<カラーズ>
「さて。では次は俺の番ですね」
朝食を終えたアクシオンは、にっこり笑って宣言した。
眠ったのだから昨日探索したメンバーもすっきり爽やかTP満タン状態なのだが、それは無視するらしい。
「昨日と重ならないメンバーとなると…ネルス、ジューロー、ショークス、それから…」
「うちやね」
「私が行っては駄目かしら」
いつの間にか宿に合流していたフロウが、ピエレッタの言葉に重ねて言った。
「えー、うちかて行きたいわ」
「…でも、ピエレッタは、まだ何も術が使えないじゃない…私の方が即戦力になるもの。レベル1でそれは重要だわ」
あれ、とアクシオンは眉を上げた。どこか浮き世離れした女性に思えていたが、どうも冒険者というものに慣れているような台詞だ。
「でもでも〜」
「ネルスがカースメーカーの術は教えられるんですが…前衛が欲しいので、ちょっと外す訳には」
本当は、ネルスとピエレッタは同じ組に入っている方が後々便利そうだ。
アクシオンにちらりと見られて、ルークはピエレッタの肩を叩いた。
「今日は、ピエレッタお休み」
「ええええ〜師匠、そんな殺生な〜」
「師匠も殺生も無いでしょう、ピエレッタに必要なのは衣装」
「あ、うまいわ、さすがは師匠」
何となく韻を踏んで説得すると、ピエレッタはあっさり納得した。いや、感心してるだけで納得はしていないが。
「って、衣装って何ですか、これがカースメーカーの普通の衣装とちゃいますのん?」
「や、そりゃそうだけどさ…中が全裸スーツなのは問題あるっつーか」
「あったかいんですよ、これ」
「や、それも分かるけど、もうちょっと他の人に見られていいようにして」
まだちょっと不満そうだったが、こっちは引き受ける、とルークに合図されたので、アクシオンは素知らぬふりで立ち上がった。
「さ、じゃあ、地図の左半分を埋めるつもりで行きますね」
「…分かった」
ネルスとジューローは素直に立ち上がったが、ショークスはじろりと別方向を睨んだ。そこでは、クゥが満面の笑顔で兄が出ていくのを喜んでいた。
「できりゃあ俺はあっちと組ませて欲しいんだがなぁ。見張りっつぅか」
「採集場所は見つかってませんので。採集するときの護衛という際には考えます」
自分がいない間にクゥとスムートがいちゃつくのが我慢できない、とぶつぶつ言っていたショークスだったが、ネルスに頭を掴まれてずりずりと引きずられていった。
無言で立っているジューローが、二人を見送っているようだったので、アクシオンはにっこり笑って教えてやった。
「あぁ、あの二人も…えーと東国の言葉で昨日何と仰いましたっけ…そう、めおと、というやつです」
ジューローは呆れたように首を振ったが、何も言わなかった。
5人が出ていって少し部屋が静かになった、と思ったエルムだったが、すぐにリーダーに呼ばれた。
「おーい、悪いんだけどさ、ピエレッタの服買いに行くの、付き合ってやってくんない?」
「…僕が、ですか?」
エルムは目をぱちくりとさせた。
全く会話を交わしてはいないが、ピエレッタというのがカースメーカーで年上の少女であることくらいは分かっている。そんな相手の服を買いに行くのに、自分が相応しいとは全く思えなかった。
「や、俺、若い子の服って、さっぱり分かんないしさ。エルムなら年も近いし、ほら、結構若者向けな服、着てんじゃん」
エルムは眉を寄せて自分の服を見下ろした。
従士とはかけ離れた衣装は、実はバースが買ってきたものである。爺ちゃん曰く、「エルムはイケメンなんじゃからのぅ、こういうロックな衣装で若い女の子のハートをげっちゅうじゃ」。
エルムには、さっぱり分からなかったが。
ともかく、エルムにとって爺ちゃんの言葉は絶対である。
それに、自分の姿は、鏡でも見ない限りは目に入らないという理由で、エルムは己の姿というものに全く頓着していなかった。
いや、厳密には、歪んだ姿勢を見たくないので、あえて目を逸らしている、というべきか。
「…あの…僕には、無理だと…」
「何なら爺ちゃんも一緒に」
「…あぁ、それなら…」
