自己鍛錬
サナキルは薬泉院を辞去し、その足で酒場に向かった。
実は行くのは初めてであったが、わざわざ宿に戻って誰かを誘うほどでも無い…というか、誰にも知られたくなかったし、場所の見当は付いていたので一人で行くことにする。
棘魚の看板を目印に店は見つけたが、まだ午前中だと言うのに酒臭く騒がしい気配に眉を寄せた。このような下々の店になど、入ったことはない。
しかし、ずっと酒場の扉を睨んでいても埒は開かない。
仕方なく扉を押すと、予想通り酒と料理の匂いがまとわりつくように流れ出してきた。
無意識に眉間に皺を寄せたまま、奥へと進む。
酒場の親父は、冒険者らしくない綺麗に整った騎士の姿に、手を止めて声をかけた。
「おぅ、いらっしゃい。初めて見る顔だな」
「確かに。このような店に来るのは初めてだな」
サナキルは使い込まれて光っているカウンターに手を突き、酒場の親父をまっすぐ見つめた。そんな風に真正面から睨まれて、喧嘩を売ってんのか、と親父も目を細めて力を込めた。
「この店に、依頼が来るのだと聞いている。一人で、樹海の魔物を倒せ、という類のものは無いか」
「…はぁ?」
ちょっと予想外であったため、酒場の親父は何度か瞬いた。
どうやら、まっすぐに見つめるのは単なる癖で、ガンをたれているわけではないと気づく。もっとも、無礼なことに変わりはなかったが。まあ、騎士ならば、相手の目を見ない方が無礼だとでも言いそうだ。
それにしても、一人で魔物を倒せってのは何なんだ。そんな冗談のような依頼ははあり得ない。
「あ〜…そんな依頼は、聞いたことがねぇな。そんなの、何の役に立つんだ?」
「エトリアでは、そのような依頼があった、と聞いた」
「あんた、エトリアから来たのかい?」
「いや、僕は違う。聞いただけだ」
酒場の親父は、顎髭を撫でながら、しばらく目の前の青年を見つめた。どこか思い詰めているような気配はあるが、誰かをその依頼で殺そうとしているとでも言うような悪意は感じられない。
「うぉい、誰か、エトリアのこと知ってる奴、いるか!?」
親父が声を張り上げると、酒場で騒がしくしていた冒険者の視線が集中した。
大部分がすぐに興味をなくしたが、数人が手を挙げる。
「うーいっす」
「もう制覇された後っすけど」
そいつらに向かって、親父が疑問を投げかけた。
「エトリアじゃあ、一人に魔物を倒させに行ってたのか?」
冒険者たちは顔を見合わせ、一人が思いだしたのか、ぽんと手を叩いた。
「あぁ、ギルドの試練って奴だ!俺が行った時にゃあ、もう無くなってたけど」
「あ、俺も聞いたことある!伝説のナイトメアのメディックが全部制覇しちまって、ギルドのおっさんがショックのあまり取り止めたっていう…」
メディックが全制覇。
…何となく、聞いたことがあるような、いや、全部とは聞いていないような。
悩んでいるサナキルには気づかず、親父はそいつらに更に聞いた。
「んで、それ、何の役に立つんだよ?魔物を倒してぇなら、皆で力を合わせて倒しゃあいいじゃねぇか」
エトリア経験者は軽く肩をすくめた。その、俺が知ったことか、という態度に、親父も両手を広げて息を吐いた。
「迷宮がずっと謎のまんまだと、つまんねぇこと考えつく奴がいるもんだな」
この酒場に来る依頼は、全て実用的なものである。腕試しや名誉を目的としたものなどない。
だいたい何の話かは掴めたが、何故そんなものに興味があるんだ、と親父が改めてサナキルを見る。
「…僕のギルドは、これから3日間、休養に入るらしい」
「ほー、そりゃそりゃ暢気なこった」
相手がどのギルドに所属しているのか気づいていないまま、親父は相づちを打った。
「そう思うだろう?僕は、その期間を利用して鍛錬しようと思ったのだが…もしも、そのような依頼があるのならば、己の水準がどの程度なのか知るためにも受けてみようと思っただけだ。…いい、自分で鍛錬に励むとしよう」
自分だけでも樹海で経験を積もうと思ったのは確かだが、ふとエトリアのギルドからの腕試し、というのを思い出してここに来てみただけだ。
