鹿広場




 午前5時。
 朝食のためにテーブルに着いたのは、サナキルたちと採集パーティーだけだった。
 ルークがフォークでショークスを指したので、サナキルは「行儀が悪いことだ」と眉を顰めた。
 「んで?あっちは結構大変だったのか?」
 「いや、大変っつぅわけじゃねぇよ。誰も死んでねぇし。ただ、カマキリルートから磁軸までのショートカットまで一気に繋げたから、時間と距離がえらいことになっただけだろ」
 ショークスももふもふとパンを口一杯に詰め込んだまま答えた。
 まだあちらのパーティーは起きてきていない…ということは、帰ってきたネルスが同室のショークスに報告して、それをこちらのパーティーに伝える、というのは、ごく自然な経過なようにも思えたが、よくまあ夜明け前の熟睡状態を叩き起こされてそれだけ頭に入るものだ、と感心もする。
 「寝てる間も、ずっと感覚は繋がってるんですか?」
 「何となくな。まぁ、時々、自分が夢みてんのか、ネルスが思考送ってきてんのか、分からなくなるけどよ」
 その辺は、サナキルには理解しかねる。一応、経過を聞いたことは聞いた。ネルスとショークスの思考波がほぼ同一で、そのせいでネルスの思考がショークスに筒抜け、らしい。…信じたか、と言われると、かなり首を傾げるが。
 サナキルが胡散臭そうに見ているのは無視して、ショークスはにやりとルークに笑いかけた。
 「ま、俺らには、とっても便利な意思伝達手段があるからよ。短時間で細けぇとこまでばっちり頭に入ってんぜ」
 「…短時間、なんですか?」
 「おぅ、ものの1分もあれば…」
 「……1分、なんですか?」
 アクシオンの声音に、微妙に気の毒そうな感じが混じっていたので、サナキルは首を傾げた。そもそも、その伝達手段がサナキルには分かっていなかったが。
 ショークスも、怪訝そうにアクシオンを見返してから、慌てたようにフォークを振った。
 「あ、全部で1分じゃねぇからな!?そりゃあネルスの名誉のために言っとくぜ!?伝達そのもんが1分で済むってだけ!」
 「あぁ、それは良かった。あんまり長いのも大変ですが、1分もちょっとさすがにどうかと思いまして…」
 「…長ぇの?どのくらい?」
 「そうですねぇ、前戯だけで1時間以上…」
 溜息を吐きながらアクシオンが言うのをショークスは身を乗り出して聞いていたが、ルークがびしりと固まったのでサナキルは一体何のことだろうと首を傾げながらもそのまま聞いていた。
 しかし、ジューローが音を立てて席を立ったので、意識がそちらに向かう。
 不愉快そうに…というか、いつも通りに眉間に深い皺を寄せた顔には変わりなかったが、とにかく楽しくはなさそうに言い捨てた。
 「支度をしてくる。さっさと出たい」
 それを聞いてサナキルも慌てて立ち上がった。何せ相手は半裸ブシドー、とにかく準備が早いのである。それに比べてパラディンは身にまとう物が多い。もちろん、武人としていつでも自分一人で速やかに準備出来るよう訓練はしているが、それでもジューローの倍は時間がかかる。
 さっさと食堂から出ていくジューローの背中を追いかけるように出ていったサナキルを見送って、ルークはぽそぽそと朝っぱらから危うい会話をしているショークスをアクシオンをじろりと見た。
 「…で?無事、坊ちゃんは出ていった訳だが。…まだ、話続けんの?」
 「いやぁ、新鮮だと思ってよ。他人んとこがどうやってんのか知らねぇから。…ま、それはともかく」
 ショークスはあっさり頭を切り替えて、サナキルがいては出来なかった話をした。
 「…ってぇことでよ、公宮でミッション受けてから先に進む必要があんだけど、あっちの二人が、僕ちゃんに危ないことはさせたくねぇらしいんだが…どうするよ?」
