異なる道徳観念
抜けた先は、まだ確認していない広場だった。
サナキルは鎧の隙間の布を取ろうとしたが、さすがに金属の手甲のままでは扱いにくい。仕方なく、手甲だけは外して裸指で詰め込んだ布を引っ張っていった。
アクシオンとショークスは、もこもことした赤い布のようなものを手に話し合っていたが、ルークが抜けてくるのと同時に振り向いた。
「お疲れさまです。焦げてませんか?」
「たぶんねー」
ルークが身を捻ってマントの裾を確認したが、熱を持っただけで燃えてはいないようだった。
「坊ちゃんも、大丈夫?」
「無論。僕の防御力が最も高いからこそ、一番敵に近い場所に置いたのだろう?それこそ、騎士として当然の責務だ」
半分は、そうだ。半分は、奥まで駆け込んで羽毛を探すのは身軽な人間の方がいい、という判断をされたためだが。
結果的には、一番危険な位置にいたことになったが、サナキルはそれを『己の防御力が信頼されているため』と取ったので、全く怒ってはいなかった。むしろ、当然のこととして受け止めている。
鎧から全て邪魔ものを取り外したサナキルは、いつも通りがしゃがしゃと音を立てながら手甲を着けた。
その邪魔な布があったから、いつもよりも動きが悪くて危険も大きくなったのだが…それについて文句を言うつもりは無い。己が選択した行動の責任は己が取るのが当然と弁えているところは、甘やかされていたとは言え、きっちりと騎士として叩き込まれた成果だ。
ルークはアクシオンが手にしたものを確認した。
脱皮、と言われると爬虫類のようだが、そこにあるのはまるで鳥の皮を剥いだような代物だった。さっきの紫っぽいぬめった体は、脱皮した直後なのだろうか。毛を毟った後の鳥、と言えば、そんな感じもしたが。
これで正解なのかどうかは分からないが、何にせよ、見つけたのはこれだと言って持って行くしか無い。
さて、帰ろうか、もう少し探索しようか、と考えたが、大臣の話ではこれは『必要な材料の一つ』に過ぎないようだったので、そんなに差し迫ったものでも無いと推測された。
「これを届けたら、また新しく材料取ってこいって言われそうな気もするなー」
第一、その聖杯とやらも持っているのかどうか。
「そういや、この手の依頼を進めていったら、姫さんのご尊顔を拝せるかもとか言ってたな〜」
拝せる、と断言しなかったあたりが大臣らしい。まあ、たかが冒険者を大事な姫様、しかも現在は王代理までやってるような立場の人間に会わせるような大臣など、危機意識が薄いにもほどがあるというものだが。
「ひょっとしたら、王の命の恩人〜とか言って、婿に選ばれるかもしんないし、今度は坊ちゃんも一緒に行ってみる?」
「はぁ?」
サナキルは怪訝そうな声を上げてから、何度か瞬きして首を傾げた。
ルークはこっそりとジューローの様子を観察した。種類はともかく、ジューローがサナキルを特別に意識しているのは明らかであったため、結婚話など持ち出せばどうなるか、と興味を持ったのだが…馬鹿にしたように鼻を鳴らす様子はいつも通り過ぎて、いつも以上に機嫌を損ねたのかどうかはよく分からなかった。
「それは、無いな」
ルークの冗談めかした口調とは正反対に、サナキルは生真面目に返した。
「グリフォール家の者とは言えたかが三男である僕でさえ、結婚相手の候補者は生まれた時から存在する。王家の姫となれば、国家外交の基本戦略に組み込まれているだろう。その辺の冒険者如きと結婚など問題外だ」
さすがは聖騎士さまだ。その辺はやたらと現実的で夢が無い。
「やれやれ、やっぱ吟遊詩人が歌う冒険譚みたいにうまくはいかないもんだねぇ」
ルークが嘆くように言ったが、まさか本気で姫と冒険者如きが結婚できるとは思ってはいないだろう。もちろん、ルーク本人が結婚したいと思っているとは欠片も思わない。他人が見ても、ルークはアクシオンにべた惚れだ。
「…だが、まだ結婚してはいないのだな。貴族なら、もうしている年齢だろうに」
