2階に行ったらFOE
縛りパーティーことネルス・エルム・バース/ファニー・ピエレッタの5人は、夜更けに迷宮にやってきていた。
「美容に悪いわ。なぁ、そう思うやろ?」
ピエレッタは隣で歩いているファニーに話しかけたが、相手は黙々と歩くばかりだった。
そりゃ良く知っている相手では無いのだが、それでもどちらかというとお喋りなドジっ娘だと思っていたのに、主から離れた途端に目つきまで変わっている気がする。
「速やかに、任務を完了させましょう。わたくしは、若様のためにここに来たのであって、冒険者をしに来ているのではありません」
甲高いくわたわたしていた声すら、低く冷ややかな響きを帯びている。
「そこはほれ、若様のお役に立てるよう、我らも鍛える、ということで、な?」
バースが取って付けたように笑いながら言ったが、ファニーはきりきりと唇を噛み締めていて、返事は無かった。
「…今頃は、主も寝ているだけだろう。メイドは必要ではあるまいよ」
ネルスの言葉に、辛うじて頷いたファニーは、渡された地図を見て右を指さした。
「では、まず酒場の依頼を片づけましょう」
冒険者は、酒場から依頼を受けることが出来る。もちろん、そんなものは受けずにひたすら探索に励むのも自由だ。
ただ、リーダーであるルークは庶民派だったし、話を聞いたサナキルも鷹揚に頷いて「うむ、困っている人々に手を貸すのもパラディンの役目だな」と積極的に受ける方針を表明したので、出来ることなら受けていこう、ということにしていた。
もっとも、石清水を汲んでこい、という依頼については、「そのような雑用、パラディンの為すべきことではあるまい」とあっさり興味を無くしてバースたちに押しつけていたが。
そういう人間なのである。無自覚にダブルスタンダード、と言うか。それでも、苦笑しかわいてこず、困った御方だ、と甘やかす気になってしまうあたりが、天性の魅力なのだろうが。
まあ、ファニーに言わせれば、石清水どころか、冒険者そのものが、パラディンの為すべきことでは無いが。
ともかく、大事な若様の依頼でもある。今夜中に完遂して報告せねばなるまい。
清水が湧き出る地点自体は、既に通った場所でもあり、地図にメモが書いてあるので迷いもしなかった。汲み終わって入り口近くに戻ってくるまで、たった一回の戦闘で済んだし、大した苦労はしていない。
「このまま探索を続けるか、いったん酒場に戻るか、だが」
「そうですね…酒場に届けましょう。奥で清水が駄目になって、また汲みに行くのはごめんですから」
さっさと決めたファニーとネルスが話している間に、ピエレッタはそそそっとエルムとバースを捕まえた。
「なぁ、あの姉ちゃん、性格変わってへん?それとも、若君の前でだけ猫被っとるん?」
「いやぁ、ワシらも大して知らんからのぅ。大勢いるメイドの一人、としか思うておらなんだし…」
「…銃が撃てるメイドって時点で、もうおかしいって思うけどね」
「そうじゃのぅ…ファニーがガンナーちゅうのは意外じゃったのぅ」
どうも同行してきた二人にも、ファニーのことはよく分かっていなかったらしい。帰ったら若様に聞けばええか、とピエレッタは恐れげもなく思った。相手が偉いとこの坊ちゃんであれ、今はただの同レベル冒険者に過ぎないのだ。へりくだる必要は無いだろう。
さっさと歩いていくネルスとファニーの後を付いていくと、あっさりと酒場に辿り着いた。夜更けなのだが、やはり冒険者の店だけあって、かなり活気がある。
中に入ると、むさ苦しい親父が「いらっしゃい」と野太い声で挨拶した。
「見かけねぇ面だな。新入りかい?」
「ギルド<デイドリーム>の者だ。おそらく、リーダーのルークは挨拶に来ていると思うのだが」
低くはあるが良く響く声で答えたネルスに、酒場の親父は「あぁ」と頷いた。
「あのバードんとこか。んで?酒か?」
「いえ、依頼の清水を汲んできました」
ファニーが革袋を差し出したので、親父は目を細めて受け取り、中の水を少し掌に受けて匂いを嗅いだ。
「あいよ、確かに。お前ら、真面目だなぁ。適当にその辺の井戸から水詰めて来るような馬鹿もいるのによ」
たかが1階のあんな近場の水くらいに手を抜く人間もいるのか…というよりも、あんなところの水に金を払う方が不思議な気もするが。
「さて、お前らがまともなギルドなら、別の依頼も見せてやろう」
親父は笑いながらカウンターの下から紙束を取り出した。
「え〜…これなんかどうだ?居住区のな、革職人が革を縫うのに丈夫な針が欲しいんだってよ。何でも樹海の中の魔物から取れる針がちょうどいいんだとか」
