刀と盾の攻防




 ジューローは、眉を顰めて目の前の絵を見つめた。
 サナキルのベッドに腰掛けると、ちょうど正面に位置する場所にかけられたそれは、やっぱりどう見ても内臓色で、何か居心地悪さを感じさせるばかりで面白いものでは無いと思う。
 だが、どうもこの絵を描いてからというもの、サナキルの様子がおかしい。やたらとご機嫌だったり、腑抜けたような表情でこっちを見てきたり。自分で呪いの絵でも描いたのでもあるまいに。
 そのサナキルは、夜、こうして訪ねてきたジューローに、お茶を入れようとしているところである。
 ジューローとしては、こんな絵を眺めていたくは無い。
 だが、目を逸らすと、どうしてもサナキルの様子が目に入る。その、如何にも『お茶を自分で煎れたことなどありません』という危なっかしい手つきでティーポットを持っている姿が見えると、こっちの手がうずうずするため、必死に意識を逸らしているところだ。
 どうにか成功したのか、サナキルが満足そうな息を吐いたのが聞こえた。
 「どうだ。良い絵だろう。リーダーにも誉められたぞ」
 振り返ると、テーブルの上のお茶を示された。こっちに持ってくる気は無いらしい。まあ、盆に乗せて運んでくる、というのも、サナキルにとっては大事業のような気がしたので、何も言わずにそちらに向かったが。
 がたんと音を立ててイスに座り、目の前のお茶を胡散臭そうに見る。
 一応、色合いはお茶だ。たぶん、湯気から見るに温度も適正だろう。先日、初めてお茶を煎れた時などは、豪快に茶葉を使ったのか、お茶と言うより抽出液とでも言いたいような何かだったので、それに比べれば飲み物らしい外見だと言える。
 「…あれのどこが良いのか、俺には分からんな」
 口を付けたそれは、今度はやたらと薄かった。お茶風味白湯だ。ここで旨いお茶を飲むのが目的ではないのでどうでもいいが。
 「ルークには、少々美化しているのではないかと評されたが、僕としてはまだまだこんなものではないと思うのだが」
 「美化?…あれは、何か対象物があったのか?」
 誰が見たって抽象画という分類だろうに。
 サナキルは、自分の分のお茶を啜って、顔を顰めた。砂糖をもう一匙追加している。白湯が砂糖湯にレベルアップだ。
 「あぁ、自分でも気づいていなかったのだが、どうやら僕はお前の絵を描いたらしい」
 あんまりにもさらっと言われたので、流しかけてからジューローはカップを皿に戻し、改めて絵を振り返った。
 赤い渦。ところどころ暗い色が巻き込まれている。そして、飛び散る金箔。
 「…俺が血を吹き出して死んでいるところか?」
 最初に連想したのが内臓であったため、赤いと言えば血しか思いつかなかったのだが、サナキルはきょとんとした顔で首を傾げた。
 「僕はそういう悪趣味な絵を描く趣味は無いぞ?あれは、お前が卸し焔を放っているところだ」
 「炎の割には暗い色だが」
 「…そうかな…」
 自分でも分からない、と言うように絵を眺めてから、どこか遠くを見るような視線になって、頷いた。
 「あぁ、きっと、エスバットの時も氷姫の時も、夜だったからだろうな。蒼く染まる雪景色まで切り裂くような圧倒的な<力>というか…目が離せないほどの……美しさ、というか」
 最後の言葉は、サナキル自身が納得していないのだろう、迷いに迷って選んだ単語のようだったが、やっぱりしっくり落ち着かないようだった。
 「実際には、僕も敵を見ているのだから、お前の視線など見られないはずなのだが、何故か敵を睨めつけるお前の目も描かれているな…動きに合わせて舞うお前の黒髪とか…あの辺りは、そういうイメージだな」
 いや、当然のように解説されても、何度眺めてもあれのどこに黒髪だの黒目だのが描かれているのか、ジューローにはさっぱりだが。
 「…そもそも。何故、俺の絵など描く。…あぁ、なるほど。お前は俺に惚れたのか。男に犯された挙げ句に、足を開いた相手に惚れるなんぞ、お前のような馬鹿がやりそうなことだ」