ぼそりとジューローに言われて、サナキルはくすくすと面白そうに笑った。
「だろうな。僕自身は、まだ早いと思うが…いかにも、既に結婚していた可能性もあった。もし、そうなっていれば、こんなところに来られなかっただろうな。そう思うと、僕は幸運なのだろう」
笑いながら立てた指は3本。
「赤子の時から決められていた候補者は3人。既に生まれていた娘が一人、もしも娘が生まれたら、という約束が二人」
「貴族のことはよく分かりませんが…婚約者、というのは、普通は一人じゃないんですか?」
アクシオンが怪訝そうに問うと、サナキルはあっさりと頷いた。
「婚約者、という段階まで行けば、一人だろうが、その婚約者に至るまでの候補者なら複数いてもおかしくなかろう。僕が生まれてから、結婚するまでには短く見積もっても15年かかかるのだし。実際、一人は途中で脱落した。利益は大きいが禁じられている品の密輸をして家が取り潰されてな。娘だけでも助けたかったのか、妾でも良いから、という話はあったようだが…グリフォール家には全くこれっぽっちも利益が無い話だったので断った」
当然のことを言うように、さくさくと説明したサナキルは1本指を折った。
「もう一人も、少々派閥関係が変わったため、結びつきはいらない、という結論になったんだろう、どちらからともなく解消。で、もう一人は婚約者になるという取り決めを交わす直前に、惚れた男がいるのどうのという話をぶちまけて解消。別に僕は相手が身重だろうがどうでもよかったのだが、母上が激怒されてな…結局、現在の僕の婚約者は8歳なので、おそらく結婚は4年後以降だろう」
サナキルは気にした様子もなく説明しているが、聞いている方は背筋が冷えるような話だ。
貴族の結婚なんて本人の意思に関わらず周囲が決めるもの…という知識はあったものの、ここまで計算ずくで、しかも本人も当然だと思っているとは思っていなかった。
「実はリヒャルトってフリーダムだったのか…」
冒険者の娘を連れて帰って妻にしているかつての仲間を思い出して、ルークは独りごちた。本人が「次男なので大丈夫」と言ってはいたが、リヒャルトのセントレル家もグリフォール家と同程度の家柄のはずだ。
「セントレルは…まあ、あれは無骨な家柄だからな。それでも、長兄は同じく五星騎士団一族の娘を娶っている。我がグリフォール家は…何というか、正直…家柄と財力重視で婚姻を決めているのでな」
あまり認めたくはなさそうにサナキルはもごもごと言った。
王族に近い家系とはいえ、聖騎士の一族なのだ。財力重視、というのは、少々恥ずかしい。その増え続ける財によって、国家に寄与していると分かってはいても、だ。
「8歳の子が婚約者、ねぇ…坊ちゃん18歳だっけ?16と26になったら、そんなおかしくもねぇか」
何とか納得しようとしているらしいショークスが、指を折って、うんうんと頷いた。
「可愛い子?」
「さぁ。普通に小さい子供が愛らしいと言う意味で、可愛い子だとは言えるだろうが。新年会で年に一度会うくらいだから、大して…あぁ、上がああなったので、かなり箱入りに育ててるという話は聞いたか」
どうでもよさそうにサナキルは肩をすくめた。本当に、自分の妻がどんな娘であろうと気にならないのだ。その純粋培養箱入り娘だろうと、庶民の男の子を孕んで勘当された姉の方だろうと、要はグリフォール家とその家の結びつきなので、サナキルにはどうでもいい話だ。
「自由恋愛したいとかは、思わないわけ?」
「そういう余地が無かった」
サナキルは苦笑して、自由恋愛している男たちを見た。
「僕の周囲は完璧に固められていて…もしも僕がそれを自由恋愛だと思ったとしても、実は家の手が入っているというか…」
どう説明したものか、と首を傾げてから、サナキルは「あぁ」と手を打った。
「たとえば、ファニーだ。あれは僕付きのメイドだが、仮に僕があれに恋をしたとしたら、おそらく肉体的な勉強もあれから為される手はずになっているはずだ」
