昼寝




 夜中に一度、目を覚ましたアクシオンのために熱いお茶とサンドイッチを注文して腹に収め、それ以降は一緒に朝まで眠った。
 ルークがぼんやりと覚醒して動き出すと同時に、アクシオンももぞもぞと動き出した。くっついた肌は温かく、吐息も穏やかだ。
 「おはようございます」
 触れ合った頬がずれ、柔らかな唇が頬に小さな音を立てた。
 「ん、おはよう。アクシー」
 顎を捕らえて同じように頬にキスを返すと、恥ずかしそうに首をすくめた。自分が仕掛けるのは平気だが、されるのは照れるらしい。
 「具合は?」
 「もう平気です。温かくてよく眠れましたし」
 「そりゃ良かった」
 宿屋の朝は早い。
 スイートだろうが雑魚寝部屋だろうが容赦なく5時にチェックアウトさせられるのが分かっているので、彼らは手早く着替えた。朝食はギルドでとればいいだろう。
 糸目に鍵を返しに行くと、細く開いた目でからかうように問われた。
 「自己申告はございますか?布団を規定以上に汚した等ございましたら、追加料金を頂きますが」
 「ねぇよ!」
 「…相変わらずですね。では、本日も探索を頑張って下さいね」
 まさかいちいち冒険者の関係を把握しているのか、と突っ込みたくなりつつも、人のことは言えないバード同盟であるため、それ以上の文句は言わなかった。
 まあ、「本日も探索を」という言葉に、ずっしりと重石を乗せられた気分になった、というのもあるが。
 外に出ると、まだ薄暗かった。だいぶ日の出が遅くなったようだ。
 冷たい空気の中、冒険者たちが宿屋の扉から吐き出される。
 顔見知りと軽い挨拶をしつつ、彼らもギルドへ歩いていった。
 一通り会釈をし終えたアクシオンが手を伸ばしてきたので、マントの陰でこっそりと手を繋いだ。少しだけ指先が冷たいが、それは単に気温のせいだろう。
 アクシオンの体調はもう大丈夫だ。
 なら、探索に出ない理由は無い。
 
 ギルドに帰ると、普通に朝食の準備がされていた。
 「おはよー」
 「あら、お帰りなさい…って、何かあったの?」
 「何かって、何」
 ルークは、自分がどんな顔をしているのか自信が無かった。
 アクシオンと両思いになった幸せを垂れ流しているのか、それとも今日の探索のことを考えて滅入っているのか。どちらも同じようにルークの心を浸食している。
 そうしていつも通りにアクシオンと隣り合わせで朝食を取って。
 食後のお茶を飲みながら、さて、そろそろ今日の予定を宣言しなくちゃな、と思っていると、アクシオンが片手を上げた。
 「すみません。しばらく本パーティーの探索は休止でいいですか?」
 「はぁ?」
 「あら、珍しい」
 「何よ、まさかあんたに限って、死んだから怖くなった、なんてことは言わないでしょうね?」
 「自分は特に異論はありませんが…理由は?」
 咄嗟に「はぁ?」などと間抜けな声を漏らしたルークは、アクシオンの顔を覗き込んだ。アクシオンの表情はいつもと同じく冷静で、合理的な解決を模索しようとしている顔だった。
 「えーと、アクシー。俺なら、ちゃんと殺せるぞ?相手が何だって、戦えるし…」
 「えぇ、聞きました。これは、俺の問題です」
 アクシオンは如何にもそれが当然というように頷き、冷静な口調で続けた。
 「俺に自信が無いだけです。少し、感情を組み立て直す時間を下さい」
 「ちょ、ちょっと待って、感情を組み立て直すって何!まさか、今更俺のこと好きじゃないとか言っても聞かないぞ!」
 「…あらまあ」
 「男同士で…不潔」
 どうやらルークとアクシオンの間に<何か>があったと勘付いたらしいグレーテルがにやにやと笑い、カーニャもよくは分からないにせよ、ルークの慌てっぷりに眉を顰めた。
 ぎゃあぎゃあ喚いて抱きつくルークをあしらいながら、アクシオンは続けた。
