スラムの少年
サブパーティーは8階の泉に寄ってから9階へと降りた。その前にサソリにちょっかいをかけた挙げ句に3人ほど死んで泉に逃げ帰ったのはおいておくとして。
階段と階段に挟まれた小さな広場をうろうろして敵を探す。
「よっしゃあ!アームボンデージ、決まった〜!」
「にゃあ…ボクも早く攻撃技が欲しいのにゃあ」
泉が近くにあってTP回復が容易、となるとTPを贅沢に使った攻撃が出来る…はずなのだが、小桃はまず構えなければ攻撃が出ないため普通に攻撃した方が早く、シエルはスマイトを取っておらず、後衛はそもそも攻撃技が無い…という状況であるため、血気盛んなのはミケーロだけである。
それでもうろうろうろうろと敵を探し回ってせっせとレベルアップに勤しんだ。
一日中戦い倒して、夜にはシエルの家に泊まりに行く。
アクシオンが探索に出ていないせいで、カーテンだのベッドカバーだのという布製品が届けられていて、クラウド作のベッドやテーブルセットも設置されている。
日に日に居心地が良くなって来ている<家>にミケーロはうっとりする。
野菜が多くて薄味な食事は慣れないが、それでも腹がくちて猫たちが寄り添って暖かな布団にくるまれる幸せ。
スラムの住人じゃない、<普通の一般市民>って奴は、この生活が当たり前なんだろうか、と、ふと思う。スラムの人間にとって、飢えと凍死の危険が当たり前なのと同様に。
そういう自分だって、もしもあのままスラムにいたら、一生こんな生活は知らないままだったかも知れない。
だからといって、アクシオンに感謝する、という思考にはならなかった。
ただ、「何故、そんななのだろう」と疑問と、かすかな怒りを覚えた。
物心付いた時に、<そこ>にいたから<それ>が当たり前になる。
何かがおかしいんじゃないか、と思う。好きでスラムに生まれた訳じゃないのに、<そこ>にいたから、というだけで、この暖かさを奪われるのは不公平だ。
そういう考えで、スラムの子供たちは物乞いをし、大人になれば強盗をして『自分のものではない何か』を一般人から奪い取る。それは当たり前のことだと思っていたが…何かが違う気がしてきた。
ミケーロは、今まで生きていくのに必死で、社会の成り立ちだの仕組みだのというものに気づいたことも考えたことも無かった。
だから、それは漠然とした不公平感と何を対象にして良いのかも分からない怒りでしか無かった。
足下に丸まる猫の体温を感じて、うとうとと思考が落ちていく。
けれど、考えよう、とミケーロは思った。
何故、スラムの子供たちは過酷な環境を生き抜かなければならないのか。そして、生き抜いた先も<家>も持たないその日暮らしの貧しさにしかならないのか。
何故、自分は今、ここにいるのか。実力があれば這い上がれる、という言葉だけでは説明できない気がする。では、非常な幸運が無ければスラムからは抜け出せないのか?それもまた間違っている気がする。
考えよう。
何故スラムは貧しいのか。
何故それから抜け出せないのか。
考えよう。
どうすれば、スラムの子供たちが<家>を持つことが出来るのか。
ひたすら9階で戦っていると、そろそろ危なげなく倒せるようになってきた。
「そろそろ次の階に移る頃合いかのぅ」
「10階かにゃ?」
「え〜、でも、俺、清水近くでやれんのがいいや。次は確か…13階だっけ?そこ行こうぜ」
歩く姿はかったるそうだが、やる気だけは満々なミケーロを見て文旦は苦笑した。小桃も猪突猛進派であったが、それ以上に身の程知らずなお子様だ。
「これ、ミケーロ。慢心するでない。まずは10階に降り立ち、11階、12階…と戦ってみて、手応えを掴むのじゃ」
むしろ窘める側に立っている妹に感心する。
元より文旦は小桃の意に添わぬ結婚話など蹴って出奔することに何の躊躇いも無く、女だてらと言われようが小桃が望むなら武士道を極めさせてやろうと思っていたのだが、こうして周りを見る余裕を持ち、冷静に自らの実力を測れるようになっている姿を見ると、やはりこうして世間を見せたのは良かった、としみじみ感じた。
案外と小桃は良き母になれそうだ、とちょっとした驚きと不安も感じたが。
