案ずるより産むが易し




 「ライジング参じょ…」
 「はいはい、どんどんしまっちゃいましょうね」
 「何でだー!口上くらい言わせろーっ!」
 「…それはともかく…」
 <ナイトメア>の部屋にやってきた<ライジング>のリーダーがいきなり連れ去られたのを見送っていると、アルケミストに目配せされたレンジャーが懐から地図を取り出してルークに差し出した。
 「これ、あたしたちが作成した18階の地図。間違ってはいないと思う」
 「へ?…貰っちゃっていいの?」
 冒険者たちは、敵対はしていないがそれでも一応ライバルである。こんな最先端の地図など他のギルドに見せるものではない。…まあ、そういうルークも平気で見せてはいるが、それはおいといて。
 「…そちらが停滞しているとは、聞いている…」
 「ふはははは!ついに<ライジング>がエトリア一のギルドに…」
 「しまっちゃおうね、奥深く」
 「離せ〜!」
 「…しまい込むなら、もっとしっかりしまい込め…」
 ばたーん!と派手な音を立てて開かれた扉からいつものリーダーが顔を見せることなく、また声が遠ざかっていった。
 他人のギルド部屋で何の演し物を繰り広げているんだ、こいつらは。
 勢いに巻かれて目をぱちくりさせながらも、ルークは貰った地図を見下ろした。
 描かれているのはほぼ正方形の空間。中央に17階に通じる階段があり、ところどころに採集場所のメモが付いている。
 「レンツスが、先に通じる隠し通路があるって言ってたけど」
 「それは、おそらくこの辺りだと思う」
 地図の左下隅を指さして、レンジャーが冷静に言うのを、横からおでこちゃんが割り込んだ。
 「そうなの!その辺から先に行けそうだな〜っても思ったんだけど!…だけどね」
 いきなり声のトーンが落ちたので、あぁ、やっぱりモリビト殲滅は心が痛むものだよなぁ、と同情していると、おでこちゃんが顔を覆った。
 「ぶ…不気味な視線を感じるのよ〜」
 「不気味?」
 ちょっと予測していなかった単語に、ルークは隣のアクシオンと目を見合わせる。
 モリビトなら、『不気味』ではなく『殺意』だとか『敵意』だとかそういう類の視線であるはず。仮にも冒険者が『不気味』と表現するのは、一体。
 「…夜、だったな…」
 「明るくなったら正体が分かるかと思ったが、朝には気配が消えていた」
 「もう何かね、何て言うのかなぁ、暗闇に点々と、鬼火のように光る目が私たちを取り囲んでいた…なぁんて吟遊詩人の物語みたいな状況でね」
 要するに。
 夜の探索でモリビト以外の魔物に取り囲まれた、と。
 グレーテルがぱさぱさと紙をめくって呟く。
 「えーと、あの辺って、モリビトと根っこと…」
 「こっちで確認しているのは、それにデスマンティスとヒュージモアだが、そのどれでもないと思う」
 「…高さが違う…もっと小さな生き物だ…だが…」
 「とにかく!不気味なの!こっちが動いたら、おんなじように向こうも動いて、でも襲いかかってくるんでもなく…」
 力説しているおでこちゃんを見て、それから冷静なアルケミストとレンジャーを見る。
 リーダーとおでこちゃんだけなら、単に大したことでもないのに騒いでいると言う可能性もあるのだが、冷静に見える二人も気が進んでいないようなので、おそらく本当に『不気味』なのだろう。
 問題は。
 「えーと、つまり。それは、ひょっとして。地図の代償に、俺らに退治しろ、と」
 「そこまではっきりと言っていないが」
 「…そうだな…我々はその不気味なものの正体が分かるまで、昼間に行動しようと思う…少し、他のギルドに遅れは取るかもしれないが…」
 確かに、これは依頼では無い。
 …が、今までの行きがかり上、<ライジング>と馴れ合うのも、まあ悪いことでもないし、地図のお礼はするべきだ。
 モリビトじゃなく、その『不気味な何か』と戦うのだ、と思えば、少しは18階に突っ込む動機にもなるし。