 「逆です。公表することでも無いですが、探索の休止を申し入れる以上、説明しておきます。俺は、出来れば自覚したくないと思っていたのですが、このたび、ついにルークを特別に好きだと認識してしまいました」
 「おめでとー」
 グレーテルが拍手して、リヒャルトは困ったように笑った。どう反応して良いのか分からないらしい。
 当のルークだってどうしたらいいのか困る。一体何を言い出すつもりだか。
 「そういう感情は邪魔です。…あ、失礼、一般生活上は邪魔ではないです。非常に大切なことだと思います」
 「…後半が棒読みです、アクシオンさん…」
 「でも、探索において、<特別な>相手がいるのは困ります。俺はこれまで、探索において平等に回復してきたと自認しています。感情ではなく、合理的に優先順位を決めていたと思っています。…が」
 ふぅ、と如何にも困った、と言うようにアクシオンは眉を顰めて溜息を吐いた。
 「今の俺は、おそらくルークを最優先します。具体的に言えば、この分なら他のメンバーが怪我をしたら一緒にエリアキュアだな、とか、先にリヒャルトの蘇生をした方が戦力的には有利、とか、そういう場合でも、ルークの回復を優先してしまう可能性があります。これは、理屈ではありません。おそらく咄嗟にそういう選択をしてしまうだろう、という推測です。それが分かるだけに、俺は自分が探索に赴くことを禁じたいと思います」
 理路整然。
 いや、淡々と述べられているので思わず納得させられる雰囲気はあるが、よくよく聞くと単なる感情の発露、というやつだ。普通にルークが好きなので優先で怪我を治しますね☆では駄目なのだろうか。
 「んー、分かるような気もするんだけど、具体的には、いつまで休止なのよ」
 「まさか、俺のことをその他大勢と同じように思えるまで、なんてことは…」
 「言いませんから、安心して下さい。そんな考えが出来るようなら、とっくにそうしてます」
 出来ればもうちょっと可愛く言って欲しかったが、それは贅沢というものなのだろうか。
 「すみませんが、見通しは立ってません。どういう方向に持っていけば良いのかすら、まだ考えていませんので。とにかく、少し考えてから、18階のような最深度の区域ではなく、クエストの消化などで試していきたいと思っているのですが、どうでしょうか」
 「いや、どうでしょうか、も、何も…」
 ルークは言葉に詰まった。
 アクシオンが嘘を言っているとは思わない。
 が、他の区域になら探索に出る、ということは、やはり18階を避けている、つまりルークがモリビトを殺さずに済むようにしているのではないか、という気もするのだ。
 「私は、賛成。実はね、ちょっと術式を覚え直したいんで、時間が欲しいとは思ってたのよ」
 「覚え直すって何?」
 「ほら、私の術って大爆炎と氷結なんだけど、もういっそ全部広域術で3色揃えちゃおうかなって。そうするとどんな相手にも対応可能でしょ?」
 「あたしはどうしようかな…ショックバイトより他のスキル…とも思うんだけど、結構ショックバイトでもダメージ出るのよね」
 何だかアクシオンが休養するのは前提で、その時間をどう使うかに話は向かっているらしい。
 「パーティー全体で一気にレベルが下がるのは危険では無いかと愚考いたします」
 「じゃあ、私がレベルを上げてからカーニャは考えるってことでいいかしら」
 いや、だから、前提はそれでいいのか。
 カーニャはさほど気にした様子もなく頷いた。
 「あたしはいいわ。また困ってから考える」
 「でも、グレーテルさんのレベルを上げる、と言っても、お一人では」
 「あっちに混ぜて貰えばいいんじゃない?3人だと効率的だし」
 部屋の隅で蟠っている二つの影を指さす。
 確かにペイントレードと大爆炎の二つがあれば、かなり効率的に雑魚を倒せるだろうが…どちらかしか先に発動させられないのが欠点だ。