「な、何か凄い世界だな…」
「出来れば、僕もそういう理解はしたくなかったのだが…三男ともなると、いろいろ綻びも出るんだろう。思春期を迎えた頃には、薄々感づいてしまったんだ」
仮に熱を上げて手を出しても、問題の無い女たちとしか接触する機会が無いように操作されていた。それに気づいてはいたが、反発してわざわざ下賤な輩と接触する必要もなかろうと何も行動はしなかった。もっとも、それを不快と感じなかったわけではなかったので、分かっていながら期待には応えず、周囲の女性たちと接触は求めなかったが。
「ま、父上も母上も、兄上たちも、皆、政略結婚だが、それなりにうまくやっている。自由恋愛など、一生せずとも問題なかろう」
自由恋愛というものを許される立場だと思ってもいなかったので、それが可能だとも思わないし。そもそも、どういうものが恋愛感情なのかすら、興味が無いのだ。
ルークも吟遊詩人の端くれ、貴族の生活については、一般人よりも理解していると思っていたが…やはり本物から聞くと迫力が違う。そこまで管理されていて窮屈では無いのだろうか。
まあ、結婚は政略でも、そこから妾を囲うとか、いろいろと手段はあるのかもしれないが。
ちらりとジューローを見たが、反応はあまりない。いつも通り、興味なさそうにそっぽを向いて、刀の柄を握っていつでも斬り掛かれる体勢で立っている。
「東国ではどうなんだ?やっぱ貴族は政略結婚?」
「…そうだな。8歳で嫁入りも、あり得ない話では無い」
低い声でそう答えたジューローの手が動いた。
一瞬で抜き放たれた刀が、はらりと落ちてきた真っ赤な葉を切断し、また鞘に収められる。
「俺は、それの嫁も、この国の姫も、興味が無い。さっさと戦いたいのだが」
皮肉っぽい口調でそう言って、ジューローが正面から睨んできたので、ルークは苦笑いしてぱたぱたとマントを払った。
「はいはい、ごめんごめん。んじゃ、荷物しまって、行こうか。まずは、磁軸柱までの道を確認して、出来れば9階に向かう階段を見つけよう」
無事任務を達成出来たせいでも無いだろうが、少々気が緩んでいたのかもしれない。
少し進んだ先で、倒れている衛士を見つけたアクシオンが駆け寄ったはいいが、それを倒した魔物もまだすぐ側にいたのだ。
まるで猿のような顔をして角をふりかざした魔物が、一番近くにいたアクシオンをその角で跳ね上げた。
その体が落ちる様子は、完全に力を失っていて、全く受け身を取っていなかった。
「…一撃か」
ぼそりと呟いたジューローが刀を抜く。
「こりゃやばいかな」
ネクタルを用意してアクシオンの口に含ませたルークが、次に跳ね上げられてやっぱり一撃で倒れたジューローを見て、顔をひきつらせた。
「僕が相手だ!」
盾を構え、これ以上は倒されないようサナキルが挑発する。
期待通り、その魔物の角は今度はサナキルに向かってきたが、覚悟していたので腕が痺れるほどのその攻撃も何とか受け止めることが出来た。
アクシオンは、一瞬己の回復とジューローの蘇生とどちらを優先するか悩んだが、どのみちHP満タンでも一撃でやられたのだ。どちらに攻撃が来るかは賭だし、とジューローを蘇生させた。何より、防御で手一杯のサナキルと、ちまちまとした弓での攻撃の後衛二人では、埒が開かないと思ったのもある。
蘇生したばかりでふらふらながらも、ジューローが魔物を切り裂く。
結局、それがかなり効いたのと、攻撃がサナキルに集中したのとで、どうにか倒すことが出来た。
「この階では、初めて見る敵だったな」
ひょっとしたら上の階の魔物なのかもしれない。まだまだぎりぎりで戦っているのだと思い知らされる。
まだじゅくじゅくと白衣に血を滲ませて、アクシオンがキュアの用意をした
…が。
「おい、敵だぞ!」
ショークスが警戒の声を上げる。
新しい魔物に気を取られている隙に近づいて来ていたらしい、鎧をまとった亀のような硬い魔物が首を引っ込めて尻尾を振った。
