エルムの交流




 エルムたちは微妙に暇だった。
 赤く彩られたその森には、踏み込んだ者に絡みつこうと待ち受けている鋭い棘を持った蔦がところどころに生えていて、そこを器用に踏み越える術を持っているショークスがいるサナキルたちのパーティーが主に探索を進めていたからだ。
 合間合間でエルムたちも出ては行くのだが、すぐに棘床に阻まれて帰る羽目になっている。
 このパーティーでも進めるように、棘床攻略法を覚えられればいいのだが、生憎そういう知識を持った者はいないし、バースの回復量とTP量からいっても、無理に押し通るのは難しい。
 またきっと棘床の無い階もあるだろう、と待機はしているのだが…新しく入った雪狼たちを鍛えているレンジャーたちも交代で迷宮に入るため、なかなか出番が無い。
 今日もまた、暇になりそうだ。
 リーダーによると、9階に上がったは良いが、10階ではなく8階に通じる階段を見つけ、そして、その先にはやはり棘蔦だらけの地面があった、ということだから。
 何をしようかと裏庭に通じる戸口に腰掛けてぼんやりしていると、ぱたぱたと走り込んできた足音が、びっくりしたように止まった。
 目を上げると、そこには赤い帽子を被った少女が立っていた。時折見かけるその少女は、この宿の女将の娘だ。
 「…あ…あの…こ、こんにちは!」
 「こんにちは」
 エルムは、立ち上がろうかどうか悩んだが、どうやら己の容姿は『街の不良』に近いらしいので、少女を怯えさせてはいけないか、と思って、座ったまま少し首を傾げるだけにしておいた。
 ピンクの髪の少女は、おずおずと近づいてきた。ひょっとして、ここから中に入りたいんだろうか、と少し身じろぐと、ぴたりと足を止めた。
 「あ…あの…えっと…リーダーさんは…?」
 少女は手を胸のあたりでもじもじと組み合わせながら、エルムを見つめた。
 「…たぶん、寝てるけど…起こして来ようか?」
 気は進まないが。
 眠っているのなら良いが、少々寝る前の運動などされていたら、非常に気まずい。
 「う、ううん…なら、いい…のかな」
 少女が曖昧な表情で頷いたので、どうやらリーダーを呼ぶのは自分の意志では無いらしいと気づく。何かのお使いごとだろうか。
 「何か…用なのかな。僕でよければ、話を聞くけど…」
 少女は躊躇っていたが、もじもじと手を摺り合わせてから、小さな声で言った。
 「あの…魔物が出て…強いギルドを、早く呼んで来るようにって、酒場のおじさんに言われて…」
 「…え」
 エルムは思わず立ち上がった。
 どこでどんな魔物が出たのかは分からないが、わざわざ呼び出すなんて、かなり危急の依頼のような気がする。
 「分かった。…詳しいことは、酒場に行って、聞くよ」
 「う、うん…ありがとう」
 ほっとしたのか、少女はかすかに笑いかけて…けほけほと咳き込んだ。
 「ご、ごめんなさい…走って、帰ったから…」
 何か喉に引っかかったのだろうか、と足を踏み出しかけたが、それより早く、少女はやはり咳き込みながら身を翻し、宿の表へと駆けていった。走ると咳が出るというなら、あまり慌てると余計咳き込むんじゃないだろうか。
 けれど、あまりそっちを気にする余裕は無い。
 エルムは自分のパーティーを呼び集めるために、裏庭から中へと入っていった。

 酒場に寄って話を聞くと、どうやら上の方に棲む魔物が降りてきているらしい。なるべく早めに食い止めないと、街にまで降りてくると大変なことになる、という依頼だった。
 「10階か…まだ、我らはそこに向かう階段すら知らぬが…」
 ネルスが難しい顔をしてそう呟いたが、ともかくは行ってみよう、ということになった。ひょっとしたら、もう9階まで降りてきているかもしれないし。
 8階に通じる磁軸柱を使って降り立つと、辺りが騒然としていた。
 「止めろー!」
 「駄目だ、石化された!」
 「くそ、応援はまだか!」
 ネルスが、周囲を見回してから、真面目な顔で言ってのけた。
 「…手間が省けたな」
 どうやら、魔物の進軍は予想よりも早く、9階どころかもうこの階にまで降りてきているようだった。
 ばたばたと衛士たちが走っているが、どうも規律正しいとは言えず、どちらから魔物が来ているのかもよく分からない。
