スキュレー戦




 さて、エスバットから聞き出した氷姫の形態からして、どうも触手系ではないか、という想像はついたので、テリアカαを買い込んだ。
 宿に残したアムリタも全部引き取った。
 ネクタルもあるし、メディカもある。
 …逆に言えば、これ以上は何も用意できないのだが。エンジェルローブが非常に高価であったため、他のメンバーの装備を一新、というわけにはいかなかったし、そもそも大して新しい武具も出ていない。
 これで駄目なら、その辺でレベルアップしてみるしかない。もっとも、うまく逃げられたら、の話だが。
 氷姫を倒すのに、どちらのメンバーで行くか、というのは、また議論になった。
 議論にはなったが、割とあっさり決着が付いた。何せエスバットに頼まれたのはルークたちであったし、相手が巨大な魔物であればヘッドバッシュやアームボンテージがうまく出来るかどうか分からなかったし、レッグスナイプに至っては足があるのかどうか分からなかったしで、防御はやはりパラディンが無難だろう、ということになったのである。
 サナキルも、アムリタさえあれば、最後まで守りきってみせる、と豪語したことだし、まあこっちのメンバーで行くか、とルークの決断も早かった。
 改めて荷物を確認してから、夜まで待って出かけることにした。
 「相手は氷姫と言うくらいなのだから、卸し焔がよく通じるのだろうな」
 ジューローは上段の構えしかしないので、属性攻撃は火炎のみである。おかげでカボチャには非常に苦労する羽目になるのだが、こういう階ではありがたい。何気なくTPも増やしているので、燃費の割には切れるのが遅いし。
 「猛戦歌があれば、もっと良いんだけどなぁ。耐邪を優先で鍛えたから」
 「いえ、これからは恐らくそれが重要になると思いますよ…俺も昔みたいなバステ耐性が切れてますしね」
 宥められたリーダーが、顔を赤くしているのは何故だろう、とサナキルは思った。
 エトリア時代、異様なバステ耐性を誇ったアクシオンが、ルークと何某かをいたした後、バステが普通にかかってしまうようになった、という経過を知る由も無いサナキルだった。
 
 15階の磁軸からショートカットを抜けると、さして苦労もせずに大広間まで辿り着いた。
 氷面に島のように雪の盛り上がりがある。
 その中央に、大きな影が待っていた。
 「背後突けるか?」
 「んー…駄目だ、氷の柱で囲まれてる」
 目を細めて奥を見やったショークスが肩をすくめた。
 既に向こうはこちらに気づいたらしい。下半身がざわりざわりとうねっている。
 「正面からってのは、主義じゃないけど。…しょうがない、行くか」
 「何を言う。正々堂々、真正面からぶつかればいいだろう。…まあ、僕も、戦術的に背面を突くのが有効なことは理解しているが」
 サナキルも、随分冒険者のやり方に慣れてきた。ルークの子守歌で眠らせてから一斉攻撃するのも、騎士道としては言語道断だろうが、普通に許せると思えるようになったし。
 氷を滑り、真正面まで行くと、その姿がはっきりと見えるようになった。
 確かに、人間の女性の姿もある。おそらく、生前は美女であったろうことも分かる。
 「…でも、体積としては、おそらく1/5程度ですよね、人間部分」
 「僕は、船首の女神像を思い出したな」
 巻き貝のような部分や軟体動物の触手のようなものの塊の上に、人間の女性が乗っかっている、というのが一番近いだろうか。
 これなら、ヒトを殺す、という意識はあまり感じずに済みそうだ。
 「さぁて…それじゃ行きますよっと」
 ルークが耐邪の鎮魂歌を奏で始める。ショークスはいつも通りパワーショットだ。
 サナキルは、迷ったがフルガードではなくフロントガードを選択した。あの触手が何本も乱れ打ってきたら、全部を庇える自信が無い。前衛だけなら何とかなるかもしれない。
 ゆらゆらと腕を蠢かしていた氷姫が、笑ったように見えた。
 既に怪物と化した身で、知能はあるのだろうか。だとしたら、己を何だと思っているのか聞いてみたいものだ。
 ちらりとそんなことを考えたサナキルの耳に、甘い歌声が侵入した。
 氷姫の歌だ。
 くらり、と頭の芯が痺れたような感覚があったが、すぐにルークの耐邪の旋律がその霧を払拭した。
