3日間クエスト




 5時に宿屋を出発し、5階の磁軸柱からすぐ4階へと降りたところ、階段前で別ギルドと落ち合った。
 髭が伸びた者もおり、うらぶれたというか荒んだ雰囲気を漂わせた冒険者たちと申し送りを済ませる。
 「ようやく帰れるぜ!」
 「寝るぞーっ!」
 ほっとしたのか、嬉々として先番ギルドは歓声を上げてハイタッチをしてから、糸を使って帰っていった。
 「さぁて、こっちはこれから3日間の始まりだ。ま、気楽に行こう。最初っから神経ぴりぴりしてたらもたないから」
 ルークがのんびり言って、荷物を背負い直した。
 広場を抜けて、襲撃者がぐるぐる周回していた通路に出る。
 昨日ここの襲撃者は倒しておいたので、付近には雑魚しかいない。
 アクシオンのTPも満タンだし、よほどのことが無い限り、全滅は無いだろう、と推測された。
 もっとも、敵が忍び寄ってきた場合は苦戦する可能性がある。つまり、やはり枕を高くして眠る、というわけにはいきそうに無かった。
 うろうろとその辺を歩き回って、雑魚を倒していく。
 「だいたい、2〜3時間に1回くらいのエンカウントかな〜」
 襲撃者の縄張りだったため、雑魚はむしろ数が少ないらしい。
 「もっと、敵が多い場所を選ぶべきでは無いのか?」
 「まぁまぁ。持久戦だから、様子見ながら行きましょ」
 あっさりと否定され、賛同を求めてジューローを見たが、戦闘を好む男にしては珍しくリーダーの言い分に納得しているようだった。
 そうしてだらだらとした一日が終わる。
 いや、サナキルはまだ終わるとは思っていないのに20時に終了宣言を出されてしまったのだ。
 「はい、本日はこの辺りでキャンプね」
 隠し通路の更に行き止まりで、夕食の準備をする。
 「見張りは3交代。寝ないようにペアは互いに気を付けること。ショークスはネルスと遠隔会話しててくれ」
 「あいよ」
 「てことで、まずはショークス。3時間交代で俺とアクシー。最後に坊ちゃんとジューローな」
 ジューローが眉を上げたが、ルーク&アクシオンというペアは交代しそうにないし、真偽のほどは不明だがネルスと話をして寝ないようにするというショークスとも組む余地は無いので、消去法としてサナキルと組むしかないということは分かっているようだった。
 起きているショークスを残して、4人は横になった。もっとも、防具も外していないし、すぐに戦えるような状態にしているので、眠るにはほど遠い格好だったが。
 おまけに、20時からなど眠れない。
 横になってはいるが、眠ることもできずにサナキルは寝返りだけを繰り返した。
 しかも、何度か敵の襲撃があり、そのたびに起こされる。
 そして戦闘の興奮で目が冴えて寝付けずにいるうちに、交代の時刻になってしまった。
 横になった3人を挟むようにジューローとサナキルが座る。
 なるべく静かにして、仮眠を取る3人を起こさないように、と思っていると、横になっている間にはあれだけ訪れなかった睡魔がじわりと忍び寄ってきた。
 膝を抱えて座ったまま、くらりと頭が揺れた。

 5時になり、朝食を取りながら、アクシオンがくすくす笑いながら聞いてきた。
 「よく眠れましたか?」
 「まさか」
 結局、サナキルは見張りの時間帯に眠ってしまった。ジューローの敵襲を告げる声で何とか起きて戦ったが、それが終わるとまたずるずると眠りの淵に落ちてしまったのだ。
 「だからさ、ジューローも起こしてやれって。あれだ、声出して俺らを起こすのを遠慮してたってんなら、今夜は隣り合わせで座りなさい」
 見張りの相方が眠りそうだったら起こせということだったのに、サナキルがうつらうつらとしていても、ジューローは一切声をかけなかったのだ。ほとんど一人で見張りをしていたようなものである。ちゃんと起きていたからいいようなものの、もしも二人とも眠ってしまったら敵の蹂躙を許すことになる。だから、わざわざペアを組んでいるのに、起こさないのでは意味がない。
 携帯食料を囓りながらも、サナキルはまだ意識がはっきりしていないのを自覚していた。
 これで1日が過ぎた。まだあと二日ある。
 さしものサナキルも、「もっと雑魚が多いところに行こう」とはもう言えなかった。

