十分に警戒せよ!
いつも通り1階の入り口からまっすぐ突き当たりまで行って、ショートカットを掻き分けて抜けると、いつもの位置に大きな魔物がいなかった。
その場所は踏み固められて草地から土が覗き、残った草も赤茶色に強張っている。
ショークスがそれに触れて眉を顰めた。
「新しくはねぇな。古い血の痕、つまり、最近のじゃなくあいつがここで休み始めた時の血の痕だ」
それがどうした、とサナキルが首を傾げていると、ルークも嫌そうに顔を顰めて広場の奥を見やった。
「つまり、誰かに倒されたんじゃなくて、治って、いなくなったってことか。…うわぁ、下手にぶつかったりしなきゃいいけど」
手負いの魔物が全快したら、元気いっぱい活きの良い魔物、ということだ。そんなのが街にでも出てきたら大変なことになる。…が、今のところ、入り口からここまでで騒ぎは起きていなかった。
「元いたところに帰ってくれたのなら良いんですが…もっとも、2階までで棲息地域らしき場所はありませんでしたが」
3階の奥か、更に上か。
もっと上に行けば、あんな大きな魔物が普通に闊歩しているのだろうか。その光景を想像して、サナキルは喉で唸った。何というか、花が咲き乱れ、木々の茂った豊かな森(に見える)には似つかわしくない気がする。
ああいうドラゴンに近いものに似合うのは岩場や火山ではなかろうか。まあ、ドラゴン、などというものを見たのは、本の挿し絵であるため、はっきりとは言えないが。
「ともかく、行けば分かるだろう」
サナキルはいなくなった魔物のことは考えるのを止めて、さっさといつも通りに2階への階段へ通じる扉を開いた。
「ま、しっかり鼻と耳とを働かせといてやるよ」
ショークスがいつもは上げている真っ赤な口布を首の位置まで押し下げた。あの魔物は肉食動物特有の、ある種の腐敗臭に近い生臭さがあったのだ。体格に似つかわしく鼻息も大きかった。気配を探るのは、小動物のそれよりも容易いだろう。
そうして警戒しながら2階へ進んだが、荒れた気配はなく、いつも通りの2階だった。
鹿の動きを読み、抜けていく。
鹿は相も変わらずいつも通りのルートを歩いていた。肉食獣が通り過ぎたなら、少しは乱れていそうなものだが。
「…ここは、通ってないのかね?」
「よけい、まずい気がしますが…」
アクシオンはサナキルをちらりと見て言葉を濁した。
あの魔物が2階に上がらなかった、として、誰かに退治されたのでもなくあそこからいなくなった、ということは…1階の左側に向かっている、という可能性もある。
まだキャリオンクローラー3体が出たら逃げるような実力である。出来れば、あれとは戦いたくないのだが…サナキルのパラディン魂が発動した場合、そうも言ってられなくなる。
この迷宮の中には衛士もいれば冒険者の集団もてんこ盛りにいる。出来れば、もっとレベルの高いギルドがさっくりと倒してくれればいいのだが。
ちょっと意識を1階に飛ばしつつも、すんなりと2階を抜け、3階へと辿り着いた。
「さぁて、本格的にマッピング開始〜」
真新しい地図を前にすると、興奮がわき上がる。ルークは一瞬で魔物に対する憂いを消し、ペンを手に取った。
左右を確認しつつ歩いていると、前方に黒いものが蹲っているのが見えた。
ジューローが無言で刀を抜く。
警戒しながらも近づくと、それは漆黒の毛並みを持つ森狼であった。
狼はこちらが武器を構えて近づいても威嚇の唸りも上げず、ただ、くいっと首を右へとやった。
釣られてそっちを見れば、まっすぐ繋がる道と別に左側に道が続いていた。
狼は何度も右に首を振り、そのこちらから見れば左側の道を示しているようだった。
ジューローが摺り足で歩を進めるのを、サナキルは右腕を伸ばして遮った。
「待て。あの狼には首輪がしてあるようだ」
目の前に突き出された腕をあからさまに迷惑そうに見て、ジューローは僅かに体を右へと移動させた。が、逆側からアクシオンもマイマイクラブをジューローの前に出す。
