その後

 


 「春にして、君を離れ…か」
 ルークはぼんやりとエトリアを見下ろした。
 少し離れた丘の上からでも、街の中央にそびえ立つ世界樹は巨大に見える。
 「アクシーと初めて会ったのも、春だったなぁ…」
 「あれから、たった1年しか経ってないんですね。随分長い間、一緒にいたように思えますが」
 初めて会ったときと同様に、茶色のマントを羽織ったアクシオンが、そっとルークの手を握った。
 二人並んで、エトリアを見つめる。


 あれからエトリアは、ますます発展していた。
 地中奥深くに眠っていた滅びた文明、しかも現在よりも発展していたと思われる文明、というものの噂は、あらゆる分野の研究者の興味を引いた。
 そうした学者・研究者の類が押し寄せ、その知的興味を満たすべく、様々な依頼が出され、冒険者たちは大忙し。もちろん、5層に潜れる実力者は引っ張りだこだったし、上の階層に興味を持つ植物学者や民族学者たちのために浅い階層なりに需要はあったし、もっと深く潜ってお高い報酬を得ようと鍛錬に励む冒険者もいたし…迷宮が謎であった頃と同じくらいの賑わいぶりだというのは皮肉なことだった。
 そんな中、<ナイトメア>は地道に下の探索を続けていた。
 どこを見ても同じような景色、急に別の場所に吹っ飛ぶ罠、それに落とし穴…。腕に覚えのある連中でもうんざりして投げ出すような階層を、黙々と探索し続けた。
 
 ヴィズルを倒してから数ヶ月。
 メンバー内にも色々あった。
 まず抜けたのは小桃であった。
 3階のゴーレムを首討ちで跳ね飛ばしたのが一つの区切りになったのか、すっきりした顔で国に帰ると言って来た。
 「わたくしは、見合い相手に『女が武士道などと笑止』と言われたが悔しうて国を出てきたが…ここで考えを改めたわえ。真の戦いには、男も女も無い。あるのは実力のみじゃ。わたくしはもう、女が刀を振り回すな、と言われようとも、鼻で笑ってやれるわえ」
 そうして、ミケーロとシエルの頭を撫でた。
 「それに…子を産み育てる、と言うのも、挑戦し甲斐のある戦じゃと思えるようになったゆえの。見ておれ、いずれブシドーにこの人あり、と言わるるようなおのこを育ててみせるわえ」
 「…女の子じゃ駄目なのかよ」
 「おぉ、言葉のあやじゃ。おなごでも良いわの」
 さらりと言った小桃は、確かに少し大人になったようだった。
 「また会えるにゃ?」
 「そうじゃのぅ。いつでも遊びにきやれ」
 つまり、もうエトリアに来ることはない、と言っているのに気づいて、シエルは眉を寄せた。
 「…寂しくなるにゃ」
 「何なら、そなたも共に来るか?何、我が屋敷はそれなりに広い。猫たちも共に暮らせるぞ」
 文旦が誘いをかけたが、シエルは首を振った。
 「ボクはもっとみんなを守れるよう強くなるのにゃ。それに、パパとママが帰ってくるかもしれないし」
 「そうか…残念じゃが、仕方無いのぅ。ご両親が見つかることを祈っておる」
 ちなみに。
 これが文旦のプロポーズであったことに気づいた者はいなかった。
 文旦は小桃やフレア、クゥを可愛がっていたが、それはあくまで妹としてであって恋愛対象では無かった。しかし、シエルは一人っ子で兄はいない。つまり、<妹>ではなく<年下の少女>であったので、十分恋愛対象に入っていたのである。
 もっとも、この辺の理屈が分かっているのが文旦本人のみであったため、シエル本人も「自分は妹扱いされている」としか思っていなかったのだが。
 文旦はある種の偏愛者であったかもしれないが、年齢差、というものを認識する理性はあったので、共に来ることを強く勧めもしなかった。
 
