翼の民




 雪と氷の階層を、ひたすら探索して地図を埋めていく。
 時折よく凍る氷のせいでそこに見えているのに届かない宝箱に苛立たせられながらも、少しずつだが着実に進んでいっていた。
 ようやく15階まで辿り着き、どうやらまた、強敵が待っているらしい、と聞く。
 これまでと同じなら、また次の階はがらりと様相が変わるのだろうか。ついに春が来るといいな、と思う。
 探索を進めている間に、外の世界は春になっていた。
 だからこそ、余計に中の極寒が厳しく感じられる。
 とはいえ、今日は久々に6階に来ているので、何だか暑いとさえ感じられる。予定では13階で用事が済むはずだったので、下着は分厚いものを選んできているのだ。
 サナキルとしては、さっさと探索を進めたかったのだが、リーダーが決めたことなので仕方がない。
 それに、異種族との遭遇、というのは、やはり他人には任せておけないと思うし。
 発端は、やはり酒場からの依頼だった。
 世界樹の中に異種族が棲んでいるのは、暗黙の了解となっていて、相互不可侵もまた暗黙の了解らしいのだが、時折こうしてこっそり接触しているのだという。
 サナキルには何が珍しいのか分からない鈍い色の石と、その異種族が持つ香木を交換してくるのが本日の任務だ。ただし、向こうも『人間』の姿を見るとすぐに失せるので、何とかして捕まえないといけない、らしい。もちろん、捕縛、では駄目なのだろう。あくまで友好的に、だ。
 姿を見かける可能性がある地点、というのも情報には含まれていたが、13階ではすぐに飛び立たれてしまった。
 だからこうして、6階に探しに来ているのだが。
 特に脅威でも無くなった角のあるトカゲをあしらいながら、サナキルは先ほど見た光景を思い浮かべてみた。
 ちらりと見えたのは茶色。
 それから、羽音。
 …まるでフクロウだ。そんなもの相手に、物々交換など出来るのだろうか。
 サナキルにとって、香木が価値のあるものだというのは理解できた。珍しいものとなると、その重量の10倍の金を積むことだってあるだろう。
 しかし、この宝石ではない風石とやらとなると…一体何の価値があるのやら。そして、その価値を認めて交換などしてくれるものなのか。
 寄ってきた商店のヒマワリ娘は、随分と執着していたが…思い出してサナキルは眉を顰めた。
 客が持っている品に興味を示して強請るなど、まるで娼婦のようではないか。やはりあの娘は、少し頭が足りないに違いない。
 13階から糸で帰って来たため、その補充のために訪れた店で、また物欲しそうな目で見られた上に、父親の誕生日がどうのと言ってくる娘に、サナキルは心底うんざりしていた。
 リーダーは当たり障りなくあしらっていたが、すぐに6階に向かうと言ったので、やはり面倒だったのだろうと思う。サナキルも、普段ならそんな手間のかかる仕事はやりたくないと言い張るところだが、店に行く度に娘が出てくるのかと思うと、そのくらいならさっさと依頼を片づけてやろう、と思った。
 ということで、6階。
 ジューローに言わせると、『秋』らしいところだ。サナキルは、こんなに赤くなる葉を見たことが無いので、ここを秋とは思っていなかったが、ジューローの国では秋になると赤くなる樹木があるらしい。
 以前にこの階を探索したときには、そんな話など欠片もしなかったジューローが、敵が弱すぎて暇だとは言え、無駄な雑談をしてくれるのが嬉しい。
 拾い上げた軍鶏の足のような葉を指先でくるくると回しながら、サナキルは隣で歩くジューローに聞いた。
 「では、お前の国ならば、雪の次にはどんな景色になると思う?」
 「…春、か…そうだな、もしも東国なら…やはり、桜か」
 ジューローはサナキルを見はせずまっすぐに前を向いたままだったが、比較的穏やかな声でそう言った。穏やか、というよりも、心ここにあらず、といったような感じは気にくわないが、喧嘩を吹っ掛けられたり無視されたりするよりはマシだろう。
 「サクラ?」
 「樹木だ。春に薄紅色の花が咲く。山一面の桜が風に煽られると…まるで吹雪のようになる。…もっとも、美しいのは一時で、すぐに緑の葉に変わるが」
 サナキルは想像してみようとしてみた。
