兄妹デート




 ギルドに帰ってリーダーに女王蟻の排除を依頼すると、ちらりと隣のメディックを見たので、ショークスもそちらに目をやった。
 アクシオンは少し首を傾げてから部屋の中を見回す。
 「そうですねぇ…まだ文旦たちでは心許ないですし…グレーテルさんの術式覚え直しが出来次第、排除に向かいましょうか。あの程度の敵なら、そうそう切羽詰まった回復にはならないでしょうし」
 そういえば、あの錬金術師の姿が見えない。素人には分からないが、術式を覚え直す、というのは大変なのだろうか。
 「あぁ、いいや。こっちも、もうちょっと鍛えてから13階に降りるつもりだし」
 「そうですか。後数日お待ち頂ければ大丈夫だと思いますよ」
 「つーか、13階の敵と戦いたいんなら、7階でもいけるんじゃないか?」
 「へ?」
 目をぱちくりさせると、リーダーが手書きのマップを取り出した。
 7階の抜け道から隣を指さす。
 「棘床が大変だけど、この区画は13階あたりの敵が出るんだ。しかも熊とかじゃなく、ソードフィッシュかコウモリが多い。ただ、群で出るんで、結構手強いけどな」
 ペイントレードなら、相手の数は関係ない。むしろ多いだけ嬉しい。まあ、一撃で落とせる、という前提だが。
 「へぇい。もう一つくれぇレベル上げたら行ってみるわ」
 棘床、というのが気にはなるが、敵のレベルとしてはちょうど良いような気がする。
 「メディカの用意をして行った方が良いですよ」
 何だかんだと打ち合わせしていると、背中を引っ張られたので振り向いた。
 「クゥ?」
 「兄ちゃん、今日は早いんだね〜。もう今日は行かないの?」
 「おぅ、そのつもりだけどよ。どうした?何か用か?」
 クゥはそれを聞いて安心したように笑った。おねだりするような上目遣いで人差し指を突き合わせる。
 「兄ちゃんとお買い物して、お茶しに行きたいんだ〜」
 「そっか。よし、今日は付き合うぞ」
 「へへっ、やった〜!ちょっと待っててね!」
 クゥがぱたぱたと部屋から出ていく。
 ルークたちに手を上げ、部屋の隅のネルスの元に行く。
 「よぉ、7階でも13階の敵と戦えるってさ。でも、また夜に清水寄ってからだな」
 <…聞こえていた。妹と出かけるのだな>
 「おぅよ。何か土産いるか?食いたいもんとかある?」
 <無い>
 「まぁたそうやって考えもせず…魚食わせるぞ、魚」
 これまでの付き合いで、ネルスは魚が苦手なことは分かっている。ちなみに、ショークスはキノコが苦手なこともネルスにばれているが。
 「ま、いつ帰って来るか分かんねぇけどよ。女の買い物は長ぇしな…」
 かつてのことを思い出して、ショークスは溜息を吐いた。まあ、山から久しぶりに街に来たら沢山目移りするのも分かるし、しかも欲しいもの全部を買える金は無いので、ひたすら比較検討しなければならないのも理解はしていたが、女の子の買い物って奴に付き合うのは結構体力と精神を消費するのだ。
 そうしてネルスから離れかけると、思念をかけられた。
 <…待て>
 「あぁん?」
 <これを持っていけ。俺には不要だ>
 ローブからごそごそ取り出されたのは革袋。ショークスにも見覚えがあるそれは、<ナイトメア>から支給された金貨だ。
 一瞬、目をぱちくりする。
 「…へ?」
 間抜けな声を漏らしてから、どうやら妹との買い物に金を貸してくれているらしいと気づいて、ショークスはわたわたと手を振った。
 「大丈夫だって!俺も金貰ってるし!」
 <妹に良い顔見せたいのでは無いか?…どうせ俺は持っていても使わぬ。お前が持っていろ>
 わたわたわたわた。
 両手で激しく踊ってから、ショークスは目の前に突きつけられた革袋を受け取った。
