優勝祝賀会




 ざわめきと共に一般人が国立劇場から流れていく。ルークがそれに巻き込まれないようゆったりと帰り支度をしているのを見て、サナキルは地団駄踏んだ。
 「早くジューローを迎えに行くぞ!」
 「まあまあ、坊ちゃん、そう急がなくても」
 「おそらく、メディックが治療しているでしょうから、まだ控え室にいると思いますよ」
 そう言われても、やっぱり気が焦る。ジューローが控え室から出て行ってしまったら、勝手に宿に帰りそうではないか。誰よりも早く、祝いを述べたいのに。
 「んじゃあ、舞台の方に行く?ちゃんと外に出てから回ろうと思ってたけど…ま、入れてくれるかどうか分からないけど」
 一般人は、まだ通路一杯に埋まっている。確かにあの中に突っ込んで外に出るのは煩わしそうだ。
 当然、皆、出口方向に向かっているので、舞台付近は空いている。
 「よし、行くぞ」
 「足、挫かないようにねー」
 通路ではなく、座席を飛ぶように跳ねていったサナキルに、ルークがのんびりとした声をかけた。
 舞台付近まで行くと、袖の方に衛士がいて、うんざりしたような平坦な口調で出口を槍の穂先で示しながら言った。
 「何か?こちらは出口ではありませんが…」
 「ギルド<デイドリーム>のパラディンだ。先ほど優勝したジューローの仲間だが…」
 「あぁ、<デイドリーム>の…どうぞ」
 手を差し出されて、胸の高さほどの舞台によじ登る。
 示された方へと降りていくと、控え室があった。まだブシドーたちがうろうろしている中を潜り込むと、すぐに目当ての人物を見つけられた。
 「ジューロー!」
 「…お前だけか」
 「ルークとアクシオンなら、外から回ってきているので、時間がかかる」
 ジューローは椅子に座っていた。 防具を脱いでいるため、上半身は白い上衣だけになっている。
 露になった首にはもう傷跡は無かった。左腕の方は、何枚かの布を当て、右手で押さえている状態だ。
 「怪我は?」
 「大したことないな。メディックが治療した。切り傷より、骨が砕けたのに時間がかかったようだ」
 「それは、大したことなくないだろう!」
 ジューローは平然と言っているが、内容は激しい。そりゃいつもの探索でも大怪我したり死んだりしてるのだから、腕一本くらいは気にしていないのかもしれないが…それでもやっぱり、怪我はして欲しく無い。
 「首を落とされるくらいなら、腕一本で済めばマシだろうよ」
 「そう言うとは思ったが…」
 サナキルが後半口の中で言葉を濁していると、周囲に残っていたブシドーが何かジューローに話しかけ、ジューローも東国語で返事をした。
 さっぱり分からない会話を理解するのは諦めて、サナキルは所在なく周囲を見回した。
 奥ではメディックが鞄をしまおうとしているところで、もう治療は全て終わったということなのだろう。
 何やら金属を叩くような音が響いているのが気にはなっているのだが、この部屋の中には音の元らしきものは何も無かった。
 メディックは帰り際、ジューローの前に立ち寄った。
 「具合は?」
 「あぁ、もう平気だ」
 ジューローは当てていた布を取り、左腕を振って見せた。幾分、青黒く変色が残っているが、確かに動きに問題は無いようだった。
 「それでは、お大事に」
 決まり切った文句を残して、メディックはさっさと部屋を出ていった。
 入れ替わりのように、ごつい男が武具を持って入ってくる。
 「元通りにしたが…これはどこの店で買った?」
 ジューローが視線だけでサナキルに答えろと促してきたので、サナキルが記憶を引っぱり出しつつ指をくるくると回した。
 「あー…ヒマワリ娘のいる…」
 「シトト商店か?」
 「そう、それだ」
 ごつい職人は手の中の腕甲を見下ろして、髭をしごいた。
 「シトトか…こりゃあ、うかうかしてられんな」
 一人呟いてから、ジューローに防具と刀を差しだした。
 「なかなか良い品だ。大事にしてやってくれ」
 「あぁ、有り難い」
