氷花




 さて、ルーク抜きで12階を回ったサナキルたちだったが、地図が完成しており、魔物の動きも読めている、ということで、氷花を集めるのにさしたる苦労はしなかった。
 フロウが摘んで箱に入れたものをアクシオンが受け取り、周りを綿で包んだ。
 「これで無事に届けられると良いんですけどね」
 この後どうやって加工するのか知らないが、生もののまま保存するのでもあるまい。萎れてさえいなければいいのだろう、たぶん。
 「何か特別な薬効がありそうなのか?」
 サナキルの問いに、メディックは少し考えてから首を振った。
 「調べてみれば、これ単体でも何かあるのかもしれませんが、少なくとも俺は知りませんし、研究する気もありません」
 学究の徒としては責められる言葉かも知れないが、冒険者としては至極真っ当な台詞だ。
 「そんなものすげぇ効力があったら、とっくに掘り尽くされてっだろうよ。せいぜい滋養強壮ってな類じゃねぇの?」
 ショークスも、レンジャーとして多少は山草に関しての知識はあるが、迷宮の中の植物は外界の常識が全く役に立たないので自信は無い。だが、どうやら自分たちが開拓者というわけではなく、既に他の冒険者たちが隅々にまで探索の触手を伸ばしているので、あらかたの情報は出回っていると見た方がいい。冒険者という奴は、やたら目敏いし抜け目無いので、貴重な植物ならとっくに無くなっているだろう。
 「では、何も我々がやらずとも、他の冒険者に任せればいいでは無いか」
 「あぁ、エトリアでもそんな風に思ってましたけどね。でも、単に『誰かの役に立つから』という理由で二束三文で動くギルドって、そう多くは無いんですよ」
 サナキルの不満を、メディックはさらりと受け流して氷花を背嚢にしまった。
 二束三文だったのか、ならば下々の冒険者は引き受けないだろうな、とサナキルは納得した。報酬8000enが二束三文かどうかは、冒険者の感覚によるだろうが、そんなことまでは知らない。
 「では、帰るか。本当は階段を確認したいところだが…」
 なるべく速やかに公宮に届けないと、もしも傷んでまた摘みに来なければならなくなるとその方が二度手間だ。
 それが分かっているのだろう、さすがにジューローも文句は言わなかった。
 そのジューローは、今もメディック製の白い上衣を来ている。サナキルの感覚からすれば、袖が広すぎて風が吹き抜けて寒いだろうと思うのだが、相変わらず寒がっているなんてことは微塵も感じさせない。フロウとは違い、普通の人間の感覚を持っているはずなのだが。これがブシドーの気合いという奴なのだろうか。
 糸を持ちながら、サナキルは自分の鼻を擦った。分厚い手袋越しで、鼻の皮膚温は分からなかったが、触れた鼻の方の感覚が無かったことから、相当冷えて麻痺しているのだろうと思う。
 「次は、もう少し暖かな階層だといいな」
 独り言のつもりだったが、返事があった。
 しかも、まずあり得ない男からだったので、サナキルは幻聴かと首を傾げてしまった。
 「…冬は、いずれ終わり、春が来る。下が秋だったからな。次に春が来てもおかしくはあるまい」
 もっとも、サナキルに返事をしたというよりは、どこか自分に言い聞かせているかのような、独り言に近い調子だったが。
 それでも、『普通の』会話が出来たことが嬉しくて、つい続けてしまう。
 「僕は、冬が嫌い、ということもない。冬になると父上も屋敷にお戻りになるし、家族が揃って暖炉の前でお茶を飲むのも良いものだ」
 グリフォール家は広大な領地を持ってはいるが、王族では無いので当然城からは離れた位置を治めている。父と長兄は大半を城詰めで過ごしていたが、冬の初めには領地に帰ってくるのだ。
 逆に大半を領地で暮らしているサナキルにとっては、家族が揃う嬉しさが主な冬の想い出になっているので、寒いのは好きではないが冬を厭うほどでもない、という感覚である。
