モリビトとの遭遇
降りた先は、ひたすら広かった。
「…何じゃ、こりゃ」
呆然と呟いて、奥を透かしてみる。
だが、砂煙でも立っているのか、それとも本当に果てが遠いのか、霞んで奥が見えない。ところどころに大木らしき影が見えるくらいだ。
「樹木の中の、朽ちたうろ、という感じでしょうか」
「やぁねぇ、それって。世界樹、倒れるんじゃないの?…あ、土に支えられてるから倒れはしないか。立ち枯れるだけで」
現実家たちの感想も聞かずに、ルークはひたすらその光景を心に焼き付けていた。
吹き抜ける風。生き物の気配のない砂地。遠く果ての無い広大な空間。
短調。切ない弦の響き…いや、素朴な笛の音が似合うかもしれない。
泣くような…いや、違う、滅びを悼むような。
鎮魂歌。
言葉は分からないが、囁くような歌。
そうだ、あれは、子守歌ではなく、鎮魂歌だ。
死を悼み、己の無力を嘆き、せめて死者の魂が安らぐように、と…。
歌が聞こえる。
ずっと、女の声だと思っていたが、むしろ高めの男の声だ。
「…ーク?ルーク?」
「……え?」
一面に広がる墓石の列が、ぼやけて消えた。
何度か瞬くと、その見たこともないはずの景色は消え、目の前に怪訝そうな面もちのアクシオンが覗き込んでいるのが見えた。
そう、これが現実。
「…あ〜…どんな曲を作ろうかって考えてただけ」
「さすがはバードですね」
感心したような顔に、首を振る。
あの歌も、この景色を見て浮かんだ音色も、自分には再現出来ないことが分かっている。心の中には鳴り響いているのに、それを組み立てようとするとさらさらと砂のように滑り落ちてしまう。
ルークはもう一度首を振った。
「さぁて、こりゃマッパー泣かせの階だな。とりあえず、階段の周辺を回ってみるか」
懐に手を入れ、今まで書き込んだ地図の手触りを確認する。
これが、現実。
夢は今は忘れてしまわないと、危険。
そうして右に折れると、壁際に人影があるのに気づいた。
「おやま」
「君たちか」
もう見慣れたブシドーとカースメーカーがひっそりと立っていた。
敵意は無いようで、普通に世間話のように話しかけてくる。
「ここはモリビトたちの領域だ。どこかに奥へと抜ける道が隠されている、とのことだが…」
「そちらも、まだ見つけていない?」
レンはあっさりと肩をすくめた。
「当たりは付けているが、まだ、というところか」
それが真実か否かはまだ判断できない。本当に彼らも探索途中なのかもしれないし、もっと奥まで行けるのにこうしているのかもしれないし。
「まあ、俺たちはここに来たばっかなんでー。ぼちぼちと進めていくわ」
「そうか」
レンはきびすを返しかけて、顔だけ振り向いた。
「あぁ、そうそう。この奥には癒しの清水がある。この広大な砂地の中の、唯一の安らぎだ。…ただし、モリビトも多いがな」
「あ〜、そりゃ唯一の水場なら盛りだくさんだろうなぁ。せめてそこだけでも中立区域になってたらいいんだけど」
「君は、相変わらず暢気だな」
レンは僅かに笑った。
馬鹿にしているようでは無かったが、うっすらと上から眺めて楽しんでいるような気配もあった。
「せいぜい、モリビトたちに気を付けることだ。では、壮健でな」
上で出会ったことなど忘れたかのように、ツスクルは一言も喋らず、レンの影のように付いていってしまった。
レンとツスクルが完全な味方だとは思っていない。
が、ここがモリビトの領域で、どこかに道があるというのは真実だろう。だとすれば、癒しの清水があるというのも本当であると考えてもいい。
どうせひたすら果ての見えない空間なのだから、どこから始めてもいいんだし。
「てことで、まずはこっちにどんどん進んで清水を探すか」
階段の裏側に回って、それからひたすらまっすぐに地図で言えば下へ。
清水は見えないがうっすらと大木らしきものが見えたかなぁ、というところで、リヒャルトの気配が変わった。
「敵の気配であります!」
いつものように展開し、敵がどこから来るのか神経を尖らせる。
茂みもなく、身を隠す場所などない砂地で、うっすらと影が4つほど見え隠れしていた。
ヒュージモアほど大きくもなく、火ネズミほど小さくもない。そう、人間か、人間の子供くらいの…。