 素直に礼を言うジューローに幾分ぎょっとして目を見開いていると、職人が去ってからジューローがぼそりと言った。
 「壊れた防具もただで直して貰えたし、刀も研ぎ直してくれたんでな。特に、刀は素人の手入れが続いていたからな…有り難い」
 「至れり尽くせり、というやつか」
 さすがは国の肝入りのイベントだ。自前の武具を元の状態に戻してくれるのは、貧乏人にはありがたいサービスだろう。
 ジューローは戻ってきた防具を身につけ、刀を腰に差した。
 「さて…帰るか」
 朝に出かけたのと同じ格好になった、と言いたかったが、髪が乱れているのが惜しい。いや、これはこれで色っぽいとは思うが。
 「せっかくだから、髪も直していけ。僕が直してやる」
 「…出来るのか?」
 「えーと…たぶん」
 自信は全くなかったが、ジューローが椅子に腰を下ろしたので、やってみろということだと判断してジューローの背後に立った。
 まずは組み紐を解き、いったん髪を全部降ろす。
 櫛を持ち歩く趣味は無いので、手で絡んだ髪を梳いていった。
 花の匂いがする油と、汗で髪はべとついているが、固まるほどではない。
 正直、他人の髪を結ったことなど、一度も無い。というか、自分の髪も結ったことなど無いが。
 左手で髪の束を持ち、右手の指で髪を梳いていくが、束ねようとする度、どこかの髪が房になって落ちていった。
 「…結構、難しいな」
 「だろうな」
 「笑うな!動くと落ちる!」
 ジューローの頭が震えたため、また髪がぱさぱさと落ちていった。
 悪戦苦闘していると、またノックと扉が開く音がした。
 「やほー、ようやく辿り着いたよ」
 「何をしてるんですか?」
 「ほほー、これが優勝したブシドーかー」
 …何か最後、覚えのない声が混じっていた気がする。
 顔を上げると、また髪がこぼれた。
 何となく見覚えがある顔だ…と記憶を探って、それが酒場の店主であることを思い出した。何故ここにいるかは分からなかったが。
 「サナキル、櫛どうぞ」
 アクシオンが懐から取り出して渡した櫛をありがたく受け取り、また最初から髪を梳いていった。
 「はい、そこでこの紐を親指で押さえて…そう、それでぐるぐるっと…」
 口は出すが、手は出さないアクシオンに心の中で感謝しつつ、どうにか髪をまとめ上げる。
 その間に、酒場の親父とルークがジューローを挟んで話し込んでいた。
 「そりゃもう、こりゃあ盛大に打ち上げするしかないだろ!?なっ!?」
 「…まーいいけどさー…」
 「も・ち・ろ・ん!俺の店でやるよな!?うちが依頼を回したんだからな、当・然!うちでパーティーするよな!わざわざ東国の酒も取り寄せてんだしよ!」
 「ジューロー、祝賀パーティーやるけど…いい?」
 どう見ても、酒場の親父に脅されているような図だ。ルークは、お祭りそのものは大好きだが、ジューローが主役のパーティーなんぞ開いて大丈夫か、心配しているのだろう。
 もちろん、サナキルだって心配だ。お尋ね者的な意味でも、パーティーの主役が、一人でいる方が好き、という意味でも。
 だが、ジューローは頷いた。幸い、髪はまとめ終わっていたので、もうこぼれ落ちることはない。
 「あぁ、構わん。ついでに、金も使ってくれ。2000enでは、防具代にもならん」
 「意外と渋いな、ここの公宮も」
 「所詮、前座ということだ」
 その10倍は出ると思っていたのに、案外と優勝賞金が安い。今の時点になると防具一つで優に3000enを越えるのだ。もっと強力なものになると、桁が一つ上になる。
 2000enくらいなら、ぱーっと使った方がマシ、という気持ちも、分からなくもない。
 「よっしゃ!任せろ!んじゃ、夕方6時くらいでどうだ!?」
 「ま、そんなもんかね」
 「うっし、気合い入ってきたぜ!」
 腕をぐるんぐるんと回しながら、酒場の親父は嬉しそうに出ていった。
 それを見送って、ルークは肩をすくめた。
 「ま、いっか。めでたいことはめでたいんだし…って忘れてた。ジューロー、優勝おめでとう」
