最終決戦
もちろん清く正しい一夜を過ごした二人は、いつも通り糸目に呆れられながら送り出され、ギルドへと向かった。
最終確認をして、軽めの朝食をとる。
「んじゃ、行くか。留守はよろしく」
あっさりと手を振って居残り組に別れを告げる。
いつも通り荷物の空きを確認して、糸を確認して、各種薬剤を確認する。
どの顔も、全く気負った様子は無い。
本当に、いつも通りの朝だった。
ま、こんなもんかな、と思う。どうあっても、自分たちは自分たちに出せる最高の力を振り絞るだけだ。
磁軸から移動小部屋に向かい、一気に25階に降りる。
そして広げておいた通路を通れば、すぐにヴィズルがいた扉に着く。
「さて、と。準備はいいか?」
「準備運動も少々しましたしな」
「元気いっぱいよ。さっさとやっちゃいたいな」
「あのおっさんが何を隠してるのか、やっと分かるのね〜」
「…準備は…良いんですが」
最後に言ったアクシオンの口調が、やけに歯切れが悪かったので首を傾げる。今更、躊躇うことは無いと思っていたのだが。
「その…この扉、どうやって開けてましたっけ?」
「…へ?」
目の前にあるのは、あの移動小部屋と同じくつるつるとした表面の扉だ。中央に縦に筋が入っている。
昨日の記憶を蘇らせてみると、やはりこの縦線が両開きに開いていた…とは思うが…。
アクシオンは壁を撫でながら、ひきつった笑いを見せた。
「…ボタンらしきものが、無いんですよね…」
移動小部屋にあったような壁の△▽は無い。
何かパネルのようなものはあるが、書かれた文字は理解できない。
「…お?」
「ええええええ!?」
5人が勢い良く壁に張り付いた。
「ちょっとちょっと!これだけ盛り上げておいて、今更入れませんでした〜は無いでしょ!」
「い、いや、どこか別の場所にスイッチあるんじゃ…でもここ以外にもう行ってない場所無いしな…」
「このパネル、ボタンじゃないの?適当に押してみちゃえ、えい」
「わー!…って何も起こりませんな…」
「組み合わせ?組み合わせなのか?…えーと、1、2、3…10個のボタンの組み合わせ?それも何個押せば良いのか分からないのに?…うっわ〜!絶対無理だ〜!!」
まさか、こんな罠が仕掛けてあったとは。
ここの秘密がどうこう言う以前に、入ることが出来ないじゃないか。
というか、ヴィズルが入ったのを見なければ、諦めてたかもしれない。
いや、正攻法じゃなく、斧とか大工さん部隊を呼んで、物理的に扉を破壊する、という手段を取ったかも知れないが。
「…えーと…壊す?」
「一番破壊力があるのは大爆炎とチェイスファイアですが…構造物を破壊するのに向いているか、というと、むしろ斧とか重量のあるもので打撃した方が」
採掘部隊に壁を削って貰う方が良いのか?
