再開
穏やかな日々が過ぎていく。
ただ、穏やかなのは見かけだけで、本気で和んだのは最初の2日くらい。
後は、同じように草原で寝転んでいても、「こんなことをやっている場合なんだろうか」と何かに追い立てられるような気分に苛まれている。
グレーテルも戻ってきたし、動くのならそろそろ頃合いだ。錬金術師が休養しているから、という言い訳は、もう出来なくなったのだから。
青空を見上げて、はぁ、と溜息を吐くルークの隣に座って、アクシオンが肩に頭を乗せてきた。こうして、アクシオンはルークに触れるのが好きだ。触れられるのは、まだ恥ずかしがってじたばたするけれど。
ずっとこうして戦いから離れていれば、アクシオンが傷つく姿も見ずに済む。
ずっとずぅ〜っと一緒にいて、いっそ閉じこめてどこにも行けないようにしてしまえば、ずっと変わらず笑っていてくれるだろうか。
………。
人間、暇だとろくなこと考えないな、とルークは自分で自分に突っ込んだ。小人、閑居にして不善を為すって奴だ。かっこ誤用かっこ閉じる。
ルークは感情的な人間だが、最後の部分で理性を残している。それがあるせいで、感情だけにも従えない優柔不断の原因にもなっているのだが。
理性で考えれば、もう探索再開の頃合いだ。
自分は、もう十分に休養した。
確かにモリビトを殺したのはショックだが、その心の傷もだいぶ塞がってきている。塞がるってことは、そもそも大した傷じゃあ無かったのかもしれないが。
恋人になってしまえば少しは楽になるかと思ったアクシオンとの関係は、何だかむしろ可愛くて可愛くてどうしようってなくらい余計に自分の感情を持て余すほど育ってしまった。
とは言え、一応はある意味決着が付いているのだし、前向きな一歩を踏み出す邪魔にはならないはずなのだが。
それでも。
18階に向かって、モリビトと戦う、と考えるのは気が重かった。
胃のあたりがきりきり痛み、手や足から力が抜ける気がする。
うわーーーっ!と叫んで、今すぐエトリアから逃げ出したくなる。
はぁ、俺って情けね〜、とルークは頭を抱えた。
いっそショック療法とやらで、このまま18階に向かってしまえば、案外普通に戦えるのかも知れないが…もしかして、また頭が真っ白になって走り出したりでもしたら、アクシオンが怪我する羽目になるかもしれないし、そんな賭はしたくない。
でも、このままうだうだやってて事態が好転するはずもないしなぁ、とルークは大きく息を吐いた。
そうして、ぼんやりと世界樹を見上げていると。
アクシオンがルークにくっついたまま、手で腰の鞄を探り始めた。
くすくす笑う小さな声に、やはり小さく「こら」と窘める。
「よぉ、楽しそうだなぁ、兄ちゃんたち」
背後から掛けられた声に、ことさらゆっくりと振り向く。
街道からは少し離れていたが道のようなものが出来ているところから、複数の男が歩いてきていた。
「見えるのは5人」
「でも、気配はあと2つありますね。回り込んできているようです。少しは頭を使っていますね」
やっぱり小さく囁き交わす。
にこにこしながら立ち上がったアクシオンは、立ち上がろうとしたルークを制した。
「相手は人間ですから」
今日のアクシオンは白衣ではなく茶色のコートである。そのだぶついたコートの下でアルカナワンドを握っているのが、ルークには分かった。
「なぁ、俺たち冒険者なんだけどさぁ。あんまり手持ちが無くて鎧も買えないわけよ。ちょっと寄付して貰えると嬉しいんだけどな」
にやにやしている若い男がショートソードを抜いてこちらに向けた。普通の街人なら怯えるところだろう。
「自分で稼ぐのが筋だと思いますが…どうやら人数だけは揃っているようですし」
やっぱりにこにこと笑いながらアクシオンがおっとりと答えた。
「いやいや、冒険者家業ってやつも、なかなか厳しくってねぇ。…鎧や武器もそうだが、女も買えねぇんで溜まってんだ。姉ちゃんが遊んでくれるってんでもいいんだぜ?」
どうやら剣での脅しが脅しになってないと気づいたのか、正面の男がアクシオンの体をいやらしい目で見た。仲間の男たちもにやにやと笑っている。
