補給物資




 酒場の親父は、カウンター席に座っているカップルをじろりと見た。
 白い毛皮で縁取りされた暖かそうなコートを脱いでも、やっぱり暖かそうなセーターを着た男は、とても冒険者の姿には見えない。どう見ても一般人、それも仕事から帰ってきてくつろいでるおっさんだ。
 その隣に座っているのも同じ色のセーターを着て、付き合い程度に酒を舐め、基本的には夫が飲み過ぎないように監視している奥さん、という感じだ。
 「冒険者の酒場に来るからにゃあ、もっと適した服装ってもんがあるだろうよ」
 TPOってもんがなぁ、とぶつぶつ言う親父に、ルークはグラスを掲げて片目を瞑って見せた。
 「そりゃあね、腐乱死体を担いで帰ったその格好でここに来て良いって言うんなら、俺も喜んでそうしたけどね」
 「営業妨害だ」
 「だろ?これでも常識的に遠慮したんだって」
 「いいじゃないですか、バードもメディックも、技術に服装は無関係ですし」
 いやまあ、ソードマンやブシドーもスキルに服装は無関係かもしれないが。
 確かに、バードは声さえ出れば良いし、メディックは薬剤さえ調合出来ればいいのだから、こんな部屋着みたいなのでも構わないと言えば構わないのだが、普段冒険者の格好をした奴ばかりを相手にしている親父は、どうも落ち着かねぇなぁ、と溜息を吐いた。
 こんなのほほんと一本抜けたような奴ら、どう考えても迷宮の肥やしになるか、さっさと諦めて解散するか…と思っていたが、ギルド<デイドリーム>と言えば破竹の勢いで上の階に挑んでいる新進気鋭のギルドである。どうもその知識と、目の前の暢気野郎とが結びつかない。よっぽど他のメンバーが凄腕なのだろうか。
 しかし、腐乱死体を担いだってことは、本日の噂の目玉である「3階の広場で凶悪な敵に囲まれてあわや全滅しかけた衛士たちの生き残りを救出し、更に遺体を回収したギルドがいる」の張本人という気がするし。
 これでも迷宮に入ると人が変わったりするのかね、と親父はじろりとルークを見たが、
 「あ、これ結構いけるわ。アクシーも一口、あーん」
 「あーん…本当ですね、面白い取り合わせです」
 「今度作ってみよっか」
 「楽しみにしてますね。ルークのごはんは美味しいですから…」
 いちゃいちゃと二人の世界を作っている様子を見ていると、自分の推測が馬鹿馬鹿しくなる。
 はっきりと確かめてはいないが、エトリアの迷宮を制覇した伝説のギルド<ナイトメア>のメンバーが、この国に来ている、という噂があり、今回は別名でギルドを作ったという噂もある。
 ひょっとしたら、こいつらの仲間にその英雄がいて、そいつが一人で頑張っているのかもしれない。
 本人たちに聞くのも野暮なので、あえて直接聞いたりはしないが。
 他の連中の酒やら飯やらを出して、ちょっと一息をつくと、だいぶ皿の中身が減ったバードが声をかけてきた。
 「そういや、うちのパラディンはどうだったか知らない?本人は、すっげー満足そうだったけど、あんまり浮いたりしてなかったかな?」
 「あぁん?あぁ、あの依頼な。ありゃあ、ホントに感謝されてたぜ。若いのに盾の扱いに習熟しているって評判だった」
 ルークの反応は、少し遅かった。更に何か言われるかと思って待っていたらしい。
 「…そりゃあ、良かった」
 本当に誉められているだけだと気づいて、ルークは苦笑に近い笑いを浮かべてグラスをあおった。
 その反応に疑問を持ちつつも、親父は少しだけ探りを入れてみた。
 「お前んとこは、この間のソードマンと言い、人材に恵まれてんなぁ。他の職種も揃えてんだろ?」
 「結果的には、そうなったなぁ」
 「誰が一番強いんだ?」
 「はぁ?そんなの場合によると思うけど…」
 つまらないほど真っ当なことを言ったルークはアクシオンをちらりと見た。