 「どっちみち、今日から18階に行こうとは思ってたしな。出発は夕方にするか」
 正体が分からないものを相手にするのに薄暗い時間帯を選ぶのは不利だが、明るいところでは出てこないというなら仕方が無い。モリビトが暗視を持っていなければいいのだが。
 地図をしまいこみながら、ルークは目の前の3人を見た。
 明るく屈託のないソードマン、冷静なレンジャー、ぼそぼそとした声で喋るアルケミスト。ごく普通の一般的な冒険者、というやつだろう。もちろん、冒険者である時点で、一般人と比べるとすでに別規格であるだろうが。
 「…ちょっと、聞いてみてもいい?」
 「何?」
 「モリビトと戦うのって、気が咎めたりしない?」
 ちらりとアクシオンが自分を見上げたのが分かったが、そちらは見ずに相手の反応を観察する。
 おでこちゃんはきょとんとした顔で首を傾げ、レンジャーは苦笑し、アルケミストは全く表情が変わらなかった。
 「何で?敵でしょ?」
 「あたしのアザーステップとこれの大爆炎で片を付けているが、木が燃える臭いしかしないしな」
 「…やらなければ、こちらがやられる…それだけのことだ…」
 どうやらさっくり割り切っているらしい。
 「それに」
 レンジャーが苦笑してちらりと扉に目をやった。
 「黒こげにしておかないと、うちのリーダーが服を剥ごうとしたのでな。いくら植物とはいえ、女性形をしたものを裸にする方が気が咎める」
 「もう、男ってエッチよね〜」
 「男として当然のロマンだろおおおおおお
 また声が遠ざかった。懲りないリーダーだ。
 やっぱりあのリーダーもメディックも、大して罪悪感は感じていないと推測される。
 魔物あるいは植物なのに、躊躇いを覚えるルークの方がおかしいのだろうか。
 けれど、あまりそれを考え続けると、また18階に行く気力が萎えそうな気がしたので、首を振ってその考えを追い出した。もっとも、考えてはいけない、と思えば思うほど、その考えが頭にとりついてしまうものなのだけれど。
 

 さて、ついに18階に再突入、というその前に。
 アリアドネの糸を買いに行ったシリカ商店で、こちらを認めた店主が目を輝かせた。
 「おっ、来たね!待ってたよ!」
 「へ?何か頼んでたっけ?」
 しばらく探索を中断している分、あまり新しい素材も持ち込んでいないはずだが、とルークが首を傾げていると、店主が奥から大きな剣を持って出てきた。
 「凄かったよ〜あの、骨!武器職人冥利に尽きるってやつ!?」
 そこでようやく、そういえば骨竜から折り取った肋骨を持ち込んだんだった、と思い出した。
 受け取ってみると、ずしりと重い。
 それでも鞘から抜くと、滑らかな乳白色の刃が、ランプの光を弾いて妖しく輝いた。
 「…むぅ…これは…」
 後ろで見ていたリヒャルトが感嘆の声を上げる。
 「ふっふっふっふ、最高級の素材には最高級の職人が応えるのが当店のモットー。地下の小人妖精が鍛え上げたこの業物…」
 「…いや、そんな種族が現存してたら、モリビトどころの騒ぎじゃないから」
 「もうっ、吟遊詩人の癖に夢が無いなぁ!」
 腰に両手を当てて頬を膨らませる少女店主に、ルークは苦笑いして見せた。
 「ごめんなー、ちょっと異種族との交流には過敏になっちゃって」
 「…いろいろ、噂は聞いてるけど」
 店主はさすがに真面目な顔になって腕を降ろした。いつも通りのカウンターの後ろに下がって、5人の顔を見回す。
 「街の人には、いろいろ言われるかも知れないけどさ。でも、君たちは君たちの思うようにやればいいと思うよ」
 「ま、それしか無いんだけどねー」
 その『思うように』を見失っていたリーダーは、ぽりぽりと頬を掻いた。
 どうやら応援してくれていることを感謝するよりも、やっぱり街の人にはいろいろ言われているのか、ということを改めて認識する方が心に重い。
 「それで、どうします?買いますか?ほぼ全財産吹っ飛びますけど」
