襲撃
糸で迷宮入り口まで帰ってきたら、何やら周囲が慌ただしかった。
「道を空けてくれ!」
「応援はまだか!」
「衛士が踏ん張ってる間に、高レベルの冒険者ギルドを探せ!」
大樹の根元に開いた階段から、次々に怪我人が運ばれていく。
やばい、とルークはサナキルを振り返ったが、既にジューローの腕を振り解いて近くの衛士に駆け寄っているところだった。
「何事だ!」
「1階の広間にいた魔物が動き出したのだ!今は、衛士たちが何とか押し留めている状態だが、いつまで保つか…」
衛士は額の汗を拭おうとしたらしく、がしゃんと手の甲がヘルメットに当たった。
サナキルがそのまま階段へ向かうのを、ルークが悲鳴のように押し留めた。
「坊ちゃん、俺ら、TPも心許ないんですけど!?」
「だからと言って、放ってはおけぬ!」
「あ〜もう!」
サナキルが階段を上がり、広間へと抜けたところで、ルークがその腕を掴んだ。
そもそも、鎧が重い分、サナキルの方が足が遅いのだ。
「坊ちゃん、ストップ!」
「お前たちが行かぬのなら、僕一人でも行く!」
「誰が、んなこと言ってるか!」
ルークが軽くとはいえ頬を叩いたので、サナキルはびっくりして自分の頬を押さえた。
「あ〜、坊ちゃん、『父上にも叩かれたことないのに!』とか言わないでくれよ?とにかく、落ち着いて…っつーか、ジューロー押さえといて」
呆然と突っ立った体を押されてよろめいていると、背後に追いついたジューローがサナキルの体を受け止めた。
アクシオンとショークスも上がってきている
ショークスが遠くを見るように目を細めて、しばらく首を傾げた。
「ふーん、重いもんが扉にぶつかるような音がしてるわ。たぶん、あの広場に奴はいて、西の扉から出ていこうと体当たり、んで衛士が踏ん張ってるってとこだな」
「もちそう?」
「そこまで分かんねぇよ。…でも、悲鳴は聞こえっから、やべぇかもな」
もしそこを抜けられたら、道は直線ではないとはいえ、入り口までは扉も無い。押し留めるのはきつい。
「背後を突けば、一撃は、稼げますけどね。…一撃だけ、ですけど」
「それも、あっちに気づかれたら無理だしな」
一瞬、何を言っているのか分からなかった。
魔物が、無害なうちは放置しても納得できた。だが、人間に害を及ぼしているのならば、そして、無力な民に害を及ぼす危険性があるというならば、パラディンとして無視できない。
だが、確かに、自分はまだ無力で、あれに勝てる実力があるとは思えなかった。だから、行くなら己だけ、と思い込んでいたのだが。
「…勝算は?」
ジューローがサナキルを抱え込みながら、面白そうに聞いた。
「いんや、全く無いね。時間稼ぎがいいとこ」
くっくっとルークが笑いながら答える。
そう、笑いながら答えたのだ。それはもう楽しそうに。
「一応、ネルス呼んどく」
ショークスが手袋を外し、小指を噛んだ。
「ま、どうせ間に合わねぇだろうけどよ」
あっさり言って、また皮の手袋を着けた。
「なるべく、踏ん張りましょ。せめて蘇生して貰えるくらいには死体が残れば良いんだけど」
「もし無理でも、一緒に仲良く胃袋の中ですよ」
「二人は一つに溶け合うのってか〜ま〜悪くは無いけど…」
「5人一緒だっつぅの」
「それが問題」
また喉で笑ったルークが、ジューローに合図した。
自由になったサナキルは、まだ呆然としたままリーダーの顔を見つめる。
「まさか…皆、行くのか?」
「そりゃそうでしょ。坊ちゃん一人でどうにかなる相手じゃないし」
「5人でかかってもどうにかなる相手じゃ無いんですけどね」
茶々を入れたアクシオンに笑いかけてから、ルークはちょいとサナキルの鼻の頭を指先で押さえた。
「基本的に、俺も庶民の味方なのよ。どうせ帰っても安らかに寝られそうにもないし、ま、やるだけやりましょ」
サナキルは、これが自分の<我が儘>だということを知っていた。
かないそうにない敵。
でも、街には衛士も高レベルの冒険者もいて、もしも自分たちが行かなくても、もっと強い人間が倒してくれるかもしれない、ということも分かっていた。
それを押して、自分が行く、というのは、パラディンとしての使命感でもあり、神に与えられた義務でもあるが、同時に、<仲間>の身を危険にさらす<我が儘>でもあった。