爺ちゃんと一緒なら、何とかなる。エルムは安堵して頷いた。
ルークがバースに声をかけているのを見ながら、ふと、根本的に何で自分が行くのが前提なのか、と疑問を持ったが、もう遅かった。
鎖だのガラス玉だのがちゃらちゃら下がった衣装の上に、ファーの付いた毛皮のジャケットを羽織る。出来れば、暖かいブーツも欲しいな、とエルムは思った。この国は寒い。治っているとはいえ、固まった股関節が軋む。
ローブ、というよりも、何か訳の分からない布地をひらひら巻き付けている、としか見えないピエレッタがひょいひょいと跳ぶようにこちらに向かってきた。
「ほな、よろしゅうなぁ」
「…どうも…」
にっこり笑う少女から微妙に目を逸らして頭を下げる。
早く爺ちゃんが来てくれればいいのに。背中にじわりと汗が滲んだのを感じた。
孫の念を感じたのか、バースが外出着でやってきた。
「おぅおぅ、今日はこんな可愛いお嬢さんとご一緒出来て、この老体は嬉しいですぞ」
「やぁだ、爺ちゃん、うまいわ〜」
けらけら笑って、ピエレッタはぱしんとバースの肩を叩いた。
「何やね、師匠が言うには、カースメーカーとドクトルマグスは相性がええねんて。それから、ダークハンターともな」
ぴょんっとピエレッタはその場でバック転してウィンクした。その人に見せることを十分に意識した肢体の動きは美しく、エルムは純粋に感心した。もっとも、ローブから覗くのが肌色なのには、全裸スーツなのが分かってはいても少々戸惑うが。
「せやからね、いずれは、うちはバースさんとエルムくんと組むことになりそうやねんて。今から仲良うやっときやって師匠に言われてん」
「…そうなんですか?」
バースはサナキルの従士で、自分も公式には無理とは言えそれに近い立場である。メイドのファニーもサナキルに付き従っているだろう。ということは、昨日のメンバーでルークがピエレッタに変更、というパーティーを想定すればいいのだろうか。
「そうそう。ほな、いこか〜」
ピエレッタがごく自然な動作で腕を組んできたので、エルムはぎょっとして身を引いた。
しかし、背後からバースにがしっと背中を支えられて、それ以上は離れられなかった。
「ええのぅ、若いもんは若いもん同士で…」
「やぁね〜、ここは若いもん同士で…って爺ちゃん席外したりせんといてよ?」
「もちろん、可愛い孫の初陣じゃ、爺ちゃんはとっくり見るぞ」
「あはははは」
自分より、爺ちゃんの方がよっぽど女の子の扱いってものに慣れている。いっそ爺ちゃんとピエレッタだけで行けばいいのに…と恨めしく思いながら、腕だけ取られて、30度ほど傾いてピエレッタから上半身だけ逃げた姿勢でエルムはずりずりと引きずられていった。
街に出ると、行き来しているのはやはり冒険者らしき若者が多い。ということは、つまり、防具を着けていて、お洒落というものより実用性を重視した格好の人間が多い、ということだが。
一体、どこに行けば良いというのか。
そもそも、ピエレッタはどういう服装をするのだろうか。
女の子の服装に疎いエルムだが、カースメーカーのローブの下に、フリル満載のひらひらドレスを着ることはないだろう、というくらいの想像は出来た。
「…あの…どこへ行けば…良いのか、分かります?」
楽しそうにエルムを引っ張っているピエレッタに聞くと、んー?と見上げてきた。
そう、見上げてきたのである。
そこで初めて、エルムは、相手が年上の少女でありながら、自分よりも小柄なことに気づいた。
もっとも、ピエレッタが特に小柄な訳ではなく、エルム自身がすでに成人並に成長している、というだけなのだが、エルムは思春期をベッドで過ごし、あまり人と関わってこなかったので己の身長というものを考える機会がなかったのである。
そうなのか、僕の方が大きいのか、とエルムは不思議なものを見る目でカースメーカーの少女を見下ろした。
ピエレッタは、その視線に首を傾げてから、エルムと組んだ腕とは逆の左手で自分の目のあたりを押さえた。
「何?この星形、気になる?」
「え?…いいえ、そうじゃないんですが…」
