーはルークに用件を頼まれたので別行動になったが。
 

 そのファニーは、ルークから刺されたぶっとい釘に溜息を吐いていた。
 ルークに頼まれたのは、ゲルンの警備隊らしき青年が来ているので、その目的調査である。ルークの方は、他にもゲルンが来ていないかどうかについての情報収集に励むらしく、単体調査をファニーに任せた、というところだ。
 刺された釘は一本。
 「くれぐれも、ジューローを売らないように」
 ファニーはサナキルの護衛兼メイドである。主の行動にまで口を差し挟む権利は無いのだが、それでもサナキルとジューローの間柄については、少々納得しがたいものがあるのだ。
 確かにサナキルは直系とは言え三男だし、婚約者がいてもそれに興味が無いのも知っている。
 だがしかし。
 だからといって、犯罪者、しかも同性と肉体関係を結ぶなど、看過できない事態である。
 いやまあ、確かにサナキルの言う通り、グリフォールの歴史を紐解けば、大して珍しくもない関係であるとも言えるのだが、それはそれ、これはこれ。
 ファニーはサナキルに恋愛感情はこれっぽっちもなかったが、それでも幼少時から見守っていれば多少の愛情は持っている。その愛情の成分は主に保護欲で成り立っているのだから、そんな感情から見れば、サナキルが一方的に好き放題されている、何とか庇って差し上げたい、という気持ちになるのだ。
 かといって、サナキル本人はジューローに夢中である。あんな男の何が良いのかファニーにはさっぱり理解できないが、ジューローに危害を及ぼそうものなら、怒りの矛先はぐりんぐりんとこっちの身に突き刺さることは間違いないので、許可無く手出しをしないつもりではあるのだが…見て見ぬふりにも限界がある。
 『不慮の事故』か『やむを得ない事情』でジューローが消えてくれると嬉しい、くらいの気持ちは当然ある。
 ルークに、その辺の感情はばれているのだろう。
 ゲルンの者に「ここにゲルンが指名手配している男がいます」と密告したら、ファニーの手を汚すことなくジューローを排除出来る。それでもファニーを使うのは、護衛として訓練されていることと、仮に相手にこっちの正体がばれても『グリフォール家に近づいた者の素性確認』だと思って貰えるだろうという推測からだ。
 ファニーとしても、確かにサナキルが好き放題されているのは業腹だが、サナキルが幸せならそれでいいかも、という諦めもあるので、渋々ながらもジューローを守るための計画に乗ったのだ。
 ということで。
 現在ファニーはメイドの衣装を脱ぎ捨て、ばっちり軍人服装のガンナーと化して、ルークが調べてきた宿近辺の酒場に入って軽い酒を啜っているのである。
 つまみの2皿目を注文した頃、酒場に2人組の青年が入ってきた。ファニーに近いテーブル、つまり入り口からカウンターまで店内を一望の元に見渡せる位置を選んで腰掛けた。その歩調は規律正しく、二人が話す言葉から、これがゲルンの軍属だとは容易に知れた。
 しばしファニーは二人を無視して酒に専念した。もちろん、耳は隣に集中していたが。
 そうしていると、料理待ちの間に、向こうから話しかけてきた。
 「失礼、貴女は砲撃手か?」
 「あぁ、そうだ。もっとも、ハイ・ラガード所属ではなく、ただの冒険者だが」
 きっと軍人なら火薬の匂いに反応すると思っていた。銃は北方なら手に入るといえば手に入るのだが、火薬が高価なこともあり、一般には流通していないのだ。軍人なら、珍しい武器を持つ者に声をかけたくもなるだろう。
 ファニーのきびきびとした口調に、青年は自分と似た雰囲気を感じ取ったのだろう、椅子をじわりとこちらに寄せた。
 「銃の存在を知ってはいるが、間近に見るのは初めてなのだ。出来れば、見せて頂けないだろうか?」
 ファニーは、相手を焦らすようにじっくりと眺め、まるで幼子に向けるが如くの微笑を見せた。
 「素人が触れるのは危険なので」
 「いや、我々は、これでもゲルンの警備隊に所属する者で、決して観光客では無いのだ」
 ずぶの素人が物珍しさに惹かれて言っているのではない、と弁明する青年に、ファニーは苦笑してみせた。