だから、一人で行こうと思っていたのに。
さっさとショートカットの茂みに向かったジューローが、目を細めて呟いた。
「…馬鹿ばかりだな。…嫌いでは無いが」
「賢かったら、冒険者なんてやってないのよ」
「うわ、ひっでぇ。ま、賢いと主張する気はねぇけど」
「ほら、サナキル、さっさと行きますよ。言い出しっぺが行かなくてどうするんです」
笑いながら呼ばれて、サナキルは弾かれたように走り出した。
守らなければ。
<仲間>を、守らなければ。
茂みから抜けると、思った通りでかぶつは西の扉に向かっていた。
凶暴に吠えたてながら、扉に向かって突進している。
衛士たちも頑張っているようだが、扉は閉まりきっていない。あと2,3回も突進されれば、衛士たちは跳ね飛ばされ、魔物は道へと抜けるだろう。
「全力で…っつってもなぁ、大した攻撃スキルも無いんだよなぁ」
ぶつぶつ言いながら、ルークはオカリナを取り出した。
背後から襲うという一撃のアドバンテージはでかいが…扉の向こうの悲鳴と怒号、魔物の姿勢から言って、後一回突進を許すとやばい気がした。
「しょうがない、坊ちゃん、どうぞ!」
「おい、そこの魔物!このサナキル・ユクス・グリフォールが相手だ!」
声高に名乗りを上げれば、扉に突進しようとしていた魔物の動きが止まった。「あぁん?」と言いそうな顔で後ろを振り向き…こちらに気づいた。
ジューローが腰を落とし、刀を構える。
ルークのオカリナが猛き戦の舞曲を奏でた。
ショークスの弓がきりきりと引かれ、放たれた矢がぷすりと可愛い音を立てて魔物に突き立った。
「…うお、全然効いてる気がしねぇ」
ぶるん、と振り払われたらすぐに落ちそうな矢を見て、ショークスが眉を寄せた。
だが、それでも痛みは痛みである。魔物が大きな顎をばっくりと開けて、がああああ!と叫び…完全にこちらを向いた。
その間に、掛け声と共に扉が閉められた。
魔物が体勢を低くする。見たところ、手の鈎爪は鋭いが腕自体が小さいので、あれが主な攻撃法ではないだろう。おそらくはあの大きな頭からして、牙で切り裂くと見ていい。
もう一度雄叫びを上げて、魔物が突進してきた。
サナキルは盾を構え「こっちだ!」と叫んだが…魔物はその隣をすり抜けた。
ジューローを頭からばくりとくわえ、ぶん、と振る。
信じられないほど高く振り飛ばされたジューローの体が、赤い放物線を描きながら少し離れた地面に落ちた。
「あ〜、やっぱ一撃か…」
「思ったほど、顎の力は無いみたいですね。噛み切るよりも、遠心力で切り裂いたって感じです。大して嬉しくも無いですけど」
どこか気の抜けた笑いを滲ませた会話に、ざわりと血の気が下がる。こんな場面でさえふざけるような人間ではないはずだ。ということは。
「諦めるな!メディックのTPはまだあるだろう!こちらは回復出来る分、敵よりも有利なはずだ!」
サナキルは、魔物がジューローの死体を貪りに行かないよう、剣を振り回して気を引きながら、そう怒鳴った。
背後のルークの顔は見えないが、ちょっと楽しそうな笑い声が聞こえたように思えた。
「…うわお、坊ちゃん、男前」
「一撃でやられたんじゃ、回復も意味無いんですけどね…ま、次はリザレクションしますよ」
オカリナの旋律が残っている間に、ルークも弓を構える。
「すっげぇ時間かかりそうだけどな」
放った矢が、またぷらぷらと突き刺さったのを見たショークスが、溜息のように言った。
それからは、悪夢に近かった。
ジューローは蘇生されても攻撃する間もなく殺された。は虫類のでっかいののくせに、こちらの最大攻撃力がどれか分かっているかのような選択だ。
そして、ジューローという攻撃力を失えば、こちらはちまちましたダメージしか与えられない。
「…俺も攻撃に転じます」
ジューローに次いで攻撃力のあるアクシオンが、ついにキュアを諦めた。
背後ではルークが残りHP3で踏ん張っていたりもするのだが、見捨てられたも同然の状態でありながら、血の気のない顔で同意した。
「その方がマシだろうな。どうせ俺の攻撃力じゃあ残す意味が無い」
