先制されて、死にかけて




 ショークスとネルスは続きで1階の獣道奥へ鍛えに行った。
 すぐに元の区画に戻れる道まで行って、うろうろと敵を探す。
 そうしていると、ネルスもレベルが上がったのだが、それでもまだナマケモノを一撃で倒せるほどには威力は上がらなかった。
 「まぁ、しょうがねぇじゃん。何となく蜂とかの倍くれぇのHPあるんじゃねぇ?」
 ナマケモノが出ると一撃は食らってしまうショークスが、全く気にした様子もなく言った。ショークスも先制ブーストを伸ばしたので、時々はナマケモノ相手でも無傷で済んでいる。本人は、それでレベルアップの実感があるので、たとえナマケモノが出て自分が怪我しても気にしていない…というか、むしろ怪我をするのは自分の先制能力の低さのせいだと悔しいのが先に立つので、ネルスのペイントレードに文句を言うつもりはさらさら無い。
 しかし、ネルスはどうも落ち着かなかった。
 先制出来ずに敵と相対して、ペイントレードを放つ。だが、仕留め損なって、その次の瞬間にはショークスが思い切り殴られて血まみれになる。本人はその後弓でナマケモノを射殺して、時々メディカを飲んでいるのだが…それを見ているネルスは何とも言えない気分に陥っていた。
 もっと、レベルアップして威力を増せば。
 もっと、ぎりぎりまでHPを削れば、ショークスが怪我をせずに済むのでは無かろうか。
 焦りのようなうずうずした感覚が胸の内を渦巻く。
 ナマケモノの爪を折り取ってから、ショークスは腰を伸ばした。
 「何、気にしてんだよぉ。お前のせいじゃねぇし。だんだん慣れてきたって」
 体の半分をざっくり切り裂くような傷に「慣れた」などと言わせたくない。
 ショークスは困ったように頬を掻いて、魔物の死体をその辺に蹴り込んだ。
 「俺が先制出来りゃ大丈夫なんだし。死にさえしなきゃ平気だって。気にすんな」
 <…別に…お前の身を心配しているのではない>
 ネルスは思考を閉じて、唸るように細く尖らせた思念をその隙間からショークスに送った。
 <俺はただ…お前が死ぬと、俺も死ぬ。だから、お前が怪我をするのが落ち着かぬだけだ>
 「あ、やぁっぱ一撃で死ねるくらいのHPにしてあんだな。俺はその方が心配だよ。痛くねぇの?」
 <別にこのくらい…>
 レベルアップしたせいで、ほんの少しだがHPが伸びている。むしろそれすら1まで削ってしまいたい。ひょっとしたらそのほんの1〜2ポイントでナマケモノを葬り去れるかもしれないと思えば、すぐにでも帰ってアクシオンに棘床に連れていって貰いたいくらいだ。
 これは何だ、とネルスは眉を顰めた。
 基本的にカースメーカーというのは感情を表に出さない一族だ。ネルスもこれまで憎悪だとか憤怒だとかを感じてはいたが、それを呪力にするべく飼い慣らしてしまったため、母を殺された当時の生々しい感情はむしろ色褪せてしまっている。その他の微少な感情など、まして何をか言わんや。
 その自分が。
 感情があるなどと言うことすら忘れてしまっていた自分が、何だか分からないものに振り回されている。
 己の無力に対する苛立ち、不甲斐なさが胸を焼いている、というのは分かるのだが、なにゆえそんなものを感じなくてはならぬのか。
 その訳の分からなさにイライラしながら歩いていると、ショークスが困った顔で振り向いた。
 「何をそんなに焦ってんだよ。すぐにはレベルアップ出来ねぇの分かってたじゃねぇか。それともあれか?またカエルジェノサイドでも頼むのか?」
 自分たちは防御しておいてひたすらメディックが杖でカエルを叩き潰していく光景を思い出して、ネルスは顔を顰めた。あれで納得するくらいなら、わざわざ二人でこんなところに来ていない。
 「だろ?だったら少しずつこうやってやってくしか…」