 真っ向から祝われたジューローは、一度瞬いてから、あぁ、とか何とか呟いた。赤の他人には、平気で礼を言えるくせに、顔見知りには素直に言えないらしい。
 「うわ、僕も言って無いじゃないか!一番に祝いたかったのに!」
 「…いやー、それは、俺のせいじゃないなー」
 ルークが呆れたように笑う通り、せっかく来たのに祝いの言葉を言っていないサナキルが悪い。
 自分は何を言ったんだっけ、と思い返してみて、そういえば怪我が一番に気になってたんだった、と頭を抱えた。
 「あー…つまり、僕にとって、ジューローが勝つのが当たり前だったから…どうでもよかったわけではなくて、だなぁ。…えーと…」
 今更、改めて、となると妙に気恥ずかしくなったが、サナキルはジューローの正面に回って告げた。
 「おめでとう。お前が一番強いと証明できて、僕も嬉しい」
 「…何でお前が嬉しいんだ」
 「そりゃ僕の…」
 言いかけて、先ほどのゲルンの青年を思い出した。眉を寄せていると、ルークがぽんと肩を叩いてきた。
 「坊ちゃん、その話は外で。どうせ、いったんは宿に帰って着替えるだろ?」
 「…そうだな」
 「あ、ジューローは、酒場でも技見せろって言われるかもしんないから、刀は持ってて」
 「丸腰でうろつく気は無い」
 「そりゃそっか」
 話がまとまったので、帰るために席を立つ。
 もう控え室にはブシドーの姿もほとんどなく、イベントのための係員だけが残っている状態だった。
 控え室を後にして、通路を歩きつつ、ふと思い出して聞いてみた。
 「そういえば、あの男はいたか?あの、サクラを見ていた東国の…武術大会のために来たと言っていた…」
 「…あぁ、そういえば…」
 ジューローも思い出したのか、少し首を捻ってから、どうでもよさそうに続けた。
 「知らん。少なくとも、こっちの控え室にはいなかったな。参加していなかったか、1回戦で消えたか…」
 「少しは出来る男に見えたが…」
 ジューローが1回戦でさっさと倒した男に比べれば、もっと強いと思ったが…まあたとえ一回戦でも相手が更に強かったら消えるが。
 「…あるいは、樹海の露と消えたか、だ」
 「あぁ、あり得るな」
 いくら単体で強くとも、迷宮の中では話は別だ。毒を食らうこともあるし、属性攻撃でないと通じない敵もいる。
 うっすらとしか顔も覚えていないブシドーを気の毒に思うより何より。
 「ということは、迷宮でも名を馳せているジューローが、やっぱり最強だということだな」
 こんなブシドーのみの模擬試合だけでなく、実戦でもジューローが一番強い、と思うと、自然に顔が綻ぶ。
 「…坊ちゃん、そういうのを、恋は盲目って言うのよ」
 「そうか?だって本当にそうじゃないか。我が<デイドリーム>は最高のギルドで、ジューローはその中でも最強の男だ。…うわ、そう考えると、本当に凄いな。国で一番なんて」
 ジューローは額に指を当て、呆れたように溜息を吐いたが、サナキルは見上げる形だったので、ジューローの口元が僅かに緩んでいるのに気づいた。
 さすがに、ジューローも今日はだいぶ機嫌が良いようだ。何だか、いつもより笑っている気がするし。
 ジューローの機嫌が良いと、サナキルも嬉しい。ジューローがどんな態度だろうと、好きなことに変わりはないが、それでも侮蔑の表情を見るよりも笑顔を見る方が幸せに決まっている。
 
 劇場を出てしばらく歩いたところで、ルークが離れていった。
 「ちょいとね、情報収集」
 「では、俺は酒場にでも」
 ルークが何をしようとしているかは分かる。ゲルンの警備隊の目的だろう。アクシオンは…単に気を利かせた、ということだろうか。
 ジューローと二人きりにはなったが、辺りはまだまだ賑わっている。少し気を抜くと人にぶつかりそうな状況で、ゲルンがどうの、とは言い辛い。
 しばらく無言で歩いてから、万が一の可能性に思い至った。つまり、宿に向かうこの道中で、あの青年に出会う、という可能性だ。もしもその時に、ジューローが「これの部下などであるものか」なんて言い出したらまずい。