 実際のところ。
 サナキルが描いたのが自分の似姿だった(いや、全く似てないとか似ているとかそういう問題では無い絵だが)、という事実を知って、自分でも驚くほどに内心動揺しているのだが、ともかくそれを知られてはなるまい、といつもの口調で攻撃しておいた。ともかくは攻撃しておけば、相手が怯んだ隙にこっちが体勢を立て直せる。
 何も、冷静さを失うほど驚く必要は全く無い。無いはずなのに、何故俺は狼狽えているんだ、とジューローが自問している間に、サナキルは予想に反して怒りもせずに答えた。
 「まず、一つ目の質問について、だが。何故、お前の絵だったのか、は僕にも分からなかった。ただ、描きたくなったので、心の赴くままに描いてみたら、結果的にお前の姿だったんだ」
 サナキルはそこで一口お茶を飲んだ。温くなったそれは、更に不味かったらしく顔を顰めてまだ残っているそれを皿に戻した。
 「もちろん、お前の絵が出来上がったことは、喜ばしいことだ。だから、ああしていつでも眺められる位置に飾っている」
 自分の似姿(くどいようだが、ジューロー的には全くそうは見えない)が、ベッドからいつでも見られる位置に飾ってある。
 何か、妙な衝撃があった。
 眉を顰めたくなるような嫌悪感、というのではないが…何だか背筋の毛が逆立つようなむずむずした感じと言うか。
 「…すると、何か。お前は寝ている時にも俺に見られていたい、だとか、そういう気色の悪いことを考えている訳か」
 「は?お前に見られたいんじゃないぞ?僕が見ていたいんだ」
 やっぱり小首を傾げたサナキルは、どことなく可愛らしいような気がしないでもない表情でジューローを見つめてから、絵の方に視線を向けて、夢見るようなぼんやりした口調で言った。
 「…たとえば、真っ暗な夜道を歩いていたとする。そこに火が浮かんでいたら、ほっとしてそっちに近づこうとするだろう?…そんな感じだ。夜中に目を覚ましたときに、そこにお前の絵があると、幸せな気分になるじゃないか」
 いや待て。
 何か前半と後半が食い違っているような気がするのは気のせいか?
 一般論としての、闇の中に浮かぶ炎に対する安堵、というのは、まあ理解出来るが。何故それが後半に繋がる。
 しかし、問い詰めると、こっちが体勢を立て直すどころか更に追撃を受けそうで、ジューローは曖昧に唸るに留めておいた。
 「それから、二つ目だが」
 自分で言っておいて何だが、二つ質問をしたつもりは無かったので、一瞬何を言われたのか分からず思考が停止している間に、サナキルはひどく真面目な顔でジューローを見つめて言った。
 「僕が、お前に惚れた、という件に関してだが、そういう表現は正しく無い。それではまるで、最近になって僕がお前を好きになったみたいだからな」
 いや待て。
 聞きたくない。
 いや、聞きたい気もしないでもない、という望みが僅かながらも存在するのは嫌々ながらも認めなざるを得ないが、聞くとまずい予感の方が大きい。
 しかし、ここで逃げる訳にもいかず、ひたすらサナキルを睨んでいると、サナキルは真剣な顔のまま言い放った。
 「僕は、出逢った当初から、お前が嫌いでは無かったからな。好きか嫌いかで言えば、最初から好きだったのだから、今更惚れたのどうのというと違和感がある。好きであったのが、更に好きになった、というだけのことだ」
 だけのことって。
 いや、突っ込むべきはそこではない。
 そこではないが、どこに突っ込むかというと……どこも危険だという。
 ジューローは、顔に上がりかけた血液を、全力で引きずり降ろした。
 冗談ではない。何でこんなのに好きだと言われて赤面する必要がある。
 「それから3つ目」
 まだあったのか。
 「男に犯されて、とお前は言ったが、僕は徹頭徹尾、抵抗した覚えが無い。つまり、強姦されたつもりは全く無い」
 