 「では、そういうことでよろしいですか?」
 「…よろしいですかー?」
 平然と聞いたアクシオンの隣で、ルークも窺うようにグレーテルたちを見たが、3人とも探索休止を気に病む様子は無かった。
 「あ、でも、1ヶ月、とかは止めてよ?鈍っちゃう」
 「前向きに善処します」
 「…またそういう良く分からないことを…」
 ぶつぶつ言いながらもカーニャは立ち上がった。
 歩きながら大きな声で話しかける。
 「ミケーロ!喜びなさいよ、あたしたちしばらく探索休止だってさ!あたしたちに追いつくチャンスよ!」
 「なにぃ!よっしゃあ!見てろよ、さっさと追いついてやるぜ!」
 「18階にゃ?うにゃ〜、ボクたちは今9階だから…あと2階降りればいいにゃ?」
 「ばっか、あと8階だって」
 どちらも違います。
 文旦がのそりと立ち上がって、カーニャと入れ違いのようにこちらにやってきた。
 「ふむ、身共は構いはしませぬが…如何なされた?」
 「メディックとしての規律の問題です。その間に、そちらのパーティーが18階を踏破されることを期待しています」
 やっぱり。
 「…出来る限りのことはするがの」
 グレーテルは立ち上がりざま、小さく囁いた。
 「カーニャがさ、昨日聞いてきたのよ。モリビトは人なのかって。植物の擬態だって説明して、一応納得してるみたい」
 「自分は、相手が人であろうと敵であれば殺すものだと認識しておりますので…騎士というものは国家間の戦に駆り出される職業でありますから。むしろ敵が人間である可能性の方が高い。それゆえ、モリビトと戦うことに違和感はありませんでしたが」
 どうやらグレーテルとリヒャルトは、ルークがモリビトを殺せない、あるいは殺すのを躊躇っているがために探索休止になると薄々気づいているらしい。
 そういえば、自分のことばかりで、カーニャの心配まではしていなかった、とルークは頭を抱えた。
 何だかんだ言っても、グレーテルもリヒャルトも大人で、敵が何であれ割り切っている。
 だが、カーニャは世間知らずの少女で、まだ15歳なのだ。相手が人間の少女だと認識したら、それこそ一生残るようなトラウマになる可能性もある。
 だからと言って、たとえ姿形が人間であっても、敵対していれば殺しても良いのだ、なんて刷り込むのは、もっとまずい気はするが。
 そういう意味では、サブパーティーが18階に挑んでも同じことだ。文旦や小桃はともかく、シエルやミケーロに<人殺し>はさせたくない。フレアは…まあ、相手が人型であれ魔物型であれどちらも同じように怯えているだろうが。
 だったら、やっぱり俺が…。
 …何故、自分がそんなことをしなくちゃならないのか。
 何もかも放り出して、旅に出て、何が悪いのか。
 目の前の食器をひたすら睨んでいると、それが消えた。その後も、今度は床を睨み付ける。
 「では、自分はターベル殿とカリナン掘りに勤しみますゆえ」
 「私はちょっとお勉強〜」
 「あたしはどうしよっかな〜。リヒャルトとターベルの邪魔しに行こっか」
 「…護衛が増えるのはありがたいことでありますが」
 そうして、サブパーティーが探索に出て、ショークスは休みに行った。ネルスは部屋の隅で蟠っている。
 クラウドとターベル、それにリヒャルトとカーニャが採掘に出かけると、部屋の中は一気に静かになった。
 私服のアクシオンが袖を降ろしながら戻ってきた。どうやら洗い物をしていたらしく、腕がピンク色に染まっている。
 手招きすると寄ってきて、その冷たい手をルークの頬に当てた。
 「もう水が冷たい季節になりましたね」
 「大丈夫か?」
 「すぐに温かくなりますよ。しもやけはありませんし。ルークは?あかぎれとかなる体質なら、今から皮膚の保全用にクリームを塗った方がいいですよ。楽器を扱うのに痛いでしょう?」
 「んー、大丈夫」
 すぐ側に座ったため、触れた体の半分が温かい。