 よもやこれがエトリアの『熊殺し』だの『処刑者キラー』だのといった物騒な二つ名を持っていたメディックとは思われまい。
 「そうですねぇ…純粋な攻撃力でいえばブシドーでしょうが、死にますし。属性攻撃ではガンナーかもしれませんがTPに限りがありますし」
 「ソードマンは斧使ってる分、外れる可能性もあるしな」
 「また、俺じゃないですか?回復出来ますから」
 「…止めときなさいって。そろそろ若者に栄誉を譲りなさい」
 何でそこで「俺」だの「若者」だのという単語が出るのかいまいち納得できないものを感じつつも、酒場の親父は、あぁやっぱりこいつらはエトリアの英雄なんかじゃないわ、と思った。
 きっと、たまたま運良く階段が見つかって上へ上へと行けただけなのだろう。そのうち手酷いしっぺ返しを食らわなければいいんだが。あぁ、運じゃなく情報収集の成果か。入念に聞き込みをしていたから。
 「そういやよ。今日はお前さんご執心の黒髪姉ちゃんが来てねぇな」
 親父は半ば意地悪でわざとらしく奥さんの前でそう言ってやったが、灰色の髪のくたびれたバードは、言われて初めて気づいたという表情できょろきょろと酒場の中を見回した。
 「あ、ホントだ。今日は休みかな」
 あっさり言って、隣のアクシオンに解説する。
 「ここいらは、まだバード同盟みたくバード同士の横の繋がりがなくってさ。情報収集の効率が悪くって」
 「黒髪姉ちゃん、というのがここのバードさんですか?」
 「そー。ここいらじゃ珍しい南方系の肌と髪でさ、目立つんだ。その分、噂もいろいろ仕入れてるみたいで、ありがたく話を聞かせて貰ってたんだが…」
 ルークに後ろめたそうな気配は欠片もないし、アクシオンの方も妬いた気配は一切無い。それはそれでつまらないもんだ、と酒場の親父は肩をすくめてルークの前から空いたグラスを回収した。
 「情報収集もいいが、自分たちでしっかりやれよ?5階あたりまで来ると、そこまで行ってるギルドも少ねぇくらいだからな」
 「はは、まあ、ぼちぼちね」
 相変わらず覇気の無いことを言うバードに、一くさり説教をかましたい誘惑に駆られつつも、店が混んできたので親父は思いだした用件を片づけることにした。
 「で、お前ら今から4階だろ?こういう依頼があるんだが…」
 4階にいる衛士たちに物資を届けろ、という公宮からの依頼を説明すると、すぐには飛びつかず、懐に手を入れて…何も出さずに手をまたカウンターに置いた。
 「そういや、地図は置いてきたわ。だいたい頭には入ってるけど…」
 ルークはカウンターに円状に残った水滴を指に付け、さーっと線を書いた。
 「えーと、この辺りまで行ってるけど…でもまだ1/4くらいしか埋めてないよな」
 「隙間から見えたところによると、このあたりもキャンプの気配は無かったですし、いるとしたらこの辺ですね」
 ルークは両腕を組んで、しばらく自分が書いた線を見つめた。
 「…本当は、依頼の位置を確認してから荷物持って行くのが正解だろうが…」
 「でも、あと1〜2回で行けそうですよ。もしも階段が見つかってショートカットが出来たりしたら、また遠い場所まで回るの面倒ですし」
 「だよなぁ」
 カウンターを何カ所か指で押さえてから、ルークは、うん、と頷いた。
 「分かった。引き受ける」
 ぼちぼちと言ってる癖に、さっさと先に進む気満々なことを言って、ルークは親父に依頼の紙を返した。
 「そんな4階を歩くのも精一杯なレベルで引き受けていいのかよ」
 却って親父の方が心配になったが、ルークはひらひらと手を振った。
 「ついで、ついで。ま、何とかなるでしょ」
 「一応言っておくが、死んで荷物が散乱したら物資の補給からやり直しだからな?」
 「へー、さすがお役所。うん、まあ、やるだけやってみるわ」
 へらへら笑う姿は、安心して預けられるとはお世辞にも言えない。