さて、どうするか、と腕を組んだところで、何か胸ポケットに硬いものが入っているのに気づいた。
何だっけ、と思ってから、そういえば、とそれを取り出す。
「そういや、ツスクルが最下層で使えってくれたんだよな」
「そういうものがあるなら、早く出しなさいよ!…で、どうやって使うの?」
「それが分かりゃ苦労しませんて」
薄っぺらいカードをひっくり返して何度も見るが、ルークには理解できない小さな文字が書いてあるばかりでさっぱり分からない。
「えーと、この縦線に突っ込んでテコの原理で開く…」
「ぺきり。…で終わりでしょうね」
「だよな」
カードを曲げてみると少しはしなるが基本的には硬い。が、どこまで硬いかを試してみるのは怖い。
「うーん…」
壁のパネルを仔細に眺める。
やっぱりこのボタンをどうにかするしかないのか?とカードに書かれた文字と同じ模様は無いか、と見比べていると、横から見ていたグレーテルが指先でパネルの横をなぞった。パネルは平らではなく、5cmほど飛び出しているのだ。
「…この隙間、そのカードにちょうど良いんじゃない?」
「へ?」
顔を上げたルークに指で示す。
ルークも指で触ってみて、確かにそこに隙間がある、と理解した。
「んー…どうなんだろな」
白いカードを正面から突っ込んでみる。
何も起きないが、何となく、何かが詰まっているような感じはした。
「埃でも溜まってんのかな〜」
カードをごそごそ動かしてみると、端から黒っぽい粉が飛び散ったので、アクシオンがイヤそうな顔で一歩下がった。
何となく詰まってるとなると綺麗に掃除したくなる性分のルークは、カードでごそごそと左右に中を削っていった。
もう黒い粉は出てこないな、というところで、最後にカードを横にして、しゅっと滑らせた。
「よし、綺麗になっ……」
ごごご、と音を立てて、扉が開いた。
「…あ?」
カードを手にしたまま、呆然と見守っていると、また扉がごごごと閉まった。
「…今…開いたよな?」
「うん、開いた。中は良く見えなかったけど…」
皆の視線がカードに集まった。
「も、もう一回、やってみるぞ?」
カードをさっきと同じように滑らせてみる。
しゅっ ごごご ごごご
「カードで開くが…すぐ閉まるな」
「分断させる罠ですかね」
「何とか開けたままに出来ないの?」
カードを途中で止めてみたが、それだとそもそも開きもしなかった。
ということは、開けた扉をどうにかして止めればいいのだが。
「…結局、レンジャー組の助けを借りるしか無いかな」
悲壮な決意で本パーティーの帰りを待ってきた居残り組は、その本パーティーがやけに早く帰ってきたので非常に驚いた。
「何かあったのか?」
「や、それがさぁ」
かくかくしかじか、と説明し、何とか扉を開けるための枠組み作成を依頼する。
クラウドはしばし首を捻っていたが、やがて、うん、と頷いた。
「つまり、縦方向に強い材木で扉を支えれば良いんだな?」
「たぶん。人間挟んで切断するような扉じゃないとは思うんだが、それなりに強度はあった方がいいだろうな」
「OK、ちょっと伐採に行って来る。クゥ」
「はぁい!わぁい、お手伝いできるんだ、嬉しいな」
最終決戦に赴く本パーティーを見送るしかなかったのに、どうやら手伝うことが出来る、と知ってクゥは飛び跳ねるように立ち上がった。
伐採の技能の無いターベルも、決意を秘めた目で立ち上がった。
「…私も…私も、行く。…運ぶくらい…出来るから」
それは小さな声だったが、はっきりとしていた。
あれ以来、初めて兄妹以外に声を出したターベルに、クラウドは目を見開いたが、すぐにくしゃりと笑った。
「あぁ、みんなで行こう。…護衛も連れて、な」
「そう来ると思ったぜ」
ぶつぶつ言いながらショークスが合流する。もちろん、ネルスもその背後にいる。
「…枠組みだけ貰ったら、俺らで行こうと思ってたんだけど」
「いや、現地で組み立てた方が良いだろう?で、大工仕事をしたことのない人間がそんな大事な作業をするより、慣れた人間がやる方が良いさ」
