決戦前夜

 


 マッピングをしていって、ここがどうやら本当に最下層なんだな、と確信した。
 窓ガラスは全て入っているし、今までとは違ってやたらと広い。
 外周全てを回るような廊下を経て、ようやく広いところに出てきた。
 「…何で、花が咲き乱れてるんだろうなぁ」
 「下はいつもと同じく人工の廊下のようですけどね…栄養分をどうやって得ているのか」
 土や水も無く咲いている花畑、というのは、一見幻想的にも見えるが、よくよく考えると酷く恐ろしい光景のような気がした。
 「あれか、冒険者の死体を養分に!」
 「俺たちが一番乗りのはずなんですが」
 「骨も無いしね」
 うだうだ言いつつも、壁に沿って歩いて行く。
 そろそろ疲れてきているが、もうじきマップが埋め終わりそうなのだ。移動小部屋前の廊下に通じそうな道もあるはずだし。
 広間を端から端まで歩いていっていると、その一番奥の中央に、扉があるのが見えた。
 そして、人影も。
 十分距離を取って確認する。
 「…ホントに、ここが最終地点らしいな。長だわ」
 「なぁに?ここがゴールって教えてくれるためにいるの?」
 「そういう平和的なことなら良いんだけどなぁ」
 とりあえず話し合いの邪魔になりそうな鰐を先に全部片づけておいて、じりじりと扉に近づく。
 わざわざこんなところまで来て待ち受けていた執政院の長は、ゆっくりと両腕を広げた。
 「よくぞここまで辿り着いた、<ナイトメア>の諸君」
 「はぁ、どうも。…先に、伝言しておきます。サクヤさんからは『ご無事で』、オレルスからは『サインが必要な書類が溜まってます、早く帰ってきて下さい』、他多数。聞きます?」
 「君たちが、素直に聞き入れてくれたら、帰るとも」
 あっさり言った長は、まっすぐにルークを見つめてきた。
 顔は慈父の笑みを浮かべていたが、目は殺気を帯びるほどに真剣だ。
 「もういいだろう。君たちは良くやった。…それでは、不満かね?」
 「ま、ねー。その扉の奥まで行って、きっちりマッピングしたら終了って言えるかな」
 「この奥へ入ってはならぬ。世界樹の秘密は、秘密のままでなくてはならない」
 表情はそのままなのに、言葉から感情が消えた。
 まるで操り人形が喋るかのように平坦に告げたヴィズルが扉に手を当てた。
 「もしも、お前たちがこの中に入る、と言うなら…その命で贖って貰う。その覚悟があるなら、来るが良い」
 しゅ、と扉が両開きになり、ヴィズルの姿は中へと消えた。
 すぐに同じ音を立てて扉が閉まる。
 ルークはばりばりと灰色の髪を掻き回した。
 「さぁて、どうしたもんかねぇ」
 他の4人はルークの決断を待っているようだった。もちろん、意に添わない結論なら、異は唱えるだろうが。
 「ま、とにかくマッピング済ませて、移動小部屋までの道を広げとくか」
 どうやら気分を盛り上げてくれたようだが、相手のペースに従う理由も無い。こちらのいつものペースでやらせて貰う。
 ざっくざっくと花を踏みしだいて広間を調べ、ちょっと隙間のあった壁に穴を開け、移動小部屋への道を開通させた。
 「さぁて。荷物は?」
 「結構、いっぱい」
 「TPは?」
 「んー、2/3は残ってるけど」
 「ネクタルとかテリアカとか…」
 「いつも通り、1つずつしか持ってきて無いんですよね。ヴィズルの攻撃法が分かりませんが、もう少し持っておいた方が無難でしょうか」
 「…いったん、帰るか」
 扉の向こうから、「おい」と突っ込む声がしたような気もしたが、幻聴ということにしておいた。

 
 地上に戻って、シリカ商店で荷物を軽くし、施薬院で荷物を重くし…とりあえず行くのは明日にしようか、ということになった。
 疲れ果てていることは無いが、いったん地上に帰ると面倒になったのである。
 「各自、宿屋でゆっくり休むこと。明朝6時集合。では、解散」
 たぶん、最終戦前夜ってやつなんだろうけど、何かいまいち盛り上がらないよな、と思いつつ、ルークはアクシオンと一緒に執政院に向かった。
 いつも通り、新しい魔物だのアイテムだのを報告しておいてから。
 「ちょっと、滅んだ文明について、人払いプリーズ」