 がさり、と茂みが鳴った。
 「しまっ…!」
 ショークスが慌てて振り向く。
 だが、敵が先に動いた。
 蜂の針が深く食い込み、ナマケモノの爪が肩を切り裂く。
 「…やっべ…」
 先制ブロックも取っておくんだった、と後悔しながら、ショークスは力無く一歩踏み出した。
 <ショークス!?>
 「悪ぃ、ネルス、逃げ、ろ」
 出来ることなら、敵を押さえておかなくては、とショークスはナマケモノを抱え込むように倒れ込んだ。
 怒り狂ったナマケモノが邪魔なそれを鋭い爪で投げ飛ばす。
 <馬鹿、が…>
 ち、と舌打ちしながらネルスはローブを思い切り延ばしてショークスの足首を掴んだ。
 そのままちょうどすぐ近くにあった元区画への獣道へと移動する。
 ナマケモノはショークスの妨害で少しだけ遅れているが、蜂は一匹追い縋ってきている。
 ネルスのHPでは掠るだけでも死ねる。
 <…死ぬ訳にはいかぬ>
 死ぬのが怖いと思ったことなど無い。むしろ解放に近いと思っている。
 だが、今、死ぬとショークスも死ぬ。この平気で人の盾になって怪我しても笑っている馬鹿まで本当に死んでしまう。
 振り返って蜂の動きを見定める暇は無かった。そんなことをしていたら、ナマケモノまで追いついてしまう。
 だからカースメーカーとしての思念の網を張り巡らせて背後の動きを察知するより他無かった。
 ネルスに出来る限りの速度で獣道へと移動し、迫る蜂をぎりぎりのところでかわす。
 揺らめくローブだけを突き通した蜂が苛立ったように羽ばたき、漆黒の布を切り裂いて体勢を立て直す。もう一度針を構える直前に獣道へと逃げ込めたのは僥倖だと言わざるを得ない。カースメーカーの身体能力からすれば奇跡的だ。
 絡む枝に苦戦しつつネルスは獣道を抜けた。こんなに苦労したことはない、と思ってから、今まで獣道を通るときは、ショークスが先に立って道を広げてくれていたのだと気づいた。
 <馬鹿、が>
 もう一度頭の中で呟いて、ネルスは穏やかな小道に座り込んだ。ゆっくりとローブを手繰り寄せる。
 足首だけで引きずってきたため、血まみれな上に草だの土だのに汚れた体を傍らに置き、頭を膝の上に乗せた。
 口布を下げて少し仰のかせ、開いた口に荷物から取り出したネクタルを突っ込んだ。

 
 ショークスがまず考えたのは、何かあったかいなぁ、だった。俺、布団で寝てたんだっけ?とぼんやり思ってから、目を見開いて、跳ね起きる。
 「ネルスはっ!?」
 半身を起こしたのはいいが、くらくらと目が回って額を手で押さえたショークスに静かな思念が降り注いだ。
 <第一声が、それ、か。…お前は、まったく>
 今度はゆっくりと目を開けて、状況を把握する。
 どうやら今、自分はネルスの膝の上にいるらしい。漆黒のローブが体を巻いているので、まるで布団にくるまっているかのような気分になっていたらしい。
 「お〜、無事だったかぁ。いやぁ、マジ危ねぇと思ってたけど」
 いつも通りの骨と皮のような顔の落ち窪んだ目を見ながら、ほっとして笑うと、微妙に目が逸らされた。
 <当たり前だ。俺が死んでいたら、誰がお前を蘇生させる>
 「ん?…ん〜、その辺の奇特な通りすがりの冒険者?」
 <馬鹿を言え>
 「いや〜、良かったよ、ぜってぇ無理だと思ったぜ。よく逃げられたなぁ」
 <お前が死にがてら敵を押さえていたからな>
 「あ、うまくいったんだ、やりぃ」
 <…無茶をするな>
 「ってか、先制されちまったのが敗因だよなぁ。畜生、先制ブースト取ったら、次にゃ先制ブロック取ってやる。いや、HP伸ばして敵の攻撃に耐えられる方がいいか?」
 <お前はとことん前向きだな>
 「おぅよ!ぜってぇ次にはネルスまで危ねぇ目に遭わせねぇようにしてやらぁ!」
