武芸大会




 サナキルが、目隠しして階段を上がってはジューローに呆れられたり、屋根から飛び降りようとしてファニーにぎゃんぎゃん喚かれたりしている間に、刻々と時は過ぎていき。
 その日の朝は、ばんばばん!という派手な爆音で目が覚めた。すわ敵襲か!と窓から公宮の方を見ると、まだ紫がかった空に、白い煙が数筋たなびいていた。
 何度か瞬いて、あぁ、今日は武芸大会当日だった、と思い出す。
 ここ数日、街の中が非常に落ち着かない。冒険者には無関係とは言っても、国民には大事なお祭りのようだし、冒険者の一部には大会に参加する者もいるし、この時期だけ他国から流入する人間も多い。おかげでただの探索予定の冒険者たちも、どこか浮き足立っていた。
 祭りそのものは5日間に渡って行われるが、ジューローの出番は開幕早々のブシドー限定トーナメントのため、今日の夕方には暇になる。
 さすがに今晩すぐに探索に出る、という話にはならないだろうが…結局、何ら解決が見つからないままの状況に、サナキルは溜息を吐いた。
 何でも、19階は石畳の広場が点々としている状態で、小さめの金属板に乗るとそれが勝手に動いて向こう岸に着くのだとか。
 …想像しただけで震えが来る。よくまあそんなものに乗っていられるものだ。もしもそれが落ちたら、とか、傾いたら、とか、急発進急ブレーキでバランスを崩したら、とか、想像しないのだろうか。
 うぅ、と唸りながらサナキルは窓枠を掴む手に力を込めた。
 ファニーは今度こそ自分たちの出番!と張り切っているが…もしも20階もあんな具合だったらどうしよう。武芸大会が終われば、ジューローは探索に出たがるだろうし…。
 何度目かになる溜息を吐きながら、サナキルは窓を離れて、のろのろと着替え始めた。
 今日はさすがに鎧は着けない。宿の女将には、祭りの日にはこの国特有の民族服を着るよう勧められたが、グリフォールの一員としてそれも容認出来ず、結局アクシオンに礼服を仕立てて貰った。さすがは元仕立て屋、急だったというのになかなかの出来映えだ。アクシオンは質素過ぎましたか?と聞いてきたが、仮にも武人の端くれ、このくらいでちょうど良い。
 鏡に向かって首のタイを結び、両側の頬を自分で叩いてみる。情けない顔に、少しは生気が戻っただろうか。これからジューローが戦いに赴くというのに、不景気な顔をしていては験が悪い。
 そうして、笑顔を作って階下に降りてみれば。
 扉を開けた途端、作った笑顔が本物の笑みに変わった。
 刀の位置を調整していたジューローがこちらを振り向いて…すぐに顔を逸らした。
 「…何だ、その馬鹿面は」
 何とでも言え。
 口に出して反論するのも忘れて、サナキルはうっとりとジューローを見つめた。
 艶やかな黒髪が後頭部できっちり結わえられ、真っ白な組み紐が揺れている。
 完璧に剃られた顔は、鋭い横顔を見せているが、やはり若いのだな、と思わせた。
 そして高価な防具には染み一つ無いが、決して新品のお仕着せには見えない。その値段に負けず、鎧を着こなしている。
 腰からは、東国特有の刀が延びている。こちらの感覚で言えば、華奢な剣だが…その反り具合と鋭さがジューローに実に似合う。
 武具に関して言えば、普段と変わらないはずなのだが、それでもいつもの探索とは違うどこか晴れやかな空気を纏っていた。
 「さすがは僕の………」
 愛人だ、とは言えずに、口の中でごにょごにょと誤魔化す。
 でも、気分としては、世界中に触れ回りたい。これが僕の大事な男なんだぞー!と叫びたい。
 「ジューロー、優勝したら、何か欲しいものはあるか?」
 こんなに立派な男が、誰かに負ける姿など想像出来ない。誰よりも強いに決まっている。
 久々にウキウキした気分でそう聞いてみたら、ジューローは腰に手を当ててあきれたような目でサナキルを見た。
 「優勝することそのものが、栄誉だと思うがな」
 「それもそうだが…何か…あ、ひょっとして、賞金も出るのか?なら、僕から贈られるよりも、その賞金を使った方が良い物が買えるかもしれないな」
 実家ならともかく、今のサナキルに自由になる金はそう多くない。
 ここがグリフォールの実家ならなぁ、とサナキルは溜息を吐いた。ジューローは装飾品には興味無いだろうから、武具か…軍馬などどうだろう。姿勢の良い男だから、馬に乗る姿はさぞかし立派だろう。