 少し、言葉を選んでから、隣で歩くジューローを見上げて、小さく告げる。
 「決勝戦の時、隣に座っていたのが、ゲルン訛りの男でな」
 ジューローがちらりとだが鋭い視線を向ける。
 「僕に、あの男は知り合いか?と聞いてきたので、このサナキル・ユクス・グリフォールの<剣>だ、と答えた」
 その答えに、ジューローはあからさまに眉を顰めた。
 「お前が嫌がるのも分かるが、グリフォールの者と思えば、そうそう手出しは出来ないはずだから」
 「…余計な真似を」
 ジューローも、周囲の人間を慮ってか、あまり声を荒げはせず表情も変わらなかったが、言葉だけは不機嫌の棘を含ませていた。
 「だから、もしもゲルンの者に聞かれたら、自分はサナキル・ユクス・グリフォールの護衛だ、というふりをしておくといい。完全に偽りというのでもなし、それがいつからか、というのだけ明言しなければいいだけのことだ」
 サナキルも聖騎士としての教えを受けている分、完全な偽りを口にするのは抵抗がある。ただ、冒険者として経験を積んだのと、単純にジューローが大事だという己の感情に正直になったのとで、譲歩できる誤魔化しの幅が広がったのだ。
 「…グリフォール、とやらの家名は、お前だけのものでは無いんだがな」
 「利用できるものは、利用する方が良い。今、グリフォールの財力を使えない以上、名前だけでも使えるところには使う」
 樹海の魔物は、グリフォールという単語に当然全く配慮してくれないので、自分でもそれに力があることを忘れそうになっていたが、人間相手なら、それなりに通じるはずだ。特に、国の上の方の人間であればあるほど、配慮せざるを得なくなってくるはず。
 直系とはいえ、サナキル自身は三男なので、長兄ほどの神通力は無いはずだが、グリフォール家そのものの広がりを背後に見て取る人間なら、すぐには手出し出来ないだろう。
 まだ不服そうなジューローに、にっこり笑って見せる。
 「何、グリフォールは聖騎士の家系だが…古くから続いているだけに、そこかしこに腐った実も結んでいる。それでも勢い良く伸び続ける巨木だ。実の一つに少々虫が付いたとて、倒れはしない」
 正直なところ、腐った実は基本的に囲い込んで存在を隠している一族である。正々堂々と「実が腐っていた」と発表はしない。腐り具合があまりにも酷くて、樹全体に害が及びそうなら…周囲の枝ごと切って捨てる。
 子供の頃は、聖騎士としてそれでいいのか、と悩みもしたし、グリフォール家ほど大きくなるとそれが許されるのだ、と勘違いもしたが、今ならそれがやはり醜い行為だということも理解出来る。
 醜いとは思うが…利用は出来る。
 そもそも、過去に罪を犯した人間を愛人にすることが、今までの<腐った実>以上に悪いこととは思えないし。
 「最悪の場合、僕がグリフォールを抜ければ良いだけだしな。何とでもなる」
 勝手に家出した若者が、勝手に犯罪者を愛人にしただけのことだ。グリフォールに累など及ぼすはずもない。
 「…相変わらず、お前はどうしようもない馬鹿だ」
 「これでも、僕なりに考えているつもりなんだが」
 「考えた末がそれか。…あぁ、東国には良い言葉がある。下手の考え、休むに似たり」
 「休むことと似ている…どういう意味か、よく分からないな。思考停止している、ということか?」
 「どうせろくなことを思いつかんのだから、考えずに休んでいても同じことだ、という意味だ」
 「あぁ、なるほど…いや、しかし、それでも考えないよりは考えた方が…」
 ふと気づくと、他愛の無い話で会話が続いていて、ゲルンの者とすれ違ったかどうかなど全く気にも留まらない間に、宿に着いていた。
 少し緊張感が足りなかったか?と反省をしている間に、ジューローはさっさと部屋に上がっていったので、サナキルも後を追った。
 自室に戻り、少し考えてから、礼装は解く。鎧を着込む気は無いが、この格好も酒場の打ち上げにはそぐわないだろう。
