騎士フロースガル




 縛りパーティーから渡された地図を見て、ルークは苦笑した。
 5階の磁軸から下へと抜ける道が出来たのは良いが、妙なところに抜けがある。
 ネルスたちも、全て埋めるつもりでいたのだろうが、広い部屋で2体の襲撃者に追い回され、ちゃっかり宝箱の中身だけは回収してから糸で戻ってきたらしい。
 一応、一見は壁で囲まれた部屋で、それ以上の道は無かったようだが、詳しく調べる暇は無かったとのことなので、いずれあの襲撃者を倒せるようになってから、きっちり地図を埋めようと思う。
 横から覗き込んでいたサナキルが、地図の中央付近を押さえた。
 「ふむ、この辺りに6階への階段がありそうだな」
 「まぁ、そうだろうねぇ。その前に、こっちの分かれ道を確認してからだけど」
 襲撃者がうろうろしている通路から出てきて、そのまままっすぐ進んだため、上へと折れた道がまだ残っているのだ。6階に上がる前に、地図は出来るだけ埋めておきたい。

 いつも通りに5階磁軸へと飛んで、ネルスたちが開けてくれたショートカットを使う。
 出てきた魔物も、普通の5階の雑魚であったため、普通に倒していく。苦戦するとしたらラフレシアくらいなのだ。何せ攻撃力として肝心要のジューローの刀が氷属性でほとんど効かないので。ただ、鬼火炎を使えばかなりのダメージを与えられるので、TPさえ惜しまなければ大丈夫なのだが、ブシドーには、あまりTPが備わっていない。それでもちまちまとダメージを与えていけば、こちらが死ぬほどでもなく倒せるようになったので、確かに強くなってきているのだと思う。
 「…でもなぁ、ギルド長によると、5階には凶悪な魔物がいるって話なんだよなぁ」
 こんな雑魚ではなく、駆け寄る襲撃者でもなく。
 憂いげに呟いたルークに、サナキルは平然と言った。
 「まだ見てもいない敵を相手に臆する必要は無いだろう」
 そして、「あぁ、またこの坊ちゃんは」と言いたそうに苦笑したルークに、胸を張る。
 「仮にかなわぬと思えば、一時退却してから鍛えれば良いのだろう?1階でのあの魔物と戦った時のように、一般人に被害が及ぶ可能性がある場合は別だが、それ以外ならば、僕も撤退を拒みはしない」
 そりゃ、出来れば見つけた魔物を全てばったばったと薙ぎ倒せられたら問題ないが、どうもそういう英雄譚は無理だとサナキルも理解している。命を惜しむ気は無いが、無駄に捨てる必要もない。
 「うわお、坊ちゃん、冒険者らしくなったなぁ」
 「当然だ。僕も冒険者なのだからな」
 たぶん、聖騎士としては、こういうのは成長したとは言えないのだろうが、サナキルも『たとえ、みっともなかろうが生き残ることが優先』という冒険者の理論は理解できるようになっていた。
 「まあ、逃げられない敵もいるんですけどね」
 おっとりとした調子で水を差したメディックは、ちらりと推定階段がある方向へと目をやった。
 「エトリアでは、ルークが情報収集に駆けずり回っていましたからねぇ。全く歯が立たないか、いけそうなのかっていうのも判断して頂いてたのですが…」
 「悪い、今回、情報収集の精度が悪くて」
 分かっているのは、色々な獣を混ぜ合わせたような姿の魔物で、他の雑魚とは比べものにならないくらい凶悪、というくうらいだ。凶悪、と言われても、1ターンで全滅させられるのと、10ターン頑張ったけどかなわないというのとは全く異なるのだが、その辺の情報が無い。
 「…敵を知り、己を知らば、百戦危うからずや…」
 ぼそりとジューローが呟いた。何かに対する返答以外で、自発的に何かを言うのは珍しい。
 奇妙な言い回しではあったが、単語は理解出来無くもないので、意味を考えてみる。
 「…彼我の戦力を知っておけば、百戦しても危なくは無い、と言う意味か?」
 「そうだ」
 「しかし…たとえば、敵が己の100倍の戦力だと知ったところで、危険が無くなることは無いと思うのだが」
 単に危険が分かるだけ、というか。
 揚げ足を取るつもりではなく、本気で疑問を覚えたサナキルは、首を傾げて問うたが、ジューローは言葉に詰まった挙げ句に、「俺が、知るか!」と吐き捨てた。
 何でこうも会話が続かないのか、とサナキルは、不機嫌そうに黙々と歩いているジューローの横顔を見つめた。こんなに怒りっぽい男は初めてだ。いや、怒りっぽいというよりは、いつでも楽しくなさそうだというか。だったら、何故こんなところにいるのだろう。
 しばらくはサナキルも口を閉じて歩いていたので、周囲の音が遠くまで聞こえていた。己の足が草を踏みしめる音。小動物が立てるらしい葉ずれ。遠くから聞こえる遠吠え。…遠吠え?