 「ともかくは、7階への階段を確保だな」
 下に降りていくのを防ぐのならば、下への階段を背後に進むのが分かり易い。
 そういう判断で磁軸柱から通路へと出ていくと、もう魔物の姿が一体見えた。
 走り回る衛士を一人捕まえて聞く。
 「魔物は何体だ?」
 「冒険者か!助かる!魔物は全部で3体、石化ブレスが厄介だ!」
 「分かった、衛士たちを7階への階段の前に集結させてくれ」
 「了解した!」
 冒険者に衛士の命令権は無いのだが、ネルスの指示にその衛士は飛びついた。どうもばらばらに走り回っていると思ったら、リーダー格が石化しているらしい。
 衛士たちの伝令が響き、階段へと走りゆくのに逆らうように、奥へと進んでいく。
 見えた魔物は、下の階にもいた石像のような魔物にそっくりだった。しかし、かなり衛士にも被害が出ているようだし、おそらく石化ブレスがきついのだろう。
 ぎちぎちと歩いてくるそれを前に、戦闘態勢を取る。
 「毒は効くまいな。ピエレッタ、睡眠を頼む」
 「はい、先生!」
 「後は、まあ…いつも通り行くか」
 とりあえずは様子見、と普通に攻撃すると、さすがに下の階の魔物とは体力が違い、すぐには倒すことが出来ない。しかし、幸い睡眠が効いて、敵がブレスを吐くこともない。
 砕けた魔物の素材を探す暇も無く、次の魔物が見えた。
 時折ファニーのサンダーショットも使いつつ、敵を眠らせながらがりがりと削っていく。
 最後の一体は、少し横から来ていたので気づくのが遅れたが、衛士たちが教えてくれたのでそちらに向かい、難なく倒すことが出来た。
 3体仕留めるところを衛士たちも見守っていたため、歓声が上がる。
 「石化した者たちの回収を急げ!」
 また散り始めた衛士たちの一人が、彼らの元にやってきた。
 「すまない、助かった。どこのギルドか、聞いておきたい」
 「ギルド<デイドリーム>」
 ネルスが答えると、衛士は口の中で復唱してから、面をぱかりと開けた。
 「あぁ、あの!」
 そんなにも目立つことをしていただろうか、そういえば、サラマンドラの脱皮を取ってきたばかりで知られているのか?とネルスが思っていると、兜から目だけを出した若い男は、くしゃりと笑った。
 「ブランの友達がいるギルドだな。本当に凄腕だったんだな…また、あいつが自慢しそうだ」
 口調は悔しそうだったが、どこか暖かな笑いが滲んでいるので、本気では無いらしい。
 衛士の目がきょろきょろと何かを探しているようだったので、エルムは一歩前に出た。
 「えっと…ブランさんの、お友達、ですか?」
 「あぁ、君が!…いやぁ、ブランの友達、というか、俺はかなり先輩にあたるんだけどな」
 「あ、すみません…」
 「いや、いいよ。本当に、聞いてた通り、真面目な子だなぁ」
 くすくすと笑って、衛士はまたがしゃりと面を降ろした。
 「君たちみたいに強くて、かつ公宮に協力的な冒険者は助かるよ。冒険者にも、いろいろいるからな」
 まあ、確かに、名誉と金銭だけを目的に冒険しているならば、街に魔物が降りようがどうなろうが全く関係が無いので、こういう事態にも協力することもないだろう。そう思えば、このギルドは随分とお人好しなのかもしれない。
 「ブランも、あと1週間もすれば公宮に戻る。そうしたら、君も是非遊びに来てくれ。それじゃ」
 片手を上げ、衛士は他の者と合流するべく鎧をがしゃがしゃ鳴らしながら走っていった。
 「エルムくんは、順調に衛士さんたちと知り合いになってくなぁ」
 「見事に男ばかりじゃがのぅ。女の衛士はおらぬのか」
 ピエレッタに感心したように言われて、曖昧に頷いた。相手の名も知らないのに、こういうのも知り合いになった、と言っていいのかどうか。
 自分の存在が、自分の周囲だけのことではなく、勝手に知らぬところで噂になっているというのは、少し怖いようにも思うが…ほんの少し、くすぐったいような気にもなった。エルムにとって、世界はとても狭くて小さなものだったのに、そのささやかな世界はいろんなところに通じていたらしい。
