我らを畏れよ




 先に帰ってきていたグレーテルは、まずは待機していたレンジャー組に声をかけた。
 「リヒャルトがね、魔物にやられて石像みたいに硬直してんのよ。今、施薬院に行ってるんだけど…」
 グレーテルは何気ないようにターベルをちらりと見た。
 声こそ出さないものの、ひゅ、と小さく息を吸い込んだのを確認して、内心にんまりする。よしよし、いい傾向だわ、と思いつつ、彼らの鈍くさいペースを乱すのも本意では無いので、あまり積極的にはつつかないことにする。
 「私には、メディックの治療のことはよく分からないけど、帰ってきたら体力付けた方が良いんじゃないかなって思って」
 ターベルの口が小さく動いたが、音までは聞こえなかった。
 「食事の準備はするつもりだったが…オートミールとか食べやすいものの方が良いのかな、それとも、がっつり肉でも用意した方が良いのか…」
 クラウドが腕を組んで悩む。
 「両方用意しておけば良いんじゃない?リヒャルトさんって鹿肉が好きだったよね、狩って来ようか」
 ひょこっと立ち上がるクゥの隣で、ターベルもすくっと立ち上がった。
 「私も行こうか?」
 「いや、うちのを行かせるよ。ゆっくり休んでてくれ」
 グレーテルを制して、クラウドは部屋の奥に声をかけた。
 「おーい、ショークス!ネルスも一緒に、鹿狩りに行ってくれ」
 「あぁん?俺ぇ?…今日はだりぃんだよな…」
 ぶつぶつ言いながら、ショークスがのそのそとやってくる。顰め面で腰を押さえつつだらだらやってくる姿は、確かに辛そうだった。
 「もっとしゃっきり歩け」
 「だりぃんだよ。重いっつぅか」
 「…何をやったんだ」
 「セックス」
 「はっきり言うな!ターベルやクゥの前で何を…って、待て!何をやったって!?いや言うな!相手は女なのか!?それともネルスなのか!?」
 下手な戦い方でもして腰を打ったとかそういうことを想定していたクラウドは、あっさり返ってきた返答に悲鳴を上げた。
 しかし、この相手の返事を待つ前に自分の聞きたいことを喋り倒す口調は、やっぱり兄弟だな、とネルスは妙なところで感心していた。
 ショークスは顔色一つ変えずに、ひょいっと親指で背後のネルスを指さした。
 「…お前な…」
 「ターベルやクゥの縁談に差し支えるってぇんなら、兄妹の縁切っとくけどよ」
 「そういう問題じゃないだろ。…かーっ、まさか、お前の男相手に一番に言うことになるとはな…」
 長兄は頭を押さえつつ、じろりとネルスを見上げた。
 「うちのに手を出したからには、ちゃんと責任取ってくれるんだろうな。…いや、男同士だと、結婚、するのか?どういう状態を『責任取った』って言うんだ?全く、結婚前に何をやってるんだ、俺はそういうのは好きじゃない。たとえ妊娠はしないにしても、そういうことはきちんとして欲しいな」
 怒っているのか悩んでいるのか独り言なのか。
 やはり兄弟だな、とネルスはひたすら感心していた。
 兄の小言には慣れているのか、ショークスは気にした様子もなくひらひらと手を振った。
 「何をきちんとしろってんだよ、兄貴に断り入れてからやれってか?別にいいじゃねぇかよ、その場のノリで」
 「ノリでやることか!」
 「あんなもん、勢いがなけりゃできやしねぇよ。ま、とにかく、俺は腰が痛ぇの。鹿狩りなんぞ行く気分じゃねぇよ」
 「…俺だけ行こうか?鹿くらいペイントレードで何とかなると思うが」
 「馬鹿言え、お前も休んだからHP満タンじゃねぇか。たかが鹿のために傷だらけにさせたかねぇよ。お前もてめぇの男のためなら、自分の手で鹿くれぇ倒して来い、ターベル」
 驚いたようにネルスを見ていたターベルが、びくりと肩を揺らした。うっすら赤くなって首を振っているが、やはり言葉にはならなかった。
 「あらぁ、どうしたの?ネルスは声を出すようになったんだ。夕べから?」
 「…いや、今朝からだが」
 「へー」
 楽しそうにニヤニヤを顔を覗き込んでから、グレーテルは豊かな腰に両手を当てて胸を反らした。