「あれ?遊んでくれるんですか?」
「お?何だ、姉ちゃんは乗り気なのかい?」
「えぇ、彼には手を出さないと約束して下さるのなら、一人で全員と遊ぶのはむしろ愉しみなんですが」
「出来た彼女だなぁ、え?男冥利に尽きるだろ、兄ちゃん」
有頂天という声で軽やかに向かってきている男に、ルークは頭を抱えた。
「…全く、俺には過ぎた恋人なんだよなぁ。気の毒に」
コンポジットボウには手を出さず、ルークは座ったまま男たちが近づいてきているのを眺めた。
嗅ぎ慣れた匂いが漂った。医術防御だ。
「相手は人間だぞー」
「手加減しますよ」
にこやかに言って、アクシオンは腕を出した。獣の頭があしらわれた杖が現れる。
「…何だ?姉ちゃん、アルケミストか?」
「いいえ、メディックです」
警戒して足を止めた男たちに、一気に飛び込んでいった。
重みのある杖が、ぶん、と振られる。
しかし脳天から垂直ではなく腹の辺りを薙ぎ払っているあたり、一応手加減はしているようだ。まあ、内臓破裂だの肋骨骨折だのまでは面倒見ないが。
「てっ、てめぇ!お前の彼氏を、弓で狙ってんだぞぉっ!」
「…あ、一応、頭使ってるわ。おーい、アクシー。どうする?こっちでやっちゃおうか?」
「そうですねっ!弓は手加減しにくいですけどっ!出来れば俺においといてくれれば嬉しいですけど、ルークのお好きなようにっ!」
ヘヴィストライクではなく普通に殴り倒していきながら、アクシオンは振り返りもせずに叫び返した。
ルークの肩に矢が刺さったが、医術防御のおかげで威力が弱まっている。さっさと抜いて、こっちもコンポジットボウで適当に射手がいると思われる茂みに撃ち込んだ。
「ぎゃあっ!」
「…やっちゃった?」
「後でリザレクションしますよ」
ショートソードの一撃を真っ向から受けて、アクシオンはにっこり微笑んで見せた。
男の顔が驚愕に歪む。
「まさか…ルークとアクシーって…」
「ギルド<ナイトメア>のメディック・アクシオン。ルークに刃を向ける輩には容赦しません」
「ギルド<ナイトメア>のバード・ルーク。アクシーにエッチな視線を向ける輩には容赦しません」
アクシオンの口上をそっくり真似して、ルークは喉で笑いながらもう一度茂みに矢を放った。
「ひぃっ!?」
慌てて逃げ出していく男の足にもう一本。
その間にも、アクシオンは3人の男を相手に立ち回り中だ。
角を持つ獣の頭を模した杖の先端が、重い音を立てて男の腹に撃ち込まれる。
げほ、と身を折った男の口から何かが飛び散っても、変わらずにこやかに笑っている。
いや、変わらずどころか、むしろいつもよりも鮮やかな笑みだ。久々に見るそれにうっとりとした視線を向けている間に、アクシオンがリーダーも始末した。
ルークにキュアをかけてから、足下に転がった体を蹴りながら苦笑いする。
「さて、と。どうしましょうか、これ」
「運ぶのは面倒だな。自分で歩いて貰おう」
アクシオンが鞄から裁縫セットを取り出して、細く強靱な糸を引き出した。男たちを後ろ手にして指を縛っていく。
ルークは茂みに歩いていって、そこに倒れている若い男の足を引っ張った。
左胸を突き通した矢を見つけて、唇を歪める。
何だ、簡単じゃないか、人を殺すのは。
男の胸に足をかけ、矢をずぼっと抜いてその辺に放った。
<死体>を引きずってくると、アクシオンが眉を上げたが何も言わずにリザレクションをかけた。
足に矢を撃ち込まれた男は逃げようとしていたが、ルークが弓を構えたのを見て諦めたように両手を上げてこちらに向かってきた。
全員を後ろ手に繋いで、アクシオンはにっこりと笑った。
「さぁて、執政院まで、全速前進」
「何なら行進曲を歌ってあげよう」
最後尾のルークが適当に歌い出す。
「や、止めてくれ!歩くからよぉ!」
「ぎゃああああ!」
<破滅の歌声>に追い立てられて、死にかけている盗賊たちが呻きながら歩き出した。
楽しそうに杖を振っているアクシオンと、盗賊の群を眺めながら、ルークは歌いながらも頭の中では考えていた。
彼らは確かに<人間>なのだが、弓で殺すのに躊躇いは無かった。
何故だ?
