同室者の憂鬱




 ネルスが一人で出ている間、本格的な探索には出かけられない。
 仕方なく、とりあえずは部屋に戻ったジューローは、さて、何をするか、と所在なく己の刀を取り上げた。既に手入れはしてあるので、また抜くまでもない。
 また裏庭で鍛錬でもするか、と考えていると、自分の机の前のイスを引いたスムートが、半身になってジューローを見上げた。
 「君、よく喋るようになったね」
 ジューローは、何度か瞬きをして、ゆっくりと視線を移した。
 まず、「君」などと呼ばれたことが無いので、それは俺のことか!?と驚く。そして、君、なんぞと馴れ馴れしく言われる覚えはない、と思ってから、相手が年上である可能性に思い至って、そこは突っ込めない、と判断する。
 もちろん、強盗をしている時に、相手が年上かどうかなんぞ考えもしなかったが、こうしてある程度落ち着くと、叩き込まれた教えが頭に浮かんでしまうので仕方がない。これが「衣食足りて礼節を知る」というやつか。
 さて、まずは呼びかけられた「君」という単語に驚いてみたが、その後に続いた言葉も十分驚くべき代物であった。
 「…よく、喋る?俺が、か?」
 不機嫌に唸ったつもりだったが、スムートは緑色の目を細めて笑った。
 「そうやって問い返すのが、もう…ね。最初の頃なんて、返事もしなかったし、人を殺しそうな目でじろりと睨んでおしまい」
 その『最初の頃』の自分の態度には自覚がある。
 だから、返事はせずに『人を殺しそうな目で』じろりと睨んでみたが、スムートはやはり笑いながらくるくると帽子を指先で回していた。
 いつも曖昧な笑いを浮かべて頼りなさそうな顔で佇んでいる、というイメージだったのに、なかなかどうして肝が据わっている。
 レンジャーの帽子をくるくる回しながらひょいっと人差し指を突き上げると、回転しながら頭の上にぽすりと乗った。
 「お見事」
 「どうも」
 咄嗟に感嘆の声を上げると、優雅に礼をされた。
 ぱさついた髪を帽子に押し込めながら、スムートはちらりと隣の部屋へと視線を向けた。
 「やっぱり、人肌の影響?そんなにいいんだ?」
 「いいわけ、あるか」
 不機嫌に反応してから、返事をするのではなかった、と自分に対して舌打ちする。
 ジューローはサナキルの恋人では無いので、サナキルを侮辱されたのどうのと怒る必要は無いのだが、それでも良いの悪いのと下世話な話をこいつにする筋合いも無いはずだ。
 「まぁ、そう言わずに、ちょっと愚痴聞いてよ」
 結構本気で殺気を込めたはずだが、スムートは気にした様子もなく机に肘を突いて溜息を吐いた。
 「何で俺が…」
 「だってさ、君以外にいないし。…後のメンバーって、彼女の兄さんの方に近いんだ…さすがに筒抜けになるとは思わないけど、出来れば兄さんの耳には入れたくない。その点、君はまず兄さんたちに話をすることは無いから」
 「…はぁ?」
 一体、何の話をしているのか、さっぱり分からない。
 ジューローは手に刀を持ったまま、スムートを怪訝そうに見つめた。その態度が、すっぱり話を切って出ていく様子では無いので、スムートは手をひらひら振って言葉を続けた。
 「あ、兄さんたちって言うのは、ショークスさんとネルスさんね。一応、義理の兄予定とその伴侶だから、兄さんってひとまとめにしてもいいかな、と」
 いや、そんなことはどうでもいいのだが、とジューローはまだ首を傾げていた。そもそも、何で自分が訳の分からない相談に乗らねばならないのか。いや、相談ではなく、愚痴とは言ったが。
 まず、ジューローに分かっているのは、スムートとクゥが恋人だ、ということくらいだ。それから、二人の付き合いに、兄であるショークスは反対している、ということと。ネルスは…よく分からない。特に反対しているようにも見えないが、基本的にクゥよりはショークスの意見を尊重する男に見える。
 「…そう、激しく反対しているようには、見えんが」