 <…俺のことは、いい。…お前が死なぬようにしろ>
 「ま、ほとんどセットじゃねぇ?ネルスが危ねぇ時にゃあ、俺はたいてい死んでんだろ。あ、後衛に攻撃する敵だと、お前が先に死んじまうか」
 <やはりペイントレードで一撃で全滅させるようにせねばな>
 「まぁ、それが一番いいんだけどよ」
 頷いてから、ショークスはネルスの膝らしきところを叩いた。
 「ところで、そろそろ立ち上がりてぇんだけどよ」
 <あぁ…そうだな。清水で顔を洗え。ドロドロだ>
 漆黒のローブがほどけ、ショークスは、よいせっと草地に立ち上がった。少し頭を振ってみるとくらりと視界が揺れる。おまけに何だか息苦しい気がしていったん頭を下げた。
 「うぼあ〜…血が足りねぇ〜」
 <だろうな。無理をするな>
 同じく立ち上がったネルスが背後から脇を支えるようにローブを延ばしてきた。
 「わはは、くすぐってぇって!大丈夫だよ、一人で歩けるって!」
 <お前は意外と軽いからな…運んでやってもいいが…>
 「いいって、いいって!何よ、何かやけに優しくねぇ?どういう風の吹き回しだよ」
 何だか随分と気を使ってくれるような気配がするので冗談半分に言ってみると、ネルスのどこか諦めたような思念が伝えられた。
 <…お前は、馬鹿だからな>
 「何じゃそりゃあ!俺のどこが馬鹿だよ!」
 <馬鹿だろう…人のことを気にする暇があったら、まず自分の身を守ることを優先しろ。…馬鹿が>
 その<馬鹿が>が、やけに優しい調子だったので、ショークスは黙り込んだ。
 どうも落ち着かない。
 ネルスがある程度自分のことを気に入っていることは知っている。いくら口では…というか言葉になった思念としては『足』扱いしていても、底辺には気遣いだとか信頼だとかが潜んでいると感じ取れるからだ。
 しかし、何かこう…今は妙に優しすぎるというか…。
 あれか、目の前で母親が死んだのがトラウマになってるのの繋がりで、俺が死んだのも結構傷を抉ったとか何とか、そんな感じか。それでまるで病気の人間に接するみたいな優しい感じになってるのか。
 「…お前が、そんなんだと、調子狂うなぁ」
 <そんなん、とは何だ>
 「や、何つぅの?……ん〜……ごめん、目の前で死んだ俺が悪かった」
 <…何故、お前が謝るのだ>
 「何となく」
 <お前は、やはり馬鹿だ>
 「はいはい」
 そうしてまっすぐの道を歩いていけば、夜にだけ力を持つ神秘的な清水へと到着する。
 改めて自分の体を見下ろしたショークスは、溜息を吐いて草や土を払った。
 「うわぁ、マジでこの服、もう駄目かも」
 経験上、染みついた血は洗ってもなかなか取れないし。ここまでぼろぼろに切り裂かれていると、修復してもそこから裂けていきそうだ。
 <服は後で考えろ。とにかく顔や手を洗っておけ>
 自分の顔は自分では見えないが…いや、集中するとネルスの思念に映っている自分の顔も見えるが、確かに手も血まみれで顔もどろどろに赤だの茶色だのに染まっている。
 「あ〜…だな」
 一応周囲を見回す。
 「誰もいねぇし…まぁ、いっか」
 ショークスは思い切ってゴーグルを額に上げ、口布を下げた。
 「つぅか、お前ネクタル俺に飲ませた時に顔見てんじゃん」
 <…汚れていたし、そのときは飲ませることに集中していてよく見ておらぬ>
 「そんなもんか」
 まずは手を洗って、それから顔を洗う。冷たい水で頭がしゃんとする気がする。
 袖口で顔を拭いながら振り返ると、漆黒のローブがふよふよと漂ってきて頬を撫でた。
 <また汚してどうする>
 おそらく汚れたところを拭いているのだろう、ところどころ強い調子で布が滑っていった。
 「うわお、何か母ちゃんに顔拭かれてるみてぇ」
 <おかしな連想をするな>