「敵意を感じますか?」
「…いや」
渋々とジューローは認めたが、不愉快そうに目を細めて狼を睨んだ。
「しかし、あちらは罠かもしれん。子狼どもに狩りをさせよう、だとか、な」
「…ふむ、お前にしては、一理ある」
サナキルは自然に同意したのだが、一言余分だったせいで、またジューローに睨まれた。それは気にせず、サナキルは盾を構えて前へ出た。
「狼よ、その道を開けろ。僕が進むべき道は、僕が決める」
それまで尻を付けてちょこんと座っていた黒狼が、素早く四つ這いになり頭を低くし、ぐるるるると威嚇のうなり声を上げた。
それでも進もうとすれば、がぁっと激しく鳴いて、ほとんど体当たりのように盾へぶつかってきた。
それを辛うじて受けたサナキルは、ふむ、と頷く。
「…本当に、敵意は無いようだな」
そうして、まだ威嚇している黒狼に完全に背中を向け、すたすたと4人の元へと戻ってきた。
「牙を剥いてはいるが、こちらを傷つけようとはしていない。少なくとも、僕を殺そうと言う意志は無かったようだ」
「坊ちゃんも、意外と大胆だねぇ」
感心したように呟いたルークに、サナキルは胸を張った。
「当然だ。この中で、僕がもっとも防御力があるのだからな」
だから自分が危険を試すのは当然のことなのだ、とサナキルは言い切って、狼が行かせようとしている脇道を見やった。
「ま、どっちにせよ地図は埋めるんだし」
リーダーもOKしたので、結局、狼の望む通りに脇道へと進んだ。
小道を抜けて、少し開けた場所へと出ると、右側を歩いていたアクシオンが角を出た途端に「あ」と声を上げた。
右を指さしたので、全員がそちらを見る。
まだ何があるかは木立に隠れてはっきり見えなかったが、天に向かって金色の光が立ち上っているのは分かった。
「…何だ?」
「磁軸、かねぇ…色が違うけど」
「まだ3階ですし…いえ、エトリアと完全にお揃いだという理由も無いんですが」
不思議に思いつつも、その光の源を確かめるためにも進んでいくしかない。
警戒しつつ歩いていくと、その光の前に一人の人物が立っているのが見えた。
衛士の鎧ではない。もちろん、魔物でも無い。
白銀の強固な鎧を着た姿は、騎士に見える。もっとも、茶色の髪は無造作に伸びているので、仮に本物の騎士であったとしても、もう辞めて数年にはなるのではないか、とサナキルは推測した。
サナキルたちが近づいていくのを待って、その男はにっこりと人懐こそうに笑った。
「やぁ。新しくハイ・ラガードに来たギルドだね。私はフロースガルと言う」
そうして自分の左手を上げ、奥の光を指さした。
「新しく来たギルドは知らないんじゃないかと思って、たまたまこの近くにいたので待っていたんだ。あれは磁軸の柱、と言う。一度触れて起動させておけば、次からこの地点から探索を始めることが出来るんだ」
「…よく、分からないな…」
当然のようにすらすら言われたが、サナキルには分からない単語が複数含まれていたので、顎に手を当て考え込んだ。
「磁軸の柱と仰いましたね?エトリアの磁軸とは、また違うものなんでしょうか?」
「あぁ、君たちは、エトリアでの経験があるのか。けれど、私もエトリアの磁軸の話を聞いたことはあるが、それとは違うようだね。この柱は、一方通行で、ここから帰ることは出来ないんだ」
「…うえええ」
探索を途中の階から始められるのは良い。それは便利だと認める。
けれど一方通行なのは困る。帰る時に糸を忘れていたら洒落にならない。
呻いたルークを見て、フロースガルと名乗った騎士は安心させるように笑いかけ、人差し指を上へ向けた。
「いや、双方向の磁軸も、もっと上にはある。ただ、この磁軸の柱と呼ばれるものが、一方通行なだけだよ」
そうして、茶目っ気たっぷりに片目を瞑る。
「ちなみに、私に理屈は聞かないでくれよ?どうしてそうなのか、とか、どういう仕組みなのか、なんて、誰も知りはしないのだから。何故かは知らないが、そういうものがある。そして、冒険者は、それを便利に使っている。理屈は学者が考えてくれるさ」
