大公宮の衛士




 エルムは、他人の視線が集まっているのを感じていた。
 まあ、奇異に見えるのは覚悟の上なので、あまり気にはしていない。
 ここは町中から居住区付近の道である。
 そして、エルムはいつもの格好に、丸太を担いでいた。腰に下げた鞭を見れば、冒険者、しかもダークハンターであることは容易に推測でき、だからこそ、丸太が浮いているというところである。
 時折肩から降ろして脇に抱えたりしつつ、エルムは普段と変わりない速度でぺたぺたと歩いていた。
 居住区の中でも、職人が集まっているという区域に差し掛かり、ひとまず丸太を降ろして周囲を見回した。
 さて、大工さんが集まっているのはどのあたりなんだろう。
 この辺りは、甲高い金属音が鳴り、煙突からもくもくと煙が出ているので、鍛冶屋関係のような気がする。
 誰かに声をかけたいが、主婦の方々や子供は、こちらを見て避けているような気配がする。
 エルムはまた丸太を担ぎ上げ、適当に歩き出した。
 そのうち、道を足早に歩いて行っている少年を見つけた。母親に守られる子供という年齢でもなく、完全に大人でもない、エルムと同い年くらいの少年。
 「すみません」
 エルムの声に、その銀髪の少年が振り向いた。
 「なに?」
 「ちょっと、おうかがいしたいのですが…この辺りに、カーマインさんが、お住まいでは、無いでしょうか?」
 エルムの問いに、銀髪の少年はじろじろとこちらを見たが、丸太に納得したのかぶっきらぼうに頷いた。
 「知ってる。届け物?」
 「…そのような、ものです」
 「こっち」
 銀髪の少年は、ズボンのポケットに手を入れて、すたすたと歩き始めた。
 最初向かっていたのとは別方向のようなのだが、少年の方の用事は良いのだろうか、とも思ったが、道案内している今も、歩く速度は変わっていないので、普段からこういうまるで急いでいるかのような歩調で歩くのだろう。
 しばらく歩いていくと、少し家並みが変わってきた気がした。広い庭に濡れた布がはたはたとはためく間から、ひょっこりと人工的な黄色い髪の青年が顔を覗かせた。
 「お、シルバーとブルーじゃん」
 「サフランさん、こんにちは」
 エルムが深々と礼をすると、黄色い髪の青年は、盥に浸った布を踏んでいた足を止めた。ちっちっと人差し指を振って、大仰に言う。
 「つれないなぁ。愛と勇気を込めて、イエローと呼んでくれよ」
 「…はぁ」
 何故ニックネームいやコードネームを呼ぶのに勇気がいるのか、そもそも何故名前でなく色で呼ぶのか、いや、よく考えたら愛を込めるのも意味不明だ、と混乱しつつ、エルムは曖昧に頷いた。
 「それよか、お前らもう友達になってたのか〜。知らなかったぜ」
 イエローが腰に手を当て、はっはっはと笑ったので、エルムは改めて先ほどのセリフを思い出した。
 シルバー。
 色の名前。でもって、ブランに「気を付けろ」と言われた名前だ。
 隣で眉を顰めている少年の髪は、綺麗な銀髪だし。
 「あ…えっと…初めまして。貴方が、シルバーさん…ですか」
 ぺこりと頭を下げると、銀髪の少年は眉間に深い皺を寄せたまま呟いた。
 「ブルー。お前が」
 そして、エルムが足を止めたので地面に付けていた丸太をいきなり奪い取った。
 エルムが思わず伸ばした手を無視して、その丸太を検分してから顔を上げる。
 「不良品」
 「はい、伐採に行って、でも、中心が割れたので、商品価値が無い、と言われて…頂いたものです」
 そんなのでも、何かの役に立つか、練習台にでもなれば、と持ってきたのだ。一応、樹海で採れる丸太は、外のものより質が良いといって割り増しで取引されているらしいし。
 「俺が、持ってく」
 シルバーがそのまま丸太を担ぎ上げた。エルムがきょとんとして首を傾げていると、イエローが呆れたように口を挟んだ。
 「おいおい、シルバー」
 「もう用は無いだろ?帰れ」
 確かに、丸太を届ける、という一点で言えば、用は無いのだが。自分は、これを手土産にしただけで、主目的はカーマインのうちに訪ねていく、だったのだが。
 だが、ブランによると、シルバーは自分にあまり良い感情を持っていないらしい。顔を合わせたのは今日で初めてなのだが、話だけで嫌われたらしい。