 二日目の夜。
 今度はジューローと隣り合わせに座る。
 2時から5時という時間帯は、普段なら最も深い睡眠に落ちている時である。
 昼間の疲れもあり、休む時間帯でも敵と戦うこともあり、サナキルの意識は朦朧としていた。
 その状態は、ジューローにも分かっていた。
 膝を抱えて座るサナキルの頭が、視界の隅でがくんがくんと揺れている。
 これはもう無理だろう、と思っていると、肩に衝撃があった。
 ジューローの肩に頭突きをしたサナキルは、数秒呻いてから、すぐに力を抜いた。どうやら、ほどよい枕を認識したらしい。
 「…おい。起きろ」
 溜息がてら言ってやったが、全く反応しない。
 ジューローは右手で腰の小刀を探り、すらりと抜いた。
 傾いて露になったサナキルの首筋に、その刃を押し当てる。
 「…死にたいのか?」
 ………。
 反応無し。
 「犯すぞ」
 ………。
 反応無し。
 「くそ」
 小刀をしまっていると、その体の動きでバランスがずれたのだろう、サナキルの頭がずりおちた。
 「…おい」
 あぐらをかいたジューローの足に上半身を伏せる形で、サナキルはすーすーと心地よさそうな寝息を立てていた。
 ジューローは背後の木に体重を預けた。
 何でこんな奴に膝枕(ちょっと違うが)をしてやらねばならないのか。
 しかし、サナキルの睡眠がかなり不足していて、本気でこの3時間起こしておくと、明日には倒れかねないということも推測できていた。
 何でこんな睡眠の自己管理も出来ないような奴と組まなくてはならないのか。まあ、誰と組んでも楽しい会話をする気は無いので、これはこれで静かでいいのだが。
 そう結論づけたジューローは、サナキルを起こそうという努力を放棄した。
 意識を覚醒させていても体を休める術を心得ているブシドーは、大腿に感じる温かさに苦い顔をしながらも、結局夕べと同じく己だけが任を果たすことにしたのだった。
 
 3日目。
 明け方に眠れたおかげで、少しは昨日よりマシだったものの、蓄積された疲労と睡眠不足のせいでサナキルの口数は少なかった。
 ルークがジューローに「意外と甘いなぁ」と評した時も、ジューローが「ふん」といつものように鼻で笑った時も、突っ込む気力も失っていた。
 後一日。一日頑張れば、ベッドで休める。
 フロースの宿のベッドは、生まれ育った屋敷のベッドに比べて小さく固いものだと思っていたが、今は何より恋しい。
 何で後の4人は元気なのだろうか。同じように戦って、同じように起こされているはずなのに。
 鍛錬どころか、体に染みついた動きをするので精一杯、という状態で、何とか夜まで耐える。
 そうして8時に横になった途端、意識がすぐに途絶えた。
 幸い、その夜は敵が比較的少なかった。
 久々に固まって睡眠をとれたおかげで、少しはマシそうだ。
 2時に起こされたサナキルは、のそのそと這っていって、ジューローの隣に座った。
 意識ははっきりしているつもりだったが、沈黙だけが続いていると、抱えた膝にだんだん顔が落ちていっているのに気づいた。
 ふるふると頭を振り、小さくジューローに言う。
 「何故、一番辛い時間帯に、僕たちが起きていなくてはならないんだ」
 ジューローは、眉を上げて皮肉っぽく答えた。
 「本当に、そう思っているのか?」
 サナキルが本気で分かっていないようなので、ジューローは舌打ちしてサナキルと同じく小さな声で囁いた。
 「まず、最初の者は、一日の疲れを引きずったまま起きていなくてはならん。次の者は、睡眠を分けて取らなくてはならん。この中の組が一番辛いはずだ。…リーダーがその時間帯を取って、一番不慣れなお前に、最初にゆっくり休んでから起きて番をするという楽な時間帯を与えたつもりだろうよ」
 サナキルは、何度か瞬いた。
 「そう…なのか?」
 「結局、お前はどの番でも眠れていなかっただろうがな。…よくもまあ、それで騎士として訓練を受けてきた、などと言えるものだ」
 あからさまな嘲笑に、サナキルは返答しなかった。
 サナキルは、本当に分かっていなかったのだ。他の時間帯なら楽なのだと思いこんでいた。