 「…サンキュ。預かっとく。あ、借りるだけな、借りるだけ。もし俺の手持ちで足りなかったら借りといて、今度返す」
 <返さなくとも構わぬがな。いっそ全部お前が管理してもいいくらいだ>
 「いや、そんな家族みてぇな…いや、相棒なんだから家族同然って感じか?いや、でも、相棒ってぇのはあくまで仕事上のパートナーであって夫婦じゃねぇよな…」
 言いつつ、また深みにはまっている気がして、ショークスは顔を覆った。
 「…っておい、何だよ、その『もし夫婦ならお前が妻だ』ってぇのはよ!何ちゃっかり自分は夫の位置に納まるつもりなんだよ、こん畜生!」
 <まさか、お前は俺を抱きたいのか?>
 「気色悪ぃことを言うんじゃねぇ!つぅか、俺ぁ、お前に抱かれたいとも思ってねぇよ!だ、誰が好きこのんで男に抱かれ…抱かれ…うぼわあああああああ」
 ついうっかり何か想像してしまってショークスは床に蹲った。
 <…何もそこまで衝撃を受けずとも…>
 自分もショックを受けたらしいネルスが傷ついたような思念を送ってきたが、何か言う余裕は無かった。
 ショークスとしては、ネルスが自分に<好意>を抱いていることは分かっていた。
 が、あまり深く考えていなかった、というか、なるべく考えないようにしていたのだが…ネルスの、夫婦→ショークスが妻→抱く、という思考の展開スピードからするに、どうやらネルスはしっかりショークスを抱くことを想定している、という恐ろしく生々しい意識まで読みとってしまった気がする。
 ちょっと待てよ。
 えらく展開早くねぇ!?
 そりゃこっちは意識を読みとってんだから、普通にお付き合いするよりゃあ深く理解してる気はするが、それにしたって出会ってまだ10日くれぇだぞ、それでそこまで行くか!?
 あ、いや、どうなんだろう、普通の男女の付き合いでも、出会って1日目で相手の女を抱く想像はするかもしれねぇし…実際に付き合いを申し込んで体の関係まで結ぶのが半年後になったとしても、だ。てぇことは、ネルスも別に口に出して…っつぅかはっきり思念に出して俺を抱きたいとか好きだとか言ってねぇんだし、勝手にこっちが読みとっただけでホントにそういう段階に持ち込むのは半年後とかかもしれねぇし…って、何それを前提に考えてんだよ、俺!
 「…小兄ちゃん、どしたの?」
 「な、何でもねぇ…」
 蹲ったまま床を見つめていたショークスは、顔は上げずにぐるりと回った。ネルスと顔を合わせる自信が無いので背中を向けたまま立ち上がると、不思議そうな顔をしたクゥがいた。
 「あぁん?えらく可愛い格好してんな」
 「へっへー。アクシオンさんが作ってくれたんだ〜」
 クゥは満面の笑顔でくるりとその場で一回転した。
 ふわりと広がったワンピースはオレンジ色でボレロはクリーム色だ。まるっきり女の子の姿だが、ブーツだけは使い込んだ茶色の革の編み上げだったため、服に似合う可愛い靴も買ってやらねぇとな、とショークスは思った。
 「お前、案外少女趣味だったんだなぁ」
 「え〜、あたしには似合わないと思ってたんだけど、せっかくアクシオンさんが作ってくれたんだし、一回は着ておこうって思って」
 へへっと笑ってもう一度くるりと回る。内心このひらひらが気に入っているらしい。
 いつも活動的な服装をしていたのは、その方が実生活にも役に立つから、という現実に合わせていたのか。だとしたら、可哀想なことをした、とショークスは眉を寄せた。妹たちには好きな服くらい買わせてやってると思っていたが、妹は妹で自分を曲げていたらしい。
 金貨の入った革袋を懐に入れ、ショークスは振り返らずにネルスに手を振った。ついでにアクシオンにも礼をして、クゥと外に出ていく。
 クゥは満面の笑顔でショークスと腕を組み、街の中心を指さした。