 サブパーティーから2人抜け。
 退屈そうにごろごろしているミケーロを、ルークは執政院に連れていった。
 めでたく執政院の長となったオレルスだが、息抜きも兼ねてか、ルークが立ち寄るとたいてい相手してくれる。
 いつものように世間話しつつお茶を飲んでいると、オレルスの方から話を振ってきた。
 「…で、その子は?確か、スラム出身の…」
 「うん、ミケーロって言ううちの鞭使い。ちょっと、聞きたいことがあるってんで、連れてきた」
 かちこちに緊張してお茶に手もつけていなかったミケーロが、肘打ちしてくるのをかわして、ルークはにっこり笑った。
 オレルスも慈愛に満ちた笑みを浮かべて、ミケーロに穏やかに声をかける。
 「何だろうか?私で、何か役に立てることがあれば良いのだが」
 手を膝の上に突っ張ったまま、ミケーロはしばらく呻いていたが、ぼそり、と話し始めた。
 「…その…俺…スラム…無くしたい…んじゃないけど…だって、必要な時もあるしよ…でも、大人が、勝手にスラムの住人になんのは勝手だと思うけどよ、そこで生まれた子供が、ずっとスラムから抜け出せねーのはおかしいんじゃねーかって…」
 「…そうだね、実に難しい問題だ。私も、何とかせねばとは…」
 「それで、その…エトリアの、仕事の種類と、それやってる人間の数と、一生で稼ぐ金額と…が、知りたい。ここなら分かるって聞いたからよー」
 「…は?」
 正直、オレルスは舐めていた。
 所詮、スラム出身の無教育のお子さまである。どうせぐだぐだとスラムの環境の改善でも訴えるものだと思っていれば。
 言葉は子供だが、要するに職業別人口と生涯賃金額を知りたい、と言い出した少年に、初めて興味を抱いて、オレルスは手にしていたカップを置いた。
 「何故、そんなことを知りたいんだね?」
 「そのー…だからよ、つまり…俺、家、建てようと思ったんだ。最初。<ナイトメア>で稼いだ金、結構あるし。…でも、それじゃ、建てたら終わり、なんだ。誰かが、家建てて、その時だけ、ぬくぬくと暮らせて、でも、出て行かなくちゃなんねーし、だったら、どうしたらいいのかって考えて、スラムに戻るんじゃなく、手に職付けりゃーいいって、それで、その…えーと、何てーんだろ、もし、一人の子供が大きくなるまでにかかる金が10万yenとして、でも、そいつが大きくなって一生で稼ぐ金が10万以上なら、それは何てゆーのか…」
 「国家事業として、成り立つ。ただの弱者救済の福祉としてではなく、先行投資とも考えられるな」
 「それで、だから、どんな職業が手薄で、金稼ぎに向いてるのか、とか、スラムの子供でも雇って貰えそうか、とか知りてーな、と思って…」
 必死で言葉を絞り出しながら説明したミケーロは、ようやく目の前のお茶を飲んだ。
 「…ふむ」
 オレルスは席を立ち、本棚へ歩いていった。
 すぐに目当ての書類を取り出して戻ってくる。
 それは多数の紙を束ねたもので、製本はされていないが、書物と言って良いほど分厚いものだった。
 ぱらりとめくられたそれを受け取って、ミケーロは目を落とす。
 横からルークも覗き込んだが、すぐに「うえぇ」と呻いて目を離した。
 細かな数字のシートと、グラフ。
 おそらく専門の人間にはすぐに分かるのだろうが、門外漢には頭が痛くなるような数字の羅列にしか見えない。
 だが、ミケーロは真剣にページをめくり、褐色の指で辿りながら、ぶつぶつと呟いた。
 「…年間の収益としては、鉱夫が一番…駄目か、平均寿命が短いし、体力が無くなった途端に働けねーや。それに、鉱物の量には限界があるから、採掘し終えたらそれでおしまいじゃねーか…かと言って、農業もなぁ…一人当たりの稼ぎ高がイマイチだし、エトリアは小せぇし…やっぱ手に職…冒険者が増えるなら鍛冶か…いっそ5層の採集物から新しく何か作り出す職業なら、まだ競争相手がいねーけど、需要と供給が続くとは限らねーし…」
 金色の目がページを睨み付けるように爛々と光り、周囲の状況も忘れたかのように独り言を呟き続けるミケーロの姿を見ながら、オレルスはゆっくりとカップからお茶を飲んだ。
 そのオレルスの様子を伺いながら、ルークも悠然とお茶を含む。
 「ルーク」
 「あいよ」
 「私の前に、彼を連れてきた、ということは…そういうことだと受け取っていいのかな?」
 「ま、そういうことだな」
 大人二人で静かに交わされた会話に、ようやく顔を上げたミケーロは、意味を捉え損ねて二人の顔を交互に見比べた。
 「…よし、買った」
 「へ?買う?何、俺、そーゆー商売してねーんだけど!」
 慌てて飛び上がるミケーロにオレルスは笑いかけた。
 「なに、怖いのは最初だけだ」
 「ぎゃー!」
 「…大量の、情報を頭に入れて貰わねばならんからな」
 イスの背もたれにしがみついていたミケーロが「へ?」と間抜けな声を漏らす。
 「つまり、君を執政院で雇いたい、ということだ。情報室預かりでね。長がいなくなってから、色々と忙しくてね…人手が欲しいと思っていたところだし、どうやら君は一つの事象は幾つもの要因によって成り立っている、ということを理解しているようだから、うち向きだと思って」
 「もちろん、執政院側にも、利点はあるんだな、これが。<ナイトメア>の一員、というのはステータスになってるし。例えば、外国から視察の人間が来て、情報室が説明して、そんな時に『実はここにいるのは、あの<ナイトメア>のメンバーでして』となると、それだけで箔が付くってわけ」
 ルークがしれっとして追加すると、オレルスが足を蹴ってきた。そこまで言うな、ということらしいが、事実だろう。オレルスも実際的な人間だ。利点が無いのに、試験も無しに雇い入れたりしない。
 ミケーロはしばらく考えていたが、おそるおそる、といったように片手を上げた。
 「俺、確かに<ナイトメア>所属だけどよー。三竜に挑んだ訳でも六層に潜った訳でもねーんだけど」
 「良いんだよ、必要なのは<ナイトメアメンバー>ってステータス。何もお役人を六層に案内して護衛しろってんじゃなし」
 ごほん、とオレルスが咳払いをした。
 「まあ…六層とは言わないが、五層の案内をすることはあるかもしれないね。皆、遙か昔に滅亡した文明の跡を見たがるだろうから」
 それはそうだろう。
 磁軸からほんの少しの距離だけのツアーになるかもしれないが、それでも見たがる人間は多そうだ。
 でも、その時には、普通に冒険者を雇えばいいだけじゃねーの、とミケーロは思った。そりゃ、そこに『誰も成しえなかった、この迷宮の全ての謎を解き明かした<ナイトメア>の一員』がいたら、さぞかし興味を引くだろうなーというのは理解できたが。ひょっとしたら技の一つもご披露求められるかもしれない。
 …そこでご披露するのがエクスタシーでいいのかよ。
 「もちろん、君にだってメリットはあるだろう?」
 頭を抱えているミケーロにかけられた声は、微妙に猫撫で声だったので、警戒心が吹き出してミケーロは顔を上げた。
 困ったような宥めようとしているような顔で、オレルスは続けた。
 「君の案をそのまま通すわけにはいかないにせよ、君が執政院の人間になれば、もっと綿密な調査をして、もっと確率の高い計画を立てて、国家予算でそれを実行することが出来る可能性がある。私としても、この先エトリアが生き延びるには、人材そのものを輸出するべきだろうか、と漠然と考えていたところでね」
 エトリアは、世界樹の迷宮がある、ということだけが特色で、特に優れた鉱山も無ければ、肥沃な土地に恵まれているのでもない。五層産の素材も、永遠に続く産物、というものではない。
 だとしたら、この迷宮を利用した冒険者の育成を売りにして、ある程度の実力を持った冒険者というものを他国に売り込むことは出来ないだろうか、とうっすら考えていたのだ。
 問題は、他国に<冒険者>が必要かどうか、という点だが。
 軍隊よりも冒険者が向いている作業というものがあるのは確かだが、どれだけ他国に<迷宮>だの<謎>だのがあるかが最大の難点だ。
 「でも、軍隊の育成、なんて方向には走らないでくれよなー。…18階の空間なんて、軍隊の実戦訓練にすっごく向いてるとは思うけど」
 「しないよ。我々としてもね、軍を強大にする方向に向かうのは…いや、軍の訓練をしている、ということ自体が危険だと認識している。何せ、我々よりもどうやら優れていたらしい文明の遺跡を抱えているからね。強大な武力も得たんじゃないか、と疑われるのは困る」
 もしも疑われたら、それを本当に手にして使いこなす前に潰そう、だとか、我々が手に入れる、だとかいう理由で余計な戦を吹っ掛けられそうだ。
 ルークはオレルスの人格からして、そういう血生臭い方向には行かないだろうとは思っていたが、はっきり明言されたのでともかくは安心しておく。
 ミケーロが考えていたのは、スラムの幼い子供たちが普通の職業に就けるような支援であったので、少し戸惑ったが、冒険者というプロフェッショナルを育成する、というのと同時に、冒険者を選ばない人間用にも別の手段を考えればいいのだろうと納得した。
 「つまり、俺は、鞭の腕も磨きつつ、執政院に所属して、スラムのガキどもをどうしたらいいのか、考えれば良いんだな?」
 一つ一つ単語を言う度にオレルスとルークの顔を交互に確認しながら言ったミケーロに、二人が頷いた。
 「あぁ、よろしく頼む。最初は書類仕事ばかりでつまらないかもしれないが…いずれ、その蓄えた知識が役に立つ時が来ると思って耐えて欲しい。そして、いずれスラムの子供たちや、他の子供たちにも共通の教育施設設立の際には、立案及び責任メンバーの一員として活躍して欲しい」
 「でも、書類に埋もれて、技を錆び付かせるなよー」
 「分かってるよ。空き時間で鍛えりゃいいんだろ」
 その空き時間が保証されるかどうかは別だが。
 とにかく、一人執政院に押し込むことが出来たルークは安堵の溜息を吐いた。
 せっかく学習意欲に燃えている青少年なのだから、オレルスに預けておけば間違い無いだろう。
 「また、おって連絡するよ」というオレルスに見送られて帰っていく道すがら、ルークはミケーロに懇々と言い含めた。
 「いいか?確かに、今の時点で、スラムに生まれたらなかなかそこから抜け出せない。逆に、貴族だったら、その家名だけで信用されて、本人の才能はともかく商売が出来たりもする。儲かるかどうかは別としても。つまり、世の中、ステータスってもんが大事な訳だ」
 「…わーってるよ」
 「ホントに分かってるか?」
 ルークはにやりと笑って、ミケーロの銀髪をわしわしと掻き回してやった。
 「<ナイトメア所属の冒険者>ってステータスは、貴族でも王族でも手に入らないんだぞ?精一杯利用しろ。メインパーティーだったかどうか、なんて気にすんな。お前だって、立派なギルドメンバーなんだからな」
 「よく言うぜ。あんたも利用する気、ねーくせに」
 ぐしゃぐしゃの髪のまま、ミケーロはルークから一歩離れた。
 「俺はいいの。政治の世界、なんて魑魅魍魎が跋扈するどろどろした世界に関わる気無いし。俺はまた厄介なことから逃げ出して、ふらふらと流れて行くのさ」
 「…ちみもーりょーがばっこ?」
 「たまには数字だけじゃなく、文学的表現も学びなさい、青少年」
 へらへら笑ってくわえた葉っぱをぴこぴこ上下させたリーダーを横目で見てから、ミケーロはまっすぐ前を向いた。
 まだよく分かってはいないが、少なくとも自分が<一介の冒険者(=ならずもの)>から<執政院の一員(=エリート)>になったのは理解した。
 自分に何が出来るかは、まだ分からないけれど、それでもきっと、個人で何かを始めるよりも大きなことが出来るはず。
 夢と野望が膨らむと同時に、何かがおかしい、という気もした。
 ミケーロはスラム出身の学の無い少年に過ぎず、使っている鞭はエトリア最高級だが肝心の腕前は最高レベルとはとても言えないものだと自覚している。
 もちろん、それなりに文字も数字も習得はしたが、本職の学者には到底及ぶものでは無いだろう。
 その自分が執政院に入れたのは、ただたまたま<迷宮の謎を全て解き明かしたナイトメア>の一員であったから、というだけのことなのだ。
 何かが、おかしい。
 個人の才能や実力ではなく、縁故によって人生が決まるのは、何かがおかしい。
 ルークは、そのステータスを利用しろ、と言うが、そもそも、そんなものを利用せずに済むような仕組みにはならないのだろうか。
 ミケーロは歩きながら考え込む。
 けれど、その『個人の才能や実力』はどうやって判断すればいいのか。スラムにいる限り、商才など持っているかどうか試すことすら出来ないし、きっと逆に貴族が冒険者の才能を持っていても眠らせたまま一生を終えるのだろう。
 皆が平等に才能を試すことが出来る仕組み、というのは、どういう国なんだろうか。
 たぶん、きっと。
 それが、俺にとって、一生の課題になるんだろーな。
 うん、とミケーロは頷いた。
 考えて考えて、自分の頭で考えて。
 分からないことがあれば、執政院の情報をどんどん読んで知ればいい。
 そのうち、いつか…今とは違う何かになるはず。


