素潜り漁
「ジューロー!」
氷が割れて体勢を崩した男に、サナキルは腕を伸ばした。その手を取れば、ちゃんと支えられたはずなのに。
胸を思い切り突かれて、サナキルは数歩後ろに下がった。もちろん鎧の上からだし、刀といえど鞘に包まれたままだし、さしたるダメージは無いのだが、予想外の衝撃だったため、よろめいてしまったのだ。
その間に、ジューローの体が完全に水に沈む。
「ジューロー!」
もう一度叫んで前へ出ようとしたのに、肩を掴んで引き戻される。
「坊ちゃんは岸から離れて」
リーダーに力づくで後ろにやられ、そのままレンジャーに羽交い締めされる。
「離せ!」
「はいはい、坊ちゃん、大人しくしててくれよ。飛び出しそうだから離せねぇんだよ」
何で自分だけこんなところで留め置かれるんだ、冒険者の一員である限りは平等なはずなのに。やはりファニーやバースが余計なことを言っているのだろうか、グリフォール家の「坊ちゃん」だから、自分だけ安全なところに隔離されるのだろうか。
悔しすぎて涙まで出そうだ。
サナキルがじたばたしている間に、メディックは岸から杖を氷の割れた面に突っ込んで、割れた面を広げている。
リーダーはランプを取り出し、火を点けたものを矢の先に引っかけ、水面を照らした。
「どのくらい経った?」
「せいぜい1分以内ですね、まだ」
「どのくらい保つ?」
「10分潜れる達人もいますが…3分ってとこですね」
もしも、浮かんでこなかったら。
二人の短い会話に、その可能性を思い浮かべて、サナキルは身を震わせた。
「僕が…探しに…」
みっともないことに、声まで震えている。この僕が、まるで怯えているかの如く声が出ないなど…。
くらり、と揺れた視界で、サナキルの言葉を無視した二人が更に会話を重ねていた。
「石にロープ付けて沈めますか?ロープを掴んでくれれば、引き上げられますが…」
「掴めるかどうかが問題だな」
そんな暢気なことを言っている場合か、僕が飛び込んで探してくる、と足を踏み出しかけて、またレンジャーに押さえられる。
「いや、だから坊ちゃん、大人しくしてろって」
ふざけるな、と叫んでやろうと息を吸い込んだところで、聞こえてきた小さな悲鳴に吸った息を吐いてしまった。
アクシオンが身を捻った空間から、突然飛び出してきた魚が、雪の上で跳ねている。
何故、魚、と思考停止したところで、アクシオンの声に我に返った。
「ルーク、手伝って下さい。結構重いです」
「あいよ」
ランプ付きの矢を足下に置いて、ルークがアクシオンの持つ杖に手を添える。
二人で引っ張った杖の先に、ぽかりと黒い頭が浮かぶ。
最後はルークとアクシオンの二人は尻餅を着いたが、引っ張り上げられたジューローは、平然として岸に膝を突いて上がってきた。
先に陸に上がり、じたばた跳ねている間にもうじき水面に落ちそうな魚の尾をひっ掴んで、また奥へと放り投げる。
全身ずぶ濡れの男は、煩わしそうに漆黒の髪を掻き上げ、まとわりつく上着を体から引き剥がした。
「氷水で素潜り漁法ですか。お勧めしませんね」
メディックが茶々を入れながら、背嚢から乾いたタオルを取り出して放り投げた。
それを受け取って拭いてはいっているが、すぐに乾くものでもないし着替える服もない。
「ま、キリも良いし、一端帰るか」
リーダーの宣言に、ジューローは眉を上げたが、さすがに文句は言わなかった。
「この…馬鹿者!何で、僕の手を取らない!」
まるで、凍り付いた湖に落ちたことなど大したことでは無い、と言うかのようなジューローと、ついでに同じく落ち着いている残りの面々を見て、サナキルは悲鳴のような怒鳴り声を上げた。
もしもここに上がって来られなかったら死んでいたかもしれないのに。いや、最悪、氷水に全身が浸かったショックで即死したかもしれないのに。