 武装も、護身用の短剣くらいのものか、と、いつもの剣と盾は置いておいた。
 これでは、やはり冒険者というよりはどこぞの坊ちゃんではあるが…祝いの席に武装していくものでもないだろう。
 それに。
 サナキルは一人でくすくすと笑った。
 <己の剣>が共にいるのだ。自分で剣を持つ必要など無い。

 アクシオンが迎えに来たので、ジューローと3人で棘魚亭に向かった。もう優勝が知れ渡ったのか、道中、冒険者から祝いの言葉がかけられた。ジューローはあまり他人と交流していないはずだが、それでも<デイドリーム>のブシドーとして、それなりに顔が売れているらしい。
 酒場に着くと、親父がそりゃもう全開の笑顔で迎えてくれた。
 「よっしゃ、主賓はそこだ!」
 通された先のカウンター脇には、酒樽と木槌が置かれていたので、何で木槌なんだろう?とサナキルは首を傾げた。
 酒樽は、見慣れたワイン樽よりもやや寸詰まりで寸胴だ。東国の文字と思わしきものが貼られている。
 「わざわざ東国から仕入れたんだからよ!派手にやろうぜ!」
 四角い木の升のようなものをジューローの前に置く。
 それを手に取って仔細に眺めているジューローの横顔を見ながら、サナキルはふと問うてみた。
 「そういえば…お前が酒を飲むところを見たことが無いんだが」
 「お前は飲めるのか?」
 「フルーティーな白ワインならな。あんまり重いのは好きじゃない」
 正直、どうせ飲むならお茶の方が好きだが、祝いの席で付き合い程度になら飲めなくも無い。
 そうこうしているうちに、客が大勢入ってきた。
 いつの間にか、ルークも戻ってきていて、軽く手を挙げて合図してきた。
 親父が適当にエールだのワインだのをついだグラスを並べたのを、みんな適当に取っていく。
 大体の人間に飲み物が行き渡ったのを確認して、親父が大声を張り上げた。
 「よっしゃ、そろそろ始めるぜ!本日〜めでたくブシドー大会で一位となった〜<デイドリーム>のブシドーに敬意を表して〜」
 「いいから、とっとと始めろよ!」
 「おっさんの演説を聞きに来たんじゃねーぞー!」
 「あぁもうくそ、お前らちったぁ趣ってぇもんを理解しろ!」
 怒鳴りながら、親父がジューローに木槌を渡した。
 「何だっけ、ほれ、何かの開き?いや、割りだっけか?とにかく、景気良く一発頼むぜ!」
 「…やったこと無いんだがな」
 ぼそりと呟きつつも、やることは分かっているらしく、ジューローが木槌を構えて…樽の上部をがつんと叩いた。
 一度目は、単に音が出ただけだったが、二度目に振り下ろした木槌が木の蓋をぱきんと割る。
 「…で、どうすんだ?これ」
 酒に浸かった蓋の欠片を手に取りつつ親父がぼやく横で、ジューローが升を手に取り、酒をすくって掲げた。
 「あ、なるほど。で、東国の酒、飲みてぇ奴は、後で勝手にすくって飲め!とりあえず、みんなグラスは持ってんな!それじゃ〜、乾杯!」
 「かんぱーい!」
 「おめでとー!」
 口々に叫んで、客が飲み物を口に含んだ。
 …というか、これは、本気でジューローを祝いに来たというよりも、単にお祭り騒ぎに釣られて来た冒険者の方が多いのではなかろうか。
 その証拠に、ジューローの武勇伝を聞きに来る冒険者もいるものの、大半は酒だの料理だのに没頭している。
 まあ、このくらいの方がいいだろう。あんまりにも急に注目を浴びるのは、ジューローも得意では無かろうから。
 ジューローの隣に座ってちびちびとワインを飲みながら、サナキルは横目でジューローを見ながらそう思った。

 ルークとアクシオンは、そんなジューローとサナキルの様子をちらちらと確認しながら、酒を飲んでいた。
 途中でネルスとショークス、レンジャー組にバースといった他のメンバーも参加し、ジューローにお祝いの言葉を述べていたが、ジューローは素直に頷いていた。ちなみに、ファニーはルークが別件のお願いをしているので不参加だ。