仮にモリビトが<人間の少女>に見えたから罪悪感を感じたというのなら、彼らにも感じるはずなのに。
男だから?自分はそんなにフェミニストだった覚えは無いのだが。
いくらアクシオンがいやらしい目で見られたとは言え、アクシオンの身に危険が迫っているとは思えない状況だった。この程度の奴ら、アクシオン一人でもどうにでもなるような相手だ。
けれど、矢を放つのに躊躇いは無く、むしろ高揚していたと言ってもいい。
何故だ?
放っておけば、自分たち以外の一般人なら被害を受ける、と思ったのも確かにある。
相手が、明らかに法に反しているから?モリビトは、確かに冒険者を殺すかも知れないが、それはこちらが<侵入者>だからだ。テリトリーに踏み入るこちらが悪い。
…何だ。
俺は、ただ、自分が悪者になりたくないだけなのか。
自分が非難される可能性を感じて、逃げただけなのか。
長はモリビトを殺せと言う。それはエトリアに住む者にとっては大義名分かもしれない。けれど、それが正しいのかどうかは、誰にも分からない。後生には長は愚かと言われ、その手先となった<ナイトメア>も糾弾される存在になるのかも知れない。
それを押して、樹海に挑む理由とは何だ?
何度も考えた、それに答えは無い。
ルークに冒険者となった切実な理由など無いのだから。
ただ、止める理由も無いから続けているだけ。
執政院の眼鏡に男たちを引き渡して、アクシオンと二人でギルドに帰る。
道すがら、アクシオンに聞いてみた。
「アクシーは、もう俺を特別扱いしない自信が出来たか?」
「厳密には、行ってみないと分からない、というところですが、ある程度は」
あっさりとアクシオンは答えた。そもそも、本当に自分の理性を疑っていたのかどうかも分からないが、すでにさっくりと割り切ったらしい。
「今日のことで思いました。俺は、確かにルークを愛していて、非常に大切だと思っていますが…」
照れそうなことを、ひどく真面目な顔で言って、アクシオンはルークを見上げた。
「同時に、この世界で俺が一番信頼しているのもルークなんです。背中を向けたままでも、ルークなら大丈夫、と安心していられる、と言いますか」
そうして、唇を歪め自嘲じみた笑いを漏らした。
「まあ、俺は冷たい人間ですので…ルークが矢に射抜かれていても、致命傷でなければ大丈夫、と放置できる神経しか持ち合わせていない、という言い方も出来ますが」
「…アクシー」
「はい」
「そういうことは、大通りじゃなく、二人きりの時に言って欲しかったな〜。今、滅茶苦茶キスしたい気分なのに、出来ないじゃないか」
「出来ませんか?」
「…煽るな、危険」
アクシオンの手を掴んで、足早にギルドに向かう。
階段を駆け上がって扉を開け、周囲に他の冒険者がいないことを確認してから、思い切りアクシオンを抱き締めた。
「あぁ、もう、可愛いなぁ、アクシーは」
「…傷を放置された上で、そういう言葉が出てくるのがよく分かりませんが…」
苦笑じみた表情で、アクシオンもルークの背中に腕を回して抱きついた。
赤みがかった金髪をかき上げて額にキスすると、お返しに顎のあたりにキスされた。
「うわぁ、どうしよ、全然おさまらないわ。マジでキスしたいし」
「どうぞ?誰も拒否してませんよ?」
ごほんっとわざとらしくも大きな咳払いが聞こえた。
「他の場所でやってくれや」
受付に座っているギルド長が苦々しく言ったが、二人とも振り返りもしなかった。
<ナイトメア>の部屋に帰ったルークは、いつものメンバーに宣言した。
「そろそろ、再開しようと思う」
グレーテルが少し心配そうに見つめてきたが、軽く頷いて大丈夫と伝える。
「良かった〜。ホントにミケーロたちに追い越されちゃうかと思ったわよ」
カーニャがぶつぶつと文句を言いつつも目を輝かせた。
「カリナン掘りの護衛もよろしいですが、やはり強敵と戦いたいものでありますからな」
リヒャルトも嬉しそうだ。まだまだターベルとのお付き合いよりも戦いの方が大事らしい。
「で、アクシオンは、大丈夫だって思ったわけ?」
グレーテルの問いに、アクシオンは頷いた。
「はい、ルークなら大丈夫、と怪我をしていても平気でいられる自信が出来ました」