 アクシオンはルークの手を仔細に眺めている。
 弓を射るが専門ではない普通の男の手。特に大きくもなく、繊細でもない、楽器演奏者としても普通の手。
 自分に、優れたところなど一つも無い。
 オカリナにしても、せいぜい中の上ってところだ。弓に至っては、武器の威力だけでやっているようなものだし。
 何でこんな自分がギルドのリーダーなんてやってるのかなぁ。
 「ルーク」
 「んー?」
 「お昼になったら、郊外に出ましょう。久しぶりにお昼寝するのはどうですか?今日は晴れそうですし」
 「いいなぁ。…ホント、久しぶりだ」
 昼寝ばかりしていた自分からは信じられないほどだ。
 そろそろ寒い季節だが、昼間の日が射している時間はむしろ汗ばむほど暖かくなる。久しぶりにエトリアの外に出るのも悪くない。
 「…でも、アクシーは待機してなくていいのか?」
 「大丈夫でしょう。いざとなったら、クゥちゃんか誰かに走ってきて貰えば」
 そろそろよっぽどの無茶をしない限りはサブパーティーも全滅の危機には陥らないだろうし、本来、待機するのは経費節約の意味なだけで、施薬院に行けば事足りるのだ。
 「…いっそ、今からピクニックってのはどう?」
 「いいですね。お弁当作って下さい」
 「了解」
 何もかも忘れて、敵のいないところでのんびりするのも悪くない。


 本当ならのんびり歩けばいいものを、少し肌寒かったので足早に歩いてきてしまった。
 おかげで火照った体に冷たい風が心地よい。
 「ピクニックには最適の季節ですね」
 木陰で首をぱたぱたしながらアクシオンが微笑んだ。
 「だな。今度はみんなと来ようか」
 「大勢で来るのも悪くは無いですね。もっと開けた場所の方がいいでしょうが」
 「湖とかあったかな〜」
 街道から少し外れれば、誰も来ないようなところだったので、遠慮なく手を繋ぐ。
 ちょっと力を込めると、返事をするように握られ返されるのが嬉しい。
 「あ、どんぐり」
 アクシオンが不意に身を屈めて細長い茶色の実を拾い上げた。
 「あぁ、どんぐりかぁ。懐かしいなぁ。子供の時には山に入って一杯拾って、すり潰して焼いてみたら、とても食べられない味でさぁ。…あく抜きってもんが必要だと知ったのは、だいぶ大きくなってからだったな」
 「俺は、海辺の街育ちなので…どんぐりって知識でしか知らなかったんですよね〜」
 そう思いながら見下ろすと、地面にはどんぐりがたくさん転がっていた。打ち合わせをしたわけでもないのに、二人で綺麗な実を拾い始める。
 「水に浮かべて沈むのが良い実なんだぞ?浮かぶのは虫食いとかすかすかな奴」
 「ルークは何でもよく知ってますよね。そういうところも素敵です」
 「…いや、雑学でさ…何の役にも立たないんだけどさ…」
 「ルークは照れ屋さんですよね。そういう謙虚なところも…」
 「や、もういいですから…」
 アクシオンは自分のどういうところが好きになったんだろう、と疑問には思うが、そうやって誉められるのも慣れていないので、勘弁して欲しい。
 第一、どんぐりの見分け方、なんて子供の遊びの知識のようなもので、世間一般的には全く自慢にはならないだろうし。
 「ルークは顔は良いし、性格も優しいし、人を立てるし、料理は出来るし…良い旦那様ですよね。何で今までフリーでいられたのか不思議です」
 思わず拾ったどんぐりを握り締めてしまって、先端の尖った部分がぐさぐさと刺さった。
 「おぅわっ!」
 取り落としてばらまいたどんぐりを慌てて拾い集める。
 アクシオンが差し出した布の袋に入れて、それから空を仰いで呟く。
 「いや、そういうこと言うのは、アクシーだけだって。顔は、どう見ても十人前…」
 「人の良さが滲み出ている話しかけ易い安心できる顔だと思いますが…」
 「性格は優柔不断でへたれだし…」