 大勢の衛士が殺された魔物が徘徊している広場で、衛士の生き残りを見つけて救出。大まかに把握したところ、確かに危険な気もするが…単に逃げまくってこっそりやれ、という依頼のようにも思える。
 「うーん…真っ正面から戦うんじゃないんなら、盾は無くてもいいかもしんないけど…」
 「聖騎士が『邪魔』になるほど、裏の仕事でも無いようには思いますが…」
 絶対にサナキルがいては困る、と言うほどでもない。けれど、いなくちゃならない、ということもない気がする。
 ルークは色々な場面を想定してみた。敵の種類、衛士の位置、救出ルート…。やはり、決め手は無い。
 「後で怒るかも知れないけどなぁ」
 「あ、でも、フロウさんに来て貰う方がいいかも知れません。…その〜…見つけた遺体の保存的に」
 ちょっと言いにくそうにアクシオンがぼそりと言った。既にアクシオンの中では、衛士は死体らしい。その割り切り具合がアクシオンなのだが、ドライっぷりがルークの気に染まないことも良く知っているのだ。
 「…んじゃ、やっぱ坊ちゃん置いて、フロウに頼むか」
 ルークも、色々な想定をして場面で、一面の死体、というのは一応可能性の一つとして捕らえている。衛士が全員死体では無いにせよ、その大半が死体である可能性は高い。
 「でもよぉ、直接凍らせんのってまずいって聞いたことあんだけど」
 ショークスの疑問に、アクシオンがあっさり頷いた。
 「よくご存じですね。はい、その通り、凍らせることによって、組織の壊死が進むので、例えば切断された腕をくっつけようと凍らせて持ち帰ると、余計傷めることになります。直接触れないように布かなんかに包んで、周りを氷で覆うのが一番良いんですが。…それは、生きている人間の話で…今回の場合、既にどうしようも無い肉片の腐敗を止める、という目的で、その」
 しゃきしゃきとした講義口調が、後半でまたトーンダウンした。それでも苦笑じみた表情で、衛士を悼んでいる気配は無いが。
 「他に必要なものはあるかなぁ。衛士の生き残りを見つけた時のために糸は3つくらい持っておくとして」
 「出来る限りのキュアやリザレクション用薬剤は持って行きますが…あぁ、あとサラシを少々」
 「その、凍った肉片用の袋がいるんじゃねぇ?それ以外にも、遺品とかあるかもしんねぇし」
 すっかり、魔物とは戦わずに死体回収、というつもりだが、もしも魔物と戦う羽目になった場合…まあこれはどうしようもない。準備も何も、全力を出すだけのことだ。最悪、衛士を見捨てて逃走。
 「さて、と。んじゃ、そういう方向で出発準備」
 「了解」

 ルーク、アクシオン、ショークスは、基本的に後衛職…と言うか中間職なので、防具も大したことはない。すぐに準備が出来る。
 だから、サナキルやジューローをさして待たせることなく降りて来られた。
 行く気満々のサナキルは、宿の外で合流したフロウに何度か目を瞬いた。これでは6人になってしまう。
 自分が外されるとは欠片も考えてないだろうサナキルに、ルークは咳払いしてから告げた。
 「悪いんだけど、坊ちゃんは別行動して貰うつもりなんだけど…いい?」
 「いい?も何も、一体何だ」
 すぐに眉を寄せて不本意そうな顔になったサナキルに、歩きながら説明する。
 「それがさ、酒場で依頼受けたんだ。何でも、南の街道に…何だっけ、魔物…なわけないな、とにかく敵が出て、出来るだけ盾の扱いに習熟したパラディンを集めてるっての」
 「ほぅ」
 すぐにウキウキした様子で、サナキルの足取りが軽くなる。
 「それは無論、僕が行かねばなるまいな」
 「うん、そう。と言うか、この間ネルスが公宮に行って衛士に稽古を付けたらしいんだけど、それが好評でね?割とうちご指名で依頼が来たみたいなんだわ」
 サナキルは優雅に自分の胸に手を当て、ふっと笑った。
 「このサナキル・ユクス・グリフォール。このような小国の衛士如きでは真似できぬような盾の技を…」