 少し傷ついたような思念が送られ、ショークスは、やばい、ネルスの母親は殺されたんだった、と気づいて眉を寄せた。
 だが、ネルスはそれ以上は何も言わず、ただまじまじとショークスの顔を眺めた。
 あぁ、初めてまともに顔を見るのか、どんな感想漏らすんだ、と集中していると、ぼそりと思念が送られてきた。
 <…何だ、傷は無いのだな>
 「何だって何。ネクタルで治んのが普通じゃねぇ?」
 <いや…>
 ネルスの脳裏にショークスの兄妹が映し出される。まあ、本人の記憶通り、微妙にあやふやなイメージだったが、クラウドの頬の傷とターベルの片目はくっきりとした映像だった。
 <お前にも傷が残っていて、それで隠しているのかと思っていたのだが>
 「あぁ、そういう意味」
 苦笑して、ショークスは一歩下がって己の顎を支えていた布から逃れた。何となく清水の方に歩いていきながら呟く。
 「俺に傷はねぇよ。そん時、俺は逃げたから」
 <どういうことだ?>
 無視して歩いていても、ネルスの思念が追ってくる。
 <その時、というのがお前が後悔している時なのか?逃げたとは、どういう状況だ?>
 数秒黙ってから、勢いよく振り返る。
 「普通、空気読まねぇ!?俺がこんだけ悲しそうに言ったんだからよぉ!」
 <そうだったか?…そう…だったか?>
 どうやら本人が思ったほどには普通の調子だったらしい。心底疑わしそうな声で繰り返すネルスを睨んで、ショークスはその辺の枝を折った。
 それをぶんぶん振り回すと葉っぱが飛び散ったので、それをぐりぐりと地面に踏みつけた。
 そうやって怒っているのを表現してみても、ネルスが引く気配は無い。
 「何だよぉ。お前、そんなに俺のこと気にしてどうすんの。まさか俺に惚れて、些細なことでも知っておきたいの、なんて言い出すんじゃねぇだろうな」
 故意に怒り出しそうなことを言ってみたが、ネルスは引っかかってくれなかった。
 <別に…そうだな、理由を付けるなら、お前がいざという時には逃げるような奴だと言うなら、俺も危険だからその状況を知っておきたい、とでも言っておくか。…お前がそういうことをしないのは、先ほどのことでも分かっているが>
 一応、理に適っている。
 しばらく躊躇ってから、ショークスは溜息を吐いて、その辺の岩に腰掛けた。
 「まぁなぁ。考えてみりゃあ、お前は俺にトラウマ見られてんだし、こっちも言うのが平等ってもんか。…よし、お前は俺の顔見てもつまんねぇこと言わなかったし、説明してやらぁ」
 <つまんねぇことって何だ。お前の顔を見て、普通はどう言うのだ?>
 「あぁん?まぁ、自分で言うのもあれだが、すっげぇ美形って言われんの」
 膝に肘を突き、顎を支えて大きく息を吐くと、ネルスがまじまじと顔を眺めているのが感じ取れた。
 <…あぁ…一般論として、美人…なんだろうな>
 初めて気づいた、とでも言うような調子に、少しショークスの気分が上向いた。顔だけに見惚れられるのはもうまっぴらだ。
 「美人言うな!せめて美形って言え、美形って!」
 <同じだろう。それで何が悪いのだ。ハンサムだと誉められているのではないのか?>
 「ま、そうなんだけどよ」
 どちらかというと地味系のクラウドやクゥに比べると、ショークスの顔立ちは人目を引く。顔の表現をさせると眉目秀麗だの容姿端麗だのと四文字熟語が付いてくる。細い弓なりの眉といい、涼やかな青い瞳といい、綺麗に通った鼻筋といい、少し薄い唇といい、一見これ以上はないくらいの爽やか系なのだが。
 「無駄にもてるんだよなぁ、この顔」
 <…何が悪いのか分からぬな。自慢か?>
 「違ぇよ。…お前もその辺の男どもと同じこと言いやがる。…あのなぁ、こっちが好きでもねぇ女にいくらもててもしょうがねぇだろ?」