「………え?」
ルークは、呆然と呟いた。
彼らが歩くよりも素早く砂地を駆け寄ってくる影。
髪の毛をざわめかせ、両手に剣を持つ<少女>の姿。そして、それよりは年長と思える槍を持った<少女>は、布で出来た衣服を纏っている。
「<ニンゲン>ガ!」
甲高い奇妙な響きだが、明らかに人と同じ言葉を叫び、<少女>が剣を繰り出してきた。
「やったわね!」
カーニャが自分を傷つけた相手に同じように剣を突き出す。同じ相手に、アクシオンが杖を振りかぶった。
「はっ!…あ、打撃の方が効くみたいですね」
「ちょ…待て…」
「てぇい!」
リヒャルトが槍を持った年長の少女に斬りかかったが、別の少女が何かを叫んだ。
槍から迸った何かがリヒャルトの剣から体を貫き、弾き飛ばされる。
「…待てよ…モリビトって…」
弓を構えたまま呟くルークの目と、剣を持った<少女>の目が合った。
敵意と憎悪しか無い目。
だが、明らかに知性を湛えている目。
まるで<人間>と同じ、年端もいかない少女の姿がぶれた。
ルークの左から放たれた大爆炎が彼女たちを包んだのだ。
真紅の炎の中、悲鳴を上げて<少女>の姿が一瞬で黒焦げになる。
炎が吹き抜けた後には、完全に炭化した何かが4つ転がっていた。
「…ここまで効くってことは、やっぱり植物系なのね」
かちり、とガントレットが収納された音がした。
「えーと、リヒャルトとカーニャが怪我してますっけ?」
「あたしはいいわ。次にドレインバイトするから」
「じゃ、リヒャルトだけ…」
「申し訳ない」
いつも通り。
敵を倒した後の、いつも通りの会話。
いつも通りの。
いつも通りの。
いつも通りの。
いつも通りの。
「違うだろう!?」
ルークの絶叫に、皆の視線が集中した。
「違うだろ?違うだろ?いつもの敵じゃない、あれは、モリビトは…モリビトってのは…」
知性がある、人型の生物。
人間の少女と全く同じ姿の敵。
敵でも…敵だけれども、人間の少女と同じ形の。
「ちょっ…冗談じゃないぞ!俺は…」
執政院が出したミッションを、何の疑いもなく受け入れた。
『モリビト殲滅作戦』。
だが、それは、あくまでモリビトの配下の魔物と戦うと思っていたからだ。
「私としては、話し合いで…」
オレルスの声が蘇る。
そう、出来るなら、話し合いで解決するべきなのだ。
相手に知性があるのなら、話し合いが出来るはず。
あの<少女>を見つけなくては。
今戦った戦士たちよりも更に幼い、だが上に立つ者特有の雰囲気をまとっていたモリビトの少女を。
ルークは駆け出した。
清水近くまで行けば、モリビトたちに会えるかも知れない。
そうしたら、何とか話し合って、あの<少女>を呼んで貰って…。
「ルーク!?」
鞄から回復薬を取り出そうとしていたアクシオンは、一瞬反応が遅れた。全く予測してもおらず、ルークの行動が何を意味するかも理解し損ねた他のメンバーは、更に遅れた。
リヒャルトに薬も渡さず、アクシオンは走り出した。走る速度は、ルークの方が早い。
走りにくい砂地に、足を取られそうになってよろめく。倒れている暇など無いのに。
ルークはひたすら走った。
周囲の光景も目に入らない。
ただ、正面の清水があると思しき大木が次第にはっきりしていくのだけは認識していた。
その周辺に幾つかの影。
「おーい!」
喉がからからに乾く。
「おーい!俺たちは、お前さんたちと戦いたくはないんだ!なぁ、頼むよ、話し合いで何とかならないか!?あの女の子を呼んで…」
ようやく立ち止まって息を整えるルークの前に、影が近づく。
先ほどの剣とは違う、曲がった形の刃を持つ少女が二人。それに槍を持った少し年上の少女。
冷たく燃える憎悪の目を見つめて、ルークは敵意が無い証拠に両腕を広げて見せた。
「なぁ、頼むよ。俺たちは、あんたたちと戦いたいんじゃなくて…」
走った先に見える光景に、アクシオンは背筋を凍らせた。だが、それが一瞬で炎に変わる。
明らかに敵意を持って包囲しつつあるモリビト、それに無防備に立つルーク。
冗談じゃない、冗談じゃない。
殺させるか。
殺させてたまるか。
人のものに手を出すな!