 ジューローはぼそりと呟いてみた。家柄だの何だので、家族が婚姻に反対している、という状況なら、一応ジューローも理解の範囲内だ。どうせ聞く羽目になるのなら、全くの異国語を聞いているかの如く意味不明な話よりは、少しでも常識に沿ったものの方がマシだ。
 でもって、スムートとクゥが一緒にいるところを見て、ショークスはあからさまに邪魔には入るが、完全に縁を切らせようというようなものには見えないのだ。どうも反対のための反対というか。約束事のような形だけの邪魔というか。
 「あ、やっぱり、そう見える?」
 スムートは、あぁあ、と陰鬱な溜息を漏らし、ぐしゃぐしゃと髪を掻いた。せっかく帽子に収まっていた髪が、ぴんぴんとはみ出す。
 「そうなんだよねぇ…後は、彼女の心次第って気はしてるんだけど…」
 スムートは、机に両肘を突いて顎を乗せ、壁に向かってもう一度長い息を吐いた。
 待て。
 男女の仲のことなど、相談されても困る。
 警戒のあまり、表情を無くしていくジューローをちらりと見て、また体をこちらへ向ける。
 「それで、最初の質問に戻るんだけど。…体が繋がると、劇的に変わるかなぁ。…その、考え方、とか…気持ち…というか愛情、みたいな」
 「それを俺に聞くか!」
 咄嗟の突っ込みは、悲鳴のようになった。
 「だって、ねぇ…君があっちに出かけるようになってから、随分丸くなったし…そんなにも、変わるものかな、と。…やっぱり、あれ?体が繋がることで不安が払拭!みたいな、安定感?」
 何故、疑問型で聞く。
 ジューローは、一瞬迷ってから、手にした刀を壁の刀掛けに置いた。こうなったら、とことん迷惑な勘違いは正しておいた方が良い。
 興味津々、といった体で見上げているスムートの目を真正面から見返して、ジューローはゆっくりと言った。
 「いいか?まず、俺はあれと恋仲などでは無い」
 「………へぇ……そう?」
 何だ、その間は。
 「体の繋がりも何も、肌の触れ合いなど…」
 「夜に出ていって、お話だけで戻って来てるんじゃないんでしょ?」
 「そりゃまあ…そうだが」
 いや、しかし。
 どこまで言うか、一瞬後ろめたい気も過ぎったが、恋人の睦言などと勘違いされてはかなわない。ジューローは誤解の無いように、はっきりと言ってやった。
 「潤滑油を塗る。突っ込む。出す。以上。…まぐわい等であるものか」
 「…まぐわい?」
 「…こちらの言葉で何と言ったか…」
 随分とこちらの言葉にも慣れたつもりだったが、今はだいぶ頭の中が混乱しているらしい。すぐには目的の言葉が見つからずに絶句する。
 怪訝そうに見ていたスムートが、首を傾げてまるで無邪気な様子で聞いてきた。
 「前戯は?」
 「するか!…用さえ足せればいい」
 「それって寂しくない?どうせなら、相手にも気持ちよくなって欲しいなぁ…その方が、こっちの自尊心もくすぐられるし。あんあん言ってくれる方がさぁ…って、したこと無いんだけどね」
 けろりとしてスムートは肩をすくめた。
 「すればいいだろう。先ほどからとやかく肌を合わせれば変わるか、の何のと聞いてくるくらいなら、さっさと自分で試せ。予定さえ言われておけば、俺はどこかに失せておく」
 それが隣の部屋かどうかは、まあおいといて。今のところ、サナキルの部屋で朝まで過ごしたことはない。用が済んだらおしまい。今更それを変える気も無いが、時間を潰すくらいどこでも出来る。
 「いや、俺、そういうことは結婚してからするようしつけられてるから。…あ、君らをとやかく言うつもりは無いけど」
 それはごく自然に出てきたので、本当にそういう信念なのだろうと思う。ジューローの中に『年上は敬うべき』というのが染みついているのと同じく。
 「…俺の国には、『馬には乗ってみよ、人には添うてみよ』という言葉がある。婚姻前に情を通ずるのが当たり前だ。試してみぬと、肌が合うかどうか分からんだろう?」
 「いやー、俺の国だと、女は純血を守るべし、ひとたび夫と定めたなら一生添い遂げるべし、という…非常に女に不利な教えが」
 男はいいのか。
 いや、異国の習慣などどうでもいいが…ちらりとサナキルの国ではどうなんだ、と思わないでもなかったが、自分には関係ないと押し殺しておいて、ジューローは素っ気なく言ってやった。