 <まぁ…それはそうだが。何だ、本命にはふられたのか?>
 「本命も何もねぇよ!俺ぁ、もうすっかり女性不信だよ!俺だってなぁ、もてるのが嬉しい時期もあったわけ。んで、ずっと貴方のことを見てました、なんて言われて喜んで付き合ってさぁ…」
 がっくりと肩を落として当時のことを思い出してから、ショークスは絞り出すように続けた。
 「んでも、たいていふられんの。や、たいていっつぅか100%」
 <何故だ?>
 「何故ってお前、俺の顔からすっと、女はすっげぇ紳士的なのを期待してるみてぇでさ。顔だけ見て好きの何のと言っておいて、いざ付き合って俺が喋るのを聞いた途端に幻滅したのどうのと…」
 <…なるほど>
 笑うような思念であったためじろりと睨んだが、表情は変わっていなかった。ネルスがふよふよと少し近づいてくる。
 <おおかた、デートにもその格好だったのだろう?>
 「おぅよ。他に服ねぇし」
 ショークスに言い寄る女性は、山の中にいるわけではない。獲物を売ったり買い出しをするために出ていった街の女性である。そして、いざ時間を合わせてデート、となると、レンジャーの服ではなく、もっとまともな服を着てくると期待するらしい。まぁ、それも分からなくはないが、それでもそんなことのために買うほどの金の余裕は無い。
 <もちろん、食事をしても、女性に奢れぬしな>
 「おぅ。よく分かったな。割り勘だよ。それも、向こうが期待するようないいとこには行けねぇから、露天の食い物だし」
 ネルスの脳裏で、ちょっと想像されていた。このままの継ぎ当て付きの古着でデートに現れて「おぅ、待たせたな、こん畜生」などとべらべら喋っているショークスの姿が。
 <ふられるのも、むべなるかな>
 「余計なお世話だ、こん畜生!」
 ショークスはがりがりと頭を掻いて、ふられ続けた悲しい思い出を噛み締めてみたが、何故かネルスから楽しそうな気配が伝わってきていたので、それに巻き込まれて悲しさが薄れてしまった。
 「くっそぅ、そんなに楽しそうにしやがって…」
 <…そうか?…で、お前は女性不信になって顔を隠している、ということなのか?それは、女性の方が正しいと思うが>
 「とは言ってもよぉ、こっちだって傷つくし。ホントに何度も何度もあるんだぜ、顔だけに惚れられて、付き合ってすぐにふられるってぇのが。いい加減、俺だって自衛したくもならぁ」
 <ふられたくないのならば、少しは飾れば良かろう。言葉遣いに気を付けて少々こざっぱりした格好をすれば、中身はそう悪くないだろうに>
 「へぇへぇ、中身を誉めてくれてありがとよ。そりゃ、俺も考えたって。でもよぉ、これが俺の地じゃん?偽物の俺を好きになってくれてもしょうがねぇじゃんか。俺は、俺そのものを好きになって貰いてぇんだ」
 <顔も隠して、どう見ても貧乏人の、言葉遣いに品の無い、教養のなさそうな男を、か?>
 「…悪かったな。どうせ品がねぇよ」
 <俺は気にせぬがな>
 「へぇへぇ、ありがとよ」
 <付き合ってみれば、お前がお人好しの馬鹿だとは分かるだろうが、そもそも付き合おうととも思わぬだろう、その見てくれでは>
 「何よ、お前の馬鹿ってのは誉め言葉なのかよ、こん畜生」
 思っていたよりも、どうやらネルスは自分の中身を気に入っているらしい、と気づいて、ショークスはちょっと目を逸らした。嫌われてはいないとは思っていたが、あんまり好意を持たれるとそれはそれで気恥ずかしい。何と言っても、その好意が言葉ではなく感情で伝わってきているので、どうも盗み聞きしているような後ろめたさがある。
 それにしても随分と上機嫌だ。カースメーカーと言えど、そんなに「他人の不幸は蜜の味」というキャラでは無いと思っていたのだが…そんなに俺が女にふられる話が面白いか?