 「ゲルンの警備隊か…私も詳しくはないが、砲撃手が配備されているという話は聞かぬが?触ったことも無いならば、素人に違いは無い」
 そう告げてから、腰の銃を手に取った。
 咄嗟に剣に手をやる青年を、片手を上げて制して、銃から弾丸を抜き取った。軽くハンカチで銃を拭いてから、それを青年に差し出す。
 「悪いが、弾は抜かせて貰った。いきなり撃たれると困る」
 「あぁ…すまない。ありがたく見せて貰う」
 そうして、迅雷銃の話だとか二丁拳銃の老人の話だとか、いくつかガンナー関係の話で盛り上がってから。
 ファニーは何気ない調子で話を振った。
 「そちらは?ゲルンの警備隊員が、休暇で武芸大会に参加を?」
 「いや、参加は出来ない。さすがに休暇中とはいえ、他国の武芸大会には…」
 人懐こい方が苦笑して手を振り、もう一人の青年を指で示した。
 「あっちが主に見物に来たいと言ってな。自分はその付き合いだ」
 「勉強熱心なんだな」
 ファニーが微笑んで奥の青年を見つめると、手前の青年がさりげなくその視線を遮るように顔を寄せてきた。
 「いやいや、ちゃんとした目的がある。あいつの兄の仇を捜しに来たんだ」
 「兄君の?」
 「そう、兄も同じく警備隊でな。昔、ブシドー崩れの山賊に腕をやられてしまい…」
 「…お亡くなりに?」
 ファニーは眉を顰めて聞いた。山賊時代のジューローならやりかねない、やはりこんな恨みを買っているような男に若様を任せるのは…と自然と顔が歪んだのだが、相手は悼んでいる表情だと思ったのだろう、手を振って否定を示した。
 「いや、生きているが」
 「死んだも同然だ」
 奥から苦い言葉が被さった。奥の青年が思い詰めた表情で手元の酒を見つめている。
 「腕が使えなくては剣も持てない。俺なんかより、ずっと強い人だったのに…」
 「はいはい、兄君は強い強い」
 端から見ていても、いかにもどうでもよさそうな様子でなだめてから、手前の男は何もなかったかのようにファニーに話しかけた。
 「ところで、君、この辺に詳しいのなら案内を…」
 「そうか、地元のガンナーなら冒険者にも詳しいだろう。やはり冒険者には、犯罪者も多いのか?」
 どうやら口説こうとしているらしい手前の男に被せるように、奥の青年が聞いてきた。
 机の下で何やら物音がしたのは、「空気読め!」と足を蹴って蹴り返して、という攻防のせいのようだ。
 ファニーはそれには気づかなかったふりをして、明らかに最後までなされた質問の方に答えた。
 「そうだな、確かに食い詰め者が冒険者になる例も多い」
 やっぱり、という顔の青年に、真摯な表情で続ける。
 「だが、そういう奴腹は早々に死んでいる。探索は遊びではないし、本気で訓練が必要だからな。そのブシドー崩れの山賊がどれだけ強かったのか知らないが、所詮は野盗の類、冒険者として大成しているとは思えないな」
 仇が既に死んでいる、との推測を出されて、奥の青年はショックを受けた顔になった。そして、次の瞬間、だんっとテーブルを叩いたので、酒場中の視線がこちらに集中した。
 「そんなはずはない!あの兄上を倒す男だ!魔物如きに殺されるなど…それでは兄上は魔物以下だと言うのか!」
 「まーまーまーまーまー。落ち着けって。…いや、失礼、酔っぱらいが興奮して申し訳ない」
 手前の青年が奥の青年の肩を抱いて、酒場の誰にともなく頭を下げた。
 いばらく息を荒げていたが、奥の青年は、不意に音を立てて椅子に座り直した。
 「いや、そんなはずはない…あの兄上が倒されたのだ、絶対に強いブシドーのはずだ…」
 ちょっと困ったわね〜とファニーは眉を寄せて青年を見つめた。
 山賊がわざわざ冒険者になってるはずがない、仮になっていてもさっさと死んでる、ハイ・ラガードの冒険者に貴方の兄の仇はいませんよー、という展開に持っていきたかったのだが、どうやら兄を尊敬するあまり、その仇もまた強敵でなければ納得できないらしい。
 正直、山賊時代のジューローなんて、大したことないはずなのだが…恋は盲目、違った、家族愛の強大さに理性が眩んでいるのだろう。