 アクシオンの声に、滅入りかけていた思考をどうにか止めて、目の前の現実に集中する。
 ドヴェルクの魔剣、と名付けられたそれは、これまでの武器とは桁違いの値段が付けられている。0が一個多いんじゃないか、と聞くのは止めておいた。
 「んー…これ買ったら、たぶんはもう買い換えしなくても良いよなぁ」
 「これほどの逸品は、滅多に出るものではございますまい」
 鞘から抜いて、剣の重さを確かめながらリヒャルトが答えた。いつもなら人の目を正面から見て答える男が、刃から目を離していないので、よほど気に入ったと見える。
 「…完璧に全財産が吹っ飛ぶってほどでもないよな」
 「カリナン掘りに勤しみましたからな」
 ルークがアクシオンとうだうだやってる間に、リヒャルトはターベルたちとせっせと採掘に励んでいたのだ。おかげで戦ってもいないのに財布が潤っている。
 「俺たちが停滞してる間に、他の連中も力を付けてきてるよな」
 「まあ、そうでしょうね。探索における力を付けているのと、財布に力を付けるのとは別ですが」
 確かに、これだけの値段のものを買えるギルドは、滅多にはいないだろうが。
 「でも…絶対他の奴らが買えない、とも言い切れないんだよなぁ。かと言って、キープ、というのも何だし」
 あの骨竜がまた出てくるという保証はなく、もう二度と手に入らないかもしれないのだ。そう考えると、この機会を逃すのは愚かという気がする。
 ルークは値札と財布に残る金額を何度も確かめた。
 「…買うか。しばらく新しい武器が買えないけど」
 「大丈夫ですよ。リヒャルトがカリナン掘ってきてくれるらしいですから」
 掘るのはリヒャルトではなくターベルとクラウドだが、それはともかく。
 「毎度ありぃ!」
 店主は満面の笑顔で手のひらを上に差し出した。その手ではなく、カウンターの上に金貨を積み上げていく。
 「は〜、剣士ってのはお金がかかるわねぇ」
 装備には大してお金がかからないグレーテルが首を振った。
 「1週間で折れたとか鈍ったとかにならないことを期待します」
 シリカがそこまで阿漕とは思っていないが、何せ材料は肋骨である。ヘヴィストライクで何度も敵の肋骨をへし折った覚えのあるアクシオンとしては、その強度に疑問を持たざるを得ない。
 すっかり軽くなった財布の代わりに受け取った魔剣を手に、ルークは背後を振り返った。
 当然のように手を出してきたリヒャルトを見つめて、人差し指を振る。
 「さて、うちには剣を使う人間が二人いるわけだが」
 「え?あたし?」
 何故か鞭のコーナーを見ていたカーニャが吃驚したような声を上げてこちらに歩いてきた。
 「だって、カリナン掘ったの、リヒャルトじゃない。だからてっきり…」
 「どんな理由で手に入れた金であれ、財布は一つ、共有って最初に言ってるだろ?だから、ギルド共有財産で買ったこの魔剣も、ギルド共有で、最も有効な使い道を考える訳だが」
 「また肋骨持ってきてくれたら、もう一本作るよ〜」
 「どっかで骨竜にあったらな〜」
 店主の期待とは裏腹に、財布的にも、肋骨的にも、2本目が手に入るのはまだまだ先になりそうだ。
 「リヒャルトが使うと、ハヤブサ駆けやチェイスの威力が上がりますよね。つまり、複数の敵を一掃する確率が上がります」
 「けど、カーニャの方が素早いんだわ。敵から攻撃を受ける前に倒すって意味では、カーニャの攻撃力が高い方がいい」
 リヒャルトがわきわきと指を蠢かしながら切なそうな目で魔剣を見つめている。よほど気に入ったんだろうなぁ、とは思うが、ここは理性的に判断しなければならない。
 「先に攻撃を当てるって意味では…確かにカーニャが持った方が有効ですよね。リヒャルトのダブルアタックに賭けるのは、分が悪過ぎます」
 「2周目の攻撃も、カーニャが最初だしな。…ってことで、とりあえずカーニャ持っとけ」