 「ま、いいわ。やっぱり私が行こうっと。でも、ショークスが言うのも当然って気がするから、ちゃんとターベルも来て、弓射てね」
 更に頬を赤くしたが、ターベルはこくりと頷いた。
 「はいはーい!あたしも行くー!」
 元気良く手を上げたクゥも加えて、カーニャ、グレーテル、ターベル、クゥの女4人で鹿狩りに行くことになった。
 残されたクラウドは、夕食の用意をしながら何度も溜息を吐いた。
 確かに、兄妹4人の中では、一番早く結婚するのはショークスだと思っていたが…よもや男と結婚するとは思っていなかった。…男の嫁?婿?…腰をさすっていたってことは、婿を取るのか。…父ちゃん、母ちゃん、ごめん…。
 何度も手を止めているのでなかなか進まない支度を見かねたのか、ショークスが芋を手に取り、皮をむき始めた。
 「別によぉ、俺は兄貴がどう思おうと気にしねぇが、ネルスは意外と気にしてっからよ。あんまり落ち込んだ姿しねぇでくれね?」
 「…そうは言ってもな…長兄として、親父とお袋に顔向け出来ないっつーか、何つーか」
 はぁ、と盛大に溜息を吐いてから、クラウドは鍋に水を注いだ。
 「ま、悪い奴じゃないとは思ってるがな。…でも、将来的にゃどうするつもりだ、お前ら。俺は、世界樹の迷宮が踏破されたら、いったん山に戻ろうと思ってるが…あっちはカースメーカーだろ?一緒に山に行くのか?それとも冒険者稼業を続けるのか?」
 「んなの、まだ全然決めてねぇし。夕べ初めてやったんだぞ?んな話までしてっかよ」
 むしろ、一回やっただけで、将来的なことまで心配するクラウドの神経の方が信じられない、とショークスは思った。
 もちろん遊びでやったつもりは無いが、妄想メーターが溜まってる男相手に一回やっただけで将来まで全部縛れるとは思っていない。いったんは恋人状態になるだろうが、それから延々契約状態になるかどうかは別問題だ。
 幸い、ショークスにはネルスの思考は筒抜けである。心変わりでもしようものなら、本人が気づく前に読みとれるのだ。そういう意味ではさっぱりしていていい。
 「…お前が、女に飽き飽きしてるのは知ってたが…だからって、男に走るとはなぁ…はぁ…」
 「んー、だって、女といるより、ネルスといるのが一番面白かったしよ。あっちは俺にべた惚れだし。最高じゃねぇ?」
 「お前は?お前もべた惚れか?」
 「ま、そんなとこ」
 ごろごろと鍋に芋を転がし、ショークスは人参を手に取ったが、動きが微妙なのでクラウドは溜息を吐いた。
 「辛いんなら、休んどけ。夜はどうするつもりだ?」
 「宿に泊まる。自費で。メシ食ったら」
 「カースメーカーが結婚出来るのかどうか聞いとけ。うるさい一族みたいだからな」
 「だから、結婚はしねぇよ。男同士なんだし。…んじゃ、また鹿肉来たら手伝うわ」
 人参をざくざく切って鍋に入れ、ショークスは手を振って厨房から出ていった。
 部屋に戻ると、ネルスがすぐに反応した。
 <どうだった?長兄はまだ怒っていたか?>
 「気にすんなよ。兄貴がどう言おうと、別に付き合い切ったりしねぇよ」
 <祝福して欲しいとは言わぬが、お前が怒られるのはな…>
 「別に、怒っちゃいねぇよ。単に動揺してるだけ。どうせターベルやクゥが結婚の話してもあのくらい動揺はするぜ、兄貴は」
 よいしょっとネルスの膝に腰を下ろす。するするとローブが巻き付き、具合の良い椅子のようになる。
 くっついていると、ネルスがしみじみと幸福を感じているのが伝わってきて、ショークスは自分の選択が間違っていないことを確信した。
 他のどんな相手と恋人になれば、こんなにこっちまで嬉しくなるような感覚になれると言うのか。
 「そういやよぉ、兄貴が妙なこと言ってたな。カースメーカーはうるさい一族だが結婚出来るのかどうか、みたいなこと。どうせ男同士なんだし、結婚はしねぇのにな」
 <…あの「落ちこぼれ」が余計なことを…>