「気になるなら、触ってみる?ちょっとだけぽわぽわしてるんよ」
別に星形を見ていた訳でもないのだが、エルムはピエレッタに掴まれた右手で、おずおずとその赤い星形に触れてみた。
確かに、そこは少し他の皮膚とは違う肌触りだった。少しだけ盛り上がっていて、柔らかい。
バースなら、これが何かの病気なのか、治るものなのか分かるだろうに、と思いながら、その境界あたりに触れていたエルムは、不意に自分が若い女性の頬に触れているのだ、と気づいて、まるで火傷したような速度で手を引いた。
「す、すみません…」
「え?何がね」
きょとんとした顔のピエレッタに、レディの顔に触れるなど無礼なことを、と言いたかったが、うまく言葉が出なかったので口の中でもごもごと言うに留まった。
その時、口笛の音が聞こえた。
あまり楽しそうではない、どこか人を苛立たせるような響きのそれの元を辿ると、何かの建物の階段に座っている3人ほどの若い男から放たれたものだと分かった。
服装としては、正直、エルムに近い。
爺ちゃんには悪いが、あまり真面目な人種には見えない、ということだ。
おまけに、髪の色が見事に赤・黄・緑、という愉快な色合いである。どれもいかにも染めたと思わしき人工的な色合いだ。
「兄ちゃんたち、通りの真ん中でいちゃついてんじゃねーよー」
「もてない奴らがひがむじゃねーの」
「そうそう、もてない俺たちが…って自虐ギャグかよ!」
すぱん、と緑が黄に突っ込んだので、ピエレッタが「テンポは、ええな」と呟いた。
思い切り大股広げて座っていた青年たちが、だらっとした速度で立ち上がる。
黄がふらふらと歩いてきたので、エルムは咄嗟にピエレッタを背後に庇った。その時ついでに背後を確認したが、一緒にいたはずのバースの姿が無い。若い者に任せて、だの言っていたので、気を利かせたつもりで少し離れているのかもしれない。
「…僕たちに、何か、用ですか」
「ちょっ、エルムくん、うちの方が年上やから…」
じたばたと前に出ようとしているピエレッタを左腕で制しながら、エルムは3人を見比べた。
一瞬、驚いた顔になった黄が、ちらっと後ろの赤と顔を合わせる。
「僕たちだって〜。やぁだ、僕ちゃん、いいとこの子?」
「お育ちの良い僕ちゃんなら、恵まれない俺たちに愛の手を差し出してくれないかなぁ」
にやにやとしている3人に、ピエレッタがぼそっと突っ込んだ。
「合いの手なら入れたるわ」
「…申し訳ありませんが、お金の持ち合わせは、ありません。…そして、あなた方に、差し上げる理由も、ありません」
世間に疎いエルムとはいえ、脅迫されている、ということくらいは分かっている。
ただ、あまりにもそれが現実離れしていたため、全く恐怖も感じないままであったが。
後ろの赤が、ポケットに手を突っ込んで笑った。
「後ろの女を貸してくれるんでもいいんだけどなー」
「申し訳ありませんが、貸与の義務も、ありません」
エルムも、皮のジャケットの裾を僅かに持ち上げた。
だらだらと歩いていた黄が、何気なく足を引いた。どうやら足下に転がっていた酒瓶を蹴ろうとしたらしい。
あれは本人たちが飲んだものなのか、それともたまたま転がっていただけなのだろうか、と、エルムの背中から顔だけ覗かせたピエレッタは眉を顰めた。これだけ人通りがあるのだから、あまり大事にはならないだろうが、それでも酒で理性が吹っ飛んだ若者ならいきなりナイフを振り回す可能性もある。ということは、むしろ自分の女としての身の安全よりも、エルムの怪我的な意味での身の安全の方が危うい。
「エルムくん、エルムくん。ほら、もう行こ」
たぶん、全力で走ったら、相手は追いつけないと思うのだ。
だが、エルムの右手が動いた。
黄色が、ぽかんとした顔で、ちょっとずっこけたような格好で固まっている。
ピエレッタも、何度か瞬きした。
黄色は確かに足下にあったはずの酒瓶を探してきょろきょろと首を動かした。
ことん、と言う音で、赤は自分の隣を見た。
酒瓶が、階段の端に立っていた。
あれ?これってこんなところにあったっけ?
