雪の階層




 アクシオンは合理的な人間である。
 理屈が優先するので、感情的に動く人間の行動原理は、さっぱり理解できない。
 そういう自分の特性も理解しているので、ある程度は努力して他人の行動の裏を読んだりもするのだが、根本的に分かっていないので、自分とルークに被害が及ばなければ放置、という投げだし方をすることもある。
 というわけで。
 宴会の明け方、帰ってきたアクシオンは、ジューローとサナキルが<衝突>した事実を知り、サナキルの医学的処置も行ったのだが、本人がとやかく言っていないので、まあいいか、ということにした。
 もちろん、あまり突っ込んだ話はしていない。
 「念のためお伺いしておきますが、抵抗の意志を無視しての暴力行為ならば、ギルドから追放するなり何なり、始末しますが?」
 処置後に薬を飲ませながら、ジューローの処分について淡々と聞いただけだ。
 「いや、元を辿れば僕の意志だからな。問題無い」
 サナキルも淡々と答えたので、本人の言葉通り問題ないのだろうと判断した。アクシオンに、言葉の裏を読むとか、何故そんなことを言うのかの推測とか、そういう面倒くさいことをする習慣は無い。
 「今後も?」
 「そうだな」
 「では、潤滑油をお渡しします。事前に使用すれば、今よりはマシな状態になるはずです」
 「傷薬も頼む」
 「分かりました」
 後から聞いたルークは、何だってそんな冷静な会話になるかなぁ、と頭を抱えたが、実際サナキルがごく自然な態度だったので、アクシオンが反応して感情的になることも無かった。
 もっとも、そういうルークも、考えに考えた末、本人たちに任せるしかないか、という結論になったのだが。
 あまりにもギルド内部での立場とか探索に支障が出るようなら介入するが、それ以外は本人たちに関係の修復を期待したい。何せ、内容はともかく、お互いがその他大勢とは異なる意識を持っているのは確実なのだ。現時点では、どう見ても傷つけ合っているとしか思えない間柄だが、ひょっとしたらあれで愛情表現という可能性もなきにしもあらずだし。
 ということで、リーダーは二人に、「探索に差し支えるようなことはしないように」という注意だけ行った。ファニーは随分と不満そうだったが、肝心の若様がそれ以上のことを望んでいないので仕方が無い。
 まあ、一つだけ、実際的な介入もした。
 あまり、そういう関係を推奨する気も無いが、本人たちが(いや、その気なのはサナキルだけのようだったが)やる気なら、大人としてこのまま放置するわけにもいかなかったのである。
 そういうわけで、11階に挑む前に部屋替えが行われた。
 当初、東の端の一番良い部屋にサナキルが一人でいて、その隣には従者であるエルムとバースが入り、その隣に余った男であるジューローとスムートが住んでいた。
 しかし、何というか、思春期の少年だの元教育係だのが睡眠不足になるのもどうも気まずいので、エルム&バースと、ジューロー&スムートの部屋を交換したのである。もちろん、ジューローのベッドがサナキル側の壁際だ。
 いっそジューローとサナキルを一緒にすればいいのかもしれないが、まだそんな関係ではなさそうなので、次善の策、というやつである。
 こういう配置は、関係を認めるようでファニーは文句を言ったが、一応ジューローとサナキルの<衝突>については他の面々には内密であったので、表だって声は出せず、結局スルーされた。

 
 <種々の事情>により、11階に踏み込んだのは、ジューロー、アクシオン、ショークス、ルーク、そしてフロウだった。
 一応10階の炎の魔人がいた広場のマッピングも済ませてから、本格的に11階の探索を始める。
 上も暑いとは言えなかったが、外に比べると随分生ぬるい温度だったのに、この階層はすっかり雪と氷に覆われている。
 「懐かしいわ、こういう景色」
 相変わらずひらひらの薄衣一枚のフロウが柔らかく言った。