 誰も眠っていないのを見て、氷姫はひどく人間じみた表情でこちらを見下ろした。それは、「どうして効かないのかしら?」と言っているような表情で、本当に人間の女のようだった。
 だが、すぐにその顔が変わる。
 それは、なまじ人間の女の顔だからこそ不気味な変化であった。見開いた目は瞬き一つせず、口の両端だけが笑うようにつり上がる。
 何だ?と攻撃を警戒した途端、地面から飛び出してきた触手が足から這い上がってきた。
 「う…わっ!」
 皮のブーツに食い込むようにぎりぎりと締め上げてきて、更に胴まで伸びて来ようとしている。
 素早いショークスは飛び退き、ルークは上まで這い上がる前に荷物から瓶を取り出していた。
 「テリアカαオール」
 振りまいた薬剤に触れた途端、触手は厭がるように萎れて地面へとしゅるしゅると逃げていった。
  「おおおおおおおおおお」
 氷姫が奇怪な悲鳴を上げる。まるで音の塊のような空気の歪みを、何とか耳を塞ぎながら体を捩って避ける。
 「な…何か、やっぱすっごく綱渡りだな…」
 ルークが緊張した声で漏らした。
 こちらの攻撃は効いている。パワーショットも卸し焔もちゃんとダメージを積み重ねているし、相手が元巫医だということで警戒していた回復もなさそうだ。
 けれど、相手の一撃一撃が重い。
 サナキルが半分以上盾で攻撃を受けて、死ぬことこそ無かったが、それでも体力の半分以上を持っていかれる。
 アクシオンのエリアヒールで全回復はするものの、相手の攻撃前に発動させようと思うと、ショークスのアザステが必要になる。
 手が空いているうちに、とアクシオンによって早めにアムリタを飲まされたサナキルは、少しだけ軽くなった体で、盾を構え直した。
 思ったよりも時間がかかっていると言っても、焦ることはない。サナキルの役目は、味方を守ることだ。余計なことに気を回さず、ひたすら盾を構えていればいいのだ。
 ダメージが少しずつとはいえ、それでも相手は徐々に弱ってきているではないか。攻撃の手…というか触手…は全く緩んでいないが、それでも青い粘液を吹き出したり、甲羅が壊れていっている様を見れば、少しは気分が楽になるというものだ。
 そのだいぶ弱った触手が地面から飛び出してきた。
 「…んうっ!」
 またぎちぎちと締め付けられたのは、今度はサナキル一人だった。他のメンバーは辛うじて避けたらしいが、鎧が重くて飛び退けないサナキル一人が食らったらしい。
 「悪い、サナキル、攻撃優先するから!」
 後少し、と見て取って、ルークは弓を引き絞った。
 「…大丈夫、だ…この程度!」
 触手はぎりぎりと締め付けてはくるが、地面に固定はされていない。何とかジューローやアクシオンの前に立って攻撃を受けるところまで行くことは出来る。
 そうして総攻撃をして。
 ついに一回り小さくなった体に、ジューローの卸し焔が叩き込まれた。
  「あああああああああ」
 まるで女性のような悲鳴を上げて、氷姫が燃え立つ髪をのたうたせる。
 その声が小さくなっていき、真っ黒に焦げた体が、かくり、と垂れた。
 しばらくは、まだ構えたままでいた。
 頂点のヒトの体に見える部分は動きを止めたが、まだ下半身の触手はずるずると蠢いていたからだ。
 その断続的な動きが弱っていき。
 ついに動きを止めた。
 ルークが、きりきりと弓を引き絞って、一本の矢を射た。
 それがぶすりと刺さっても、軟体動物は弛緩したままだった。
 ルークが大きく息を吐き、背に弓矢を戻す。
 「よっし、終了」
 「調べます」
 アクシオンも杖をしまい、代わりにメスを取り出した。
 サナキルも氷姫の方へ歩いていこうとして…倒れた。
 完全につんのめったが、何とか顔の直撃は避ける。代わりに下敷きになった盾が腕甲とぶつかって、派手な金属音を立てた。
 自分でも何が起きたのか分かりかねて、起き上がろうと身藻掻くと、上から呆れたような声が降ってきた。
 「…じっとしていろ」
 その言葉に大人しくしていると、刀を抜いたジューローがそれを振り下ろし…ふっと足が軽くなった。
 じたばたしながら体を起こす。何せ聖騎士の鎧は重いのだ。完全に倒れた姿勢から飛び起きられるほどの力は無い。