 困ったように言葉を探しているファニーに、手前の男が軽い口調で言った。
 「いや、気にしないでくれ。いつもあんな感じだから」
 いつも、なのか…どうやら相棒の暴走にも付き合い慣れているらしい雰囲気を持った男が、少々気の毒になる。
 「それより、どうだろう。自分は貴女のようなクールビューティーに、軍人口調で罵られるのが好きなんだが…この後も、少し時間は無いかな?」
 おい。
 心の中だけで、そこまではっきり口に出さないで、と突っ込みを入れてから、ファニーはクールビューティーと評された冷たい微笑で立ち上がった。
 「失礼。悪いけれど、明日も早いので」
 そして、奥の青年の顔を覗き込む。
 「明日の仕事は、この国の砲撃手協会の長が魔物に倒されたので、その仇討ちだ。長となるほどの者でも、世界樹の魔物には倒される。…貴殿の兄上を貶める気は無いが、我々も命がけで魔物と戦っているので、魔物如き、と言われるのは、少々気分が良くないな。冒険者を相手に話をする時には、気を付けた方がいい」
 「え…あ、あぁそうか…すまない」
 まだまだ本気で納得しているとは思えないが、それでも頭を下げた青年に微笑みかけて、ファニー手を振った。
 「では、良い休暇を」
 「そちらも、武運を」
 くるりと背を向け去っていくファニーの後ろ姿を見ながら、手前の青年がまた机の下で足を蹴った。
 「まったく、久々に良い尻の女とお近づきになれそうだったのに。お前も休暇中くらい女に目を向ければどうだ?」
 「俺は、そんな理由でここに来たんじゃない」
 後の会話は、ファニーの耳には届かなかった。
 もう少し探りを入れたり、誘導したりしても良かったが、あまり深入りするとこちらの事情まで探られる。せいぜい行きずりの冒険者の他愛のない意見くらいに思って貰える方が良い。
 もっとも、あれがジューローのことだとも限らないが…けれどこんなところまで来るブシドー崩れの山賊、というのもそう多くは無いだろう。…まあ、武芸大会でトーナメントが組める程度には、こんな北国までやってくるブシドーの数はいる、と認識を改めなければならなくなったが。
 さて、仮にあれがそのままジューローのことだとして。
 ただのお尋ね者、というだけでなく、警備隊員に個人的に恨まれているとなると、少々厄介かもしれない。ただ、本人の顔を見ても気づいていないようなので、さして心配することもないのだろうが。
 何にせよ。
 こうしてこちらが知る以上に、ジューローは他人に恨まれている男だろう。
 そんな男が若様に近づくのを許して良いのかどうか。
 たとえ一時的に若様に恨まれてでも、ジューローを排除した方が良いのだろうか。それが良き従者の勤めだろうか。…サヴァントス様なら、どう仰るだろうか。
 ファニーは悩みながらも、いつもとは異なる道順で宿へと帰り、周囲の目が無いのを確認してから、裏からそっと入っていった。あの二人組が尾行してくるとは思わないが、用心に越したことはない。
 時刻は既に真夜中過ぎだ。宿はひっそりと寝静まっている…のか、まだ帰っていなくて静かなのか。
 階段を上がろうとしたところで、表玄関から帰ってきたアクシオンと一緒になった。
 眼鏡も外し、黒髪に真っ赤なメッシュを入れ、軍人調のレザー製のズボンを履いたファニーを見ても、アクシオンはそれについては何も言わなかった。
 「ご苦労さまです。こちらは、宴会はまだ続いているのですが…先に帰ったジューローとサナキルが、少々酔っていたようなのが気になって、様子を見に帰ってきたんですが」
 代わりに、ルーク無しで一人で帰ってきた理由を述べて、アクシオンは階上に目をやった。
 「若様もお酔いに?」
 サナキルもワインには慣れているので、そう簡単には酔ったりしないはずだが、まだ18歳なので浴びるように酒を飲む、というところまではやったことがない。あのブシドーが優勝したなら羽目を外す可能性は確かにある、とファニーは眉を寄せた。