 「…や、坊ちゃん、他人様の国で堂々と『小国』とか言うの止めようよ…」
 「む、そうか、失礼であったな。気を付けよう」
 鷹揚に頷いたが、どう考えても、心の中ではそう思っているに違いない。単に口に出さないよう気を付けるってだけで。この辺りがいいとこの坊ちゃんである。悪い人間では無いのだが。
 「まぁ、ともかく。頼まれ先は公宮なんで、そっちで詳しい話は聞いて。んで、たぶん1日2日の話だと思うけど、しっかり活躍してきてちょうだいな」
 「任せろ、このサナキル・ユクス・グリフォール…」
 「…その、グリフォール、も止めておいた方が…」
 この坊ちゃんを一人で行かせることに、少々不安を感じたのも事実だが、まあよっぽどのことが無い限りは、そうどうしようもない泥沼を引き起こすことは無いだろう…と思う。ハイ・ラガードとローザリアの国交断絶、とか。この国追放されて迷宮に入れなくなる、とか。そこまでのことは…たぶん。
 仮にもいいとこの坊ちゃん、外交というものの基礎くらいは教えられているはずである。たとえばジューロー一人を公宮の仕事に就かせるよりも平気なはずだ。全然、そんな気がしないが。
 不安になりつつも、公宮でサナキルを見送る。
 何も公宮に来るサナキルを5人で送ってくる必要は無いのだが、サナキルは大勢に付き従われるのに慣れているため、それに違和感は感じなかった。
 そしてめでたく5人となって、ルークは振っていた手を降ろした。
 「さて、と。俺は中で詳しい話聞いてくるから、アクシー、ざっとした話はよろしく」
 「分かりました」
 朝テーブルにいなかったジューローとフロウのために、本日受けるミッションの話を通しておく手はずをして、ルークは公宮に入っていった。
 衛士に目的を告げると、すぐに按察大臣がやってきた。それが役目とはいえ、随分腰の軽い大臣だ。
 「おぉ、3階で衛士の救出に当たってくれる、とか」
 「はい、フロースガルという騎士に通せんぼされて、そういう話を伺いました」
 「そうか…すまぬな、こうしている間にも衛士たちが死んでいっているやも知れぬのに、情けない話だが、衛士をこれ以上犠牲には出来ぬのだ。…もちろん、冒険者であれば、犠牲になっても良いと言っておるのではないのだが」
 「分かってます、冒険者はかなわないと思えば自分でケツまくって逃げます…って、こりゃ失礼」
 一応丁寧語にはしていたものの、ケツ、などと言ってしまったルークは、戯けたように大げさに胸に手を当て謝罪した。基本的にルークは、相手が誰であろうと気後れはしないのだ。齢30を経て、さすがに世間体ってものを慮るようにはなったが、たとえ相手が王族だろうと心の中まで謙る気は無い。
 「あぁ、良い。冒険者にしては、マシなほうじゃ」
 大臣は手を振って、気にしてないと伝えた。こうして冒険者の相手をしていれば、公宮のご老体にすれば、さぞかし下品な言葉も聞く羽目になっていたのだろう。気の毒な話だが、まあ、世界が広がったと思って貰おう。
 「さて、その魔物じゃが…これを支給しておこう。引き寄せの鈴という。あいにく、もうこれ一個しか在庫が無いのじゃ。3階には、これの材料となる鈴の実がなっているとは聞いておるが…もしも必要なら自分で店に持ち込んで加工してくれ」
 「了解しました」
 もう少しレベルアップすれば、バードの歌で何とかなるが、そこまで言う必要も無いだろう。それとは別に、鈴の実とやらを伐採してきて公宮に寄付してもいいし。
 また礼をして出ていこうとするルークを大臣が呼び止めた。
 「あぁ、すまぬが、ギルド名を頼む」
 「ギルド<デイドリーム>。ま、数多ある初心者ギルドの一つですから、覚えて頂かなくて結構ですんで」
 サナキルが聞いたらまた眉を逆立ててぎゃんぎゃん喚きそうなことをへらへらと言って、ルークは大臣の前を辞去した。

