メイドの務め
朝、まだ眠っているらしい縛りパーティー組の朝食に布巾をかけていると、まだ半分目を閉じているピエレッタが降りてきた。
「お早うございます、師匠。ちょっとお話があるんですけど、ええですか?」
「おぅ。どうする、先にメシ食う?」
「いえ、話だけ」
周囲を見ると、アクシオンは使った分の食器を洗いに行っているし、ジューローはさっさと出ていったし、サナキルも食器を片づけるなどとは思いつきもしないらしく自分の部屋に戻ったようなので、ここには人がいない。ならここでいっか、とイスを示す。
「おおきに。…あんな、師匠。言いにくいんですけど…」
まだ編んでいない紫色の髪をもじもじと指に巻き付けつつ、ピエレッタはしばらく言葉を探した。
「あんな…やりづらいわ、あのパーティー」
「あ〜、やっぱり?」
ルークは苦笑いして、頬杖を突いた。
これだけ言いにくそうなのだから、ギルド辞めたい、か、誰かの文句か、そんなところだろうとは思っていたが。
「具体的に、どんな空気だった?」
「笑いの欠片もあらへん」
即答してから、ピエレッタは頬を膨らませて更に言った。
「何やえらいピリピリした空気が漂っとるっちゅうか…何やろな、こう他人行儀なぎこちなさ、言うんとは、またちゃうねん。うちも冒険者やるの初めてやし、こんなもんや、言われたら、あ〜そうな、て納得するかも知れへんけど…でも、戦闘以上に気ぃ使うねん」
ルークはしばらくメンバーの顔を一人ずつ頭に浮かべてみて。
「主に、そのギスギスがどこから出てるか、分かるか?」
「…言いとないけど…ファニーさんやね」
「え、そんなに怒ってた?あのメイドさん」
主と別行動ということでイライラするだろうとは予測していたが、パーティーの空気を支配するほどに影響力があるとは思っていなかった。
ピエレッタも、いったん口にしたことで吹っ切れたのか、身を乗り出して小声で言った。
「あんな、師匠。あの姉さん…キャラ作っとるで」
「あの『はうー』なドジっ娘ぶり?」
「せや。ドジどころか、冷徹な軍人!言われた方が納得するで。キビキビキビキビ目標に向かって前進!って感じやったもん」
「軍人、ねぇ」
三男とはいえグリフォール家の直系である。軍…というか騎士の部下が付いていてもおかしくはないのだが…と考え込んでいると、疑われていると思ったのか、ピエレッタが更に言い募った。
「もうね、『若様の御ために、危険を排除しておくのです!』って感じやったんよ。自分の身の安全とか……せや、うちらのことなんか見てへん、気にしてへんって感じかな」
「そりゃ、よくないわな。パーティー的には」
「んー、でも、うち、今回が初めてやったからなぁ、迷宮行くの。ひょっとしたら、うちがぴりぴりしとっただけかもしれんし、ちょっと愚痴っただけや思うてな」
ファニーの悪口のようになったのに気が咎めたのだろう。ピエレッタは最後に「お願い」と言うように片手を挙げて食堂から出ていった。どうやら二度寝するらしい。
ピエレッタと入れ違いのようにアクシオンが入ってきた。どうやら中で深刻な話をしていると見て扉近くで待っていたらしい。
腕を組んで座っているルークの隣にちょこんと腰掛けたので、ざっと内容を説明する。
「…てことなんだけど。どうしたもんかねぇ。やっぱ坊ちゃんはお供の方々と一緒の方がいいかねぇ」
「どうでしょう…ファニーはそれを望むでしょうが、サナキルがそれを望んでいないかもしれませんし」
「そうなんだよねぇ」
出会ってすぐに腹を割って話すのは無理だろうと思っていたが、パーティー内がぎくしゃくする、というなら仕方が無い。
とりあえずは各自に聞き取りして、それから相談するか、と決める。