 小さな花が吹雪になるほど……ちょっと想像出来ない。そんなに簡単に風で落ちる花では、愛でることも難しいのではなかろうか。
 「僕なら、チューリップだな。姉上が一時、ひどく興味を持ってな…一時期、庭一面がチューリップだったことがあるのだが…あぁ、チューリップというのは、このくらいの背丈で、このくらいの花を咲かせるんだ」
 サナキルは手で示しておいてから、少しだけ後ろめたい気分で続けた。
 「お前は、また苦労知らずのどうのと言うだろうが…当時、何故か国中がチューリップに熱狂していてな…相当の高値で変わった種類のチューリップが取り引きされていた。金だけは存分にある我が屋敷も、当然希少なチューリップが山ほどあった」
 「あれ、でも、そのバブルって弾けたんじゃなかったっけ?」
 後ろから吟遊詩人が突っ込みを入れた。あの騒ぎはローザリア特有のものだと思っていたが、他国に知れ渡るくらいだったのだろうか。
 「それがグリフォール家の凄いところだ。姉上が、突然『飽きたわ』と仰って球根を売り払ってしまわれた、その1年後、突然のチューリップ騒動は同じく突然に幕を下ろし、我がグリフォール家は儲かっただけ、一部の貴族は破産、という次第だ」
 サナキルは、自慢と言うよりは何となく気恥ずかしい気分になりつつ付け加えた。
 「無論、聖騎士の家系として、金に対する嗅覚が優れていることを誇るつもりはないが…それでも、何故かグリフォール家はそういうことになるのだ。きっと金に愛されているんだな」
 調子に乗って余計なことまで言ってしまった。
 また、ジューローに冷たい目で見られるだろうと覚悟していると、隣から馬鹿にしたように鼻で笑う声がした。予想よりは、マシな方だ。
 「お前は、商才があるようには見えんがな」
 「だろうな。僕もそう思う」
 取引など一切したことのないサナキルは、溜息を吐きつつ同意した。
 「姉上は、チューリップの球根にしても、希少なものを手に入れ、値をつり上げる、という方法をご存じだった。…けれど、僕は普通の昔からの赤いチューリップが好きでな。家族にも笑われたものだ。そのような庶民でも手に入るようなチューリップを愛でるなど、と」
 確かに、自分は取引だの駆け引きだのは不得意だ。今も、ジューローに馬鹿にされると分かっていながらも、言い訳をしたくてたまらないのだから。
 「だけど!チューリップ、というものは、こういう形で、こう赤いものなんだ!こーんな開いていたり、黄金色に赤い斑点だの紫だの…珍しくても、僕にとっては醜悪としか思えない!お前だって分かるだろう、僕はそのサクラというものを知らないが、花の色が紫だとか黄色とオレンジのまだらだとか、いくら珍しい、貴重だ、と言われても、そんなものより自分がサクラだと信じているものの方が美しいと思うだろう!?」
 ついうっかりカボチャが飛んでいる付近で熱弁してしまい、ふよふよ寄ってきたカボチャを見てジューローが舌打ちをしてサナキルの首根っこを掴んだ。
 まるで猫の子でも持つかのような姿勢で、扉の方へ引きずっていかれる。まあ、重すぎて持ち上げられてはいないが。
 「おい、やめろ、ちゃんと自分で歩く!」
 「わめくな」
 戦うのが大好きなジューローでも、刀も炎も通じない相手は面倒なのだろう、周回しているカボチャを避けていくのに迷いは無かった。
 うっかりぶつかってしまったカボチャを適当にあしらって、皆で扉へと駆け込む。
 バードの歌で雷属性を付与することは出来るが、そこまでして戦う価値があるかというと、そうでもない。異種族を探すという目的が無ければ、こんなカボチャ広間など通りたくもない。
 その鬱陶しいカボチャを、声を立てることで引き寄せてしまった、ということで、これは嫌味を言われるな、と覚悟した。実際、周囲のことは考えずに、ただ会話に集中してしまったのは事実なので、何を言われても仕方がない。
 サナキルの首から手を離したジューローは、ふん、と鼻を鳴らした。
 「たぶん、こっち」
 リーダーが地図を見ながら指した方向へと歩き出す。
 当然サナキルも歩を早めてジューローの隣に並ぶ。何か聞こえた気もするが、がしゃがしゃと鎧を鳴らしながら歩いているので、内容が聞こえなかった。
 「え?」
 問い返すと、ジューローは不機嫌そうに舌打ちしてから、それでももう一度言った。