 また、ほわんと夢見る表情になったサナキルから、ジューローは目を逸らす。いくら何でも、こんなにあからさまに賞賛の目で見られるのも落ち着かない。
 さっさと出よう、という空気を漂わせたジューローの腕を、サナキルは慌てて掴んだ。
 「ちょっと待て。祈らせてくれ」
 はぁ?とジューローが眉を上げる。
 「…俺の国の神は、お前たちのものとは違うと思うが」
 「えーと、たぶん、我らが神は寛大だ。…と思う、たぶん」
 ちょっと自信無いが。
 困ったようなサナキルの顔を見て、かえって面白がったのか、ジューローは僅かに笑った。
 「まあいい。我らの神は八百万ほどいる。一人くらい増えたからと言って、大した変わりは無かろうて」
 「800万!?そんなにいるのか!?国中、神だらけではないか!」
 神の身は一つ、その他の神を信ずることなかれ、と叩き込まれた身としては、俄には信じがたい話だ。
 だが、今、宗教論争をしている場合ではない。
 ジューローの神には祈れないので、ともかく自分の神に自分の願いとして祈ることにして両手を組み目を閉じる。
 ジューローが死にませんように。ジューローが大怪我をしませんように。ジューローの正体がばれませんように。あまりの格好良さに、ジューローに恋する乙女が現れませんように。
 何か最後はかなり自分勝手な願い事になった気もするが、それはおいといて。
 とにかくは、ジューローが怪我しませんように、と真剣に祈って顔を上げると、ジューローが妙な顔をしていた。
 「…普通に、武運を祈らんのか」
 いつの間にか、言葉に出ていたのだろうか。
 そういえば、優勝しますように、という祈りはしなかったような気がする。
 「だって、それは神に祈るまでもないだろう?」
 よっぽど卑劣な手でも使われない限り、ジューローが優勝するのは当然のことなのだから。
 本気でそう言うサナキルを見つめて、ジューローは苦笑した。
 「…さあな」
 当たり前だ、とは言わなかった男に目を見開いて、サナキルは背伸びまでしてジューローの顔を覗き込んだ。
 「絶対、勝つのは分かってるんだ。とにかく、怪我だけはしないでくれ。さもなきゃ僕は観客席から飛び降りて、お前を庇いに行くぞ」
 「あぁ、それは恥だな。避けたいものだ」
 うんざりしたように言ったが、ジューローの目はまだ笑っていた。
 いつも通りの様子で出かけていくジューローの背中を見送っていると、いつの間にかショークスが近くに来ていた。
 「何、坊ちゃん、『頑張ってね』ってキスの一つもしてやらねぇの?」
 「しない!」
 「あぁ、勝ったらキスしてあげる、でもいいわな」
 「それもしない!」
 くすくす笑いながらショークスはサナキルの額を弾いて、軽やかに階段を上がっていった。ショークスは、武芸大会を見物するよりも、探索に赴いたネルスの様子に集中する方を選んだため、今日は宿でお留守番だ。
 宿に入ったサナキルは、暖炉の前に座って足をばたばたさせた。
 ジューローが目の前にいないと、よけい落ち着かない。早く闘技場に出かけたい。
 しかし、今日は宿の者も出かけているため、弁当はルークが作るということで、なかなか準備が整わない。
 「はいはい、一日仕事なんですから、気を楽に行きましょう。今からじたばたしてもしょうがないですよ?」
 アクシオンが忙しそうに部屋に入ってきて、お茶の入ったカップをサナキルに出して、またぱたぱたと出ていった。
 お茶に口を付けながら、サナキルは一人でぶつぶつ呟く。
 「だって、一回戦から見たいじゃないか。そりゃジューローは最後まで勝ち残るだろうが、それでもジューローの勇姿は全部見ないと…」
 朝から一回戦を始めて、最後まで終わるのは夕方になるだろうことは、分かっている。分かってはいるが…ただ待っているだけなんて耐えられない。
 かといって、弁当づくりを手伝う、なんて発想は、全く出てこないサナキルだった。

 
 ようやく飲み物と弁当を持って、中心部の建物に向かった。サナキルが想像していたのは、ローザリアにもある円形の闘技場だったのだが、その建物はどう見ても劇場だった。
 考えてみれば、ローザリアのように騎士制の国とは違い、このような地方の国では闘技場などあってもそうそう活用されないのだろう。
 それに、最初は『武術大会』だと思っていたが、『武芸大会』という、本気の試合よりも演武に近いニュアンスを感じさせるイベント名だし。