 「自分のことじゃなく他の人のことにまで気を遣って、大らかかつ神経の細やかな優しい性格だと思いますが…」
 「人を立てるも何も、俺は誰かの上に立てるような人間じゃないし…」
 「エトリアで最高峰のギルドのリーダーをしているのにそれを鼻にかけること無い態度は、後発ギルドの良い見本になっていると思いますが…」
 「料理は、ほら、貧乏人のサバイバル風味だし…」
 「自然の素材を活かしてあれだけのものを作り上げるのは尊敬に値すると思いますが…」
 「…あとね、フリーなのは当たり前で、世間一般的には稼ぎもせずにふらふらしている音痴のバードなんて将来性0のクズだよ」
 「世の中の女性には、見る目が無いんですね。…おかげで俺のものに出来るんですから、助かりますが」
 うんうんと嬉しそうに頷いたアクシオンに、ばりばりと灰色の髪を掻きむしる。
 どうしよう。
 アクシオンは、結構ホントに俺のことが好きなのか。
 うわあ、と蹲ったルークに、アクシオンがきょとんとして声をかける。
 「ルーク?」 
 「…い、いや…そういうシチュエーションに慣れてないんで…はい…」
 またばりばりと頭を掻いていると、アクシオンが目の前に正座した。
 手を伸ばしてルークの乱れた髪を整え、少し笑う。
 「あぁ、でも、ルークが格好良いってばれたら恋敵が増えて困りますね。ばさばさの髪でいてくれた方が良いのかな」
 もつれたような灰色の髪、人の良さは滲んでいるかもしれないが覇気の無い人畜無害な顔、それに吟遊詩人のだぶっとして動き易いが折り目もなくだらしない印象の服装。
 こんな男を格好良いなどと表現するのはアクシオンくらいだ。誰が見たって無職の遊び人だ。
 ちらりと目を上げると、そこにいるのは誰が見たって愛らしい少女の顔をした将来性有望なメディックで。
 「…ホントに、俺でいい?何かの間違いじゃない?」
 「さぁ…俺はルーク以外はその他大勢で、大して区別もしてませんので…何故他の人間じゃないのか、と聞かれても困りますね。何故一面のカボチャ畑で人間を見分けられたのか、と聞かれているようなものです」
 困ったように首を傾げて笑っているアクシオンが嘘をついているとは思わない。無駄に正直なのがアクシオンの良いところだ。無駄に、というのは、ルーク以外であれば<仲間>にも大した興味がない、と言い切っちゃうところとかだが。
 「俺の方は、ルークが世界で唯一の<人間>だとしても、ルークはそうじゃないですよね。ルークこそ、数多いる女性を差し置いて、何故男である俺なのか、という方が不思議です」
 「…だって一目惚れしちゃたしなぁ。男だって分かっても、恋心が醒めなかったんだからしょうがないじゃないか」
 手を伸ばして、小さな頭を引き寄せた。
 一瞬で見惚れた若草色の大きな瞳が目の前にある。
 あの時には、こちらを射抜くような強い光を宿していたそれ(今から思えば、もしも敵なら殴ってやろうという気概に満ち溢れていたがための光だったのだろう)が、今は別の熱意を宿らせている。
 ただ愛しいというだけではなく、強く他人を巻き込むような光に、怖いようなくすぐったいような気がして、ルークは喉を鳴らした。
 「アクシー。…キスしていい?」
 「しなければ、俺の方からします」
 「…大変、男らしいお答えで」
 

 日当たりの良い柔らかな草原でお弁当を広げる。
 何も考えたくなかったためにやたらと手の込んでいるそれに、またアクシオンがうっとりとした視線を向けた。もちろん料理にではなくルークに。
 ミモザサラダを取り分けながら、ルークは何気ないように言った。
 「うーん、俺が料理担当、アクシーが掃除担当、洗濯は二人でって、家事は分担できるなぁ。…一緒に暮らす?」
 「無理でしょう」
 「…がーん」