 「同感だ、と言った。…桜は、桜である方がいい」
 サナキルは、何度か瞬いた。
 もちろん、それが、カボチャ接触前の会話の続きだということは理解していたが…あまりにも驚いたので、自分が何を言っているのか分からなくなる。
 「あ…うん…それは無論…一般的に…」
 ジューローが、おそらくは「くだらない」話題である花の色の話に、相づちを打ってくれた。
 しかも、サナキルに同意したのだ。
 いやいや、同意以外に選択の余地がない会話だったのかもしれない。今日は晴れてるとか何とか、『事実』は曲げられないので同意するしかないような…。
 でも。
 「それがどうした」「ふん」「…俺に何の関係がある」「……」
 返事はするけれど同意では無い、という反応なら、今まで山ほどされてきた。
 それがまさか。
 天気で言えば、「あぁ、そうだな、晴れているな」くらいの返答だ。
 …信じられない。
 どうも最近、ジューローはおかしい。いや、未だに世間一般の基準で言えば素っ気ないしぶっきらぼうではあるのだが、ほんの少し会話が続くようになってきた気がする。
 ぼんやりしている間に、歩調が遅くなっていたらしい。ふと気づくと、自分が見ているのはジューローの背中で、隣にはショークスがいるのに気づいた。
 「…坊ちゃん耳真っ赤」
 独り言のような声に、ばっと耳を押さえながら、小走りになってジューローの隣へと戻った。
 金属の手甲で、その中も分厚い手袋を着けているので、自分の耳が熱いかどうかは分からない。
 けれど指摘されると妙に恥ずかしくて、自分の首もとを緩めて空気を送り込んだ。
 「や、やはり、この階は上よりも暑いな。冬装備なので、走ると、実に…」
 やたらと顔が火照るのは、カボチャから逃げるために走ったためだ。
 それ以外に、理由など無い。
 「…うわあ、何だかむず痒いなぁ」
 「ルーク」
 笑いを堪えきれない、といった調子のリーダーの声に、窘めるようなメディックの声が被る。
 何を笑っている!と振り向いて睨もうとしたところで、目元に皺を寄せて笑っていた吟遊詩人の表情が、すっと真剣になったのでサナキルも口を閉じた。
 全員、足を止めて、奥を伺う。
 「あ〜、すみませんが、飛び立つのは少々お待ち下さいませんかね、翼持つ方」
 のんびりとした声かけに、今にも飛び立とうとしていたそれが、広げた翼をやや収めた。けれど、未だそれは広がって、すぐにでも飛んでいきそうだ。
 「どうやら相互不可侵で接触は避けてるって話は聞いてるけど、今回依頼を受けたもので、もしもここで飛び立たれても、ひたすら探すことになるんだよねぇ。出来れば、ここで話を聞いてくれないかな?」
 リーダーが一歩前に出て、敵意は無い、と示すように両手を広げて見せた。
 サナキルは、その間に相手をじっと観察した。
 …翼の動きは、本当に鳥のようだ。飾りではないように思える。頭の嘴は…単に鳥型の兜を被っているように見えるが…翼が本物となると、頭も本物かもしれない。…いや、顔の下半分に人間と同じ口もあるから違うか。
 服は着ていない…のだと思う。羽毛に覆われているのか、羽毛のコートを着ているのかよく分からない。あの鉤爪だって、そういう形の手甲かもしれないし。
 そう、あの翼以外は、異種族と言ってもほぼ人間に見える姿なのだ。
 あの翼も、何かの仕掛けで動いているだけでは無いのだろうか。
 疑問を持ちながら、熱心に見ているが、今のところ継ぎ目も何も見えなかった。
 「…土の民よ。お互い関わらぬ約定であるはずだが」
 顔立ちに比べると、やや甲高いかな、とは思うが、普通に通じる言葉だ。決して鳥の囀りでは無い。
 「みたいだね。では、早速、用件。この石を捧げて、香木を頂いてこい、と言うのが依頼らしい。ちょっと近づくよ、OK?」
 リーダーが懐から風石を取り出し、すたすたと歩み寄った。一見無造作に見える歩調だったが、鳥人間は飛び立たずに待っていた。
 「…今度限りにして欲しいものだな、土の民よ」
 「どうだろう、俺たちは天空の城に向かうつもりだから。いずれまた会うかもしれないな、翼の民。…願わくば、それが友好的な接触であらんことを」
 サナキルの視点では見えなかったが、どうやら風石と香木とを交換したらしい。