 抱えた膝に顎を埋め、しばらく樹海の影絵のような景色を眺めていると、また、ふっと意識が落ちかけて、慌てて首を振った。
 今日は、本当に静かだ。まるで魔物も全て寝静まっているかのようだ。そう、まるで、世界で起きているのは、自分たち二人だけのような錯覚さえ覚えるほどに。
 「ジューロー。お前の国は、ローザリアから遠いのか?」
 「…知らん。聞いたことも無い」
 やはり、面倒くさそうではあったが、返答が戻ってくる。聞いたことも無い、というのは、ローザリアの名のことだろう。強大な大陸随一の国であるローザリアを知らない、ということは、やはり東国はかなり離れたところにあるらしい。
 「それでは、言っても大丈夫だろうが…最近、ひょっとしたら…万が一、だが、我がローザリアは、僕が思っていたほど強くは無いのではないか、と思うようになった」
 ジューローは、危うく吹き出しかけた。そのような態度は己らしくないため、何とか喉が妙な音を立てるに留まったが。
 ここにいるのは、ただの騎士の3男に、祖国を離れて久しい、ただのお尋ね者だ。ローザリアとやらが強かろうが弱かろうが、何の関係も無い。それを、まるで国家の重大な機密でも漏らすが如き深刻さで言われれば、笑い出したくもなると言うものだ。
 そのジューローの「あり得ない」という様子を、別の意味に取ったサナキルは、やはり真剣な顔で説明を始めた。
 「確かに我がローザリアは広い領土を持ち、食料や鉱物も豊かで、騎士団も充実している。それは、前王及び今の女王陛下が領土拡大よりも内政に励まれた結果なのだが…いや、もちろん、仮に戦になっても我が国が負けるとは思えない。…ただ、思っていたよりも、被害も大きかろう、と思うのだ」
 「ほぅ?」
 ジューローは、基本的にはサナキルが好きではない。あまり会話を続けたいとも思ってはいないのだが、それでも、戦の話ならば、少々興味が引かれるのも事実だ。
 ジューローの促しに、サナキルは眉を寄せて続けた。
 「我が国はもはや強大すぎて、周辺諸国は戦を仕掛けて来ない。せいぜい小競り合いがある程度なのだ。僕どころか、父上の代すら、本物の戦を経験していない」
 ふぅ、とサナキルは一つ大きな息を吐いて、じろりと横目でジューローを見た。
 「…お前は笑うが、僕とて本当に他の騎士団師弟と同程度の訓練は受けているんだ。我がグリフォール家はローザリア随一の裕福な一族ではあるが、それだけに他者に劣るわけにはいかぬからな。…僕は、特に優秀とは言えぬにせよ、見習い騎士集団の中では上の中くらいには位置していたと思う。それが、どうだ」
 サナキルは己の二の腕を握り締めながら、もう一度大きく溜息を吐いた。
 「たかがハリネズミの一撃に狼狽え、芋虫如きに殺され…守りたいと思った相手すら守れていない。聖騎士の盾は、誰よりも強固で頼られるべきものだと言うのに」
 その<頼られるべき>に縛られて、これまで誰にも弱音を吐かなかったサナキルだったが、草木も眠り込んでいるかのような静寂の中で、何だか心の戒めが解けてしまったようだった。相手が、僅かな相づちだけであまり大きな反応をしないせいもあったかもしれない。
 顎を膝に乗せたまま、まっすぐに樹海の暗闇を見つめる。
 騎士団師弟たちは、いや、現役の騎士ですら、このようなずっと神経を張りつめていなければならないような行軍訓練は行っていないはずだ。本物の戦になれば、こんな夜が何日も続くかもしれないのに、平和に慣れきった騎士たちに、そんなペース配分など出来るわけも無い。
 他国に鳴り響く十二騎士団の力が、思ったほどでも無いとなると…ローザリアの守りは、思ったよりも薄いのではなかろうか。
 「…戦で物を言うのは、結局、物量だ」
 ジューローが怠そうに呟いた。
 「少数精鋭の部隊が切り込んでいったとて、戦果を上げるのは最初の数日だけだろうよ。…最終的には、戦力差の前に押し潰されるのが関の山だ。…もっとも、その「ろおざりあ」とやらがお前が言うほどに豊かな国だという前提の話だが」
 「無論、我がローザリアは、周辺諸国を全て併合したのと同程度の国力を持っている。ローザリアを除く周辺諸国が、一致団結することは無い…その辺は、あまり僕は好きではないが、外務大臣がうまく謀っているはずだ」