 ギルドに帰ると、カーニャが戻っていた。
 春用のコートを脱ぐと、いつも通りのダークハンター衣装である。旅をしてきたはずだが、一般人から見れば、かなり特殊な職業に見えるだろうなー、とはミケーロでさえ思った。
 カーニャはピンクの髪を掻き上げながら、ミケーロにずかずかと向かってきた。
 「…あんだよ」
 「あんたのツテでさ、若くて体力はあるんだけど、働く場所が無くて困ってますって子はいない?」
 「へ?」
 スラムにそういう人間なら山ほどいるにはいるが。
 いきなり何を言い出したのかと思えば、カーニャは困ったように眉を寄せて、綺麗に磨かれた爪をピンクの唇に当てた。最近、妙に女性ぽい仕草をするので目のやり場に困る。
 「あたしがうちに帰ったのは知ってるでしょ?」
 「あぁ」
 「で、あたしが冒険者を続けるのは認めたのよ」
 さぞかし脅しをかけたんだろうなーとは思うが、ミケーロは賢明にも口には出さなかった。
 「けど、あたしっていう働き手が消えた分、困ってるのも確かみたいで…あ、あたしんち、牛牧場なの。言ってなかったっけ。で、代わりに生きのいい働き手を紹介しろって。出来れば、隣んちの牧場の分もね」
 やっぱり、微妙に分からない。
 眉を寄せて考え込んでいるミケーロに、別の意味を見て取ったのかカーニャは指折りつつ更に情報を追加した。
 「いきなり一家皆殺しにされたら困るから、犯罪者は困るわね。そう言う意味では、成人した男なんてのは怖いかも。大丈夫、あたしでも出来るくらいの仕事だから、15歳くらいの子で十分だわ。ただ、ほんっと〜に!何にも無いところだから〜遊びが好きな子は逃げちゃうかもね。田舎の鈍くさい牧場暮らしでも、今よりマシって思えるような性格で、体力自慢の子がいいな〜。あ、もちろん、あたしが責任持つから、奴隷みたいな扱いはさせないつもりよ?」
 やっぱり本人は分かっているのだろうが整理はされてない情報を噛み砕いて、ミケーロはようやく納得した。
 「つまり、牛牧場に人手がいるってーことか。んで、スラムのガキなら、衣食住が保証されてる分、今よりマシだって思うだろーってか」
 「ま、そういうこと」
 「そりゃ、盗人よりはマシだって思う奴もいるだろーがよ…」
 まるで人買い行為のようでイヤな気分だが、カーニャの実家なら、確かに使い捨ての労働力のような扱いはされないだろう。
 「条件:衣食住の保証、人数:2名、体力に自信のある奴ってことだな」
 「あんたって、頭良さそうな話し方するようになったわね〜」
 感心したようなカーニャから目を逸らして、ミケーロは頭の中で素早く試算した。エトリアは小さな街で農地の拡大は見込めないが、他国ではまだ開墾を広げる余地もあり、人手の需要もあるかもしれない。…ただ、奴隷扱いされる可能性を考えると、それを主力にするのはまずい。これはあくまでカーニャとの個人的契約ってことにしておこう。
 「OK、当たってみる。…んで、お前はどーすんだ?まだエトリアにいるのか?」
 「どうして欲しい?」
 くすくす笑いながらカーニャは悪戯っぽく目を細めたが、すぐに肩を竦めて腰の剣を叩いた。
 「あたしはしばらく迷宮潜るつもり。ダークハンター養成所で講師頼まれてるし、ま、それも悪くないかなって」
 「お前、教えんの、向いてねーじゃん…」
 「うるさいわね、体に教えるのは、別じゃない」
 不機嫌そうにその場を去っていくカーニャの後ろ姿をまじまじと見つめる。
 最初に出会ったころは、ダークハンターのきわどい衣装があまり似合っていなくて、健康的な少女が夜の女の真似をしています、とでもいうような、ある種倒錯的な魅力を感じたものだったが、いつの間にか腰がくびれてきて本当に大人の女性の体型に近づいた気がする。
 それは、ミケーロにとってはむしろ見慣れて飽き飽きしているようなスタイルだったが…何だか改めて目の前にいるのは異性なのだ、と強烈に認めさせるような雰囲気を持っていた。
 「…ガキのくせに」
 ぼそっと口の中だけで呟いて、ミケーロは自分の出身地へ向かうべくギルドを出ていった。