 リーダーがすたすたと歩いて戻って、鳥人間は飛び立っていった。
 いつも暢気そうなリーダーの顔が、やや緊張しているので少々驚く。さすがに異種族との接触は荷が重いのか。
 「アクシー」
 「生物学的に、あり得ません。人工です」
 恋人にかけた声は部下に報告を求める上司のような具合で、答えるメディックも簡潔だった。
 「…やっぱりかぁ…」
 はぁ、と溜息を吐きながら、メディックに正面から抱きついた。メディックは当たり前のようにそれを受け止めて背中をぽんぽん叩いている。
 いきなりいつもの様子に戻った二人に目を白黒させている間に、二人にしか通じない会話が続く。
 「くっそ…また、あいつみたいなのがいるのかな」
 「可能性はありますね。…まさか大臣とは思いませんが」
 真面目な声にくっくっと喉で笑って、リーダーは身を起こした。灰色の髪をがしがしと掻いているのに、声をかける。
 「おい、説明しろ」
 「んあ?…あぁ、うん、依頼は完了」
 「そんなことは見て分かる!」
 睨んでいると、メディックがちらりと鳥人間が飛んでいった方向を見やった。
 「念のため、磁軸まで戻ってからお話しましょうか」
 結局、カボチャ広間を抜けた辺りで、講義が始まった。
 「現在、魔物と呼ばれる生物以外は、ある程度共通の骨格を有しています。人間であれトカゲであれ鳥であれ…頭、胴体、四肢。鳥の翼は人間の腕にあたりますから、腕と足とで4本というのは変わりません。もちろん、昆虫や魚はまた違いますが」
 「…で?神が人間のために創りたもうた生物ならば、人と似たところがあるのは当然であろう」
 ちらりと背後を見やったが、リーダーはその講義の内容が分かっているのか、真剣な顔で違うことを考え込んでいるようだった。
 メディックはサナキルの言葉にしばらく小首を傾げていたが、あっさりと言った。
 「神学と生物学の論争をする気はありません。ともかく、あの『翼の民』は規格外です。人間で言うところの腕もあり、更に翼もある。かといって、昆虫の6足とはかけ離れている。…別の進化をして、ここまで似通った形態になるはずが無いんです」
 言っていることは、分かるような気がしないでもないが、何が言いたいのかは分からない。
 怪訝そうな顔をしているのに気づいたのだろう。メディックは少し口調を和らげて、教師のように質問した。先ほどまでが講義とすれば、今は息抜きのなぞなぞを楽しんでいるかのような調子だ。
 「全く別の部屋にいる二人に、紙と木炭を渡して、絵を1枚描きなさい、と言ったとしましょう。出来上がった絵が、同じものである確率は、どのくらいだと思います?」
 風景画とも静物画とも何とも指定せずに、ただ描けと言われて描くものが、同じである確率。
 サナキルは、さして考えるまでもなく肩をすくめた。
 「あり得ないな。もしも同じ絵を描いたのなら、それは片方がもう一人を盗み見したんだ」
 「えぇ、その通り」
 普通に肯定されたようでいて、その中に含まれる<何か>にぎょっとしてメディックを横目で確認する。
 うっすら笑った顔のメディックは、更に唇の両端を吊り上げた。
 「エトリアのモリビトしかり。一見植物から派生した異種族のようでいて、まるで人間のような存在でした。…誰か、がね。<人間>の外見を模造して<異種族>を創り上げたんですよ」
 「神ではないのか?」
 「少なくとも、エトリアにいたのは狂った男でした。ひょっとしたら、元は人間だったのかもしれないけれど、俺たちの寿命の何百倍だか何千倍だか生きておかしくなった男。…俺は、あの哀れな男を<神>などと呼びたく無い」
 サナキルは首を傾げた。少なくとも、メディックが怒っているのは分かるが、何をそんなに怒るのかはいまいち理解しがたかった。
 もちろん、人間が神の真似をして生物を創造するなど、それは神罰を受けるに値する行為であるのだし、人間の寿命を越えて生きるのも黒魔術の類に思える。
 けれど、そういう部分に怒るのは聖職者であって、このドライなメディックらしく無い。
 「もしも、この世界樹にも<創り上げられた異種族>がいるんなら…また<神>気取りのきちぴーを相手にすんのかと思うと…」
 はあ、とリーダーが大きな息を吐いた。