 「まずは服屋さんにGO!」
 「あぁん?そりゃいいけどよ…」
 可愛い服に目覚めて、そういうのを買いに行くのかと思えば。
 腕を組んで歩いていった先は、男向けの店のようだった。
 「おい、クゥ?」
 「まずは兄ちゃんの服だよ〜」
 いらねぇ、と言いたかったが、せっかくクゥは可愛い格好をしているのに、自分がいつものよれよれでは並んでいておかしいというのは分かっている。クゥも女の子だ、どうせならエスコートする男がまともな格好をしている方が嬉しいだろう。まあ、相手は兄だが。
 しょうがねぇ、と店に入ると、女の店員がじろじろと見た。
 他人が見たら、うだつの上がらない冒険者にくっついてる世間知らずの少女の図って感じか、とショークスは溜息を吐いた。
 「ねぇ、兄ちゃん、やっぱり緑がいい?」
 「んー…青かな。紺色」
 自分の目の色にも合うし。そう、自分の目の色だ。断じてネルスの目を思い出したせいではない。
 「え〜と兄ちゃんが好きそうなのは、…うーん、ズボンは茶色?」
 「んー…黒にする」
 クゥが何本かズボンを腕にかけてショークスを見上げた。
 「兄ちゃん、好み、変わった?」
 「んあ?…いや、何か、いつも同じ色の服を買うのもなぁって、ちょっと違う色も試してみようか、とか…あ、でも、赤とか派手なのは嫌だからな」
 「そっか、兄ちゃんが買うの、緑と茶色ばっかりだもんね」
 納得したらしいクゥに、試着室に追い込まれる。
 「んじゃ、こんな感じかな〜。着てみて」
 黒いズボンを履いて、紺色のセーターを被りながら、ショークスはぶつぶつと心の中で呟いた。
 緑と茶色を買っていたのは、それが山では保護色にもなったからだ。でも、ここは山じゃなく、樹海の中は階層が違えば色合いが全く違う。いや、そもそも私服を買いに来ているんだが。だから、緑と茶色の必要性が無いからいつもは買わない色を試してみているだけで、他意は無い。
 今まで着ていた服を隅に蹴りやって、カーテンを開いた。
 目の前にいるクゥと、ついでに奥でうさんくさそうに見ていた店員の目が輝いた。
 「兄ちゃん、似合う!っていうか、ほっそーい!」
 「色でそう見えるだけじゃねぇ?」
 「う〜ん、やっぱり兄ちゃん、父ちゃんのお下がり着てるのもったいないよ!父ちゃんの腹周りと全然違うんだもん!かっこいい!」
 ちらりと背後の鏡を振り返ってみる。
 確かに細い。まあ、元から細身なのだが、こういう服を着ると一段と目立つ。
 「でもよぉ、これってひょろく見えねぇ?頼りねぇっつぅか」
 「そんなことないよぉ、格好良いってば!」
 笑顔で言い切ってから、クゥが何かを思い出すようにショークスを見つめながら首を傾げた。
 「えっと…でも何か……あ!ネルスさんと同じような配色なんだ!」
 がつっと試着室の柱に頭を打ち付ける。
 「うーん、二人が並ぶと暗いかな〜。でも、兄ちゃんの金髪が派手だからちょうどいいのかな〜」
 「い、いや、二人並んだ姿で考えなくてもいいからよ…」
 「ネルスさんは赤い鎖があるし…あ、兄ちゃんはいつもの口布の代わりにマフラーしてみる?赤いの」
 「だから、ネルスと色を合わせなくていいっつぅの」
 ぶつぶつと抵抗して、ショークスはこの話はおしまい、とクゥに手を振った。
 「このまま出かけた方がいいか?」
 「うん!」
 「じゃ先に金払うか」
 「あ、いいよ、今回はあたしの奢り!」
 「じゃ、俺は後でクゥに可愛い靴買ってやるよ」
 「うん!」
 おそらくセーターとズボンだけならそんなに高くないだろう、とショークスは踏んで、素直に妹の奢りにしておくことにした。どうやらズボンの長さもちょうど良く、直さなくてもいけるようだし。