 だが、自分でも言いかけてから、ジューローには既に家族が存在しないことを思い出して、あ、これはまずいな、と感じたが、途中で途切れさせるのも謝るのもおかしい気がしてそのまま言い切った。
 それからジューローの表情を見上げてみたが、別にいつも以上に不機嫌になってもいなかった。
 「…恵まれた立場の言い分だな。…一日一日、生き残るのに精一杯だった俺とは、随分と差があることだ」
 そこでいったん糸で飛んだために会話が途切れた。
 地上に帰り、そのまま宿へと向かうために歩き出す。メディックは公宮へと向かうし、雪女は離れたところを歩くし、レンジャーは戦利品の売却に行くというので、自然とジューローと二人きりになる。
 会話もなく、すたすたと二人規則正しく歩くのが常ではあるが、今日はサナキルが考え込んでいたため、やや速度が落ちていた。
 考えていたのは、『自分は恵まれた立場ゆえに冬を厭わないのか』だ。もちろん、グリフォール家が豊かであることは否定しないが、貧しい者が皆、冬が嫌いということは無いだろうと思うのだ。冬には冬の良いところがある。空気は澄んでいるし星は綺麗だし暖炉の火は暖かいし。
 もちろん、冬になれば行き倒れが増えるというのも知ってはいるが、グリフォールの領地で道ばたに死体がごろごろ、という光景は見たことが無い。
 「…この国でも、死者は見ないが…」
 独り言を呟いて顔を上げると、いつも通り半歩前にジューローがいたので少々驚く。てっきり、さっさと宿に戻っているものと思ったが。
 「…お前の目に触れぬだけで、いつでも死人は出ているだろうよ」
 投げやりながらもサナキルの独り言に沿った返答に、サナキルは小首を傾げてから、考えていたことを説明した。
 「無論、老衰、病人、事故など、死者は出ているだろう。だが、貧しい国で飢饉が起きれば、死者が道を埋め尽くすこともあると聞く。この国の寒さは厳しいが、路上で死んでいる者も見ぬゆえ、おそらく皆勤勉なのだろうな」
 前を向いたまま整然と述べていたサナキルは、自分が一歩ジューローの前に出たことに気づいて目をぱちくりとさせた。何かあったのか?とジューローを振り向くと、ジューローが何とも言えない表情で固まっているのに気づいた。
 何をそんなに驚いているのだろう、と周囲を見回してみたが、何も変わったことは無いように思えた。
 困惑したままジューローを見つめていると、ゆっくりと動作が戻ってきて、また歩き始めたので自分もまた歩を進め、今度はジューローの横に並ぶ。いつもならば怒ったように半歩前に出るジューローが、今日は珍しく会話を続ける気があるのか、そのまま速度を変えなかった。
 「…お前は、飢饉でなにゆえ死人が出ると思っている?」
 「無論、食べるものが無いからだろう。全く、無学の者は、有事に備えるということを知らぬので厄介だな」
 サナキル的には、農民は働いて作物を作り出し、国に収めた後には以後のために『自分で』備えておくのが当然であった。農民は無学かもしれないが、天候によって豊作不作があるのは経験的に知っているだろうから、豊作の時に不作に備えておくべきだと思うのだ。
 「お前は、先程、勤勉、と言ったな。飢饉で死ぬのは、怠けていたからだと思うのか?」
 「違うのか?勤勉に働き、余裕を持っていれば、死ぬことは無かろう。実際、不作だからといって農民が全員死ぬことは無いのだし」
 当然のことを言っているつもりではあるが、何となく責められている気はするので、口を尖らせて追加してみる。
 「無論、我が国は裕福であるし女王陛下は慈悲深い方であられるので、不作の折りには無料の炊き出しが行われているとも。広場でみすぼらしい者どもが行列をなしているのをよく見かけた」