 「…あれだな」
 「そ、あれだ」
 ネルスとショークスは、郊外の民家にやってきていた。
 少し離れたところからその家を見つめる。
 左腕を失った男が、片手だけで5歳ほどの少女を抱き上げ、肩車をしていた。
 民家、と言っても、ちゃんと建築されたものではなく、木ぎれとぼろ布で仕立て上げられた今にも吹き飛びそうな小屋に過ぎず、住民が貧しいことは容易に見て取れた。
 それはそうだろう。この街に、大の男が片腕で働ける道は多くない。
 だが、男の顔は笑っていて、汚れた服の少女も幸せそうだった。
 小屋の隙間から煙が出ている。どうやら食事の用意が出来たらしい。
 男が少女と共に小屋に入って行くのを確認してから、ネルスも動いた。
 黒色のローブをまとってはいるが、首に下げた鈴はローブの中にしまい込んでいるため、一見カースメーカーとは気づきにくい姿で、浮遊せずに裸足で地面を踏みつつ歩いていく。
 濃紺と黒という地味な服装のショークスも続いた。
 ネルスが、ふぁさりと入り口の布をめくった。
 中にいた片腕の男と少女、それに料理をしていた女の視線が集中する。
 怪訝そうな顔の男が少女を押しやり席を立つのに、ちりーん、と鈴の音が響いた。
 女がぱくぱくと口を動かし、それから驚いたように自分の喉に手を当て、またぱくぱくと口だけが動く。
 悲鳴を上げているのだろう、顔が歪んだ女に少女が駆け寄る。
 「…カースメーカーか。何の用だ。金なら無いぞ」
 片腕の男が身構えて、イスを押しやった。
 ネルスは目を閉じ、そしてゆっくり開いた紺色の瞳で男を見つめた。
 「…かつて。…そう、10年ほど、前の話だ。…お前たちは、一人の女を殺したろう」
 無感動な声に、男の動きが止まる。
 何かを思い出そうとしている男に、女が少女を抱き締めながら素早くネルスと男の顔を交互に見やった。
 「…カースメーカーの女。…お前と、アルケミスト、それに剣を使うダークハンターの3人だったな」
 男の顔が何かに思い当たったようだった。
 しまった、とでも言うような顔になり、それから慌ててちらりと背後を振り返り、女が凝視しているの見てからひきつった笑みを浮かべた。
 「あぁ、あの夜のことか。当たり前だろう?カースメーカーなんて、一般市民に呪いをかける輩じゃねぇか。俺たちは、力のある冒険者として、市民を守ったんだ」
 ゆら、と殺気を放ったのはショークスの方だった。ネルスは憂い気な瞳のまま、男をまっすぐに見つめた。
 「…ほう。…全裸で、ローブだけを纏った女を、3人がかりで殺したのも、市民としての役目だと?」
 「カースメーカーに呪いをかけられちゃたまらねぇからな。全力でいくのは当たり前だろう?」
 「…そして、斧で肩を斬りつけ、腹に剣を突き立て…死にかけた女を、3人で交互に犯すのも、市民として当たり前の行為だったと…そう言うのだな?」
 男は唇を何度か舐めた。
 堪えきれないように、背後の女の表情を確かめる。
 信じられない、という顔の女に、ぼそぼそと言い訳する。
 「…俺も、若かったし…あいつが、やろうって言ったから…俺はその…」
 「母だったよ」
 何の感情も含まずに放たれた言葉に、男と女がネルスを見つめた。
 「…俺は、見ていた。…何もできずに、な。母が、お前たちになぶり殺されていく様を…見ていた」
 ゆっくりと、腕がローブから表れる。
 その手から下がる金色の鈴が、揺れてもいないのに、ちりーん、と音を立てた。
 「…長かったな…お前を捜すのも…呪いで人を殺せるようになるのも…長かった…」
 ふぅ、と溜息のように呟かれた言葉に、男の顔がひきつった。
 思わず、といったように一歩下がった男に、ネルスは目の高さにまで鈴を持ち上げた。
 「…選ばせてやろう…俺が味わったのと同じ苦痛…目の前で為す術もなく愛する相手が殺される悲しみ…妻と、娘。どちらを殺されたい?」
 女の目が見開かれ、ネルスから隠すように少女の体を抱き締めた。
 男の目も見開かれ、ネルスと家族とを行き来した。その目に浮かんでいるのは希望と絶望。何か下卑た光を浮かべて、男は問うた。
 「俺…じゃなく?」
 「…そう…お前ではなく…妻か、娘」
 ネルスは無感動に男を見つめていた。
 生命への非常な執着。
 確かに、この男は元冒険者だ。仲間たちを捨てて、一人生き残るだけのことはある。
 「おいで」
 男は、娘を女の腕から抱き上げた。
 「何つーか、ほら、絶対、俺が責任持って育てるから…安心してくれ」
 歪んだ笑顔を浮かべた男に、女は意味を悟ったようだった。
 お前が死ね、と言われた女は、怒り狂って男の腕にむしゃぶりつくが、男はそれを力尽くで振り払った。
 そして、媚びたような顔でネルスを振り返ろうとして…その夜色の瞳がひどく間近にあることに気づいて仰け反った。
 「…愚かな男…相応の呪いを受けよ…」
 「俺は殺さないって…!」
 「…殺しはせぬよ…苦しむだけだ…死ぬまで」