 「だから、『落ちこぼれ』は失礼だっつぅに。んで、マジで結婚出来ねぇの?いや、俺とお前はともかく、一般論として」
 ネルスが躊躇っているのは分かった。意識の中で、何やら教育上よろしくない場面がちらちらと見えたような気がする。
 <…つまり…だな。…お前には、隠し事はしたくないし、そもそも出来ぬし…あまり…聞いて楽しい話でもなかろうが…>
 「うん。でも、聞く」
 カースメーカーだが、意外と繊細な神経の男は、出来たばかりの恋人にどう説明するか悩んだ挙げ句に、一般人にも分かり易いよう言葉を選んだ。
 <我らは、呪いで人を呪縛する。子を成す時も同じでな…男は、適当な女を呪縛し、子を産ませる。女は男を呪縛し、精を奪う。恋愛だとか、結婚だとか、そういう結びつきは一切介在しないのだ>
 んー、とショークスは想像してみて、首を傾げた。
 「女は一夜で妊娠出来るかもしれねぇけどよ。妊娠させた女が子供産むのは9ヶ月かかるんじゃねぇの?」
 <…そうだな。こちらとしては、子さえ出来れば良いのだから…その…9ヶ月は共に過ごすが、たいていは意志を奪って人形のようにしておく。産まれ次第…殺すこともあれば、記憶を奪って街に返すこともあれば、1〜2年ほどは乳を出させることもあるようだ…俺はしたことは無いぞ、念のため>
 「してたら殺す」
 カースメーカーの一族が、目にしたことはないのに滅ぶこともないのはそのせいか。ちゃんと子孫繁栄のために努力はしていたのか。街で子供をさらってくるっていう噂は嘘だったのか。
 と、ひとまず感心はしたものの。
 「…それって、やばくねぇ?お前、そういう一族で、どういう立場になるんだよ」
 <…まあ…次の会合あたりで、お咎めはあるだろうな…しかし、お前は妊娠することは無いから、そういう意味では幾分マシだろうが…>
 それだけ閉鎖的な一族で、地上に出てくること自体が喜ばれない行為のような気がする。その上、自由恋愛で恋人を作る、というのが、どのくらい罪になるのか。
 カースメーカーの子孫作成法には問題あると思うが、ショークスとしては、何より大事なのはネルスが一族から爪弾きにされないかどうかだ。
 「自由恋愛禁止?」
 <…処罰対象だな。…お前にまで、累が及ばねば良いのだが…>
 「俺は良いけど、うちの兄妹にまで何か来たら困るぞ。んなことになったら、悪ぃけど戦うぞ、俺は」
 <悪いけど、も何も、当たり前だろう。もしも、そんな事態になったら、一族から抜ける。…それも、処罰対象だがな>
 悩むまでもなく反射的に、自分の一族と戦うのが当たり前だと言い切った男を、目を細めて見上げる。
 「いやぁ、相変わらず男前」
 <惚れ直したか?>
 「おう、惚れ直す、惚れ直す。これ以上惚れさせてどうすんだよ、こん畜生」
 ひゅる、と黒いローブが二人の顔のあたりを取り巻いたので、ショークスは腕をネルスの首に回して口づけた。


 鹿狩りのメンバーも、施薬院組も帰ってきたので、皆で夕食を取る。どうやらリヒャルトはすっかり元気らしく、鹿のステーキもスープも美味しい美味しいと平らげていた。
 「さぁて、リヒャルトは筋肉が硬直してましたから、少しマッサージが必要ですね。…ターベルあたりにお願いしましょうか」
 食後にメディックが当たり前のようにそう言ったので、リヒャルトはお茶を吹き出した。慌てて周囲を見回すと、ターベルはクゥの背後に隠れてしまったようだった。
 「い、いえ、女性にマッサージを頼むのは、ですな…そういうことは、本来メディックが…」
 「アクシーは貸してあげません」
 「俺はルークのマッサージしますから。…別に誰でもいいんですけどね、クラウドでもグレーテルさんでも。何ならクゥちゃんでもいいですが…」
 どうでもよさそうにアクシオンは肩をすくめ、ルークに横になるよう指示した。
 「何なら、自分でやってくれてもいいですよ。要するに、筋肉を解せばそれでいいんです。ルークは、今日久々に弓を射ましたから、ちょっとマッサージしておきましょうね」