文旦にとって小桃は妹であり愛し子であり守るべき至上の存在である。ずっとずっと小桃を自らの手で守っていきたいと思っていたし、同時にそれが叶わぬ夢であることも分かっていたはずだが、こうして妹の<母性>というものを目の当たりにすると、妹はいつまでも幼い妹ではなく、いずれは子を産み育てる存在なのだと思い知らされる気がした。
跳ねっ返りのじゃじゃ馬を、いつまでも見守っていたいと思っていたし、それは小桃も望んでいることだと思っていたが…小桃には武士道を極める以外の幸せな道があるのではないか、と気づかされる。
それでも。
「こんな男には任せられぬのぅ」
両手を頭の後ろに組んで、聞いているのかいないのか分からないような不真面目な態度で歩く姿を小桃に叱られているミケーロの背中を睨んで呟く。
小桃はミケーロを大層可愛がっているようだが、それはあくまで導くべき子供として…だと思う。とても可愛い小桃を任せられるような男では無い。
しかし、小桃の性格上、相手が同等あるいは優位であれば反発するであろうから、案外とこういう組み合わせの方がうまく行くのかもしれないが…いやいやいや、と文旦は頭を振った。
それにしても、ミケーロは無い。絶対、無い。あれが弟になるのはイヤだ。
くいくい、と白衣が引かれた。
振り向くと、困惑した顔でフレアが見上げていた。
「…にいさま?」
「おぉ、何でも無いのじゃ。…ともかくは、10階に降りようぞ。フレアは大丈夫か?」
「…たぶん…」
すぐに目が逸らされ、俯く。敵が強ければそれだけ傷つく可能性も争いが長引く可能性も高い。フレアのひ弱な神経にはどちらも障る。
文旦は兄の手でフレアの頭をぽんぽんと軽く叩いてやった。
「フレアは強くなったのぅ」
喜んで、とは言えないが、それでも気絶したり顔色を真っ白にさせたり、ということは少なくなった。先制スタナーも時折発動するし、封じも出来るようになっている。
普段の攻撃力は…まあ防御させておけばいいか、くらいだが。
「よしよし。では、10階に降りるぞ」
さて、そうして10階に降り、マップに従って歩いていって。
「おー、これが30分で4〜5000en稼げるっていう奴か!」
広場に赤い象がドシシーンドシシーンと彷徨いているのを見て、ミケーロが目を輝かせた。
「おっきいにゃあ〜」
ほえ〜とシエルが巨体を見上げる。小桃は眉を顰めて相手の皮膚の硬さと己の得物を比較した。なかなかの業物なので刃が欠けることは無いだろうが、かなり分厚そうである。
「では、やってみるかの」
「おっしゃあ〜!一人1000enだぜ!」
己の修行を金に換算するな、と言いたかったが、一応計算が合っているのと、何よりちゃんと5人で分けるのが当然と思っているらしいことが微笑ましく、文旦は何も言わずにおいた。
しかし。
「…確か、本パーティーは、30分で5頭倒したとか言っておったかの…」
「…きっつ〜…」
「防御陣形、役に立ったにゃ?」
「おぉ、役に立っておるわえ。それがなくば、わたくしはもっと死んでおったじゃろう」
1頭倒すので精一杯。思い切りTP消費してかつかつである。全員生きているだけ儲けものってくらいだ。
どうやら、本パーティーがここに来た時とは段違いのレベル差らしい。
「仕方あるまい、いったん清水に退くぞ」
「…しょうがねぇな〜。ま、俺も目一杯ボンデージしてぇし」
主に文旦のTP枯渇のため、清水と大王広場を往復して。
何とかその広場の5頭を倒した時には、30分どころか半日が経過していたのだった。
最後に清水で回復して、さぁ帰ろうか、と言うときにミケーロがはいはーいと手を上げた。
「どうせなら、そのまま10階降りて磁軸で帰ろうぜ」
確かにここから10階に降りるのはすぐで、更に11階へと降りる道も分かってはいるが。
「羚羊面の魔物が階段前におると聞いておるぞ」
文旦はマップを確かめた。文旦では発音も出来ない厄介な敵がいる、と記されている。ヒーラーボールとかいうお供が防御を高めて回復もするので長期戦になるらしい、と微妙に他人事っぽいメモが小さな字で付け加えられていた。
「何か楽勝って聞いてるし〜」
「防御陣形使えば怪我も少ないにゃ」
「わたくしも戦うてみたいとは思いまするが」
小桃は普段は速やかな殲滅を目的に、構え無しに刀を振るっているが、先ほどの大王戦で構えて技を放つというブシドー本来の攻撃法の楽しみに目覚めたらしい。まあ、死に易さに対策として体力増進に努めているので、技の威力自体は大して無いのだが。