ルークにも、目の前のモリビトたちが、敵意を持っていることくらい分かっていた。
だが、だからといって弓を構えたり逃げたりしたのでは意味が無い。
本当にこちらには敵意が無いんだ、と分かって貰えるくらいぎりぎりまで耐えなくては。あっちも、一気に襲っては来ずに、こちらを測るようにじりじりと近づいて来ているじゃあないか。
そう思った瞬間。
3人の少女が動いた。
槍の切っ先が真っ直ぐにこちらを向き、何かが唱えられる。
左右に分かれた少女たちが、弧を描く刃を振り翳す。
これは、避けられないな、と思う。
やっぱり、無理なのだろうか。
いくら敵意が無い、と言っても、分かっては貰えないのだろうか。
少女の形をしたものなど、殺したくは無いのに。
もう、無理だと分かっても、弓を構える暇も無い。
どうしたら、分かって貰えるんだろう。
このまま無防備に殺されたら、少しは話を聞いてくれる気になってくれるだろうか。
そうして、衝撃を待っていた。
目の前に映ったのは、白。
それから、赤。
「……え?」
背後から引っ張られたのだ。
体勢を崩して、上を向いたはずなのに、見えたのは天井ではなく、白。
それから…何とか倒れずに踏み堪えて、まっすぐに前を向いて。
それでも見えるのは、白。それから、赤。
「……え?」
もう一度、呟いた。
掴まれた肩が痛い。
俯いた、赤みがかった金髪の頭が、上向いた。
燃えるような瞳に浮かんでいるのは、狂気にも似た歓喜。
闇の中に浮かぶ炎に魅せられるように、一瞬で引き込まれるような瞳が、ルークをひたりと見つめていた。
「…死なせる…ものか」
ごぼり、と空気と液体の混じった音で、彼は笑った。
「アクシオン?」
間に合った間に合った間に合った間に合った。
辛うじて届いたルークのマントを思い切り引っ張り、自分はそれを斜めに飛び越えたのだ。
とても前を向く暇は無くて、背中からばっさり斬られたのは気に入らないが、この際仕方がない。
何か喋ろうとすると気管に血液が溢れてきて、ごぼり、と吐いた。
あぁ、これは助からないな、とアクシオンは冷静に判断した。
でも、息を止めていれば、1〜2分は保つ。
だったら、やることは、一つ。
ルークは自分の肩を掴んでいる小柄な体に触れた。
肩と、両脇から斬られて、白衣が真紅に染まるほどに出血している。
それでも、手が動いて腰の鞄を探っていた。
あぁ、キュアVをかけたら全回復する、とルークはぼんやりと思った。
アクシオンが死ぬはずが無い。
死にさえしなければ、回復出来るのだから。
顔を上げたアクシオンは笑っていた。
口を血まみれにして、それでも爛々と光る目で笑っていた。
敵を滅ぼし尽くす狂戦士の目で、アクシオンは試験管の蓋を弾いた。
肩を掴んでいた手が外れ、ゆっくりと、体が回転する。
半ば切断されている肩で、アルカナワンドを構える。
「…何で…なんで、医術防御?」
回復じゃなく。
彼らを包んだのは、最高位防御の術。
ずり、とアクシオンが一歩前に出た。
敵がまた刃を構えている。
絶対に、耐えられるはずないのに。
たとえ医術防御をかけても、耐えられるはずないのに。
怪我一つ無い、ルークなら、ともかく。
そのためか、と気づく。
逃げるにせよ、戦うにせよ。
ルークは死なないように、と。
白衣をぐっしょりと濡らして、それでもアクシオンは殺意を放っていた。
アルカナワンドを構えて、一体は道連れにする気迫でヘヴィストライクの動作に入る。
その体に、今度は前面から刃が叩き込まれた。
ざくり、と肉が裂ける音がする。
年上の少女の槍はルークを向いている。
頭のどこかが、冷えている。
完全に冷静な何かに従って、ルークは己の意志で弓を引き絞った。
少女の顔。
人間の少女の顔。