 「はぁい、メディック」
 くすくす笑ってルークは俯せになった。その尻に乗ったアクシオンが、背中の指圧を始める。
 「あ〜、気持ちいい〜」
 「ルーク、無駄に緊張しましたか?」
 「最初だけなー」
 いったん戦ってしまったらそうでもなかったが、それまではいつも以上に力が入ってしまったことは否めない。肩胛骨に沿って指圧され、自分でもそのあたりが凝っていることに気づく。
 「リヒャルトもやって貰えばいいのに。…あ、アクシー以外にな」
 「こういう姿勢が恥ずかしいのなら、お湯に浸したタオルを乗せて貰うだけでもいいですよ」
 気のない口調で指示だけしているアクシオンには、リヒャルトのマッサージをする気は欠片もなさそうだ。
 リヒャルトが無闇に咳払いをしている間に、ターベルが無言で立ち上がって部屋から出ていった。
 逃げたのかと思いきや、しばらくして手桶にお湯を張ってきたので、どうやら温めるくらいはするつもりらしい。
 「冷えないうちに、さっさと脱げばよろしいかと」
 「…女性の前で、ですな…」
 ぶつぶつとリヒャルトは抵抗していたが、ターベルがもくもくと湯気の立っている手桶にタオルを浸し熱そうに絞ったのを見て、思い切ったように上半身の鎧を外していった。どうせソードマンの鎧はパラディンほどがちがちではない。
 更に中に着ていたシャツも脱いで、ルークの隣に俯せになる。
 「よ、よろしくお願いいたします…」
 「…………」
 ターベルが無言で見上げてきたので、アクシオンはルークの背中を指さした。
 「そうですね、首のあたり、それから肩胛骨の周囲、それに背骨に沿って。とりあえず、そんなところです。足や腕は、自分でやればいいんですし」
 こくりと頷いて、ターベルはタオルの温度を自分の頬で確かめてから、リヒャルトの首にかけた。それからもう一枚、肩胛骨の間に乗せる。
 「あ、ありがとうございます…心地よいものですな…」
 ターベルが、また誰にともなく頷いた。
 その表情は、笑顔ではないが、いつものような憂いに満ちたものではなく、真剣に相手を気遣っている様子だったので、見守っていたショークスは何となく息を吐いた。
 あぁ、こりゃホントにくっつくのかもしれないなぁ、と初めて思った。
 最初聞いた時は、パラディンに『元』が付くとは言えどうやら本当に家柄の良い坊ちゃんが、山育ちのレンジャーの娘を選ぶとは思えなかったのだが、リヒャルトの方もターベルを意識している様子である。
 色々と面倒なこともあるだろうに、と心配になったが、すぐに、カースメーカーの恋人になるよりゃマシか、と思い直す。
 その恋人のカースメーカーは、まだ手足を縛っていないので自分で普通に食事をしていた。せっかく餌付けをしている気分だったのに、と思ったが、まああんまりいちゃついていると兄の目が鬱陶しいので今日は諦めることにした。
 

 夕食を終えたショークスは、自分の小遣いで宿に泊まりに来ていた。贅沢をする性分ではないが、腰を押さえている姿を見られたくなかったので個室を選ぶ。
 そうしてゆっくり休んでいると。

 <…お前如きに、本気で我が好意を持つと思うてか…>
 嘲笑と共に、棘の埋まった蔦が四肢を巻き付き、きつく戒めてくる。
 <…カースメーカーに、情愛など存在せぬ…足の速いレンジャーが、我にとって便利な存在であっただけ…自惚れるのも、たいがいにせよ…>
 四肢から血が流れ出し、蔦は首にまで巻き付いたが、身動き一つとれず、声すら出せない。
 それに、心臓を直接鷲掴みにされたようなイヤな冷や汗が全身を伝う。
 目の前にいるのは、ネルスでありながら、恐怖の権化でもあった。落ち窪んだ眼窩から、濃い蒼の瞳が無表情に見つめる。
 <…たかが、人の子風情が…我に情を求めるとは、愚かしい…>
  ちりーん
 どこかで鈴の音がした。
 聞いたことがある。よく聞いたことがある。カースメーカーが術を使う時の音。
 術。
 ネルスが俺に?