 どうやら劇だの雑技団だのと同じ扱いをされているらしいことに少々不満を感じないでもないが、他国のお祭りに文句を付けても仕方がない。
 せめて、舞台の造りがジューローの気を削がないことを祈っておこう。
 正面に広い舞台を臨んで、その真向かいは貴賓席なのだろう、一段と高くなっている。今は衛士のみだが、ひょっとしたら公女でも来るのかもしれない。
 その周辺はこの国のお歴々だろう。
 そう思えば、ルークが取った席は、その次くらいのランクのようだった。段々座席が迫り上がっているので、座っても前の者の頭で見えないということは無い。
 舞台近くの席は平坦な上に、通路は立ち見が許可されているらしく、一般人で満載だ。「見えねーぞー!」の怒号も響いている。
 石造りの座席に、アクシオンがぱんぱんと膨らませたクッションを置いた。
 「荷物になりましたけどね、持ってきて良かったです」
 苦笑したアクシオンは、鍔の広い帽子を被り、指先まで覆う白い手袋を着けていたため、上半身だけ見ればどこの貴婦人か、という格好だった。単なる日光対策のようだが。
 同じく大きめの帽子を被らされたルークは、基本的にいつもの吟遊詩人のひらひらした姿だが、お祭り仕様なのか、やたらと派手だった。
 一見、この3人がどういう取り合わせか分からないだろうなぁ、と思いつつ、サナキルは指定された3つの中で、一番舞台正面に近い席を選んで座った。
 もう第一試合は始まっている。まだまだ玉石混淆、他国からの武者修行ブシドーから駆け出し冒険者まで様々だ。
 「使ってみます?商売道具をばらして作ったので、無くされると困りますが」
 アクシオンが差し出した金属の筒を覗いてみると、舞台の上が拡大されて見えた。
 「オペラグラスか。気づかなかったな」
 確かにこれを使えば、舞台上の人間の表情まで見えるが…やや視野が狭いので、動き回る人間を追うには不便だ。歌劇ならともかく、試合には向いていない。
 アクシオンに返していると、舞台袖から出てきたのがジューローであったためそちらに注意が集中した。
 「ギルド<デイドリーム>所属、ジューロー!」
 いつもとはイントネーションの異なる呼ばれ方に、ジューローが苦笑しているのが見えた。
 「イシューリア傭兵団、ヨッシーツーグ・サンジューロー・タッケーダ!」
 呼び出し人の言葉に、サナキルは首を傾げた。似たような名前もあるものだ。
 いや、それより、これでは敵の方が格上のようではないか、家名もミドルネームもなく名前しか名乗らないジューローの方が流しのブシドーのようだというか…。
 しかし、周囲に「<デイドリーム>だ」「<デイドリーム>だってよ」と、ちょっとしたざわめきが起こったことで、とりあえずは満足する。やはり<デイドリーム>の名は、一般人にも知れ渡っているらしい。
 「はじめ!」
 ジューローは、いつもの構えすらしなかった。
 きえええ!と叫びつつ突進してくる傭兵相手に、鞘ごと刀を一振りしただけだった。
 それだけでさっさと腰に収めたジューローにブーイングが上がったが、相手の男がジューローに辿り着く前にばたりと倒れ伏したことで歓声に変わった。
 その歓声に応えることなく、ジューローはすたすたと舞台から立ち去った。
 「もうちょっと愛想良くすれば良いんですが」
 アクシオンの苦笑混じりの感想が聞こえてきたが、サナキルは瞬きすらしなかった。
 「か…」
 「か?」
 「格好良すぎて、涙が出そうだ…」
 「…そうですか。主観の相違ですね」
 こんな頼りがいのある最強の男が普段は自分の横で戦っているなんて、幸せすぎて目眩がする。
 本当に涙目で舞台を見つめているサナキルを横目で見てから、アクシオンは逆サイドに座っている自分の男を見た。
 舞台方向を見てはいるが真剣な顔でおそらくは別のことを考えているだろうルークに顔を寄せる。周囲がざわついているので聞こえはしないだろうが、小声で呟く。
 「最後まで、ジューローで押し通せますかね?」
 「想定しとけば良かったな。かといって、今更落ち合えないだろうし…本人に任せるしか」
 ジューローは、最初からジューローとしか名乗っていないし、そういうものだと思っていたが、ああやって他の東国人が名字もミドルネームも名乗るとなると、名前一つのジューローが目立ってしまう。しかも、あの名乗りを聞くに、ジューローはミドルネームのようだし。