握り拳を震わせながら叫んだサナキルをちらりと見て、ジューローはまた視線をふいっと外した。
雪に放り出していた上着を取り上げ、絞ろうとして…ごわごわに凍り付いているのに気づいてそれを棒のように肩に担いだ。
「聞いているのか!お前が僕のことを嫌いなのは知っているがそれでもあんな時くらい僕に頼っても良いだろう!」
そうだ。
この男は、サナキルのことが嫌いなのだ。
あんな時でも、手にも触れたくないくらい。
半ば涙目になって睨んでいるサナキルは見ずに、ジューローは動きを止めた魚をゆったりとした動作で拾い上げた。
しかし、すぐに取り落とす。
眉を顰めてもう一度手を伸ばすジューローに、アクシオンが呆れたような声を投げかけた。
「ほら、もう体の自由が利かなくなってますよ。早く帰って暖めないと」
「しょうがねぇ、俺が持ってやるよ。ネルスは魚嫌いだから、あんま嬉しくねぇんだけどよ」
レンジャーが魚の尾を掴み重そうに持ち上げる。
「よし、じゃあ糸で帰るぞ」
リーダーの声に、サナキルは俯きながら手を出した。
そこまで、嫌われているのか、僕は。
何故、そんなに嫌われなくちゃならないんだ。
地上に戻ると、リーダーとメディックは、依頼の完了を報告に酒場に行くと言うので、サナキル、ジューロー、ショークスで宿へと帰ることになった。
地表は上の氷の世界よりは暖かいが、それでも風が吹けば凍えるような寒さには違いない。
さっさと帰ろう、と足を早めていると、魚を担いだレンジャーが面白そうに声をかけてきた。
「坊ちゃんさぁ、想像力ってもんを働かせろよ。湖に落ちて一番やべぇの誰だ?」
「誰だって危険だろう」
サナキルは反射的に即答してから、少し考えた。
しかし、考えてみても、やはり誰でも危険なのには変わりないように思えた。
だが、この言い方は、サナキルが最も危険だと言っているように感じる。
このレンジャーまで、サナキルをグリフォール家の三男として、重要視しているのだろうか。
「…いや、坊ちゃん、マジで考えたかよ。俺も何も考えずに返事する方だけどよ、今のは考えてねぇだろ、どう見ても」
何がおかしいのかくすくすと笑ってから、レンジャーは親指で先にずんずん歩いているジューローの背中を指さした。
「あれが落ちる。泳いで上にあがる。無事生還。めでたしめでたし。で、坊ちゃん落ちる。さて、それで?」
「僕はかなづちではないぞ」
海沿いで暮らしたことは無いが、夏に避暑地で水遊びくらいしたことがある。泳ぎの達人とは言わないが、まるっきり泳げないこともない。
「…いや、坊ちゃん、鉄の塊は沈むって分かってっか?」
「そのくらい…」
馬鹿にするな、と言いかけて、その『鉄の塊』というのが、一般論ではなくサナキルの鎧を指していることに気づいた。
パラディンの嗜みとして、当然サナキルの鎧はがちがちの防御力重視金属鎧である。
「…沈むな、確かに。だが、そのくらい、脱げば…」
騎士として育ってきたのだ。鎧の着脱くらい速やかに出来る。
だが確かに、氷水に沈んだ状態で指が動くか、息もできない状態でうまく脱げるかは自信が無かった。
「あれが坊ちゃん巻き添えにしたくねぇって気持ちも分かるだろ?愛だろ、愛」
「…見当外れもいいところだな」
うんざりしたような声は返ってきたが、サナキルは首を傾げて前を行く男の背中を見つめた。
本当に、そうなのだろうか?
サナキルを巻き添えにしたくないから、突き飛ばしたのだろうか?
確かに、重量のある金属鎧が沈めば、布一枚の者よりは死亡率が高いだろう。
崩れた足場に薄い氷面の近くで踏ん張ったら、一緒に落ちたかも知れないのも認めよう。
だが、あの一瞬で、そこまで判断してサナキルを突き飛ばすだろうか?
ジューローに、サナキルが死んだら困る、という理由があるだろうか?
