その頃のレンジャーたち




 クゥはうるさい兄が3日間もいない、ということで、上機嫌だった。
 「スムート、お買い物行こっ!」
 恋人の腕にぎゅうっと自分の腕を絡めて見上げると、きょとんとした顔で見下ろされた。
 「え…何か、必要なものがあったかな」
 男ってものは、何だって「買いたいものがあるわけじゃないけど、何となくぶらぶら見て回る」って買い物法が理解できないんだろう、とクゥは思った。スムートは、その辺の暴力的で頑迷な亭主関白男では無かったが、それでもやっぱりどこか思考が男性的だ。
 「んー、分からないけど、新しい服を見たりー、ちょっと何か食べたりー」
 そういうのが定番デートだと思うのだ。二人きりでいれば、少々財布が寂しくともきっと楽しいに違いない。
 「君が、そう言うなら…」
 乗り気じゃない、と言うより、理解できないと言った顔ではあったが、スムートは困ったように笑った。
 クゥがそれを望むのなら付き合うよ、という態度に、クゥは少しだけ気落ちする。スムートの穏和なところが好きなのだが、それでもさすがに優柔不断で頼りないと思う時もあるのだ。周りの意見を聞かずに強引に押し進める男なんて大嫌いなはずだったが、時にはもっと力強く引っ張ってくれたらいいのに、と思ってしまう。
 その「物足りないな」という思いを、クゥは首を振って追い払った。自分が好きになったのは、この優しいスムートなのだ。乱暴な男なんか好きじゃない。
 「じゃ、着替えてくるから…」
 「…あれ、フロウさんだ。久しぶりだね」
 「えっ!」
 スムートが見ている方向を、クゥも確認する。目を細めて探していると、しばらくして黒髪に白い薄衣の女性が見えてきた。
 「スムート、目が良いよね〜」
 「あの人、目立つから。…犬…かな」
 あっさり答えたスムートが、更に何かを見つけて呟く。
 今度はクゥにもすぐに分かった。フロウの足下に、灰色の塊がもぞもぞしている。
 「何だろ…見てこようっと」
 クゥは窓から離れ、フロウを迎えるべく部屋から飛び出した。
 階段を降りて玄関から出ると、ちょうど門のあたりでフロウと行き当たった。
 「お帰りなさい!」
 「ただいま」
 ふんわりと微笑んだフロウを見て、しみじみと美人だと思う。シミ一つ無い真っ白な肌に濡れたような黒髪がまとわりついていて、鎖骨のあたりなんて女が見ても色っぽい。
 「リーダーは…」
 フロウが視線を上へ動かしたので、クゥはぱたぱたと手を振った。
 「あ、リーダーたちは、今、樹海に3日間入りっぱなしっていうクエスト受けてるの!明後日には帰ってくる予定なんだけど…」
 「あら」
 フロウは困ったように小首を傾げ、腰を落として3匹の獣たちの首を抱いた。
 「この子たちを、冒険者として登録して欲しかったのだけれど…どうしたらいいのかしら」
 クゥは何度か瞬いた。フロウが実家(?)に帰った、という話は聞いていたが、何のためだというのは聞いていなかったのだ。フロースガルとクロガネについても、あくまでペットだと思って聞いていたので、冒険者という感覚は無かったし。
 「えっと…冒険者…ですか?」
 「えぇ、ちゃんと言い聞かせておいたのよ?お行儀良くなさいって。アーク、ディース、キーア、ご挨拶なさい」
 「「「がう」」」
 揃って声を上げた獣に、クゥの目が潤んだ。
 「かーわいー!!」
 きらきらした目でフロウを見つめてお強請りする。
 「ね、ね、あたしも触っていい!?」
 「ふふ…いいわ、どうぞ。…アーク、お利口にね」
 一番近くにいたアークと呼ばれた獣の頭をそっと撫でる。黒い瞳が少しだけ細められたが、嫌がっている気配は無い。
 「えーと…狼ですか?」