 んー、とエルムは考えたが、嫌われているからには、これ以上道案内を頼むのは無理だろう、と思う。かといって、それじゃあ別の人に道案内を、と言うのも失礼だろうし。
 「そうですか…それでは、伝言をお願いできますか?」
 シルバーが不機嫌そうに顎をしゃくったので、エルムは首を傾げたまま告げた。
 「えーと…4階で、ブランさんに、お会いしました。お元気そうでした。…とりあえず、そんなところ、でしょうか」
 「分かった」
 シルバーは短く答えて…と言うか、会った最初から、長文は喋ってないが…丸太を担いでさっさと歩き出した。
 今日は、カーマインには会えそうにもない。しかし、これも神の思し召しなのだろう。いずれ巡り合わせが来れば、普通に会える日も来る。
 シルバーが最初の角を曲がるまで見送っていたエルムに、イエローが溜息を吐きながら言った。
 「悪いな〜。シルバーは、どうもお前さんが気に食わないらしくてよ」
 「何故でしょう?」
 「…まあ、何つーか」
 イエローが言葉を濁したので、エルムは手を振った。
 「いえ、良いです。いつか、ご本人に、伺いますから」
 「…いや、そういうの、本人は言わねーんじゃねーか?」
 さっくりと突っ込んでから、イエローは首をぐるりと回し、腕をまっすぐ伸ばした。
 「ま、今度来るときゃ、シルバーに引っかからずにあっちに行け。つっても、シルバーんちはカーマインの近所だからなぁ。会う可能性も高いが」
 指さされた方向を記憶する。
 別にシルバーを避けたいとは思わないが、一度はカーマインの家に行ってみたい気もするので、辿り着ければ嬉しい。
 「で、ホワイトはちゃんと衛士やってたか?」
 「はい、4階で、ちょうどキャンプ中に、お会いしまして…ヘルメットを、取るまでは、他の方と同じ、衛士らしい方に、見えましたが…話しかけてからは、とても気さくに、話をして頂けました」
 「へー、ちゃんと衛士がやれんだ、あいつ」
 ちょっと不思議そうな顔をしたイエローに、エルムも少し笑った。エルムが、生真面目な衛士を見て、素の姿が想像できなかったように、普段の姿しか見ていないイエローにも衛士の姿が想像出来ないのだろう。
 「てっきり、不真面目だ!っつってクビになると思ってたのによ〜。あ、でも、樹海長期任務は、新人強化訓練だっつってたな、罰ゲームみたいなもんか」
 遊びにも行けない場所での長期滞在任務は、精神的には鍛えられるかもしれないが、樹海は訓練に使えるほど生易しいところでもない。
 「きっと、将来有望だから、だと思います。…信頼出来ないと、見張りなんて、任せられないし」
 エルムは本気で言ったのだが、イエローはじろじろとエルムを見てから、げらげらと声を上げて笑った。
 「お前は、ホント、人がいいな〜。やっぱお育ちがいいと違うぜ!」
 それから慌てて続ける。
 「あ、悪口じゃね〜からな。お前も、<カラーズ>の仲間だし」
 何でいきなり仲間認定されたのかも良く分かっていなかったが、エルムはとりあえず曖昧に頷いた。 「それじゃあ、僕は、失礼します」
 「帰り道、分かるか〜?」
 「大丈夫です…良い、目印があるし」
 指さした世界樹を見上げて、イエローは眩しそうに目を瞬いた。
 「そうだなぁ、世界樹さまさえいらっしゃれば…」
 誇らしげな表情になってから、また笑い顔に戻る。
 「じゃあな!また今度、俺んとこにも寄ってくれよ」
 「はい、いつか」
 ぺこり、と頭を下げ、エルムは元来た道を歩き始めた。
 時折、街の頭上を覆う世界樹を見上げる。
 世界樹さま、と、街の人は呼んでいる。樹木を敬愛するのは、神が禁じた偶像崇拝では無いのだろうか。唯一神以外に、崇拝して頼りにするものがある、というのは、神の教えに反しないのだろうか。
 エルムは、特別に信心深い人間では無い、と自分では思っている。だが、家の中で自然に神についての祈りがなされていたので、意識はしていなくとも自然にその教えが身に染みついているだけだ。
 ただ、ドクトルマグスという職業は、唯一神の教えからは少々外れている。そのせいもあって、母は爺ちゃんがドクトルマグスの技を使うのを厭っていた。
 だが、エルムは、祖父がその精霊巫術を覚えたのは自分のためだということを知っていたし、何より爺ちゃんが大好きであったので、巫術の存在も自然に受け入れていた。