 「動きが鈍りそうですね。しっかり準備運動しておかないと」
 白衣の替わりに白いコートを着たアクシオンは、景色の美しさよりも、実際的な対処について考えていた。
 後衛のルークは、自分の吐いた息が真っ白になるのを眺めながら、鼻の下を擦った。少しぱりぱりとする。鼻からの息が凍り付いているらしい。
 「…で、ホントにその格好で良いわけ?」
 喉に通る冷たい空気に顔を顰めながらそう言うと、ジューローが振り返った。
 フロウ同様、相も変わらず半裸である。そりゃまあ、もうここまで来ると、素肌だろうが、一枚布があろうが、関係ないような気もしてきたが。
 「…別に」
 どうでもよさそうに答えて、ジューローは刀を抜いた。
 「凍り付いて、抜けなくならなければ、俺はそれでいい」
 「それはおそらく大丈夫でしょうね。湿度は高くないので、そこに水でもかけない限りは」
 メディックとしては、ジューローの防御についても気にしなければならない立場だろうが、基本、本人がいらないと言うならどうでもいいじゃないか、というのがアクシオンである。ジューローが死なないようにするのは、サナキルの役目だ。本人がそう言っているのだから、任せておけばいい。
 「んじゃ、ちょっと行ってみるか。敵も、下とは違うタイプだろうが…」
 青白く染まった景色を、地図に書きながら少しずつ進んでいく。
 そうして現れた敵は、雪の塊のような形をしていた。
 「氷の術式……効かないわね」
 一応術を放ってみたフロウが苦笑した。まあ、やる前から期待薄ではあった。こんな中に棲んでいる魔物が、氷の術式に弱いわけがない。
 「火の系統の術を覚える気は?」
 「熱いから嫌」
 「そりゃ、雪女的にはそうだわな」
 聞く前から答えが分かっていたルークはあっさり頷いた。ただ、そうなると、この階層ではフロウが役に立たない、ということである。もっとも、今までも時折採集の護衛をしていただけで、本格的な探索には出ていないが。
 「私向きの階層だと思ったのだけれど…」
 フロウはふわふわと薄衣をひらめかせながら苦笑した。他の人間が寒さのあまり縮こまるような温度えも、フロウにとっては心地よい日溜まりも同じだ。むしろ、この階こそ自分の出番だと思っていたのに。
 「まあ、今日は無理せず行っとこ。前が薄すぎるし」
 サナキルの代わりにフロウ、ということは、前衛がブシドーとメディックのツートップということである。そんな柔らかい前衛で無理をするほど、ルークは吹っ切れていない。
 どこかキリが良いところがあれば、そこまで、と思いながら進んでいくと、通路の左側に雪溜まりがあった。まだ誰も踏んでいない、柔らかそうな雪の土地を見るでもなく眺めていると、何かが動いた気がした。
 足を止めて見守っていると、先ほどから彷徨いている雪の魔物が数体蠢いていた。
 「どういう産まれ方するんだろうなぁ。こうやって、誰にも汚されていない新しい雪から産まれる、とか…」
 「ルークはロマンティストですねぇ」
 暢気に会話していると、向こうもこちらに気づいたようだった。数体の魔物がこちらを向き、吠えたりもしなかったのに、更に周囲から魔物が寄ってきていた。
 「…どうしよっか」
 「すでに敵意があるものに背を向けるのは危険だろう」
 ジューローが刀を抜く。
 しかし、既に雪の魔物は10数体まで集まってきている。さしものジューローも、一人で突っ込む気にはなれなかったようだった。
 背中を見せないまでも、積極的には戦いたくもないなぁ、と思いながら、向こうの出方を待つ。まだ距離があるので、むこうから攻めてくるならバラバラになるかもしれないし、もしも一団になって足並みを揃えてくるなら、こっちは全力で磁軸に逃げればいいことだ。
 見守っていると、更に増えた雪の魔物が、次第にくっついてきた。
 塊が次第に形を取り始め、見る見るうちに見上げるような巨体になる。
 「それでも形は維持してるんですねぇ。どうやって自分たちの形を確認しているんでしょうか」