 とは言っても、自分の見えないところでの世界を想像するのはまだまだ難しく、エルムとしては、目の前の世界で精一杯やるしかないのだが。

 ついでに探索するか、という意見もあったのだが、石化ブレスを警戒して睡眠の呪を多用したため、ピエレッタのTPが僅かになってしまっていた。TPの無いカースメーカーなどレベル1戦士以下だ。
 実質4人で探索を進める必要もあるまい、ということで、結局糸で帰ることになった。
 一休みして、さて、何をするか、と考えて、そういえばちょうどいい時間ではないか、と気づいた。
 そう、カーマインのところに遊びに行くという、単純なようでいて何故か今まで果たせていない一大イベントである。
 むしろ、今日も駄目だろうと思いながら行く方が成功するんじゃないだろうか、と思いつつ、一応ピエレッタにも声をかけると、一緒に行くということになったので連れ立って居住区に向かう。
 冒険者区画から居住区への間の道で、エルムが何人もの地元民に声をかけられているのにピエレッタは驚いた。それにエルムも、いちいち礼をしているので顔見知りらしいし。
 「エルムくん、えらい馴染んでるなぁ」
 エルムは一瞬きょとんとしてから、あまり表情の変わらない顔を少しだけ傾げた。
 「主に、<カラーズ>の一員、と認められたのが、要因だと思いますが…」
 エルム本人がどうこうではなく、地元団体(?)である<カラーズ>のメンバーだから、準知り合い扱いされているというか。
 「いや、それでも凄いわ。うちなんか、ここでも興行しとったのに、全然知られとらんし…」
 「あ!パープルだ、パープルだ!」
 「誰がパープルやねん!」
 とりあえず突っ込んでからピエレッタは周囲を見回した。
 既に居住区に入っていたのだが、まだ一桁っぽい年齢の子供たちが、わーっと歓声を上げて逃げていった。もちろん、またすぐに遠巻きに近づいて、ブルーだパープルだとうるさかったが。
 「うちも<カラーズ>なんかい!」
 「そうなんでしょうね…一緒に捕まりましたし…」
 エルムは気にした様子もなく同意したが、ピエレッタは一瞬胃がずぅんと重くなった気がした。もちろん、ピエレッタは自分が<カラーズ>のメンバーだと思われようが何だろうが、どうでもいいといえばどうでもいい。しかし、あの捕縛されたことについては、非常に気が咎めているのだ。年上の自分が付いていながら、エルムが前科持ちになってしまった。根無し草の自分とは違って、エルムはええとこの出の坊ちゃんである。世間知らずの少年を悪事に巻き込んでしまうなんて、年上で世間ずれした自分が何とか回避するべきだったのに。
 微妙に暗雲漂わせたピエレッタの表情など見てもいない子供たちは、わいわいと騒いでいた。
 「パープルってさぁ、紅一点ってゆーんだぜ〜」
 「え〜、紫なのに?」
 「ばっかだなぁ、そう言う意味じゃねーんだよ、男ばっかの中に女が一人でいることだよ」
 「それって、ピンクだよな」
 「ピンクは空席じゃん!<カラーズ>は、えっと…こ、こ、こ…硬派なんだよ!」
 何かよく分からないが、ともかく<カラーズ>は不良集団でありながら、子供たちの人気者らしかった。大した悪さもしないと親たちも分かっているのだろう、関わるなとも言ってないらしい。
 「ねー、ブルーの兄ちゃん、鞭見せてー」
 「…いいよ。はい」
 商売道具をあっさり渡したエルムに、ピエレッタの方が手を伸ばしかけたが、どうやら戦闘用ではなく自前の方らしいので、手は空中で止めておいた。
 「へへへ、すっげー!」
 「あっ、いてっ!止めろよー」
 「…他人に向けるのは、禁止」
 鞭打つというよりは、単に紐を振り回しているかのような動作だったが、皮の鞭に当たった子供が悲鳴を上げたので、エルムはひょいっと鞭を取り上げた。何気ない動作だったが、子供本人はしっかり握りしめていたつもりだったらしく、また目をキラキラさせてエルムを見上げた。
 「すっげー!さすがはブルーだぜ!」
 「なー、ブルー、魔物の話してー」
 「もう公女さまに会った?」
 「今、どこまで行ったの?冒険者で一番になった?」」
 ちょっぴり距離を取っていたはずの子供たちが、いつの間にかすぐ近くまで寄ってきていた。エルムが子供たちの他愛のない質問にいちいち真面目に答えているのを微笑ましく眺めていたピエレッタの頭が、がくんと仰け反った。