 そもそも戦が起こらぬように根回し…というか謀略に励む大臣を、サナキルは好きではない…と言うより臆病者よと見下していたが、正しいことだったのだろうか、と今になって思う。
 「お前のように、人を殺したこともない騎士様の集団だとしても、ある程度の防衛力にはなる。それで足りねば、それこそ豊かな財力がものを言う。つまり、傭兵を雇えばいい。金さえ出せば、流れ者からお尋ね者まで、幾らでも補充が利く兵力の出来上がりだ」
 ジューローの口調は投げやりだったが、その内容は決して行き当たりばったりのものではなかった。さすがは剣の道に生きる者、目の前の戦闘のみならず、戦術や戦略にも長けているらしい、とサナキルは感心した。
 もっとも、骨の髄まで騎士として育てられたサナキルが、容易に頷けるものとは言い難かったが。
 「そのような、10人束ねても騎士一人に劣るような輩を雇っても無駄では無いのか?」
 「少なくとも、お前が眠る時間くらいは稼いでくれるだろうよ」
 ローザリアには大勢の騎士が存在する。交代で眠れば睡眠の確保は可能だろうが、ジューローが言っているのはそういうことでは無さそうだ。
 確かに、烏合の衆でも数時間の足止めくらいは出来るだろう。民兵を使うよりは安上がりだと言えるかもしれない。
 「しかし、そんな人間の使い捨てのようなことは騎士道にもとるな」
 眉を顰めて呟いたサナキルに、ジューローが笑った。
 もっとも、笑うと言っても、楽しそうでもなければ温かくもなく、どこか暗い自嘲めいたものだったが。
 「傭兵の方も、立身出世の機会だ。戦でも無ければ、成り上がれんからな」
 サナキルは首を傾げて、隣に座るブシドーを改めて眺めた。
 上半身は傷に覆われ、それでも防具を着けない虚無的な男。自らが生き延びるよりも、敵を討ち滅ぼすことを優先で考える男。
 それでも、どうやら己よりも経験が豊かで、ただの冒険者と言うにはどうやら兵法も囓っているらしき男。
 「お前も傭兵であったのか?」
 サナキルにとって傭兵のイメージは、他国からの食い詰め者かまともに兵士にはなれない武力だけの馬鹿か、というようなものである。要するに、グリフォール家の者が積極的に関わるべきでは無い相手だ。
 けれど、ジューローはそのどちらでも無いように思えた。
 それまで普通に返答があったのに、しばらく沈黙が続いて、サナキルが何か間違ったことを言っただろうか、傭兵扱いは失礼だったのだろうか、と悩みだした頃。
 ジューローがぼそりと話し始めた。
 「…俺の生まれた国は、いつでもどこかで戦があった。この辺りで言えば…地方領主たちが、我こそはこの国の王、と名乗りを上げ鎬を削っていた、と言ったところか」
 主君が決まっていない、という状態が想像できず、サナキルは少し眉を寄せて考え込んだ。ローザリアで言えば…王族が全て死滅して、十二騎士団のいずれがが王の跡継ぎとなるか揉めだした、という感じだろうか。それでも、ローザリアなら武力衝突まではいかず、むしろ権謀術数で決まりそうだが。第一、地方領主たちが武力を削り合ったら、国力が落ちて他国に攻め入られるではないか。
 「俺の祖父が仕えていた主が、いいところまで行ったんだがな。結局、今は別の一族が国主となっているが」
 「お前も、戦に出たのか?」
 「いや」
 ジューローが唇を歪めて、すいっとサナキルに顔を近づけた。
 こんな灯りが乏しい中では真っ黒の洞に見える瞳が、サナキルをまっすぐ見つめた。
 「我が一族の長は、国主の部下では気に食わなかったんだろうよ。…主を殺して、己が覇王となろうとした」
 それは反乱だ。主に使えるのが務めの騎士としては受け入れがたい意識だ。
 無意識に責めるような顔になったのだろう、面白そうに目を細めたジューローが、淡々と続ける。
 「殺すことには成功したが、別の部下に追い立てられ、俺の一族は狩られた。祖父は討ち死にしたが、何とか俺の両親は国を抜けることに成功した」
 そこで、ジューローは不意に今の場面では奇妙に聞こえる問いを投げかけた。
 「お前は、商人になれるか?」