 分かれ道の方から、獣の唸り声のようなものが聞こえた気がして、サナキルは背後のルークを振り返った。
 「思ったより、近いな。…階段、意外と妙なとこにあるのか?」
 ルークも怪訝そうな顔で首を傾げる。 
 この声の位置は、中央の空き部分ではなく今向かっている小道の先から聞こえている気がするのだ。もちろん、上へと向かう階段が中央の広間の先にあって、その前に合成獣とやらがいるというのはこっちの勝手な憶測ではあるのだが、まさか、こんな細い小道の先に獣がいるとは思っていなかった。
 普通に狼の遠吠えのように聞こえるが、合成された獣の種類が分からないので、こういう吠え声という可能性も十分ある。
 警戒しながら進んでいき、全員武器を構えて曲がり角を曲がって。
 少なくとも、巨大な獣はいなかった。
 道の先、大きな樹の下にうずくまる黒い獣の姿は見えた。その獣は、こちらの姿を認めてから、吠えるのを止めて静かに待っていた。
 「…騎士フロースガルの狼だな」
 「クロガネ、だ」
 サナキルが呟くと、隣からすぐに訂正が入った。正直、サナキルにとって狼は騎士の数段下に位置づけられていたし、異国の響きであったため、名前は覚えていなかったのだが、ジューローにとっては違ったらしい。
 その様子が分かるほどに近づいて、ようやくクロガネが傷ついているのに気づいた。毛皮が元々黒いので分かり辛かったが、相当の出血があるようだ。
 クロガネは一声鳴いて、足下の何かをくわえて差し出した。
 ごわごわの羊皮紙に線やメモが書き込まれている。
 背後のルークに渡すと、すぐに自分の地図と突き合わせて、険しい表情になった。
 「これから俺らが向かおうとしている、この広間中央付近で途切れてる。…あまり、良いことが起きたとは思えないな」
 赤褐色の染みや掠れを押さえて、ルークは呟いた。
 「…メディカありますが…飲めますか?」
 アクシオンが差し出した瓶から、クロガネはふいっと顔を背けた。そして、広間の方角を向いて、一声鳴く。
 「推定。主に殉じようとしている」
 言葉にすると本当になりそうで嫌だったが、それ以外に、騎士の<友>と呼ばれる者がたった一人でこんなところに蹲る必然性が無い。
 「で、俺らにこれ渡すってことは、俺らに仇をとれ、と言ってるような」
 「それは理解します。けれど、自らの治療を拒否する必要はありません。…飲みなさい。我々が、勝利の報告をするまで、生きているために」
 メディック特有の、静かではあるが毅然とした命令にも、クロガネはそっぽを向いた。この出血のどこまでが本体からの出血で、どこまでが返り血かは分からなかったが、誇り高く頭をもたげているその獣が、相当弱っていることは素人の目にも明らかであった。
 「…無理にでも、回復させることは可能ですが?」
 下がったアクシオンが許可を求めるようにルークにこそりと呟いた。
 サナキルは、クロガネの目を正面から見つめた。
 相手は獣のはずだ。人間の騎士の理念などに縛られるはずもない。
 だが、確かにクロガネは騎士の従士としての責を全うしようとしている。ならば、それに答えるのが聖騎士としての務め。
 「よし、分かった。我々が、必ずや敵を討ち取る」
 サナキルの宣言に、狼が微かに喉で音を立てた。それは怒っているのではなく、安堵の唸りに聞こえた。
 「主が安らぐまで、この狼が己だけ癒されることをよしとはするまい。行くぞ」
 その<主が安らぐ>が何を指しているかについては、サナキルは言明しなかった。おそらく、既に騎士フロースガルは合成獣によって倒されたのだろうとは推測していたが。