 だから、ローザリアの人間としては、唯一神に対する信仰が比較的緩い方だとは思うが、それでも、巨大とはいえ樹木を崇めるのには、何となく違和感がある。
 この国の人間にとって、世界樹とは何なのだろう。唯一神が授けたもうた贈り物、という認識なのだろうか。教会に礼拝に行けば、何となく分かるだろうか。
 いろいろと、不思議なことが多いなぁ、とエルムは思った。
 言葉も通じるし、挨拶をしたり顔を洗ったりといった習慣は同じなのに、国が違うだけで何かが違うのだ。そして、きっとハイ・ラガードの人は、自分たちの考え方がローザリアの人間と異なっているということを知らないに違いない。
 そういうことをつらつら考えながら帰っていくと、宿屋の庭で、ルークがキタラを爪弾いている姿を見つけた。普段はオカリナなので、弦楽器を弄っているのは珍しい。
 「ただいま、戻りました」
 「おー、早かったな。お友達には会えなかったのか?」
 「途中で、リスに、丸太を取られまして」
 一瞬、間抜けな顔をしてから、リーダーはけらけら笑った。
 「そりゃいいや!でっかいリスだな!」
 それ以上深く突っ込んでこないルークの前で、しばらく佇んでいると、弦を締めながらルークが聞いてきた。
 「んー…何か、相談かい?青少年」
 「えーと…貴方は、神を、信じますか?」
 何がおかしかったのか、今度はルークは息継ぎも出来ないほど笑い転げた。
 ひーひー言いながら、目尻に滲んだ涙を拭って、ルークはばしりと膝を叩いた。
 「…だ、駄目だなぁ〜、そういうのは、「あなたは〜?かみを、しんじますかぁ〜?」ってイントネーションじゃないと!」
 何やら芝居の口上のような具合でエルムの言葉を繰り返してから、ルークははっきりとは答えずに、エルムを促したので、この国の人間が、世界樹に「さま」を付けるのに違和感がある、と言うと、リーダーは難しい顔で腕を組んだ。
 「まあ、考え方は、国によって違うからなぁ」
 ルークは世界樹を見上げて、眩しそうに眉を顰めた。
 「唯一神とは別に崇拝してるんじゃなくて、神がこの上に住んでると思ってるのかもしんないし。…おかしいと思っても、この国の人間の考え方に、ケチは付けない方がいいな」
 「…ケチを、付けるつもりじゃ…ないんですが」
 「うん、そうだろうけど」
 ルークは、しばらく上を向いていたが、ちょっと困ったような顔で続けた。
 「この国の人間にとって、俺たちみたいに余所から来た冒険者ってのは、異物なわけ。それこそ、考え方や常識が違う、異端で、出来れば来て欲しくない人間なわけだ。もちろん、それを呼び込んでいるのも、国なんだが…こっちがこの国の人間を妙だと思う以上に、向こうもこっちを理解できないって思ってると自覚しておいた方がいい」
 「…歓迎、されては、いない?」
 「こうやって、冒険者向け区域が設定されてるし、衛士も街中にうろうろしてるしな。一般人は、出来れば関わって欲しくないって思ってるだろ。冒険者は必要だから、せめて出来るだけ一般人と隔離しようとしてるんだろうな」
 エルムがこの国に来たのは、爺ちゃんに言われて従っただけだし、樹海に潜っているのも、純粋に自分の技が磨かれていって楽しいなぁ、と思っているだけなので、何も樹海の謎を解き明かしたいとか、この国の人間の役に立とうとかは考えていなかったのだが、それでも、自分がこの国にとって迷惑な存在である、と言われるのはちょっとショックだ。
 「では…居住区には、行かない方が、いい…んですか?」
 「それも一つの考え方。俺は、面倒だから積極的には行かない」
 もうちょっと若かったら、突撃しちゃったかしれないけどな、と葉っぱをぴこぴこと上下させて、ルークは片目を瞑った。
 「でも、エルムは若いんだから、どんどんチャレンジしなさいって。何度も行けば、顔を覚えられる。こいつは良い奴だって分かれば、受け入れられる。んで、地元民の繋がりが濃い分、一部に受け入れられたら、大部分に受け入れられたも同然」
 「…そういう、ものですか」
 「そ。で、エルムが良い奴だ、となると、その所属するギルド<デイドリーム>もあいつが所属するなら良いギルドだと思われるし、更には、冒険者ってのも悪い奴じゃないな、なんてことになる」