 いきなり冷静に返答したアクシオンにルークは胸を押さえた。そんなにきっぱりとプロポーズを断られるとは思っていなかったので、思わず悄げた顔でアクシオンを見つめると、きょとんと小首を傾げて説明した。
 「だって、ルークが一つところに留まる姿を想像できません。ずっと一緒に旅をしている光景なら思い浮かぶんですが」
 「あぁ、それもいいなぁ」
 シエルの家を整えたので<家>もいいなぁと思っただけで、確かにルークはどこかに留まるのはピンと来ない。
 「アクシーと一緒なら、どんなところでもいいなぁ」
 「一度はルークのご両親も見てみたいですしね」
 「…俺は、アクシーの両親に会ったら、殴られるのかなぁ…」
 「まぁ、一発くらいは覚悟しておいた方が…主に母の拳ですが」
 「どんなお母様デスカー」
 他愛のない笑い話をしながら昼食を取る。
 こぼれ落ちたパン屑を何気なしに見ると、なにやら動いていた。
 小さな小さな蟻。摘んで潰せるような蟻が、自分の体ほどのパン屑を必死で引っ張っている。
 「蟻だー」
 「蟻ですねぇ。女王蟻は巣の底でしょうが」
 草むらに消えていった蟻から視線を外すと、今度は小さな白い蝶がひらひらと舞っているのに気づいた。
 「蝶だー」
 「毒はないでしょうね。普通の蝶です」
 これまた手で握り潰せるような小さな蝶だ。もちろん、人間を襲ったりなんかしない。
 見えはしないが、この草原のどこかにはモグラが走っていて、カマキリも蜘蛛もいるのだろう。
 人間には抗いようのないほどの無害な昆虫や小動物が愛おしい。
 「…世界樹の迷宮って、何だろうなぁ」
 「何なんでしょうねぇ。言った通り、俺は海辺育ちなのであまり大きな樹木を見たことは無いので…高い山の奥深くには、このくらい大きな樹木が普通にあるものだと思っていたのですが」
 「いやぁ、滅多にこれ級は…世界のどこかにはあるのかもしれないけど」
 エトリアから離れても、天にそびえ立っているのが見える巨大な樹木。執政院や施薬院、教会を並べてもまだ収まるほどの胴回りの樹木など、見たことが無い。
 「俺が住んでいたところはね、すごく栄養が豊富な海だと言われてまして、何でも海流がぶつかって海底の栄養素が巻き上げられているんだ、とのことで…他の地方の2〜3倍の大きさの魚が捕れる、と有名だったんですよね」
 「世界樹の下にも、もの凄い栄養源があるってことか?」
 「どうなんでしょう。ただ栄養が豊富で大きく育った、というだけでは無いように思えますが」
 炎をまとったネズミだの、雷を放つ虎だの、大きさだけの問題では無い。
 しばらく世界樹を見上げていたアクシオンが、眉を顰めながら聞いた。
 「頭が二つある亀とか、見たことあります?」
 「んー…あぁ、誰かが飼ってたな。頭も尻尾も頭でさぁ、両方の口から飯を食うんだって…えーと、トカゲだったかな」
 「そういう生物は、突然変異、と呼ばれて、一般には生殖能力が無いか、そもそも生命力が低いかで淘汰されるはずですが…ひょっとしたら、樹海の生物は、その突然変異を繰り返して生き残った地上の生物なのかも知れませんね。成長を促進するけれど突然変異を誘発する薬剤か何かが地中に埋まっているとか…」
 メディックは淡々と言って、ぱくりと唐揚げを口にした。
 「…そーゆーところに行くのって、危険なんじゃ…」
 「そもそも樹海は別の意味で危険なんですし。仮に突然変異を誘発するとしても、俺とルークに限れば問題ありません。そもそも生殖しませんから」
 「…そーゆー問題?」
 確かに男同士で子孫は出来ないのだが、じゃあ生殖年齢の他のメンバーはどうか、という。まあ、アクシオンにとっては、どうやら世界は<ルーク><その他>で構成されているようなので気にしていないようだが。
 「まあ、おかしな子供が産まれたってな話は聞かないからなぁ。樹海の中に限るのかもな」
 だったら、地中ではなく、世界樹の根付近にだけ<何か>があるのか?