確かに移動小部屋に枠組みが入るかどうかは分からなかったが、レンジャー組を25階なんぞに連れていくのも気が引ける。
「ま、敵が出りゃ俺とネルスで何とかなるだろ」
ショークスはけろりと言ったが、実際は一撃でやれるほどの実力は無い。先制取って2回ペイントレードしてようやく全滅、というレベルだ。
ルークは眉を寄せてしばらく考えたが、そんなに離れて移動するつもりもなし、おそらく危険なのは移動小部屋を別々に使うくらいの時だろう、と踏んだ。
「分かった。頼む」
「よし、そうこなくちゃな。なぁに、<ナイトメア>と一蓮托生、その覚悟は最初から出来てるさ」
武具の他に大工道具を一揃い用意したクラウドが、とりあえずは18階の大木を伐採に行くと言うので、本パーティーは20階の磁軸で待った。
2時間ほどで戻ってきた5人は材木の束をそれぞれ担いでいた。
「俺らも持とうか?」
「いや、そっちは武器を持つ手を塞がないでくれ」
というクラウドの言葉に甘えて、運んで貰うことにした。
幸い、移動小部屋までの道ではモグラが2匹出ただけであったし、25階でもアーマービーストが転がってきただけだったのでグレーテルの術で片が付いた。
「さて、と。ちょっと扉開いてみてくれるか?」
「OK。しゅっ、とな」
ごごご、と音を立てて開いた扉にクラウドは眉を顰めた。
「何となく、ロウでも塗りたくなるような音だな。…ま、木じゃなさそうだが」
一応扉正面は避けて、移動小部屋との道を確保しつつ材木を並べる。
規則正しく釘を打ち込む音を聞きながら、ルークたちはまったりそれを待っていた。
「いやー、まさか、決戦前にこんなことになるとはな〜」
「中でじっと待ってるんですかねぇ、ヴィズルは」
「…お気の毒に」
そうして出来上がった枠組みをレンジャー兄妹が持ち上げて扉の前にセットした。
「じゃ、扉開くぞ〜」
しゅっとカードを滑らせると、いつも通り扉がごごごと開いた。
その瞬間、クラウドが枠中央を蹴り込む。
「よし、離れろ、クゥ、ターベル」
両脇にいた妹たちが離れ、扉がごごごと戻ってくる。
だが、がしっと枠組みに引っかかり、それ以上はしまらない。
少しばかりぎしぎしという枠を心配そうに見つめていたクラウドが、ようやく手を離してルークたちのところに戻ってきた。
「もっと頑丈にしようと思えば、更に漆喰で固めるという手もあるが…時間がかかるな」
「とりあえず、これで十分だろ。…たぶん、だけど」
もしも中から大爆炎なんぞかまされたら、枠組みごと吹っ飛ばされる可能性もあるが、扉が吹っ飛ぶような時点でルークたちはもっと拙いことになっているはずだ。
「最後までありがとな。じゃ、糸で帰って…」
右手を差し出したルークに、クラウドは首を振った。
「いや…残るよ。こうなったら、最後まで見届けたい」
「あたしも残るー」
「…私も」
「てぇこたぁ、自動的に護衛も残るわけだ」
あっさり言ってショークスはひらひらとルークに手を振った。
「ま、こっちのこたぁ気にしなくていいぜ。ネルスは俺の可愛い妹たちを守る気満々だからよ」
「何が起こるか分からないんだがな〜」
まさか己もろとも大爆発!なんてこてとはしないとは思うが、その場合はレンジャー組まで全滅だ。
もっとも、ヴィズルがそこまでの覚悟をしていたら、ルークたちが死んだ時点で<ナイトメア>のその他のメンバーも狙われると見ていいが。
「…危なかったら、ちゃんと退いてくれよな」
「分かってるよ」
ギルド開設当時から、ずっと付き合ってくれていた採集組の顔を見回す。
もっとも、ターベルはリヒャルトと見つめ合っていたので、ルークとは視線が合わなかったが。
「じゃ、行って来る」
彼らには、すぐに移動小部屋へと逃げられる位置にいて貰い、本パーティーは開いたままの扉に向かった。
グレーテルがくすくすと笑いながらリヒャルトの肩を小突く。
「なかなかいい雰囲気じゃなぁい?」
「いや、その……そうですな。…実に…良いものです。背後に、守るべき者がいる、というのは」
「…ちょっと違う、もう一声」