 声を潜めて眼鏡に囁けば、怪訝そうな顔になりながらも秘書の女の子を部屋の外に出した。
 奥の部屋に案内され、窓もなく本棚で埋め尽くされた中央の机を挟んで椅子を勧められた。
 オレルスは机に手を突き、ルークを見つめた。
 「どうした?一般市民に知られるとまずいことなのかね?」
 「まぁ、おそらく」
 ルークはぽりぽりとこめかみを掻きながらオレルスを見返した。
 いつもよりも少し髪が乱れて服もよれよれしている気がする。おそらく長の不在のせいで仕事が山積みなのだろう。
 そう思えば、さっさとケリを付けるのが親切ってものではあるが。
 「ヴィズル、見つけたんだわ」
 「なにっ!」
 がたんっと椅子をはねのけて立ち上がったオレルスに、口の前に人差し指を一本立ててやる。
 オレルスは何度か瞬いて、それから座り直し、絞り出すように言った。
 「まさか…すでに死体だったのかね?」
 「いや、その方が、なんぼか気が楽なんだけど。…死体にする予定なんだわ、明日」
 「は?」
 もっと上手な言い方はあるだろうが、率直に腹を割って報告することにする。
 レンとツスクルに襲われたこと、最下層の扉の前で長に会ったこと、そして、迷宮の謎を明かすな、明かしたいなら命懸けで来い、と挑発されたこと。
 「…てことでさ、扉を開けたら実力行使で俺ら殺す準備をしてるって感じなんだわ」
 「長が…まさか…いや、この迷宮の謎が解かれたら、確かに冒険者の流入は減り、エトリアの経済も停滞するだろう。それは確かだ。だから、長の考えも理解は出来る」
 呆然としていたオレルスが、すぐに我を取り戻して冷静に分析を開始する。
 「あぁ、君たちにここで止めろとは言わないよ。そもそも、私は迷宮を踏破することを推進していた立場なのだし…しかし」
 額を押さえて、オレルスはとんとんと指で机を叩いた。
 「しかし、長が実力行使…と言っても。ただの行政の長だぞ?そりゃ少々不老不死の噂があったり、不眠不休だと言う噂があったりはするが、基本的に武力は持っていない…と思うのだが」
 「…いや、それ、十分人外じゃん…」
 一応突っ込んでおいてから、ルークも改めてヴィズルの外見を思い浮かべた。
 初老の男、ただ、それだけだ。
 「いや、ほら、強力な魔物を解き放つ、とか、凄いトラップ仕掛けてくる、とか、そういう方向を想像してたんだけど」
 「あぁ、なら、分からなくもないな」
 とんとんと机を叩いていた指を離し、両腕を組んだオレルスは、うーん、と唸った。
 「長が…そこまでして守りたい秘密、とは何なのか…我々も知らない何かを長は知っているというのか…」
 オレルスは情報室長である。
 情報を収集し、分析し、蓄積するのが役目である。
 要するに、オレルスにとっては<情報>そのものが<宝>であった。
 その<宝>が手を伸ばせば届くところにある。その状態で「なら、長の言う通り、探索は止めてくれないか」とは言えなかった。
 「しかし…何故私に報告する?事後共犯にするつもりかね?」
 「事前じゃん。や、それはともかく。一応さぁ、こっちも相手が何であれ、戦って勝つつもりはあるんだけど、万が一、俺らが帰ってこないで長が素知らぬ顔で帰ってきた場合、その後の処置はあんたに考えて貰わないといけないな〜って思って」
 かくして世界樹の秘密は守られた。めでたし、めでたし。
 …と終われば、まあ良いのだが(ナイトメア的には全く良くないが)、もうすでに道は開いてしまっている。磁軸から渡り廊下を通って、あの移動小部屋を利用して25階に降りたらもうすぐに『最後の部屋』へと繋がるのだ。もしもルークたちが死んでも、今後は次から次へと冒険者が向かえる状態になっている。もちろん、実力がある冒険者、という但し書きは付いているが。
 その冒険者たちが全員ヴィズルに倒される、となると、さすがにことが公になるだろうし、抑えきれないだろう。
 長を説得するなり、迷宮を封鎖するなり、手を打って貰わないと困る。いや、死んでるルークたちには関係無いが。
 「そう…か」
 オレルスは眼鏡を押さえて呻いた。
 「君たちか、長か、どちらかを失うことになる…ということか」
