転送装置
一晩休んで体調ばっちりとなった本パーティーの面々は、朝から19階に挑むことにした。
<ライジング>に言われていた『不気味な視線』はカエルが原因であり、たぶんは駆除してきた、というのは、ギルド長と金鹿亭の女将に伝言を残しておいた。まあ、どっちかには聞いて探索再開するだろう。
とりあえず朝食を取っていると、サブパーティーが帰ってきたのでついでに情報交換する。
「え〜!?何だよ、もう20階に降りるってか?けっ、せっかく追いつくかと思ったのによ〜。いざ行くとなったら早ぇんだよ、お前ら」
ミケーロがぶつぶつ文句を言う。
が、よく意味を考えると、それなりに本パーティーの実力は認めているらしい。
「今、どのあたりで戦ってるんですか?」
「鰐と戯れておる最中での」
「ワニ?えーと、13階だっけ?皮剥いだらちょうだいよ、お金なら払うから」
そういえばそんな約束もしていたっけ、とカーニャの言葉で思い出した。採取に行くときには16階から上がっていたので、あまりワニがいる場所は通らなかったのだ。
「にゃあ。まだそこまでいってないのにゃ」
「でも、おもしれ〜んだぜ!最初はよ、全然駄目だったんだよ、死人は出るわ、2匹目は這い寄ってくるわ…逃げるのが精一杯」
「それでも、フレアの頭縛りが通れば1匹は倒せるようになったのじゃ」
「ま、1匹倒しただけで2匹目は眠ってる間に逃げたんだけどよ」
「でも、やっと3匹は来ないようになったにゃ!」
「朝になって、ようよう全て片づけた、というところじゃな」
代わる代わる報告されて、ルークは感心したように腕を組んだ。
自分たちがあの辺りを通った時は、這い寄るどころか余裕で倒してこっちからどつき倒しに行っていたものだったが、レベルが足りないとそれなりに苦戦する相手だったらしい。
「しかし、あそこは近くに清水があったろ?」
「いやぁ、帰りつけるや否や、というほどのギリギリの戦いでの」
「…なるほど」
それなら雑魚と戦ってレベルを上げれば良いようなものだが、どうやら自分のレベルアップがはっきりと分かるため、ついワニにちょっかい出してしまったらしい。
目を輝かせてワニを倒せるようになった時の喜びを語っているシエルとミケーロを見ていると、危険だと分かっていても突っ込んでしまった文旦の気持ちも分かる。
「見てろよ、あの辺で経験積んだら、次は18階の清水近くで戦ってやるからな!そしたらすぐに追いつくぜ!」
「…いや、あんまりショートカットで来るもんじゃないぞ、危なっかしいな」
清水近くが経験稼ぎに都合が良いのは理解するが、途中の階を無視して5階分一気に敵が強くなるのは危険だ。
「はは…まあ、ぼちぼちの」
文旦は苦笑いをしながら顎を撫でた。基本的に過保護ではあるのだが、強くなる喜び、というものもまた捨てがたい。
ただ、やはりどう頑張っても、本パーティーにはなかなか追いつけないのではなかろうか、とはうっすら思っている。よほど本パーティーが休養すれば別だが、活動開始をしたら差は開く一方のような気がしているのだ。
まあ、そもそも文旦は小桃さえ納得していれば良いのだし、その小桃もギルド内最高を目指すつもりではないようだし、シエルやミケーロは少しずつでも強くなっていくことを喜んでいるようなので、何も本パーティーと並ぶ必要も無いのだが。
そうして、本パーティーが出ていった後で、ミケーロは周囲を見回した。
文旦と小桃は異国人、シエルは自分と同レベル、フレアと喋るのは疲れる…ということで、部屋の隅にいる二人に近づいていった。
と言っても、話しかけたことも無いので緊張しつつ、向こうの様子を窺いながらうろうろする、という感じだったが。