「まぁ、それでもよぉ、結構相手も弱ってきてんぜ?うまくすりゃあ、うまくするかもな」
後ろにいる分、ダメージが少ないが、どちらも一撃食らえば死ねる状態だ。
サナキルは必死で挑発しているのだが、でかぶつはなかなか聞いてくれない。
そうして、一人ずつ死んでいき。
ついに、アクシオンも倒れた。
最後に残ったサナキルは、歯を食いしばった。
サナキルの攻撃力は、パーティーの中で最低である。まだ良い剣が出ていないこともあり、アクシオンの半分も無いほどだ。
そして、サナキルの防御力が高いとはいえ、あと一撃耐えられるかどうか、という状態だ。
それでも。
サナキルは、剣を構えた。
僕が倒れたら、背後の4人の死体はどうなる。
今なら、まだ蘇生できるかもしれない。
が、もしもサナキルまで倒されたら…よほどうまく誰かが助けにでも来てくれない限り、この魔物に思う存分食われることだろう。そんな状態では、蘇生できない。本当に、全滅だ。
「魔物如きに…魔物如きに、食わせる訳にはいかん!」
サナキルは、剣を繰り出した。
分厚い皮膚に入った傷は、ほんの僅か。
もしも、自分にジューローほどの攻撃力があったなら、今頃とっくに倒せているだろうに。
魔物の鋭い歯を、何とか盾で受け止めて、サナキルは呻いた。
後一撃。
もう、自分は、あと一撃しかもちそうにない。
だったら、どうすればいい。
<仲間>の体を、魔物に食わせるなど、絶対に嫌だ。
だが、サナキルの力では、魔物の分厚い皮膚に傷を入れるのは難しい。ましてや、あと一撃で致命傷にするなんて。
だったら、どうすればいい?
サナキルの頭の中で、素早く幾つかの選択肢が生まれ、消えていった。
「…神は、自殺を認めてはおられないが…」
サナキルは、ゆっくりと笑った。
なるほど、腹をくくれば、自然と笑いがこみ上げるものなのか。
強大な魔物を前にして、笑っていたルーク、アクシオン、ショークス、そしてジューローの顔を思い浮かべ、改めて、思う。
絶対に、死なせるものか。
たとえ、この身と引き替えにしてでも。
「神よ、ご加護を!」
サナキルは、盾を捨て、剣を両手で握った。
あえて攻撃のタイミングを遅らせ、魔物が大きく口を開き、突進してくるのを見つめる。
敵の攻撃パターンは読めている。アクシオンが言ったように、顎の力は強くない。上半身をくわえ、噛み切るのではなく、思い切り振って投げ飛ばすのだ。
今までと同じように、こちらの頭からがっぷりとくわえようという魔物の口に、自分から飛び込んだ。
生臭い空気。
腹に感じる熱さ。噛み切られないほどとはいえ、牙は十分中まで突き通る。また腸がはみ出したのかもしれない。
だが、それが何だと言うのか。
サナキルは、真っ赤に染まった視界で笑い、力一杯、剣を突き立てた。
入り口から、緊急に駆り集められた衛士と冒険者がなだれ込み、二手に別れた。
一方のグループは奥の扉へ、一方はショートカットへと進む。
そうして、広場に入った者たちが、見たのは、4体の死体。
近くには、まだ魔物が大きな声を上げていた。
戦闘態勢に入った彼らは、その声が威嚇でも雄叫びでもなく、悲鳴だと気づいた。
その大きな顎には、人間の下半身が引っかかっている。
てっきり、食われている最中だと見えたのに…血まみれの魔物が、もう一度悲鳴を上げた。
それにごぼごぼと泡のような音が混じる。
ぶん、と振られた顎から、くわえられていた人間が外れた。
だが、よく見れば、魔物の顎の下からは剣が突き出ていたのだ。そして、くわえられていた人間が飛ばされるのと同時に、剣が顎を切り裂いていった。
もうあまり力が無かったのか、くわえられて飛ばされた人間は、さしたる高さには行かなかった。
だが人間の方も、受け身を取る力は無かったらしく、地面を長く滑り、樹木の根元でようやく止まった。
魔物が、もう一度叫んだ。
木の根元で身藻掻いた人間が、それでも、剣を支えにふらふらと立ち上がったところで。
魔物が、どう、と倒れた。
何度か、びくり、びくり、と尻尾や手が宙を掻き…それも、落ちた。
サナキルは、ぼんやりと目の前の光景を見つめていた。
頭の中は、わんわんと何かが鳴り響き、逆に何も聞こえない。
見つめているのは、魔物。