赤が思い出そうとしている間に、地面に転がっていた酒瓶が次々と綺麗に並べられていく。
最後に、ひゅっと空気が鳴る音がしたので、赤はそちらを見た。
赤が見たのは、青い髪の少年の手に、茶色の皮の鞭がぱしりと音を立てて収まっているところだった。
「…瓶は、割らないように、回収した方が、いいと思います」
「そうだね、酒場に持ってけば、小遣いにもなるし…って、何やってんだ、お前!」
緑が喚き立てるのに、ピエレッタがこっそりと「緑はノリツッコミ、と」と呟いていた。
エルムは首を傾げてから、ゆっくりと言った。
「…下に、障害物が、転がっているのは、危なくないですか?」
「そうね、危ないわねー、わぁ踏まなくて良かったわぁって、いや、だから、お前、何!?」
「…喧嘩…する、つもりじゃ、ないんですか?」
また、エルムがかくりと首を傾げたので、赤はうっかりとその小動物的な仕草にでれっとしてから慌てて口をしっかりと噤んだ。
ついでに、鞭で瓶を破壊するよりも、それを壊さないようにそっと置く方が高度な技なんじゃないかなーということに思い当たる。
目の前のちゃらい男をからかってやろうと思っていたのだが、どうやら高レベルの冒険者だったらしい。改めて見たら背が高いだけで顔立ちはまだ少年なのだが、それでも自分たちより強いんじゃないかなーくらいの見当は付いた。
前に出ていた黄色も少し下がってきた。
両脇に黄と緑を従えた赤は、ゆっくりと1歩前に出た。
「ふふふふ…相手にとって、不足は無し。そんな鞭を見せられちゃあ、俺も、禁断の剣を抜くより無いようだな…」
いつの間にか、周囲には足を止めて成り行きを見守っている人間が増えている。先ほどのエルムの鞭に、おおおお、というどよめきと拍手があったので、余計に注目を集めたようだ。
「禁断の剣って何ね!」
ピエレッタの言葉に、赤はシニカルに唇を歪めた。腰の剣を鞘ごと抜き、右手をこれ見よがしに柄にかける。
「なぜならば…」
「あ、何故ならばぁ」
合いの手を入れた黄色に続けて、赤はきっぱり言い切った。
「街中で剣を抜くのは御法度!そして、そこで衛士が見ているからだ!」
「そっちの禁断かい!」
ピエレッタが思わず突っ込んだ背後では、鎧を着た衛士がのんびりと槍で地面をとんとんと突いていた。
「分かってるんなら、お前もいい加減控えろよ、カーマイン」
どうやら赤は衛士に面バレもしているらしい。何度も補導されているのだろうか。
「分かっていても、男にはぁ、あ、男にはぁ、引けない時もあらぁな〜ってか」
「言っとくが、人様に剣を向けた時点で、牢屋に一泊ご招待だからな」
衛士の呆れたような言葉も聞いてはいるが、赤は笑いながら剣を自分の前に横向きに突き出した。右手がゆっくりと動き、刃を抜き出していく。
「いざ、勝負!……ってあら?」
確かに、右手で剣を抜き放ったはずだった。
だが、今、右手は空で、それを見ている間に、かたん、と音を立てて左手に重みがかかった。
剣の柄に巻き付いた鞭が、しゅるりと解けていく。
人混みから歓声が上がる。
赤は、自分の空の右手と、しっかり鞘に収まった剣を見比べた。
顔を上げると、無表情の少年が鞭を手に赤を見つめているところだった。
抜いた剣を鞭で絡め取り、元の鞘に戻す。それは単純な動作ではあったが、かなり難易度が高い技であるのは、見ている者、誰もが分かっていた。