 冗談にテラーをかけた時ですら、すぐに止めて気に病んでいたような男が、俺に術をかけるわけないだろう。
 …ってこたぁ、これは、誰か他の奴のせいだな。確か、幻術というものもあったはずだし。
 怒りが迸る。
 「…ふざ、けんな」
 誰が何のために術をかけてるのか知らないが、他人の男を中傷してんじゃねぇよ。
 「ふざけんなぁあ!」
 
  ちりーん

 飛び起きたショークスは、一瞬、自分がどこにいるのか、どういう状態なのか分からなくなっていた。
 周囲を見回し、自分が今いるところを確認し、何度か手で下を確かめる。
 ここは、宿屋。
 一人で眠っていたはず。
 ということは、今のは夢か?
 目覚めた今でもはっきりと痛みまで思い出せる、あれが、夢?
 仮に夢だとしたら…
 「ふざけんな!この俺が、ネルスに恐怖なんぞ感じるか!」
 潜在意識にでも、ネルスをカースメーカーとして畏れる、という感覚があるとは思えない。
 ありえない。
 なら、今のは、何だ?
 高ぶる意識のまま、レンジャーの神経で周囲を探る。

  ちりーん

 鈴の音がした。
 ショークスは目を開けた。
 素早く衣服を着込み、荷物を取り上げる。
 「…おや、もうご出立ですか?」
 「いや、また戻ってくるつもりはある。5時までは部屋キープしといてくれ」
 フロントの糸目に鍵を投げながら声をかけ、そのまま玄関から飛び出した。
 鈴の音が聞こえた方向と距離とを頭の中にある街の地図と照らし合わせる。
 「くっそ、どこのどいつだ、この俺に術なんぞかけやがったのは!」
 ぶつぶつ呟きながらも、狩人の嗅覚で鈴の音を追いかける。
 足音も立てずに夜の街を駆け抜け、辿り着いたのは民家が建ち並ぶ区画にぽっかりと空いた草むらであった。
 目を閉じ、全身で周囲を気配を探る。
 右手で矢を2本まとめて取り出し、弓を構えてゆっくりと目を開いた。
 民家の明かりが届かぬ暗闇がゆらゆらと揺れ、一つの姿を形作った。
 暗褐色のローブに身を包み、血の色の鎖で身を戒めたそれは、真っ白な髪を結い上げた幼い少女の姿に見えた。
 飛び火するように、後ろにぽつぽつと3つほど別の影が浮かぶ。
 「何だ、てめぇら。俺の男をとやかく言うつもりなら殺すぞ」
 引き絞った弓の目標は少女の顔。
 「カースメーカーと契りし者よ」
 「契りだぁ?何、一回やっただけで、もう俺のもん認定なわけ?そりゃありがたいねぇ」
 ショークスが本気の殺意を込めているのは分かっているだろうに、白髪の少女は、にぃと唇を両端を上げた。
 「威勢の良いことじゃ。内心の恐怖を誤魔化そうと乱暴になる…そういう男を飼い慣らすのも嫌いではないわえ」
 「はぁ?悪ぃが、てめぇの男の商売を畏れるような神経持ってねぇよ」
 ふん、と鼻で笑ってやると、少女の表情は変わらなかった、背後の影はゆらゆらと揺れた。
  ちりーん
 心の片隅に黒い陰が湧いたが、馬鹿馬鹿しいと握り潰す。
 「で?わざわざ他人の夢に喧嘩売りに来てんだ、さぞかしご立派な理由があんだろ?」
 「…カースメーカーは、畏れられなくてはならぬゆえの…そなたの存在は目障りじゃ」
 幼い少女は笑顔のまま、そう告げた。
 ショークスは心の中でネルスに詫びた。