自分の手をじっと見つめているリヒャルトは、グレーテルの呆れたような声には答えなかった。
ごっごっごっごっと規則的に鳴っている扉をくぐり、中へと踏み込んだ。
薄暗い室内に、人影は見あたらなかった。
ただ、巨大な柱が目の前にあった。
「…かつて…文明の発達のせいで、この星は滅びかけた。大地も水も空気も汚れ、生きてはいけぬ世界になった。だが、その大地を何とか再生させようと努力した科学者もいた。…そして、この世界樹を生み出した科学者は、己の研究の成果を見届けるため、世界樹そのものとなった。…それが、私、だ」
淡々とした声の源を探す。
首を60度ほど上向けた位置に、それはいた。
柱では無かった。
巨大な巨大な樹木。
そのうねる幹の中に、ヴィズルはいた。
「…世界樹の秘密は、守らねばならない。お前たちには、ここで死んで貰う。そして、世界樹の養分となるのだ」
「や、それは勘弁」
ヴィズルの言葉を全て理解できたとは言わない。むしろ、後で考えようと思うくらい訳が分からないと言ってもいい。
だが、樹木の養分になれ、と言われれば、拒否するのが当たり前だ。
「相手樹木ってこたぁ」
「大爆炎」「チェイスファイア」
「俺はもちろん医術防御」
「あたしとりあえずドレインしとく」
「俺は猛き戦いの舞曲だな」
さくっといつも通りの戦闘準備に入る。
無事医術防御もかかり、こちらの攻撃もそれなりに通っている。
まあ、時間はかかるが何とかなるだろう…と思っていたら。
大樹が光った。
ただの光のくせに質量を伴った何かがその場を駆け抜ける。
「…!医術防御が除去されてます!」
猛き戦いの舞曲の旋律も消えている。
耳の奥が、ちりりと痛んだ。
アクシオンが医術防御を再度かけようとしているのを見ながら、同時に、大樹が大きくうねったのを見た。
引き延ばされたような時間の中、辛うじて指先が糸留めを外した。
ゆっくりと目を瞬かせると、アクシオンの顔が映った。
「…おはよ……じゃないな」
一瞬、戦ったのも死んだのも夢かと思ったが、そうではないとすぐに思い出した。
抱きかかえていたアクシオンがあっさりとルークから手を離し、カーニャに向かったので、ルークはきょろきょろしてからぐったりしているリヒャルトに声をかけた。
「どうなった?」
「烈風が駆け抜けまして…生き残ったのは自分だけです。何とか糸の発動が間に合って、死体ではありますがここまで戻ってこられましたが」
移動小部屋前にバード専用糸を設置していたのだ。まさか活用する羽目になるとは思っていなかった。
「やっばいなぁ。医術防御にかなり頼ってるからなぁ、俺ら」
その頼みの綱を消されて、その次の瞬間に攻撃を受けたのでは、もろにダメージを受けることになる。それに耐えられる生命力があるのはリヒャルトだけだ。
「…今更ですが、もう少しレベルアップする、という選択、HP増強のアクセサリーを使用、などという
選択もありますが…」
後の二人も蘇生させたアクシオンがエリアキュアをかけた。
「たぶん、グレーテルさんを除けば、後30〜50くらいHPがあれば生き残れるとは思うんですよ。…ただ、そのぼろぼろのHPで何が出来る、という話もあるんですが」
「アクシーは医術防御して、俺がソーマ振りまいて…何かじり貧っぽいイメージが…」
うーん、と唸っていると、低く落ち着いた響きの声がした。
「…ここに、味方の行動を素早くさせるアイテムがあるのだが」
そんなアクセサリーあったっけ?とネルスを振り向くと、ショークスが殴っているところだった。
「誰がアイテムだよ、誰が!」
「…あ、なるほど」
自分が見たことがないので思いつかなかったが、ショークスにはアザーズステップというスキルがある。
それでうまくいけば、相手の攻撃前にまた医術防御が張れて、ダメージが少なく済むはずだ。
もちろん、こっちが先に発動すれば、だが。
ショークスは、ふんっと鼻を鳴らして、自分の肩を抱くネルスの手を摘み上げた。
「俺ぁ、死ぬ時はネルスと一緒って決めてんだがよ。…でもまぁ、行ってやってもいいぜ」