 買い物に付き合うのなら、と持ってきたでかい袋(これまた使い込んだ実用品だが)に着ていた服をしまいこんで、試着室のカーテンを開ける。
 お金を払い終わったらしいクゥが駆け寄り、腕を組んでぐいぐいと引っ張った。
 店員が何か言いたそうに手を伸ばしていたが、クゥはぷいっと顔を背けてそのまま店から出ていった。
 「クゥ?」
 「だって、あの人、兄ちゃんの名前聞いたりするんだもん」
 「…めんどくせぇ」
 「ねぇ」
 クゥにとって、ショークスは自慢の兄であり、格好良い姿を見せびらかしたい気持ちもあるのだが、同時に余計な虫が付くのは大嫌いだった。
 兄の顔を見上げると、本当に面倒臭そうに顔を顰めているので、クゥはほっとした。口では文句を言いつつ、女性と知り合いになれる機会を奪った、と思われたら悲しいのだが、兄の方も本気で嫌がっている。
 「よし、次は靴屋だな。そのブーツ、ちょうどいいっちゃちょうどいいが、もっと新しいのがいいだろ。それか、フリルの付いた靴下と靴とか」
 「普段履けない靴なんていらないよ〜」
 「その服だって普段着てねぇじゃねぇか。つぅか、採集に出ねぇ時にゃあそういう格好してりゃいいんじゃねぇか?」
 「でも汚しちゃうし…」
 「服は着てなんぼだろ」
 そんな具合で兄妹は喋り通していたので、道行く女性たちに振り返られたり熱い視線を投げかけられたりしているのには気づかなかった。


 靴は型を取るところから始めたので、注文だけしてそのままクゥが希望する店に向かった。
 何やら甘いものとお茶を出す店らしい。
 路上に並べられた白いテーブルと椅子に席を定め、クゥが勧めるままにケーキセットを注文する。
 もうおやつの時刻は過ぎ夕刻に近いため、そんなに人はいない。
 ウェイトレスが運んできたのは、白い生クリームのケーキと、チョコレートケーキ。
 「クゥ、イチゴ食うか?」
 「ありがと、兄ちゃん。兄ちゃんも一口食べる?」
 「ん、サンキュ」
 兄妹のいつもの癖で、お互いのケーキを味見する。
 その合間には、最近の探索の話や皆が出かけている間の話などをしていく。
 「…んでさ、ネルスがさ…」
 「兄ちゃん、ネルスさんの話ばっかりだよ〜」
 ショークスは一瞬手を止めたが、そのままカップを口に運んだ。
 「そりゃ、いつも二人きりで鍛えてっからよ。あいつ以外の話題はねぇわな」
 「そう?」
 「そう。…カースメーカーの話題はイヤか?」
 「そーゆー意味じゃないよ〜」
 クゥはケーキの上に飾られていたチョコレートのプレートをぱきりと歯で折った。
 「楽しそうだな〜って思って。兄ちゃんはネルスさん好きだよね〜。ネルスさんも兄ちゃんのこと好きみたいだけど」
 がちっとカップが皿に触れて危ない音を立てた。
 「お、おぅ。仲良しさんだぜ、俺たちゃ」
 可愛い妹に、心配をかけてはいけない。ただでさえ、一般論としてカースメーカーって言うのは忌み嫌われる職業なのだし、それと仲違いしていると思われたら困る。
 クゥはもぐもぐとチョコを食べながら、ショークスを見上げた。
 「あたし、ネルスさんになら兄ちゃんあげてもいいな」
 「…ちょっと待てや。あげるって何だ、俺はネルスにプレゼントされる筋合いはねぇ」
 「だってさ〜、余所の女の人に兄ちゃん取られるのはイヤだな〜って思ってたけど、ネルスさんなら兄ちゃんが増えるだけだし」
 「増えねぇよ!兄ちゃんって玉か、あいつが。…いや、そういう問題じゃねぇよ、そもそもだなぁ、あれは男だし、俺も男で」
 いや、クゥはまだ14歳、そんなにちゃんと男女関係とか結婚というものを考えているとは思えない。単に兄を女性に取られるのはイヤだ、というだけの話だろう、とショークスは上擦った説明をそれ以上するのは止めておいた。