 灰色の髪をがしがしと掻いてから、視線は前方のままで淡々と言う。
 「エトリアでは、植物と人間のあいのこみたいなのが、聖域に入るなっつって邪魔してきたんだ。…相手、まんま人間の女の子型なのにさぁ…髪がちょっと緑とかなだけで…でも、いっぱい殺しちゃったんだ〜」
 「数で言えば、リヒャルトやグレーテルさんの圧倒的な勝ちですよ」
 「でも、決めたのは、俺だ」
 無理に茶々を入れるようなメディックに、きっぱり言い切ってから、リーダーは肩を揺すり上げた。手の平をだらりと下に向けた格好でひらひら振って、柔らかな声で言う。
 「後悔はしていない。もしも今からあの時に戻っても、俺はそうする。…むしろ、もっと早く」
 「俺が死ぬ前に?」
 「そう、アクシーが死ぬ前に、あいつらを殺す」
 眉を顰めて見つめるサナキルの視線に気づいたのか、こちらを向いてにやりと笑った。本人は戯けたつもりだったのかもしれないが、今までの暢気な吟遊詩人のものとは違う、どことなく凄みを帯びた笑いだった。
 人間を殺す、というのは、どんな感覚なのだろう。そんなに別の世界を覗いたが如き彩りを添えるものなのだろうか。
 魔物を殺すことと、どこが違うのだろう。
 サナキルは聖騎士である。無差別殺人などをする立場ではないが、戦になれば女王を守って敵を殺すのが当然である。もちろん、国と国との戦なのだから、殺すのは魔物ではなく人間だ。
 <敵>なのだから、当然だ。
 今まで、そんな風に思っていたし、その機会があれば、自分は十分にやれると思っていた。
 けれど、あの暢気な吟遊詩人とドライなメディックが数年も前のことにこんなに拘るなんて。人間(またはそれに近い種族)を殺す、というのは、そんなにも異質なことなのだろうか。
 何となく黙って歩く5人の中で、空気が辛くなったのか、レンジャーが両手を頭の後ろに組みながら言った。
 「ま、いいんじゃね?今回は、ジェノサイドしなくて良さそうなんだしよ」
 そういえば、この男もエトリア上がりだった。大量虐殺などと言うほどのことをしてきたのだろうか。
 「…だな。あの一族が素直に天空の城に通してくれりゃいいんだが。…でも、もし通すとしたら…何のために、あの翼の民は創り出されたのか…」
 後半はただの独り言のように口の中で言われたが、メディックは聞き取ったらしくあっさりと断じた。
 「情報が少なすぎます。この街の人間から、翼の民を噂を仕入れないと、推測は当てずっぽうになりますよ」
 「そりゃそうだな」
 苦笑してリーダーは顔を上げた。
 同時に、今までまとっていた、どこか暗く研ぎ澄まされたような空気が、いつもの人をイライラさせるほどのんびりとしたものに変わる。
 「ま、とりあえずは磁軸で戻って。…そっからどうすっかなぁ。昼飯には、ちょっと早いよな?」
 「食っても良いけどよ。でもまだ10時くらいだぜ?たぶん」
 レンジャーが腹時計だか野生の勘だかでそう答えた。
 リーダーは少し首を傾げて自分の懐から依頼のメモを取り出して眺めた。
 「…あ、これちょうどいいかな。13階で正午頃、冒険者が襲われるんだってさ。今から行けば、ちょうど昼頃かも」
 魔物と遭遇するのは、冒険者にとって当たり前である。だから、それが何故依頼に繋がるのかは分からないが、よほどその時間帯に集中して魔物が襲ってくるのだろう。
 以前、魔物が凶悪になったのが、子供が奪われたせいだと分かったように、何かの原因があるのなら調べてこい、ということだろうか。
 「では、それに行こう。さっさと済ませて、昼食を取ってから本格的な探索に向かえばいい」
 「そんなとこだね。…うん、15階から降りる方がいっか」
 地図を確認して、リーダーがあっさり言う。15階の磁軸柱は起動したばかりで周辺の探索も済んでいないのだが、あのでっかい氷湖を渡るための橇を今日は持ってきていないので、敵が強いのは分かっているが上から降りる方が早いと判断したらしい。
 「用が済んだら糸で帰って飯食ってまた15階から始める、と」
 そんな風に予定を立てて、5人はいったん地上に向かい、それから15階へと向かった。



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