「…剣は、罪で、鞭は、罪では無い、というのは…おかしな気がします」
それが酷く真剣に考え込んでいるような声だったので、衛士が声を上げて笑った。
エルムの肩を叩いて、それから赤の方へと歩いていく。
「もちろん、殺傷能力の高い鞭を暴力に使えば、罪になるとも。…さ、カーマイン、お泊まりに行こうか?」
赤は、ちっと舌打ちして、腰に剣を下げた。
「仕方がない。俺の負けだ」
「…あの…剣は、人には、向けられません、でしたが」
エルムの声に、赤…カーマインも衛士も振り返った。
「君は、被害に遭っていない、と言うんだね?」
「騒乱罪、という意味では…僕も、同罪だと、思います」
「ちょっと、ちょっと、エルムくん」
ピエレッタがぐいぐいと腕を引っ張っていたが、エルムはまっすぐに衛士を見つめていた。その表情の無い顔をしばらく衛士は見返していたが、ふむ、と頷いた。
「被害者がいないなら、罪も成立しないな。…カーマイン、あまり騒ぎを起こすんじゃないぞ」
ゆっくりと離れていく衛士に会釈して、エルムは歩き始めた。
だが、その前に、赤・黄・緑の3人が走り込む。
カーマインがびしぃっとエルムに指を突きつけた。
「貴様!名を何と言う!」
「…エレメンタイン…」
「え。エルムくん、とちゃうかったん?」
「エルムは、略称、なんです」
「って、何で本名の方、名乗るねん!」
ぺしっと叩かれても無表情なエルムに、カーマインは胸を張って言った。
「我らの名は<カラーズ>!お前は、今日からブルーだ!」
「……意味が、分かりません」
30秒ほど間を空けて、エルムは真面目に返した。
「我ら<カラーズ>の仲間に入れてやろうと言ってるんだ、ブルー」
「…僕の所属は、ギルド<デイドリーム>ですので…」
「いやいやいや、冒険者のギルドとは、また別の仲間だからさー、一緒に酒飲んだりしてつるむ仲間って奴よ」
うんうん頷いている黄と緑を見て、エルムは真剣に、何を言われているのか、と考え込んだ。全くもって理解不能だった。
ピエレッタがひょこっと出てきて腰に手を当て3人を睨む。
「エルムくんを困らせたらあかんやろ!あんたらの仲間にやならんわ!」
「あ、あんたはいらないから」
あっさりと自分は却下されたのでピエレッタがムキになる。
「な、何でうちはあかんのよ!あんたら女欲しがっとったんとちゃうんか!」
「女が欲しいのと、仲間が欲しいのとは別だしぃ」
「あんた、パープルじゃん」
「か、髪の色が紫やと、何かあかんのか!」
3人は、顔を見合わせて、一斉に言った。
「「「基本色じゃ無いじゃん」」」
「基本色て、何や〜〜!」
ピエレッタの叫びが、道にこだました。
その頃のバース。
「いやいや、こんな美しい女性に店を案内して頂けるなど、この老体には身に余る光栄ですぞ」
「あら、お上手ねぇ。それで?お孫さんの彼女は、どんな服が好みなのかしら」
「ほっほっほ、どうせ男が女に贈るなら、それなりの服を選びたいものじゃのぅ」
「まあ、じゃあもっと高級な店がいいのかしら?」
「なんのなんの、脱がせ易い服じゃとか、一人ではボタンが留められぬドレスじゃとか…そういう類に…のぅ?」
「やぁだ、お客さんったらぁ」
女性店員と青春を満喫していた。