 まあ、この分だと、俺が逃げた話は忘れてくれているかも…と期待したが、近くまで浮いてきたネルスが見下ろして思念を伝えた。
 <それはそれとして。お前が逃亡した話は?>
 「…忘れろよ、畜生」
 呻いてから、どう言おうかと1秒考えたが、あったことをそのまま話すしかない、とまとめもせずに話し出した。
 「俺らは兄妹揃ってレンジャーなのは知ってっよな?で、4人で山に狩りに行った時にさ、いや、いつものことだったんだけどよ、でも、その時に限って…熊が出たんだよな。それも、その時に限って、ターベルとクゥだけが先にさっさと登っててさぁ。悲鳴聞いて慌てて駆け上がって…熊がいて」
 血に濡れた地面、倒れ伏してぴくりともしないターベル、姿の見えないクゥ、興奮して叫びを上げる熊…空気が粘くなって、まるで水の中でいるかのように遠くでクラウドの声がした気がした。
 「んでさ、兄貴が『クゥを連れて逃げろ!』って叫んで、反射的に探したら道の脇に弾き飛ばされてるクゥ見っけて、担いで逃げて…全速力でさ、とにかく、クゥを安全なとこに連れて帰んなきゃって、それしか考えてねぇで。したら山を半分くれぇ降りたところでクゥが気づいてさ、『兄ちゃんと姉ちゃんを助けに行かなきゃ!』て耳元で叫ばれて、ようやくターベルとクラウドのこと思い出して…」
 クゥの安全のことしか考えてなかった。
 いや、それすら考えずに、熊から逃げていたのかもしれない。
 クラウドに言われてクゥを連れて逃げ、クゥに言われて兄と妹を助けに行くことを思いついた自分。
 頭の中が真っ白になって、自分が為すべきことを考えられなかった自分。
 不意に胸が締め付けられた気がして、ショークスは大きく息を吐いた。
 「んでさ、ともかくはクゥに下に戻れって指示して、今度はまた元来た道を駆け上がって。…熊、見つけたんで、弓、構えて。…クラウドのさ、こっちの頬に傷あるじゃん?実はあれ、熊の爪痕じゃねぇんだわ。俺の矢が掠った痕」
 熊を狙ったはずなのに、兄の頬を切り裂いていった矢。それは熊にも突き刺さったが、少しずれていたらこの手で兄を殺すところだった。
 結局、クラウドの矢が熊の目を射通し、熊は倒れた。
 そして、ターベルの顔には、傷が一生残ることになった。
 「だからさ、俺は弓を鍛えてぇわけ。ちゃんと大事な人を守れるように。逃げずに立ち向かえる自信を持てるように」
 ずっと後悔し続けている。
 もしも、ちゃんと4人で登っていたら。
 もしも、あの時クラウドに並んで熊に攻撃していたら。
 もしも、もっと金があって良い医者に見せていたら。
 誰が見ても爽やか系ハンサムだと言われるショークスと同様に美人だと評判だったターベルが、片目を隠していつも俯いているのを見る度に、どうしてそこにいたのが俺じゃ無かったんだろう、と苛まれる。
 こんな顔でよければ、いくらでもくれてやるのに。
 膝に顔を埋めたショークスの頭に、くすぐったいような感触があった。どうやらふよふよと布で撫でられているらしい。
 <…お前が連れて逃げたから、小さい方の妹は無事なのだろう。もしもお前がその場で立ち向かっていたら、小さい方まで傷ついてしまって、兄の言う通り連れて逃げていればこんなことには、と後悔していたかもしれぬ>
 ネルスの脳裏に、そうなった光景が映し出される。顔の詳細はぼんやりしているがリアリティーのある映像に、ショークスは身震いした。
 <それに…お前が中身を好きになって貰いたいのと同様に、片目妹もそう思っていたやもしれぬ。片目が無くとも、それでも好きだと言う男がいれば、それは本物だと信じられるのではないか?>