知性のある目を真正面から見つめながら、ルークは矢をその額に放った。
「ハヤブサ駆け!」
リヒャルトのそれも、かなり息を乱して辛うじて届いた、という感じであったが、何とか敵を乱すことは出来た。
「大爆炎!」
「うわっちっち!」
「あ、ごっめーん」
まだモリビトたちの近くにいたリヒャルトごと大爆炎を放ったグレーテルは、簡素に謝った。
リヒャルトも地面を転げて自分で火を消し、それ以上の文句は言わない。
後から駆けてきたカーニャが、おそるおそる覗き込む。
「アクシオン…死んじゃったの?」
とても白衣とは思えないほどに真紅に染まった衣服に包まれた体が、砂地に転がっていた。
その鮮やかな赤とは対照的な顔の色。
ルークはその横に跪いた。
上半身を持ち上げるのも怖い。左右から切り裂かれているのだ。もしも千切れてしまったら、もう復活できるとは思えない。
荷物からネクタルを取り出した。
蓋を外し、アクシオンの口元に持っていったが、指が震えていて取り落としそうだった。
それでも何とか唇に当てたが、口に含ませる自信が無かった。
ルークは、両手でネクタルの瓶を握り締め、自分の口元に持っていった。
「カーニャ、癒しの清水探すから手伝って」
「え〜、そこに見えてるじゃない」
グレーテルがさりげなくカーニャを呼び、カーニャはぶつぶつ言いながらもアクシオンが復活したら癒しの清水が必要だと思ったのだろう、素直に付いていった。
リヒャルトはさりげなく目を逸らして、女性二人が向かった先を見つめた。
ルークの口の中に、甘ったるくねっとりとした液体が広がった。
こぼさないように気を付けながら、身を屈める。
血の味がした。
こんなに、口の中も血で一杯にして。
それでも笑いながら敵に立ち向かうなんて、いかれてる。
口元から伝い落ちているピンク色に染まった液体を拭いながら、ルークはぼんやりとアクシオンの顔を見つめていた。
もしも、動かなかったら。
二度と動かなかったら。
虚脱したような脳のどこかで、ふわりと黒い靄が湧いた。
殺してやる
人間の顔をしていようが
知性があって話し合う余地があろうが
殺してやる
ゆらゆらと靄が渦巻き、その領域を広げた。
だが、それがはっきりとした形を取る前に、意識が別の方向へ向かった。
アクシオンの瞼が動いたのだ。
何度かけいれんするようにぴくついて、それからゆっくりと胸が上下した。
「…アクシー」
開いた目がルークを認めるより早く、体を横向きにさせて咳き込んだ。
その口から飛び散る血飛沫に、ルークは慌ててアクシオンの体を抱き上げ、下を向かせて背中をさすった。
何度か息を振り絞るように咳き込んで、地面をピンク色の泡に染めたアクシオンは、額を拭いながら顔を上げた。
かすかに笑って「すみません」と呟く顔を、正面から見つめた。
まだ土気色で口元が血まみれな顔。
だが、しっかりとした光を宿している若草色の瞳。
手で頬を撫でると、それはまだ冷たく、触れる髪は血に濡れて固まっていた。
「敵は?」
「倒した」
「ルークに怪我は?」
「無いよ」
「そうですか」
満足したように目を伏せたので、その瞼に唇で触れた。
驚いたように瞬いて、小首を傾げてルークを見つめる。
「ルークの方から触れるのは、初めてですね」
「そうだっけ?」
「そうなんですよ、実は」
そういえば、触れる勇気が無かったのだった。
女の子の代わりに愛でている時には、嫌われたら困る、と触れなかったし、男でも好きだと気づいても、それはそれで冗談のようには触れなかったし。
今まであった接触は、全てアクシオンからのものであった、とどこか遠くの記憶のように思い出した。
「口」
「ん?」
「ルークの口にも、血が付いてます」
「アクシーほどじゃないよ」