 やはり自分と同じことを考えていたという事実に満足し、アクシオンは頷いた。
 「でも、案外、うまくいくかもしれませんけどね」
 「まぁなぁ。東国人の名前は発音が難しい」
 次の対戦でも、呼び出し人が何度も紙を見直して四苦八苦しながら読み上げているのを見て、ルークも暢気な笑い声を上げてから舞台に向かって叫んだ。
 「しっかりしろよー!東国人に失礼だぞー!」
 呼び出し人が苦労していることも、東国人の名前そのものも、一般人には出し物の対象になったらしく笑いや野次が飛んだ結果。
 2回戦では、全員がこちらの言葉でも発音しやすい部分、主にミドルネームのみになっていた。
 まあ、それはそれで、何故かジューローだのコジューローだのサンジューローだの、似たような名前ばかりになって混乱しそうになっていたが。
 
 やはり本物の武術大会とは違う、前座の演舞という色合いが強いのか、一般人の歓声は、どちらが勝ったか、というよりも、様々な技が出る度に上がっていた。
 最初は素っ気なかったジューローも、さすがに2回戦からは敵が強くなったのか、卸し焔を放ったため、盛大などよめきを受けていた。
 さすが、と満足してから、TPは大丈夫なのか、と今度はそっちが心配になったが。
 昼になり、他の連中の試合の間に、ルークが寄越したバスケットの中身を頬張る。いつもの探索の時には、すぐに食べられるような簡素なものが多いのだが、今日は中身もお祭り仕様だ。
 「一般人は、どんどん入れ替わっているようだな」
 「まあ、おそらくは異国の剣術を、話の種に一度見てみたい、という人が一番多いんでしょうから。一通り見たら、他のところに行くんでしょう。祭りの出し物はこれだけ、というわけではないんですし」
 「…話の種、か」
 ジューローを見せびらかしたい気持ちはあるが、見せ物にする気は無い。こっちは命がけで修練しているのに、その技を暢気に見物されるのも、少々むかつくものがある。
 「ブシドーの技は、大まかに3種類に分かれるとして…俺は結構、居合いの潔さに惹かれるものがあるんだが、やっぱ見た目は、ジューローみたいなのが派手だから受けが良いよなー」
 ここまで来ると、大概のブシドー技が披露されているのだが、やはり一撃必殺の居合いからの首切りと、相手の攻撃を封じる青眼の構えからの小手打ちを使う者が多い。
 その中で、大上段に構えて炎を放つジューローは一際目立っていた。
 「本来、あの上段の構え、というのは隙も大きいんでしょうけど…問答無用の攻撃力ですからね。一般人には受けがいいでしょう」
 秘められた駆け引き、なんぞは見えない一般人には、圧倒的な力でねじ伏せる姿が、分かり易くて良いのだろう。それを見て、やったー!と爽快感を感じるか、むしろ倒されろ!、と野次るかは性格によるだろうが。
 「あまり…目立つのも、好ましいことでは無いが」
 「とは言っても、優勝したらイヤでも目立ちますしね」
 サナキルの懸念を、アクシオンがばっさりと切り捨てた。
 こういう場に出れば、目立つのも分かっていたのだが、やはり事前に予想していたのと、実際その場で経験するのとでは不安の度合いが違う。
 今のところ、ジューローは実にブシドーらしい態度で、おかしな疑念を抱かせるような振る舞いはしていない。このままうまく行けばいいのだが。
 そうして、どんどん試合は進み。
 ついに決勝になった。
 アクシオンは、舞台を凝視しながら人差し指の背を噛んでいるサナキルに、なだめるような声をかけた。
 「大丈夫ですよ」
 「でも…さっき、怪我してたのが…」
 「掠り傷じゃないですか。あんなのジューローにとっては、怪我のうちにも入ってないでしょう」
 先刻、準決勝の折りに、相手の刃が首筋を掠めたのだ。首討ち狙いだったようだが、ジューローは間一髪で避けた。避けたのだが、多少の血は飛び散った。サナキルはそれが心配でしょうがないのだ。
 「坊ちゃんが見てないだけで、他の方々も怪我はしてましたよ。でも、次の試合ではぴんぴんしてました。つまり、試合前にメディックが治療していると思われます。…あくまで前座の試合であって、殺し合いじゃないんですから」
 ジューロー一人しか見ていないから、そういう他の状況が分からないのだ。逆に言えば、ジューローは準決勝まで傷一つ無しで勝ち上がってきた、ということなのだが。