まずはサナキルに…と席を立ったところで、食堂にエルムが入ってきた。二人を認めて、一瞬驚いたように足を止めて、また歩き出す。
「…お早うございます」
「あぁ、おはよう。もう起きるの?ゆっくりしてていいのに」
「いえ、習慣で…夜の、探索が、続くようなら、調整します」
エルムのために椅子を引いたアクシオンが柔らかく聞く。
「足の具合は如何ですか?」
「そう、長時間でも、無かったので…平気です」
「それは良かった」
エルムの股関節は歪んだまま固まっているらしい。現在、歩行に支障は無いが、全力疾走は遅れるだろうし、長時間の歩行で痛みが出るかもしれない、というのがアクシオンの診断だ。
椅子にも微妙に斜めに足を投げ出したような姿勢で座っていて、もしも知らない人間が見たら、如何にもダークハンターらしいどこか崩れた雰囲気だと思うだろう。
「で、エルム。ちょっと聞きたいんだが」
身を乗り出したルークに、エルムは少々警戒した顔になった。
「…何でしょう」
「夕べの探索は、どんな感じだった?その、前回と比べて」
何を言われるのだろう、と思っていたらしいエルムの表情が、ルークの言葉に「何だ」と言うように緩んだ。
「そうですね、地図があって、いつでも帰れる、と言うのは、良いですね」
ミッションで、どことも知れない場所に連れて行かれて、入り口まで帰ってこい、と言うのは、やはり相当緊張したらしい。
まずは普通の探索で良かった、と言ったエルムは、ルークの表情を読んですぐに聞きたいことはそれでは無いらしいと気づいたようだ。
「…受けた、依頼の報告…など、では…無い、ようですね」
「んー…言いにくいかもしんないんだけどさ。その…雰囲気、どうだった?つまり、迷宮の、じゃなく…パーティー内の空気って言うかさ…」
あまり誘導尋問にはしたくないのだが、他の連中が入ってくる前に聞き取りたかったので、ある程度言葉を選びながらも直球で聞いてみたら、エルムは少し首を傾げてから、ぽそぽそと喋り始めた。
「そう、ですね…あくまで、僕の、感じ、ですが…バラバラ、と言うか…」
エルムは右目にかかった前髪を指でなぶりながら、しばらく考えた。
「…どう言えば…いいのか…前回は、はっきり、してました。サナキル様が、主導しようとして、でも、上手に…ルークさんが、動き方を示して…皆が、それに従って…うまく、行っていた、と思うんですが…夕べは、誰が、リーダー、というのが、無く…こう…動きづらいというのか…好き勝手、した、というのでは無い…んですが…」
途切れた言葉をしばらく待ったが、うまく言えないらしく首を振ったので、ルークは乗り出していた身を椅子に戻した。
エルムにとっては、ファニーがどうこうではなく全員がうまく行ってない、と感じられたのだろう。
「んー…エルムは、誰かリーダーがはっきりしてた方が良い?」
「そうですね…一人が、こうしよう、と言ったら、そっちに向かって、別の一人が、ああしよう、と言ったら、あっちに向かって…というのは…ちょっと…どうしたらいいのか、困ります」
あぁ、そんな感じだったのか、とルークは苦笑した。
メンバーの中でエトリア経験者はネルス一人なのだが、性格的に自分からリーダーシップを取る、という風にはならなかったらしい。
年功序列で言えばバースだし、声の大きい順で言えばピエレッタだろうし、目的意識がはっきりしているのはファニーだろうし…確かに、はっきりリーダーを決めておかないと、やりづらいだろう。
「で、エルムは、誰がリーダーになればいいと思う?」
ルークの問いに、エルムの目が見開かれた。バースと同じ藤色の目が困ったようにルークを見つめる。
何度か瞬いて、エルムは静かに言った。
「…ネルスさん、ですね。…おそらく、判断に、間違いは無いし…」