 思ったよりもジューローは他人と会話出来ているようだし、サナキルもその隣で大人しい。世間知らずが二人、だと思っていたが、この分なら普通に冒険者の酒場でも浮かずに済みそうだ。
 しばらく自分の腹を満たす方に専念して、ちょっと一休み、とエールを飲んで、そういえば話の種に東国の酒を飲んでみよう、と様子見も兼ねてカウンターへ向かう。
 樽の横にはジョッキが置いてあり、皆、それを柄杓代わりにすくっているようだったので、真似してジョッキで汲み、コップに注いだ。
 それを片手にジューローとサナキルを見る。
 どうやらジューローは他の冒険者と喋っているようで、サナキルはフォークの先で肉をつつきながら、時折口を挟んでいるところだった。
 こっちも、だいぶ食い物も酒も満ち足りてるし、機嫌も良さそうだ、と安心して自分の席に戻り、まるで水のような透明の酒を口に含んだ。
 ごくり、と飲み込んで。
 喉を灼く感触に、眉を顰めた。
 「どうしました?」
 「…意外と、きついな、これ」
 アクシオンがルークのコップを取り、一口含む。
 「確かに。…ということは」
 笑い声さえ上げているジューローを見て。
 「…実は、酔ってるのか、あれ」
 ジューローの前の木の升を取り上げ、サナキルがそれをあおった。しかし、四角い升から飲むのは不慣れなのか、口の端から溢れてこぼれ、それをジューローが拭いてやっている。
 「…やばいですかね。止めますか」
 どう考えても、普段ではあり得ない光景に、アクシオンが呟いた。
 だが、それより先にサナキルが席を立ち、こちらに向かってきた。そう千鳥足ではないものの、いつもの軍人歩調ではなく何となくゆったりしていた。
 こちらのテーブルに辿り着き、手を突いた勢いが強かったのか、金色の髪がぱさりと真っ赤な頬にかかった。
 「サナキル?」
 「ジューローが酒を飲む姿は、初めて見た。酒より必要なものがあったらしくてな」
 「あぁ、そうだね、俺も、ギルドに来てからジューローが酒を飲んだとこ見たことないけど」
 「ジューローは酔っている。帰してもいいか?」
 坊ちゃんも酔ってるじゃん、とは言えなかった。本人は、しっかりしているつもりのようだったので。
 「んじゃ、一緒に帰る?一人じゃ危ないし…」
 「僕が聞きたかったのは、パーティーの主賓が帰っても良いのか、ということだ」
 何となく潤んでいる目で睨み付けられ、ルークは酒場の中を見回した。
 …ま、既に祝賀パーティーってよりは、単なる宴会だ。
 「OKOK。後は俺たちがまとめるから。盛大にさよならじゃなく、普通に連れ立って帰ってくれればいい」
 堂々と主賓が今から帰る、と宣言すると、せっかくの盛り上がりに水を差す。騒ぎに乗じて、こっそり抜けてくれればいい、と言うと、サナキルは、分かった、と頷いてカウンターに向かった。
 会話がさっさと出来るくらい理性は残っている。足取りも、軽くは無いがふらついてはない。
 立ち上がったジューローも同じくらいだが、サナキルよりも顔色が変わっていない分、酔っていないように見える。まあ、見えるだけで、あの酒をがぶがぶ飲んでいたのだから相当にアルコール漬けになっているだろうが。
 少なくとも、宿に帰る途中でどっかで寝こけたりはしないだろう。宿まで帰り着けば、後は何とかなる。
 明朝には、頭がんがんのげろげろになっているかもしれないが。
 「…俺、付いて行かなくてもいいですかね」
 アクシオンも、ちょっと眉を寄せて呟いた。付き添わなくては、というほど危うくも見えないが、明らかに普段とは異なるので、判断に迷っているのだ。
 「まあ、大丈夫だろう、二人だし。宿まで近いしさ」
 せっかくジューローの機嫌が良くてサナキルが嬉しそうなのだ。邪魔をするのも野暮だろう、とルークは二人きりで帰すことを選択した。
 
 酒の勢い、というやつは、恐いものである。



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