 残された4人の方は、アクシオンによる状況説明があっさり終わったので、後は手持ち無沙汰にルークを待っているだけであった。
 迷宮が好きな訳でもないが、こういう場所にいるのも好きではないジューローは、イライラと足を組み替えて重心移動を繰り返している。
 振り返ったフロウが、緩やかに笑った。
 「あら、ひょっとして寒いのかしら?」
 「…違う」
 「そう?体を動かして、熱を産生しているのかと思ったのだけれど」
 真っ白な肌も露なフロウは、からかうように僅かにジューローに近寄った。一段と気温が下がった気はしたが、ジューローは意地でも動かなかった。
 「こういう時、ブシドーは何とか言ってませんでしたっけ…えっと…気合いさえあれば火も冷たいものだとか何とか…」
 「心頭滅却すれば火もまた涼し、だ」
 今の場合、真逆だが。
 ジューローは鳥肌が立ちかけた皮膚をどうにか気合いで押し留めて、じろりと自称雪女を睨んだ。己の半裸もこの国では目立つが、この女性の薄衣一枚というのも目に寒々しい。
 「お前の方こそ、寒くは無いのか?」
 「うふふふ、私が?」
 意味深な笑みを浮かべたフロウが、くるりとその場で一回転した。ふわりと薄衣が舞い、白い肌の大半が露になる。
 「全く、寒くは無いわね…暑いくらい」
 「…俺の国では、そのような姿で道ばたにいれば、夜鷹だと思うがな」
 額面通りの単語を思い浮かべたショークスが、目をぱちくりさせる。何で鳥類がここで出てくるのかさっぱり分からない。
 ジューローは皮肉っぽく唇を吊り上げて、ネチネチとした言い方で説明する。
 「こちらの言葉で何と言うのか知らんが…小銭で男に股を開く女のことだ」
 あからさまな嘲笑にもフロウは静かに笑っているだけだった。
 「だって、暑いものは暑いんですもの。仕方が無いでしょう?…それに、私を抱きたいという男がいるのなら、私、喜んでお相手するし」
 「金すら取らずに、か?」
 「えぇ」
 フロウはそれはもうにっこりと微笑んだ。全く後ろめたいことなんてありません、という表情に、却って裏があるなと思わせる。
 「どう?貴方は私を抱く勇気があるかしら?」
 挑発じみた単語に、ジューローの眉がぴくりと上がったが、フロウの姿を上から下までじろじろと見回した挙げ句に、首を振った。
 「いや…俺は異国人の肌色が嫌いでな。フスマか白壁でもあるまいし、気味が悪くて欲情もせん」
 ジューローは腕を組んで、フロウから目を離し、アクシオンからショークスへと視線を移す。
 「そのくらい焼けていて何とか、というくらいだな」
 山で駆け回っているせいで、やや褐色がかっている肌のショークスが、自分の腕を見た。
 「東国人は、ちっと蜂蜜色っぽいもんな。同国人しか相手に出来ねぇって不便じゃねぇ?」
 「…俺には欲情したんですか?俺の肌は、焼けないように気を付けてるんですが」
 化粧品の威力とはいえ、未だに10代の肌を保っているアクシオンが自分の頬を引っ張ってみた。よし、まだ張りも十分、と自画自賛する。
 「いや、あれは、欲情というより、単なる征服欲だ」
 端的に聞いてきたアクシオンに、ジューローもあっさり答えた。
 「あぁ、なるほど。そういう余分な勢いがあれば、相手が何であれ大丈夫、と」
 「それでも、その女は願い下げだ。まるで首を掻き切って血が流れ出た後の死体だろう」
 アクシオンやショークスの肌とは、質からして全く異なるように思えるフロウの肌を見て、ジューローは思い切り眉を顰めた。フスマや白壁、と言ったが、本当に、『生きている人間の皮膚』には見えないのだ。ジューローにとっては。
 蝋人形か死体相手に欲情するような性癖があれば別だが、そうでもなければ、好きこのんで相手にしようとは全く思えない。
 「あら、ひどい。私って、そんなに魅力が無いかしら?」