 モリビトはそれに地上人を近づけないようにしているのか?
 だとすれば…あっちが<正義>でそれを侵すこちらが間抜けなのか?
 「…余計なことを思いだしちまった」
 今日はモリビトのことなど忘れて楽しむつもりだったのに。
 はぁ、と溜息を吐くルークの頭を、アクシオンがぽふぽふと叩いた。
 「ルークは真面目で、根が優しいですから…良いですよ、一緒に旅に出ても。このままエトリアから去るって言われても、俺は付いていきますから」
 「ありがとさん」
 慰めではなく、本当にそう思っているのは確かだ。アクシオンにも進む理由は無いのだから。
 「もうちょっと、考えるわ。…逃げる、と決めるだけの根性も無い男でごめんなー」
 「責任感が強いところも好きですから」
 アクシオンは何でも良い方向に取るなぁ、とルークは苦笑した。
 本当に、責任でも何でもなく、ただ優柔不断なだけだ。
 進む決意も出来ず、止める決意も出来ない。
 ホント、俺って最悪、と頭を抱えていると、アクシオンがそっと寄り添ってきた。無言ですり寄って来るので、ルークも無言で肩を抱いた。
 腕の中で息づいている温かな体。
 生きている、ということは、それだけで価値がある。
 逆に言えば、それ以上に価値があることなんて無い。
 その命を賭けてまで、何を求める必要があるというのか。
 金?名誉?知識欲?
 巨大な世界樹を見上げて、ぼんやりと思い出す。
 何で俺は冒険者になったんだっけ?
 「…歌を」
 歌いたかったんだ。
 それから、アクシオンと出逢って、ちょっと格好を付けたくって。
 そのうち、何故か最先端ギルドになんてなっちゃって、執政院からミッションなんて受けちゃって、何だかのっぴきならないことになっちゃって。
 ………。
 もう、いいかな。
 俺は十分やったよな。
 昼寝をこよなく愛する男が。肉体労働もせず、仕立屋を継ぎもせず、ただ歌いたいってだけでその日暮らしをしていた男が。
 これだけやったんだから、もういいよな。
 (…逃げるのか)
 誰かの声がした。
 その声が、自分の頭の中にだけ存在するものだと知っているので、ルークは自分の腕を掴んで顔を膝に埋めた。
 (また、逃げるのか)
 イヤなことから全て逃げ出して。
 それでも、きっとアクシオンは付いてきてはくれるだろうが。二人きりで、どこまでも。
 「アクシー」
 「はい」
 「アクシーは、その…人殺しでも、平気?」
 「えーと、それはつまり、俺が人を殺すのに躊躇いを覚えるのか、という問いですか?」
 そうではなく、ルークが人殺しでも平気でその手を取ってくれるのか、という質問のつもりだったのだが、アクシオンはさらさらと続けた。
 「もし、そうなら、答えはノーですね。俺は全く気にしません。もちろん、快楽殺人に走る気はありませんが、俺にとって他者の生命を奪う行為は禁忌たり得ません」
 メディックというものは、他人の生命にもっとも近い職業だ。それで感覚が麻痺しているのか、それともアクシオンが特別なのか。
 「何で?」
 「何で、と言われましても…死は解放でしょう?そしてまた肉体という器に押し込められた生命が始まる。その繰り返しが少々速まったからといって、別に気にする必要を感じませんし」
 「アクシーは、自殺願望?」
 「どうでしょう。早くこの肉体を破壊して解放されたいと思うことはありますが…わざわざ自分を壊すほどでも」
 「…危ないなぁ」
 「えぇ、危ないので、しっかり捕まえていて下さい」
 くすくす笑って、アクシオンはルークの耳にキスをした。
 「抱き締めてたら、そんな気はなくなる?」
 「かもしれませんね。試してみます?」