「…それって良いことなの?」
「さあ?」
口調は疑問型だが、己の判断を確信している顔でアクシオンがにこにこしているので、カーニャは眉を顰めながらアクシオンとルークを交互に見つめた。
「あたしは、男同士で恋人がどうのって気持ち悪いと思ってるんだけど、それはこの際おいとくとしても、よ?…恋人って、相手が怪我でもしたら、すっごく心配するもんじゃないの?」
非常に真っ当な意見に、アクシオンと目を見合わせて苦笑する。
「ルークのことは大切ですが、殺して俺のものにしたい、という気持ちもありますので、大丈夫」
「アクシーが怪我するのはイヤだけど、戦って血まみれになってる姿が一番綺麗だから、まあいっか、と」
まったくもって「大丈夫」でも「まあいっか」でも無いような気はするが、おいといて。
カーニャははぐらかしにも似た二人の言葉をまともに受け取ったようで、考え込んでいたようだったが、心底イヤそうに顰め面で聞いてきた。
「…つまり、二人とも、変態だってことなのね?」
「身も蓋も無いな〜」
「大丈夫、カーニャに迷惑はかけませんから」
けらけらころころ笑う二人を見て、カーニャはがっくりと肩を落とした。ほんの僅かとはいえ、ちょっとは恋心なんてものを持った己の目の無さが憎い。あたしはまだまだ子供だったんだ、としみじみ感じた。
まあ、こういうのが大人になるっていうものなら、そんなものになりたくはないが。
「さて、と。でもまず行くのは13階な。女王蟻が復活してて階段を降りる邪魔になってるから、退治してくれって言われてるから」
「あら、大氷嵐とチェイスフリーズの出番ね。レベルが下がってるから、どこまで通じるか楽しみだわ」
「小手調べってやつ?」
すでに倒した相手のはずだが、楽しそうな皆の様子を見ているうちに、ルークの気分も高揚してきた。
うだうだと「こんなことしてる場合なんだろうか」と思いながら安全な場所にいるよりも戦う方がわくわくするなんて、いつの間にかすっかり冒険者の神経になっていたらしい。
改めて隣に座っているアクシオンの存在を意識する。
幼い風貌の癖に、誰より好戦的で笑いながら敵を殲滅していくメディック。
その、世界で一番大切な相手が、背中を預けられると言ったのだ。それに応えねば男が廃るってもんだ。
俺が冒険者になったのは、ただの成り行きかもしれないが、ギルドを自分で作る決心をしたのは、アクシオンのためだった。
なら、この<冒険>を続けるのもまた、アクシオンのため。それでいい。
自分たちがどこまでやれるかは分からないが、行けるところまで行ってみよう。
たとえ、モリビトの方に大義があるのだとしても。
虐殺者と罵られることになるのだとしても。
それでも、馬鹿な男の決断を歌うためにも、モリビトがもう冒険者に手出しをしないくらいに倒していこう。
やらない後悔より、やる後悔。
これから先の人生を、侵略者としての悪夢に苛まれるのだとしても、それでも逃げ出してしまう後悔よりはマシだろう。
それに、悪夢もきっと、アクシオンも共に見てくれるだろうから。
「何つーかね、しみじみと、俺は人種差別主義者だったのかな、などと思うのですよ」
足下の蟻の残骸を見ながらルークは呟いた。
女王蟻とその護衛たちは、あっさり倒せた。無論、無傷では無いが、戦闘中に回復するほどでもないくらい、というか。
そのせいもあるだろうが、アクシオンの行動には、今までと何の変わりもなく、ルークの傷にも顔色一つ変えずに、戦闘後にまとめてエリアキュアをかけただけだった。今はグレーテルと女王蟻の顎を外せないか話し合っているところだ。
ルークは、と言えば、やはりいつもと変わりなかった。
普通に皆を支援して、普通に弓を引いた。
魔物を倒した達成感があるだけで、無駄に生命を奪った罪悪感など無い。
「魔物も、地上の生物も、人間も…モリビトも。生きとし生ける者には、全て生命があるってのにな〜」
「何よ、蟻んこも人間も同じ命だって言うの?全然違うじゃない」
カーニャはさも当然と言うように胸を張った。
「突き詰めると、何故人は人を殺してはいけないのか、という深い命題に行き着くしな〜」