 くすくすと笑って、フロウは腕を伸ばし自分の手を遠くから眺めた。華奢で白い手は、労働とは無縁なのだろうと思わせる。
 「ふふ…でも、間違っては無いかもしれないわね…私、雪女だし」
 真っ白な雪色の顔を綻ばせるフロウをじろりと見たが、ジューローは何も言わなかった。いかれた女の電波に付き合ってられるか、というのが正直なところである。
 そのフロウの体から、冷たい風が流れ出ているように思えるのは、気のせいに違いない。
 そうやって公宮の入り口でするには似つかわしくない会話をしていると、ルークが帰ってきた。
 「何か敵を引き寄せる鈴貰ってきた。眠りの鈴と合わせたら、敵がいても、まあ何とかなるっしょ」
 とりあえず仕事の方の報告をしてから、4人の顔を見回す。
 「…何の話をしてたんだ?何かくそ真面目な顔して会話してんのは、遠目にも見えてたんだが」
 通路がまっすぐだったので、会話は聞こえないまでも4人の姿は見えていたのだ。この4人で何を討論してるんだ、と思いながら近づいてきていたルークに、アクシオンがさっくりとまとめた。
 「ジューローの性欲について淡々と話してました」
 無言で突っ込んだらしく手首がびくりと動いたジューローを見てから、ショークスとフロウの表情を確認したが、あまり驚いてもないので、本当にそういう話題だったのだ、と悟る。
 「いや、そういうことは淡々と話さず、もうちょっとこう、にやにやとだな…エロトークをするにはそれなりのシチュエーションというものが…」
 「公宮の入り口でするものではないでしょう」
 「もちろん、その通りなんだけどね…」
 そもそも何でそんな話題になったんだ、と言いたいが、今からお仕事だというのに深く突っ込んでる場合でもない。まあ、後でアクシオンに聞かせて貰おう、と頭を切り替える。
 「まあ、いいや。とにかく3階でミッション開始だ」


 磁軸柱を使うと、さっさとショークスが歩き始めた。
 「あっちがネルスが広げたとこな」
 何でも、普段から思考は送信されているが、それは比較的テキストオンリーなのだという。まるで会話のように「目の前に、白くて俺の身長より大きなカマキリがいる」と言葉で送られてきていて、その言葉から光景を想像する、という感じである。
 で、画像イメージの転送には、いわゆる『1分』ほどの完全シンクロを利用しているということらしい。その時には、印象的だった画像が脳裏に焼き付くのだそうだ。日常生活としては不便な気もしないでもないが、二手に別れた冒険としては便利だろう。
 折れた小枝を器用に払いながらショークスが先頭で抜けて、残り4人もショートカットを抜けていった。
 「よーし、あの先にワンコ付き騎士様がいるはずだ」
 犬の名はクロガネだったな、あの騎士は東国に何か関係があるのだろうか、とジューローは思ったが、それが東国語だとは口に出さなかった。
 1回雑魚と戦闘してから、扉に向かうと、腰を下ろして何やら犬と真摯な顔で話し合っている聖騎士の姿が見えた。
 こちらに気づいたのか、尻を払いながら立ち上がる。
 「…あぁ、この間磁軸柱付近で会った…」
 「おはようございます、夕べ…じゃないわ、明け方頃、ここに来たパーティーがいたと思うんだけど、それから話は聞いたよ。んで、公宮でお仕事頼まれてきた」
 ここは閉鎖、と言われる前に、ルークは呼び寄せの鈴を見せながらさっさと告げた。
 フロースガルは安堵の表情で微笑み、一歩横に避けた。
 「そうか、それは助かる。衛士たちも助けを待っていることだろう」
 「ま、精一杯やってはみるけど」
 もしも強大な敵を倒さないと衛士を助けられないって場面だったら、悪いが自分たちの命を優先させて貰うけど。
 自信無さそうに聞こえる言葉に、フロースガルの顔がちょっと曇ったが、それ以上何も言わずにクロガネを招き寄せた。