 半身を起こして足元を見ると、まだ触手が巻き付いていた。本体が死んだのに、引いていかずそのままだったらしい。
 ジューローに切断されたところから青い粘液を垂らし、ぐんにゃりはしていたが、勝手にずり落ちるほど力を無くしたわけではなく、まだ肉に食い込むほどに締め付けてきている。
 剥がそうと手で握ると、手袋に張り付くほど冷たかった。その割には、足の方に冷たさは感じなかったが。
 何とか力尽くで剥がしていくと、棘のような突起が肉を引き裂きながら抜けていき、血がたらりと流れた。
 「うっわぁ痛そ。テリアカで縮ませた方が良かったみてぇだな」
 ショークスが上から覗き込んで顔を顰めた。
 「もう戦闘は終わっているからな。別に構わん」
 本当に大して痛みは無かったので、サナキルはそう言って、もう一本の触手も引き剥がした。それをぽんと放ると、一瞬まるでまだ生きているかのようにうねったので、ぞっとしたが、目の錯覚だったのか、それ以上の動きは無かった。
 ふと顔を上げると、非常に違和感があったので、目を何度か瞬いた。
 何だろう、この違和感は、と考えてから、メディックの傍らにあったはずの氷姫の死体が、消え失せていることに気づいた。
 人の身長の倍はあった塊が、こんな短期間で消えるはずがない。まさか既に解体出来たわけでは無かろうに。
 どこかにあるのか、ときょろきょろしていると、アクシオンがこちらに向かってきた。
 背嚢に何かをしまいながら、機嫌の悪そうな顔で歩いてきて、座ったままのサナキルに少し驚いたように首を傾げた。
 「あれ…これは残ってるんですね」
 …いや、驚いたのは、サナキルではなく、触手を見てのことらしい。
 「解剖しようと思ったのに、見る間に崩れていってしまいまして…サンプルが少々採れたくらいで。また2週間経って再生するまで、手出しは出来ないんでしょうね」
 サナキルの脳裏に、卵になってまた孵る様子が思い浮かんだが、どこでどうやって、というのはさっぱり分からなかった。
 アクシオンは触手を無造作に拾い上げて、帆布に包んでから背嚢に放り込んだ。
 それからサナキルの前に膝を突き、足を見てからキュアを振りかけた。
 血が止まったのを確認して立ち上がる。
 一緒に立ち上がろうとして…よろめいてアクシオンにタックルをかけるような格好になった。
 「うわ!」
 「す、すまない…」
 アクシオンも、そう剛腕なのでもなくよろめいたところで、ジューローがぐいっと背中を押したために踏み止まった。
 アクシオンは腕の中のサナキルを、ひょいっと背後のジューローに押しつけ、自分はサナキルの足下に跪いた。ブーツを引き下ろして手を当てる。
 「あぁ、変色してますね。毒でも入ったかな?どんな感じです?」
 「どんな感じって…」
 毒、という言葉に眉を顰めつつ、サナキルは自分の足で立とうとした。
 上半身がぶれたかと思うと、左の上腕をしっかりと掴まれて、倒れることは防がれた。
 「…足に、感覚が無い」
 普段なら意識せずともはっきりと分かる、足の裏が地面を踏みしめる感覚が、全く無かった。自分の足がどの方向に向いているかすら分からない。
 「痛みは?」
 「痛みも何も、感覚が全く無いんだ」
 「麻痺毒ですか」
 しばらく、アクシオンは傷を見ていたようだが、一つ頷いて立ち上がった。
 「どんどん上に痺れが回っている感覚は無いですね?」
 「…たぶん」
 感覚が無いのは、触手に締められていた膝上までだ。その上は、自分で触れてみても普通に感覚がある。
 「ジューロー、ちょっと借りるぞ」
 まだ左腕を掴んだままの背後の男に断って、自分の腕を支える手に右手を添えた。
 腕を支柱に、片足を上げてみる。
 視界では足は無事10cmほど上がっていたが、感覚は全く無かった。
 上げることにも疲れ、気を抜くと足はぱたりと落ちた。その途端、ぴりぴりとするような痛みが足の裏から広がった。
 「いててて」
 小さく漏らしたサナキルに、アクシオンは安堵の表情を見せた。
 「あぁ、少しはマシになってきてるんですね。一時的なものなら、休めば治るでしょう」