 サナキルは何度か瞬き、その問いを真剣に吟味したが、ゆっくりと首を振った。
 「無理だろうな。僕はそもそも、商品価値というものを知らない。武具の善し悪しくらいは目利きが出来るが…値段を考えたことなど無いからな」
 世間知らずのお坊っちゃんの答えを、ジューローは笑いもしなかった。
 「…だろうな。俺の父もそうだった。追っ手の目をくらますために刀も鎧も売り飛ばし…それを元手に商売をしようとした」
 「どうなったのだ?」
 ジューローはどうでもよさそうに肩をすくめて喉で笑った。
 「一年後には、天井の梁からぶら下がっていたな。切腹する刃物も無かったせいで」
 今までブシドーというものと関わったことのないサナキルには、ブシドーが切腹ではなく他の死に方をしたことがどんな意味をもつかは分からなかったが、それでも父親が自殺したというくらいの推測は出来た。サナキルの思考では、それそのものが罪であるが、さすがに口には出さなかった。
 「母は借金の形に女衒に売られ…」
 「ぜげん?」
 ジューローは微かに眉を顰めてサナキルを見返した。その眉間の皺を見て、そう言えばいつもよりも機嫌が良かったんだな、今までは、と気づく。
 「…子を産んだとはいえ20代の女が、金を稼ぐために売られる商売くらい、お前にも見当が付くだろうが」
 残念ながら、さっぱり分かっていなかったが。
 メイドの類だろうか、いや、女でもブシドーならまた別の道が…と考え込んでいたサナキルに、ジューローが呆れたように息を吐き、乗り出していた身を引いた。
 どうやら話をする気が無くなったらしい、と気づいて、サナキルは自分の方からジューローに体を傾けた。
 ジューローがサナキルを見て、少し目を細めた。どうやら、無視をする気は無いらしい。
 「それで?正直、よく分からないが、父も母もいなくなった、ということは分かった。お前は何歳だったのだ?」
 「…確か、六つだったな」
 「え…」
 ほんの子供である年齢をさらっと言われて、サナキルは絶句した。そんな年齢のジューローが想像付かない…じゃなかった、そんな年齢の子供が、両親無しでどうやって生きていくのか分からない。いや、ローザリアならば教会に預けられ、それなりの保護は受けられるだろうが、宗教施設に預けられてブシドーになるとは考えにくい。
 「俺は人買いに連れて行かれ、他国の農家に売り飛ばされた」
 淡々と説明していたジューローが、唇を歪めた。サナキルは少しだけ眉を顰めて、次の言葉を待つ。ジューローがこういう表情の時には、だいたいサナキルを嘲るとか喧嘩を売っているような時のことが多いのだ。
 「そして、俺は数年後」
 どこか楽しそうに、ジューローは言った。
 ただその目は、サナキルの反応を見逃さないように、爛々と光っていたが。
 「仮にも食わせて貰っていた、その家の者たちを、全員殺して逃げ出した」
 サナキルの体が強張った。
 何か言わねばならない、と意識では思っているのに、筋肉が完全に硬直している。
 ふと遠くなったジューローの声に、僕は夢でも見ているのだろうか、とぼんやり思う。いつの間にかまた眠ってしまっていて、勝手にジューローが喋っている夢でも見ているのかもしれない。
 サナキルを底光りのする目で見つめつつ、ジューローがそのまま続ける。
 「後は、単純だ。山に潜んで、旅人を殺して金品を奪って生きてきた。一つところには留まらぬようにしていたが、流れた先でへまをして、街道警備隊にお尋ね者の身となったので、この国に逃げ込んだ、というわけだ」
 どう聞いても、許し難い所行だろう。養い親を殺し、罪の無い他人を何人も殺してきたのだから。
 怒るべきなのだと分かっていた。
 官憲に突き出すか…リーダーに言ってこのギルドから外す必要がある。グリフォール家の者が、罪人と共に行動するなど人生の汚点だ。
 なのに。
 サナキルは己の思考を冷静に判断した。
 まだ自分は、この男を信じようとしている。サナキルを嫌うがゆえに悪いからかい方をしているのでは、いや、そうに違いない、と思いこもうとしている。
 けれど、言われる前から、疑問に思っていたことがある。