「…HP1の奴連れてく度胸は俺には無いから、連れてくんならショークス一人になるけど」
どうやら念だけでネルスが何か言ったらしく、ショークスはネルスの胸を拳で叩いた。
「あほぅ。んなこたぁ分かってるよ。…いや、こっちの話。とにかく、俺だけで良いけどよ。誰が替わるんだ?」
ルークたちは目を見合わせた。
「グレーテルさんでしょうね」
「悪いけど、姐さんだな」
「…だって、相手樹木だから大爆炎が効くのに〜」
「HPがさ…俺らの2/3くらいしか無いし…」
「あぁもう、分かってるわよ!」
金色の三つ編みを振り回して、グレーテルは苛立たしそうに床を蹴った。
「どうせなら、最後まで付き合いたかったけど!…でも、あたしの生命力が足を引っ張ってるのは分かってるわよ!大人しく待ってる…って言うか、レンジャー組を守ってるわ!あぁもう、後でちゃんと酒、奢りなさいよね!」
「ん、思う存分」
拳をがっしりと突き合わせて…よく考えると相手は女性なのだから失礼だったようにも思うが…挨拶とし、いつもグレーテルがいる場所にショークスを加えた。
「解放…してあげないといけませんものね。人間の精神は、数千年生きるのには耐えられません」
アクシオンが呟いた。
あぁ、そうなのか、と思う。
ひょっとしたら、相手は正しいことをやっていて、こっちが世界の浄化を邪魔するバグなのかもしれない、なんて思いもしたけれど。
想像も出来ないような長い間、世界を見つめ続けてきた存在で、自分ではその役目を放棄出来ないというのなら、楽にしてあげるのも親切ってものかもしれない。
人は神にはなれないのだから。
「や、お待たせしました」
どうやら相手は大木の中に閉じこめられている状態なので、追撃されないのはラッキーだった。まあ、本人曰く世界樹本体らしいので、取り外しは可能なのだろうが…そう簡単に出来るものでもないのだろう。
さっそく幹を光らせ始めたヴィズルに、ルークは戦闘開始を宣言した。
何度か、医術防御や猛戦歌が消されたが、そのたびにショークスのアザーズステップによって医術防御が張り直された。
回復やバリアーはルークの沈静の奇想曲によって打ち消される。
「うーん、これだけオカリナばっかなら、アーチドロワーはショークスに渡しとけば良かったかな〜」
「おうよ、俺も射てみたかったぜ!…ま、ダブルショットレベル5しかねぇけどよ」
軽口を叩く程度には余裕が出来、ハヤブサ駆けとドレインバイト、時々ヘヴィストライクがダメージを積み重ねていき。
ばきり
幹にヒビが入った。
「…世界の…浄化……見届け……」
ぴしぴしと音を立て、大樹がひび割れていく。
中央に収まっているヴィズルの上半身も、急速に色を失い、かさつき、ひび割れていった。
そうして。
完全に、動きが止まった。
僅かに緑を帯びていた樹肌が粉を吹いたように乾いていく。
「…世界の再生…ね」
理解は出来なかったが、それでも砂漠に植えられた大樹がオアシスになるようなものだろうか、という想像は出来た。それを枯らしてしまったら、その恩恵は受けられなくなる、ということも。
「解放、おめでとう。次の生が安らかならんことを」
アクシオンが世界樹に触れながら言った。
皮肉ではない、心から言祝いているような温かな響きだった。
だが、その表情が急に厳しくなる。
「…内部も、どんどんひび割れている気配があります。ひょっとしたら、危険かもしれません。世界樹がもし朽ちるのなら…この迷宮ごと崩れる可能性が」
「分かった、帰ろう」
手のひらを通じて内部の様子が分かったらしいアクシオンの言葉に、ルークは迷わずその場から離れることを決断した。
出来ればヴィズルを回収したかったが…その時間があるかどうか分からない。
5人揃って走って出ていって、待っていたレンジャー組と勝利を喜び合う間もなく、可及的速やかに地上への撤退を指示した。
ばらばらに解散していくバードたちを見送って、金髪バードはじろりとルークを睨んだ。
「…で?どこまで本当なの?」