「…まあ…全滅することは無かろうが…」
文旦はしばし悩んでから、ぽんと膝を叩いた。
「良い。ともかくはそこまで参ろう。その時点でTPが少ないだとか危うければ、階段を下りるのみにするぞ」
「へ〜い」
「にゃあ」
そうして10階に降り、ショートカットでそちらに向かってみたが、TP節約しながら向かっても大して怪我もしておらず、文旦のTPもそれなりにある。
背中がざわつくような気配を感じる扉をそ〜っと開けると、獣面の魔物は眠っているようだった。
そのまま階段へ通り抜けることも可能だし、背後を突くことも可能。
「フレア、スタナー気合い入れろよ〜」
「無茶言うにゃあ」
文旦が悩んでいる間に、お子さま組がさっさと背後へと回っていった。
「これ、ミケーロ、シエル!勝手に行くでない!」
小桃も慌てて後を追った。
となれば、文旦もフレアを抱え上げて走るより他なく。
あぐらをかいてゆらゆらしている獣面の魔物の背中を見つめて、いつもの配置に付いた。
「では…参る!」
「…我らに逆らうな………駄目、聞いてない……」
鈴のちりーんという音が、獣の鼾で掻き消された。
「ま、いいじゃね〜の?どうせこっちが先にやるし!それよか、ヘッドボンデージ頼むぜ!」
ミケーロが鞭を振るい足を縛った。
「防御陣形にゃ!」
「青眼の構え」
「まあ、無いよりマシであろ。医術防御」
「…封じ…頭…」
獣面の魔物が吠えた。
縛られた足でよろよろとこちらに振り向く。
「アームボンデージ!」
「小手討ち!」
ミケーロの鞭は腕を叩いたにとどまったが、小桃の刀が手首を深く切り裂く。
苦悶の咆吼がぴたりと止まる。フレアの頭封じも成功したらしい。
「よっしゃあ〜!全部縛ったぜ!」
「ふむ、手も足も出ぬ、とはこのことじゃの」
よろめく獣面の魔物が繰り出す攻撃はふらふらで、こちらに大したダメージは与えない。
これは楽勝!とガッツポーズをしてから、ミケーロは何か忘れているような気がした。
「…あれ?…全部縛って…そしたら…あれ?」
頭も腕も足も封じたら。
そこからがダークハンターとしての真骨頂とか何とか…金髪美女の教官が恍惚として教えていたような気はうっすらするが…全然内容を覚えてない。
どうせ一カ所の縛りも成功したことがない俺なんか、と途中から聞くのも諦めていたような。
「…やっべ、帰ったら聞きに行かねぇと」
たぶん、すっごい技のはずなのだ。それがあるからダークハンターは剣よりも鞭を使うってくらいの威力が。
カーニャは剣使いだから教えられないだろうし、だったらもの凄く不本意だが養成所に聞きに行くしかない。
すっげ〜不本意だけど。というか、頭下げるのイヤなんだけど。
「これ、ミケーロ!気を緩めるな!」
「へ?…うっわ!」
ぺしぺし鞭を振るっていたが、どうやら相手もさる者、足を戒めていた鞭が外されてしまった。
小桃が半ば切断した手首も、驚異的な回復力でくっつき始め、頭の封じも解けて来つつある。
「も、もっかい、レッグボンデージ!」
「ぐわあああ!」
「げっ!」
振るった鞭を掠めるように太い腕がぶんっと突き出された。攻撃態勢だったミケーロは真っ向からパンチを受けてしまう。
「カ、カウンターとは、やるじゃね〜か!」
鼻血でふごふご言いながらも、ミケーロは中指をびしっと立ててやった。
獣面が天高い咆吼を上げ、茂みからころころと丸まった獣が転がり出てくる。
「丸々にゃ。どうするにゃ?先にボールをやっちゃうにゃ?」
「いや、先に羚羊面に集中じゃ」
「承知!」
また構えていた小桃が小手討ちを繰り出す。今度はカウンターは来なかったが、手首を切り落とすことも出来なかった。
ヒーラーボールが自分や獣面の防御を高めたり回復したり…と邪魔はしたものの、それでも何とか獣面の魔物を倒す。
最後にヒーラーボールを倒して、5人はようやく息を吐いた。
「ようよう倒せたの…我らでは、複数の敵が出た時に困るのぅ」
本パーティーには複数攻撃が出来るメンバーが二人いる。それ以前に、後衛の攻撃力が段違いだが。
「でも、死んでないにゃ。すごいのにゃ」
シエルが銀色に輝く盾をぶんぶん振って自慢そうに言った。確かにレベル3の医術防御よりも防御陣形レベル10の方が役に立っているだろう。