 ジューローの体の傷は、ひどく古いものもある。それは、刀傷ではなく、鞭打たれた痕のように思えた。サナキルはメディックでは無かったが、奴隷が鞭で打たれているのを見たことがあるので何となく分かる。だから、ジューローもかつては奴隷であったのだろうか、とうっすら思っていたのだ。それと、今の話は合致する。半々以上の確率で、本当のことだろうと思う。
 六歳の子供が奴隷として売られ、鞭で打たれるような状態は、それだけで罪だ。もちろん…だからと言って、皆殺しという方法で状況打破したことを誉めることも出来ないが、子供にも生き抜く権利がある。
 何とかしてジューローの罪を軽くしようと思考している己に気づいて、サナキルはこめかみを揉んだ。
 確実に、今、自分は客観的な判断をしていない。
 「…何故、僕にそれを告げる」
 「お前の反応が見たかった…からだな。聖なる騎士さまとやらが、己が守ろうとしていたのがただの人殺しだと知ったら、どうするのか」
 喉で笑ったジューローを見て、サナキルはもう一度こめかみを揉んだ。相手がまともな人間では無いとは思っていたが、ここまで露悪的とは思わなかった。
 「…さあ、どうする?」
 ジューローの指が、サナキルの顎を掴んだ。
 視線を自分に向けさせようとしているのだろうが、そもそもサナキルは視線を逸らす気は無い。
 「返答が、いるのか?」
 「そうだな、俺を楽しませてくれ」
 深い闇色の瞳は面白そうに光っていて、本気なのだと伝えてくる。
 何とか客観的に考えてみたが、ここは聖騎士としては激怒して斬り捨てるべきなのだろうと思う。サナキルと行動を共にして約二週間、ジューローにもサナキルの行動原理は分かっているはずだ。
 一体、何を期待しているのだろう。
 まさか、この僕に殺されたいわけでもあるまいに…まあ僕如きに殺されるとは思っていないのかもしれないが、それにしたって何がしたいのか分からない。
 何だって、この男はこうも破滅思考なのだろう。
 そこで、また「僕が守ってやらねば」という思考に行き着いたサナキルは、己に苦笑した。
 「答えは、宿に帰ってからだ。今の僕は、睡眠不足で、冷静な判断が出来るとは言い難いのでな」
 ジューローがあからさまにつまらなさそうに指を離した。
 「お前は、僕に罵られるのが趣味なのか?」
 かすかに笑いを含んで言ってやれば、いかにも不機嫌そうに顔を背けた。
 まあサナキルも本気で言ったわけではない。むしろ、サナキルが罵ったならば、それ以上の嘲りでもって返そうと期待していたことくらい分かっている。
 何故そこまで嫌われているのかは分からないが…それよりも、何故自分は、そこまで嫌われているのに、この男を守りたいなどと思うのだろう。
 会話が途切れたので、サナキルはまた正面を向いて考え始めた。
 聖騎士としての義務はともかく、自分がジューローを守りたいと思っていることは確かだ。たとえ、人殺しだと分かっても。
 自分が罪人だと告げるジューローを、こんなにさらっと他人にばらしている場合か、危なっかしいな、僕が守ってやらないと、などと感じてしまう。
 自分の感情は、もう結論が付いている。
 ならば、後はどう理性と摺り合わせるか、だ。


 真剣に考えていたため、ちゃんと目を覚ましたまま5時を迎えることが出来た。
 朝の光が射したので皆を起こし、5階への階段前に向かうと、また別のギルドがそこに来ていた。
 リーダーがそのギルドと申し送りを済ませるのを何となく眺める。
 そういえば、自分たちが交代した時には、先番ギルドは如何にもうらぶれていたが…このギルドは妙にこざっぱりしているような気がする。とても3日間風呂にも入れなかった面々には思えない。
 その中で一番くたびれた顔をしているサナキルは、帰ったら体を洗いたい、そしてさっさと寝たい、と今からのことを考えてウキウキしていた。まるで夕べ(というか早朝)のことなど気にしていない様子をジューローが苦い顔で睨んでいたが、それに構う気はしなかった。


 そして、ゆっくりと体を休めて、1日後。
 レンジャーが出かけている間、つまりジューローの部屋の相方であるスムートがいない間に、サナキルは部屋を訪ねた。