 試してみた。
 ついでに、暖かな日差しに瞼が降りかけていたので、草原にマントを広げて横になる。
 出会って最初の頃も一緒に昼寝はしていたが、その頃と違うのは腕も足も絡めてぴったりくっつき合っていること。
 もしも通りがかった赤の他人が見たら、眉を顰めるか目を逸らすこと請け合い、という姿で眠りに就く。
 草の匂いと、アクシオンから香る薬剤の匂いを嗅ぎながら、とろとろと意識が落ちていった。

 そうして目を覚ますと、横にいたはずのアクシオンが上にいた。と言っても、上半身だけ乗って、ルークの顔を覗き込んでいる、という状態だったが。
 眉を顰めて、何となく苦しそうな顔だったので、意識が速やかに浮上する。
 「アクシー?」
 「…どうしましょう」
 「何が?どっか痛い?」
 「ルークを殺したい気分です」
 「なななななななな何でっ!?」
 慌てて飛び起きると、アクシオンが困ったように首を傾げながらルークの首筋を撫でた。
 「ルークが好きなんです。それは間違い無いです。で、好きすぎて、どうしたらいいのか分かりません」
 「…愛情表現の一種デスカー」
 世の中には「殺したいほど愛してる」って表現もあるが、まさか自分が言われる日が来るとは思わなかった。
 まあ、本気で殺したいと思われていたら、今頃生きてはいないだろうが、冗談とも思えなかった。
 どうもこのメディックはちょっぴりずれているのだ。はっきり狂的とは言えないあたりが惚れた弱みである。
 「殺されるのは困るなぁ」
 「何故ですか?」
 「殺されたら、アクシーを抱き締められないだろ?」
 アクシオンは真剣な顔でその言葉を理解しようとしているようだった。
 うん、と真面目に頷く。
 「ですね。それは俺も困ります」
 「そう。だから、殺すのは止めておいてくれると嬉しいなぁ」
 「だったら、このもやもやする気持ちはどう表現すれば良いんでしょう」
 アクシオンの顔は、相変わらず真剣だ。
 多少年齢が上で、耳年増な吟遊詩人には、それが何なのか分かった。分かったが…そういう欲が殺害に結びつくあたりがアクシオンらしい。
 「好きっていう気持ちを表現するんなら…そうだなぁ、キスでもしてくれれば…」
 「そういうものですか?」
 少し怪訝そうに言ってから、ふっと顔が近づけられた。
 お?と見守っていると、唇が触れる5mmほど手前で止まった。
 吐息がかかるほどの距離で、停止すること数分。
 「…も」
 「も?」
 「…もう少し…修行します…」
 顔を離して、アクシオンはがっくりと肩を落とした。
 アクシオンにとって、殺す方がキスより簡単なのか。困ったことだ。まあ、本気で困ったとは思えないあたりが、ルークもどこかおかしくなっているのかも知れないが。
 「さぁて、帰ろうか」
 「そうですね、街に着く頃には夕刻になってます」
 手を繋ぐ。
 温かく、小さな手。
 ルークが教えてやらねば愛情表現と破壊衝動とをはき違える困った恋人と並んで歩く。
 自分が導いてやろう、とかそんな大層なことは出来ないけれど。
 「俺が悩んでたら、アクシーも一緒に悩んでくれるかなぁ」
 「一応、考えるだけはします。でも、ルークとはそもそもの精神基盤が異なる気がするので、ルークの望む思考が出来るとは限りませんが」
 「うん。でも、同じ方向に向いて、一緒に歩いて行けるといいなぁって」
 「…それが、思考の話なら、おそらく同じ方向には向いていないでしょうが…」
 でも、ずっと一緒に歩いていけるといい。



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