 不満が滲み出ているサナキルの言葉に、ジューローは鼻を鳴らした。
 「お前は、三男で領主になるのでは無いのだったな。…その方がいい。お前のようなのが領主になったら、領民が不幸だ」
 確かに、サナキルは領主としての教育は受けていない。だが、そこまで言われるほど極悪非道な領主にはならないと思っている。領民に重税を課して自分は放蕩三昧、という領主もいるのを知っているし、そういうのは不快だから自分はそんな真似はしないと思っているのだが。
 「…僕は、そんなに愚かに見えるか?」
 「見えるのではなく、実際愚かだろう」
 ジューローにさらっと肯定されて、サナキルは思わず立ち止まった。
 眉を顰めて足を止めないジューローの背中を見つめる。
 数歩早足で歩き、また並んでから見上げてみたが、いつものような人を馬鹿にしたような顔では無く、どこか思案深げな表情だった。
 ということは、故意に怒らせようとしているのではなく、本気でそう思っている、ということだ。
 …余計、悪い。
 サナキルは、ずきりと痛んだ胸に顔を顰めた。
 グリフォール家の三男としては、ここは怒るべきだ。たかが犯罪者に侮辱されたのだから、その報いを受けさせるべきなのだ。
 だが、この胸に沸き上がったのは、怒りでは無く悲しみだ。
 そして、悲しみだということは、サナキルは、この男に認めて貰いたがっている、ということだ。たかが犯罪人であるところの、この男に。
 「…そういう意味では、僕が愚かなのは認めるが」
 溜息がてら口の中だけで自嘲してから、サナキルは一つ深呼吸した。
 「では、僕のどこが愚かなのか、説明して貰おうか」
 ジューローがちらりとサナキルを見てから、前を向いた。
 宿の門をくぐりつつ、鼻を鳴らして言う。
 「俺は、お前の教育係では無い」
 そうしてさっさと裏へと回る。おそらく鍛錬に励むのだろう。そういう意味では、勤勉な男だ。
 サナキルはその邪魔をすることはせず、そのまま宿へと入っていった。
 自室で重い金属鎧は脱いで、部屋着に着替える。暖かなセーターに包まれて階段を降りると、ファニーがお茶を用意していたので自然にそれを口にする。
 熱いお茶を一口含んで、ふむ、と頷く。
 「若様?何か?」
 「いや…僕にとって、飲みたい時に熱々のお茶が出てくるのは当たり前のことだったのだが…」
 「え…何か足りませんでしたでしょうか!?」
 皮肉を言われていると思ったのか、ファニーが慌てて手元のポットを見る。それに片手を上げて否定の意を示し、サナキルはもう一口お茶を飲んだ。
 腹の中から、指先にまで温かな血が巡っていくのを感じながら、寒い中、体を動かすことで体温を上げている男のことを考える。
 「ファニー。下々の者は、熱いお茶を飲むことすら出来ぬのか?」
 ファニーは小首を傾げ、ゆっくりとポットを回した。それから、サナキルの顔を見つめ、どうやらサナキルが真剣に考え込んでいると見て取ったのか、やはり真面目な顔で口を開いた。
 「申し訳ございません、若様。ファニーは、若様よりは下の立場でございますが、生まれた時よりグリフォール家にお仕えする立場にて、本当の本当に飢えたり凍えたりしたことはありませぬ。バースも同じでしょう。若様の仰る『下々の者』が、如何ほどの階級を指しているのかにもよりますが、最貧民の暮らしなど、知る由も無いゆえ、お答えが出来ませぬ」
 「そうだな」
 バースもファニーも、もちろんエルムも、サナキルの従者ではあるが裕福な一族の代々の家臣である。飢え苦しむ暮らしなどしたこともないし、触れる機会も無かっただろう。ひょっとしたらバースあたりは遊んだ女が貧民、という可能性もあるが。
 さて、自分で考えてみることにしよう。
 お茶の葉は、嗜好品だ。輸入せねば手に入らない種類を除けば、普通に市場に売ってはいるが、食べ物が満ち足りた人間しか手を出さないだろう。