 「えぇっ!?ホントにいいの!?」
 さしものカーニャも、リヒャルトが欲しがっているのが分かっているらしい。手を出しつつも横目でリヒャルトを顔を確認している。
 指をわきわきさせていたリヒャルトは、ようやく手を下げた。一緒に肩も下がっているが。
 「はは…ははは…仕方ありますまいな…自分よりも、カーニャの方が素早いのは事実でありますし…」
 「…ホントにいいの?あたしがパーティーのメインアタッカーってやつなの?」
 「あれ?違うつもりだった?」
 ハヤブサ駆けやチェイスが充実してきたおかげで複数の敵を倒すのはリヒャルトが多くなっていたが、それでも倒した数としてはおそらくカーニャの方が上だ。そもそものTP量が違うし。
 「…そうでもないけど…」
 いつもなら胸を張って自信満々に答えるカーニャが少し考え込んでいるようなので、ルークは首を傾げた。
 カーニャは腰に魔剣を下げ、具合を確認してから、顔を上げた。
 「分かった。これは、あたしが預かる。でも、もしモリビト相手のハヤブサ駆けで、少しだけ足りないって感じだったら、リヒャルトと交換するわ。それでいいでしょ?」
 「あらま」
 いつの間に、そんなに大人になったのやら。
 まじまじとカーニャを見つめると、ピンクの髪を払いながらカーニャが睨むように見つめ返してきた。
 「あたしだって、もう一人前の冒険者だもの。ちゃんとギルドの利益のことを考えるわよ」
 「うんうん、成長したねぇ」
 あの我が儘家出少女がここまで、と思うと感慨にも耽りたくなるというものだ。まあ、優秀な冒険者になる、というのは、一般人から見ると、家出以上に十分、道を踏み外しているのだろうが。
 「これからも期待してるよ、メインアタッカー」
 「任せといて。あたし、強いもの」
 ようやくいつもの調子で笑ったカーニャの肩をぽんぽん叩き、ルークは皆の顔を見回した。
 「糸、OK?」
 「糸及び磁石は一つずつ所持しておりますな」
 「荷物の空きは?」
 「十分だわね」
 「各種薬剤は?」
 「必要最低限ですが、確認。俺が死ぬ以外の場合は18階の泉で何とかなるでしょう」
 「んじゃ、行くか」
 さっくり頷いて、ルークは一歩を踏み出した。
 店主がにこやかに「いってらっしゃい」と手を振った。
 目指すは18階。
 モリビトたちの住まう場所。



 ずかずかと歩いていって、敵と遭うこと無しに17階に降り立つ。
 つい上の空で一方通行を間違えて後戻りしかけて、アクシオンに引っ張られたりしながらも、18階へ通じる階段まで無事にやってきた。
 ここを降りると、18階。
 モリビトの少女たちが狙ってくる土地。
 はぁ、と大きな息を吐くと、アクシオンが黙って手を握ってきた。
 「…脈拍増加。本気で辛いのなら、中断して帰っても良いと思います」
 どうやらただ手を握っただけではなく、指先で手首の脈を押さえたらしい。
 「だぁいじょうぶ。ちゃんとやれるって」
 「弓を射ずとも、猛き戦いの舞曲を奏でて頂いてもいいですし」
 「やー、それは戦ってみて考えるわ」
 こめかみに脈が打っているのを自覚する。握った手に汗が滲むのもメディックにはばれているだろう。
 それでも。
 「…行くよ。決めたから」
 一度ぎゅっと握ってから、手を離す。
 アクシオンはどこか痛そうな顔をしてから、前に立って階段へと足を踏み出した。
 
 乾いた風の吹く広大な広間は変わらないはずだったが、記憶にあるそこよりも暗いせいなのか、まるで別の光景にも見えた。
 動くもののない墓場を見るような静けさではなく、敵の群に突っ込むような緊張感を感じる。
 「まずは、癒しの清水でTP回復っと」
 努めて明るい声で皆に告げる。
 前回と同様に、階段を回ってそれからまっすぐに清水へと。
 あぁ、前回はこの辺りでリヒャルトが敵を察知したのだ。そうして、初めてモリビトの少女と…。
 「…敵の気配であります」