単なる思いつきに過ぎないので、そんな依頼は無いと言われても、別に悄げたりもしない。
「邪魔したな」
あっさり去ろうとしたサナキルを、酒場の親父が引き留めた。
「まあ、待ちなって。一人じゃああれだが、3日間の訓練ってぇのには非常にお奨めの依頼がある」
足を留めたサナキルに、気のいい冒険者が忠告する。
「4階の3日間依頼なら止めとけよ?ありゃあ辛いぜ」
「黙ってろ!…いやな、デイドリームってぇギルドがキマイラを倒したのは良いんだが、まだまだ4階で魔物の活動が活発でよ、腕に覚えのあるギルドが交代で魔物の討伐に当たってんだ」
「4階、か」
「あんた、どこまで進んでんだ?」
「昨日、別働隊がキマイラを倒したところだ」
あっさり答えたサナキルに、親父は一瞬ぎょっとして声を無くした。
昨日キマイラを倒したギルドは、デイドリームしかない。やばい、今、悪口言わなかったよな?…よし、言ってねぇ、と親父は己の会話を巻き戻して安堵した。
それにしてもデイドリームってことは、これが公宮で好評だった聖騎士ってやつか、えらく若いが…うんうん、暢気なリーダーに巻き込まれることなく自分を鍛錬しようって奴だから強いんだろうな、と親父はへらへらしているリーダーの顔を思い浮かべた。
「それで?4階で魔物を倒していけば良いのか?」
「あぁ、朝の5時に開始して…その…3日後の5時に、他のギルドと交代だ」
3日間。
サナキルは眉を寄せた。
一人で鍛錬をするのなら、4階に行くこと自体は構わない。むしろ望むところだ。
ただ、問題は。
「…帰って宿で休んだりは…」
「4階から一歩も出ないってのが条件だ」
「だから止めとけって。魔物も活発なとこだし、3日間息も抜けねぇって大変なんだからよ」
また口を挟んできた冒険者を睨んで、親父は猫撫で声で依頼の紙を渡した。
「こりゃあ公的な義務じゃあねぇが、腕のあるギルドのお務めみてぇなもんだ。途中でリタイアして帰っちまうギルドも多くてよ。もしもちゃんと達成したら、ギルドの名が上がるぜ?」
サナキルは渡された紙を見つめた。
ギルドの名がどうこうはともかく、3日間4階に籠もれば、経験が積めるのは確かだろう。
問題は…3日間徹夜、食事もろくに摂れない、という状態に、己の神経がもつかどうかだ。その点、サナキルは、己の性質というものを把握していた。つまり、育ちが良い分、粗悪な暮らしに耐えられない、という。
「…ともあれ、仲間に相談してみることにしよう」
「おぉ、色好い返事を待ってるぜ」
親父は、依頼の話は終わったと見て、さあ何か飲み物でも、とグラスを取り上げたが、サナキルはさっさと出口に向かって歩き始めていた。親父の素振りに気づいてはいたのだが、このような環境で飲食するなど罰ゲームに近い。
依頼の紙を読んでます、といった体で誰とも目を合わせず酒場から出ていった。
外の空気が冷たく乾いていることを、こんなに気持ちが良いと思ったことは無い。
冒険者という輩は、何故好きこのんであのような劣悪な環境で飲食しようなどと思うのだろう、などと酒場の親父に知られたら殴られそうなことを考えつつ、フロースの宿に帰っていった。
さて、どうするか、と玄関から入り、中庭を覗いてみた。
予想通り、庭の隅ではジューローが刀を抜いて何やらしていた。剣の素振りとは全く異なる、まるで舞踏のステップのような動きだ。
剣舞というものを見たこともあるが、それは肌も露な女たちが音楽に合わせて派手に舞っていただけのものだった。ジューローの型は、見た目は地味だが、洗練された無駄のない軌跡の鋭さこそが美しいと思えた。
しばらく声もかけずに眺めていると、正確な動きを繰り返していたジューローが、ふと手を留めた。
「…何か、用なのか。鬱陶しい」
「一言余分だな」
悪意のある言葉はさらっと流しておいて、サナキルはジューローに依頼の紙を差し出した。
手も出さないジューローに眉を上げると、苦い顔で吐き捨てられた。
「読めん」
「あぁ、東国語しか読めぬのか」
読み書きの出来ない階層がある、ということを全く知らないサナキルは、異国人なせいだろうと納得して、それを読み上げた。