 せめてあっちの寡黙なソードマンが率いる方のパーティーが行ってくれるのなら良いんだが、と親父はこっそり頭を振りながら、背後の荷物置き場から補給物資を取り出す。
 次々とカウンターに積まれる荷物に、ルークが思わず声を上げる。
 「でかっ!」
 「5人で手分けすりゃあ背中に収まるだろ。だから2人パーティーなんかにゃあ声もかけてねぇよ」
 重さを確かめているルークの隣で、アクシオンも荷物を覗き込んでいる。
 「割れ物や、腐りやすい物などの注意はありますか?」
 「いや、基本的に長期滞在用の補給物資だからな。腐るようなもんは入ってねぇだろ。医薬品の類は入ってるだろうが、それでも詰め物はしてるはずだ。…まあ、荷物を放り出しても平気かどうかは知らねぇがな」
 「そこまで気にして戦闘するほど余裕が無いしなぁ」
 「というか、そもそもジューローやサナキルが背負ってくれるのか、という根本的な問題が」
 「…あ〜…あっちに交渉するか」
 天井を仰いで情けない顔で笑っているルークを見て、酒場の親父は、やっぱりこいつら大丈夫なのか?とちょっと悩んだのだった。

 二人で手分けして荷物を担ぎ、酒場から帰っていると宿屋近くで声をかけられた。
 相変わらず、こちらの吐く息は真っ白なのに、薄い布一枚のフロウである。
 優雅に礼をしてから、フロウは少し困ったように細い首を傾げて、窺うように上目遣いで見上げてきた。
 「その…仲間に加わって、まだ日も経たないのにこんなことを言うのはどうかと思うのだけれど…」
 「え…何?何か機嫌を損ねるようなことしちゃった?」
 てっきり仲間を抜けたいとかそういうことかと思って、慌ててルークは一歩踏み出した。アクシオンから、ジューローに娼婦扱いされたとも聞いているし、今更だが今日の仕事は女性にやらせることでは無かったような気がしたし。
 が、フロウはふるふると頭を振った。
 「いえ、そうじゃないのよ。…その、ね…今日、騎士が狼を連れていたじゃない?」
 「はぁ、まあ確かに」
 フロウはうっとりとした顔で手を組み、どこか遠くを見つめた。
 「まさか、狼も冒険者として一緒にいられるとは思ってなかったの…いいわよね、もふもふ…」
 「…狼は、あんまりもふもふしてないと思うんだけど…」
 むしろごわごわしてるんじゃないかなぁ、少なくともエトリアのフォレストウルフの毛皮は硬かった、とルークは小さく突っ込んでみたが、フロウは赤い目をきらきらさせながら更に言った。
 「それでね、私、狼なら心当たりがあるの。私が山を降りるときにはころころの子供だった子たちなんだけど、そろそろ大きくなってるはずだし…だから、ちょっとトゥエイツに帰って、連れて来たいのよ…駄目?」
 「…いや、別に駄目じゃあないけど…」
 残念ながらアニマルテイマーの技能は持ってないので、野生の狼が普通に言うことを聞いてくれるのか、という。あれはフロースガルが特殊なんだと思うのだが。
 ひょっとしたら、熊ならピエレッタがサーカス技能で操ってくれるかもしれないが…ひょっとしたら、アクシオンの<熊殺し>も支配出来るかもしれないが…狼はなぁ。
 「なるべく早く帰ってくるつもりだから…ね?」
 「…その狼は、人を食ったりしない?」
 「私が言い聞かせるわ」
 言い聞かせて聞いてくれるような狼なら、心配無いのだが…そんな奇特な野生の狼はいるのだろうか。
 んー、とルークは腕を組んで考え込んだ。
 狼が仲間になること自体は、別に問題ない。何の役に立つのかは、ちょっとよく分からないが。
 問題になるとしたら、言うことを聞くのかと、一般人に迷惑をかけないか、だ。
 「フロウは、連れて来たいんだな?」
 「えぇ…出来ることなら」
 「もしも、他人様に迷惑かけたら、責任持って斬り捨てちゃう羽目になっちゃうけど、それでもいい?」
 「そんなことになったら、私も一緒に山に帰るわ…」
 「…まあ、それじゃ、行ってらっしゃい」