 「…急いだ方が、良さそうだな。ちょっと様子見のつもりだったが…」
 リーダーも頷いて歩き始めた。正直、今の実力で合成獣が倒せるかどうか分からなかったので、もう少しレベルアップしてから突っ込みたかったのだが、そうも言ってはいられない。
 道の分岐まで来て、フロースガルが記した広間の方へと向かう。
 「…使えるのが、サナキルの挑発、ジューローの卸し焔か斬撃、ショークスのパワーショットはレベル1、俺の舞曲がレベル7…かなり賭だな〜」
 1階の傷ついた襲撃者を倒した時同様、ほとんど相打ち覚悟のような気がする。
 「しかし、行かねばなるまい」
 「だね。フロースガルには世話になったし」
 雑魚を散らしつつ、広間前の扉に到着した。
 覚悟を決めて、扉を押し開いたが、すぐには合成獣と思わしき魔物は見当たらなかった。
 その広間は、広くはあったが、左右に石積みの建物があったのか、崩れそうな壁が視界を遮っていた。
 念のため、左右の道を確認するが、敵はいなかった。
 じりじりと進んでいって。
 「あ〜、まだ見えねぇけど、正面に気配びんびん」
 「…やっぱり?」
 まだ先の扉も見えないが、どうも正面から圧倒的な敵の気配を感じる。舌なめずりして待ち構えているような、そんな気配。
 猫が鼠をいたぶって遊ぶのを楽しみにしている、けれど、自分から仕掛けてはこない。そう、その魔物は、こちらに気づいているにも関わらず、動く気配は無かった。
 「…匂いがします」
 何の、とは言わなかった。
 アクシオンが指さしたのは、右側の瓦礫の壁だった。
 何となく、皆そちら側に寄っていって…音が聞こえた。
 複数の羽ばたきと、きぃきぃと甲高い鳴き声。
 「あの小悪魔だな」
 イタチに羽を生やしたような姿は、本当に本で見る悪魔の姿に似ていたので、サナキルにとっては最優先で倒すべき敵であった。
 どうする?とサナキルはルークを振り返った。
 小悪魔どもは倒しておきたい。けれど、おそらくは凶悪な敵と戦うであろう前にこちらの力を使い切ってしまうのは避けた方が良い。ただ、あの小悪魔どもは、こちらが乗り越えられないのを後目に、瓦礫を飛び越えて攻撃しに来るのだ。合成獣と戦っている間に背後を突かれるのもまた避けるべきだ。
 「…何か、おかしくないか?」
 ルークが呟いた。
 「いつも、あいつらは、瓦礫の合間を飛び回ってうろうろしてたよな、鬱陶しいほど。…こっちの気配に気づいてるだろうに、何で、じっと固まってる?」
 興奮したような鳴き声がひっきりなしに聞こえてくるが、それが出てくる気配は無い。
 「ちっと覗いてくる」
 今にも崩れそうな瓦礫に、ショークスがひょいっと足を掛けた。身軽にひょいひょいと上がっていって…奥を覗き込んだ。
 しばらく目を細めて見ていたショークスが、こちら側に飛び降りた。
 「…羽付きが6体、あ〜…死体、食ってる」
 ひどく言い辛そうにショークスは言って、顔を顰めた。
 「不埒な!名誉ある騎士の遺体を怪我されるなど、許してはならない!」
 「…あいつだとは、言っていないが」
 ぼそりと突っ込まれて、自分が完全にフロースガルはもう亡くなっている前提で思考していたことに気づいたが、ショークスがやはり歯切れ悪く「…いや、たぶん、騎士」と付け加えたので、一瞬鎮火しかけた怒りがまた燃え上がった。
 「何とかして、そこまで向かう道は無いのか!」
 「…その<死体>がそこにある以上、どこかに壁が低くて引きずり込める場所はあると思いますが…」