…どう考えても、無い。
それでも、手にも触りたくないほど嫌われている、というのではない可能性が存在する、というだけでも、随分と気分がマシになる。
決して『愛』などでは無いだろうが、それがただの『仲間』を庇った、というだけのことでもいい。
蛇蠍の如く嫌われている、というので無いのなら、それでいい。
「愛か。そういうことにしておこうか」
ジューローが嫌がるのは分かっていながら、重々しくそう呟いてみる。
猛獣が威嚇するような音は聞こえたが、言葉では返ってこなかったので、おや、と眉を上げる。
すたすたと歩いているように見えるが、相当調子が悪いらしい。
「肩でも貸してやろうか?それとも、人肌で温めてやろうか?」
少し歩を早めてジューローの隣に並ぶ。嫌がられるのは分かっているが、もしもジューローが倒れでもするなら、すぐ近くにいた方が支えられる。
「…今日は、死んではおらんからな」
低い独り言のような言葉が、「人肌で温めてやろうか?」の返事だと判断して、サナキルは一瞬で頬に血を昇らせた。
確かに、「人肌で温める」が『そういう』意味を指すこともあるだろうが、ジューローからそういうことを言うのは珍しい。
盗み見るように横目でジューローの表情を確かめたが、相変わらず機嫌の悪そうな顔で前を向いて、ひたすら歩いているだけだった。
正直な話、氷水に浸かって、まだ濡れている人間には、人肌よりも暖炉の火の方が役に立つだろうと思う。
とは思うが…しっかり乾かして、熱いお茶でも飲んで、その後でも運動したいと言うなら、まあそれはそれで構わないか、とサナキルは思った。
ルークとアクシオンは二人で酒場への道を歩いていた。
「しっかし、危なかったなぁ。もし坊ちゃんが落ちてたら、ホントに浮かんで来なかったかも」
「湖の中央は薄いかも、とは思っていましたが…岸近くで割れる、というのは想定外でした。今度から、岸から上がる時も気を付けておきましょう」
世界樹の中は季節が変わらず、あの階層はずっとあの寒さである。ということは、冬に凍り出す、春に溶け出す、というのが無いのだから、氷は分厚くで当然、と割れる心配はあまりしていなかった。ちょっと甘かったようだ。底まで凍らずに水流があるなら、確かに脆いところもあって不思議では無い。
「あれはどうなんだろうな。ジューローは、サナキルを庇ったのかどうか…」
彼らは少し離れたところにいたので、ジューローが落ちるシーンそのものははっきりと見ていない。
ただ、ジューローが刀の鞘でサナキルの胸を突き、結果としてジューローは一人で落ちて、サナキルは助かっている、というだけが分かっている。
「どうなんでしょうね。下手したら、ジューローは咄嗟に手にした刀を、掴んでくれ、と突き出しただけかもしれませんし…」
首を傾げながらアクシオンが言った通りなら、サナキルが掴み損ねたのがまずかった、ということになるが…それはないか、とルークは首を振った。もしもジューローにその意志があってサナキルが把握し損ねたと言うなら、ジューローが後で嫌味を言うはずだ。
「俺は、お前に支えて貰おうと思ったんだがな」とか何とか。
サナキルを虐めるためなら、ちゃんと自分は助けを求めました、くらいのことは言いそうだから。
やっぱりどうもあの二人の関係は分からない。
ジューローはサナキルを傷つけてばかりだし、サナキルはそれに平然としてジューローに構うし。
…そういう風に表現すると、横から口出しするのが余計なお世話っぽいのだが。
まあ、もし二人が共依存の挙げ句に奈落の縁に落ちるというなら手を出すが、まだ介入しなくてもいいかな、とも思う。
どうもあの二人は、自分が相手に執着していること自体に気づいていないような気もするし。
酒場の入り口脇には、背丈ほどもある四角い石が並んでいた。非常に通行及び視界の邪魔になっているが、おそらくこれが依頼の石切場から運んだ石だろう。3つ揃うまで衛士は引き取りに来ないのだろうか。3つ目を切り出すのは、まだまだ先になりそうなのだが。