 そこまで覚悟してるんなら、と頷くと、フロウはほっとしたように微笑んだ。
 「ありがとう。私も時々、他の者の体温を感じたいこともあるの…」
 どこか寂しそうな色を滲ませてから、フロウはにっこり笑って手を振り、きびすを返した。
 すたすたと歩いていくフロウを見送ってから、ルークたちは宿へと歩き始めた。
 「…ところで、トゥエイツって、徒歩で何日かかるんですか?」
 「……さあ」
 
 
 ネルスはルークから渡された地図を見ながら、左手で瓦礫に触れた。
 4階は、これまでと同じく草地の広がる森の中だったが、崩れた建物らしき石積みの何かもあった。ところどころに隙間があるので、向こうの景色は見えるのだが、人が通れるほど大きくもなく、またこの崩れ具合を見るに登るのも危険、穴を広げるのも危険…ということで、壁と思って無視するより他無かった。
 何でも、この隙間を通れるくらい小柄な悪魔が襲ってきた、という情報も貰ったのだが、すぐに湧いてくるものでも無かったらしく、今は姿が見えなかった。
 「では、我々はこちらの道に向かうとしよう」
 道の2択で、先パーティーが向かった先は結局行き止まりだったらしく、その時点で帰って来たのだ。
 彼らが進まなかった方の道が、階段へと繋がることを祈ろう。もしも繋がっていなかったら…崩壊覚悟で瓦礫を何とかするしかない。
 この辺りの敵では、厄介なのは一体だけで出てくるイービルアイだ。どうしたものか、たいていこちらの気づかないままに近寄ってきていて、一回は体当たりを食らわされる。幸いに射撃系に弱いらしくファニーが落としてくれるが、それまでにこちらもぼろぼろになってしまう。
 下にもいたマイマイのでっかいのが5体という団体さんでやってくるのにも参るが、一体一体は大したことがないので助かる。それに、ついにピエレッタの睡眠がまともにかかるようになってきたので、眠らせてしまえばこちらのダメージ無しに倒すことも出来るし。
 死にはしないが、ピエレッタのTPにも限りがあるし、バースのTPもどんどん減っていく。
 これは階段を見つける前に途中で帰る羽目になりそうだな、とネルスは踏んだ。
 それでも、糸もあることだしギリギリまで粘ってみるか、と進んでいくと、まっすぐな通路で衛士が円を描いて固まっているのが見えた。
 「はて…何かあったのですかな」
 大きな魔物がいるのかもしれない、とも思ったが、そういうぴりぴりした気配ではない。どちらかというと和やかな空気だ。円の中心には、周りを囲んでいるのよりも多くの衛士が横になっている。どうやら一部が就寝していて、後のメンバーが見張りをしているらしい。
 そのまま近づいていくと、一人の衛士がこちらに気づいて隊列を離れて向かってきた。
 「あぁ、冒険者の方ですね。お疲れさまです」
 「…ひょっとして、4階で哨戒任務に当たっている衛士のキャンプか?」
 「えぇ、自分たちは比較的長期にこの階に留まる隊ですが…」
 ヘルメットを被ったままなので表情は分からないが、声に少し怪訝そうな色合いが混じった。こちらが確認口調だったので、何故そんなことを聞くのだろう、という調子である。
 「補給物資を届けよという依頼を受けてきたのだが、お前たちで相違ないな?」
 ネルスの静かだが有無を言わせぬ口調に、衛士は
 「自分は新入りで、詳しいことは…」
 と、もそもそと呟きつつ、くるりと方向転換した。
 「隊長…」
 呼びかけて、ヘルメットを被ったままでは声が籠もっているのに気づいたのか、がちがちと音を立ててヘルメットを外した。
 ふぅ、と暑苦しそうに息を吐き、ばさりと髪を振る。
 「隊長!補給物資を届けに来られた冒険者の方々がいらしてます!」
 「おぅ、来たか!」
 嬉しそうな声に、その若い衛士も笑って、だいぶ気を許した口調でこちらを手招いた。
 「それでは、どうぞ、こちらへ!」