「はっ!」
小桃が獣面の魔物の角を一刀で切断する。
「…この分で、11階以降に通ずるや否やは知れぬが…ともかくは帰るかの」
全員の回復を済ませて、文旦は首をこきりと鳴らした。満タンだったTPはかなり減っているが、夜に1階の清水に行けば良いだろう。
そうして階段を降り、11階の磁軸から帰っていったのだった。
いつも通り夕食を済ませてから、ミケーロはスラムに向かった。小桃には、子供が暗くなってからうろつくものではない、と言われたが、そもそも暗くなってからがスラムの時間だと思っているミケーロは気にもしなかった。
行き慣れた道を越えていくと、ちらちらと視線を感じた。確かに、今の自分の身なりは裕福そうだ。美味しい餌を見る視線を感じても仕方がない。
まあ、同時に腰に下げた鞭の威力も高そうなのが見えるので、そうそう襲いかかっては来ないのも元スラムの住人には分かっている。
隙を見せたらやばいだろうが、そうでないならおかしなちょっかいはかけてこないだろう。
ダークハンター養成所の建物をくぐると、そこにいた少年少女から羨望の視線を受けた。彼らにとって、<ナイトメア>の一員となったミケーロはサクセスストーリーの主人公なのだ。
鞭の方の部屋に向かうと、師匠と訓練生たちがいた。
「あら、珍しいぃ。どうしたのぉ?稼いだからお金でも納めてくれんのぉ?」
「はぁ?ちょっと聞きてぇことがあるだけだっつーの」
「ここで?それとも、あっちで?」
「…あっちで」
訓練生たちとは別の場所で聞きたい、と言えば、金髪美女は少し首を傾げてからきびすを返した。
無言で歩き出す後ろに付いていく。
自分が実際に戦えるようになってようやく分かったが、この師匠は今のミケーロよりは強いが、本パーティーほどでは無い。もしかしたら、もうじき追いつけて、追い越せるのかも知れない。訓練をした頃には、天と地ほどの開きがあると思っていたものだが。
別室で、金髪美女はミケーロを見つめた。
「で、何なのぉ?聞きたいことって」
「聞きてぇのは二つ。いや、三つかも。とにかく、最初は」
ミケーロは、簡単に獣面の魔物との戦いを説明した。
「あらぁ、もうケルヌンノスを倒すところまでいったのぉ。凄いわねぇ」
嫌味か、とも思ったが、その目に浮かんでいるのは慈愛にも似た光であったので、ミケーロは目を逸らした。少なくとも、それが優しい目だということは理解できるようになったのだ。
「てことだから、何か忘れたけど、相手を縛った後にやる技んことを聞こうと思ってよ」
「あらぁ」
金髪美女は面白そうに目を煌めかせて、腰に手を当てにやりと笑った。この顔は、悪戯を思いついたような、虐めを楽しんでいるような顔だ。
「お願いします、は?」
「…へ?」
「だからぁ、教えて欲しいって言うなら、お願いしますぅって頭を下げるものでしょぉ?」
ちっ、とミケーロは舌打ちした。
自慢じゃないが、誰かに頭を下げたことなど無い。そのくらいなら欲しいものでも諦める、それが最低限のプライドってものだと思っていた。
けれど。
「…お願いします」
ミケーロは腰を曲げて、床を睨み付けた。
もしも、あの時、全部縛って手も足も出ない相手に大ダメージを与えられていたら、余計な怪我をしないで済んだはずだ。自分も、仲間も。
あの居心地の良い<家>を無くすことを考えれば、頭を下げるくらいのことが何だと言うのか。
「あらま」
金髪美女は目をぱちくりさせた。もっと抵抗するのをいたぶった挙げ句に教えてやろうと思っていたのに。
「あんたも大人になったのねぇ。いいわ、顔上げて。鞭使いの本領、教えてあ・げ・る」
興奮しているような目の光が、ちょっぴり怖い、とミケーロは思った。
じっくりたっぷりエクスタシーってものを教えて貰ったミケーロは、ぐったりと床に足を投げ出した。
「ま、あんたじゃまだまだ実戦には使えないけどね。もうちょっと筋力付けなきゃ」
「…おーけい…理解した…」
軽く片手を上げ、ミケーロは天井を見つめた。
ダークハンターって…ダークハンターって…ダークってだけのことはある。
この技を、シエルや小桃やフレアの前で披露するのか。…文旦に殺されそうだ。いや、技名を言わなければ…どっちにしても、ブシドーの正々堂々とは正反対の位置にいるような気がする。