 「二人とも、普通に歩いて帰れるくらいには元気そうでしたけど…吐いていたら危険ですからね」
 メディックらしい淡々とした口調で言って、階段を上るアクシオンに付いていく。出来れば、服装をメイドに整えてから様子を窺いたかったが、もしも体調が悪いようならそんな暇は無い。
 アクシオンは、まずジューローの部屋の扉に耳を付けて、首を傾げた。そっとドアのノブを回してみて、鍵がかかっていたので何も言わず、そのまま隣へと移動する。
 また扉に耳を付けて、今度は顔を顰めた。
 ファニーも扉に近づいて耳を澄ませて…何となく呻いているような声が聞こえた気がして、思わずドアノブに手をかけた。
 「え…あの、止めた方が…」
 慌てたように手首を押さえられたが、もうノブは回り、ドアに隙間が出来ていた。
 まあ、呻き声が聞こえるのには、間違いなかった。
 理由が、酔って吐いている、とかじゃないだけで。
 ドアノブを持ったまま固まっているファニーの手ごと力尽くで引っ張って、アクシオンがドアを閉めた。やはり、女性のような顔をしていても、男性には違いないのね〜、なんて現実逃避した頭がぼんやりと考えた。
 扉は閉まったのに、まだ聞こえてくる気がする
 啜り泣きのような喘ぎと、荒い呼吸。
 見えはしなくても、何をしているかは明らかだ。
 ジューローとサナキルの関係は、理解していたはずだが、ここまであからさまな場面に遭遇したことはなく、改めて、本当にそういう関係だったのか、と衝撃を受ける。
 凍り付いたままのファニーの手をノブから剥がし、アクシオンが背中を押してファニーの自室へと押していく。
 「鍵もかけずにするのは、不用心ですし…万が一、年少組が踏み込むと教育に悪いですね。気を付けるように言い聞かせておきましょう」
 そんなことはどうでもいい。
 「あれは、合意の上の行為ですよ。そんな間男見つけた、みたいな顔しないで下さい」
 自分がどんな表情をしているか、なんて知るはずもない。
 アクシオンに押されたまま、自分の部屋に戻り、機械的に鍵を開けて中に入った。
 何故かアクシオンも一緒に入ってきて、ファニーを椅子に座らせた。
 他人の部屋なのに全く気にした様子もなく、さっさと水差しを見つけてコップに注ぎ、手渡す。
 「真上の住人から言わせて貰うと、今日のはかなり良い関係ですよ?性欲処理じゃなく、愛の営みにレベルアップです。サナキルも愛されてるってことですから、むしろ喜ぶところでしょう」
 そうは言われても、そう簡単に納得出来るものでもない。
 ファニーに、サナキルに対する恋愛感情は無い。無いけれど、保護者としての愛情はある。
 その保護対象が、男に良いようにされている場面を見る…もとい、聞くなんて、たまったもんじゃない。
 もちろん、愛し合っている、というなら、一方的にサナキルが熱を上げた挙げ句に好き放題されている状態よりは、幾分マシと言えばマシなのだが…理性と感情は別だ。
 「ま、とにかく、朝までは踏み込むのは止めておきましょうよ。サナキルにも気の毒です」
 肩を竦めたアクシオンが、故意にだろうサナキルの名を出してファニーの暴走を押し留める言葉を吐く。
 「朝になったら、しっかり労って差し上げればいいでしょう。それまで、貴方もゆっくりお休みなさい」
 ばいばい、とファニーの目の前で手を振って、アクシオンはあっさりと出ていった。
 ファニーはしばらく呆然と椅子に座ったままだったが、ともかくは着替えよう、とのろのろと立ち上がった。
 サナキルは、あの犯罪者を愛している。
 それは、間違いない。
 それが正しいこととは思えないが、正しいか間違っているか、など、恋愛に持ち込んでも無駄だということくらい、ファニーにも分かっている。
 問題は、従者として、護衛として、年上の保護者として、どう接すれば良いのか、だ。
 間違った行為を諫めればよいのか。
 それとも、初めての恋愛を、応援すればよいのか。
 
 今日は、眠れそうにもない。



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