 「それじゃあ、私は先に…」
 「すみませんが、もう少しだけここにいて下さると」
 アクシオンがフロースガルの言葉を遮った。
 「衛士たちを救出するのも、もちろんですが、出来れば遺体回収もしたいので…つまり、肉片が雑魚に食べられないよう、ちょっと番をしていただきたいのですが」
 さっくりともう肉片になっていること確定だと思っているセリフに、フロースガルの表情が更に歪んだが、正面から頼まれては断れないらしく、僅かに頷いた。
 「…では、君たちが戻ってくるまでは、ここにいよう」
 「お願いします」
 相手が他人の頼み事に弱い聖騎士であるのを良いことに、強引に押し留めたアクシオンがにっこりと微笑みながら頭を下げた。
 よし、これでとりあえず扉周辺の安全は確保、とルークは扉に手をかけた。
 少し力を込めると、すぐに中から妙な生臭さが鼻を突いた。
 「…あ〜…もう新鮮な血の臭いじゃないわ、これ」
 「そうですね、もう、少し腐りかけてます。外くらい寒ければ良かったんですが」
 エトリアで言えば初夏に近い気温である。遺体ももって3日というところだろう。もちろん内臓と筋肉とは腐敗速度が違うが。
 思い切って扉を開けると、目の前は血みどろだった。
 それこそ肉片やら防具や武器やらが散乱している。
 後から付いて入ってきたフロウが眉を顰めながらもガントレットに触れる。
 「どうするの?凍らせればいいの?」
 「ショークス、奥の気配探ってくれ」
 「あいよ。つっても、もうあからさまにびんびんだけどな」
 ジューローも刀の柄に手を触れ警戒している。
 「アクシー、どう?」
 「ざっと見たところ、傷は裂傷ではあるんですが、鋭利な牙や爪でやられた感じじゃないですね。重い打撃で裂けた、というところでしょうか。遺体の損傷はさほど酷くありませんから、敵は肉食では無いと思われます。もちろん、その辺の小動物に囓られた痕はありますが、多くは無いですし」
 手袋を着けて遺体を確認しながら淡々と言ったアクシオンは、いったん手袋をくるくると巻いて外した。
 「要するに、これ以上死ぬことは無い状態ですし、放置しておいても、極端な遺体の損傷は無いと思われます」
 見るからに、リザレクションは間に合わない状態だとは思ったのだが、メディックによるお墨付きも出たので、ルークはその凄惨な現場から目を逸らした。
 「よし、まずは生き残りを捜そう。ここの処理は後回しだ」
 ルークも、この光景を見て悼ましいとは思う。しかし、ほんの1〜2時間余計に時間をかけたからと言って、状態が変わらないことも理解していた。そして、生きている方の衛士は、その1〜2時間が生死の境目となる可能性がある。
 ルークはアクシオンとは違って完全にドライにはなりきれなかったが、それでも冒険者としての冷静な判断というやつには長けていた。
 「ショークス、敵は?」
 「左に2体、そいつらは大木の周りをぐるぐるぐるぐる回ってやがる。たぶん下と同じで狂ったみたいに周回し続けてるだけだな。右のは、もっと凶悪だが動いてねぇ」
 少し進むと、ショークスの言った通り、左には鹿が2頭いて樹木の周りをぐるぐるしていた。
 「けどなあ…奥に道が見えるんだよなぁ」
 その2頭の隙間から、広場から抜ける小道が見えた。折れているので、奥がどうなっているかは分からない。
 右の更にでかい鹿に背を向ける状態になるのが嫌だったが、先にそちらを確認することにした。
 幸い、この鹿たちがぐるぐるしているので雑魚は身を顰めているらしく、敵の姿は無い。
 タイミングを計って奥へと進んだが、衛士の姿も血の痕も無かった。ただ、鈴になるんだろうなぁ、という形の実がなっている木があっただけだった。
 「てことは、あの更に凶悪な角の鹿の奥に行かなきゃならんわけだが…って、ジューロー、戦うのは最終手段な」
