雪の夜
ジューローは、己の部屋でしばらく瞑想していた。
心頭滅却、とは程遠い心境で座禅を組んでいたが、スムートが出ていく音で目を開いた。
そのまま、壁を睨み付ける。
向こう側にいるはずの馬鹿は、ジューローに『生きて帰る褒美』として女との行為を勧めた。結局、本人にやらせたが、それに文句は言われなかった。
ということは、ジューローが生きて帰れば、サナキルが体を差し出す、という決まり事がなされている、ということだろうか。
馬鹿だ、としみじみ思う。
本人の弁を信じるならば(疑う理由も無いが)、サナキルは大国の有力者の息子で、体を売るような謂れなどあるはずもない身分である。
それを何をどう考えたら、そんなことになるというのか。
ジューローに惚れている、というならともかく、せいぜい騎士の義務感だとかその類に過ぎないだろうに。
ムカムカと胃がせり上がってくるような感覚に襲われつつ、ジューローはまた目の前にサナキルがいるが如くに壁を睨み付けた。
あり得ない。
あれは、一度だけの事故だろう。
普通の神経なら、そのはずだ。
…さて、今日、ジューローは生きて帰って来たのだが。
まともに探索した、とはとても言えないくらい、ただ新しい階を様子見した、という程度のことではあったが、一度も倒れることなく帰ってきたのも事実だ。
ジューローは目を閉じ、ゆっくりと細く長い息を吐いた。
馬鹿馬鹿しい。
ジューローは鼻で笑って、冷たい木の床に足を降ろした。
馬鹿馬鹿しい。馬鹿馬鹿しい。
もしも『そう』なら、よほど頭がいかれている。
もしも、ジューローが生きて帰ってきたことで、サナキルがあの苦痛をまた受け入れるというなら…いや、考えるのも馬鹿馬鹿しい。あり得ない。
素足のまま、ジューローはゆるゆると部屋を横切り、廊下に出てきた。
板張りだが軋ませることもなく歩を進ませ、扉の前に立った。
もしも、鍵が掛かっているなら、それでおしまい。あれは一度きりの事故だ。
もしも、鍵が掛かっていないのなら…。
痛いほどに冷え切った金属のノブに手をかけた。
音もなく、それはゆっくりと回った。
探索を進めていくと、無傷では済まないこともある。
あの素早い鳥以外の魔物も、上よりも強いものが多い。
特に刀も届かぬ上空から急降下して奇襲してくるトンボが厄介だった。1匹ならいいが、2匹の攻撃が集中すると、ジューローは余裕で死ねる。
その日は、ジューローのみならずアクシオンも死んだため、探索の途中だが糸で帰ってきた。ネクタルも持ってはいたのだが、蘇生させてもTPはかなり減っていたため、どのみちじきに探索中断になっただろう、ということで、薬泉院での蘇生を選択したのである。
アクシオンが院長により蘇生され、ジューローはアクシオンによって蘇生された。
金銭的には、それが一番有利ではあるのだが、毎回後回し、というのもあまりよい気分のものでもない。
くさくさした気分を紛らわそうと、ネルスたちが探索に出た後でサナキルの部屋へと向かった。
大して楽しい行為でも無いが、肉体的には少々すっきりしないでもないだろう。
だが、今晩に限って、ノブを回しても、かちり、と音を立てて阻まれるだけだった。
「…おい」
苛立った声を上げると、分厚い木の扉の向こうからかすかな人の気配がした。
「今日は、駄目だ。お前は死んだんだからな」
諭すような声音に、がつっと扉を蹴ったが、大した衝撃にもならなかった。
「言っただろう?お前は生き残ったら僕を抱くことが出来る。生きて帰れなかったら、褒美は無いに決まっているだろう?」
「ふざけるな」
恫喝するように低く唸ってやったが、扉はびくとも動かなかった。
確かに、そういう約束だった。
もちろん、文書で取り交わしたわけでもなし、サナキルとジューローが契約を摺り合わせたわけでもないが、何となくそういう約束をした、という気はしている。
理性ではサナキルの言うとおりだと分かっているが、この開かない扉が途轍もなく苛立たしい。自分が何にイライラしているのかも分からないまま、ジューローは思い切り嘲りを込めて吐き捨てた。
「そもそも、お前の体如きが本当に褒美になるとでも思っているのか?」
「当然だろう」
間をおくでもなく、即答でもない、極々普通の反応速度で、返答が戻ってきた。
故意に傷つける気満々で言ってやったのに、サナキルの声に悲しみも怒りも混じっていなかった。
むしろ「何故そんなことを言うのか」というような怪訝そうな色合いまで帯びている。
「このサナキル・ユクス・グリフォールを抱けるのは、世界中でお前一人に許された特権なんだぞ?これを褒美と言わずに何と言う」
頭の中が、一瞬沸騰しかけた。
またノブを回しかけて、辛うじて手の冷たさに我に返る。
「…お前は、馬鹿か」
「聞き飽きたな」
言葉通り、語尾にあくびのような間延びした感じが混じった。
「僕を抱きたくば、生きて帰ってくるんだな。そうしたら、いくらでも付き合ってやる」
扉から気配が離れた。
そのままベッドに戻るのだろう。
ジューローは、ノブの上の鍵穴を睨み付けた。
もしも、ジューローが本当の本気になれば、この扉を開けることは容易い。
いっそ、そうしてやろうか。
強引に叩き割って、殴り倒してでも尻を出させて…。
握り締めた拳を振り上げかけて、ジューローはゆっくりと息を吐いた。
馬鹿馬鹿しい。
そこまでして求めたら、本当にサナキルの体が『褒美』に相応しい価値がある、と言っているも同然ではないか。そんなことをしてやる義理は無い。更に増長させてどうする。
ジューローは鼻を鳴らし、きびすを返した。
馬鹿馬鹿しい。
本当に馬鹿馬鹿しい。
あんな、尻だけ出して使って終わり、のような代物に、何の価値があると言うのか。
まったくもって…くだらない。