 随分と責任重大だな、とエルムは顔をひきつらせた。元々が、ちょっと遊びに行くか、という気軽に行けるタイプでも無いのに、余計に気合いが必要そうだ。
 「まー、冒険者全部の面倒まで見きれないけどなー」
 ルークは苦笑してキタラを爪弾き、よし、と頷いた。
 「とりあえず、自分自身の評判だけ気にしときなさい。ま、サナキルあたりより、よっぽど信頼して放流出来るけど」
 主のことなので、ちょっと頷くに頷けずに困っていると、ルークがキタラを布に包みながら、そういえば、と呟いた。
 「そっちのパーティー、衛士と知り合いになったか?何か、衛士からうちのギルド名指しで依頼が来てるんだけど」
 どういう依頼だろう。魔物の殲滅、なんてのだったら、1階の迷い込んでいた魔物を倒したルークたちのことだと思うのだが。
 「えっと…一応、その…僕が…一人と、個人的に…知り合いに」
 でも、依頼をされるような話では無かった気はするし、そもそも、ブランは長期に4階に留まる任務だと聞いたので、それではないようには思ったが、黙っておくのも気が引けるので、もそもそと申告した。
 「おー、色々知り合い作ってんな〜。そうやって地元民とパイプを作るのは良いことだ。いずれ何かの役に立つ」
 情報収集を重視しているバードはそう言って立ち上がった。
 エルムも一緒に宿の中に入ったが、ルークに止められる。
 「てことで、ちょいと公宮まで依頼の確認に行くんだ。エルムもおいで。知り合いかもしんないし」
 「…はい」
 もしもブランがもう公宮にいるのだとしたら、それは怪我をして帰ったか、追い出されたかのどちらかのような気がする。何にしても、長期任務の初っ端に帰ってくるなんて、良いこととも思えない。
 けれど、他に知り合いもいないので、ブラン以外となると見当も付かない。
 一体誰だろう、と考えつつ、ルークに従って公宮まで付いていった。
 冒険者が来た、ということで、すぐに大臣に通される。まず大臣が出てくるあたりが、大臣の腰が軽いのか、冒険者ってものは高位の人間が対応しないとまずいと思われているのか。
 ルークがかくかくしかじかと説明すると、大臣は怪訝そうな顔になってから、
 「おそらく衛士の誰かが勝手に依頼をしたのじゃろう。公宮では把握しておらん。少々お待ち下され」
 と言って出ていった。
 「まー、少なくとも、公の依頼じゃ無さそうだな。ちょっと気が軽いわ」
 ルークが肩を回しながらエルムににやりと笑いかけてきた。相手が大臣でも平然と喋っているようだが、これでも公宮相手だと緊張していたのか、とエルムは何度か瞬いた。
 しばらくして、大臣が一人の衛士を連れて戻ってきた。
 「それでは、詳しいことはこの衛士より聞くがよい」
 さっさと大臣は出ていき、直立不動だった衛士は、ヘルメットを脱いだ。
 「やぁ、どうも」
 いや、どうも、と言われても、エルムに見覚えは無い。ルークがエルムの表情を確認しているので、どうやらルークにも見覚えが無いらしい。
 まだ若い衛士は、明らかにエルムに向かって、親しみのこもった口調で話しかけてきた。
 「あ、僕とは直接話したりしてないけどね。4階のキャンプで、ブランと一緒に哨戒任務してたんだけど」
 「あぁ、あの時…」
 確かに、半分以上は眠っていたが、周囲にはブラン同様に円になって見張りをしていた衛士が複数いた。
 「…やっぱ、知り合い?」
 「いえ、直接は…」
 全くこちらからは見覚えは無いが、向こうはこちらを覚えていたらしい。仲間の一人と知り合いとなると、特別に記憶していたのだろう。
 「ブランから「ひいきにしてやってくれ」って言われてるしさ、補給物資も欠けることなく速やかに届いたんで隊長も誉めてたし、君たちのギルドなら間違いないかな〜って思って、ちょっと衛士隊から頼み事が」
 贔屓にしろと言われて頼むってことは、面倒な仕事じゃなく、頼まれれば嬉しい類の仕事なのだろう…たぶん。
 「えっと…あの…僕に、出来ることなら…あ、じゃなくて、ギルドで、引き受けられることなら…」
 あんまりにもその衛士がエルムを見ながら喋るもので、ついエルムは返事をしてしまったが、ここにはギルドのリーダーがいるのである。リーダーを差し置いて、自分が引き受ける訳にもいかない。