ショークスがちらりと顔を上げたが、胡散臭そうに見るだけで声もかけてくれなかったので、ミケーロは諦めて更に3歩ほど近づいてみた。
「…あ、あのよ〜…」
視線をショークスの顔、ネルスの顔、それから別の場所、と彷徨わせてから、またじりっと3歩近づいて彼らの前に腰を下ろした。
「あぁん?」
「その〜…あんたら、読み書きってやつ、教えられっか?」
はぁ?とショークスは眉を上げた。まさかそんなことを聞かれるとは思っていなかったので、2〜3度瞬きをしてから首を振る。
「や、俺は無理。必要最低限、自分の名前とか店の看板くれぇは分かるが、小難しい文章となると、頭が拒否しちまう」
「…はは…俺、それ以下」
自分の名前すら書けないミケーロは自嘲するように唇を歪めた。この際、いきがっていても仕方が無い、と腹はくくってあるのだ。
「…俺は、一応の読み書きは可能だが…他人に教えたことが無いのでな…」
「お、出来るんだ」
「そりゃあな。カースメーカーは<言葉>を力とするからな。ある意味、基本の知識だ」
ネルスがばさりとフードを外したので、このカースメーカーが腕を戒めていないことに気づく。
骨張った大きな手が床に何か文様を書きかけて止まった。
「…うまく教えられるとは言わぬ。おそらく、あの錬金術師の方が、そういうのは得意であろう」
「でもよぉ、あっちは忙しそうなんだよ。こっちと逆行動してっし」
「…では、俺で我慢するのだな。紙と書くものを用意してくれば、やってみる」
「サンキュ」
立ち上がったミケーロを、陰気な顔が見上げた。
「…その前に。何故、覚えようとしているのだ?そして、どこまでを求める?これレベルか?」
指さされたショークスが突っ込んでいるのを見ながら、ミケーロは肩をすくめた。
「わかんね。でも、俺は、いろいろ知りたい。何でスラムに生まれたら、死ぬまでスラムから抜け出せねーのか、とか、みんなが家を持つにはどうしたらいいのか、とか」
「…なるほど。…それは、執政官レベルだな。…面白い。…ともかく、文字や数字の理解からだな…自分で書物を読み解くことが出来るようになれば、知識の蓄えは段違いに容易となる」
本、というものを一応見たことはあるが、訳の分からない文字の羅列としてしか認識していなかったミケーロは、あれを読むのか、とちょっとうんざりしたが、とにかくやってみよう、と決心した。
「紙、探してくる」
「俺の分もな。ついでに俺も習っちまうから」
<…妬いているのか?>
「おぉ、その通りだよ、こん畜生」
ネルスの言葉は聞こえなかったので、一瞬何を言われたのかよく分からなくなったが、まあいいや、とミケーロはその場を離れた。
とにかく、少しずつでもいいから<何か>を始めなければ。
そして、その少しがきっと<何か>になるはず。
本パーティーは、18階の清水を経由してから19階の続きに挑んだ。と言っても、もう試していない仮称海藻は3つであったため、すぐに新しい通路に行けた。
奥に階段があるんだろうなぁ、という感じの大木が見えたが、その手前に全裸美女の色違いが2体立っていた。
「…どう考えても、一度に呪いと混乱を相手にしないといけないよな」
「どっちから先に倒すか、ですね。医術防御はかけますが…」
「破邪もかけるけど…大爆炎とチェイスファイアが効くのは分かってるけど、グレーテルが死んだら元も子も無いしな」
「あたしは呪いの方がイヤ。医術防御があったらリヒャルトの剣もそんなに怖くないけど呪いは痛いもん」
微妙にリヒャルトに失礼なことを言っている気はするが、正論なので呪いの方を優先で片づける、ということにした。
「こういう相手は、サブパーティーの方が有利なのかも知れませんね。頭を縛れば、余計な歌は歌われずに済むでしょうし」