「バースは?」
「爺ちゃんでは、ファニーさんや、ピエレッタさんを、押さえ切れませんよ」
祖父を敬愛はしているが、それ以上に女の子に甘いのを知っている孫は、きっぱり言い切った。
思春期の数年をベッド上で過ごした少年にしては、かなり冷静な判断力を持ってるなぁ、とルークはエルムの脳内株を上げておいた。これなら、それこそリーダーにもなれるだろうが…これまた性格的に無理そうなのが惜しい。
「んー、分かった、ありがと」
ほっとしたように微笑んだエルムが、素直で可愛いなぁ、と思う。やっぱりこれは騎士に近い教育をされてきていた賜物なのだろう。もっとも、外見はとてもそうは見えなかったが。
「お話は終わりましたか?はい、どうぞ」
アクシオンが温め直してきたスープをエルムの前に置き、パンやサラダを取り分けた。
「ありがとうございます」
「いえいえ、お疲れ様です。また探索が夜になるかも知れませんから、ゆっくり休養して下さいね」
今はレンジャーが近場の採取に出かけているのだ。それが帰ってきたらこちらが探索に出ることになっている。そして、きっとこっちが帰ってきたら縛りパーティーと交代、ということになるのだが、それがちょうど夜になりそうな気がするのだ。
その頃、サナキルは寝室に戻っていた。別に寝たいのでは無いのだが、個室と言えるものがここしか無いので、いた仕方ない。階下の広い部屋では、ジューローと顔を合わせる可能性があるのだ
いや、サナキルとしては、ジューローに何ら悪感情は持っていない…少なくとも、本人はそう思っているのだが、何せ相手が突っかかってくるのだ。朝っぱらからあえて睨まれに行く趣味は無い。
あれはどういう人間なのだろう、とサナキルはしみじみ思う。
東国の人間、というのは、習慣もかなり違っているとは聞いたことがあるが、こんなに考え方が違うとは思っていなかった。東国でも死ねば神に召されることは同じだろうし、それまでは精一杯生き抜くのが人間としての義務であることに違いは無かろうに。
とまあ、そもそもの基本常識からして異なっている、ということに、サナキルは全く思い至っていなかった。
あくまで自分の考え方の範疇でジューローを理解しようとしているので、かなり無理はあるのだが、それでも「きっとろくでもない生き方をしてきた挙げ句に、あのような死生観になったのだろう」という推測は、見当違いとまではいかなかった。
そしてサナキルは、では、哀れむべき男だな、と納得した。恵まれない環境で育った者の無礼くらい、少々大目に見てやることが、人の上に立つ者としての役目だろう、と思う。
その、己を『人の上に立つ者』と認識しているあたりがまた、ジューローを苛立たせているのだが、それには気づいていない。
とにかく、僕の方があの者の不快な態度を許してやらねばなるまい、などと余計に事態を悪化させそうなことを決意していると、ドアがノックされた。
「誰だ?」
「ファニーです〜」
「入れ」
かちり、と音を立てて扉が開かれる。
「駄目ですよぉ、若様、ちゃんと鍵をお掛けにならないと、危ないですぅ〜」
「ここで、一体誰がこの僕に危害を加えると言うのか」
「誰、とは、言いませんけどぉ〜…でも、若様の心構えとして〜」
もじもじとエプロンを指で弄りながら上目遣いで見つめてくるファニーに溜息を吐き、サナキルは面倒くさそうに手を振った。
「分かった、分かった。就寝時には鍵を掛けるようにしよう」
「そうして下さいまし〜」
「それで?何の用だ」
サナキルの声に、ファニーはまたもじもじとしていたが、数歩駆け寄ってサナキルの足下に跪いた。
「若様ぁ、ファニーをお側に置いて下さいまし〜。若様と一緒じゃないと、ファニーは困りますぅ」