 リヒャルトがちらりとルークを見てから剣に手をかけた。
 ばくん、と一つ、心臓が大きく跳ねた。
 何だか夢の中にいるかのように、色々な音が遠くなった気がする。けれど、手に馴染んだ弓の感触は現実だ。
 重苦しい空気の中、ゆっくりと首を回すと……あれ。
 見えたのは、土煙でも、少女でもなく。
 足下に近い高さから見つめてくる2つの光。
 「…何だ?」
 「不気味な視線…というやつですかね」
 急速に音が戻ってくる。
 神経が研ぎ澄まされていくのを自覚する。
 「リヒャルト、他に敵の気配は?」
 「さて…近くにはおらぬようですが」
 「カーニャ、刺激しないように、ゆっくり回り込め」
 「OK」
 素早いカーニャに階段とは逆側から回り込ませ、散開しながらゆっくりとそちらに向かう。
 その不気味に光る目はそこから動かなかった。光が変わらない、ということは瞬きもしていないのだろう。
 そして、近くまで迫っていってようやく。
 「何だ、ただのカエルじゃない」
 グレーテルが拍子抜けしたような声を上げた。
 上の階層で見慣れたカエルの姿に、ルークも一瞬気を緩ませた。
 「ひぃぃぃぃうぅぅぅぅ」
 「…今の、何」
 怨霊が泣いている声、とでも言うか、女が金切り声を上げていると言うか、そんなような響きがした。
 「さて、上で何十体とカエルを撲殺してきましたが、こんな声を上げたことはありませんでした。ということは、別種のカエルと見た方が良いかと」
 アクシオンのセリフに、いったんは緩んだ緊張がまた復活した。
 「分かった。全力で行った方がいいか。攻撃開始…」
 「ひいぃぃぃぃううぅぅぅぅ」
 甲高い悲鳴のような鳴き声が一段と高く響いた。
 顔を顰めながらもまっすぐにカエルの皮膚を貫いたカーニャが悲鳴を上げる。
 「やだっ!何であたしが痛いのよっ!」
 カーニャの様子を不審そうに見ながらも、もう攻撃動作に入っていたリヒャルトが同じくカエルに斬りつけ、むぅ、と声を漏らした。
 「…呪い、か!?」
 同じく僅かながらも矢で攻撃した見返りを受けたルークが唸った。
 「あぁ、聞いたことがありますねっっと!」
 「待て、アクシー……って、潰したか」
 無傷のメディックはけろりとして杖に付着した粘液を拭き取り、そのカエルを爪先でひっくり返した。
 「さて、とりあえずエリアキュアかけます」
 癒されながらも眉を顰めたカーニャが説明を求める視線で見上げてきたので、ルークは記憶を探った。
 「え〜と…確か、呪いがかかると、自分が敵に与えた傷の半分が返ってくるんだ。全部じゃなくて良かったなぁ」
 「そんなのがあるなら、先に説明しなさいよ!思い切り斬りつけちゃったじゃない!」
 「ごめんなー、まさかホントに呪いなんてものが存在するとは思ってなくて」
 「そして、このカエルが呪いをかけるなんて思いませんものね」
 上の階層のカエル同様、剣よりも杖で殴る方がダメージが大きそうだ。ということは、もしも傷の半分が返ったら、一番ダメージを受けるのはアクシオンのはず。
 …が、何となく、そもそも呪いにかからないんじゃ、とか、かかっても呪いが跳ね返る前に潰してるんじゃ、とか思ってしまうのは何故だろう。
 これが、信頼、というものか。…何となく違う気がする。
 「まあ、何にせよ、だ。与えたダメージの半分が返るってことは、グレーテルは大爆炎しない方がいいな。もし返ったら1発で死ねる」
 「そうね、レベルが下がったせいで、HPも心許ないし…杖で殴るくらいにしておくわ」
 苦笑してグレーテルは久々に杖を取り出した。
 「さぁて、まさか一匹で終わりじゃないよな。取り囲まれた、だもんな」
 周囲を窺ってみると、遠くでまたちらちらと光が見えるような。
 「<ライジング>に地図を貰った分くらいは働かないとな」
 地図があれば、この広大な空き地を無意味に彷徨く必要が無くなる。ということは、モリビトと戦う機会も少なくなる、ということだ。