 がつがつと残りのショートケーキを食べてしまって、紅茶を飲み干す。
 ちびちびとチョコレートケーキを食べていたクゥも、皿が空になり名残惜しそうに息を吐いた。
 「帰りにクラウドとターベルの分も買って帰るか」
 「うん!ネルスさんのもね!」
 「おぅ。俺らの分もな」
 そうして兄妹4人分プラスネルスの分で5つのケーキを箱に詰めて貰い、ギルドに帰る。
 もう日が落ちかけていて、影が長い。
 「なぁ、クゥ」
 「なぁに?兄ちゃん」
 「もしも、だけどよぉ。もしも、万が一、マジで俺とネルスがくっついた場合…男同士な上に、あっちはカースメーカーなんだけどよ。お前ら、困りゃしねぇか?世間の評判とか、結婚の妨げとか、そういうの」
 クゥはショークスを見上げてにっこり笑った。
 「べっつにー。あたし、まだ結婚なんてしないし〜、リヒャルトさんはそういうの気にしなさそうだし〜、あたしはさっきも言ったけど、兄ちゃんが女の人とくっつくくらいならネルスさんとくっついてくれた方が嬉しいし〜」
 「…あっそ」
 ちなみに、クラウド兄の意見はどうでもいい。妹たちの評判が気になるだけだ。
 「そうか…お前らは気にしねぇのか…」
 ショークスだって、別に世間様の評判なんてものには興味無いが。
 これで、ネルスが迫ってきた場合の拒否カードの一枚が無効になっただけのことだ。
 ネルスが、自分に興味を持っている、というのはもう確実である。こっちには筒抜けなのだから。
 いつ爆発するか、と思いながらびっくり箱を持ち続けるのは趣味じゃない。むしろ自分で殴ってでもさっさと決着をつける方が好みだ。
 だが、現時点では、まだその<決着>をどう付けるかの心構えが無い。
 そりゃまあ、男に好かれてその妄想まで見えてるのに、あんまりイヤな気分にはなっていない時点で、もう駄目っぽい、という気はうっすらしているのだが、まだそこまで自分は変態だったのかと思い切ることも出来ない。
 「兄ちゃんは、ネルスさんのことが好きだよね?だったらくっつけばいいじゃん」
 ものすっごく直球で聞いてくる妹の飛び跳ねた髪をわしゃわしゃと撫でて、ショークスは呟いた。
 「…ま、嫌いなら、一緒に潜ったり出来やしねぇよな」


 で、帰ってきたギルドで。
 「あ〜…すんません、うちの分しか買って来てねぇで」
 揃っている本パーティーを見て、一緒に住んでいるメンバーが他にもいることを思い出したが、ルークはけらけら笑って手を振った。
 「あ〜、いいっていいって。全員分買ってきたら15人分にもなるしな。欲しけりゃ自分らで買ってくるからいいよ」
 頭を下げて、苦笑いしているクラウドやターベルに向かう。
 クラウドに軽く殴られてから、テーブルの上にケーキの箱を置き、二人分のケーキを確保して、部屋の隅にいるネルスに持っていく。
 「ターベル、こっちもお茶二つな。…ただいま」
 ケーキを両手に持ったショークスを見上げて、ネルスはちょっと暗い波動を飛ばした。
 自分の格好を見下ろして、ショークスは何度か瞬き、その場に腰を下ろした。
 「何かおかしいか?」
 <…その格好で、街中を歩いて来たのか>
 「おうよ。…何かおかしいか?何か付いてる?」
 クゥの見立てだし、鏡に映った姿はそう変ではないと思ったのだが。
 首をねじ曲げ自分の背中を見ているショークスに、ネルスの溜息が聞こえた。
 「何だよぉ、はっきり言えって」
 <…女が、見ていたのでは無いか?>
 「へ?女?どこの?誰?」
 きょとんとして聞き返してから、ネルスの脳裏に映っている自分の姿を見た。セーターが濃い蒼のためにやけに白く見える顔と、鮮やかな金髪。見慣れた自分の顔だが……自分の顔?