 アクシオンがのんびりとメディックらしい発言をした。
 巨大な雪の魔物は、脅すように手を振り上げる。
 「どうする?動きは鈍そうだけどよ。逃げるんなら今だぜ?」
 ショークスの言葉に、フロウは目を細めて魔物を見、優雅に首を傾げた。
 「この温度では、自重を支えるだけの強度が保てないと思うわ。もう少し寒くないと…」
 一般人にはかなり寒いのだが、フロウにとってはまだまだ暖かいらしい。
 雪が重みで溶けていくと雪女が判断したのなら、それは有力な情報だろう。
 「もしこっちまで来たら、ジューロー、足の部分溶かしてやれ」
 「分かった」
 逃げる様子のない冒険者に、雪の魔物が「あれ?」と言うように動きを止めた。
 一歩こちらに踏みだしかけて…ぐずり、と崩れた。
 足がまず崩れ、体を投げ出すように倒れた魔物たちが、ぐしゃり、と潰れた。塊がうぞうぞと蠢き、形を取ろうとしていたが、徐々に動きが弱くなる。
 しばらくすると、また最初と同じく、誰も踏んでいないまっさらな雪溜まりのようになってしまった。
 ルークは用心しながらそれを踏み越え、きらきらしている玉を拾い上げた。
 「やっぱ、生まれたてで戦闘能力が低かった、とかなのかねぇ。そう考えると、可哀想だな」
 合体して大きく見せて、敵を追い払う、という生物としての知恵だったのだろう。難点は、冒険者の好奇心、というやつを計算に入れていなかったこと。
 まあ同情している場合でもない。何せ、成人(?)した魔物の方には、痛い目に遭わされているのだから。
 ルークは白く光る玉を荷物に入れて、肩をすくめてそこを後にした。ひょっとしたら、そこは雪の魔物の発生場所なのかもしれないが、溶かす手段も今はないし、溶かしたところで、結局また雪が積もっていくのではないかと思う。
 またここを通るときには、あの魔物が出てくるかもしれない、と警戒しておけばいい。

 結局、その日はもう少し進んだだけで終了した。
 歩いた先で、大きな鳥のような魔物に追われたのである。
 氷が地面から上向きに尖っている箇所があり、こちらはそこは通れず遠回りをしなければならないのに、あちらは浮いているせいで平気で追いかけてくるのだ。
 そのため少々目測を誤って、危うく追いつかれそうになってしまい、糸で帰ってきたのだった。
 サナキルがいるならともかく、薄い前衛と、氷の術式しか使えない錬金術師で強敵と戦う気はルークには無い。
 サナキルがいるから、とつい攻撃力アップの呪歌を先に覚えてしまったのだが、防御系の呪歌も覚えておいた方がいいかも知れないな、とルークは思った。
 何せ、あの坊ちゃんは、自分が攻撃を受ける、ということを前提に考えていて、全員を守る、という盾の使い方はしていないのだ。これから全体攻撃が増えると、それでは辛い場面もあるだろう。

 宿に帰ると、サナキルが興味津々で話を聞いてきた。まだ踏ん張りがきかなそうだったのでルークに留守番を命じられたが、本人はその必要を認めずやる気満々だったのである。
 「凍り付き、一面が雪と氷の階層か。寒そうだな。この国の夜と、どちらが寒いのだ?」
 ルークはアクシオンと顔を見合わせ、うーん、と首をひねった。
 「どっちもどっちって感じかなぁ」
 「あの中の方が、寒いというより痛い、という気はしましたが」
 ただ、風がないせいか、体まで凍り付きそうなほど寒い、という気はしない。ざくざく歩いて敵と戦っていれば、それなりに暖かいように思う。もちろん、汗をかいたりはしないが。
 「で、お前は防具を着ける気になったか?」
 くっくっと喉で笑いながらサナキルが聞いたので、ジューローの眉が上がった。
 横で聞いているルークの方がハラハラする。もうちょっとそっとしておけばいいのに、相変わらず構いだてをすることだ。
 「…いらん」
 ぶっきらぼうに言い捨てたジューローが部屋を出ようとしたのに、サナキルは更に笑いを含んだ声で言った。