 では、お湯だけでも飲めばいい。砂糖を入れれば、ある程度のエネルギー補給にもなる。
 「ファニー、砂糖は高いのか?」
 「国にもよるのでしょうが…塩よりは高いかと」
 ファニーの答え方は、ちょっと自信が無さそうだった。たぶんサナキルと同じく、「足りなければ買うもの」であって、値段を気にしたことは無いのだろう。
 あと、お茶を飲むのに必要なのは…お湯だ。
 サナキルにとって、お湯こそ無料で手に入るものだろう、という感覚だったが、それでも自分でお湯を沸かすことを考えてみる。
 薬缶。これはさすがに貧民でも一つは持っているだろう。一度で無くなるものでもないし。
 水。その辺の井戸でいくらでも汲めばいい。
 後は…薪。それもその辺で枝を拾えば良いのではないか。
 「ファニー。屋敷では、薪はどうしていたのだ?庭の枝拾いでもしていたのか?」
 「さて…庭師に聞いてみませんと。…あ、ですが、薪を買っていたのは確かですわ。…そうです、そうです。貧しい者が冬を越すための大事な資金源なのだから、とサヴァントスさまが仰っておられたのを覚えております」
 思い出せたのが嬉しかったのか、ファニーが勢い込んで言った。
 サヴァントスが言ったことなのでしっかり覚えていた、という可能性もあるので、サナキルとしては少々面白くないものもあるが。
 ともあれ、薪にも金がかかる、ということは分かった。
 欲しい時にそこにあるのが当たり前、と思っていたお茶にも、色々と金がかかっているということは分かったが…肝心のところが分からない。つまり、なにゆえあの場面で、ジューローはサナキルを愚かだと言ったのか、という点だ。
 それについてファニーに意見を聞くのは止めておいた。どうせ「若様はご聡明で」云々返ってくるのが分かっているからだ。
 確かにサナキルは世間に、というか下々の生活に疎いかもしれないが、それをもって愚かと言われる筋合いは無いと思うのだ。逆に、下々の者が上流の習わしを知らないのも当たり前だと思うし。
 ともかくはジューローに聞いてみるしかないな、とサナキルは少しぬるくなったお茶を飲み干した。
 考えるにも判断材料はいる。

 その夜、当然のようにノックもせずに入ってきたジューローに、真面目な顔で聞いてみた。
 「お前は、冬をどうやって過ごしてきたのだ?」
 サナキルとしては、下々の者の中でも最も最下層であるところのお尋ね者に、どのように生活をしてきたのか聞く必要があると判断しただけのことだったが、普通に夜着で来ていたジューローは微妙な顔をした。
 「…俺は、そんな用で来たんじゃないんだがな」
 「無論、事後でも良いが。しかし、お前は終わったらすぐに部屋に帰るだろう?」
 だから先に聞いているのだ、と言えば、ジューローはベッドに腰掛けて右足を左膝に上げた。露になった足の筋肉にどぎまぎして、少し目を逸らす。
 「…冬は」
 憂いを帯びた声が低く流れ出て、おや、ちゃんと話をしてくれるのか、とサナキルは椅子を持ってきて腰掛けた。
 「最初は、南方に行っていた。服も、薪も、必要なものが少なく済むからな。暑いのは気にならんし。…だが、一度盗みに失敗して袋叩きに遭ってから、とっとと逃げ出した。…南方で俺の姿は目立ったから、目を付けられては盗みもやり辛かったからな」
 淡々と続けられた言葉を、サナキルは理解しようとしてみた。
 南方と言えば、果物が豊富な地方だというイメージだ。その辺になった果物を食べていれば飢えることは無いのではないか。それをわざわざ盗むというのもおかしいし、盗まれたからといって子供を叩きのめすのもおかしいと思う。
 もちろん、サナキルが考えているような『南の楽園』など無いのだが、そんなことは分からない。