 休めば治る。それはいいが、今ここは15階で敵を倒したばかりで休む場所では無いのが問題だ。
 「ジューローに背負って貰えば良いでしょう」
 「い、いや、それは無理だろう!」
 アクシオンが、まるで当たり前のように言うのに、背後の男の気配を伺う間もなくサナキルは否定の言葉を叫んだ。
 「ぼ、僕は重いからな。背負うのには向いていない」
 「本体は軽いでしょう。鎧と盾は、4人で分ければそんなに重くないですよ。自分で脱げますか?それともお手伝いしましょうか?」
 問答無用でアクシオンが手を伸ばしてきたので、サナキルはまた咄嗟に叫んだ。
 「自分で脱ぐ!」
 「そうですか。じゃあ、奥を確認してきますね」
 やっぱり当たり前のように答えて、アクシオンは階段を確認しに行ったルークの方へと向かった。
 にやにや笑っていたショークスも、サナキルを置いてぶらぶらと歩いていく。
 二人きりにされると気まずいのだが…どうも故意に置いて行かれた気がする。
 どうしよう、とジューローの顔を確認しようと思うと、その前に支えていた左腕から手が離れた。
 「わぁっ!」
 普通ならバランスを崩したら足が勝手に動くのに、全く動かなかったのでそのまま後ろに倒れる。
 だが、腰を打つ前に脇の下に入れられた腕によって支えられた。そのまま、ゆっくり降ろされ、すとん、と座り込む体勢になる。
 「ジューロー?」
 「…さっさとしろ。従者の手伝いが無ければ、鎧も脱げないのか?」
 いつもの人を小馬鹿にしたような口調ではあったが。
 脱いだら、本当に背負うつもりなのだろうか。
 見上げてみても、ジューローの顔はいつもとは天地が逆になっていて、表情がよく分からなかった。
 まあ…ひょっとしたら、リーダーあたりが背負ってくれるかもしれないし、このまま糸で帰るかもしれないし。糸で帰ったところで、そこから宿への道、という問題も残っているが。
 ともかく、脱ぐだけは脱いでおくか、とサナキルは留め金に手をかけた。敵が出てくると困るが…どうせこの足では、単なる足手まといでしかない。
 腕から盾を外し、盾の裏に手甲や胸当てを置いていく。金属を全て外してしまうと、今まで以上に自分がひ弱な役立たずになった気がして、ふるりと体を震わせた。
 手で足を撫でてみると、針を刺したかのようにちくちくと痛んだ。それでも、先ほどまでのように全く感じないよりはマシだろう。
 「おーい、坊ちゃんの支度は終わったぜ!」
 ショークスが声をかけて、ルークとアクシオンが戻ってくる。
 3人で適当に分けて荷物に突っ込む間、ジューローは何も手出しをしなかった。
 自分の荷物には入れないということは、やっぱり僕を背負う気があるんだろうか、それとも僕の鎧だから持つ気が無いだけだろうか、もし背負って貰うなら、僕から「お願いします」と頼まなくちゃいけないんだろうか。
 サナキルが黙ったまま雪の上に座っていると、ジューローも無言のまま、ぐいっと腕が掴まれ、開いた脇の下から腕が巻き付いた。
 ひょいっとでも表現できるほど軽く持ち上げられて…肩に担がれた。
 サナキルの視点からはジューローの腰しか見えない。
 「ちょ…この担ぎ方は何だ!僕は荷物か!」
 「暴れたら落とすぞ」
 面倒くさそうに言われたが、暴れようにも足は動かないのでジューローの背中に垂れ下がった上半身の方でじたばたするしか無い。
 天地逆になっていると頭に血が上るので、ジューローの腰のあたりの服を掴んで顔だけは仰け反らせてまっすぐにしてみた。
 「んじゃ、すぐそこに上に向かう階段があるみたいだから」
 リーダーは、あっさりと言って先頭に立った。パラディンが鎧も盾も無しでいるのも、ブシドーが攻撃を封じられているのも気にした様子が無い。上に登ればすぐに敵がいるかもしれないというのに、いくら何でも暢気すぎる。
 そりゃ、今までのパターンで言えば、すぐに磁軸があるのだろうが…もしも迷ったりそこまでに敵に遭遇したりすると、非常に危険なのに。
 頭の中だけでぶつぶつと文句を言いながら、サナキルはジューローに揺られていた。



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