それがどうした、と言いたそうなジューローを、腰に手を当て見上げる。
「僕は、あの時、何も出来なかった。それが気に入らない」
相変わらず苦い顔だが、一応ずっと聞いているジューローをまっすぐ見つめる。考えてみれば、この男はサナキルが話しかければ無視はしないし、質問をすれば一応は返事をする。それが「知るか」だったり「馬鹿か」だったりするにしても、だ。
案外と律儀というか何と言うか。
「お前も、そうだろう。せっかくの強敵を相手にすら出来なかったなど…3日間の休養、自己鍛錬だけで満足出来るか?」
ジューローの目に、奇妙な渇望に似た光が浮かんだ。
何も言わずに見つめてくる、その目に渦巻くものを見つめる。
答えは、是。ただし、サナキルの問いであるため、素直に頷く気がしないらしい。
「僕は、これを受けようと思っている。ひょっとしたら、お前も行きたいのではないかと思って、誘っている」
2人いれば、交代で休むことも出来るだろうし。まあ、その部分は言わなかったが。
「…お前と、二人か」
少し、天秤が傾いた。断る方に。
しかし、さっくりと断るには誘惑が強いらしい。無意識なのか、刀の柄に手をかけている。戦いたくてしょうがないらしい。
「メディカを持っていけば、メディックがいなくとも…」
サナキルなりに計画は立ててみたので、つらつらと予定をあげていると、上から悲鳴が振ってきた。
「わーかーさーまー!」
メイドの声に、サナキルは舌打ちした。
2階の窓が開き、ふわりと茶色の塊が降ってきた。どこのメイドがひらひらスカートで2階の窓から飛び降りるのか。
怪我一つ無いファニーは、ずいっとサナキルに迫った。
「若様!なるべくなら口は挟まないようにしようと自制しておりましたが、さすがに無茶です!この男と二人きりで3日間も樹海に潜るなど…」
「お前のその心配は、主にどこにかかっているのだ。ジューローになのか、二人きりの部分なのか、3日間なのか、4階なのか」
「全部です!良いですか、若様、若様はグリフォール家の大事な御血筋であられ…」
ほとんど鼻が触れ合わんばかりに迫ってまくしたてているファニーの言葉を耳から耳へ聞き流しながら、どう説得したものか考えていると、今度は屋根裏部屋の窓が開いた。
「…とにかく、中に入ったらどうだろう。丸聞こえだし」
リーダーの苦笑じみた声に、ファニーもふと我に返ったようだ。あら、と言うように口を手で覆い、スカートをふわりと広げて腰を落とした。
「出過ぎた真似を致しまして、申し訳ございません、若様〜」
「…良い」
護衛が過保護に過ぎるのを謝るのも、口調をおっとり調に直すのも、非常に今更何を言っていると言いたい。溜息を吐いてサナキルは庭に通じる戸口から中へと入った。ちらりと横を見たが、ジューローはきびすを返してまた庭の定位置に向かって行っていた。どうやらまた鍛錬に入るらしい。決まったら呼べ、ということだろう。
暖炉のある居間へ行くと、上からリーダーとアクシオンが降りてきて合流した。
「もー、だいたい事情は聞こえたけどさ。依頼、見せて」
出された手に紙を渡すと、ざっと読んでからそれを筒のように丸めて、ぽこりとサナキルの頭を叩いた。
「な、何をする!」
全く痛くはなかったが、そんなことをされるのが初めてだったサナキルは、頭を押さえて叫んだ。
ルークはそのまま紙の筒で己の肩を叩きつつ、呆れたように言った。
「あのね、坊ちゃん。自己鍛錬は結構だけど、依頼は完遂しないと意味無いの。こういう他のギルドに迷惑かかるようなのは特にね」
「だ、だから、僕と…ジューローが、3日間魔物を狩れば良いのだろう?」
「ジューローが死んだら?」
「…ネクタルで…い、いや、そもそも僕が守って、だなぁ」
「戦いの最中だったら?ラフレシア出たらどうすんの?」
責めるようでもなく、淡々とまずい事態、ただしかなりあり得そうなシチュエーションを挙げていくルークに、サナキルは降参の意味で両手を肩の高さまで上げた。
ルークもぽんぽん肩を叩いていた手を止めて、一つ大きく息を吐く。
「アクシー」
「ルークのマントを仕立てようと思ってたんですが…ま、しょうがないですね」