普段なら、さして手強い敵でも無かった。
しかし、アクシオンとジューローは弱ったままで、更にこちらの防御力を下げるノヅチたちも加わったため、危険な状態に陥った。
「…しょうがないですね。任せます」
既に死んだジューローと、傷の増えたサナキルと、ぼろぼろの己を鑑みて、アクシオンはキュアをサナキルにかけ、倒れた。
残されたサナキルは、パリィの構えをする。
「これの攻撃は僕が引き受ける!お前たちで倒せ!」
「…ま、時間はかかるがな」
幸い、鎧竜の攻撃は単純で、サナキルの腕でも全部捌くことが出来た。
その間に、ちまちまちまちまちまちまちまちま、弓で攻撃した二人がダメージを積み重ねていく。
ひどく時間がかかり、そろそろサナキルのTPも切れる、という頃、ようやく鎧竜が動きを止めた。
はぁ、と息を吐き、サナキルは盾を地面に突き刺して、それに体重を預けた。
挑発して、パリィで捌く。
それは、サナキルが選択した戦術だったが、初めて役に立った気がする。もしもパリィ出来なければ、攻撃がサナキル一人に集中し、すぐに倒れて、結局は全滅したかもしれない。
けれど、役に立ったとは思うものの、達成感はまるで無い。
サナキルは、もう一度息を吐いて、のろのろと動いて転がっている死体を見た。
本来なら、全員が生き残るための戦術だったはずだ。前衛一人残って行うものではない。
ルークがアクシオンの体を抱き上げた。
「ネクタルは?」
「使い切っちゃった。また補充しとくわ」
メディックが蘇生できるからと2本しか持ってきていなかったので、もう無いのだ。まさか連続で使う羽目になるとは思っていなかったし。
「ショークス、その衛士の確認してくれ」
「あいよ」
となると、自然の成り行きとして、サナキルがジューローを抱える羽目になる。
ジューローはよく死ぬ。
だが、何度触れても、冷たくなってぐんにゃりした体に慣れることはない。
ショークスが、衛士が手に持っていた地図を取り上げている様子を見ながら、サナキルは小さく呟いた。
「また…守れなかったな、僕は」
一体、いつになったら、言葉通りこの男を守れるようになるのだろう。
守ると決めた相手一人守れぬようで、騎士などと言えるだろうか。
「…くそっ!」
サナキルにしては珍しく汚い言葉で罵って己の盾を殴るのを見て、ルークは眉を上げた。
「坊ちゃん、そんなに、気にしないの。敵が強かっただけだって」
「だが…!」
振り向いたサナキルは、ルークが力のないアクシオンの腕を持って、ぱたぱたと振っているのを見て、少し脱力した。
「…よくまあ、己の恋人の死体を抱えて、平気でいられるな」
「平気ってわけでも無いけどね。…こういうのに、慣れたくないんだけど」
苦笑しながらルークがアクシオンの体を抱え直す。
「まー、どうしてもメディックは鎧が薄いしねー。誰から回復するかは、アクシオンの判断に任せてるし…」
ひょっとしたら、アザステを使ってキュアを自分にかけていればアクシオンは今頃死んでいなかったかもしれない。けれど、その場合、サナキルの傷も積み重なっていたし、結局は攻撃できずに回復で手一杯、しかもショークスの手数まで奪うことになっていたかもしれない。
「坊ちゃんに任せたら、無事に敵を倒せるって判断したんだろ。その期待に応えたってことで、もうちょっと嬉しそうにしなさいって」
「…とても、誇らしくは思えんな」
サナキルは本音を吐いて、そのぐんにゃりと重いジューローの体を揺すり上げた。何とかこれ以上傷を付けないように、とは思うが、身長差とサナキルの腕力の問題で、どうにも足先が地面に擦れる。
何とか肩に担いだサナキルの元に、ショークスが戻ってきた。地図と、衛士の死体を抱えている。
「そういや、公宮でも地図作製のため衛士を送り込んでるって言ってたな。…もうちょっと、実力付けてから潜ればいいのに…」