 さっそく刀に手をかけたジューローに釘を刺しておいて、ともかくは広場中央に出てきた。
 ぐるぐる回っている鹿とは逆に、その鹿は大きな角を重そうに振りながら木立の隙間に座っていた。どうやらその奥に道はありそうなのだが…そのまま通り抜けられそうにはない。
 ルークは懐から二つの鈴を取り出した。
 宝箱から拾った眠りの鈴と、大臣から貰った引き寄せの鈴。
 「…ま、一応やってみるか。希望としては、これで引き寄せて、鹿が通路から出てきたところで眠らせて、その間に俺たちは向こうに抜けるっと」
 「…抜けて、どうなるのだ」
 腰の刀を撫でながらジューローがぼそっと聞いてきたので、ルークは両手を広げて肩をすくめてみせた。
 「さあ?衛士がいればよし、いなかったら、入り口で全滅してましたって報告するだけだわな」
 で、もしもまた鹿を通らないと帰れないってことになったら、糸で帰るだけ。一応、こちらの道側から抜けられそうな箇所は確認しているため、きっと奥から帰れるのだろうとは思うが。
 同行者に作戦説明をしてから、ルークは引き寄せの鈴を鳴らした。
 うずくまっていた鹿が、だるそうに立ち上がり重そうな頭を左右に振った。
 その小さく丸い目が、こちらに気づいた途端、角を低く構えて突進してきた。
 「うわお」
 ひょいっと横に避けておいて、鹿も斜めに来たのを確認し、ルークは今度は眠りの鈴を鳴らした。
 鹿がどさりと音を立てて草地に横たわる。
 「はい、今のうち。たぶん、長くはもたないけどな」
 そうしてこっそり鹿が塞いでいた場所を通り抜けると、予想通り小道に繋がっていた。
 「もう起き上がってこっちに来るぜ」
 最後尾のショークスが緊張した声音で報告してくる。
 「よし、左」
 奥側を指示して足早に進んでいく。
 「…何故だか知らねぇが、鹿はまた元の位置で止まってんな」
 追いかけられる覚悟はしていたのだが、どうもあの位置に何かあるらしい。卵を抱く鳥でもあるまいし、鹿が座るべき何があるのかは疑問ではあったが、今は研究している場合ではない。
 ともかくは一安心、と進むと扉があった。
 最悪、扉奥にも鹿がいる可能性もあるのだが…確認せず帰るわけにもいかないので、ルークは扉に手をかけた。
 いや、かけようとして、アクシオンが柔らかくはあるが断固とした力でルークを背後に押しやったので、開き損ねた。
 「前衛が開けますよ。リーダーは後ろにどうぞ」
 どうやらアクシオンも、扉の向こうには危険があるかもしれないという推測をしたらしい。
 「ま、前衛と言っても、今は俺かジューローしかいないんですけどね」
 「…俺に開けろと?」
 「いえ、むしろ刀を構えていて下さい」
 ジューローは眉を上げたが、何も言わずに腰から刀を抜き取った。
 フロウもガントレットの用意をする。
 敵がいる可能性もあるにも関わらず、アクシオンは扉の正面に立って、思い切りそれを押し開いた。視界と射線の確保を優先したのだ。
 「うわああああ」
 扉を開いた途端、情けない悲鳴が上がった。
 もちろん、それがアクシオンの声では無いことは分かっている、つまり、中にいるのは他の人間、つまり衛士だろう、という推測が一瞬でなされて、ルークはジューローの脇から中を覗き込んだ。
 そこには、腰を抜かしたように座り込んでいる衛士やら妙な姿勢で転がっている衛士やらと、少し離れたところでへっぴり腰で槍を構えている衛士がいた。
 どうやら扉を押さえていたのに、思い切り開かれてつんのめったらしい。
 「どうも〜。公宮からミッション受けて救出に来た冒険者でーす」
 なるべく暢気に、しかしパニクって攻撃はされないように素早くこちらの身分を告げる。
 その言葉を聞いて、わたわたしていた衛士が、どうにか立ち直ったのか、立ち上がったり槍を収めたりする。