 背後の、女の狂乱した叫びを聞きながら、ショークスは両手を頭の後ろに組んでしみじみと言った。
 「終わったんだなぁ」
 「…あぁ…後味は…少々悪いが…」
 「お前、優し過ぎるって」
 ネルスの仇は、3人中2人がもう死んでいた。せめて最後の一人に憂さを晴らさせてやりたいと思っていたのだが、どうもすっきり爽快!ということにはならなかったようだ。
 ショークスなど、あんな糞野郎の頭を3本くらい矢で射抜いても構わないと思っているのに。
 ネルスは、結局、男を殺さなかった。
 ただ呪いをかけただけ。
 「で、どんな呪い?」
 「…他者を傷つける度…同じ痛みが自分に返ってくるだけのことだ」
 「そりゃそりゃ」
 今頃、女に殴られているだろうが、もしもそれに殴り返したら、同じだけの痛みを男も味わうらしい。
 まあ、悪くはないが…母親を殺された復讐としては、少々大人しいものではないか、とショークスは思う。
 「…あの分だと、女にも、娘にも、捨てられるであろうな…せめて、家族を庇うだけの情のある男であれば…」
 ネルスは独り言のように呟いて、首を振った。
 もしも、男が「家族には手を出すな、俺を殺せ」と言ったなら、許してやろうと思ったのに。
 残ったのは、やはり母を殺したのはただの屑だった、という苦い事実。
 「殺せば良かったのによぉ」
 <もう殺せる力は、残っておらぬよ>
 頭だけで反射的に言い返す。
 土が露になった道を裸足で踏みしめながら、ネルスはちりりんと鈴を振った。
 「もうカースメーカーとしての残り滓も全て使った。…俺は、もう、無力だ」
 カースメーカーの技は、本当はただの『技術』である。本人の性格がどうあれ、出自がどうあれ、同じような手順を踏めば同じような結果をもたらす、錬金術や医術と同じ『技術』に過ぎない。
 だが、生まれた時からカースメーカーとして育てられ、その技はカースメーカー独自の呪いであると叩き込まれ、<愛>などというものによってその力をなくす、と心の底に植え付けられている。
 辛うじて母の仇をとる、という目的だけは果たせたが、それを終わらせれば、ショークスを愛している限り、術が封じられることは分かっていた。
 同時に、それがババ様による『暗示』であって、本当は自分はまだカースメーカーの術を使うことが可能なのだということも分かっていた。
 だが。
 <まあ…悪くは無いからな。お前を<愛>することと、カースメーカーであることのどちらを取るか、と聞かれれば、俺はお前を取る>
 「壮絶な愛の告白、ありがとさん」
 ショークスはにやりと笑って、横に並んで歩く男の髪をなぶった。
 その髪は、うっすら茶色がかっていて、出会った頃の真っ白なものでは無くなっていた。
 「そりゃ俺としてもさぁ、俺のためにお前が職を失うってぇのは少々気が咎めんでもないんだけどよ。でもま、一緒に山に帰る分には、悪くねぇやな」
 「…出来れば…一生、使わずに済めば良いのだがな」
 この『暗示』は、逆に言えば、<愛>を失えばすぐに呪力が戻る、ということでもある。むしろ、ババ様など、どうせじきに戻ると踏んでいる節もある。
 どうやらショークスが女に走るとかそういう暗い系の妄想をぐだぐだと浮かべているらしいネルスの頭を、ショークスはがしがしと揺さぶった。
 「そんな予測も出来ねぇような先のこと、今から考えててどうすんだ。とりあえず、お前は俺との新居のことでも考えてりゃいいの」
 「…新居?」
 「そ。山ぁ帰ってもよぉ。さすがに兄貴やターベルたちと一緒に住むわけにもいかねぇだろ。色々と。んで、新しく小屋ぁ建てるとして。お前にも手伝って貰うからな。斧で木ぃ倒したり、削ったり組み立てたり。遅れたら遅れただけ、セックス出来ねぇと、そう思え」
 <…野外プレイという手も…>
 「やらしてやんねぇよ、ばーかばーか」
 けらけら笑って、ショークスは土の道を歩いていった。
 このエトリアのどこかに住むカースメーカーたちから、彼らは恨まれたり羨まれたりしていた。
 何せ自由恋愛禁止というのは、かなりの足枷なのである。根っからカースメーカーで、別に愛など無くとも用が足せればそれでよい、という人間ならともかく、本来普通の人間であるからには、多少の情を備えているものである。
 それでも、実際一般人に混じって暮らせるはずもなく、精々ババ様に隠れて愛人を囲う程度が精一杯であったところを、真っ正面から「<愛>のために一族を抜ける」と言い放ったネルスには、「よくぞ言った!GJ!」という声と同時に「お前だけ抜けさせるか、この野郎」という呪いの声も確かにあった。
 いや、もちろん、こんな軽い表現では無いが。
 しかし、基本的に一族揃って引きこもりであるため、呪うためだけにエトリアの外にまで追いかけてくる根性のある奴はいないだろう、と言うことで、さっさと抜け出す算段を立てているのである。
 あまり良い気分でも無いが、鎖で身を縛り、普段ふよふよ浮いて移動するカースメーカーが、険しい山の道無き道を登って来られるようなら、そいつはすでにカースメーカーじゃない健康的な何かじゃないか、とショークスは気楽に捉えている。
 エトリアも、迷宮が謎でなくなったことで街そのものが何か変わっていっている。
 カースメーカーの一族も、変わっていかざるを得ないのでは無かろうか。
 「…ま、その一族に喧嘩売る男の相手が男だっつぅのに関しては、何か問題あるような気もしねぇでもねぇけどよ」
 これで男女の大恋愛だったりすると、吟遊詩人たちの良いネタになりそうなものだが。
 <…さあな。お前が女だったら…さっさと洗脳して犯しておしまい、だったようにも思うが>
 「それ、ただの変態じゃねぇか」