「それを言い出すと、我々は身動きとれなくなりますゆえ。我々は、植物を刈り取り、動物の命を奪って食べ、小さな昆虫を踏み潰し…と、まさに無数の生命を奪いながら生きておりますから」
元パラディンのソードマンは、苦笑しながら剣に付いた粘液を拭き取った。
「ですから、人は祈るのであります。食事の前には生きる糧を与えたもうた神に感謝し、他者の命によって自らの命が生かされていることを神に感謝し、他者の命を奪ったことを懺悔するのであります。…もっとも」
剣を腰の鞘に収め、リヒャルトは案外とさばさばと言った。
「もっとも、それが赦される行為なのかどうかについては、死後の裁きを待たねばなりませぬが」
「聖騎士さまだねぇ」
とりあえず神が判断するまで自分の判断はお預け、ということらしい。
便利と言えば便利だが、生憎ルークは神の存在というものを信じていなかった。そういうことを口に出すと色々と世間体が悪いので黙っているが。
女王蟻の顎を折り取ったアクシオンがこちらに歩いてきた。
「いい素材になりそうです。剣が出来るのか、刀になるのかは分かりませんが」
「じゃ、帰るか。…いや、別に疲れてもないし、荷物に空きはあるし…下に向かう?」
「リーダーの仰せのままに」
清水に寄るのも兼ねて、そのまま下へと降りる。
花経由で15階に行き、水面を眺めながら16階へ。
さて、流砂に乗っていくか、久々だな、と思っていると。
「…何か聞こえた気がしない?」
階段から降りて右手の方から、獣の叫びが聞こえた気がした。
しかし、今までこの階で遭った虎だの鹿だのでは無いような気がする。
「行ってみるか」
油断はしないように周囲を見ながら歩いていって、地図では行き止まりだった道の先に、乱れた壁があった。
何か体の大きなものが、無理矢理通って隙間を広げた、というか。
しばらくその隙間を調べてみたが、何が通ったのかは分からなかった。
道の奥は静まっていて、獣の咆吼は聞こえない。
「行ってみたい人」
はーい、と全員の手が上がる。
「どんな敵が出るのか楽しみじゃない」
「あたし、新しい剣が作れる素材が欲しい」
「この階はレンジャーにとって非常に大切でありますので、磁軸に乗ってきて危険な敵に出会うのは困りますゆえ、しっかり敵を殲滅せねば」
もちろん、マッパーとしても、地図を埋めることは大賛成だ。
ということで、まだ見ぬ区画に踏み込む。
周囲は、16階の光景と変わらないが、油断は禁物。
しばらく歩いていると、がさりと茂みが鳴った。
「ウサギ?」
「でも毛色が異なります。2階の敵と同じとは思わない方が」
とは言え、相手は2匹だったのであっさり倒してその体を探った。
グレーテルが牙を抜き取ってしげしげと眺める。
「随分と鋭い歯ね。攻撃を受けたら、深い傷になりそう」
小さいながらもかなりの切れ味らしい。やはり2階のウサギとは似て非なるものだと思っていた方が良い。
左右を伺いながら真っ直ぐ進んでいき、下への階段を見つけて降りた。
「えーと、まずはいつも通り右に曲がって、と」
階段から向かって右、地図で言えば上の道を進んでいくと。
「…強敵の気配であります」
一本道の奥を透かして見るが、僅かに立ち上る砂埃のせいで奥は見えない。だが、確かに首筋の毛がちりちり逆立つような緊張感は、確かに感じられた。
「俺たちは、逃げても良いし、立ち向かっても良い」
喉で笑って、ルークは皆を見回した。
TPばっちり、怪我は無し、まだまだ余裕。
「行けるかな」
「行きましょう」
アクシオンが医術防御の準備をしながらにこやかに答えた。
「だよな。…行っちゃえ」
てことで、じりじりと進んでいくと、向こうからも迫ってきていたのだろう、敵の姿が見えた。
「…何、これ」
カーニャが眉を顰めてそれを見上げた。訳の分からないものに対する不愉快さはあったが、怯えてはいないようだ。
「骨になった飛竜…といったところでありますか」
「どうやって動いてるのか興味あるわぁ」
「筋肉も神経も無さそうですからね。あるいは、甲殻類の一種で、あの一見骨に見えるのが外皮で、内部に神経や筋肉があるのかも知れませんが」