 きゃあきゃあ言いながら触っているクゥの背後から、スムートが冷静に聞いた。
 「えぇ、雪狼よ。普段は雪山にいるのだけれど…この国なら、そんなに暑くないからいいかしらって思って」
 特に首周りがもこもことした硬そうな毛皮は、夏には暑苦しそうだな、と思わせるが、まあ今の季節ならば大丈夫だろう。もっとも、樹海の中は気温差が激しいが。
 フロウも雪狼たちを撫でながら、クゥとスムートを交互に見て微笑む。
 「この子たち、もちろん戦うことも出来るけど…採集も出来ると思うの。もちろん、教えてあげないといけないけど。だから、貴方たちと行動することが多くなるかもって思ってたんだけど…良かったわ、嫌われなくて」
 うっとりと狼を撫でまくっているクゥはともかく、スムートは真剣にその光景を想像してみた。
 野生の勘とやらで見つけるのはいい。それはきっと出来るだろう。
 けれど、採掘したり伐採したりという労働は、出来そうになかった。
 「ここ掘れワンワン」→「はいはい、ここね」→がしがしがし。
 …何となく、全く楽にはならない気はした。むしろ、労働力は当社比2.5倍。
 何だかなぁ。まあ、仕込めば戦闘力にもなりそうだし、採集への行き帰りもパーティーメンバーに手間をかけさせることもなくなるし、そういう意味では良いのだが…。
 けれど、ちょっと後ろ向きなスムートの目の前で、クゥは狼たちと親交を深めまくっている。せっかく恋人が幸せそうなのだから、それを引き裂くこともないか、とスムートは結論づけた。
 「…それじゃあ、ちょっと採集を教えてみようか。…回復役がいないけど」
 自分たちもそろそろレベルアップをしないと、次の階層に行けそうにも無い。
 「そうだ!フロースガルさんに聞いてみれば良いんじゃないかな。どうやって狼を登録したのか」
 にこにこと言ったクゥに、フロウが怪訝そうに首を傾げた。
 「あら…あの人の居場所が分かるの?てっきり、樹海の中にいるものだと思ったのだけれど…」
 「あ〜…いろいろ、ありまして」
 パーティーメンバーから死闘の結末と、フロースガルの現在の状態を聞いているスムートは、ちょっと顔をひきつらせて曖昧に笑った。
 そういえば、フロウがここを離れたのは、フロースガルが3階で鹿広場の封鎖をしていた頃だった。
 「かくかくしかじか…こんな感じで」
 リーダーから聞いた通りに説明すると、フロウが優美な眉を寄せた。
 「まぁ…お可哀想に。生きたまま内臓を啜られるなんて…それでも正気でいられるのは、騎士様だからなのでしょうね」
 あまり凄惨な現場を想像せずに、そっと心の中で流していたスムートは、生々しい感想にちょっと頬をひきつらせた。
 フロウの言葉を聞いていなかったのか、それとも内容を気にしなかったのか、狼たちの首を抱いていたクゥが、きらきらした目のままでフロウを見上げた。
 「だから、フロースガルさんは薬泉院にいるの。サナキルが会いに行ったって話をしてたから、面会謝絶じゃないと思うんだ。どうやってギルドに登録したのか、聞きに行ってみよっか」
 病人の部屋に狼3匹連れていくのはどうなんだろう、とスムートは思ったが、相手はその狼好き確定騎士である。ひょっとしたら歓迎されるかもしれない。
 「とりあえず…行ってみますか?薬泉院の方に病状を伺って、もしも駄目なようなら別の手を考えればいいし…」
 というか、むしろギルドに聞けばいいんじゃないか、という気はするのだが。
 だが、フロウとクゥが乗り気だったので、まずは薬泉院ということに決定した。
 そうして、一人1匹ずつ狼を連れて移動する。この辺りは冒険者の区画のはずだが、それでも大きな灰色の狼が歩いていると、一瞬ぎょっとされたり、剣に手をかけられたりはした。