エルムが背中から荷物を降ろし、ごそごそと中を探る。
「…これ…ですか?」
手渡された針をしげしげと見て、親父は首を振った。
「いや、これじゃあ短いだろ。少し先っちょが曲がってるしよ。もっと長くてまっすぐな針らしいぜ」
「…そうですか…ハリネズミから、採れれば、いいんですが」
「礼儀正しいダークハンターってのは珍しいな、おい。まあいいや、他にこんな依頼もある」
「ウッドボウの素材採集依頼、か。…弓は、必要だな」
「お、目の色変わったな、あんちゃん。自分の武器は斧だが、やっぱり他の奴の武器も気になるかい?」
ネルスは、微かに笑った。少し目を細めて、目の前ではないどこかを見ながら呟いた。
「スリングではなく俺は弓を射たいんだ、とうるさい奴がいるのでな」
「お、何だ、お前らんとこレンジャーもいるのか?新入りのくせに、各種取り揃えてやがんなぁ」
たった3日前に登録したばかりのギルドとしては、かなり破格の大所帯だ。たいていの奴らは自信がないのかそれとも分裂するのかは知らないが、探索する最低限の人数である5人くらいから始めるものだが、と酒場の親父は思った。
さて、こいつらは本気で探索をするつもりの実力派か、はたまたただの誇大妄想か。少なくとも、一昨日挨拶に来たリーダーは暢気そうでイマイチ真剣味に足りないように感じたが。
「その依頼に関しては、直接シトト交易所で聞いてくれ。俺が間に立って間違っちゃいけねぇからな」
「分かった」
その二つの依頼を受けて、彼らは酒場から出ていった。
酒の一つも頼まなかったあたり、すぐにまた潜るらしいと気づいて、酒場親父は、また「真面目だねぇ」と呟き、他の連中の注文を取りに行ったのだった。
再度潜った迷宮で、レベルアップを兼ねてハリネズミ狩りをしていると、衛士が通りかかって足を止めた。
「やあ、夜も遅いのに頑張ってるね」
フルフェイスを下ろしているので顔は分からないが、意外と若い男の声だった。
「衛士さんもお疲れさまです。この辺を警備されとるんですか?」
さっさと前に出てピエレッタが挨拶すると、衛士は目の部分だけ開けて、ちらりとピエレッタの足を眩しそうに見てから返事をした。
「いや、僕の担当は、あっちの扉の前…あの傷ついた大きな魔物がこちらに出てこないか、見張る役目なんだ。今日は交代して、もう帰るところなんだけどね」
「は〜、衛士さんも大変やねぇ」
まだ見ていないが、あの部屋の中に大きな魔物が蹲っている、とはルークから聞いている。
もしもそれが暴れ出したら、どうなるのだろうか。万が一にでも、街に出てきたら大変なことになる。だから見張っているのだろうが…。
「衛士さんは、その魔物を一人で仕留められるん?」
「それは無理だろうねぇ。僕はせいぜい3階までしか行けないくらいの実力だし」
「いや〜それでも一人で3階まで行けるやなんて、凄いわぁ。うちらとは段違いの実力やね。さすがやわぁ」
「はは…大公宮から支給された鎧が堅いだけなんだけどね」
「またまた謙遜なさって〜」
ものすごい勢いで持ち上げられた衛士は、満更でも無さそうな顔で自分の胸に手を当てた。
「まあ、そのくらいの実力しか無いけど、3階までのことなら、アドバイス出来ることもあるよ。何か、聞きたいことはあるかい?」
「そうやねぇ、蝶の羽としなる枝って、どこで手に入るかご存じです?」
「あぁ、それなら、2階に出る毒アゲハから採れるね。それから、しなる枝は、3階に伐採出来る場所があるよ」
あっさり答えた衛士にピエレッタは抱きついた。どうせ鎧に阻まれて感触は無いに違いないが、衛士は目尻を下げた。
「うわ、おおきに!ほんま助かるわぁ」
「君たちの役に立てて、僕も嬉しいよ。それじゃあ、また」
「ほな、おやすみなさ〜い!」
ぶんぶんと手を振ってピエレッタは去っていく衛士を見送った。
ネルスが地図の隅に、今の情報を書き入れる。
「…3階か…まだまだだな」
衛士の姿が消えてから、エルムはゆっくりと首を振った。
「凄いですね…素晴らしい、情報収集でした」
たまたま帰りがけで気が緩んでいた衛士とはいえ、挨拶だけで済ませず自分の知りたいことをきっちり聞き取ったピエレッタに、エルムは心底感心していた。
自分では、まずそうはいかない。
まず衛士に挨拶された時点で「はぁ…こんばんは」くらいしか返せず、そのまま会話が切れそうだ。どうやったら、あれだけぽんぽんと言葉が出るのだろう。やっぱり他人と関わることに慣れるしかないのだろうか。