その時、フロースガルの背後から、黒い獣が駆け寄ってきた。どうやら塞いでいた道から回り込んできたらしい。
傍らに来た黒狼の頭を撫で、フロースガルはまた微笑んだ。
「では、私は行くよ?クロガネも来たことだし」
「うむ、有益な情報に感謝する。…クロガネ殿に、先ほどの非礼を詫びる、と伝えてくれ」
サナキルの言葉に、フロースガルはクロガネを覗き込み、僅かに伏せられた耳に何を感じ取ったのか苦笑した。
「こちらこそ、手荒い真似をしてすまなかった…とクロガネが言っているよ。すまないな、クロガネは忠実だが、命令の解釈に杓子定規なところがあるんだ」
「いや、良い部下であろう」
己の解釈で命令をルーズに広げるよりも信頼出来る。
だが、フロースガルは、ちょっと困ったように笑った。
「ん…部下、じゃなく、友なんだが…ともかく、誉めてくれたことには礼を言うよ。それじゃ」
彼らが森の奥へとすたすた去っていくのを見送って、サナキルは何度か目を瞬いてから、ルークを振り返って首を傾げてみせた。
「あれは…獣であったな?他人の目には人間に見えている…というのではあるまいな?」
「もちろん、俺の目にも狼さんだったとも」
とりあえず坊ちゃんを安心させておいて、ルークはひたすら首を傾げているサナキルをまじまじと見つめた。
狼が<仲間>なのは、何かおかしいだろうか。そりゃ、一般的とは言えないが。
サナキルとしては、<狼>が共にいることについては、特に疑問は無い。人間と犬とは近い関係がある。ならば、狼が共にいるのも似たようなものだろう、と思う。
ただ、<友>という言葉では、完全に平等な関係というように思えて、何だか落ち着かない。
先ほどサナキルがクロガネを一人前に扱ったのは、あくまでフロースガルという騎士の忠実な部下であることに敬意を表したためであって、獣を人と同等と見なした訳ではない。
<獣>は、人間の役に立つよう、それは食用だったり無聊を慰めるためだったりするが、とにかく人間のために神が造りたもうた存在である。少なくとも、サナキルはそう教えられている。
神が人のために造りたもうたからこそ、その存在に感謝はするが、あくまで人間が使役すべきものだと思うのだ。狐狩りの猟犬しかり、軍馬しかり。その仕事ぶりを信頼することはあっても、完全に平等な友と呼ぶことには抵抗がある。
サナキルは、あの騎士と思わしき、つまり本来は尊敬すべき存在である者が、獣如きと平等であるなどと無知な民と同レベルな発言をすることについて、何とか己の頭の中で辻褄を合わせようと努力した。
結果。
軍馬が己の主人のために、己の命を顧みず戦場を駆けるように、あの黒狼も何度もあの騎士の命を救う場面があったのだろう。それで、『人の友』という名誉ある称号を与えられたのだ。
うむ、きっと、そうだ。というか、それ以上、考えられない。
<獣>とは、人間の下に造られたもの。それはこの迷宮に出現する魔物も同様だ。人の下として造られたものなのだから、それに人が負けるなどということは、あってはならないことなのだ。
改めてサナキルが、迷宮内の魔物を全て滅ぼす決意をしている間に、リーダーはその磁軸柱を調べた。
金色の光が立ち上っているその地面には、複雑な文様が描かれている。光はその文様から出ているのに、文様そのものは灰色だ。
吟遊詩人であるからには、普通の人間よりは各地の文字や古代文字にも通じているのだが、そのどれをもってしても、解読は不可能だった。
腰を下ろした姿勢で、じわりと腕を伸ばし、そっと指先でその文様に触れてみた。
う゛わん
軽い音と共に、その灰色の文様が金色に光っていく。
「登録しますか?」
無機質な女性の声に聞き覚えは無いが、エトリアの迷宮で19階にあった転送システムの時に聞こえてきたのと同質であるように思えた。
「はい」
「ギルド名をどうぞ」