サナキルはもう一度溜息を吐いて、ファニーを見下ろした。
眼鏡の奥の茶色の瞳には、心底心配そうな色が浮かんでいたが、サナキルはすぐに目を逸らした。
「…もう朝食は済んだのか?」
「いいえ〜お気遣い、ありがとうございます〜。でも…」
「では、食堂に降りよう。バースも起こして来るが良い」
「若様」
「僕は、先に降りている」
「若様!」
ファニーがかなり強い調子で訴えたが、どうせこちらの身には触れないことは分かっているので、サナキルはあっさり無視して立ち上がり、さっさとファニーを避けて扉に向かった。どうせベッドと装備を置くので精一杯、という狭い部屋(サナキル基準)である。すぐに出口まで辿り着く。
慌てて追いかけるファニーに、廊下の奥を指さした。
「良いな?バースも起こして来るように」
「…分かりました〜」
そうして、サナキルはとんとんと音を立てて階段を降りていった。
結局、バースを起こしたことで廊下から聞こえていたのだろう、ピエレッタも起き出してきた。ちょうどネルスも採取の護衛から帰ってきたので、縛りパーティーが全員揃う。
ある程度朝食が終わったので、ルークがお茶を入れ、アクシオンがテーブルを囲んで座っているメンバーにカップを配った。
「さて、と。ちょっと話し合おうか」
ルークも椅子に座って、そう切り出すと、ファニーがばっと顔を上げた。
「お願いしますぅ〜、ファニーは、やっぱり若様と一緒に行動させて下さい〜」
うっすら涙ぐんだ目でルークを見つめ、口元に握り拳を当てている姿は非常に健気で、バースが一番に反応した。
「おぉ、そんなに悲しまれるとは…若様、ファニーを同道させて頂けませんかのぅ。この爺からもお願いいたします」
爺にも頭を下げられたサナキルは顔を思い切り顰めた。
そして、ちらりとルークを見る。
「…リーダーが、効率の良いパーティーを組んだのであろう。僕は御免だが…どうしても、と言うならば我慢せぬでもないが」
「うわ、俺のせいかよ」
ぼそりと突っ込んでから、ルークはサナキルとファニーの顔を交互に見た。
どう見ても、我が儘坊ちゃんと、それに耐えながらも使命を全うしようとしている健気なメイド、ではあるのだが。
ピエレッタの顔は、微妙にひきつっていた。夕べのファニーの様子と違いすぎる。告発したい気はするし、でもそこまでして自分を悪者にもしたくないという矛盾に唇がぴくぴくしている。
「さて…まずは、確認しておきたいんだけどね」
ルークは腹を決めて、すっぱり言った。
「サナキル、ファニーは何?」
サナキルの眉が上がった。幾分面白そうに答える。
「メイド…という答えでは、不満か?」
「いや、あくまでメイドだって言うなら、それはそう言う風に対処するけど」
ファニーが訴えかけるような目で見上げてくるのに、サナキルは声を上げて笑った。
ははははは、と如何にも愉快そうに笑ってから、優雅に腕を組む。
「ふむ、さすがだな。僕が所属するギルドのリーダーであるならば、その位の洞察力は欲しいところだ。…いかにも。ファニーはメイドだが、幼少より僕の…」
「若様!」
「僕の護衛の任も受け持っている」
ファニーの悲鳴にも動じずに、サナキルはあっさり言い切った。そして、諭すようにファニーに言う。
「他人にばれるようなへまをやらかすお前の責任だ。まだまだ未熟だな」
「は…はい…申し訳ございません」
がっくりと項垂れるファニーに、バースが驚きの声を上げる。
「知らなんだのぉ…大勢いるメイドの一人とばかり…いやはや」
「爺が女に甘いだけだ。他にも3人ほど混じっていたぞ。もっとも、僕個人の護衛はファニーとミゼルだけで、サニーとアンは母上との兼任のようだが」