 こちらも各自が構えていた武器を降ろし、ルークが先頭に出ていった。
 「みなさん、何名さまですか〜?糸は何本必要?」
 衛士たちは、慌てていたのが恥ずかしかったのか、何度か咳払いしたり身なりを整えたりしていたが、中の一人が一歩前に出た。
 「あ〜…感謝する。我々は、全部で5人だ。あの鹿さえいなければ、普通に歩いて帰れるだけの実力はあるのだが…」
 「あ、じゃあ、抜け道教えるだけでもOK?」
 ルークの隣でアクシオンが小首を傾げて衛士たちの顔を見回した。
 「怪我人は?キュアのご用命はありますか?」
 「い、いえ、手持ちの薬品で、怪我は治してあるのでありますが!」
 外見美少女のメディックにおっとり微笑まれながら言われた衛士が、すごい勢いで背筋を伸ばして大声で申告した。やっぱり平常心とは少し縁遠くなっているらしい。
 「あぁ、それじゃあ、少し手伝って頂きましょうか」
 やっぱりおっとり穏やかに微笑まれて、衛士はその内容を捉え損ねた。
 惨殺された衛士たちの生き残り。どうにか無事外に出られそうとなって、生きている喜びに浸っているところで、もう何を言われてもOKよ、みたいな気持ちになっていたのも否めないが。
 「は、何なりと!」
 「それじゃあ、ちょっと、荷物を預けましょうか。…ね?」
 ルークとしては、衛士には速やかに帰って頂こうかと思っていたのだが。
 アクシオンが何をさせようとしているのかは分かっている。まあ、確かに理には適っているのだが…衛士たちにはちょっと気の毒かなぁ、とも思う。

 で、鹿の横を通り過ぎ、抜け道から回ってきた衛士たちは、また広間の正面に出てきたので顔を青ざめさせた。
 「あ、あの!また自分たちはここに入らねばならないのでしょうか!」
 「いえ、お嫌なら別に」
 「まあ、待っててくれても良いけどな。…あ、フロースガルさん、お疲れさまです。後はこっちでやりますんで」
 そこに佇んでいたフロースガルは、衛士たちとルークたちを認めて、ほっとしたように笑った。
 「どうやら助かったらしいな。それじゃ、私はこれで」
 クロガネと共に立ち去るのを見送ってから、ルークは衛士たちに説明した。
 「何も鹿と戦おうってんじゃない。亡くなった皆さんの武具や遺体を回収しようってだけ」
 衛士たちは、きまり悪そうにお互いの顔を見やった。どうやら自分たちが帰れることで頭が一杯で、同僚のことまでは考えていなかったらしい。
 「そういうことでしたら…自分たちも、是非」
 乗り気になった衛士を見ながら、ショークスがルークの近くにまで来て、小さく囁いた。
 「知り合いの腐乱死体ってぇのは、赤の他人のよりもきついかもしれねぇけどな」
 「俺もそうは思うけど…同僚の方が遺品を判定してくれるかと思ってさ」
 「そりゃそうだが…」
 ショークスは眉を顰めてから、しっかりと赤い口布を鼻まで上げてきつく巻いた。腐乱臭はあまり好きではないらしい。レンジャーなら山中で獣の腐乱死体くらい慣れていそうなものだが。
 「さて、と。んじゃ、衛士の皆さんは主に武具を集めて欲しいな。で、俺らは遺体の搬出、フロウは凍結担当でよろしく」
 「分かったわ」
 
 そこから先は、大して楽しいことは無かった。泣きながら同僚の名を呼ぶ衛士に囲まれながら、遺体を搬出していく。比較的全身が無事なものをジューローとショークスとルークで、アクシオンは腕だけだとかそれ以下の大きさになったものを集めて扉の外に運び出していき、フロウがそれらを凍結させていった。
 結局、武具や遺体を集めてみると、そのまま衛士だけに預けてさようならとは言えない量になっていたので、ルークたちも『荷物』を持って歩いて帰ることになったのだった。



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