それが地面で暴れるのを止め、は虫類の目がぎろりとこちらを見るのを睨み返した。
もしも、向かってくるのなら、また剣を突き立ててやる。
急に、視界がクリアになり、世界が音を取り戻したので、サナキルは目をぱちくりとさせた。
何度か瞬いて、ようやく己の周囲に人が数人いることに気づいた。
「大丈夫?」
目の前に手をひらひら振られて、その手の主を見ると、見たことのない顔だったが、白衣を着ているのでメディックだろうと見当は付いた。
「僕は、大丈夫だ」
僕は、の「は」に力を込めて言うと、前髪を触覚のように跳ねさせたメディックは、少し体を斜めにしてサナキルの視界を開けた。
数人の衛士や冒険者が、死体の周りにいる。
「まず、メディックを蘇生させてくれ。アクシオンはリザレクションが使える」
「分かった」
衛士が白衣を見つけて、ネクタルをその口に注ぎ込んだ。
「へー、すごいな、もうリザレクション使えるんだ。…そんなレベルの冒険者でもやられるなんて…う〜、思わず来ちゃったけど、やばかったんだな〜」
後ろで触覚頭がぶつぶつ言っているので、サナキルは振り向いて直角に腰を曲げた。
「助かった。感謝する」
「へ?い、いやいやいやいや、俺ら、なんもしてないから!」
メディックはあわわと両手を振った。
「最後にあんたがトドメを刺したんだって!俺ら、あれが死んだ後でここに着いたから!」
キュアをかけただけの触覚メディックは、サナキルの肩をばしばしと叩いた。
頭を振りながら上半身を起こしたアクシオンが、にっこりと最大の笑みで自分を支えている衛士に礼を言った。
「ありがとうございます。もう、大丈夫ですから」
「ですが、まだ血が…」
差し出された衛士の手を無視して、べっとりと顔に付いた血はそのままにアクシオンは自分の鞄からリザレクション用の試験管を取り出した。
「えーと、二人分ですね、俺の残りTPじゃ。…しょうがない、ルークは後で薬泉院で蘇生して貰いましょう」
「…え」
サナキルは腰を伸ばし、アクシオンの方に歩いて行った。
気づいたアクシオンが、サナキルを見上げて、まずは柔らかい笑みを浮かべた。
「よく頑張りましたね、サナキル。全滅も覚悟していたんですが…ありがとう」
「ぼ…僕は…」
頭を下げられて、サナキルは一瞬頬を赤くした。
だが、唾を飲み込み、いつものように胸を張る。
「当然だろう。最後まで生き残り、仲間を守るのがパラディンの役目だからな」
「そうですね、今回に限っては…本当に、まったく。ダメージの欠片も与えられなかったブシドーよりもよっぽど…」
残りは言葉を濁し、アクシオンは苦笑して試験管を一本、サナキルに渡した。
「はい、これをジューローの口に含ませて下さい。こぼさないように」
「僕が?」
そういうのはメディックの役目ではないのか、そんなことはやったことがないのだが…と言いたかったが、アクシオンがさっさとショークスの死体に向かっていたので、仕方なくジューローの死体の横に腰を下ろした。
まあ、これからも、ジューローが死んで蘇生させる機会は多いだろうし、それをサナキルが行うこともあるだろう。そう思えば、戦闘中じゃなく今練習しておくのも悪くは無いだろう。
そう納得して、改めてジューローの顔を覗き込んだ。ジューローの顔には傷は無い。腹はちぎれかかっているが、それさえ除けば、無傷と言ってよかった。
だから、何の気無しにジューローの顔に触れて…その冷たさにぞっとした。
土気色で、周囲の石ころと同じ熱の肌に、ようやく、これは死体なのだ、と感じる。
あんなに人を馬鹿にしたように笑う唇は力無く開かれ、敵意があるのかと思うほど睨み付ける目は乾きかけて白く濁っている。
死んでない方がいい。
たとえ、今の顔が穏やかに見えても、生き返ったらまたサナキルを苛立たせるのだとしても…それでも、死んでない方が、いい。
ジューローの頭を自分の膝に乗せる。
指先で唇を割り、少し考えてから、親指と人差し指で上下の歯列を開かせた。
試験管の中身を口に開ける。
死人は飲み込まない。当然だ。
だが、それが喉へと滑り込み…ついでに気管にも入ったらしく、いきなり体が跳ねた。
げほげほと咳き込んだ体を支える。