背嚢から水袋を取り出して、アクシオンに渡す。
「うがいするといい」
「ルークからどうぞ」
「アクシーの方が酷いから」
少し躊躇ってから、アクシオンは受け取った。
口に水を含んでは捨てる。
喉を反らせてうがいもして、アクシオンは息を吐いた。
「大丈夫…」
「大丈夫ですか?」
声が重なった。
ルークはまじまじとアクシオンを見つめた。
怪我一つしていない自分が大丈夫かとは何だろう。
だが、アクシオンは心配そうな目で見上げている。
「俺は、怪我してないし」
「そうじゃなくて…何かおかしいんですけど」
うまく言えない、とアクシオンは首を振った。
ルークはぼんやりと自分を見下ろす。
「おかしいかな、俺は」
「えぇ、おかしいです」
「…そうかもなぁ」
たぶん。
ここに降りる前の自分とは変わってしまった。
ぼんやりと天井を見つめて、そう呟いた。
冷たい手がルークの手の甲に触れた。無意識に握り締めていたらしい。
少女の形をしたものに対して、自分の意志で弓を引いた手を。
自分を<綺麗>だなんて思っていたつもりはないが、それでも、頭のどこかで「あぁ、汚れちまったなぁ」と思う。
魔物をいくら殺しても何とも思わなかったが、人型を殺して初めて、自分の手が血濡れている、と思った。
それでも、それは、自分の意志だから。
「ルーク?」
「んー…大丈夫」
「大丈夫、という顔でも無いので心配しています」
「アクシーの方がひどい顔だし」
遠くで、グレーテルとカーニャが呼んでいるのが聞こえた。
「行こうか」
アクシオンを抱き寄せて、そのまま立ち上がると、慌てたように声を上げた。
「まあまあ。今は自分の足で歩くのは大変そうだから」
「そうでもないですよ。支えて貰えれば、歩けます。…汚れますよ、血まみれだし」
「今更、いいよ」
どうせ、血には濡れているし。
アクシオンは目を細めてルークを見上げた。
まっすぐ清水を向いて歩き出したルークは、アクシオンとは目を合わせなかった。
癒しの清水に着いて、ルークの腕から降りたアクシオンは、ルークに縋りながら白衣を脱いだ。
ずっしり重いそれから必要なものだけは取り出す。
「あら、捨てるの?それ」
「さすがに修復は面倒そうなので」
苦笑してアクシオンはそれを広げた。切り裂かれて血を吸ったそれを染み抜きするのも縫い合わせるのも面倒くさい。
「グレーテルさん、焼いて貰えます?」
「その辺に放っておけばいいんじゃないの?」
「遺品扱いされそうでイヤなんですよね」
くすくす笑って、アクシオンはそれを投げた。重い音を立てて広がったそれにグレーテルの大爆炎が放たれる。
焼けた切れ端が舞い散っていくのを眺めて、それからアクシオンは自分の体を見下ろした。
上着の白衣だけでなく、中に来ていたケーシーもズボンも血まみれだ。しかし、さすがにそれを脱ぐわけにもいかない。
「アクシー、水」
「はい」
素直にルークに腕を取られて切り株に向かった。大木のどこかから滴り落ちている水が溜まった切り株から、手にすくって水を飲む。
「少し頭はすっきりしましたが…血は戻らないんですよね、なかなか」
さすがの癒しの清水も、大量に失った血液を瞬時に戻せるほどの威力は無い。それでも、何も飲まないよりは早い回復だが。
「さて…と。今日は帰るってことでいいか?アクシーを休ませたい」
「もちろん。今日は宿屋に泊まりなさいよ?」
「ま、しょうがないわね」
「ここは退くのが賢明であります」
「さすがに着替えたいですしね」
服を摘んで苦笑するアクシオンは、死にかけた…というか完全に死んでいたことなど気にしていないようだった。
「じゃ、全員水は飲んだな。グレーテル、頼む」
「はぁい。じゃ、帰還の術、いきまーす」