 「…あ。やべ。忘れてた」
 今更気づいて、ショークスは顔を覆った。
 「クゥと話してたからよぉ、何かいつもの街を歩いてるつもりだったわ。そういやここは俺の面ぁ知らねぇとこだった。うわ、どうだったっけ、女いたかな」
 ショークスはぶつぶつ言いながら服屋から靴屋、カフェに至る通りを思い出してみた。その時には気づかなかったが、そう言われてみれば、女がこっちを見たりしていたような絵が思い出せる気もする。
 <…そろそろ女が欲しくなったのか?>
 「あほ抜かせ。話に夢中で忘れてたんだよ」
 色々考えていたせいもあるが。
 その考え込んでいた原因をじろりと睨むと、ただでさえ暗い顔が一段と陰鬱になっていた。どうやらショークスに女が付くのを想像して見も知らぬ女に呪いの念を送っているらしい。
 「ま、いいや。どうせ俺ぁ街を一人で歩くこたぁねぇからな。面倒な告白なんぞ受けやしねぇだろ」
 少なくとも今までの経験ではそうだ。たいていショークスが一人の時に告白をしに来ている。今のショークスは樹海とギルドの往復が多く、滅多に一人でうろうろすることは無い。まあ、たまには屋台の食べ物を買いに行くこともあるが。
 そういえば、外に出ることが減ったよな、と改めて首を傾げる。
 ショークスは一つところでじっとしていることが苦手なので、ここに来た当初はそりゃもう意味もなくエトリアの街をうろうろしたものだ。それが最近確実に減っている。
 寒くなったからか?と思ってから、違うな、と自分で否定する。
 ネルスが一緒に来てくれないからだ。
 いくらうまいもん売ってるから行こうぜ、とか、面白い形の風見鶏を見つけたから見に行こうぜ、とか言っても、絶対に外に出ようとしないカースメーカーに、自然と自分まで引きこもりになっていたのだった。
 そりゃ、一人で行けばいいようなものだが、ネルスと部屋でうだうだしているのも楽しいので、つい…って、いや、むしろネルスといる方が面白いからそうしてるんだよな、と半ば諦めたように認める。
 あぁあ、それってマジではまってるんじゃねぇの?と他人事のように思ってから、ショークスはネルスの顔を覗き込んだ。
 <…何だ?>
 「で?女がどうこうを除けば、どうよ、この服。クゥは格好良いとか言うけどさ、ちっとひょろひょろと頼りなく見えねぇ?」
 ネルスが眉を顰めながらショークスの顔から足までを見る。肌が出ているのは顔と手だけのような格好なのだが、瞬時に全裸まで想像されているのがこっちにも見えた。さすがに意識は閉じられたが、ちょっと遅い。
 <…着膨れするタイプだったのだな。…まあ、体格に合っていない服だったのだろうが>
 「着痩せ、とか、着膨れとかって、脱がねぇとはっきり言えねぇんじゃね?」
 <…まあな>
 閉じた意識の向こうで自分がどんな姿になっているのかについては追求しないことにしておこう。
 「お前も着りゃあいいのによぉ。寒くねぇ?」
 <…別に>
 「んでさ、着膨れがどうこうじゃなく、ひょろっちく見えねぇ?これ。いつもの緑とどっちが似合うよ」
 <そんなもの、俺に聞くな。そういうのに詳しいと思うか?この俺が>
 呆れたように言ってから、ネルスは改めてショークスの姿を見た。
 華奢な体躯に、整った顔。
 一瞬、凶暴なほどの欲情の気配が生まれ、すぐに意識が閉じられた。
 ぞくぞくする。
 恐怖でも、嫌悪でもなく、舌なめずりしたいほどの興奮に。
 目を逸らしたネルスに、にっこり笑って冗談のように聞いた。
 「どうよ、似合うなら誉めろよな。惚れ直す、とか何とか」