「あまり動くな。傷自体は治っていないのだから」
口元を手で拭ったジューローが、予想通りサナキルを睨み付けた。まるでこんな目に遭っているのはサナキルのせいだ、とでも言うような視線に理不尽なものは感じつつも、やっぱり生きている方がいいな、と笑う。
「魔物のことは、案ずるな。この僕が倒したからな」
つい自慢そうに言うと、如何にも不機嫌に顔を背けられた。
「よくまぁ、倒せたな、あのダメージでよ」
サナキルの攻撃力を知っているショークスが呆れたように口を挟む。こちらも蘇生されただけのぼろぼろだ。キュア出来るほどTPが残っていないらしい。
アクシオンはルークの死体を背中に担いで、腰を曲げた姿勢で衛士に微笑みかけた。
「先ほどのネクタルは、公宮のものですか?」
「は、はい。ですが、危険を排除して頂けた、ということで、そちらに報酬として譲り渡した、という扱いでよろしいでしょうか」
「そうですか、ありがとうございます」
よく考えると、ギルド荷物にはネクタルも入っていたような気がする。何故リーダーに使わないのだろう、とサナキルは思ったが、とりあえず衛士の前で言うのは止めておいた。
「あ、その、それから、ギルド名をお伺いしてもよろしいでしょうか?報告書に記載の義務がありまして」
さっさとアクシオンが歩いていっているので、サナキルが代わりに答えた。
「ギルド<デイドリーム>。困った者の味方だ」
「実力は足りねぇけどよ。そこは心意気ってぇやつだな」
けらけら笑ってショークスが追加した。
「…ふん…別に、人助けをした気は無いがな」
ジューローは呟いて、支えようとするサナキルの手を振り払った。その勢いでふらついているくらいぼろぼろだが、根性で歩いていく。
「それはそうだろう。お前は、何もしていないからな」
「いえいえ、ジューローも役に立ちましたよ?2回くらい、他の人間が傷つくのを防いでくれましたとも。まあ、3回ほど、俺の手数も無駄にしてくれましたが」
先頭からアクシオンがくすくす笑いながらフォローだか嫌味だか分からないようなことを言ってよこす。
死闘を繰り広げたとは思えない調子で帰っていく彼らを見た衛士たちが、その様子を酒の肴にした結果、いつの間にか<デイドリーム>が楽勝で広場の魔物を退治した、という噂が流れることになるのだが、今の時点の彼らにはあまり関係がない。
階段から降りていくと、まだ衛士たちや冒険者が集まってきているところだった。
本当なら、「この僕が退治したぞ」と叫びたいところではあったが、早くリーダーを薬泉院に連れていった方がいいだろう、というのと、ついでにサナキル自身もぼろぼろであったため、無言ですり抜ける。
すぐに背後から追いついた衛士が、高らかに「魔物は退治された!」と叫び、皆が歓声を上げたので、その後に続いた「そこの<デイドリーム>の面々が」という言葉はかき消され、無事空いたところまで抜けることが出来た。
そこで待っていた面々に、サナキルは眉を上げた。
「若様、ご無事で…!」
ファニーが駆け寄るのを、微妙にジューローの陰に回り避ける。公衆の面前で、メイドに抱き締められる趣味は無い。
ぼろぼろな彼らの様子を見て、バースが慌ててキュアを生成し始める。
「ただいま」
「お帰り」
ショークスがあっさりと言って、ネルスもあっさりと答えた。
が、ひょいっと右腕一本で抱き上げたので、サナキルは少々困って目を逸らした。いやまあ、ショークスも蘇生されたばかりなので、怪我人を運んでいると思えばおかしくは無いのだが、どう見ても恋人を抱いている姿勢としか思えない。
ショークスも、「あぁあ。疲れたぜ」なんて呟きながら、ネルスの頬に自分の頬を擦り寄せているし。
「すみません、またショークス死なせちゃって。でも、うちのも死んでるので、勘弁して下さい」
「それは構わぬが…早く蘇生させんでいいのか?」
「今から行きますとも」
ネルスと笑いながら会話を交わしてから、アクシオンはルークの死体を背負って足早に歩いていった。
どうも分からない。
サナキルは、バースのキュアを浴びながら、首を傾げた。
どうして、一番愛している人間を後回しにするのだろう。愛しているならば、真っ先に蘇生させるものではないのか?