王が病と知れば、迷宮の探索を急ぐ気持ちも分からないでもないが、そのせいで衛士たちが死んでいっている姿を見ると、あまり良い気はしない。その聡明でお美しい姫様とやらは、ちゃんと衛士たちの犠牲を知っているのだろうか、とさえ思う。
「ま、こっちも余裕無いな。帰って薬泉院に行こう」
生者が3人に死体が3つ、という構成で、重苦しい溜息をと共に糸が巻かれて入り口へと引き寄せられた。
衛士の死体は入り口の衛士に渡されたので、薬泉院にはいつもの5人で行く。
「相変わらず、よく死んでいるようですね」
眼鏡の院長が、ジューローを前に溜息を吐く。
サナキルを責めているつもりは無いのだろうが、なんとなくむっとして唇を尖らせていると、院長が振り向いたので慌てて表情を取り繕った。
「せめて鎧を着けるよう、仲間の方から言って下さいませんか?」
言っても聞かない、だとか。
そもそも、聞いてすらくれない、だとか。
ジューローが己を仲間と認めているのかどうか、だとか。
そういう反論は頭の中で渦巻いたが、サナキルは曖昧に頷いた。心配しているのは、サナキルも同じだ。むしろ、側でいつもいる自分の方が、院長よりも心配の度合いは強い、と思う。
蘇生され、キュアによって回復したジューローは、いつも通り不機嫌そうだった。
無言で起き上がってベッドから降りようとするのを遮るように、サナキルはジューローを見下ろしながらぼそりと言った。
「せめて鎧を着けろ、と…その、院長が言ったぞ」
「俺の自由だ」
面倒くさそうにそう言って、ジューローが手で軽くサナキルを押した。素直に一歩下がると、サナキルの体とベッドの間の狭い空間にジューローが立ち上がった。
「僕は、ブシドーの流儀など知らないし、鎧が動きを妨げる、というのも理解はするのだが…それでも、敵の攻撃に対し、布一枚でもかなり違う、というのも知っているぞ。己が生き残るために、もう少し妥協は出来ないのか?」
ジューローの目をまっすぐ見上げると、片頬が歪み、何か言いたそうに目の中に様々な色が踊ったが、結局は鼻を鳴らした。
「お前が、守り損ねたのを、俺のせいにするな」
サナキルの眉が寄る。
確かに、ジューローを守ると言ったし、己の実力不足で守れていないのも認めよう。
それでも、いくら守ろうとしても、本人の協力無しでは…。
そう考えてから、サナキルは眉間に皺を寄せたままジューローを見つめた。
「まさか、お前は、生き残ろうという意志が無いのか?」
必ず生き延びる、という信念を持った者に道は拓ける。もしも、生きようという意志がなければ、いくら周囲が生き残らせようと頑張っても無駄になる。
ジューローの黒い瞳が、ゆっくりと闇に覆われる。
熱の無い目でしばらくサナキルを見下ろして。
「…どうでもいい」
気怠そうに呟いて、ジューローはサナキルを肩を押した。
すたすたと歩いていく背中を見送りながら、サナキルは唇を噛んだ。
そもそもの、基本の部分が間違っていたのだ、と思う。
いくら盾の腕を磨き、敵の攻撃を受けることに長けたとしても、生きる意志の無い人間を生きさせるのは至難の業だ。
もしも、何が何でも生きて帰ろうという熱意を持っていたならば、サナキルも全力をもって守り抜くのに。
既に家族もなく、故郷もない。ただ生き延びるために他人を殺して、この国に逃げ込んだ男。
それでも、ただ野垂れ死ぬ気は無かったようなので、自殺願望までは無いのだろうが…。
ジューローが興味を持っているのは何だろう。
名誉や金銭欲が強いようにも思えない。
強くなることには執着しているようだが、その強さを何に生かすというのでも無い。ただ『もっと強い』敵を戦おうとするだけだ。そして、『もっと強い』敵には、よく殺される、と。
何を目的とすれば、生きたいと思わせることが出来るだろう。
サナキルは己を振り返ってみたが、騎士にとって生き抜くことは当たり前であり過ぎて、分析も出来ない。どうやって呼吸しているの?と聞かれたようなものだ。
いったい、どうすれば、生きたいと思わせることが出来るのだろう。