「<デイドリーム>」
「ギルド<デイドリーム>、3階に登録しました」
その声が消えて以降、その金色の光に触れても、文様に触れても、もう何も起きなかった。
ルークはゆっくりと立ち上がり、とんとんと軽く腰を叩いた。
「んー…やっぱエトリアと同じく、古代超文明ってやつだな」
「古代超文明が、わざわざこちらに通じる言葉で説明してくれるのが妙ですけどね。誰かが、翻訳して、誰かがメンテナンスしてるんでしょうね…冒険者に来て欲しい<誰か>が」
アクシオンの言葉に、ルークは頬を歪めた。
あまり愉快な話では無い。探索を手助けしてくれる、と言えば聞こえは良いが、エトリアでの経験上、その<誰か>には<誰か>なりの利己的な理由がありそうな気がするのだ。
まあ、仮にそうだとしても、やっぱり冒険者であり続けるのだけれど。
アクシオンなら、「手のひらで踊らせてるつもりなら、後悔させてあげましょう」くらいのことは言うだろうが、ルークとしては、たとえ相手が訳の分からない理由に妄執しているぴーであっても、出来れば殺したくは無い。今度こそ、話し合いで何とか解決したいものだ。…エトリアと同じく、その誰かがいるとは限らないけれど。
何にせよ、今は、まだ早い。そんなことを考えるほどの実力も無ければ、ここはまだ迷宮入り口だ。その<誰か>の存在が感じ取れるようになってから考えよう。
そうしてそこから探索を始める。
磁軸柱周囲を確認し、クロガネが通せんぼしていた道の奥へと進む。
でっかいサイのような魔物が力溜めをするので、必死に倒してる間にアルマジロが転がってきたりもしたが、何とか死なずに済んだ。
懐かしさに浸っている暇は無かった。
扉を開けると、やっぱり見覚えのある光景が広がっていたからだ。
大きく開けた広場。
中央に、白いカマキリ。
「…これは…あれも強大な魔物だな?」
異様な圧迫感に、サナキルは眉を寄せてルークに確認した。
「鹿以上…1階の魔物以上…といったところか」
ジューローも目を細めて陰鬱に呟く。
「刺激しないように、無視して歩く。異存は無いな?」
背中がざわざわするほど、相手が強敵だと分かっているのに、あっさりと言ったルークにサナキルは少し目を見開いた。
「勝てる見込みがあるのか?」
「もちろん、戦ったら負けるとも。だから、戦わずに抜ける。…まあ、エトリアのカマキリと同じ種類なら抜けられるってだけだけどな」
ルークは念のためにアリアドネの糸を確認して、それから腕を伸ばした。
「壁沿いにまっすぐ。それから折れてまっすぐ。ま、行ってみようか。ショークス、相手の動きを頼む」
「分かった」
リーダーの決定通り、まずは扉を抜けてまっすぐ行き、それから左に折れた。
…が。
「4歩進んで1歩止まる…のは良いんだけどよ。このままだとぶち当たるぜ?」
「…戻るか」
どうやらこのコースでは行けないらしい。来た道を戻り、いったん扉を開ける。
「本当に、行けるのか?」
「さぁ?今度はこっちから壁沿いに上がって、駄目ならまた考えよう」
あの圧迫感をみしみしと感じさせる魔物が近寄ってくるのでさえ冷や汗が出るのだが、リーダーとはいえたかが吟遊詩人が平然としているので、パラディンが怯える訳にはいかない。
サナキルは、よし、と自分に頷いたついでに、ちらりと横を見た。
おそらくあの鎌の一撃を食らったら一瞬で死ねそうなブシドーは、いつもと変わらない表情で、どうでもよさそうに出発を待っていた。
まあ、こんな奴にも価値はあるな、とサナキルは思った。
<いつもとは違う>強大な敵を前にして、こういう<いつも通り>なものを見るのは、心が落ち着く。
しばらく待って、カマキリが中央に戻った頃を見計らって扉を開けた。
予定通り中央にいるカマキリを横目で見ながら、今度は左に折れてまっすぐ。
カマキリがのそのそと近寄ってきて、一番右を歩いているアクシオンのすぐ側までやってきている。
「はい、ここで1歩止まる、と」
「ふふ、懐かしいですねぇ」