「何よ、あたしが鞭に転向した方がいいって言うの?」
「まさか。ドレインバイトだって十分強いですし」
「はいはい、とにかくお相手するから集中するように」
いまいち暢気に言い合っているカーニャとアクシオンを戒めて、ルークはオカリナを口に当てた。
戦闘開始。
予定通り破邪と医術防御がかかり、カーニャとリヒャルトが攻撃したところで2体目が参戦してきた。
「…しかし、何だね。この美人さんたちは、一言も喋らないんだよな」
歌うので声帯はあるのだろうが、言葉を発したことは無い。これで誘惑の言葉でも吐いていたら、もっと戦い辛かっただろうに。
「モリビトとは少し違う種族なのかしらね。調べてみないと分からないけど」
「炎が効きやすい、ということは、やっぱり植物系なんでしょうけどね」
やっぱりぐだぐだと喋りながら戦っていく。破邪のおかげか、呪いや混乱にかかってもすぐに治るので、時間はかかるが正常な時にダメージを与えていけば良いだけだ。
もっとも、攻撃モーションに入った後に呪われるとダメージを食らうが。
うまく攻撃の手を弛めたり逸らせたりすれば良いのだが、グレーテルの錬金術はいったん調合したら放つより他無く、時々ダメージを食らっていた。
アクシオンも、なかなか終わらない戦闘に焦れてヘヴィストライクの体勢になってから、呪われたのは自覚した。このまま攻撃して半分返ってきたら、確実に死ぬ。
が、歌い終わって勝ち誇った顔が目に入ったので、「それがどうした」と予定通り思い切りアルカナワンドを叩き込んだ。まあ、正直、ルークが『美人』と評したのが気にくわなかった、というのもあるが。
ぱきり。
脳天から綺麗に割れた美女もどきを見て、返ってくるダメージを覚悟したが、何も起こらなかった。
「…何だ、相手が死んだら呪いは解けるんですね。まるでお伽噺のようです」
うんうん頷いていると、ルークに軽く叩かれたので頭を下げておく。
死ぬと分かっていて攻撃するのを怒ってはいるだろうが、ルークが好きになったのはそういう人間だ。今更直せとも言わないだろうことも分かっているので、言い訳もしないでおいた。
膝を突いて糸のようなものを取っているグレーテルの横をすり抜け、カーニャが階段を覗き込んだ。
「どうかしら、まだあんまり変わらない雰囲気ね」
「でも、そろそろモリビトの本拠地のはずだ。気を引き締めて…と言いたいが、その前にこの辺りの探索な」
「え〜、またぁ?…でも、入り口からのショートカットがあったら嬉しいかな」
「お、カーニャもだいぶ分かってきたな」
「だって、面倒なんだもん、流砂にいちいち流されるのって」
確かに、真っ暗な地下を流れる砂に身を任せるのは、どうも落ち着かない。ちゃんと出口に着くとは思っていても、もしこのままどこかに流されていったら、…という恐怖に駆られる。
そうして、階段近くから念入りに探索していったが、抜け道は見つからなかった。
ただし、階段の逆側に、入り口近くにもあった妙な窪みのある木は見つかった。
ちょうど人一人が入るのにちょうど良い丸い穴をしげしげと見ても、入り口と同じく何も無いように見える。
「ちょっと入って抜け道が無いか確かめるわ。もし底が抜けたら、後はよろしく」
これだけ相似形の樹木があれば、抜け道である、という期待をしたいところだ。
ルークは穴の縁に足を掛け、寝床のようになった窪みにとりあえずは入ってみた。底が丸いので、自然と背中を壁に預けて座るような姿勢になる。
「…登録しますか?」
突然、響いた声に、ルークは飛び上がった。
打った頭を押さえて呻いていると、もう一度声が聞こえた。
「登録しますか?」