 (悪ぃ、ネルス。どう見てもお前んとこのお偉いさんだが、俺、売られた喧嘩は買うぞ)
 「で?俺を殺すってか?はっ、それよか俺の弓の方が早ぇだろうよ。試してみるか?」
 「…我らの人形としてネルスと添い遂げるか、ネルスと縁を切りこの地より永遠に去るか…選ぶが良い」
 「どっちも選ぶ気ねぇよ、こん畜生。俺がここから出ていく時は、ネルスも一緒に連れてくつもりだからな」
 「ほほ…一時の気の迷いを真実として信ずるのかや?若いのぅ」
 「悪ぃな、俺ぁあんまり時間経過ってやつを想像しねぇ男でよ。<今>が真実でさえありゃあそれでいいんだ」
 ネルスと一生添い遂げるのかどうかなんて知らない。けれど、今この瞬間、お互いが惚れ合っているのは真実。だったら、それだけ考えていればいい。
 「てことでな、そっちの言い分を聞く気はさらさらねぇ。んで、こっちの言い分は。…てめぇら、他人の色恋沙汰に首ぃ突っ込んでんじゃねぇよ。見合い話持ってくるババァ連中じゃあるめぇし、本人たちが納得尽くでやってることをとやかく言うな、こん糞ボケ共が」
 「それこそ、聞く気は無いわえ。…ほほ、交渉決裂じゃな」
 「そもそも交渉したかよ、空気読め、ババァ」
 ざわりと少女のローブが広がった。
 だが、ショークスの意識には、恐怖の欠片も無かった。
 何故なら。
 <…ショークス!無事か!?>
 どうしたものかネルスの存在がちゃんと知覚できていて、近づいてきているのを知っていたからだ。
 「おぅ、無事っちゃ無事だな。機嫌は損ねてるがよ」
 <…怪我が無くて、ついでに泣いていなければ、まあいい>
 カースメーカーの癖に、全力で走ってきたのだろう、息は荒くてとても喋れない状態だったが、思念でそう告げてネルスはショークスの隣に立った。
 <ババ様、どういうつもりだ>
 「ほほ、そなたも我らが掟は知っておろうが。…我らは、畏れられねばならぬ」
 <知ってはいる。だが、今、従う気は無い。…ショークス、借りるぞ>
 「おう」
 ネルスがショークスの背中の矢筒から1本取り出した。何をするか分かっていたが、ショークスは少女の顔から目を離さなかった。
 躊躇うことなく、鏃で腹を切り裂く。横に割った傷から腸がはみ出したが、顔色一つ変えずにネルスは続けて大腿に矢を突き立てた。
 「4体相手か。ペイントレードでやれそう?ま、少なくとも後ろの3人は一撃でやれそうだな」
 「ほ、妾はそれだけでは死なぬぞえ?」
 「ふん、次に動くのもこっちが先だ」
 相手が、カースメーカーの長であるのは何となく分かっている。
 だが、あっちがネルスと引き裂こうと言うなら、本気で戦うつもりだった。
 幼い少女の顔の<ババ様>とやらは、ほほほ、とおかしそうに笑ったが、ぴたりと笑いを止め、ネルスを見つめた。
 「良いのかえ?そなたが<愛>などというものに囚われておっては、呪力は弱まる一方じゃ。そなた、母の仇を討つのでは無いのかえ?男に溺れて、母の仇を忘れるとは…母もさぞかし無念であろう」
 ショークスは眉を顰めた。確かに、それはある。一般人の感覚でも、<愛情>と<呪い>は相反するもののような気がするし。
 だが、ネルスは鼻を鳴らして血まみれの胸を張った。うっかりとショークスが惚れ惚れするような低音で穏やかに告げる。