 アクシオンが非常に合理的な推論を口にする。おそらく騎士は最後まで合成獣と戦い、瓦礫に逃げ込むことはしなかっただろう。だとすれば、その体を小悪魔どもが引きずって瓦礫の奥に持ち込んだはずだ。あの体格では、6体いても人間一人鎧ごと飛べるとは思えない。
 何とか入れる場所はないかと瓦礫の壁に沿って奥へと歩いていくと、崩れた隙間から耳を塞ぎたくなるような音が聞こえてきた。どうやらこの付近が最も近い場所らしい。
 「…敵さんは見えたが、壁は続いてる。つまり、あれを倒さないと、奥へは回り込めない」
 「可及的速やかに、壁の向こう側に行けませんか?」
 アクシオンの緊張した声が鋭く響いた。その声に含まれるものに、サナキルは振り向いた。
 もちろん、サナキルはそれに賛成ではあるのだが、合理的、という意味合いで言えば、アクシオンらしくない態度だった。サナキルにとっては騎士の遺体が悪魔に食われるのは聖騎士の本能的に受け容れがたいことなのだが、メディック的には死体はそれ以上死ぬことはなく、急ぐ必要性は無いはずだ。
 「アクシー?」
 「推定死体の胸が動いたように見えました。気のせいかも知れませんが、食い破られたのは内臓だけで、まだ息がある可能性は否定できません」
 どうやら音に怯むことなく、その瓦礫の隙間から奥を覗いたらしい。
 もしも息があるというのなら、全ては違ってくる。
 「速やかに…って…あれを倒すのと、道を探すのと、どっちが早いか…ショークス」
 「あいよ」
 レンジャーがほとんど見えない突起や隙間を利用して瓦礫を登っていった。そして、今度は強度を確かめているのかところどころを蹴りながら慎重に降りてくる。
 「ロープありゃあ、お前らでも登れるか?補助はするけどよ。…でも、降りるのが、一人ずつになる。敵さん6体が待ち受けているとこにな」
 「僕が最初に行く」
 あの小悪魔どもは、通常攻撃は大した威力が無い。…もっとも、高速飛行されると、何撃も食らって危険なのだが。
 それでも、防御が一番高い自分が行くのが、もっとも理に適っているはずだ。
 「鎧や盾が重そうですが…しょうがないですね、サナキルが登れたら、全員大丈夫だろうという目安にもなります」
 さりげなく他人を実験台のように言っておいて、アクシオンは自分の胸に手を当てた。
 「では、次に俺が行きます。なるべく早めに治療を開始したいので」
 「いや、どうせ先に行ったところで、あいつらが群がってきたら治療にならないだろ。俺が行って、なるべく派手に敵さんを引きつけておくわ」
 アクシオンは少し眉を顰めたが、何も言わなかった。
 「…では、その次は俺だな。お前たち二人で何が出来る」
 現時点の攻撃力は、サナキル+ショークス+ルーク=ジューローである。頼られるのが鬱陶しかろうが、そこまで歴然と攻撃力の差があれば、呆れながらも付き合うしかない。
 「OK、順番決まったな。でも、坊ちゃん、せめて盾だけでも後か先に降ろすか出来ねぇ?それ持ったまま登れねぇだろ?」
 「背負っていく。盾は騎士の魂だ。手放すことなどできん」
 「…あ、そ」
 本当は、その重さを支えるのが辛い、というのもあったのだが、ショークスは苦笑いして頷いた。ここで論争して余計な時間を食う気は無い。
 背嚢からロープを取り出して確かめる。傷は入っていない、と頷いて、ロープを肩にかけてまた瓦礫に登った。
 少し上を歩いて、ちょうど何やら金属の棒が楔形に突き出ている箇所を見つけ、ロープの真ん中あたりをそこに結ぶ。
 「よし、OK」
 合図されて、サナキルはロープを握り、何とか足がかりを探して登り始めた。