 残りのレンジャーたちも、山に帰る相談をしていた。
 もう30階までの採集ポイントは全て制覇し、金稼ぎ、と言う点ではもはや不要で、後は趣味か依頼か、というレベルになっているのだ。
 <ナイトメア>メンバーは各自の道を歩き始めている。レンジャーたちにも、エトリアに残って採集の助けをして欲しい、という声もあったが、いったんは山に帰ろう、ということで一致していた。
 「寂しくなるな〜」
 ルークは荷造りしているクラウドに心から言ったが、かく言う自分も、火竜の逆鱗が出次第アクシオン付きで実家に帰る予定なので強くは言えなかった。
 「まあ、今生の別れって訳じゃないしな」
 ははは、と笑って、クラウドは自分の分の荷物をしっかり縛った。
 そして、周囲を見回し、所在なげにしているフレアをちょいちょいと手で呼び寄せた。
 フレアには、まだ迎えは無い。文旦も去り、今は兄(本物の)の指示を待っている状態である。
 おずおずと寄ってきたフレアは、半ば涙ぐんでクラウドを見上げた。
 兄その1からの連絡が無いので、この兄その3は唯一頼れる人間であったのである。それがいなくなると、フレアはどうしたらいいのか分からなくなる。
 が、それでも、どうにか口を開き
 「…あの…お元気で…」
 と、震える声でぽそぽそ言ったのだが、クラウドは腰を屈めてフレアを目線を同じにしてあっさり言った。
 「どうだろう。しばらく、うちに来る、というのは」