いつものように入り口を潜って親父に挨拶すると、思った通り入り口の石についてぶつぶつ言われた。もっと空気読んで邪魔にならないところに置け、と言うとらしい。
同意はするが、じゃあ動かせ、と言われるのが面倒だったので、適当に聞き流す。
親父がその態度に更に文句を言いそうなところを、アクシオンが背嚢から取り出した包みで遮った。
「何だよ、これは」
「あ、依頼完遂したんだわ。ほら、あの、薬草採りに行った婚約者の仇討ちってやつ」
「ほー、よく分かったな…でええええ!」
受け取った親父が、何気なくその包みを解いて、中から現れたものに野太い声を上げた。
そりゃまあ、いきなり手の骨が現れたら、誰だって驚くだろう。
「爪の間から薬草らしき繊維が発見されましたので、薬草を摘んだ後に襲われたと思われます。大部分は消化されているのでしょうが、それは奥の牙に引っかかっていました。指輪が証拠になるかもしれませんね」
「分かってんなら、指輪だけ届けろ!」
アクシオンの淡々とした解説に、親父は吠えながら人差し指と親指で骨を摘んでぶら下げた。
「いつも、鳥がらとか煮込んでいるでしょう?似たようなものです」
「…やなこと言うなぁ、お前さんは…」
じと目で親父が睨んできたので、ルークはへらりと笑って見せた。
「うちのアクシー、理論派だから」
それではあまり擁護になっていないと自分でも思ったので付け加える。
「それに情熱的だからさぁ。愛する男のものなら骨の一欠片でも手に入れたいって言うタイプなんだよ。だから持ってきたんだけどさぁ」
「普通の女は、骨だけでも悲鳴上げるわ!」
突っ込みながら、親父はイヤそうにそれをカウンターに置いて、指輪だけを抜き出そうと指で動かしてみた。…しっかり食い込んでいて取れない。
「骨は捨てると言うなら、その部分を叩き割れば簡単に取れますよ」
アクシオンが親切に忠告したが、親父は暗い声でぶつぶつと答えた。
「俺ぁ、これでも死者には敬意を払うって神経を持ち合わせているんでよ。まあ、骨は埋めちまうつもりだが」
干涸らびた肉に食い込んだ指輪をどうにか外して、包んでいたハンカチで拭く。
汚れが無いのを確かめて、親父はそれをポケットに放り込んだ。
「ま、依頼は完了だな。また頼むわ」
さっさと頭を切り替える辺りが、やはり海千山千の冒険者御用達酒場の主人だ。
「雪花石膏が採れると思わしき場所も見つけたから、うまくいったら届けるよ」
「あぁ、急ぎゃしねぇよ。どうせ振られるんだ」
仲介者がひどいことを言う。
ルークはその評判の美女も幼なじみの男も見たことは無いが、それでもうまくいけばいいな、と思うのに。
「まー吟遊詩人的には、男が色んな品を持っていっては振られ、最後に真心を捧げたら恋愛成就しましたってな展開が基本だけどな。…ってそれじゃ何度も依頼があるのか。それも大変か」
あるいは、尽くした挙げ句に男は死に、死んだ後で女は男の愛に気づくって展開もまたありがちではある。が、悲劇はルーク好みでは無いので、やはりうまくいってくれればいいなぁ、と思う。
数日後。
いつものように酒場に寄ると、親父から直々に呼び寄せられた。
「おぅ、ちょっと暇あるか?」
「無いでもないけど。…何?」
無事凍り付いた湖も全部書き終えて、これから氷花を集めて回る、という予定である。どうもあれは夜にしか咲かず、すぐに持ち帰らないと駄目ということで、少々手間取っているのだ。
フロウが氷漬けにするということなので、ルークが少々戦線離脱しても問題は無い。
すると、親父は改めてルークをじろじろと見てから、一つ鼻から息を吐いた。
「いやよ、こないだの婚約者無くした女」
「うん、それがどうかした?まさかあの指輪は違います!とか?」
「や、あれが婚約者の形見なのは間違いねぇんだが…楽士になってな、自分も魔物討伐に加わるんだっつってな…」
気持ちは分からないでもない。ルークだってもしもアクシオンが魔物に殺されたら、魔物を殲滅するのに容赦は無い。
が、そういう感情と、実力とはまた別問題だ。