 何度か滑ったし、何度か足がかりを見つけられなくて腕の力だけで登る羽目になり、もう駄目かとおも思ったが、どうにか上まで辿り着く。レンジャーは気軽に登っていたので甘く見ていたが、なかなか厳しいものだ。
 てっぺんまで行ったら、今度は下へと降りていく。どうせ小悪魔たちに攻撃されるのは承知の上なので、ある程度まで降りたら思い切って飛び降りた。
 がちり、と鎧が鳴る。
 きぃ、と幾つかの魔物がこちらを向いた。
 「僕が相手だ!」
 背中から荷物を降ろして、慌てて盾を外して構える。さすがに背嚢を背負い直す暇は無かった。
 「ひゃっほぉう!」
 陽気な掛け声と共に、上から派手な色彩の塊が振ってきて、地面をころころと転がってきた。どうやらかなりの距離から飛び降りたらしい。
 「おー、いて」
 足を痛めたのか、ひょこひょこと引きずりながら、バードはオカリナを取り出して頓狂な音を奏でた。
 地面に降りていた小悪魔たちが、完全に興味をこちらに向ける。
 次々に羽ばたいてこちらに向かってきたので、サナキルはルークが背後に辿り着いたのを確認して、盾を構え直した。
 幸い、小悪魔たちはばらばらに向かってきている。6羽全部に飛びかかられると厄介なことになりそうだったが、せめて半分ずつなら何とかなる。
 その飛びかかってくる小悪魔たちを、悠然と近づいたジューローが無言で斬り捨て、サナキルの隣に並んだ。
 遠くで、白衣がふわりと舞い降りて、推定遺体の方へと駆け寄ったのが見えた。レンジャーはそのまま壁の上から弓を引き絞り、小悪魔たちを射抜いている。
 小悪魔たちは、さして強くない。その辺の雑魚と同様程度なのだが、今回は数が多かったので、それなりに苦戦する。それでもちまちまとダメージを与えていき、何とか全部落とすことが出来た。
 死体を確認してから、アクシオンの方へと向かう。
 近づいて、見えた光景にサナキルは息を飲んだ。
 確かに、騎士はまだ生きていた。ぜいぜいと波打つ胸が、それを教えてくれる。
 だがその上半身とは別の光景が、腹部で広がっていた。
 アクシオンが振り返り、静かに告げる。
 「ぶっちゃけて言います。生き延びさせることは可能です。けれど、このまま死なせるのが親切というものです。…どうしますか?」
 アクシオンを怒る気にはならなかった。人間が、内臓無しで生きられるとは思えない。
 「生き延びた場合、どうなる?」
 「冒険者どころか、日常生活を送ることすら不可能です。一生、施薬院…じゃなかった、薬泉院のお世話になるしかないでしょうね」
 言いながらも、アクシオンの手は次々に内臓の切れ端を縫い合わせていっていた。おそらく、手を止めたらすぐにでも死に向かうのだろう。
 サナキルは唇を噛み締めた。
 騎士として、一人では立てず、一生他人の世話を受けるなどという事態は、誇りが許さないかもしれない。
 けれど。
 「全力を尽くそう。生き抜くのも、また、戦い。戦いから逃げることは、騎士のなすべきことでは無い」
 「了解しました」
 ルークではなくサナキルの意見一つで、アクシオンは上げていた顔をまた下に向け、処置を開始した。
 手は止めないまま、告げる。
 「けれど、これは応急処置に過ぎません。なるべく早く、薬泉院に運ぶ必要があります。もちろん、糸を使える状態ではありません。かといって、1階まで徒歩で帰るのも距離があり過ぎます」
 「へ?どうすんだ?」
 「…磁軸が、ある可能性に賭けるしか無いな」
 怪訝そうなショークスに、ルークが厳しい面もちで言った。