 衛士に付いて歩いて行きながら、エルムは少し躊躇ってから、小さく声をかけた。
 「あの…ひょっとして、ブランさん…ですか?」
 「へ?俺?…あ、もとへ、自分ですか?確かに、そうでありますが…どこかでお会いしたことが?」
 濃い灰色の髪の、前の分け目あたりだけが白い束になっているのを見て、カーマインが言っていたことを思い出したのだ。そういえば、4階に行くとも聞いていたような気がする。
 エルムは、どこから説明しようかと悩んだが、衛士たちの集団まではさしたる距離でも無いので、すぐに別れることになる。だから、あまりまとめる暇もなく、ただ、事実そのままを言った。
 「あの…カーマインさんから、衛士の中に、<白>がいる、と伺っていて…ブランさんの特徴も、教えて貰っていたので…あ、僕は、ブルー…らしいです」
 「あぁ、お前がブルーか!レッドから聞いてんぜ!」
 大きく声を上げてから、ブランは慌てて口を押さえた。首をすっこめて隊長の方を窺ったが、とりあえず問答無用で怒鳴られることは無かったので、とりあえずほっとする。
 そのままの姿勢で、にやりと悪戯っぽく笑って、エルムの耳に顔を寄せる。
 「父親が衛士だったんで俺も跡を継いだんだが、まだ新米でよ、すーぐ地が出て怒られてんだ」
 けけっと笑う様子は、先ほどまでの生真面目そうな衛士とは全く違う。むしろカーマインの仲間と言われても納得できる雰囲気に、やっぱりこの人も<カラーズ>なんだなぁ、と思う。
 「そっかー、お前がブルーかー。いやー、冒険者のガキを…いや、失礼、年下の少年をブルーにしたって聞いた時には何の冗談だと思ったが、なるほどなるほど、納得、納得」
 エルムの顔を見て、うんうんと頷く様子に、エルムは首を傾げた。
 確かに、<カラーズ>は地元民、しかも職人地域の少年で構成されているとは聞いた。それでも、衛士も入っているのだから、それが厳密な資格では無いのだろうと思っていたのだが、どうやら余所者かつ冒険者な自分がブルーになるのは異常事態だったらしい。
 しかし、それでも納得できる理由というのは何なのだろう。しかも、一目で理解出来るなんて。
 気にはなったが、エルムはあえて聞いたりはしなかった。いずれカーマイン本人の口から聞くこともあるだろう。
 ネルスに促されて背中の荷物を降ろす。
 5人分の荷物の内容の確認を隊長がしている間、ブランはまだエルムの横でうろうろしていた。
 「もうレッドんちには遊びに行ったか?」
 「いえ…なかなか、タイミングが、難しくて…」
 「んな考えるようなことか?ダチんとこなんか、いつでも遊びに行きゃあいいんだよ、迷惑でも押し掛けんのがダチってもんだろ?」
 <友達>というものを持ったことは無いのだが、そういうものなのだろうか、と真剣に考え込んでいると、何気なく会話を聞いていたらしいピエレッタがブランに噛みついた。
 「何ね、エルムくんに変なこと教えんといてぇや!エルムくんは、あんたらと違って真面目なんやから!」
 「おー、お前がパープルかー」
 「パープルちゃうわ!」
 自分が<ブルー>なのと同じく、ピエレッタも<パープル>で通じているらしい。カーマインたちがどんな風に話をしたのだろう、と想像すると、ちょっと笑えてくる。
 他のメンバーは、一体どんな風なのだろう、と思っていると、ピエレッタをあしらいつつブランが酷く真剣な顔で話し出したので、エルムも緊張して聞き入った。
 「忠告しておく。…シルバーには気を付けろ」
 「…はい」
 「やー、何せあいつはレッドを兄貴分として慕ってっからなぁ。横からお前にかっ浚われたと知ったら、そりゃもう五月蠅いだろうからなー」
 「…はい?」
 ちょっと、分からなくなった。
 その「気を付けろ」は、身の安全とか謀略とか、そういうことでは無いのだろうか。途中から、笑いをこらえているような顔になっていたし。