 お前は、何を言ってるんだ。

 ジューローはブシドーである。
 ブシドーは、攻撃力こそ圧倒的だが、防御は非常に心許ない。
 能動的に攻撃だけを畳み込んでいる間は強いが、いったん守勢に回ると、立て直すのが非常に困難である。
 こんな時でも、ジューローはブシドーだった。
 思ってもいない方向からの攻撃、しかも連撃を受けては、通常の状態を保つのは無理だ。
 どうにかして、自分の攻撃ターンに持ち込まねば、これでは防御一方である。
 ということで。
 「…俺は、お前のことなぞ、好きではないぞ」
 「嫌いだと言われないだけ、前進だな」
 思い切り吐き捨ててやったのに、嬉しそうに言われて、自分の選んだ単語を後悔する。
 ならば、嫌いだ、お前のことなぞ顔を見るだけでもおぞましい…とでも言えば良い話なのだが…頭の中に思いつきはしたが、どうにも声には出ず、喉から妙な唸り声が漏れただけだった。
 「それに、お前が僕のことを好きだろうが嫌いだろうが、僕には関係無いからな。大事なのは、僕がお前を好きだということだから」
 「関係無いことは無いだろう」
 咄嗟に返した言葉に、サナキルは本気で怪訝そうな顔をした。
 「そうか?しかし、お前もそうだろう?僕がお前を好きだと言ったからって、僕を好きになるか?」
 「なるか!」
 「だろう?なら同じことじゃないか。僕は、お前が好き。お前が僕を好ましいと思っていようが、疎ましいと思っていようが、僕がお前を好きなことには変わりが無い」
 そう言って、幸せそうに自分の胸に手を当てた。まるで、そこにとても大事なものでもしまっているかのように。
 言葉を無くしたジューローをどう思ったのか、サナキルは宥めるかのような口調で付け加えた。
 「もちろん、お前にも好きになって貰える方が嬉しいだろうが…」
 言いながら、あり得ないとでも思ったのか、苦笑になる。
 「まあ、僕としては、あの絵を見ているだけでも十分嬉しいからな。まるで、お前が僕のものになったかのようで」
 「何で俺がお前のものになるんだ。お前が俺のものになるのならまだしも…」