困ったものです、と言うようにおっとり笑っているアクシオンに、一体どういう意味かと思っていると、ルークがもう一度依頼の紙を広げて頷いた。
「出発、明朝5時。5階磁軸からすぐに降りれば、ちょうどいいだろう…って、あれ、ちょっと待て」
ルークは懐から地図を取り出して眉を顰めた。
「ここは瓦礫で区切られた広場で…先に行こうとすると、確か襲撃者がこっちに気づいてくるんだよな」
「先に掃除しますか?」
「だな」
まさか、と思っていると、リーダーは確定事項を告げる口調で、サナキルに言った。
「ジューロー呼んできて。4階の襲撃者を倒しに行く」
以前、全くかなわず、ジューローが一撃でやられた魔物と戦いに行く、と告げたルークは、ぽりぽり頭を掻きながら上へ向かおうとしていた。
「…どういうことだ?」
呟いたサナキルに、アクシオンがやっぱり平然と解説した。
「3日間、4階から出られないのに、襲撃者の動向まで気にしなければならないのは大変でしょう?だから、先にさっさと排除しておくんです。雑魚が相手なら、3日間くらい余裕でしょう」
弧を描いて吹き飛ばされたジューローの姿を思い出して、思わず顔を顰める。出来れば、もうあんな目には遭いたくないものだが。
アクシオンが全く笑っていない若草色の瞳で、顔だけは微笑みの形で続けた。
「それと、鍛錬は結構ですが、依頼を中途半端に放棄するとギルドの名に傷が付きます。貴方がグリフォール家の名を気にするのと同様、俺もルークの名に傷が付くのには我慢が出来ません。よって、依頼の完遂のため、全力を尽くします」
つまり。
メディックは付いてくる気満々だ、ということだ。当然、リーダーも。
そして、ルークが上に行ったということは、ショークスを呼んできている可能性が高い。
「…結局、いつもと同じメンバーか」
何だか、あまり自己鍛錬にはならない気はするが…少なくとも、3日間の休養よりはマシかもしれない。
「ジューローを呼んでくる」
中庭では、相変わらず決まった動きを繰り返しているブシドーがいた。
「ジューロー。4階の襲撃者を倒しに行くことになった」
ぴたり、と刀を止めたジューローは、ひゅんっと鞘に収めた。
眉を顰めて、何を言っている、と言いたそうな顔でこちらを見たので、説明する。
全員で行くことに、喜ぶのか怒るのか、と様子を窺ったが、ふっと息を吐いただけで、それ以上は何も言わずに庭から中へと入っていった。
階段前にいたアクシオンが、ジューローを見て目を細めた。
「これがこちらのキマイラ戦だと思えば良いかも知れませんね。少なくとも、ジューローにとっては強敵でしょうし」
いつも通りのおっとり口調だったので本人は当然のことを言っているつもりなのかもしれないが、どう聞いても嫌味か皮肉だ。
聞いているサナキルの方が眉を顰めたのに、ジューローは鼻を鳴らしただけで2階へと上がっていった。
何故、あのメディックには大人しいのだろう、年上だというだけでそんなにへりくだるものなのだろうか、と納得できないものを感じて突っ立っていると、こっそりと横に付いていたメイドがそっと腕を引っ張った。
「若様〜、どうしても行かれるのですか〜?いいえ、5人揃ってのことでしたら、二人きりよりは反対はしませんけど〜」
「なら黙っていろ」
イライラした調子でさっくりとメイドを打ち捨てて、サナキルも鎧の準備のために上へと上がっていったのだった。
そして午後。
襲撃者は非常にあっさり倒せた。
「キマイラの代わりとしては、ちょっと物足りなかったかな?」
とルークも苦笑した。あまり自覚は無いが、本当に強くなっているらしい。
最後まで生き残り、しっかり攻撃もしたジューローも満足そうだった。
不満を漏らしたのはアクシオンだけだ。
「…爪…取れると思ったんですけど」
どうやら、襲撃者を倒したのに取れたアイテムが気にくわなかったらしい。
結局、奥さんに甘いリーダーの一声で、隠し通路の方の襲撃者も倒すことになり、鋭い爪は取れたものの、シトト商店では、人間用の武器にはならないかもしれません、と謝られたのだった。