 「何すんねん!」
 「わーい、パープルが怒った〜!」
 三つ編みを背後から引っ張った子供が、きゃあきゃあと逃げていく。
 「待ちぃや!お尻ぺんぺんしたる!」
 大人が本気で走れば子供などすぐに追いつくが、ピエレッタは真剣には走らなかった。代わりに、助走をつけて子供たちが走る横を身軽く回転し、ついでに子供の頭に手を突いて高く跳び、3回転ほどして地面に降り立った。
 思わず足を止めて目を輝かせる子供を両脇に抱えて、エルムのところまで戻ってくる。
 「パープルもすげー!」
 「かっこいー!」
 「ははん、当たり前や!うちは元ピエロやで!」
 「ねーねー、サーカスでお酢飲むってホント?」
 「象さん、見たことある?」
 ふと気づくと、エルムもピエレッタも子供まみれになっていた。
 それでも子供は素直なので、エルムとピエレッタがゆっくりと歩いていくのと同じ速度で周りを付いていっているだけで、一所に引き留めようとはしなかった。
 おかげで、思ったよりも時間は大幅にかかったが、ついにレッドことカーマインの家に辿り着くことが出来た。
 「あー、レッドの家だー」
 「レッドいるかなー」
 「おーい、レッドの兄ちゃん!ブルーの兄ちゃんが来たよー!」
 エルムが口に出すよりも早く、子供たちが声を上げてカーマインの家に突撃した。
 「ねーねー、<カラーズ>の秘密会議?」
 「…えっと…そんなような、ものかな。…<ナンバーズ>には、内緒だよ?」
 「分かった!内緒にする!」
 「お母さんにも言わない!」
 子供たちは大声で、絶対守らないだろう約束を叫んで、手を振った。名残惜しそうにピエレッタの服を掴んでいる子供もいたが、また来るから、という言葉を聞いて、渋々離れていった。
 「レッドいたよー!あー、もうみんないなくなってるー!」
 「なってるー!」
 カーマインの家から飛び出して来た子供たちも、慌てて皆と合流するべく走っていった。
 ようやく静かになったところで、エルムとピエレッタはどちらからともなく顔を見合わせた。
 「エルムくん、髪ぼさぼさやで」
 「ピエレッタさんも、三つ編みが…」
 「子供は、元気やねぇ」
 「そうですね」
 くすくす笑い合っていると、家の中から若い男が出てきた。
 相変わらず真っ赤に染めた髪が目立つ青年は、仕事着なのか服装はやたらと地味だった。
 「おー、ブルーにパープルかー。よく来たな!ま、入れよ!」
 満面の笑みで手を振られ、エルムとピエレッタは歩き始めた。
 カーマインの家は、家具職人らしく、庭には丸太と材木が並べられ、仕事道具も転がっていた。
 けれど、その石造りの家に何となく違和感を感じて、エルムは足を止めた。特に変わったところもない造りのはずなのに、何となくちぐはぐな気がする。何かが足りないのだろうか、と首を傾げたエルムは、しげしげと家を見つつ歩行を再開した。
 戸口まで行って、ようやくその違和感の正体に思い当たる。
 何のことはない、その家は左右で新しさが違っていたのだ。おそらく建て増ししたのだろう、と納得して、エルムはカーマインに付いて家に入っていった。
 「…お邪魔します」
 「よー、母ちゃん、客なー!」
 「…お構いなく」
 ぼそぼそ言うエルムは無視して、カーマインは二人を自分の部屋と思しきところへと案内した。
 その年代の青年らしく、適度に散らかった部屋を足で掻き分け、カーマインに勧められたイスに座る。さすがは家具職人の家、ただのイスなのに、背もたれには細かい模様が彫られていた。もっとも、緻密とは言い難いので、カーマインの習作なのかもしれない。
 「へー、あんた、見かけによらん趣味しとるね」
 机の上には、木彫りの小鳥が複数転がっていた。ちょうど手のひらに乗るくらいの大きさで、本物よりも少し丸いのも相まって、非常に可愛らしい。
 「おー、彫りの練習にな」
 カーマインはその一つを取り上げて、ひょいと差し出したので、エルムは思わず受け取った。
 「やるわ。結構自信作だぜ?」
 「え…あ、えと…」