疑問には思ったが、ネルスとショークスは二人の世界を作っているので話しかけ辛い。意外とあっさりした再会に見えたが、離れている間に相手が死んだのだ。無事を味わいたいのを邪魔するのも忍びない。
かといって、ジューローに聞いても返事が返ってくるとは思えない。
ファニーに聞く気にはならないし、バースも恋は多いが男同士は管轄外だろう。
だから、サナキルは一人で首を捻った。
どう考えても、理解不能だ。もしも、自分が誰かを愛したら、その人を一番に守りたいと思うだろう。それが自然な感情だし、恋人としての義務だとも思うし。
結局、どうにも分からなかったので、夕食後に本人たちに聞いてみた。
ちなみに二人とも、温かな夕食を食べた、というだけではなく何となくほこほこしているような気はしたが、あえてそれについては考えなかった。
二人は、少し考えてから、真面目に答えてくれた。
「だって、ルークは俺のものですから。やっぱりメディックとして、他人を先に蘇生して、自分の蘇生はあと回し、というのが職業倫理というか何と言うか」
「んー、当たり前過ぎて、もう考えて無かったな〜。まー、アクシーはこういう人間だって分かってるってーか…や、それが駄目なんじゃないんだわ。アクシーが、俺が死んだからってパニクって俺を最優先に蘇生するような人間だと、俺、安心して死ねないし。アクシーなら、理性的に判断して、最善の方法を採って後でちゃんと蘇生してくれるって信頼してるんだな、うん」
改めて言葉にしたのが久々だったので、ルークはアクシオンと顔を見合わせて、照れ臭そうに笑った。
アクシオンも微笑んでから、サナキルを見つめて悪戯っぽい口調で言った。
「いずれ、サナキルも分かるかもしれませんよ?愛する人が傷ついたとして、それでも、その人じゃなく他の誰かを優先で守ることが、結局は自分と相手が生き残る最善の道だと分かってしまう日が」
確かに、そういう場面はあるかも知れない。パラディンとして、守れる相手が限られている場合に、誰を優先するか考えなくてはならない時が来る可能性はある。
それでも、そんな時に、理性的に判断するのではなく、感情で相手を選んでしまう、それが恋愛感情というものでは無いのだろうか、とサナキルは首を傾げた。
理解は出来ない。
けれど、愛する人を後回しにしたアクシオンも、愛する人に後回しにされたルークも、どちらも幸せそうなのは確かだった。
サナキルには不思議な気がしたが、彼らの中では、それがもう『当たり前』になっているのだろう。
「もちろん」
アクシオンが思い出したように付け加えた。
「今日の場合は、サナキルが頑張って生き残ってくれたからこそ、全員が無事蘇生できたんですけどね」
「サナキルが生き残ると思ったから、自分を回復させずに攻撃したんだろ?」
「まあ、五分五分かとは思いましたけどね」
一回攻撃をミスしていたら、全滅している。そんなギリギリの戦いだったのに、彼らは顔色一つ変えずに穏やかに話をしている。
たかが1年程度の冒険経験者など初心者も同然ではないか、と密かに侮っていたのだが、やはり圧倒的な経験の差というものを感じる。
「僕は…パラディンだからな。皆を守るのが役目だ」
そう言う意味では、自分は、今日、役に立ったはずだ。
だが、それでも、どこか気分が晴れない。
何故すっきりしないのだろう、今更死にかけたことに怯えているのでもないのに、と自分の感情を見つめながら席を離れ、階段を上がる。
すると、ちょうど廊下のところでジューローに行き当たった。
既にキュアをかけられ、夕食も取ったので元気なはずだ。
不機嫌に眉を顰めて足を早めて自分の部屋へと向かうジューローに声をかける。
「ジューロー」
「…何だ」
名指しされて無視するほど嫌われてもいないらしい。そうでなければ、一緒のパーティーにはいられないだろうが。