 「やはり寒いのだろう?自分の部屋で布団に入り、ゆっくり温まるといい」
 ぴたりと足を止めたジューローが、くるりときびすを返して、暖炉から一番離れた椅子にがたんと音を立てて腰を下ろした。非常に分かり易い行動ではある。
 「明日には、僕も行くぞ」
 「まあ、そうなるだろうなぁ。フロウには悪いけど、戦力ダウンが厳しいし」
 当然のように宣言したサナキルに、ルークは頭を掻きながら同意した。
 そのフロウはあの階層が気に入ったらしく、狼たちと一緒に遊びに行っている。どうやら雪ん子の冷気は、フロウにとっては児戯も同然だったらしく、全く身の危険を感じていないようだった。
 「…こいつがいても、大した戦力にならんのは変わらんだろう」
 別の方向を向いたまま、ぼそりとジューローが呟いたが、サナキルは気にした様子もなく平然と言った。
 「1は0より多い。僕の剣でも、少々は傷を付けられる。…元より、僕が目指すのは防御力であって、攻撃力などおまけに過ぎないしな」
 ジューローとアクシオンを守る余裕まであるかどうかはともかく、少なくともサナキル個人の防御力がかなり高いのは確かなので、前衛の最後の砦という意味での信頼度は大きい。後衛としては、サナキルが踏ん張ってくれている間に自分たちはダメージを受けることなく攻撃出来るので、ありがたい存在だ。もちろん、ジューローとアクシオンが死なないに越したことは無いのだが。
 「雪と氷の階層か…楽しみだな。よし、金属鎧に油を塗っておこう」
 あまりにも低温になった金属は、自分の皮膚が張り付いてしまうことがある。どれだけ寒いか知らないが、出来る限りの準備はしておこう、とサナキルは立ち上がった。
 もう痛みは無いのだろう、軽い動作で部屋から出ていったサナキルを見送って、しばらく間をおいてからジューローが立ち上がった。
 「ジューロー」
 ルークは咄嗟に声をかけたが、人差し指を振りながら何を言うか考えてから、そのまま手を頭にやった。
 「…あ〜…いいや。本人の判断に任せるわ」
 黙ってルークを見つめていたジューローは、ふいっと身を返し、音もなく部屋から出ていった。
 机に肘を突き、何となく溜息を吐いたルークの頭の上に、アクシオンが顔を乗せた。
 「大丈夫ですよ。最悪、探索前からキュアです」
 「あ〜も〜すっげー心配」
 一応二人とも大人の範疇なのだから、本人たちのやりたいようにやらせる、という覚悟はしていたが、何となく危なっかしい気がして、つい口を出したくなる。
 「ルークも言ってたじゃないですか。探索に差し支えがないようにしろって。逆に言えば、探索に支障がなければ、何をしてもいいじゃないですか?」
 「まぁねぇ」
 本当にいいんだろうか。ギルドのリーダーとして、もう少し締め付けた方がいいんじゃなかろうか。ここで介入しておかないと、後々、もっと危なくなるんじゃないだろうか。
 いろいろ不安ばかりが過ぎるが、これがいわゆる「大きなお世話」というものであることも理解しているので、ルークはもう一度大きく息を吐いた。
 深呼吸することで、悩みも吐き出したルークは、頭上から抱きしめているアクシオンの腕に柔らかく噛みついた。
 「わ、やりましたね」
 お返しにアクシオンが耳を囓る。
 しばらくじゃれ合っていると、クゥとスムートが降りてきたので、中断して代わりのように3階の自分たちの部屋へと戻っていった。
 風通しのために開けておいた窓に手をかける。
 街の色々な音は聞こえてくるが、ごく近辺…ありていにいって真下…からは何も聞こえてこなかった。
 少しだけ考えてから、やはり鎧戸と窓をきっちり閉めた。これで、この部屋からの声も外には漏れないし…逆に外の音も聞こえない。
 夜に何が起こるかは、明日の朝に分かるだろう。



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