エルムはカーマインと名乗った赤い髪の男に上腕を掴まれているという姿勢だったが、危機感もなく素直に付いていっていた。逆側の隣ではピエレッタが、きしゃあ!と赤を威嚇している。
「んで?お前ら、どこの宿に泊まってるんだ?」
「…フロースの宿、というところです」
「エルムくん!そういう時に、本当のこと言うたらあかんて!」
「…そうなんですか?」
「そうや!こんな怪しげな奴らに押し掛けられたり犯罪に巻き込まれたりしたらどうするん!」
「…そこまで、悪い人には、思えませんが…」
「いや、お前らさぁ、本人が聞いてるとこで、堂々とそういう相談すんなよなー。あ、ブルーは別だぞ?うんうん、お前は人を見る目がある」
非常に暢気なことに、エルムは赤黄緑に女性向けの服を売っている店を聞き、案内を頼んだのである。
エルムはカーマインに頭をぐりぐりと撫でられても無表情のまま、ピエレッタにぽそりと言った。
「大丈夫、だと、思います…衛士の方にも、知られている、みたいだし…」
「おう、衛士だけじゃあ無いぞ?俺らのことは、街中が知っている!」
「何ね、そんな有名になるほど、何やらかしてんねん!」
「俺たち<カラーズ>は、宿命のライバル<ナンバーズ>と抗争を繰り広げていて、だな」
楽しそうに解説していたカーマインが、ふと口を噤んだので、エルムはちらりと隣を見た。どこか不機嫌そうな、何か苦いものでも口にしたかのような顔になっていたカーマインが、エルムの視線に気づいて、またおどけた表情を取った。
「ま、要するに、俺たちゃジモティなわけよ」
「…ジモティ…って、何ですか?」
「地元民。生粋のハイ・ラガード公国民って奴よ。迷宮なんぞが発見される前から、ずっとこの国で暮らしてたからなぁ」
「おうよ、俺たちはこの国で生まれ、この国で育ってっからさ、大半の衛士とも知り合いだし、たとえばお前らが泊まってるフロースの宿のおばちゃんになんか、さんざ怒鳴られて育ってきたわけ」
「ま、あのおばちゃんに怒鳴られずに済んだガキの方が少数派だけどな」
赤黄緑が口々に説明する。
この国、特に大公宮のあるこの地域は治安が良いこともあり、ほとんどの子供が放し飼いで育ち、たいていの人間が顔見知り、という非常に親密な関係を築いていた、ということだ。もっとも、迷宮が発見されたために多数の余所者が流れ込んできて、今は以前ほどには安全とも言い難くなっているらしいが。
「そういうわけだから、俺らがちょっかい出すのは余所者にだけ。地元の奴らには手ぇ出せないっつーか」
「こっちがオムツの頃から知ってる奴らだしなー」
「お互いにな。こっちも相手が酔っ払ってしでかしたことだの、パンツの穴だのまで知ってんだし」
あっはっは、と笑いながら言い合っている赤黄緑の会話を聞いて、エルムは自分の生活というものを思い返してみた。
知っているのは、グリフォール家と自分の家だけ。街の人間なんて、個体判別したこともない。診てくれたメディックの年や家族構成なんてものにも興味は無かったし、家に出入りする業者の名前すら知らない。
お互いを家族や親戚のように全部知っている間柄、というのは、どんな気分なのだろうか。
想像してみたが、己の性格には合わないような気はした。
「あ、ここだ、ここ」
路地裏を抜けて、出てきたのは細い道に小さな布張りの屋根の店が建ち並んでいる一画だった。店先に服だのアクセサリーだのがちゃらちゃらぶら下がっている。