ルークが平然と呟き、アクシオンがおっとりと微笑む。
「…随分と、暢気なことだ」
ジューローが小さく呟いたのに、サナキルはちらりと隣を見た。
汗の一つも浮いてはいないが、それでもすぐに刀を抜けるよう全身が緊張しているように見える。
それが普通の反応だろうと思う。よくもまあ、こんな魔物を側に、平然としていられるものだ。
だが、二人の言う通り、カマキリが一歩止まったので、また距離が開く。
角を折れ、壁沿いに進むと、扉が見つかった。
いつも以上に、その扉が開くのに時間がかかる気がする。
サナキルは渾身の力を込めて、扉を押し開けた。
全員が入るのを確認して、また肩で押して扉を閉める。
「坊ちゃん、そんな気合い入れなくても。どうせ次がいるんだし」
笑いでも滲ませているような暢気な声に反論しかけて…言葉の内容に眉を顰めた。
「…次?」
「そう、次」
きょろきょろとあたりを見回したが、今のところ敵の姿は無い。
どういう意味だろう、と思いつつ、ルークが道の確認をしている姿を見つめる。
そうして細長い道に出て、やっと意味が分かった。
奥で細くなった部分に、カマキリが鎮座していたのだ。
「行けると思う?」
「エトリアと同じ習性なら、ですね。先ほどの行動パターンは同一でしたので、まっすぐ前しか見えない、というのも、同一である確率は高いですが…絶対とは」
ルークが奥を指さすのに、アクシオンが答える。
どちらもどこか懐かしさを滲ませた声で、とても緊張しているとは思えないような会話であった。
「おい、僕にも説明しろ」
どうやら二人には分かっているようだが、聞いている方はさっぱり分からない。理由も不明なまま、突っ込む気にはなれない。
「あいよ、坊ちゃん」
ルークはあっさり頷いて、その辺の木の枝を折って、地面に図を書いた。
「ここがこうやって膨らんでるだろ?で、まっすぐ行って、カマキリ誘き寄せて〜、このあたりまで来たら、俺たちはこっちに抜ける。で、カマキリが止まってる間に後ろに抜けて、せっせと逃げる、と。…ひたすらまっすぐしか逃げられないと…やばいかもしんないけど、まあ横道があればそっちに」
まるで正解が分かっているかのように説明されたが、本当にそんなにうまくいくのだろうか。もしカマキリが横を向いてこちらに気づいたらおしまいな気がするのだが。
「さ、行こっか」
リーダーの促しに、サナキルは道の奥を見やった。
真正面でこちらを睥睨している白い巨体。
鋭い鎌は、一瞬でこちらの首を跳ねそうだ。
足が竦むとは言わないが、喜んで近づきたくもない。
だが、中央のジューローがさくさくと草地を歩いていく。唇が歪んでいるのは、かすかに笑みを浮かべているからだ。
何を面白がっているのか知らないが、好き勝手に死なせるものか。
サナキルも足を早めて、ジューローの横に並んだ。
まるで競争のようにがすがす歩いていったが、アクシオンの鋭い声で足が止まる。
「行き過ぎですよ!戻って!」
ん?と前を見ると、カマキリも動き出していた。
思わず逃げ出したくなったが、隣のジューローが平然とくるりと背中を向け、また歩き出したので、一人駆け出すわけにもいかず、背後は気にしないように何とかサナキルも平然を装って元来た通路を歩いていった。
もっとも、二人とも、少々早足になったことは否めない。
「はい、そこでこっちにいらっしゃい」
突き当たりまで行って、くるりと方向転換し、左に折れる。
そこで待っていたアクシオンが、呆れたような顔でサナキルとジューローを見やった。
「何も二人で囮を勤めてくれなくて良いんですよ?まあ、結果オーライですけど」
がしょがしょがしょ、という軽い金属が触れ合うような音に、サナキルは振り返った。
カマキリが速度を上げて向かってきていたが、ふと目標を見失ったのか、あれ?というように首を傾げている。
その昆虫らしき複眼は、顔の横に付いているので、こちらが見えている気がしてならない。