彼女が最初から冒険者だったというならともかく、楽士になったばかりで12階に行くのは無謀に過ぎる。
「やー、楽士ってーのは、魔物討伐の直接戦力にはなんないんだけどなぁ…誰か戦力になるのがいて、それを強化するのは得意だが…」
親父は軽く肩をすくめて、ジョッキをルークの前に置いた。
「もちろん、一人でどうこうするわけじゃねぇ。城の討伐隊に加わるんだよ。…で、かの有名なギルド<デイドリーム>のリーダーはバードだってんで、是非ともその実力を見せて欲しい、という…」
「…かの有名な<ナイトメア>の<破滅の歌声>だってところは、無視?」
「知らねぇんだろうよ…元々冒険者じゃねぇからな…」
親父はどこか疲れたように目を宙に漂わせた。依頼者の夢は壊したくない、けれどルークの実力はおそらく凄まじい代物だと分かっている、さぁ、どうしたらうまく収まる?と色々考えたのだろう。
「お前さんが、城からの依頼で忙しいってぇんなら、断れるんだがな」
親父が水を向けたが、ルークは首を振った。
「や、それ、どうせいずれ捕まるし。…いいよ、行って来るわ」
親父の顔が歪んだ。それから、声を低めておどろおどろしく囁く。
「こないだ、バードになりたてってぇ奴が、腕試しのつもりなのか、ここで歌いやがってな。…客はむせるわ、喧嘩になるわ、外にいた犬はきゃんきゃん言って逃げ出すわ…で、ひでぇ目に遭ったんだが…お前さんの実力は、それ以上なのか?」
ルークは軽く片目を瞑って見せた。
「ま、営業妨害だって訴えられるレベルかな」
親父が呻いて天井を仰いでいるのをにやにやしながら見てから、ルークはごくりとジョッキのエールを飲んだ。
そして、懐からオカリナを取り出してひょいひょいと振る。
「大丈夫、これで何とかするから」
「普通は、歌ってくれって言われるだろうよ」
「あ〜、その辺はうまく言うって。…事実だし」
胡散臭そうに見る親父に、ルークは両手を組み合わせて夢見るような声で告げた。
「俺さぁ、<ナイトメア>やってたからには金も無いでは無かったんだけどさぁ。でも、プロポーズの時に、愛の証は指輪じゃ無い方がいいってアクシーに言われてさぁ…歌を捧げることにしたんだわ」
「…あのメディックも相当物好きだな」
「以来、俺の歌はアクシー専用、アクシーの歌は俺専用。ロマンチックだろ?」
当時を思い出してうっとりしてから、ルークは冷静な声で続けた。
「実際そうだし、筋も通ってるから、これ聞いて更に歌えって言う奴はいないだろ」
「あのメディックも歌うのか?」
「そりゃもう可愛く歌ってくれるよ。俺専用だけど」
「…聞いた俺が馬鹿だった」
痛むこめかみを指で押さえつつ、親父はひらひらと手を振った。ひょっとして、その『歌』ってのは『そういう』意味なのか、いや聞きたくねぇ、想像したくねぇ、きっと単なる歌だ、そういうことにしておこう。
それにしても。
親父とて冒険者の集まる酒場の主である。バードが『言葉』無しに『旋律』だけで呪力を乗せるというのは、相当高難度の技だということくらい知っていた。
どう見ても、これが元<ナイトメア>だと思いながら見てみても、この男が凄腕の冒険者には見えなかったが、それでもやはりこのハイ・ラガードでもトップレベルの冒険者なのだろう。何とか依頼者の夢は壊さない程度に頑張ってくれればいいんだが。
酒場の親父の不安は杞憂に終わり、ルークは討伐隊の尊敬を集めて帰ってきていた。
もっとも、依頼者の女性は、ルークに散々惚気を聞かされて、疲れた顔をしていたが。婚約者を亡くしたばかりの女性に酷いことを、と思ったが、これでもうルーク名指しで討伐隊に加われとは言ってこないだろう。
そこまで計算してのことなら、ひでぇ策士もいたもんだ、と思うが、普段の姿を見ていると、単に本気で惚気ていただけ、という気もする。
冒険者たちなら何人も見てきたし、ある程度そいつらの先行きが読めるくらいに人間観察は長けていると自負している。
それでも、どうもこいつは読めねぇなぁ、と親父は溜息を吐いたのだった。