 家族以外の人間から何か貰ったことのないエルムは、何度も瞬いて、どう言えばいいのか言葉を探した。
 「い…いいんですか?」
 「おー、お前なら…つぅか、邪魔か?」
 「いえ…自分の部屋に、飾っておきます。…あ、ありがとうございます」
 思い出したように礼を言うと、カーマインは明るく笑ってエルムの髪をくしゃくしゃと掻き回した。
 「あーもー可愛いったら!」
 またピエレッタが眉をつり上げ、エルムくんから離れや!と叫ぶ直前、ドアがノックされた。
 「とりあえずお茶だよ。スフレでも焼くから、ゆっくりしておくれ」
 「あ…どうも、その…お構い下さいませんよう…」
 カーマインの母親と思しき女性に頭を下げると、その女性は一瞬動きを止めてから、笑い出した。
 「あぁ、本当に育ちの良い子だこと!うちのが悪いこと教えなきゃいいんだけど!」
 「うるせーよ、さっさと出てけよ」
 盆を受け取ったカーマインが、しっしっと手を振ったが、カーマイン母は気にした様子もなくエルムを上から下まで観察していた。エルムはちょっと困ったように眉を寄せて、その視線に晒されていたが、何となく何かを探しているかのような視線だと思いついて、一体何を期待されているのだろう、と母を見返した。
 その黒髪の女性は、思う存分エルムを見てから、一つ頷いた。
 「うん、まあ、赤の他人だね。あんまり似てても辛いからね…このくらいなら、うちに来てくれてもいい」
 「……は?」
 一応、疑問の声を出したが、うっすらと推測はしていた。どうやら周囲の反応を見るに、カーマインが自分を構うのには、納得できる理由があるらしいし。
 「ま、そこでスフレを作っちまうあたしもあたしなんだけどね。…気に入ってくれりゃいいんだけど」
 どこか寂しそうな顔で笑ったカーマイン母は、エルムの頭をぽんぽん撫でて、部屋を出ていった。
 さすがに口を挟めずにいたピエレッタが、じーっとカーマインを見つめる。
 カーマインは、何度か頭をがりがりと掻き…一つ大きく息を吐いて、ベッドに座った。
 「…弟がいたんだわ、俺」
 「エルムくん似の?」
 「まーなー。見た目より、何つーか…くそ真面目な反応っつーか、見てて危なっかしい感じが似てるんだよなー」
 カーマインは、エルムの方は見ずに、また音が聞こえるほど頭を掻いた。
 窓の外にちらりと目をやって、淡々と説明する。
 「世界樹さまはよ、俺らにとってすっげー大事なもので、ハイ・ラガードの国民は、皆、世界樹さまを誇りに思ってる。うちなんかよ、とりわけ家具職人だし、世界樹さまの枝なんか手に入ろうもんなら最高の栄誉っつぅか、そりゃもう大事に細工するんだが…」
 カーマインは、そこで切って、親指で壁を指した。そこには、最初に出会った時にカーマインの腰に吊り下げられていた長剣が掛けられていた。
 「俺はよ、冒険者になりたくてよー。まー、何つーの?決められた職業への反抗?青春の足掻き?…結構、本気で訓練してみたりよ、小遣い貯めて、剣買ってみたり…」
 エルムは、最初に出会った時のことを思い出してみた。腰に下げられた剣は、とても自然に馴染んでいて、素人が洒落で下げている姿とは異なっていた。本当にソードマンとして訓練を積み、樹海に向かえるくらいの実力はあったのだろうと思う。
 「俺は長男だけどよ、親父はまだピンピンしてっし…それに、うちのクリムソン…あ、弟な、クリムがいい子でな、『後のことは僕が引き受けるから、兄ちゃんは兄ちゃんの好きなようにすればいいよ』なんて言ってくれてよ」
 カーマインは懐かしそうに笑ったが、僅かに唇が歪んでいた。
 エルムは眉を寄せて、隣に座るピエレッタをちらりと見た。混ぜ返しもせずに、同じく眉間に皺を寄せて聞いている。ピエレッタにも分かっているのだろう。この話の行き先が。
 カーマインは、ぎしりとベッドを軋ませながら反り返り、腕を後ろに突いて天井を見上げた。
 「マジ、いい子だったんだよな〜。ホント、できた弟でよ…くそ真面目で、何事にも真剣で、にこにこしながら仕事引き受けて…俺も、そりゃ、兄貴としての責任として、俺が跡を継いで、あいつを自由にさせてやるべきだ〜なんて分かっちゃいたが、言葉に甘えてよ。…冒険者として、やっていこうとしたんだ」