 注視されているのを感じて、スムートは居心地悪く帽子を少し目深に被った。まあ、視線は狼とフロウに向いているだろうが、それでも落ち着かないことに変わりはない。
 フロースガルとクロガネの話は冒険者にはそれなりに有名だが、逆に言えば狼を仲間にしている冒険者が少ないからこそ有名でもあるのだ。もしもこの雪狼たちが冒険者として登録されたら、<デイドリーム>もそういう意味でまた有名になりそうだ。
 薬泉院に着いてフロースガルについて聞くと、あっさりと奥の部屋に通された。何でも、病状は安定していて退屈しているので、むしろ話し相手歓迎なのだそうだ。
 「フロースガルさん、お客様ですよー」
 金髪の元気な助手に案内されて、礼をしながら中に入ると、先頭のスムートを見て怪訝そうな顔をしていたフロースガルが、続いて入って行った雪狼に、ぱっと目を輝かせた。
 そういえば、スムートとクゥはフロースガルと初顔合わせだった。何となくリーダーから話を聞いていて、良く知っているような気がしていたが。
 「えーと、初めまして。ギルド<デイドリーム>のレンジャーで、スムートと言います。こちらが同じくレンジャーのクゥ」
 「こんにちはー。お噂はかねがね」
 ぺこりと頭を下げたクゥにもちらっと目をやったが、フロースガルの視線は主に雪狼に釘付けだ。割と欲望に忠実な人らしい。
 最後に入ってきたフロウは戸口の辺りで止まっている。あまり近づくと温度が下がるのを警戒しているのだ。
 「私は、初めましてでは無いわね。3階の封鎖していた広場の前でお会いしました。覚えておられます?」
 「ん?…あぁ、覚えているとも。…あぁ、そうだ、<デイドリーム>の…」
 さっき言ったのだが、耳に入っていなかったらしい。
 ようやくフロースガルが、ばりばりと音を立てていそうな感じで視線を雪狼たちから引き剥がし、人間の方を向いた。微妙に上の空っぽい微笑を浮かべて、すぐそばのクロガネの首を撫でる。
 「君たちも、狼が仲間にいるとは知らなかったよ」
 「いいえ、貴方がクロガネと一緒にいるのを見て、私がトゥエイツまで連れに行ったの。今朝、着いたばかりなのよ」
 「トゥエイツ!そうか、あの山には、こんなに美しい毛並みの狼が…」
 …大事なクロガネの前で、そんなハァハァ言ってそうな口調でいいのだろうか、とスムートは思ったが、残念ながらスムートにはクロガネの表情は読めなかったので、気分を害したのかどうかは分からなかった。
 「触ってもいいかな?」
 顔色が悪かったはずなのに、うっすら頬を上気させて手を伸ばすフロースガルを見て、しみじみと「マニアなんだな」と思う。まあ、世の中には色んな人間がいるということだ。
 よだれでも垂らしそうな顔で雪狼たちを撫でくり回したフロースガルは、10分ほどして我に返ったようだった。
 「あー…それで、何か私に用があって来たのかな?」
 微笑ましそうな顔で見ていたフロウが、にっこり微笑む。
 「えぇ、この子たちを冒険者として登録するには、どうしたらいいのか分からなくて。騎士様ならご存じだと思って…」
 「何だ、まだ登録していなかったのか」
 まるで「朝食はまだだったのか」というようなノリでフロースガルが呟いたので、そんなに難しいことでは無いのだろうか、とスムートは首を傾げた。けれど、一般論として、野生の肉食動物を冒険者区画とは言え普通の街中に放すのには、何か特別な審査だとか許可が必要そうに思うのだが。
 「君たちなら大丈夫だろう。推薦状を書くから、ギルド長に届けるといい。…ちょっと、そこの紙とペンを取って貰えるかな。…クロガネ、お前は冒険者心得を彼らに教えてあげるといい」