 「…冬の間は、猟師や炭焼きの小屋が空いているのを見つけたら、それを拝借していたな。それすら無ければ、夜の間は体を動かし、昼間に眠り…金が入れば、たまに街に降りて宿に泊まる」
 「その、金はどうやって稼いでいたのだ?薪を売るのか?」
 「…お前は知らぬだろうがな。…あの手の商売にも縄張りがある。余所者が手を出せるものでは無い」
 どこか遠くを見ながら、ジューローは苦々しい口調で吐き捨てた。
 金も無い流れ者が稼ぐ道など、どこにも無かった。まともに生きる手がかりすら無かった。
 「…山に潜み、道を行く旅人を襲って金を奪ったのさ。そうして武器を手に入れれば、もっと良い稼ぎが出来た」
 ジューローがお尋ね者だということは知っていたが、己の腹を満たすために人を殺したのだ、ということをはっきり告げられると、自分の中の騎士としての良識が疼く。
 胸のつかえを吐き出すように大きく深呼吸し、サナキルは知らず皺の寄った眉間を押さえた。
 他に道は無かったのか。
 そう言うことは簡単だった。
 けれど、簡単だからこそ、言ってはならないことだろうと思う。それでは、ジューローの人生を否定することになる。
 「では、逆に言えば、地元の者は、稼ぐ道が保証されていた、ということか?」
 必要な薪の量は変わらない。流れ者が介入する余地が無い、ということは、地元の貧乏人で仕事を占有していた、ということになる。もちろんジューローには気の毒だが、領民のことを思えば、ある程度の保護政策は必要だろう。
 しばし、間があった。
 静けさと共に、寒さが足下から這い上がってきて、サナキルは身震いした。素足の見えているジューローも冷えていることだろう。そろそろ切り上げる頃合いだ。
 サナキルが立ち上がるのと同時に、ジューローがぼそりと呟いた。
 「…お前、薪割りをしたことが無かろうよ」
 「うむ、無いな」
 素直に答えると、ジューローが苦い顔で吐き捨てた。
 「お前は、貧乏人が、みな健康で働き盛りだとでも思っているのか」
 「年寄りは働けぬだろうが、隠居するまでに稼ぐものだろう?」
 サナキルにとって、隠居というものは悠々自適というイメージである。若い間に稼いで、次の代に引き継いで子孫に養わせるのが当然という考えは、主に周囲の姿から学習した。
 もしも、何の蓄えも無く年を取ったらどうなるか。
 サナキルは夜着のズボンの紐を弛めながら考えた。
 若い頃と同じようには働けぬのだから、周囲が養わなくてはならない。子を成して、そのまた子たちが養えばいい。ちゃんと愛されているのなら、養って貰えるだろう。もしも、誰からも見捨てられるというなら、それは本人の責任だ。
 そうは思うのだが…たぶん、これはジューローには気に入らないだろうな、と感じた。
 少なくとも、この辺りの考えが引っかかっているというのが分かれば、考える材料にはなる。
 ジューローは、あまり自分の考えを喋ることもないので、こっちが想像してみるしか無い。けれど、それが苦痛な作業というのでも無い。
 たぶん、全く分からないからこそ、理解したいと思うのだろうな、とサナキルはうっすらと思った。


 その頃の屋根裏部屋。
 「…ということで、今回は公女が出てきましたよ。そうと分かっていたら、リーダーに来ていただいてたんですけどね」
 氷花を公宮に届けたアクシオンから報告を受けたルークは、僅かに呻いた。
 「…で、その『ご聡明でお美しい公女』さまは、どうだった?ホントに美人?」
 探るような目で見てくるのに気づいていながら、アクシオンは平然と微笑んだ。
 「そうですね、おそらく10人中4人は『お美しい』と表現すると思いますよ」
 「いや、それ、少数派だし」
 「残りの5人が『お可愛らしい』と言うでしょうね。無礼と問われなければ」
 残り1名は色々。