「人聞き悪いなぁ。かなり本当だって」
にやにやと答えるルークに、金髪バードは眉を寄せた。
地上に戻ったルークは、居残り組への説明はアクシオンに任せて、自分は執政院に報告に行った。
オレルスを呼び出し、また奥の部屋で密会する。
「…てことで、ヴィズル死亡、何かよく分からないけど世界樹も死亡…ってことなんだけど」
オレルスは頭を抱えた。
報告しているルークだって、どんな裏があったのかがいまいち分からないのだ。聞いてるオレルスだって、世界の浄化がどうこう言われても完全な理解は無理だろう。
下を向いたまま、振り絞るように呟く。
「…つまり…長は、長なりにこの世界のことを案じていて…そのために君たちを殺そうとしていた、ということかね?」
「ま、そうなるけど。でも、だとしたら、そもそも迷宮を封じて冒険者立入禁止にすればいいんだけどな」
「だが、それでは、エトリアは小さな街に過ぎず、この発展は無かった。…つまり、エトリアは発展させたい、だが、迷宮の謎は解かれたくない…か。…いったい、長は何を考えておられたのか…」
どんよりと顔を曇らせて呟くオレルスに、ルークは軽く肩をすくめた。
「何か何千年も生きてたみたいだからさ、老人ボケじゃないの?自分では正しいことやってるって妄想してたり」
考え続けてもいいが、相手は文明が違うのだから、こちらの常識では計り知れない考え方をしていたのかもしれない。どのみちヴィズルはもう存在しないのだから、正解を聞くことも出来ないし。
「それより、これからどうするか、なんだよな」
今のところ、迷宮は崩れてはいない。あれだけの巨木となると、幹の一部が崩れたくらいでは即死しないらしい。いずれ再生されるか周囲の幹が覆うかするのだろう。
だが、ヴィズルは再生されないような気がする。死亡扱いで良いとは思うが…問題は、その死に方だ。
あの死体は未だに最下層にあり、そこに行きさえすれば誰でも見られる位置にある。
長が人間離れしていて、世界樹そのものだった、なんてのは、一般市民に受け入れられるものではないだろう。
「一応さ、こんなストーリー組み立ててみたんだけど。
俺たちは、最下層に辿り着いた。そこには大樹がそびえ立っていて、まるで生きているかのようにこちらを襲ってきた。戦った俺たちは、その中心に長がいるのに気づいた。まだ辛うじて生きていた長は、俺たちにこう言った。
「迷宮の果てを見たいと一人でやってきたはいいが、この大樹に取り込まれてしまった。どうやら生命力を吸い取られていっているようだ。私のことは気にせず、攻撃を続けよ」
悩んだが、俺たちは大樹を倒せば長を助けられるのではないかと思い、攻撃を続け、何とか大樹を倒した。
だが、時すでに遅く、大樹と共に、生命力を吸い取られた長も、枯れていってしまったのだった…」
ルークはちらりとオレルスを見上げて、にやりと笑った。
「ご希望なら、『長は最後に「後のことはオレルスに頼む」と言った』も追加するけど」
「いや、だから、それは止めてくれ、と」
裏手で突っ込んでおいてから、オレルスはそのストーリーを吟味しているようだった。
何度か机をとんとんと指先で叩き、眼鏡を外して目の内側を揉んだ。
「…無難な線だな。私のことはともかく。…しかし」
ルークは歌うように金髪バードに告げた。
「俺たちが、長入りの大樹と戦ったのは本当、倒した結果、長が死んだのも本当。な?かなり本当のことだろう?」
金髪バードはまだ顰め面のまま、足を組んでキタラをぽろぽろと鳴らした。ばらばらだったものが、旋律になっていく過程を、目を細めて聞き入っていたルークには視線を向けないまま、溜息のように言う。
「どうせなら、長は既に死んでいたことにすればいいのに」
「しかし…長は死んでいたことにしないでいいのかね?それでは、事情はどうあれ、君たちが長を<殺した>ことになってしまう」
オレルスと同じことを言う、とルークは少し笑った。
改めて、自分の周りには、優しい人が多いなぁ、としみじみ思う。
「良いんだよ。俺たちが、長を殺したのは確かなんだから」