 カーマインは、天井を見上げたまま、人差し指を上に向けた。
 釣られてエルムも上を見る。ただの天井であって、何も無いように思えたが、何かあるのだろうか、と梁や木目を見つめる。
 「俺が、世界樹さまに向かった日。…枝が、落ちてきた」
 一瞬、何を言われているのか、分からなかった。
 いや、内容は分かるのだが、何故、それが重要なのかが分からなかった。
 樹木から、枝が落ちる。
 それは、普通にありそうなことであって、とりたてて言うほどでも…と考えてから、世界樹の<大きさ>に思いが至る。
 「ま、よくあることじゃああるんだ。樹木だからな。だから、時々、冒険者に頼んで、重そうな枝は伐って貰ったりするんだが…風が強い日でもなかったのに、その日はやけに上が騒がしくてよ。何本もの枝が折れて落ちてきて…」
 エルムの視線では、カーマインの表情は分からなかった。
 ただ、反らせた喉から口元のあたりが、小さく震えているのだけは、見てとれた。
 「俺はよ、そん時、暢気に『あ〜、こりゃうちも商売繁盛だわ、幸先いいや』なんて思ってよ。そのまま1階に入って、わーわーと戦って、入り口辺りでウロウロしただけだが一端の冒険者になったつもりで、興奮して家に帰って…」
 ふぅ、と小さく息を吐く。
 「家が、半分、潰れてた。運悪く、その日落ちた中じゃあ一番でっけぇのがうちを直撃して…これまた運悪くクリムがうちの中にいて、折れた梁が運悪く胸に突き刺さってよ。…薬泉院の院長でも、どうしようも無かった」
 カーマインは、ようやく天井から目を逸らし、エルムを見て苦笑しながら両手を広げた。
 「ま、そんな訳で、俺はこの歳になって今更家具職人の訓練を始めたって訳だ」
 なるほど、とエルムは頷いた。
 家の半分だけ新築っぽい感じがしたこと、カーマインの年齢で、まだ一人前の職人では無いこと、それから周囲の人たちの反応。
 ようやく納得できる理由を得られた気がする。
 そんなにそのクリムソンという弟は自分に似ているのだろうか、とエルムが考えていると、横から鼻を啜るような音がしたので振り向いた。
 「…あかん〜…うち、そういう話に弱いねん…」
 ピエレッタが鼻を真っ赤にして、手でごしごしと目元と鼻を擦っていた。
 あれ、と首を傾げてから、一般論として、弟が亡くなった話、というのは『泣ける話』というカテゴリーなんだ、と認識する。謎が解けた、という爽快感が勝ってしまって、カーマインの心情にまで思い至らなかった。
 困ったな、どう言えば良いんだろう、とエルムが眉を寄せて悩んでいると、カーマインは明るく笑って手を振った。
 「辛気くせー話して悪かったな。もうじきおふくろがスフレ焼いてくるからよ、ま、食ってくれ」
 「ひょっとして…弟さんの好物だった…とかですか?」
 「まーそんなとこだ」
 もしも口に合わなかったらどうしよう、がっかりさせるだろうか、それとも死んだ息子とは似ていないところが多い方が心穏やかになるのだろうか。
 やっぱり、まだまだ自分には他人の心を思いやることが難しいんだな、とエルムは溜息を吐く。
 家族を亡くした人なんて、会うのは初めてだし。知識として「本当に惜しい方を亡くして…」だとか「このたびはご愁傷様でございました」だとか言うものだとは分かっているのだが、今、この場に相応しい対応とは思えない。
 真っ赤な顔でえぐえぐと泣いているピエレッタを横目で見て、いいな、と思う。とても自分に正直で…素直で可愛い女性だ。
 そんな風に思ってから、エルムは自分の心が導き出した言葉に驚いた。相手は年上で、自分よりも世間に慣れている女性なのだから、まるで年下の女の子に対するような「可愛い」という単語が出てくるのはおかしいはずだ。
 少しの間、エルムは首を傾げていたが、まあいいか、と頭を切り替えることにした。ここは初めて訪ねてきたカーマインの家で、いつものようにつらつらと熟考するべき場所ではない。

 そうして、僅かなぎこちなさを醸しつつも、カーマインやカーマイン母と和やかな談笑をしていったのだった。



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