 部屋中の視線が集まった。
 「ちょっ…聞いて無かったわよ!何、いつの間に、そんなことにっ!」
 「大穴きたーーーーーー!」
 周囲のどよめきを怪訝そうに眺めてから、またクラウドはフレアを見つめた。
 「ずっと思ってたんだが…フレアの、血が怖い、死体が怖い、というのは、どうも生き物と密着した生活をしてないせいじゃないかと思ってな。山はいいぞ。確かに、生き物を殺して食うが、その皮も、骨も、ありがたく利用する。内臓だって、ちゃんと大地に返す。そうしたら、また新しい木が生えて、実を付けて…そういう自然の営みを実感すれば、死も恐れるものじゃなく、受け入れられるようになるんじゃないかと思って」
 「…わ…わたし…」
 フレアは手をぎゅっと握って俯いた。
 血が怖い、他者が苦しむのが怖い、というのは、やっぱりなかなか慣れそうにはないし、クラウドが言うように受け入れなくてはならないものだとは思えなかったが、今は何より一人でここに置いて行かれることが怖かった。
 「…行く…」
 小さく呟いたフレアを安心させるように、クラウドはその細い肩を叩いた。
 「大丈夫、うちにはターベルもクゥもいるしな。俺一人の家に誘うわけにはいかないが、妹たちが一緒だから、安心していいぞ」
 非難のようながっかりしたような低いどよめきが満ちたが、クラウドはやっぱり怪訝そうに首を傾げただけだった。
 「お兄さんからの連絡が取れるよう、ここに伝言を残しておこうな」
 やっぱりあくまで守るべき妹のようなもの、に対応していたクラウドは、近づいてきた圧迫感に眉を寄せて顔を上げた。
 寄ってきたのは、リヒャルト。
 一見、普通の表情だし、殺気などとは無縁なのだが…妙に緊迫感があった。
 怯えて隠れるフレアを背に、クラウドはリヒャルトを見つめた。
 リヒャルトは、クラウドの真正面、1mの距離に直立不動で止まった。
 クラウドの顔と、少し離れたところから様子を窺っているターベルの顔を見比べ、リヒャルトは口を開いた。
 「自分は、国に帰る予定であります」
 「あ…あぁ、そうだろうな。うん、またいつか…」
 たったそれだけのことに、何でそんな気合いが入っているのか分からないまま。クラウドは挨拶しかけたが、リヒャルトがいきなり腰を90度に曲げたのでぎょっとして言葉が止まった。
 「兄君には、ターベル殿を、自分の妻として共に連れ帰る許可を頂きたく…」
 クラウドが、無言のまま仰け反った。
 もちろん、部屋中のメンバーの目は集中し、言葉も出さずに固唾を飲んで見守っている。
 「…ち、ちょっと、待ってくれ、それはターベルの意志を、まず聞くべきじゃないのか」
 「そうでありますか?婚姻の申し込みは、まず家長に許しを得るものだと思っておりましたが…」
 ちょっと困ったように言って、リヒャルトは顔を上げ、すたすたとクラウドの前から離れ、ターベルの前に向かう。
 ターベルは胸のところで拳を握り、何だか泣きそうな顔をしていたが、目は逸らさなかった。
 「ターベル殿」
 リヒャルトは、胸から赤い天鵞絨張りの箱を取り出した。
 「これは、自力で…と申しましても、ターベル殿に教えて頂きながらのものですが、自分で採掘したものであります。受け取って頂けませんでしょうか」
 ぱかりと開けた箱に煌めくのはトリトスの指輪だ。
 「…あ〜、何で今になって採掘なんてスキル取るのかと思ったら…」
 「てっきり、暇だから採掘に励んでるのかと持ったら…やるわね、リヒャルト」
 ごそごそと言い交わしつつ、もっと近くで見ようとじりじりと匍匐前進しているルークとグレーテルを、アクシオンは呆れたように見送った。
 ターベルは、その指輪を見つめて、自分の手をさっと背後に隠した。
 俯いて、震える声で呟く。
 「わ…私……私……」
 細い手が上がり、右目を覆う黒い布を外す。
 傷跡を露にして、顔を上げる。
 「私…こんな、顔…だから…」
 「初めて、拝見させて頂けましたな」
 むしろリヒャルトは嬉しそうに言って、一歩前に出た。
 ターベルの手を取り正面からその顔を見つめる。
 「他には、何か…いえ、まず、お伺いするべきでしたな。ターベル殿は、このリヒャルトがお嫌いでしょうか」
 「わ…私、私…嫌い…とかじゃなく…ただ、私は、相応しくないと…」
 「…レンジャーでなくては、貴方の夫には相応しくない、と仰る?」
 眉を寄せて問うリヒャルトに、ターベルはふるふると頭を振った。
 「だって…私、山育ちで、全然お上品じゃないし…こんな…顔だし…貴方は、聖騎士さまの家系だって聞いたし…私なんかじゃ…」
 リヒャルトは眉間に皺を寄せたまま聞いていたが、ようやく理解したのか、晴れやかな顔になった。
 「いえ、ターベル殿以上に、我が家に相応しい女性はなかなか見付からぬと思っております。自分の家は確かに騎士の一族でありまして、妻となる女性は、騎乗したまま弓で的を射ることが出来る、というのを条件とされておりましてな。なに、ターベル殿でありましたら、すぐに一族に認められますとも」
 ターベルは、何度か片目で瞬いた。
 匍匐前進でクラウドの近くまで来ていたルークは、うんうんと感心したように頷きながら、メモ帳にペンを走らせている。
 「なるほど〜。さすがはセントレル家。確かに弓騎士隊を率いていたわな」
 「すっごい条件ね〜。騎士様とはいえ、貴族なんだからもっとドレスひらひらかと思ったら、案外苦労すんのね」
 足下は気にせず、リヒャルトはどんと胸を叩いた。
 「なに、馬ならば自分が教えますゆえ、ターベル殿であればすぐに乗りこなせるようになります。そうですな、自分が家を出てくる年に生まれた栃栗毛の牝馬がそろそろ人を乗せる頃合いでしょうから、その子あたりを…」
 そこで、リヒャルトは困ったように頭を掻いて見せた。
 「実は、自分の兄が、周囲の大反対を押し切り、馬にも乗れぬ、弓も射れぬか弱い女性を妻にいたしまして…親族のきつい当たりを目にしておりましたので、自分の妻には絶対弓の名手を、と心に誓っておりました。…あ、もちろん、ターベル殿の弓の腕だけで結婚を申し込んでおりますのでは無いのですが!」
 「…でも…この顔じゃ…」
 「一族の中でも最もきついお方が、自分の大叔母にあたる方なのでありますが…それはもう美人であられた方なのですが、40代の頃に落馬して馬に蹴られましてな。顎が砕けてしまい、今でも口から下はいつもベールで隠しておられます。きっと、大叔母がターベル殿の味方となって下さると思います。もちろん、自分はターベル殿のお顔は美しいと思うておりますゆえ、何ら問題ありません」
 そうして、リヒャルトはすいと膝を折り、ターベルの手を恭しく掲げた。
 「自分は、パラディンではなく、ソードマンの道を選んだ男です。此度も、仲間を思うように守れず、歯がゆい思いも致しておりますが…それでも、自分の妻と思い定めた一人の女性くらいは、守ることが出来るのではないかと自惚れております。…このリヒャルトに、貴方を一生守る、という栄誉を与えては頂けませんでしょうか?」
 それは一幅の絵画のような光景であった。
 まあ、足下では吟遊詩人が夢中でメモっているし、周囲は貴族の館ではなくギルドの古ぼけた室内ではあったが。
 「…は〜…あたし、リヒャルトが初めて格好良いって思っちゃったわ」
 「格好良いのにゃあ〜…ボクもいつか言ってみたいのにゃ〜」
 「…いや、お前は言われる方だろ…」
 お子さま組はもちろん、グレーテルは特等席できらきらした目で手を組んでいるし。
 ま、これは勝負付いたな、とアクシオンは早々に興味を失った。が、一応空気を読んで、自分の仕事を始めたりはせず、成り行きを見守った。
 ターベルは涙を浮かべた目で、自分の手を取っているリヒャルトを見つめた。
 「…はい…」
 小さく呟いたターベルの手の甲にリヒャルトは唇を落とした。
 そして、三色に煌めく指輪を、その薬指につける。
 クラウドが、何となく詰めていた息を吐いた。
 それが合図だったかのように、周囲もメンバーも一斉に動き始める。
 「おめでとー!」
 「…あ〜…ま、しょうがねぇよな、いつかは嫁に行くんだし。兄貴も溜息ついてんじゃねぇよ」
 「いや…まぁそうなんだが…ターベルを、よろしく頼む」
 「はっ!このリヒャルト、全身全霊を以て…」
 「よーし、祝い酒だ〜!」