あれは敵であったし、もう人では無かったし、殺されそうになったんだし…言い訳ならいくらでも出来るが、それでも。
「俺は、ちゃんと分かっていて、決断したんだ。俺は俺の意志で、ヴィズルごと殺すと分かっていて、攻撃を命じたんだ。たとえ、責められようが…責任は持たないとな」
笑って告げたルークに、金髪バードは一段と大きな息を吐いて、キタラを弾く手を止めた。
「ほんっっっっっと!君って、腹立つくらい馬鹿だよね」
吐き捨てるように言うのに、苦笑いした。
「良いんだよ、他の面々は、俺の決断に従ったってことで罪は軽いし。…で、俺の罪については、アクシーも一緒に背負ってくれるから、問題無し」
「あぁ、はいはい、ごちそうさま」
投げやりに言って、金髪バードは立ち上がった。
そして、ルークの襟を掴んで引き寄せ、耳元で囁いた。
「…むかつくギルドに属する誰かさんが正面切ってババ様に喧嘩売ったせいで、カースメーカーの一族が揺れてるんだ。僕らも最悪の場合、エトリアから離れるよ」
「急にいなくなっても心配するなってこと?」
「フレアを連れていくかも知れないしね」
「お前もだよ」
「吟遊詩人が、いつどこに行こうと自由じゃないか」
ふん、と鼻を鳴らして金髪バードは手を離した。
たぶん、彼は相棒と共にエトリアから離れるだろう。そして、新しい土地で歌うのだ。
そこではさぞかし美化された<ナイトメア>像が出来上がることだろう。ひょっとしたら、ルークが涙ながらにヴィズルを倒したことになっているかもしれない。
口ではまるでルークを嫌っているかの如く不満ばかり言っているが、彼の歌は随分と<ナイトメア>に好意的だから。
そして彼の歌が浸透した土地では、ルークはお人好しな正義漢だと記憶されるだろう。たとえ余所の土地から悪意ある評判が流れていったとしても、最初に植え付けられた印象はなかなか覆らない。
情報操作はバードならばお手の物。
彼ならきっと…有名になればなるほど付いてくる悪意や中傷を、なるべく打ち消してくれるだろう。
酒場を出て広場を歩く。冒険者たちが行き交ういつもと変わらない光景だ。まだルークたちが世界樹の迷宮を踏破してしまったことは、さほど知られていないらしい。
もしも皆が知ったらどうなるのだろう。
確実に何割かは興味を失って去って行くに違いない。そうしたら、この賑わいは、ずっと寂しいものになるだろう。
分かってはいたが…ヴィズルのみならず、このエトリアの街そのものにトドメを刺したのも<ナイトメア>だ、ということになるのだろうか。
祭りの後の寂寞を抱えながらギルドに帰っていくと、アクシオンが嬉しそうに飛びついてきた。
こういうあからさまな感情表現は珍しいなぁ、と抱き留めつつも疑念を持っていると、アクシオンが喜色満面で説明した。
「念のため、ヴィズルの死体を確認に行ったんです」
「あらま。それで?」
「そうしたら…」
くすくすとアクシオンがあでやかな花のように笑った。余程おかしなものを目撃したのだろうか。長の頭から花が咲いていたとか何とか。
「下に通じる穴があったんですよ、裏側に」
「…はい?」
「あの大樹の裏に、ね、穴があって、下があって、磁軸があって。…終わりじゃ無かったんですよ。まだ迷宮には続きがあったんです」
ひょっとしたらヴィズルですら知らなかったのかもしれない。世界樹の迷宮には、まだ深層があるなんて。
「…終わり、じゃなかったのか…」
「えぇ、まだ終わりじゃないんです」
まだ終わりじゃない。
迷宮には、まだ謎が残っている。
「いやっほおぉう!」
思い切り抱き締めて振り回すと、宙に浮いた足をじたばたさせながらもアクシオンも笑っていた。
見ていたグレーテルが呆れたように言う。
「そんな楽しそうなところじゃ無かったわよ?何かの生物の内臓の中にいるみたいで不気味だったしさ〜」
「敵も強かったですな。まだまだ研鑽が必要であります」
リヒャルトも、うんうんと頷いている。
「とにかく、執政院に報告してくる!で、もう一回、バード同盟収集だ!」