 「ならば、さっさと婚姻の儀を行えばよかろう。婚姻済みならば、兄もとやかくは言えまい」
 「いや、そこなんだ、問題は」
 うー、とスムートは唸った。明るい深緑の目が、少し陰る。
 「結婚、ね…いや、俺は、してもいいと思ってる。どうせするならさっさとしたい。…けどさぁ…彼女の方がさぁ…」
 ぽすりと机に顔を落としたスムートが、人差し指で机に何やら模様を描いた。
 自分の蠢く指を見つめながら、スムートは独り言のように呟いた。
 「何て言うか…分かっちゃうんだよな…彼女、本気で俺を愛してるんじゃないって…」
 あまり他メンバーと関わらないジューローでさえ、クゥの方が積極的でスムートはそれに巻き込まれている、という姿を見ている。何の思い違いだ、と顔を顰めたが、どう考えても相談相手を間違っているとしか思えない。
 こうなったら大人しく愚痴を聞いてやって、それから誰かに振るしか無い。たとえばリーダーとか…リーダーとかリーダーとか。…確かに、他に候補がいないが。
 ジューローの反応が無かったので、スムートはぼそぼそと続けた。
 「もちろん、俺のことが好きではあるんだろうけど…あれって、お子ちゃまのままごとだよなぁ…」
 人差し指の文様は、更に複雑に、早くなっていく。
 何となく、分かるような気がしてきた。一般的に女の方が早熟だというが、このカップルの場合、男の方が盛っていて女は純情だということだろうか。
 「彼女さぁ…兄さんたちがすっごく好きでさぁ…ホント、恋人のことでも話してるかみたいな感じで…で、さ、俺が出会ったのって、上の兄さんに子供が出来た頃でさぁ…要するに、俺って兄さんの代わりなんだよなぁ」
 あーうーと唸りながら、スムートはぐしゃぐしゃと髪の毛を掻き回した。
 「俺って上の兄さんに似てるみたいだし…俺も、いつかは俺を俺として愛してくれると信じて付き合ってるんだけど…もう限界、かも」
 そこでじろりとスムートはジューローを睨め上げた。
 「…硬派だと信じていたブシドーは、隣で御貴族様をあんあん言わせてるし」
 「言ってないだろう」
 いつも俯せでシーツを噛み締めて声の一つも上げていないのだから、隣を悶々させるようなことにはなっていないはずだ。もしも、声以外の音が聞こえる、というなら…防音が悪すぎだ。
 スムートは机に押し当てていた頭を上げ、帽子を取って髪を整え、また乗せた。
 足を組んで、イスをしばらく揺らす。
 「…で。…ひょっとして、結婚しちゃって、やっちゃったら、本物の愛情が生まれてくれるかなぁ…なぁんて、ちょっと思い詰めちゃったかなぁ」
 あぁあ、とスムートは長い息を吐いた。
 今は、兄代わり。でも、体の関係が出来たら、男として見てくれる『かも』。
 それは「賭」だな、と言おうとして、ジューローはスムートががばりと頭を上げたので声が止まった。
 きらきらした目で見上げながら、また同じ問いをする。
 「で、どう?何か変わった?愛情が生まれた?可愛いなぁ、とか、愛おしいなぁ、とか、こう、伴侶として見るようになった、とか」
 「なるか!」
 そこだけは即答できる。
 断じてあり得ない。
 やってることは、単に血肉が通っているというだけで木のうろ相手に自慰しているも同然の行為なのだ。
 それで愛情など生まれるはずもない。
 「…え〜〜…だって、君、結構いそいそと隣に出かけるじゃないか…」
 「しとらん!」
 仮に回数が増えたとしたら、それは単に生きて帰る割合が増えた、というだけだ。
 そして、まあ…生きて帰ってくるのも、悪くはない、という…ただ、それだけのことだ。
 「そう?君の様子見てると、あぁやっぱり結婚したいなぁ、ベッドでいちゃつくのって楽しいんだろうなぁ…って思ったんだけど」
 いちゃつく…その単語にジューローは絶句した。
 無い。絶対、無い。
 その単語とは無縁の状況だ。断言できる。
 ジューローは子供に噛んで含めるように、ゆっくりと言った。