 <ライジング>も風の噂でルークが『モリビトとの戦いで臆病風に吹かれて探索を中断している』ことくらい聞いているだろう。それで階段から最短距離で次へと進めるよう地図を進呈してくれたのでは、と思う。<ライジング>リーダーは単細胞だが、仁義には厚そうだから。
 まあ、筋を通そうとすると、結局この空き地全部をうろついてカエルを探す羽目にはなるのだが。
 そうして、何匹ものカエルを殺していく。
 ちょっと呪いがイヤで手控えていたら呪いではなく毒を吐かれたりもしたが、何とか目に付く範囲のカエルはいなくなった…と思う。
 自分に返ろうが何だろうが全く気にせず全力で叩き潰していたアクシオンが、癒しの清水から憂いげな視線をおそらく隠し通路があるだろう方へと向けた。
 「不思議なんですよね。何でモリビトが出ないんでしょう」
 「そういば、そうよね。夜にはどこかで寝ている…ってことは無いわよねぇ」
 他の冒険者がモリビトに襲われているという話は聞いている。もしも夜には自由に通り抜け出来る、というならもっと噂になっているはず。
 「何で今日に限って、というと。…カエルのせいかもね」
 「…そうなんですよね…ひょっとしたら、この呪ったり毒吐いたりするカエルはモリビトにとってもイヤな相手で、それが活動している間はモリビトも息を顰めている、という可能性が…」
 もしもそうだとしたら。
 カエルを駆逐してしまったら。
 「…おいとけば良かったですかね、カエル…」
 憂鬱そうに溜息を吐くアクシオンの頭をぽんぽん叩いて、ルークは笑ってみせた。
 「一生逃げ回る訳にはいかないし。何とかなる。たぶん」
 なるべくルークがモリビトと戦わずに済むように、とアクシオンが考えているのは分かる。どうやらアクシオンにとって最大重要事項はルークの平安らしいから。
 けれど、まさかこの先ずっとモリビトと戦わずに済む訳でなし…と言うか、もしもそれが可能だとしても、戦わずにその地を抜けることは、むしろモリビトに失礼だと思うし、行くと決めたからにはモリビトとも戦う決意はしているのだ。
 まあ、実際、目の前にモリビトが来ないと、自分がどういう反応をするか予想出来ないけれど。
 「さぁて、しっかり癒されたか?んじゃ、隠し通路目指してGO!だ」
 軽く言って、ルークは周囲を見回した。今のところ、敵の姿は見えない。
 モリビト。
 人間の少女の姿をした植物。
 言葉を話し、意志疎通が可能な相手。
 「リヒャルト。異国の民と戦わずに済ませるってのは、どうやるのが効率的だと思う?」
 「まず思いつくのは、贈り物で懐柔し敵では無いと表明する、というところですかな。実際はともかく、見かけ上は恭順の意を示す、と言いますか」
 歩きながら元パラディンに聞いてみれば、すぐにきびきびとした返答があった。跡を継ぐことのない騎士の次男とはいえ、やはり目の前のことだけでなく大局に立った視点というものを教えられているのだろう。
 「じゃあ、すでに敵対行動に入ってしまってたら?」
 「逆に、こちらの圧倒的優位を示す必要があります。敵対すれば全滅する、と認識させることが出来れば、戦いは避けられるかと」
 「…やっぱ、そっちしか無いか」
 こちらがモリビトの聖地に土足で踏み込んでいるのである。あっちは死に物狂いでこちらを排除しようとするだろう。
 けれど、『最後の一兵まで』、というのだけでも避けようと思えば、有力な戦闘部隊を徹底的に潰して、戦意を喪失させるしか無い。
 吟遊詩人の知識でも、敵の将軍一人を討つことが100人の兵士を倒すよりも戦の終結には有効に働く、ということくらい分かる。
 ってことは、モリビトをちまちま倒していくより、その統括者を倒すのが手っ取り早くはあるのだが。
 「…でも、上から目線ってやつかね、これって」
 明らかにこちらが強い、という前提での思考の展開に首を振る。