面白そうにさらさらと言うサナキルに、ファニーが顔を上げた。信じられない、と言った顔と、サナキルの悪戯が成功した子供のような顔に、本人たちはばれていないつもりだったんだろうなぁ、とルークは思った。
「若様が、わたくし共の想像以上にご聡明にお育ちになられたことには喜びを禁じ得ませんが…いつからお気づきに…わたくし共の未熟がゆえではございますが…」
呆然とぶつぶつ呟くファニーに、ちょっと気の毒になったのかピエレッタが同情の視線を向ける。
だが芸人としては、こんな面白い場面は見逃せない。いつか喜劇に仕立て上げられるかもしれない、とピエレッタは想像の翼をぱたぱたと広げて展開を見守った。
「どれだけ長い間、共にいたと思っている。殺気やら危険などに反応する速度を確認する機会は、山ほどあったぞ。そもそも、貴重な火薬を扱えるメイドは、普通いないだろう」
あっさりと言ってのけるサナキルにファニーは深々と頭を下げた。
どうやら分かっていながらハイ・ラガードへの同行を許したのだと気づいて、バースは己の髭をしごきながら呟いた。
「若様も、お人が悪い。この爺には、ご相談……は、無理でしょうな、ファニー殿の立場もおありじゃろうて」
「そういうことだ。ファニーがあくまでメイドとしての立場を崩さぬのならば、僕も言い出す気は無かったのだが…どうも綻んでいたようだからな。いっそ皆に明らかにした方が良かろうと思って」
サナキルも一応は考えた末の結論だった。
騎士の屋敷でメイドが付き従っているのは当然の光景ではあるが、こうして冒険者になった今、同じようにメイドが一緒にいる、というのは、どう考えても違和感がある。しかも、そのメイドが手慣れた風に銃を扱うのならば、尚更だ。
要するに、もううんざりしていたのだ。
護衛に来た癖に、まるで自分は虐げられたただのメイドです、という態度を取られるのに。
そのくらいなら、さっさと任務を明らかにした上で行動してくれた方が、他人の目にも自然だろう。
ファニーがゆっくりと頭を上げた。
「では、改めて護衛として申し上げます、若様。冒険者の真似事などお辞めになって、お帰り下さい」
「断る。僕は世界樹の迷宮を制覇し、グリフォール家の名誉を広く伝えるまで、帰る気は無い」
「ですが、若様、」
「考えてもみろ。今、帰ったらどうなる?グリフォール家の三男は、世界樹の迷宮に挑んだは良いが、たった1階で尻尾を巻いて逃げ出した、と後ろ指を指されることになる。そのような屈辱を受けるくらいならば、迷宮内で朽ち果てた方がマシだ」
「朽ち果てるなど、このファニーが許しません!若様は、必ずお守り申し上げます!」
「…なら、問題無いではないか」
「…あう」
くっくっと笑うサナキルに、ファニーは困ったように眉を八の字に下げた。はわわメイドは作ったキャラだが、完全に別人格というのでもないらしい。
うーうーとしばらく唇を尖らせてから、怨ずるように上目遣いに睨む。
「では若様、護衛として同行を」
「それも断る。僕も、いい加減、ずっと見張られているのに厭きたのでな。それに、仮に同じパーティーにいたなら、お前は僕しか見ず、僕しか守ろうとせぬだろう?」
「…それがファニーの任務です」
「冒険者のパーティーというものは、それでは良くないだろう。だから、お前は、そちらのパーティーで、メンバー全員を同じように扱い、同じように守る、という訓練をするがいい」
坊ちゃんうまいなー、とルークは黙って見守りながら感心していた。本音は「四六時中一緒にいられたらたまらん」の方だろうに、うまいこと目標を与えてそれをクリアしなければ、という気にさせている。その目標がクリアできたら同道を許す、とは一言も言っていないのに、だ。