 「そうでもなかろう。そもそも、俺が母の仇を討ちたい、と思う心も、母への<愛>ゆえだ。カースメーカーの心に<愛>があってはならぬ、というものではない」
 「…戯れ言を…」
 少女が苦虫を噛み潰したような顔になる。どうやら急所を突いたらしい。
 「それに…仮に俺が呪術を使えぬようになったとしても、仇は討てる。この手でくびり殺せば良いだけだ」
 夜目にも白い骨張った手が首の高さで、ぎゅっと握り締められる。
 「そん時にゃあ俺が足を射止めておいてやらぁ」
 犯罪人になるのも一緒、と言うショークスに、ネルスが喉で笑った。
 「…そうだな、それもいいだろう」
 並んで笑う男二人に、白髪の少女は唇を歪めた。
 一歩下がるとローブが広がり、闇に滲んだ。
 「よかろう。<愛>などというくだらぬ錯覚に惑うて呪力を失うていくも、そなたの勝手。もしも力を持たぬ哀れな人の子となり果てるが辛ければ、その愛人の首を下げて妾の元に這い蹲りに来るがよい」
  ちりーん
 鈴の音が四重奏で響きわたり、カースメーカーたちの体が闇と同化していく。
 その気配が完全に消え失せ、闇がただの陰となったのを確認して、ショークスは番えていた矢を降ろし背中に収めた。
 「ネルス、傷は?」
 <さすがに縫っておかぬと不便だな。傷自体は、明日からの探索に必要だろうが>
 はみ出した腸を押さえながら苦笑するネルスの腕を掴んで、施薬院へと歩いていく。
 「俺的にはよぉ。お前がカースメーカー廃業すんのは万々歳なんだわ。ペイントレードなんぞしなくて済むようになるし」
 <お前を守れなくなるのは困るな>
 「別の方法で守りゃいいだろ。っつぅか、お前に守られる筋合いはねぇし」
 <男としては、やはり、な…>
 「俺も男だってぇの」
 <出来れば、お前の兄妹たちも守ってやらねば、と思うのだし…だとすれば、やはりペイントレードがもっとも効率が良い>
 「うちの奴らまで気にしなくていいっつぅの。つぅか、俺優先でねぇと俺は妬く」
 <いや、お前の家族だから大事にしたいのであって、そもそもお前が大切だからこそ、兄妹も…>
 「あぁもう、男前過ぎるぞ、この野郎」
 カースメーカーに<愛>など不要、なんて何の冗談だ、とショークスは思う。
 こんなに思いこんだら一途で愛情深い男が、<呪い>だけで生きてるなんて方が間違ってる。
 もっとも、その<愛>が失われた時の反動は、一般人の比では無いだろうが…無駄に暗い未来を想像する趣味は無い。
 「ま、とにかく、俺らはいつも通り経験を積んでいく、と」
 <少なくとも、お前の兄妹たちを採取場所に護衛出来る程度にはな>
 どうやら母の仇をとるために強くなろうとしていたのに、少々別の目的が加わったらしい。
 それも全てはショークスのため、と思うと、実に自尊心がくすぐられる。
 「お前は、俺を甘やかせんの、うまいなぁ」
 <…甘やかしているつもりは無いが>
 「じゃあ、惚れ直させんのって言おうか?」
 <…それは、嬉しいがな>
 
 カースメーカー一族の長の警告も何のその、恋人になったばかりの二人はバカップル絶頂で施薬院へと歩いていったのだった。



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