 「努力はしますよ?何とか頭が胴体に付いている状態で連れ帰ることが出来れば、そうなるようにしたいとは思っています」
 アクシオンがさらっと言ったが、どうもそれが可能とは思っていない口調だった。
 「あっちも俺らの実力が分かった上で、それでいて葬れる気満々みたいだったからなぁ。絶対隠し玉があるはずなんだ」
 死ぬ気はないが、手心を加える余裕があるかどうかは自信が無い。
 オレルスの言う通り、ヴィズルか<ナイトメア>か、どちらか一方しか生き残らない、という確率の方が高い。
 「君たちには…死んで欲しく無いんだがなぁ…しかし、私としても、長が何を隠しているのか気になるし…ああああああ」
 頭を抱えるオレルスを見て、アクシオンを顔を見合わせちょっと笑う。
 「ま、あんたがどう言おうと、俺らは俺らが知りたいから行くだけだからさ。もし帰ってこなかったら、残りの連中のことはよっろしく〜」
 手をひらひら振って、いつものように軽薄に笑ってやると、乱れた髪のままオレルスは姿勢を正してルークを見つめた。
 「報告を、待っているよ」
 「あいよ」
 長ではなく、<ナイトメア>の帰りを待っている、というオレルスに背を向けて、情報室を辞去した。


 サブパーティー及びレンジャー組にも経過を説明し、もしも帰ってくるのがルークたちでなくヴィズルであった場合、速攻でエトリアから離脱することも考えておくように伝える。
 地上でそうそう仕掛けてこないとは思うが、相手は仮にもエトリアの長だ。妙な嫌疑(ヴィズル暗殺未遂とか何とか)でもかけられて拘束されないとも限らない。
 「後は…酒場か」
 「俺は、一応キタザキ院長の耳に入れておきます」
 「んじゃ、後で宿屋でな」
 「はい」
 口が堅そうで、かつ、信頼の置ける人間には事情を説明しておきたい。ヴィズルが何を考えて、何を守ろうとしているのかは分からないが、散々冒険者を煽っておいて、最後には始末する、というのを続けられては困る。
 もちろん、酒場に入っても、女将には言わないでおく。いくら何でもヴィズルを明日倒しに行きます、とは言えない。
 代わりに、ちょうどいたいつもの金髪バードにさっくり経過を言っておいた。
 相変わらず、ちょっと不満そうに聞いていた金髪バードは、頭を抱えて深く溜息を吐いた。
 「君たちって…ホント、お人好しだよねぇ。もっと、ぱーっと噂を広めてもいいのに」
 「一般市民の動揺を煽る趣味は無いんだな、俺」
 「それと、君、自分たちが負けた後のことばかり心配してるけど、倒した後の方が大変かも知れないよ?どんな理由があるにせよ、エトリアの長を、一介の冒険者が殺したってことになるんだからね」
 「…いや、出来れば、殺さずに済ませたいし」
 「自分でも、出来るとは思ってない癖に」
 はぁ、ともう一度溜息を吐いてから、金髪バードはキタラを手に立ち上がった。
 「明日の夜には決着が付いてるね?…バード同盟、召集しておくよ。どっちに転んでも、必要そうだ」
 「ん、後はよろしく」
 「き・み・が!召集されたバードたちに武勇伝を披露するんだよ!何で僕がそこまで面倒見なきゃならないのさ!」
 がつん、と音がした。金髪バードが机の脚を蹴ったらしい。
 ルーク本人の足を蹴るのは遠慮しているあたり、さすがに理性的だ。
 ぷんぷんと怒ったように肩を揺らしながら酒場を横切っていく金髪バードの背中に、エールのジョッキを持ち上げた。
 「…いつも、ありがと。感謝してます」
 喧噪に紛れて聞こえない距離のはずだったが、金髪バードの肩は一段と大きく揺れた。
 ルークはそのジョッキを飲み干し、代金を払って酒場から出ていった。


 「てことで、倒した後のことを考えろって言われた」
 宿のダブルベッドの上にあぐらをかきながら、アクシオンに経過を報告する。
 「そうですね…でも、どう転ぶか、分かりませんからねぇ」
 やはりゆったりとした部屋着になっているアクシオンがベッドに腰掛けて頷いた。
 「最悪の場合…ってのはどんなのが考えられる?」
 「そうですねぇ…実は、ヴィズルを生かして帰す、というのが一番最悪なんじゃないか、とは思ってるんですが…」