 いつもなら部屋に入れてもくれないだろうが、用件が分かっているのだろう、普通に部屋の中に招き入れられた。
 自分に与えられた部屋以外に入ったのが初めてであったので、きょろきょろと周囲を見回す。
 「…狭いな」
 「お前の部屋が、一番日当たりも良く広い部屋だからな」
 皮肉っぽく言われて、初めてそれを知る。当然のように与えられて、当然のように受け止めていたが、リーダーも気を使っていたらしい。いや、メイドが何か進言したのかもしれないが。
 自分の部屋よりも少し狭い部屋の端と端に二つベッドが置かれている。ジューローの方には大した荷物も無く、武具が置いてあるだけで、スムートの方にはリースでも作っていたのかテーブルの上に乾いた草花が並んでいた。
 イスも無く、勧められもしなかったので、サナキルは立ったままジューローを見つめた。
 「結論から言う。僕は、今までと行動を変える気は無い」
 両腕を組んだジューローは、つまらなさそうに舌打ちした。
 「自分に都合の悪いことは、聞かなかったふりか?」
 「そういうつもりでは無い。お前が、多数の罪無き人間を殺した罪人だということは認めよう」
 詭弁だとはサナキル自身も自覚していた。けれど、そういう結論になったものは仕方がない。サナキルは清々しい気持ちで、胸を張って告げた。
 「しかし、僕が出会ったのは、一冒険者であるブシドーだ。その過去が人殺しであれ貴族であれ…僕が守ろうと思ったのは、今、目の前にいるお前であって、過去のお前では無い。もしも、今からお前が人殺しをしたならば、さすがに…聖騎士としての務めを優先せねばならぬだろうが、お前が一冒険者である限りは、僕もまた、一冒険者として、お前を守ることにする」
 しばらく、ジューローは目を細めてサナキルを見つめていた。
 どうやらサナキルが本気で言っているらしいと認めたのか、一つ苛立たしそうな溜息を吐いた。
 「…馬鹿か」
 「このサナキル・ユクス・グリフォール。自慢ではないが、己の意志が通らなかったことなどない」
 要するに、どんな我が儘でも周囲に通された覚えしか無い、と堂々と言ったお坊っちゃんは、にやりと笑ってジューローの顔を覗き込んだ。
 「覚悟しろ。僕が守ると言ったからには、絶対にお前から離れてやらんからな」
 お前は人殺しを守るのか、と挑発されようと、馬鹿かとどれだけ嘲笑されようと。
 このサナキル・ユクス・グリフォールが守ると決めたからには、何があろうと守るのだ。
 基本的に、サナキルにとって重要なのは己の意志である。たとえ他人がどう反対しようが、「そうなのかな」と揺れることは無い。その辺が、わがまま放題に育った僕ちゃんの性質である。
 おそらくジューローは、サナキルが怒ったり悩んだりして、守ると言った言葉を翻すと思っていたのだろう。どうせ、お前の言葉はそんなに軽いのかだとか何とか、ねちねちと嫌味を言う気だったに違いない。そんな策略に乗ってたまるか。
 「…ちっ…つまらん」
 言葉通り、いかにも面白くなさそうに呟いて、ジューローはごろりとベッドに横になった。客人が来ているのに無礼な態度だったが、サナキルは咎めはしなかった。
 無防備に背中を見せる、という行為は、何だかんだ言ってサナキルを信用していなければ出来ないはずだったからだ。
 見事に盛り上がった背筋と、新旧さまざまな傷跡を見つめながら、サナキルは改めて己の決意を新たにした。
 たとえこの男が罪人として追われていようと。いや、警備隊に追われていようがいまいが、本当にただの人殺しだったのだとしても。
 それでも、守ると決めた。
 一冒険者として生命を守るだけでなく、己の持つ<力>の全てを使って。
 サナキルは、初めて己の出自を神に感謝した。いざとなれば、グリフォール家の名前と財力を使える、と思うだけで心強い。
 この僕が守りたいと決めたのだ。誰に文句を言われる筋合いがある。
 
 そうして、己の望みが叶えられないことなどあり得ない、と強く信じている聖騎士は、胸を張ってブシドーの部屋から出ていったのだった。



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