「さ、それじゃ静かに歩いて行くぞ〜」
後衛のルークとショークスはそもそも鎧が軽いので、ひどく静かにその場を離れられている。
アクシオンも防具の上に白衣に似た厚手のコートを羽織っているので、あまり音は立たないし、ジューローはそもそも半裸だ。
サナキルも、皆と一緒に一歩踏み出して、硬直した。
がしぃん
鎧が甲高い音を立てたのだ。
ちらりと横目で見ると、カマキリはますます首を傾げていた。
いつもの隊列で行くと、サナキルが一番カマキリに近いのだ。
なのに、歩く度に、鎧が触れ合って、耳障りな金属音を立てる。普段は感じないそれが、いやに大きく響く気がした。
なるべく音が出ないよう、ぎこちなく歩を進めていると、その遅さに苛立ったのか、少し前方を歩いていたジューローが振り返って腕を伸ばし、サナキルの右上腕を掴んだ。
「…わ」
小さな声で叫んだが、そのままぐいっと引っ張られて足が泳ぎ、がしゃがしゃとまた音が響いた。
ジューローはそのままサナキルを引き寄せ、自分の右側に放り投げた。
「…っとっと」
転びはしなかったが、勢いのまま隊列の中央へと押しやられてしまった。
「…何をする!」
「うるさい、さっさと行け。来ているぞ」
抑えた声で抗議すると、ジューローは不機嫌そうに後ろをしゃくった。
かしんかしんかしん
カマキリがこちらに気づいたらしく、方向転換をしていた。
「はいはい、さっさと歩く」
カマキリが気づいているのにも関わらず、わざわざカマキリと同列に並ぶ。
予想通り、明らかにこちら目指して、カマキリが動き始めた。
「ここで雑魚が出たら、背後から突っ込まれますね」
アクシオンが、くすくすと笑いながら杖を振り回す。
「ま、出ないことを祈ろう」
「今んとこ、周りに気配はねぇけどな」
ルークもくっくっと笑っているし、ショークスなど声を上げて笑っている。
何でそんなに楽しそうなんだ、とサナキルは眉を顰めて足を動かした。
結局、カマキリは迫ってきたものの、右に道があったため、そちらに向かうと、こちらを見失ったのか遠ざかっていた。
ほっと一息吐く間もなく、草むらからテントウムシが飛び立ってきた。
「…うっわー、鬱陶しい!」
ひたすら自分たちを素早くさせるテントウムシにうんざりして、ルークは叫んだ。
それでも、このパーティーはマシなはずである。攻撃力は低いものの、比較的素早いメンバーが揃っているのだ。重いクラブを持ったアクシオン除く。
「うー、猛戦歌とりあえずおいといて、沈静に向かおうかな…」
相手の素早さを落とさないと、攻撃をミスるばかりである。
そして、ミスを続けた挙げ句に、ラフレシアを呼ばれてしまった。
一撃だけ入れてみて、これは駄目だと判断して、後衛は逃げ道を確保してみた。
何とか逃亡に成功したものの、こちらもぼろぼろになっている。
アクシオンがジューローにリザレクションをかけるのを待って、ルークは糸を取り出した。
「しょうがない、帰るか…テントウムシの対策は、また考えとこ」
「え…せっかくカマキリから逃れたのに、もう帰るのか」
今帰ると、またあのカマキリ広場とカマキリ道を通らなければならない。
とは言うものの、メディックのTPが半減した状態では突き進むのは厳しい。道が繋がっているとも限らないのだし。
「ま、夜組にカマキリの通り方教えておくから、なるべく進んでくれるのを期待してましょ」
ここを通るのはイヤだが、他のメンバーがどんどん進むのも何だか悔しい。
微妙に頷けずに唇を尖らせていると、問答無用で腕を掴まれた。ぎょっとしてその手の主を見ると、ジューローである。どうやら力尽くで言うことを聞かせた方が手っ取り早い、と思われたらしい。
「…別に、帰らないとは、言っていない」
不機嫌に言って振り解こうとしたが、相手の方が力が強くて無理だった。
そういう扱いには慣れていない。
頭ごなしに行動を決めつけられるのにも、力尽くで従わせられるのにも。
落ち着かない。まったく、落ち着かない。