 「…ま、ね」
 もしも、凶悪なトラップだとか魔物だとかを退けたとしよう。で、ヴィズルを生かして連れて帰ったとして。
 ちゃんと相手が改心してくれていれば良いのだが、<ナイトメア>に拉致られた上に、殺されそうになった、だとか言われたら、圧倒的にこっちが不利だ。
 何せ、エトリアの慕われる長V.S.一介の冒険者。どう考えても勝ち目は無い。
 「でも、生かしておけるものなら、努力するつもりなんでしょう?ルークは」
 アクシオンは苦笑してルークの手に自分の手を重ねた。
 「本当は、殺しておいて、話をでっち上げる方が簡単なんですけどね」
 「…みんなには、迷惑かけるよな〜」
 「少なくとも、俺は全く。ルークと一緒にエトリア脱出するだけの話ですし。一番困りそうなのはリヒャルトですが、それにしたってもう出奔した身ですからね。実家にまで累は及ばないとは思いますが」
 ヒトは殺さない方が良い。
 どんなに理性で「殺した方がみんな助かる」と判断していても、いくら甘いと罵られても、それでも心の中心に居座っている感情だ。
 「俺。やっぱリーダーやる器じゃないわ」
 溜息を吐きながらアクシオンの肩に顔を乗せると、アクシオンはぎゅうっと抱き締めてくれた。
 「何を仰いますやら。俺は、ルーク以外の人間に従う気はありませんよ。ルークだからこそ、ここまで来られたんですし」
 灰色の髪を撫でながら、アクシオンは呟いた。
 「それに…おかしいでしょう、理性的に判断しても。エトリアの街を栄えさせるために冒険者を呼び寄せ、そして、エトリアの謎を解かれないために、その冒険者を始末する、なんて。大がかりな詐欺行為ですよ。いずれ破綻するシステムです。たまたま引導を渡すのが俺たちになるだけです」
 「…なるほど、そういう考え方もあるか」
 不自然なものはいずれ露見する。それが早いか遅いかだけの違い。
 生き物が生まれ落ちた瞬間から、死へと向かうしか無いように、迷宮もまた、終焉へと向かうしか無いのだ。
 自分たちが大きな役目を果たすのではなく、ただ大きな歯車が回り、止まるときにちょうどそこにいただけのちっぽけな存在でしか無い、という考えは、基本的に小市民だと思っているルークにはちょうど良かった。
 「…明日。倒したら。…いろいろ、あるだろうなぁ」
 「そうでしょうねぇ」
 「いろいろ、あるだろうけど」
 ルークはアクシオンの耳に、そっと囁いた。
 「でも、キリが良いのは、確かだよな」
 ひゅ、と息を飲む音がした。
 「…え、えぇ、まぁ…確か…でしょうねぇ」
 ちょっと上擦った声になって、自分でもそれに気づいたのかごくりと唾を飲み込み、その音が響いたのに余計焦って何度か喉を鳴らす音がした。
 「じ…実際、非常にばたばたして…ゆっくりは出来ないかもしれませんが…キリがよい、のは、確かかと」
 目の前の真っ赤な耳を唇で挟むと、「うーわー」と呻き声が上がった。
 「ね、念のため申し上げておきますと、覚悟はもう出来てます。嫌がっているのではありませんから。…恥ずかしいだけです…不甲斐ない」
 両手で真っ赤な顔を押さえて、アクシオンは息を吐いた。
 どうやら、アクシオン本人としては照れたり恥ずかしがったりするのは男らしくないと思っているらしい。普段理性的な割り切り派が、こうやってもじもじしている姿が最高に可愛いのになぁ、とルークなどは思うのだが。
 明日の朝、25階に降りてその後、というのを考えると憂鬱だが、その夜のことを想像すると舞い上がりそうになる。いっそ、夜のことだけ考えておくというのはどうだろうか。
 ……………。
 すごく、長に失礼な気はした。
 何より、己の脳が保ちそうに無い。
 「…えーと、あんまり考えないほうが生存確率高そう…」
 「俺もです。終わった後に考えるべきこと、として心の棚にしまい込んでおく方が良さそうです…」
 最終決戦後に山場を迎えようなんぞと約束してしまった二人は、同時に溜息を吐いた。
 


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