 エルムが考え込んでいる間に、隊長のチェックが終わったらしい。
 「…行くぞ」
 ネルスの声に、エルムは慌てて顔を上げた。
 ブランも脇に抱えていたヘルメットを被って調節している。
 「それじゃあな!レッドによろしく!」
 「はい。ブランさんも、お気をつけて」
 「…うわあ、そんなこと言われたの、初めてかもしんねー」
 うひゃあ、くすぐってー、と踊るように飛び跳ねながら、ブランは手を振りつつ仲間の元へと向かっていった。
 エルムも荷物の減った自分の背嚢を背負った。
 そうか、これでカーマインとところに行く口実が出来たのか、とふと思う。ブランはああ言っているが、友達というものを持ったことのないエルムにとって、誰かを訪ねていくというのは酷く神経を使う行為なのだ。一体、いつ行けばいいのかすら分からなかったが、ブランと会った、元気そうだった、というのを伝えるためにも、近いうちに行った方が良いだろうか。
 「エルムに、衛士の友達がおるとは知らなんだ」
 爺ちゃんの声で、シミュレーションを途切れさせる。
 「…友達、じゃなくて…今日、初めて、会った人なんだけど…前に、街で知り合った人の、友達」
 こういう間柄をどう表現すれば良いのか分からなくて、エルムはそのまんま言ってみた。
 バースは目を細めて、嬉しそうにうんうんと頷き、エルムの肩を軽く叩いた。
 「そうじゃ、そうやって、友達の友達も知り合いになって…」
 「知り合いに、なって?」
 途中でバースが何かに思い当たったように言葉を途切れさせたので、エルムは首を傾げて繰り返した。
 むぅ、と思慮深そうな顔つきで唸ったバースは、考えつつ続けた。
 「…どんどん知り合いが増えるのはええことなんじゃが…しかし、男ばかりというのものぉ…可愛い女の子の友達をどんどん増やしていくのは自然な姿じゃが、男の知り合いばかりが増えるのは不健全じゃし…」
 完全に真面目な表情で腕を組み悩んでいるバースの背後では、ピエレッタが手をわきわきさせていた。
 「突っ込んでもええ?なぁ、爺ちゃん、突っ込んでもええ?」
 小声だが、呻くような声なので、我慢するのには相当忍耐が必要らしい。
 エルムは、そっと背後を振り返った。
 衛士たちの集団は、まだ見えてはいたが、完全にヘルメットを下ろして揃いの鎧を着ているため、どれがブランかは分からない。
 爺ちゃんの言うことはよく分からないし、ピエレッタが何を悶えているのかもよく分からないが、ともかく今日、一人名前を持った衛士の一人と知り合ったのは確かだ。
 <衛士の一人>じゃなく<ブラン>という個人を知ったのだ。ひょっとしたら、4階を通ればその度に会うのかもしれないし、次には迷宮の中じゃなく、居住区で私服を着たブランと会うのかもしれない。その時には、きっと向こうは「よぉ、ブルー!」と砕けた口調で挨拶するのだろう。
 そう考えると、何だか不思議な気がした。
 これまで生きてきて、エルムも多数の人と会ってきた。ベッドの上で過ごしていても、掃除婦や料理女もいるし、台所に肉や野菜を運んでくる人間もいる。
 エルムにとって、それはただの<そういう役目の何か>であって、それぞれに名前があって、帰ったら家族もあって別の知り合いもいて、という認識はまるで無かった。
 あの人たちも、名前があって、個性があって、家に帰ったらエルムに向かうのとは全く違う口調で話していたのかもしれない。
 何がどう不思議なのか、自分でも分からなかったが、とにかくそう考えることは、エルムにとっては新鮮な驚きだった。
 そうして、しみじみと、家から出てきて良かった、と思う。
 母に心配されて、ずっと家の中にいたのでは、こんなことも分からなかっただろうから。
 


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