色々考えていたミケーロは、金髪美女の声に怠そうに顔を向けた。
「で?聞きたいこと二つ目ってなぁに?」
「…んー。うまく言えねーんだけどさー。…何で、スラムに生まれたら抜け出せねーんだ?」
金髪美女が眉を顰め、その辺の椅子に座った。ミケーロも勧められたが、壊れかけの椅子に座るくらいならこの方が楽だ、と床に足を投げ出したままの姿勢でいた。
「あたしだって、そんなの分かるわけ無いじゃない。普通にやったんじゃ、抜け出せない。うまく行っても暗黒街のボスになるのが関の山。…でも、ここには世界樹の迷宮がある。貴族だろうが一般人だろうがスラム出身だろうが、関係なく名を上げ金を稼げる場所がある」
「で、うまく行ったら一般人以上に金持ちになって、家も買えて、商売でも始められるってか」
「そこまで稼げるのは、冒険者でも一握りだけどね。それでも、ここにいるよりはチャンスがある」
甘ったるかった美女の口調が、苦さを含むと普通の口調になった。どうやら、あの鼻にかかったような声は作っていたらしい。
一人前の冒険者になるってことは、色々と見えるってことなんだなー、とミケーロは微妙に夢が壊れたような気分になった。
それはともかく。
「で?いきなりどうしたのよ。ここの理念に共感して、稼いだ分、寄付でもしてくれんの?と言うか、してよ。ここ、無料でやってんだから」
「俺、卒業生じゃねーし」
卒業生がここに幾ばくかの金を納めていることは知っている。ついでに、<ナイトメア>がカーニャの授業料を納めていることも知っている。お人好しのギルドらしく、今の時点ではこの養成所の一番の金づるだ。
「ケチくさいこと言わないの。稼いでるんでしょ」
「俺にも自分の家建てるって夢があんの」
気怠く言って、ミケーロは立ち上がった。
この養成所があったから、自分は今、スラムではなく暖かな家にいる。それは確かだ。
けれど、それだけじゃ何かが足りない気がする。
腕に職付けて、うまく行ったら一攫千金。でも、その裏では死んでいく奴も多数、あるいは稼げてもその日の飯と宿でおしまい、結局、怪我をしたり体力が衰える年齢になったらスラムに舞い戻る奴も多数。
極々僅かの者だけが抜け出せる。
それじゃ、今の状況とそんなに変わらない。
だからと言って、どうすれば良いのかは、ミケーロにはさっぱり分からなかったが。
分からないままにも、とりあえずは今の状況を変えるために<何か>をやり始めたこの金髪美女たちは凄いんだな、とはうっすら思った。
訓練されてる当時は、馬鹿馬鹿しいお節介だとしか思えなかったが。
何故、そう思っていたか。
それで手に入るものを知らなかったからだ。暖かい家など体験したことも無かったからだ。だから、それが幸せだとは知らない。
でも、どうだろう。知らないからこそ幸せ、なのかも知れない。
もしも、ミケーロが今、スラムに逆戻りしたら、かつては気楽だと思っていた生活に耐えられないかも知れない。暖かい家を切望して呻くかもしれない。
かすかに考えていた、スラムの子供たちに暖かい家というものを味合わせてやろう、というのは、拙いか。与えた上に、奪うのは、最初から与えないよりも残酷だ。
だったら。どうしたらいいんだろう。
奪われることのない暖かな家を与えるには、どうしたらいいんだろう。
ミケーロには答えは出そうになかった。
けれど、考えよう、と思う。
アクシオンだのルークだのに聞いても良い。文旦や小桃に東方国ではどうなっているのか聞いても良い。リヒャルトに貴族はどう考えているのか聞いても良い。
いろいろ聞くのは大切だ。それが最近、分かるようになった。
まだ、性格が邪魔をして実行には移せないけど。
ミケーロは立ち上がって、金髪美女に手を振った。
「まだ、分かんねーけど。うまく言えねーけど。俺が金貯めんのは、自分が旨いもの食ったり遊んだりするためじゃねーから。あんたらは<ナイトメア>から直接吸い取りな」
まだまだ家の一つも買える金額でもないし、何に使うかもはっきりとはしないけれど。
それでも、「自分だけでも抜け出せて良かった」とは思えないから。
考えよう。考えよう。いろいろ聞いて、それから自分の頭で考えよう。
自分に何が出来るのか。そのために、何をどうしたらいいのか。
考えよう。