 溜息と共に、ネルスが顔を上げ、まっすぐショークスを見つめた。
 <そうだな…惚れ直した>
 「…はい?」
 <惚れ直した、と言った>
 「…お前…時々、妙なところで男前だな、おい」
 何だ、隠す気は無いのか、もう。いや、まだあくまで「ショークスが言えと言ったから」という逃げ道が残っているか。
 まさかこれが告白のつもりでも無いだろう、とショークスは床に置いてあったケーキを取り上げた。
 「ま、いいや。最初からそう言えよな。新しい服を着てたら誉める。基本だろ?」
 <…知るか>
 「ま、お前は新しい服も何も、服すら着てねぇもんなぁ、誉めようがねぇわ」
 けけけ、と笑って、ショークスは二つのケーキを見比べた。
 「うーん、こっちの栗のケーキも秋らしくていいが、紅茶のケーキも捨て難い」
 <お前が両方食えばいいだろうが>
 「あほ抜かせ。お前のために買ってきたんだろうが。もちろん、俺のためでもあるがよ。…うぅ、どうしようかなぁ。半分ずつ食っていい?」
 <好きにしろ>
 「へへへ、やりぃ」
 <甘いものばかり食っていたら太るぞ>
 「その分、動いてるから大丈夫だって。…あ、最近お前とごろごろしてっからやべぇかな」
 ショークスは今まで太って困った覚えは無い。何と言っても、じっとしていろと言われてもひたすら動き回っているタイプだったので、エネルギー消費が多かったのだ。
 しかし、確かに甘いもの食った上に部屋の中で話しかしてなければ脂肪になるかもしれない。
 「ま、しょうがねぇや。お前を太らせなきゃなんねぇし」
 笑いながらフォークに乗せた黄色いクリームたっぷりの栗のケーキをネルスの口に運んだ。
 顰め面だが素直に口を開いたネルスからフォークを抜き、今度は栗のケーキを自分で食べる。
 <…甘いな>
 「おう。こっちはどうだ?」
 紅茶のケーキを食べさせると、今度は
 <もそもそする。悪くはないが…お前の妹が作った木の実のケーキの方が旨かった>
 「おぅよ。…クゥ、ネルスが、このケーキよりお前が作ったケーキの方が旨かったってさ!」
 「え〜、ホント?やった」
 お茶を運んできたクゥが満面の笑みを浮かべる。
 「ネルスさんが兄ちゃん貰ってくれたら、いつでも作ってあげれるよ〜?」
 「…俺はケーキのおまけかよ」
 クゥはまだ何かネルスに言いたそうだったが、ショークスは手で追い払った。これ以上余計なことを言われてはたまらない。
 時々お茶を飲ませながら、交互にケーキを食べていく。
 あまり嬉しそうでも無いが、それでも文句は言わずにちゃんと食べるネルスをじっと見つめた。
 <何だ?>
 「ん〜、ちっとは太ったか?」
 以前は骨に皮を張り付けたような容姿だったが、少しは丸みを帯びてきた気がする。
 <俺を太らせてどうする。体が重いと浮かぶのに余計な力がいるから好かぬのだが>
 「ん〜、太らせて…」
 <太らせて?>
 「太らせて、適当な肉付きになったら、食うんだな。ばりばりと」
 <…何の話だ、まったく>
 呆れたように言ってから、ネルスはショークスの顔をじろりと見た。
 <食われるくらいなら、その前に俺がお前を食う>
 「それこそ、何の話だっつぅの」
 微妙に。
 性的な意味が含まれているのは承知の上で、笑ってかわす。
 こういう腹の探り合いってのも、まあ面白いかもなぁ、とショークスは暢気に思った。どういう展開になっても悪くはないし、などと考えている時点で、もう受け入れているも同然ではあるのだが。



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