 ひょっとしたら、敵の統括者が出てきたら、ものすっごく強くてこっちが全滅するかもしれないし。
 でも、モリビトの総数が何体か知らないが、消耗戦を行うよりは奥まで攻め込んで一気に大将の首を取った方が結果的には被害が少ない気がする。もちろん、こちらの、ではなく、モリビトの、だが。
 <ナイトメア>が地上人の本隊、というわけでなし、何も真正面から撃破する必要は無いのだが…ただの、ルークの気分を軽くする意味合いでしかないのは分かっている。
 それでも、やっぱり、モリビトを他の魔物と同じようには思えない。
 こんなので、戦えるんだろうか俺は、と改めてルークは不安になった。
 パニックになって駆け出すことは無いだろうが、モリビトを倒す度に気分が滅入っていたらたまらない。
 心配そうにちらちら振り返っているアクシオンに笑って見せたが、どうやら失敗したらしく余計に切なそうな目を向けられてしまった。
 何でこう、他の冒険者と同じように割り切れないんだろう。
 ぐだぐだ考えていても、足が動いていれば前には進む。
 もうじき壁に着く、そうしたら通路を探して…というところで、ついに奥からモリビトが現れた。
 来た、と胃にずっしりと石を詰められたような気分になってから、小柄な<少女>の持つ剣が目に入る。
 湾曲した扱いにくそうな剣。
 だが、非常に切れ味の良い危険な剣。
 …アクシオンの体を、切り裂いた、剣。
 「グレーテルは大爆炎の準備。とにかくあの曲がった剣を持った相手が危険だ。あれが動く前に倒せ。リヒャルト左端、カーニャ真ん中、アクシー真ん中。槍は無視しろ、一撃なら耐えられる」
 自分でも驚くほど冷たい響きの指示が口から飛び出した。
 矢をつがえ、引き絞る。
 リヒャルトが狙うはずの左端の少女の胸を狙い、手を離す。
 吸い込まれた矢は、硬い音を立てて僅かにめり込んだが、すぐに払われてしまう程度のダメージしか与えられなかった。
 ち、と自分が舌打ちしたのに、後から気づく。
 カーニャが真ん中の<少女>の体を削り、後から放たれたアクシオンの打撃がトドメを刺す。
 リヒャルトの一撃では倒れなかった左端の<少女>の剣が、リヒャルトに食い込んだ。
 ざくり、と肉が裂ける音がしたが、さすがにリヒャルトは声を上げずにただ脇を押さえて下がった。
 右端の少女が構えた槍の先がぱちぱちと音を立て始めた。
 もしあの雷撃がリヒャルトに来たら死ぬかも、と思った瞬間。
 「大爆炎!」
 辛うじて間に合った炎の渦がモリビトを包む。
 真っ赤な炎の中で、一瞬身悶えした<人間の少女>に似たモノは、次の瞬間には黒こげになって炭塊になっていた。
 アクシオンがごそごそと鞄を探ってキュアを取り出している間に、ルークはまだ煙を立てている炭を見下ろし…足を降ろした。
 軽い音を立て、半ばが崩れ、残りは砂に埋まった。
 「…俺。意外と怒ってたみたいだな。アクシー殺されて」
 ぐだぐだ考えていたのが嘘のように、あの剣を見たら敵意しか感じなかった。
 頭がくらくらするほどの怒りを散らすために、大きく息を吐く。
 理性は、<人間の少女に見えるモノ>を殺すべきではない、と囁いているのに、感情は<アクシオンを殺した魔物>を殺せ、と喚いている。
 どちらに従うのが<正解>なのかは分からないけれど。
 「まあ、でも、いつも通り指示が出せる方が、生存確率高いわな」
 敵の剣がリヒャルトを斬りつけたのはたまたま。あれは、またアクシオンを切り裂いたかもしれないのだ。
 アクシオンが傷付かないように、最善の方法をとらなくてはならない。効率的に敵を倒す方法を考えなくては。
 「さあ…先に進もうか」
 敢然と告げたルークを見たアクシオンは、やっぱり少し切なそうに目を細めた。



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