 ちらちらとルークの顔を確認しながら、困ったように見上げてくるエルムに、衛士は破顔した。
 「あはは、ホントに真面目だなぁ。こちらは?この間はいなかったけど」
 「…その…こちらが、ギルドのリーダーです。…僕たちは、全部で、13人…いるので」
 「どうも〜。リーダーのルークです。や、知り合いみたいだから、エルムが話を進めちゃってもいいかな〜って思ってたんだけど」
 笑いながら大仰に礼をするルークに、衛士はふぅんと頷いた。
 何となく、微妙に。
 エルムに対するものとは違う、どこか軽く見ているような気配がした気がして、エルムは少し眉を顰めた。確かに、時折芝居がかった動作はするし、職業は吟遊詩人なのだが、リーダーはリーダーらしく世知にも長けていて冷静な判断をする尊敬すべき冒険者だ。けれど、衛士の目にはへらへらと頼りない男に見えるのだろうか。
 「依頼はね、天河石を取ってきて欲しいんだ。街道の補修に使うんだけどね、今まではこういうのも衛士の役目だったんだけど…この間、3階であんなことがあったせいで、人数少ないしばたばたしてるんだ。だから、ちょっと手伝って貰えれば有り難いなぁって。採掘は2階で出来るから、君たちなら大丈夫だろう?」
 にこにこして説明する衛士の言葉の内容を考える。
 要するに、自分たちは忙しいから、そんな面倒なだけで地味な仕事は、冒険者に任せておけばいいってことあろうか。
 リーダーを軽く見られたせいで、何となく衛士の言葉から恩着せがましい空気を感じ取ったエルムは、眉を顰めて俯いた。
 「…5階の、探索を、進めようと、思ってたんですが…」
 衛士にとって雑用なら、冒険者にとっても雑用だ。
 躊躇いがちに、だが、断ろうと口を開いたエルムに被せるように、ルークの暢気な声がした。
 「はいはい、了解。天河石ね。幾つ?10個もあればいい?」
 「いや、そんなにいらないよ。そうだね、5つもあれば…」
 「そう?いやー、こっちもこの国には世話になってるし、御用があれば、何なりとどうぞってね」
 何気なく斜め前に立ってエルムを半ば隠して、ルークはへらへらと依頼を請け負った。
 「ははは、そうだね、お互い、持ちつ持たれつで。それじゃあ、よろしく頼むよ」
 にっこり笑って、やっぱり目の前のルークじゃなく、エルムに向かって手を振って、その衛士は出ていった。
 行こうか、と促されて、エルムものろのろと歩き始める。
 公宮から出たところで、ルークがくすくすと笑いながら言った。
 「いやー、大人しそうでいて、エルムもまだまだ若いな〜。喧嘩売ろうとしてただろ?」
 「…あの人…何となく…」
 言葉を濁したエルムの肩を、ルークがぱしぱしと軽く叩いた。
 「言ったろ?この国の人間にとって、冒険者は異端。職業上、こっちを丁重に扱ってはいるが、心の深いところでは「出ていってくれ」とか「このならず者が」とか思ってる可能性はあるわけだ。んで、俺みたいな、いかにも武力の無い安全そうなの相手には、ちょっと本心が漏れるんだな」
 それが如何にも楽しそうに言われたので、エルムは顔を上げた。
 自分だったら、相手にそんな風に扱われたら、傷ついて悲しむか…むっとするだろうに。
 「あの…不本意じゃあ、無いんですか?」
 おそらくルークの方が年上で、色々な経験も積んでいるにも関わらず、若い衛士にあんな風に軽く扱われて。
 ルークは、んー?と首を傾げ、何でもなさそうに言った。
 「あのさ、他人の意志は、他人のものだよな」
 「…はぁ」
 「たとえば、エルムが、すっごーくリンゴが好きだ、美味しい!って思ってるとする。で、他の奴が、リンゴなんか不味い!そんなもの見たくも無い!って言ったとしたら、エルムは怒るかもしれないし、何でこの美味しさが分からないんだろうって馬鹿にするかもしれない。でも、他人が嫌いなもんを、それはおかしい!この美味しさが分からないなんて間違ってる!好きになるべきだ!つっても無理だろう?」
 「…はい」
 それはまるで喜劇のように大袈裟に話されていたので冗談のようにも聞こえたが、おそらくとても大事なことなのだとエルムは真剣に頷いた。