ひび割れたような女性の声だが、感情がこもっていないせいか、何だか妙に人間離れして聞こえる。その上、微妙に異なるイントネーションが、モリビトの言葉を思い出させた。
「…はい」
ルークは数瞬悩んだが、ともかくは返事をしてみた。
もし良くないことが起きるのなら、他の4人は返事をさせなければいいのだ。
「情報を記録します」
正面に光が浮かび、何かを探すかのように少し動いた。その光が目を灼いたので顔を顰めて目を擦っていると、また女性の声がした。
「では、転送します」
ふわり、と宙に放り出されたような感覚があった。
あえて言うなら、磁軸を使った時のような感覚。
目を瞬いて、中心に光る白い円が消えてから、そっと穴の外を覗く。
「…入り口だな」
目の前に見える仮称海藻に見覚えがある。穴から降りて見回すが、やはり入り口の階段近くに間違い無い。
他の面々が来るのを待つかどうするか、と考えてから、念のため穴に入り込んでみる。
来たときと同様、窪みに座ってみたが、今度は何も声はしなかった。
一方通行なのか?と思いつつ、周囲の壁を叩いてみる。
「…転送…とか言ってたな」
独り言を呟いた途端、ふわりとまた体が浮いた。
今度は、いきなり尻の下に柔らかい感触があったので、ぎょっとしたが、すぐに自分がアクシオンの上半身に腰を下ろしているのだと気づいた。
「ご、ごめん、アクシー」
「…い、いえ…ご無事で…何より」
狭い穴の中でじたばたと腰を浮かせると、押し潰されながらアクシオンが何とか穴の外に出た。どうやら、姿を消したルークを探して上半身を穴に乗り出していた、その上に戻ってきたらしい。
アクシオンに続いて、ルークは穴から降り立った。
「よく分からないが…磁軸みたいなもんらしいな。入り口の木にまで飛ばされた」
「あら、便利じゃない。なら、次からは、階段降りたらすぐにここまで飛んでこられるってわけね」
「…たぶん…」
ルークは首を傾げて、もう一度穴を覗き込んだ。
「ちょっと、待っててくれな」
断っておいて、穴に入ってみる。
今度は、何の声もしない。「登録」というのは、一度限りか。
ギルドに登録するみたいなもので、これを使うメンバーとして登録された、とかそういう意味か?
「…転送?」
ふわり、と体が浮いた。
外の仮称海藻を確認して、今度は自信を持ってその単語を唱える。
「転送」
どうやら、「転送」という単語に反応して、互いを行き来する装置らしい。どういう仕組みかはさっぱり分からなかったが。まあ、磁軸もさっぱり分からないが使えるのだから、よしとしておこう。
体験した出来事を4人に説明する。
「…ってことで、俺も理解できたとは言えないんだが、とにかく「登録」しなきゃ使えないんじゃないか、と」
「えーと、つまり、一度はこっちから向こうに行かないと、向こうからこっちへは来られない、ということですか?」
「一人用のようですしな」
磁軸と違って、全員で踏み込めない以上、一人ずつ使うしか無い。ということは、それぞれが登録しないといけない、ということだ。
「危険なものじゃなさそうですし、とにかくやってみましょう」
「では、自分が」
リヒャルトが軽く手を挙げ、のそのそと穴に入り込む。実は興味津々だったらしい。
ルークは外から眺めていて、リヒャルトの姿が本当に一瞬で消え失せたので驚いた。全くもって、どういう仕組みなのか見当も付かない。
しかし、ともかくも普通にリヒャルトが戻ってきて、残りの3人も登録と転送を済ませておく。これで今度から、面倒な流砂を通らなくてもすぐに20階まで辿り着ける。逆に、20階でTPが少なくなったら18階の清水に行くことも出来る。
「んじゃ、帰るには早いし、20階降りてみるか」
TPも十分あるし、まだ清水まで行かなくてもいいだろう、と20階へと進んだ。