理論派が相手の仕組みに興味を持って議論している間に、敵は更に近づいて来た。
「ま、とりあえず医術防御に安らぎの子守唄、カーニャはショックバイトだよな」
「石化するように見えないもんね」
「炎って効くのかしら。雷や氷も効く気がしないけど」
「自分はとりあえずハヤブサ駆けで」
「んじゃ、行くぞ〜…いっせーの〜で!」
初めて見る敵だが、いつも通りに仕掛ける。いや、初めて見る敵だからこそ、いつも通りに、と言うべきか。
「…あ、大爆炎、それなりに通るわね」
「では、自分はチェイスファイアで!」
「よーし、猛き戦いの舞曲も行くぞ〜」
炎が渦を巻き、大剣が骨を割る。もちろん、アクシオンの杖も骨を砕き、カーニャの剣は頭蓋骨を貫いている。
そうして、時間はかかったが何とか倒せる…と言う頃。
「もう一体来たよ、おい」
「医術防御かけ直します」
さらっと言って、薄れていた防御がまた強くなる。
そうして、安らぎの子守唄付きでもレベルが下がった分TPが心許ないグレーテルが弾切れになりそうになった頃。
寄ってきた骨竜を全て打ち砕いて、彼らは戦利品を確認した。
「あら、この肋骨凄いわよ」
「剣になりそう?それとも刀になっちゃう?」
「それはシリカさんに伺わないと分かりませんが」
ついでに奥まで行くともう一体いたので同じ戦法で打ち砕き、宝箱の前で彼らは一休みした。
水筒から水を飲んで、ルークは喉の調子を確かめた。主にオカリナ奏者だとは言え、やはり吟遊詩人に喉は大切だ。
「あ〜あ。私は、やっぱりレベル下がっちゃってるわね。邪魔するのは悪いと思ってたんだけど、ショークスとネルスと一緒にレベルアップの旅に出るわ」
HPもTPも減ったグレーテルが顔を顰めて呟いた。大氷嵐が使えるようになったのは良いが、今の時点ではレベルが下がる前の大爆炎の方が強かった、という有様である。
「で、あんたはどうなのよ。ルークの怪我はやっぱり平気なの?…あ、でも、前ならそのくらいの怪我、後でまとめて治すって言ってたっけ」
ルークに寄り添ってキュアをかけているアクシオンを見て、カーニャは一人で納得した。ルークは後衛な分、攻撃を受ける確率も低いし、攻撃を受けてもダメージが少ない。だから、前衛(主にリヒャルト)が怪我をした時に、まとめてエリアキュアをかける、というのがこれまでのパターンだったのだが、今回はルークだけの怪我にしっかりキュアをかけているあたり、ちょっとは恋人らしくなっているのかもしれない。
まあ、カーニャにとっては、男同士で恋人、というのはどうにも理解できなくて、おままごとをしているようにしか見えなかったが。
「さぁて、道はあっちにも向かってたんだけど…」
同じように骨竜が延々道を塞いでいたら面倒なことこの上ない。
こっちのTPもぎりぎりになっていることだし、とりあえず帰ることにする。
「それじゃ、帰還の術式使うわよ〜」
グレーテルの術式で磁軸まで帰って、磁軸から地上へ戻る。
シリカ商店への道すがら、アクシオンが一歩下がって手を握ってきたので、大丈夫、と握り返した。
大丈夫、大丈夫。
普通に魔物と戦う分には、全く問題無い。むしろ楽しいくらいだ。
18階に向かうときが勝負だが…。
ルークは自分の心の動きに苦笑した。
新しい場所が見たい、新しい素材を見つけたい、新しい武器を使ってみたい、新しい敵と戦ってみたい。
これまで感じていた躊躇いよりも、好奇心が勝ってきている。
要するに、俺は好奇心で生きてきたのか、と思う。
そこには敵がいて、倒さなければ先へは進めないのだけれど、それでも他人が切り開いてくれるのを待つよりも、自分で先を見たいから。
「大丈夫。グレーテルがレベルアップしたら、18階に行こう」
「その前に、あの道の先を見たい気もしますけどね」
今までの敵よりも遙かに強かったのは分かっているだろうに、アクシオンはけろりとして言った。
けれど、その気持ちも分かる気がする。これまで停滞していた分、新たな刺激に飢えているのだ。
先へ、先へ、その先へ。
誰に強制された訳でもない、これは自分の身の内からの渇望。
「面白いな、冒険者って」
呟くルークの手を、アクシオンが柔らかく握った。