 最後の最後にようやくくっついた遅い歩みのカップルの成立に、ギルド中でどんちゃん騒ぎをしたのだった。



 世界樹の迷宮の全ての魔物とアイテムをリストにして提出し、心おきなくエトリアを後にした。
 リヒャルトはターベルと実家へ。
 カーニャはエトリアに残り、ダークハンター養成所で講師をする。
 グレーテルもエトリアに残って、何かやることがあるらしい。
 ミケーロは執政院で頑張っているし、シエルは冒険者を続けている。3色ガードを持っているので、竜に挑む冒険者たちから引っ張りだこらしい。
 クラウド、クゥ、ショークス、ネルス、それにフレアは山へと帰るらしい。ショークスとネルスは別に小屋を建てるつもりらしいし、ターベルもいないので、微妙な関係になりそうだ。
 そうして、ルークはアクシオンと共に実家に向かっている。

 こうして、丘の上からエトリアを見下ろしても、自分がそこで大きなことを成し遂げたんだという実感はない。
 むしろ、何だかわぁわぁと騒いだことばかりが思い出されて、まるで楽しかったキャンプを後にするような寂しさが残っているような気がする。
 相変わらず大きくそびえ立つ世界樹を見つめても、それを制覇したという誇りよりも、ずっとずっと長く生きてきた何かを壊してしまった、という忸怩たる想いの方が強い。
 ルークは、ゆっくりとオカリナを取り出して、口に当てた。
 今なら、吹けるような気がする。
 目を閉じ、風に乗せて旋律が流れゆくままにして。
 
 旋律に、歌が重なった。

 意味も分からない、異国の言葉が哀切な響きで流れていって。

 ルークは、目を閉じたまま、そっと思った。
 (なんだ、そこにいたのか)

 オカリナを口から離しても、ルークは声を出しては聞かなかった。
 お前が歌っていたのか、とも、何故その歌を知っているのか、とも。
 ただ、手を出した。
 「行こうか、アクシー」
 「はい」

 そうして、手を重ね合わせて、二人は歩いていったのだった。



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