 アクシオンの引っかけに見事にはまったルークは鼻に皺を寄せながらも、公女の姿を思い浮かべてみた。10人中9人が、美しいとか可愛いとかいう女性。
 そんな女性にアクシオンが一人で会ったのか。
 「冗談はともかく」
 どこまでが冗談だったのかと突っ込みたくなるような態度で、アクシオンはベッドに腰掛けた。その隣に座ったルークの頭を引き寄せて、軽く頬にキスをする。
 「…いわゆる『守ってあげたい』と思わせるタイプの女性ですよ」
 「アクシーも?」
 だんだん嫉妬が露になってくるルークにくすくすと笑ってから、アクシオンはルークと額をこつんと合わせた。その瞳が、どこか暗い光を湛えているので、ルークも頭の一部が冷える。
 「逆に言えば、如何にも頼りない女性ですよ。国を負って立つ器とは思えません。俺が周囲の国主なら、食ってやりたい、こいつなら食える、と思うでしょうね」
 「…なるほどね」
 大臣が嘘をついていたとか目が曇っているとかとは思わない。公女レベルで言えば聡明なのだろう。
 けれど、大公として求められるレベルとしては、まだまだ足りない。そういうことらしい。
 「それで、大公の病を治すのが最優先なわけだ」
 衛士を投入し、冒険者に金を出し…些か『なりふり構わず』と言った感じを受けていたが、国の重鎮たちにも分かっているのだろう。公女では大公の代わりは務まらない、と。
 「で、どう?守ってやりたいタイプってことは、この国に残ってお姫様のために働きたいって思った?」
 ルークは何とか『守ってやりたい』という気持ちを思い出しながら聞いてみた。もちろん、アクシオンを守りたいという気持ちは今もあるが、何せアクシオンの実力・性格共に把握しているので、『か弱い女性を守りたい』という若さ故の過ちとは随分と変質している自覚はあるのだ。
 問われたアクシオンの方も、ルークを守りたいとは思っているが無闇やたらと過保護というのでは全く無いため、公女を見た時の感情を冷静に分析してみた。
 自分が本気で「守りたい」と思うのと、世間一般的には『守ってやりたいタイプ』だろうなぁ、と判断するのとは、全く異なる、という結論になる。
 「…大臣には、いずれ聖杯を見つけだした冒険者はこの国の貴族に取り立てるという話も聞きましたが…正直、とっとと逃げ出すのが得策と見ましたが」
 ルークは、公宮に関する街の噂を思い出してみた。もっとも、冒険者区画にしかいないので、一般国民とは少々一線を画した街の民の噂かも知れないが。
 まず、大公も公女も慕われている。特に、先日公女の誕生日があったということで、国民が盛り上がったのは記憶に新しい。
 ただし、そのめでたい場に大公が姿を現さなかったのも確かだ。もっとも、元々国民に気軽に顔見せするタイプでは無かったらしく、姿が見えない、すわ重病か!という動揺は見られなかった。
 「…周囲の国は、気づいてるのかね」
 「我々レベルで知ってるんですから、当然のように把握しているでしょうね」
 一介の冒険者に明かすことだ。必死に秘匿しようとしているとは思えない。
 ルークはゆっくりと腕を組み、真剣な目で脳内の情報を検索した。その横顔を、アクシオンはうっとりと見つめている。
 「…直接、陸続きに国境が接してるのは3カ国。ノイエルは小国で、ハイラガードを正面から攻める力は無いだろう。仮に軍を動かしたとして、他に攻められる可能性も高い。ミドランドは、今はゲルンとの戦で手一杯だ。イスファーンは戦力はあるだろうが、結構内紛が激しいって聞いてるから難しいな。…ただ、どの国も、絶対とは言えない。自国の一部を捨ててでもハイラガードを取り込みたいって思ったら、軍の余力は出来るはず」
 唇の端をとんとんと叩きながら、ルークは脳内に地図を広げて更に検索する。