 「いいか?まず、俺は、あれを何とも思っていない。捌け口としては、まあ…便利だが、それだけのことだ。やったからといって、愛情なんぞ湧いてこん。俺を参考にしようとしても無駄だ」
 それこそ、リーダーに聞けばいいのだ。さすがに兄カップルには聞けないだろうが。
 「え〜〜〜…いっそ賭に出ちゃおうかと思ってたんだけどなぁ…」
 スムートはまだ未練がましい視線でジューローを見上げた。それからちらりと隣の部屋に視線を移す。そこにはサナキルがいるはずだ。
 だからどうということも無いはずだが…サナキルがジューローに組み伏せられて「あんあん言っている」(実際には言っていないが)様を想像されていると考えるのは、何故か不快だった。
 「俺は、それを押して賭けろ、とは言わんぞ。やるもやらんもお前の勝手だが、その結果に俺は全く関係無い」
 「ちぇ〜、背中押して貰おうと思ったのに」
 冷たい言葉にぶつぶつ言ってから、スムートは案外と明るい声で「あぁあ」と言いながら両手を上に突き出して伸びをした。
 「それじゃ、今まで通り、清く正しく美しい交際を続けるしかないのかぁ〜…あ〜、やりてぇ」
 ぼそっと付け加えられた言葉に、ジューローは一瞬目を見開いてから、くるりと壁に向き手を突いた。
 ここは吹き出すべきところではない。話の流れ的にも、自分の性格的にも、だ。
 しかし、この男が悶々と性的な欲求を持て余しながら、彼女には曖昧な笑いを浮かべながら頼りない風情で引きずり回されているのかと思うと、何だか妙におかしかった。
 ひくつく喉を押さえ、何とか笑い声を漏らさずに済んでから、5つほど数を数えて、また振り返る。
 自分では『苦虫を噛み潰したような』顔をしているつもりだったが、スムートは深い緑の瞳を煌めかせて、にっこりと笑った。
 「うん、やっぱり、君、変わったよ」
 言葉を失ったジューローに、スムートは目を細めて続けた。
 「もちろん、俺は、今の君の方が良いと思うけど。…うん、そうだ。前は、触れれば切れる抜き身の剣って感じだったけど…」
 「…今は、なまくら刀か?」
 眉を寄せてジューローは呟いた。
 こんなぬるま湯みたいな『仲間』に囲まれたせいで鈍ってきているのなら、何とか元に戻さなければならない。
 「いや、俺は剣のこととかよく知らないけど、抜き身で持ち歩くより、鞘に入ってる方が長持ちするんじゃない?いろんなところにぶつかったら、それこそ鈍るだろうし」
 そりゃまあ、刀剣の話ならば、その通りだ。大事な時の切れ味のために、鞘に保護している、というのは正しい。
 しかし、それが比喩だとすると、一体何が言いたいのか。
 「触れた相手を誰彼構わず傷つけちゃうよりは、大事なときだけ斬れたらいいんじゃない?…うん、良かったね、良い鞘が見つかって」
 何故そこで視線が隣に向かう。
 ジューローが刀。仮にサナキルが鞘として…卑猥な隠喩にも聞こえるそれに眉を顰めると、その表情をどう取ったのか、スムートは戯けたような調子で付け加えた。
 「…ホント言うと、俺は、御貴族様が嫌いだから、あんまり良い気分はしないけどね〜。苦労知らずの坊ちゃまなんか、さっさとくたばれって思ってたけど…」
 「あれは、貴族以前に軍属だ」
 咄嗟に出た庇っているとも取れる言葉に、スムートがにやにやしながら眉を上げた。
 「大丈夫。俺は、あの人と接触しないから。…向こうも、俺なんか眼中にも無いだろうし」
 事情は分からないが、貴族全般に何か含むところがあるのだろう。けれど、だからといってサナキル個人に何かするほど頭が悪くもない。
 サナキルほど子供では無いが、性欲を持て余してじたばたする様子は若いようにも見える。
 ふと思いついて、ジューローは聞いてみた。
 「お前、幾つだ?」
 「えーと…21だったな、確か」
 それが何か、と怪訝そうに見上げるスムートに、ジューローは額を押さえた。
 「…同い年か…」

 足を止めて、話を聞くんじゃなかった。



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