 「だって、ターベルは女の子だしよぉ。やっぱ男の俺とは違うし」
 <女の価値は顔なのか?>
 「…いや、違うけどよ」
 言われてみれば、自分は顔じゃなく中身で勝負、と言っていて、妹の顔は大事、というのは矛盾している気がしてきた。今まで、そんなことは思いもしなかったが。
 <そもそも、お前の弓の腕がどうあれ、片目妹の傷は出来ていたのだしな。その状況からすると>
 「…うん、まあ…それもまあ…そうなんだがよ」
 <お前は、悪くない>
 「…そういうこと、言うな」
 兄妹間でも、この話題は避けていた。
 自分だけは弓を鍛えようと3人から離れて流れて…こんなことを話す機会は無かった。
 だから、初めてなのだ。そんなことを言ってくれた人間は。
 鼻の奥がつんと痛んで、ショークスは鼻の付け根を押さえた。
 「そういうこと、言うなよな…何か、それに縋りたくなるじゃねぇか」
 その言葉はとても心地よくて。思わずそれに安堵したくなる。
 けれどやっぱり、この後悔は無くしてはいけないものだと思うから。
 <俺に縋るのか?カースメーカーの俺に?>
 「お前に縋り付くなんて言ってねぇよっ!誰が男に縋り付くかいっ!だいたい、お前、縋り付いてもそのまま倒れそうじゃねぇか!」
 <そうでもないが>
 「おあ?何、お前、中身はマッチョだとか?似合わねぇなぁ、おい」
 <必要不可欠な程度の筋肉はある。お前がどういうものを想像しているのかは知らぬが>
 「顔と同じような骨と皮?」
 <それでは動くことも出来ぬだろうが…馬鹿が>
 「馬鹿はやめれ、馬鹿は」
 いつものように言い合っていると、滅入りかけていた気分が浮上した。基本的には、ショークスは深く悩む性質では無いのだ。
 <お前は本当に喜怒哀楽が激しいな>
 「おぅよ。悪かったな」
 <いや…分かり易くて良いが。だが…>
 ネルスは少し意識を閉じたが、その前にうっすらと「お前は笑っている方がいい」とか何とかそういう気配がした。はっきり『聞こえ』なくて良かった。そんなもの、面と向かって言われたら照れるじゃないか、こん畜生。
 それを振り切るように、ショークスは座っていた岩から飛び降りた。
 まだ少しくらくらするが、思い切りのびをして意識を覚ます。
 「う〜っし、水飲んで回復して、また頑張るかぁ」
 <TPは回復したが…お前は帰って休め。顔色が悪い>
 「そう?最近、顔、覆ってっから日焼けしてねぇで白いだけじゃねぇの?」
 <いや、耳もいつもより色が悪い。ゆっくり休め>
 「ん〜…まぁ、もうじき夜明けだしなぁ。もう1周してきたら清水効果切れって気もするし、帰るか」
 素直に頷いて、ショークスはネルスと歩いて帰っていった。
 何というか、おかしな夜だった。
 ネルスじゃなくショークスが死んだせいなのか、やけにネルスが優しいし。
 優しいというか……正直、好かれてしまった気がする。はっきりと言葉にはなっていないが、そういう気配が伝わってくる。
 そりゃ、せっかく一緒に潜る相棒なんだから、嫌われるより好かれる方が良いんだけど。
 でもあんまり…性的な目で見られても困るなぁ。俺、男だし。
 困る、と言うか、困るんじゃないかなぁ、と思うだけで、別に不快でも何でもないので、まあいっか、とショークスはあまり気にしないことにした。
 よくよく考えると、自分の理想である『顔じゃなく中身を好きだと言ってくれる』初の人材であると気づいたのは、随分後になってからのことだった。



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