 「フロースガルも言っていたが、双方向性の樹海磁軸が存在するはずだ。エトリアでは6階、11階、と5階毎にあった。もし、この迷宮にも6階にあるのなら…あれさえ倒せば、階段の先で見つかるかもしれない」
 この迷宮がエトリアのものと同じという保証は全く無い。けれど、それに賭けるしか無いのだ。
 サナキルは膝を折って騎士の顔を覗き込んでいたのだが、呼吸がおかしな調子になってきた気がする。サナキルは人を看取ったことなど無いが、危険な調子のような気はした。
 「では、急ごう。あれを倒せば…」
 「無理でしょう。俺は、ここを離れられません」
 手早く調合したものを、直接腹腔内に注ぎ込みながら、アクシオンが冷ややかに言った。冷ややか、というと失礼か。完全に頭が患者に向かっているので、ほとんど機械的に返事をしているのだ。
 「…どうしろと?」
 強敵に立ち向かいたいのは山々だが、さしものジューローも回復する人間無しで戦闘するのは自殺行為だということは分かっている。赤の他人の騎士なんぞのために全滅する気は無い。
 「…分かった、ショークス、あっちを呼んできてくれ」
 ルークは首に下げていたギルド許可証をショークスに渡した。これはギルド共通のため、ギルドが5人以上同時に迷宮に入れないようになっている。全滅を理由に別メンバーが入る場合は、24時間経過が条件だ。そんなに待てない。
 「縛りパーティーに頑張って貰って、道が開いたら階段確認、磁軸があればそちらに向かう。帰りはザルだから大丈夫だろ」
 迷宮に入るのは管理されているが、帰りは磁軸だったり糸だったりするせいで、厳密には管理されていないのだ。少々怪しまれても、薬泉院に向かう必要があると押し切れば何とかなる。
 「OK…って、それだと俺はここに戻って来られねぇんだけどな。それがちと辛いが…しょうがねぇ」
 差し出されたギルド証と糸を受け取って、ショークスは4人の顔を見回した。
 「なるべく早く来るよう伝える」
 「いや、しっかりフォース溜めて来いって伝えて。たぶん、普通にかなう相手じゃない。結果的に、それが早道だ」
 「了解」
 ショークスが糸留めを外した。
 入り口から走って宿まで帰って、縛りパーティーに事情を説明して迷宮に来させて、その縛りパーティーが合成獣を倒して。待っている方は、恐ろしく長く感じるだろうことは予想が付いた。
 「ま、うまくいきゃあ、ショークスから事情はネルスに伝わってるから、あっちも準備してるかもしれないし」
 ルークが楽観的な希望を口にした。
 周囲の警戒はジューローに任せて、サナキルはまたフロースガルの頭元に膝を折った。
 何だか、喉がごろごろと音を立てている気がする。
 「ちょっと、頭の下に何か支えを入れて下さい」
 視線は腹部のまま、アクシオンが指示したので、サナキルは背嚢からタオルを取り出して丸めて頭の下に入れた。
 余計に、おかしなことになった気がする。どうしたらいいんだ、とアクシオンを窺ったが、真剣な顔で処置を続けているので、声をかけにくい。
 軽くパニックになりかけていると、頭上から低い声がした。
 「…喉の道を開けろ。…つまり、首の下に入れて、仰け反るような姿勢にしろ」
 ジューローの言葉に従い、丸めたタオルの位置をずらした。顎を引いていたような姿勢を逆にすると、少し喘鳴がマシになった気がする。
 「助かった…お前にも、そういう心得があるのか?」
 額の汗を拭い、ジューローを見上げると、不機嫌そうにぼそりと答えた。
 「…死にかけるのには、慣れている」
 自分の身を持って体験したやり方、ということか。それはそれでどうなんだ。