 「そ、そうか…なら、大丈夫か…」
 ジューローが優勝する、と信じてはいるが、それでも怪我をするのはイヤだ。特に、こんな見せ物みたいなところで怪我をするなど、馬鹿馬鹿しいにもほどがある。
 サナキルがひたすら舞台を見つめていると、ついに最後の呼び出しがかかった。
 技の見物が目当ての一般客も、さすがに大きな歓声を上げたので、相手の名前はついぞ聞こえなかった。
 舞台の上で、両者が礼をする。
 相手は、準決勝と同じく居合いの構えだ。確かに、ぽんぽんと首をはねるのは、効率的と言えば効率的だし、ある意味、圧倒的な攻撃力と同様に爽快感もある。
 決勝に相応しい試合ではあるが…どっちも大怪我しそうで怖い。
 うーうー唸りながらサナキルが見守る中、両者がじりじりと近づき…まずは一閃。
 一瞬の攻防の後、両者の位置が替わる。
 お互い、大技を出すタイミングを計りつつ、仕掛け合いや鍔迫り合いを繰り返し…まずはジューローの卸し炎が放たれた。…いや、舞台一面を埋め尽くすような炎は、鬼火炎か。
 さすがにかわせないだろう、と見ていると、相手もさすがは決勝まで残った強者、炎に巻かれつつも首討ちを放ってきた。
 ジューローは辛うじて首と刀の間に、咄嗟に己の左腕を上げた。高価なはずの腕甲が弾け飛び、血が吹き出した。
 だらりと下げた左腕に、サナキルは小さく悲鳴を上げる。
 その後も、しばし技を出す前の小競り合いが続き。
 最後の仕掛け合いか、という前に。
 「…あ、笑った」
 「よく見えますね、この距離で」
 レンズの拡大無しでも、ジューローがにやりと笑った気配は、間近で見るかの如く感じ取れた。
 ジューローの右腕が高く掲げられ…舞うように振り下ろされた。
 「一撃、二撃…うっは、三撃目…は、止めたか」
 「こんなところで、ツバメ返し、初披露ですか…」
 ずばり、ずばり、と肉を断つ音が聞こえた気がした。
 最後に振り下ろした刀は、崩れ落ちた敵の首寸前でぴたりと止められている。
 「…参りました」
 その声は爆発的な歓声にかき消されて聞こえなかった。
 「よし、よくやった、ジューロー!」
 おそらく、サナキルの叫びも、ジューローの耳には聞こえていまい。
 一般人は、ジューローの名…というよりも<デイドリーム>の名を叫んでいるし、高いところにいるこの国の重鎮たちは「あれはどこの者か?」と聞き合っている。
 だから、サナキルは右隣からの問いに、振り返ることなく答えた。
 「あれは、君の知り合いかね?」
 「あぁ、あれは僕の…このサナキル・ユクス・グリフォールの誇る<剣>だ」
 「グリフォール…もしや、ローザリアの…」
 そこでようやくサナキルは振り向いた。
 ごく一般的な旅装に身を包んでいるが、どことなく軍人を思わせる青年が、考え込んだような視線を舞台に向けていた。
 「確かに、僕はローザリア五星騎士団の一つ、グリフォールの…」
 「ちょ、坊ちゃん、坊ちゃん!こんなとこでグリフォールの名は出さないでって言ったでしょ!」
 「あぁ、そうだな」
 ルークが慌てたように小声で囁いてきたので(と言っても、周囲が騒がしかったので十分相手にも聞こえる音量だったが)、サナキルは頷いて口を閉じた。
 「いや、失礼。他意は無いのだ」
 そう謝罪して、相手はするりと席を立った。かすかな金属音が聞こえたので、おそらくマントの下には鎧と剣を着けているに違いない。
 何となく目で見送ってから、深々と席に身を沈める。
 「…ゲルンだったな」
 「あ、坊ちゃん、気づいてた?」
 「あぁ、大叔父の側室の一人にゲルンがいてな。あの訛りは知っているんだ」
 声をかけられた瞬間に、それを連想した。
 あれが警備隊の者かどうかも分からないし、ジューローをどう思ったのかも不明だが…少なくとも、ジューローがサナキルの剣、つまりグリフォールの護衛だと匂わせることは出来たと思う。
 ルークも、サナキルが余計なことを言わないよう制止したが、言葉上はグリフォールのお付きの者という体を装っていたし。
 不測の事態の割には、まあまあうまく対処出来たのではないだろうか。
 とりあえず、そう自画自賛はしてみたが。
 それでも微かな不安は拭い去れなかった。



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