 クゥが少し離れたテーブルから紙とペンを取っている間に、クロガネがベッドに上げていた前足を降ろしてこちらに歩いてきた。
 「がう!」
 「「「がう」」」
 …たぶん、「気を付けぇ!」「「「イエッサー!」」」って感じなんだろうな、と、クロガネの前に座る3匹の雪狼を見てスムートは想像した。
 狼的に冒険者心得って何だろうなぁ、と思いながら、スムートはその鬼軍曹と訓練生たちの光景を眺めていた。
 書き上げた紙をこちらに寄越して、フロースガルは微笑んだ。
 「これでギルドには登録されると思うが…首輪だけは目立つように着けておくといい。他の冒険者たちに斬り捨てられないように」
 「分かったわ。ありがとう」
 「すまないが、少し疲れたようだ。私は休ませて貰うが…また来てくれると嬉しいよ」
 たぶん、主に雪狼が。
 ベッドに沈んだフロースガルと、またその横に頭を乗せたクロガネに挨拶して、部屋を辞去する。
 最初は張りのあった声も徐々に力も無くしていたし、本当に衰えているのだろう。それを押して便宜を図ってくれたのだ。彼に報いるためにも、早めにギルドに登録した方がいい。
 早速ギルドに向かうと、大きな雪狼を見て、ギルド長がぎょっとしたように体を揺らした。大丈夫、と見せるように雪狼の頭に手を置きながら、スムートはフロースガルの推薦状を長に差し出した。
 無骨な手甲を着けた手でがさがさと紙を広げ、視線を動かした長が、うむ、と頷く。
 「なるほど…フロースガルが認めたのならば、大丈夫だろう。…獣が増えるのを、諸手を上げて賛成とは言わぬが…」
 ギルド長が冒険者登録用紙をカウンターに滑らせた。
 というか、何とな〜く腰が引けて手だけで寄越された気もする。
 まあ、あんまり良い気分でも無いだろう。これだけ大きな肉食獣が3匹もうろうろしているのは。人間よりでかい熊が3匹、とかでなくてまだマシだが。
 アーク、ディース、キーア、と3匹の名を書いて、ギルド長に提出すると、やっぱり微妙に引いた場所からそれを受け取った。ざっと目を通して、さっさとカウンターから離れ、紙挟みを手に壁際から言う。
 「良かろう。それではギルドに登録された冒険者と認めよう。…が、他の冒険者を脅かさぬよう、あまり人の多い場所には連れてこないように」
 「はい、了解しました」
 その『人が多い場所』というのは、主にここのことなんだろうか、と思いつつも、スムートはさらっと返事をした。
 人には誰だって苦手なものがある。たとえギルドの長をしているような武勇を誇る人間でも、幼い頃に追いかけられた思い出から犬が苦手、ということもあるだろう。
 ギルドを出ながら呟く。
 「目立つ首輪か…商店に売ってるのかな」
 「んー、アクシオンさんが作ってくれるとは思うけど…今すぐ手に入れようと思ったら、買うしかないかな」
 「結局、お買い物パターンかな」
 クゥの買い物に付き合う予定だったのを思い出して、スムートは苦笑した。少なくとも、目的がはっきりしている方が、スムートとしてはありがたい。
 ぱっと顔を輝かせたクゥに、フロウが何か察したのか一人に1体ずつ付いていた雪狼たちを呼び寄せた。
 「それじゃあ、頼めるかしら…私は、先に宿にこの子たちを連れて帰っているから…」
 「うん、任せて!」
 「本当は、連れていった方が便利なんでしょうけど…目立ちますから」
 長さが調節出来るものを探して来よう。完璧ぴったり首輪は、アクシオンに手作りして貰えばいい。
 そうして、レンジャーの恋人たちは、一体どこに探しに行ったものだろう、と相談しながら街を歩き始めたのだった。



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