「エルムや、あれは若いおなごにしか許されておらんやり方じゃ。男は若くて可愛い娘が憧れの目で見てくれたら舞い上がるからの」
「…じゃあ、男の場合は?」
「そうじゃのぅ、相手が美しいお嬢さんなら、こう手を握りしめて、目を覗き込み…」
エルムの手を握って実践しているバースの肩を、ピエレッタがぱしんと叩いた。
「爺ちゃん、エルムくんに何教えてんねん!あかんよ、エルムくん。いくら爺ちゃんの言うことや言うても、女たらしの手口まで教わらんでもええからね?」
「…はぁ」
そういうピエレッタの男たらしの手口はどこで教えて貰ったんだろう、と素朴な疑問を抱きつつ、エルムは曖昧に頷いた。
無言で衛士との会話が終わるのを待っていたファニーが、奥を指さす。
「そろそろ2階に参りませんか?我々が先に進み、若様のために地図を作製しておくのです」
「…誰のためかは、ともかく。そろそろ行ってみるのも、悪くない」
長い針の入手はまだ2つだが、そろそろレベルも上がったし、行ってみることにした。
眠っている魔物の横を通り過ぎ、2階の階段を目指す。
階段を上がっても、景色はさして変わらない。
下と同じく、夜にはやや陰の濃い緑色に満ちた森。ただ、それだけだ。
戦闘に立ったネルスが周囲を確認し、ファニーがそれを書き込んでいく。
扉をくぐり、小部屋を通り、更に抜けた先で。
「毒アゲハを最優先で倒せばいいな」
一群だけなら、ファニーのサンダーショットまで使えば倒せる。ただ、毒を受けてしまったら、戦闘が長引くと死ねるのだが…バースのキュアも使いつつ、何とか死ぬ前に全滅させられた。
全員の回復を済ませ、先へ進む扉を開け。
ネルスは眉を顰めて背後から続く連中を手で制した。
何かとお喋りをしていたピエレッタも慌てて口を噤む。
扉からすぐに出られるような位置で、ネルスは目を細めて奥を見やった。
低く4人に告げる。
「…あれは、少々手強いぞ。今の時点では、避ける方が良いな」
1階で蹲っている大物に比べれば小柄だが、それでもハリネズミやモグラなどとは比べようもない獣なのは、その体格からも分かった。
「え〜、でも鹿やろ?鹿って木の芽とか食べる動物とちゃうん?」
「そうだな、こちらを食べようとして襲いはしないだろう。ただ、目の前にいる障害物なので蹴り倒そう、くらいにしか思ってはおらぬだろうが…結果は同じだ」
その鹿は草地を歩きながら、時折大きな角を振り上げて苛立ったように嘶いている。離れたところからも、その動作がおかしいことは感じられた。草食動物の穏やかさとは無縁な、かといって肉食動物の狩りの前の鋭さとも違う、喩えて言うなら体中にノミがたかって痒みにのたうっている姿に近かった。
もしも目の前に出ようものなら、苛立ちのあまり問答無用で突進される。そんな気配をまとっていた。
「向こうから、襲いに来たりは、しない、と言うことですか?」
「絶対、とは言わぬがな」
鹿はまっすぐ前へ進んでいるようにしか見えないが、あまりにも近づいたらこちらに向かってくるかもしれない。その安全距離は、未だ知れない。実験するのは危険性が高すぎる。
「朝の光の元でなら、もう少し分かるやも知れぬが」
「どうやって?」
「足下の草地の乱れでな。この部屋の中、どこも同じであれば、この辺り一帯が奴の縄張りであろうし、もしも巡回ルートが決まっているのならば、そこだけ荒れているだろう」
「ふむ、まるでレンジャーじゃのぅ」
バースが感心して頷くと、ネルスは当たり前のように言った。
「レンジャーではないが、そのやり方を見ていたのでな。真似事くらいは出来る」
「なるほど、なるほど」
レンジャーのショークスと、このネルスとが二人一組でギルドに参加したことは知っているので、そういうこともあるのだろう、とバースは納得した。
「では、朝まで待つつもりですか?」
ファニーが苛立ったように言ったが、ネルスはさらっと流す。
「まさか。これから帰って、こんどはあちらのパーティーに任せば良かろうよ」
「若様に、そのような危険なことをさせるなど!」
「我らが行くにせよ、どのみち帰って眠りTPを回復させた方が良かろう。さぁ、帰るぞ。道を埋めて帰るのにちょうど良い頃合いだ」
ファニーの悲鳴に近い抗議は、ネルスの淡々とした響きにかわされる。これも巧いなぁとエルムは感心していた。これが大人の男の余裕というものか。
そうして、帰りがけに蝶の羽をゲットしたり、1階でキャリオンクローラー相手に死にかけたりしながらも、何とか夜明け前に宿屋に辿り着いたのだった。