「…ですが、若様、ファニーの任はサヴァントス様より、くれぐれも若様と離れること無きよう、と…」
おずおずと訴えたファニーに、サナキルは不機嫌そうに眉を上げた。
「お前の主は、サヴァントスか、この僕か?」
ちなみに、ルークが後でバースに確認したところ、このサヴァントスというのは執事長ということだった。もっとも、ただの執事長では無いのは、ファニーがメイドで無いのと同様だろうが。
ファニーは深々と頭を下げ、呟いた。
「もちろん、若様です」
「では、僕の命令だ。お前は、そちらのパーティーで、僕以外の者も同じように守れるほどに腕を磨くのだ」
うーうー、とファニーはしばらく呻いていたが、ついに絞り出すように呟いた。
「拝命…つかまつりますぅ…」
「よし」
サナキル的には万事円満解決、これですっきり、という顔をしていたが、ルークは苦笑してファニーがよろよろと立ち上がって崩れ落ちるように椅子に座るのを見守った。さぞかしアイデンティティの崩壊に見舞われているのだろう、とは思うが、こっちもそろそろ探索に出る時間だ。先に言っておかないと。
「んじゃ、ボディガードさんは改めてそっちで鍛えるとして。…ネルス、悪いんだけど、そっちでリーダーやってくれるか?」
どちらかというと興味なさそうに眺めていたネルスが、ぴくりと眉を上げた。
「俺が、か?」
「だって、そっちでネルスだけが経験者じゃん」
「それは…そうだが」
ネルスは渋々同意して、改めてメンバーの顔を眺めた。
病み上がりの少年。女性に甘い爺ちゃん。主しか見ていない護衛。術の一つも使えないカースメーカーもどき。
…かなり消去法、という気がする。
「分かった。俺に出来る限りのことはしよう」
溜息がてら呟くと、ルークが片手を顔の前に立てた。それは、「頼むよー」にも「ごめんねー」にも見えた。
「まずは…娘」
「へ?うち?」
「カースメーカーの術の基本を教えるところからだな。夕刻までに、鈴を手に入れて来よう」
ピエレッタが首からかけているのは、形はカースメーカーの鈴だったが紛い物なのはネルスにはすぐ分かった。何せ、音が派手に鳴るだけで、周波数が全く違う。これで他者を操れたら大したものだ、という代物だった。
ネルスの首にもまだ鈴は下がっているのだが、これは母の形見なので、他人に譲る気は無い。
さて、カースメーカーの鈴、なんて普通の店に売っているものだろうか、とネルスが悩んでいると、アクシオンが口を出した。
「あ、俺、持ってきてますよ。ツスクルさんに貰った鈴」
「へ?あれ持ってきたの?」
「売るに売れないじゃないですか、ああいうの。貴方の実家に置いておくのも、その…ちょっと」
呪われそうで。
語尾を濁したアクシオンに、ネルスは頷いた。後で預かろう。よほど歪んでいない限り、中古でも何とかなる。
「やー、面倒かけるねー」
立ち上がりながらそう言ったルークに、ネルスはぎこちなくウィンクして見せた。
「いや…案外、俺も楽しんでいる。…思っていたより、俺は、冒険者、というものが気に入っていたようだ」
エトリアでの経験は、短い期間に無理矢理レベルアップして、ショークスと二人きりで、すでに地図の完成している場所での戦闘に励んでいただけ、という一般的な冒険とはかなり異なるものだったし、ショークスといる山での生活も興味深かったが、夕べ潜った樹海は悪くなかった。自分たちで道を切り開いていき、未知なる敵と遭遇する…全てが新鮮で面白い。
ショークスに付いてきただけのつもりだったが、なかなか楽しめそうだ。
「そちらも…うかうかしていると、我らが樹海の謎を解くぞ?」
「言ったな?こっちも負けるつもりはな〜い!」
笑いながら、拳を突き合わせる。
悪くない。
こういうのも…悪くない。