 俺は、何を言ってるんだ。

 駄目だ駄目だ。
 やはりこっちのペースに持ち込まないと、共同墓地が出来るほど墓穴が増えるばかりだ。
 しかしいつもの皮肉と嫌味が通じないとなると…。
 「僕がお前のものになるのか?…うん、それも悪くないな」
 真面目にそれを討議したらしいサナキルが、うんうん頷いているのを見ながら、がたんと音を立てて立ち上がる。
 「ご託を並べるのは大概にして、さっさと尻を出せ」
 俺はそのために来てるのだ、と言えば、サナキルも当然のように立ち上がった。
 本人が言った通り、確かにこの行為に関して、サナキルが抵抗した試しは無い。もちろん、ジューローが死んだ時を除けば、だが。
 この行為を愉しんでいないことは、ジューローもよく知っている。男の癖に娼婦のように腰を振って、などと言うような虐めが使えないのは、そのためだ。もっとも、娼婦、という言葉そのものにジューローの中で激しい抵抗があるので、使いたくとも使えないが。
 ランプの窓を絞れば、すぐには動けないほど室内は暗くなる。壁に掛けられた絵も、ただの滲みとなる。
 衣擦れの音がして、薄明かりに白いものが浮かび上がった。
 いつものように、床に膝を突き下衣のみを下ろした姿だ。
 サイドテーブルから、アクシオン調合の潤滑油を取り上げ、手に垂らす。
 犯された覚えなどない、とサナキルは言う。
 だが、これがまともな交合だとでも思っているのか。
 伏せた頭をシーツに押しつけ、手もシーツを握り締め。苦鳴の一つも漏らさない。
 こっちは、ただ潤滑油を利用して、本来あり得ない箇所にねじ込んで腰を振るだけ。
 こんなものに、何の意味があるというのか。
 サナキルの肉体に欲情するか、と聞かれると、即答は出来ない。そりゃまあ、突っ込めるくらいの硬度がある、ということは、そういうことなのだろうが、これが愉しいのか、というと、決して愉しくはない。サナキルのように痛みを堪えることは無いし、肉体的に開放感はあるが、ただそれだけのことだ。
 ジューローはゆるゆると腰を動かしながら、苦々しくサナキルの背中を見下ろした。
 だいたい、人のことを好きだと言っておきながら、これは何だ。声の一つも出すでなし…いやこの行為のどこに声が出るほどの快楽があるのかという根本的な問題はおいといて…好きだと自覚しようがしまいが、以前と変わらないただの義務的なものではないか。
 こっちの顔を見ることもなく、単に時間が経過するまで耐えているだけ。背後の男が誰であろうと同じなのでは無かろうか。
 それが惚れた相手にする態度か。
 好きだと自覚したと言うなら、頬でも染めるなり可愛い声の一つも上げるなりすれば、少々ならほだされてやらなくもないのに。
 こんな状態で、俺のものもお前のものもあるか。
 たとえ一時、肉体を好きに出来るとしても。
 一般論として、精で汚すことを「俺のものにした」という表現をするのだとしても。
 こんな行為には、何の意味も無い。
 <これ>は、決して、俺のものにはならない。

 いつもの如く、いや、いつもに増して砂を噛み締めるような味気なさを感じつつ、ジューローは体を離した。
 薄明かりに目は慣れてきていたが、身を離した部分を見てみても、己が先ほどまで確かにそこにいた、という証は確認できなかった。
 もしも、そこから己が放ったものが溢れ出したりでもすれば、少しは「俺のもの」という気がするだろうか?
 ジューローが何を考えているかなど知る由もなく、サナキルがゆっくりと身を起こした。強張ったような指を握ったり開いたりしてから、するりと下履きを腰まで上げた。確か内部の始末をしないと後が辛いととメディックは解説していたようだが…そこまで己が気にしてやる必要は無いか、とジューローは目を逸らした。
 「…でも、うん、ちょっと慣れてきた気もするな」
 サナキルが掠れた声で呟く。
 愉しんでもいないくせに、単に痛みの堪え方が分かっただけのことで自慢するな。
 そんなものに慣れたから何だというのか。
 痛かろうが苦しかろうが、好きだから耐えられる、とも言いたいのか。大した殉教者ぶりだ。
 「…馬鹿馬鹿しい」
 吐き出した声は、ひどくひび割れていた。
 あぁもう、全てが馬鹿馬鹿しくてたまらない。
 目の前の細い首をくびりたいような獰猛な気分が沸き上がったが、さすがに実行には移さず、代わりにベッドを殴りつけた。
 スプリングの振動が伝わって、体を跳ねさせたサナキルが、びっくりしたような丸い目で見ているのを、振り切るように背を向けた。
 「…部屋に戻る」
 「え、あ、うん、おやすみ」
 まだどこかきょとんとした様子で、サナキルが返した。
 ひょっとしたら自分が殴られていたかもしれないのに、そんなことは疑ったこともない、というような穏やかな声だ。全く、無防備にも程がある。
 また何かを殴りつけたい気分になったが、重い樫の扉相手には自重する。
 扉を閉めて、冷たく澄んだ廊下の空気を、思い切り吸って、ゆっくりと吐き切る。
 精神安定のために呼吸法を行っても、腹の奥のどろどろとした何かは収まらなかった。
 
 何故、ここまでイライラする相手のところに行く必要があるのか。

 それでもきっと、生き残った夜にはこの扉を開くのだ。



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