 「海側は…少なくとも、この季節には攻めてこないだろうが…もうじき春にはなるが、どのみちハイラガードの海側から攻めるのは厳しいな。やっぱり、危険なのはミドランドとイスファーン。ハイラガードの戦闘力は、迷宮の魔物相手に消耗してるし…ただ、迷宮の価値をどれだけと踏むかにもよるか」
 ハイラガードは海に突き出た格好の国で、しかもその海側は岩礁が多く軍船の建造には向いていないので戦略的拠点として得る価値は、ほぼ無い。
 もちろん、それなりに農業・商業・工業も栄えてはいるが、多くの犠牲を払って手に入れる価値があるか、というと、特別魅力がある国とは言えない。周辺諸国なら、むしろ暖かな地方へと触手を伸ばすだろう。
 ただ、迷宮の価値が算定できない。もしも、迷宮一つが計り知れない富、あるいは軍事力を有するということになれば、少々の犠牲を厭わずに攻めてくる可能性はあるだろう。
 「現時点では、迷宮の価値は不明…ってとこだな。外にない素材は産出できるが、特に付加価値があるわけでもなし、埋蔵量は不明、更には危険、ときた」
 「軍事力も不明ですしね。仮に天空の城に繋がっていて、その城を直接操作出来る、と言うことにでもなれば、どの国も欲しがる可能性はありますが」
 1.世界樹の迷宮は、天空の城に繋がっている。 2.天空の城に軍事的価値がある。 3.天空の城を自在に操作できる。
 その3つを満たした場合には、周辺諸国の食指が動くだろう。逆に言えば、それが無ければ、わざわざ軍を動かす価値が無い。
 「つまり、天空の城の状況によっては、戦争が起こりうる可能性があるってことか。状況そのものを操作するのは、まず無理と見た方がいいってことは…周辺諸国の状況をしっかり仕入れとかないとやばいな。いざとなったら逃げ出すためにも」
 自分たちは冒険者であって、兵士では無い。仮に戦争になったとして、この国に剣を捧げる義理は無い。
 「…あ、そういや、俺ら、ハイラガード国民になってるんだっけ」
 皆等しくハイラガード国民である、と認定されていたような。まあ、だからといって、軍属扱いされるつもりは無いが。
 うーん、と腕を組んで唸ってから、ルークはもう一度アクシオンに確認した。
 「姫さんが頼りないって言っても、あほって訳じゃないよな?」
 「えぇ、それなりに威厳があって、それなりに決断力もある女性だと見ましたよ。やや気負いすぎのきらいはありましたが、周りがしっかりしてれば、2〜3年は持ちこたえられると思います」
 この国を束ねて御することは出来るけれど、周辺を押さえられるほどの豪腕では無い、というのが、アクシオンの人物評である。おそらくは、もう少し大公が国を治める期間が長いというのが前提だったのが突然の病で崩れてしまった、というところだろう。
 「本当に聖杯とやらが発見出来て、大公が回復して、また周囲に睨みを利かせられる、というのがベストなんですけどね」
 こっちはただの冒険者なのである。国同士のごたごたなんぞに巻き込まれたくなど無い。
 天空の城へと繋がる道なんぞ見つからない方がいいんだろうか、と一瞬思ったルークだったが、アクシオンの言葉に気が変わる。
 つまるところ、これまで通り進んでいって、天空の城に登って聖杯を見つけだす、というのが一番安全策、ということになりそうである。
 もちろん、周辺の動向に目を配っておくのに越したことはなかろうが。
 「そっか…じゃあ、頑張りますかね。…姫さんのためじゃなく、俺らのために」
 「もちろんです。これまでもそうでしたし、これからも変わりませんよ」
 ということで。
 男同士で出来上がっているギルドのリーダーは、公宮で依頼される相手がいつもの爺ちゃん大臣だろうが、可愛い感じの美人な公女でも、まったくモチベーションが変わらないのだった。



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