 そんなものに慣れたなどと言わせたく無いな、と思ったが、今はそれを論議する場合でも無い。
 少し手が空いたのか、アクシオンが手早くキュアを調合して、ルークとジューローの傷を治した。
 「さて…ここは、俺が何とかします。そちらはクロガネを連れてきて下さい」
 「へ?」
 まさかそんなことを言われるとは思っていなかったのだろう、ルークが目を丸くして問い返す。
 「騎士も、クロガネが死にかけているのを見れば、自分が死ぬわけにはいかないと根性振り絞ってくれるかもしれないし、あっちも主のために生きるかもしれないし。ぶっちゃけ、後の手間を省こうと思ってます。どうせ、一段落したらクロガネに報告もするつもりなんでしょう?」
 「そりゃそうだけど…」
 今、メディックを一人でこの場に残して行くほどのことではないと判断していたのだが。
 「…動くか?あれが」
 ジューローが腕を組んで呟く。あの様子では、主の仇が散るまで動くとは思えなかった。こちらに来るどころか、回復薬すら口にするかどうか。
 「相手がどれだけ理解するかは知りませんが、こう伝えて下さい。主のはらわたが食われています。代わりに貴方のはらわたを使えば主は生き残るかも知れません。主のために、生きたままここに辿り着け」
 淡々と言われたが、その内容の凄絶さに一瞬言葉を失う。
 「…えーと、それは…マジ?」 
 「半分は。犬科の小腸を繋げて生着させようと思えば、それこそ生死に関わるほどの大量の免疫抑制剤が必要で……いえ、専門的なことはともかく。騎士の従士なら、そこまで言えば意地でも生き延びてくれるかな、という期待です」
 よくは分からなかったが、とにかくアクシオンなりに主従のどちらも助けようとしているのは確かだった。表現はちょっとあれだが。
 しかし、死体になりかけている瀕死の騎士と、その回復で手一杯のメディックを一人で置いていくのも危険な気がする。
 「分かった。僕が行く。戦わずに、何とか防御しつつ逃げれば…」
 「坊ちゃん、無茶言わないの。特に、帰りはクロガネ付きなんだから。…んじゃ、ちょっと行って来る」
 「はい、お気を付けて。背嚢にメディカが3つ残ってますから、持っていって下さい」
 「OK」
 アクシオンの荷物からメディカを取り出したルークが懐にそれをしまい、サナキルとジューローを促した。
 「ほい、行くよ」
 「メディックを、一人残してか!?」
 リーダーとしての判断としてもどうかと思うが、ましてや相手は己の恋人なのだ。そんな危険な状況に残しておくなどとよく言える。
 いつ雑魚が来るかも知れないし、更にはすぐ近くに合成獣とやらがいるというのに…あっちが気まぐれに場所を動いてここまで来るかも知れないのに。
 「いや、坊ちゃん、ここって合成獣の縄張りだろ?却って、雑魚相手には安全なのよ。少なくとも、クロガネがいる辺りまでの往復に比べたら」
 ルークはあっさりと言って、ロープへと歩いていった。
 「…しかし…」
 残ったアクシオンとルークの後頭部を見比べる。俯いて処置をしているアクシオンの顔には、うっすらと満足そうな笑みが浮かんでいた。
 「大丈夫ったら大丈夫」
 振り返らずに、ルークは断言した。
 そのままロープを掴んで、ひょいひょいと登っていく。
 ジューローに顎をしゃくられ、サナキルは振り返りながらも、瓦礫を乗り越えるべく、同じくロープを掴んだのだった。



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