 この国の人間が冒険者を嫌うのは仕方のないことなのだし、好きになれと言っても無理なのだ、と。ルークはそう言っているのだ。
 けれども、それはやっぱり悲しいし、そしてちょっぴり腹が立つ、とエルムは思った。何も悪いことをしているのではないのに。ただ、冒険者としてこの国に来て、世界樹の迷宮に入っているだけだ。
 「で、そこで、相手はリンゴが嫌いなんだな、目の前で食べてたらぶつぶつ言われるなんてイヤだし、と避ける方法もあるんだが」
 ルークは悪戯っぽく笑って、人差し指を振った。
 「俺だったら、大人げ無いから、目の前でリンゴを食べてやるね。ひょっとしたら、こっちが旨そうに食ってたら、目の前の誰かさんも『ひょっとして、旨いのかも』と思って、食べてみる気になるかもしんないし」
 え、とエルムは顔を上げた。
 何となく、自分の解釈は間違っていたのだろうか、という不安に駆られる。
 「あの…他人の意志は、自由に出来ない…んですよね?」
 「うん、そう。嫌いなものを、こっちがどうこう出来ないな」
 「でも…」
 他人が嫌いだというものを、好きになれと強制する事は出来ない。そう言われて、納得出来たと思っていたのに、何だかまるで違ったことを言われた気がして、エルムはどう言えばいいのだろう、と何度か口を開いては閉じた。
 「でもさ、こっちの意志も、相手にはどうこう出来ないだろ?あっちがそれを嫌いなのは認めるけど、それでも好きになってくれると嬉しいな〜って俺が思うのも自由だ」
 リンゴを好きなのも嫌いなのも、個人の自由。
 その好き嫌いを強制することは出来ないけれど、好きになって欲しいと思う気持ちも個人の自由。
 「でも…押しつけは、駄目、なんですよね」
 「そ、あくまで、こっちが美味しそうに食べてたら、自発的に考えを変えてくれるんじゃないかな〜、変えてくれるといいな〜ってだけ」
 何だか簡単なことのようにあっさりとルークは言ったが、それはとても難しいことなのだ。
 他人の意志をどうにかするには、権力とか金力とかを使えば、少なくとも表面上は変えることは出来るだろうが、何も無しに意見を変えさせるなんて、多大な労力と時間が必要そうだ。
 真剣に考え込んでいるエルムの肩を、ルークがぱしぱし叩いた。
 「そんなに深刻に考えんなよ、青少年。ちょっと好きになってくれれば、いや、嫌いじゃないかもって思ってくれればラッキー、くらいのつもりでいた方が楽だし」
 「はい…頑張ります」
 「いや、頑張るんじゃなくてさ…ま、いっか」
 どうやっても真面目になってしまうエルムに苦笑して、ルークは飄々とした調子で歩いていった。
 相変わらず萎れかけた葉っぱをくわえて、吟遊詩人特有の派手だが安っぽい装具をちゃらちゃら付けた服装で歩いていくリーダーは、確かに一見何にも考えてない道化師に見えるかもしれない。
 けれどやっぱり、自分なんかより遙かに世間を知っていて、しかも忍耐強い。
 無闇に威力を誇示するのではない平和主義な人がリーダーであるギルドに入れたのは、とても幸運だったな、とエルムは思った。
 とにかく、自分がなすべきことは、リーダーの言うように、冒険者という仕事をエルム自身が楽しんで、そして完遂することだ。それから、この国の一般人たちともっと良く知り合いになって、理解していかなくてはならない。
 この国に来たのは、爺ちゃんに従っただけではあるが、どうせなら、自分が冒険者という職業を好きなのと同様に、一般の人たちにも好きになって貰えれば嬉しい。
 まずは、依頼をこなしていって、衛士や一般人に「冒険者って役に立つなぁ」と思って貰うのが先決か。そして、どんどん衛士では進めないような上層まで切り開いていければいい。
 そうして、とりあえずの目標が定まったエルムは、確固たる足取りで歩いていったのだった。

 ちなみに。
 ルークとエルムから、衛士の依頼の様子を聞いたアクシオンが、
 「…ルークを馬鹿にする輩は許せません。目にもの見せてやりましょう」
 と、闘志を燃やした結果。
 速攻で天河石を揃えて公宮に届けに行って、またギルドの名声が上がったのだった。



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