「今日のことだが…」
ジューローの不機嫌そうな顔が、ますます歪んだ。息を吐き、くるりと振り向いて扉に背中をもたれさせる。
両腕を組んで、皮肉そうに唇を吊り上げた。
「何だ?また、俺が役に立たなかった、と言いたいのか?お前もくどいな」
「いや…」
サナキルは、眉を寄せてしばらく考え込んだ。咄嗟に呼び止めたものの、まだ自分でもまとまっていないのだ。どう言えばいいのか分からない。
しばし続いた沈黙に、ジューローが苛立たしそうな息を吐いたので、サナキルはようやく口を開いた。
「その…つまり、だ。…僕は、今日、生き残ったのだが…」
「そうだな、お偉い騎士様が生き残って下さったおかげで、みんな生き残れて万々歳」
悪意を滴らせているような言葉は無視して、更に考え込みながら続ける。
「確かに、僕が生き残り、トドメを刺した。…しかし、お前が生き残って攻撃していたなら、もっと早く片が付いていたのだと思う。…その分、皆、傷つかずに済んだはずだ」
「あぁそうだろうとも、さっさと死んで悪かったな」
ひらひら振られた手を見つめてから、サナキルは頭を下げた。
「…守れなくて、すまなかった」
言ったからと言って、気分は晴れなかった。
むしろ、胸のもやもやがはっきりした気がする。
そう、サナキルは、守れなかったのだ。
攻撃力の要が攻撃する機会すら、守れなかったのだ。パラディンが最後まで生き残るのも立派な役目かも知れないが、本来はパーティーの皆が死なないように守るのが務めであるのに。
床の木目を睨みながら、サナキルは自分に言い聞かせるように呟く。
「僕は…今更、自分の攻撃力を伸ばす気は無い。だから、もし、また僕だけ生き残っても…相手を倒すことが出来ない。…だから…お前が生き残って、攻撃してくれないと…困る」
ブシドーが攻撃に集中している間、パラディンはブシドーが倒れないよう守り抜く。
それが出来ない限り、パーティー全体の生存確率は上がらないままだ。
僅かに頭を動かすと、ブシドーの奇妙なサンダルを履いた足が、何度か重心を動かしているのが見えた。
落ち着かない様子で体を動かしてから、ジューローは苦々しそうに吐き捨てた。
「…お前に、守って貰う筋合いは無い」
「何を言う、僕はパラディンであり、パーティーの皆を守るのが…」
顔を上げて言い募るサナキルの前で、扉がバタンと大きな音を立てて閉められた。
サナキルはしばらく扉を見つめたが、それが内から開かれることは無かった。話は終わっていない、と言ったところで、ジューローは「話など無い」と言って出てこないだろう。そのくらいの推測は出来る。
サナキルはゆっくりと扉から離れ、自分の部屋へを歩いていった。
簡素な部屋着に着替えて、ベッドに座り、体が重いことに気づいてそのままベッドに寝転がった。
昼間の戦闘を思い出し、どうすれば良かったのか、と自問する。
そして、2度殺された(ラフレシアも含めば3回)ジューローのことを考える。
どうすれば、あのブシドーを守れるのだろう。
サナキルは、ひどく重い自分の腕を上げ、手のひらを見つめた。
守れなかった。
同時に、この悔しさはジューローも一緒だろうな、とふと気づく。
攻撃に特化して、敵を屠ることを一番に望む男が、あんな強大な敵を相手に一撃も入れられなかったなんて。今頃、さぞかしはらわたの中が煮えくり返っていることだろう。
サナキルはゆっくりと寝返りを打って、ジューローのいる方向に顔を向けた。
あいつも、何度も頭の中で戦闘を繰り返して、眠るどころか体中がざわざわと色めきだって居ても立ってもいられないような気分になっているのだろうか。
サナキルは、重い体をのろのろと起こしてベッドに腰掛け、頭を垂れて目を閉じ、両手を組んだ。
神よ、明日は、もっとうまくやれますように。
皆を守れますように。
あの男が死にませんように。