「あれ、カーマイン、何連れてんの?」
「おう、こいつ、ブルーとして有望なんで引っ張ってきた。まけてやってくれよなー」
「…何、馬鹿言ってんだか」
際どい衣装の若い女性がぶつぶつ言っていたが、カーマインは素知らぬ顔で、エルムの肩を叩いた。
「帰る時には、あっちの道をまっすぐ行けば大通りに出るから、そしたら世界樹さまに向かって歩いてけば、宿に着く」
そして、少し躊躇ってから、親指で別の方向を指した。
「俺らは、たいてい居住区の東の辺でたむろってるから、暇があったら遊びに来てくれよな。世界樹さまの中の話でもしてくれよ」
「…分かりました。…いつか、時間が、あれば」
カーマインが片手を挙げて挨拶をし、黄と緑も手を振って去っていく。
ピエレッタが思い切り舌を出してあっかんべーとしているのに苦笑しながら、エルムは少し首を傾げた。
あれは、社交辞令、というものなのだろうか。
世界樹さま、と言う時のカーマインの目に浮かんでいたのは渇望に似た熱意だったが、その背後では黄色と緑が何とも言えない妙な顔をしていた。困ったような、悲しいような、そんな顔。
カーマインがエルムを誘うのを嫌がっているのだろうか。
やっぱり、他人と付き合う、というのは難しい、としみじみ思う。
出来れば、何も喋らずに一人でいられれば、それに越したことは無い。
もっとも、従士の道が閉ざされた今、何か他の職に就いて自活しなければならないのは間違いないことで、一人でじっとしていられる生活の道というものがほとんど無いことも分かっていたが。
何とか会話技術や社交術というものを身につけるためにも、彼らには練習台になって貰おうか。どうしても、サナキル様やファニー、爺ちゃん相手では、普通の会話、というものは出来そうになかったし。
「それで、何になさいますかー?冒険者様のお気に召すようなものがあるかどうか、分かりませんけどー」
微妙に棘を含んだ口調には気づかなかったふりをして、エルムは女性店員に向き直った。
「…この人の、普段着るもの、あるいは、防具の下に着けるものを」
宿に帰ってきたエルムは、先に帰ってきていたバースに抱き締められた。
「おお、エルム、無事じゃったか!見失ってしもうたから、どうしておるかと心配じゃったぞ!」
「…ちょっと…街の、僕と年が近い人と、知り合いになって…」
嘘ではないが、爺ちゃんには嬉しいようにちょっぴり曲げた報告をしたエルムは、予想通り爺ちゃんが満面の笑みでもう一度抱きしめてくるのを、素直に受け取った。
「そうかそうか!友達が出来るのはいいもんじゃのぅ!」
あれは友達というのかどうか、とエルムは思ったが、厳密に「ただの知り合いです」と訂正するまでもないか、と黙っておいた。
「それより、爺ちゃん」
孫の口調が、微妙に温度が下がったのに気づいて、バースは抱きしめたまま目を逸らした。
「…なんじゃ?」
「爺ちゃんこそ、何をしてたの?」
「いや、ワシは…ほれ、女性向けの服をな?…ちょっと…実地で、脱がせ易さと着易さについてを確かめねばならん、と思うての?」
「爺ちゃん…僕、今更、新しい叔父さんや叔母さんはいらないからね」
生涯現役は結構なことだが、自分のことだけでも手一杯なのだから、爺ちゃんの下半身のお守りまではしたくないなぁ、とエルムは額を押さえたのだった。