カーニャの場合
あたし、カーニャ。
馬車に揺られながら、もう何度目か分からないけど財布の中身を確かめた。
全財産を握り締めて、エトリアに着いたら買う物を頭の中で並べてみる。
計算では足りるはずなんだけど…迷宮ってどのくらいお金が落ちてるんだろう。でも、冒険者って儲かるみたいだから、何とかなるはずよね。
あたしの家は、それなりに広い牧場を持っている。だから、飢えたこともないし、お金が足りなくて困ったことはない。そりゃ牛たちが流行病で倒れた時には危なかったって聞いたけど、何とかなったみたいだし。
でも、あたしはそんな家が大嫌いだった。
いつも牛臭くて、朝は日の出の前に起きて夜も早く寝てしまう。
父さんも母さんも働くのはマメだけど、向上欲なんて何も無い。文字が読めて簡単な計算が出来ればそれでいいって感じ。
隣の牧場にはあたしより2つ上の男の子がいて、いつか彼と結婚して牧場を継ぐ。もう生まれたときから決まってたような人生。
あたしは、絶対、イヤだった。
別に彼が嫌いなんじゃないけど、ずっと一緒にいる兄弟みたいな人とそのまま結婚して牛を追って乳を搾って皮を剥いで…そんな一生を送るなんて、想像したらぞっとする。
あたしは、もっと何かが出来るはず。
時々来る叔父さんが見せてくれる街の最新流行の服の絵や、活気のある冒険者の話を聞いていると、居ても立ってもいられなくなった。
世界はこんなに動いてるのに、あたしはここで埋もれようとしている。
あたしだって、エトリアに生まれていれば、冒険者になれたはず。
昔から外で走り回ってるんだから、体力だってある。
あたしは、何かになれるはず。
最近、叔父さんは景気が良いらしかった。何でもエトリアでは冒険者のための防具がよく売れているため、皮が高値で売れるらしい。
あたしは叔父さんに頼み込んで一度エトリアに連れていって貰うことにした。
母さんは反対したけど、父さんは一度は自分たちの商品がどんなに望まれているのか、つまり牛飼いどんなに素晴らしい職業なのかを知るために、一度くらいは行ってみるのも良いだろうって許可してくれた。
けど、あたしは、そのまま帰らないつもりだった。
だから、今まで貯めた小遣いを全部持って、叔父さんの馬車に乗った。
何とかなるはず。
エトリアに着きさえすれば、何とかなるはず。
叔父さんを撒いて、あたしは目的の場所に向かった。
いつも後ろで束ねただけの髪が綺麗にセットされて、化粧までして貰ったら、自分でも見違えるような顔になった。
それからお勧めの衣装を買ったら、ほとんどお金は残らなかったけど…でも、これで叔父さんにはあたしを見つけられないと思う。
あたしは、皮のブーツの踵をカツカツと鳴らしながら、暗くなってきた通りを歩いた。
時々、擦れ違う男の人が口笛を吹いたり声をかけたりしてきた。
そうよ、あたしは美人だし、スタイルだって良いんだから、すぐにどこかのギルドに入って冒険者としてお金を稼げるはず。
まあ、誰かと足並みを揃えるなんてイヤだけど、少しくらいは我慢するつもり。
店で教えて貰った冒険者が集まる場所は、ギルドと酒場。
ギルドって言うのは、よく分からないけど名前を言わなくちゃいけないんだと思うから、後回しにすることにした。
あたしは酒場の扉を開いた。
すっごく煩い場所だったけど、以前父さんを探しに行った酒場とはどこか違う気がした。お酒の臭いがするのは同じなんだけど…客層が若いからかしら。
酔っぱらって床に転がってる爺さんなんて醜いものは、その店には無かった。悪くないわ。
あたしは空いてるテーブルを探して座った。まだ夕方だからか、そんなに混んでない。
すぐにやってきたのは、綺麗だけどもう30歳は過ぎてそうな女の人だった。
「あら、初めて見る子ね」
「ここ、何か食べるもの、ある?」
「そうね…オムレツとか、どうかしら」
「じゃあ、それ」
女主人はまだ何か言いたそうだったけど、あたしは反対の壁を見つめた。
溜息を吐いた女主人が立ち去ってから、しばらくして湯気の立ったオムレツが運ばれてきた。ちゃちだけど、おなかが空いてるんだからこれで我慢しておこう。
食べていると、少しずつ酒場が混んできた。
食べ終わったら、誰か強そうな人に声をかけてみよう。
テーブルががたんと音を立てたので顔を上げると、若い男が座っていた。
「オムレツだけかい?お嬢ちゃん。どう?お近づきの印に」
目の前に置かれたのは、オレンジジュース。
子供扱いされてるようでむかついたけど、喉が乾いてるのは確かなので、受け取って、ストローを口に……
しようと思ったら、手の中からグラスが消えた。
目をぱちぱちさせて、周囲を見回すと、すぐ隣に立っている人があたしのグラスを取ったらしい。
「ちょっと、何すんのよ」
あたしが思わず声を上げたのに、そいつは平然とした顔でストローでグラスの中身を吸った。
何、これ…一見あたしより子供みたいな奴だけど、頭がおかしいのかしら…。
気持ち悪いわ、関わらない方がいいのかな。
その子供は少し首を傾げて、あたしの前に座っている男に話しかけた。
「お酒ですね。子供に、こういうの、良くないと思います」
若い男が肩を竦め…あたしはもう一つの気配に今度は右を向いた。
テーブルを挟んで子供と逆側に立っていたのは、すっごいグラマラスな美女だった。
美女も子供の手からグラスを取って、ストローではなく直接グラスに口を付けて煽った。
「…ん、まあ薬は入ってないわね。そこまで悪じゃないか」
「おいおい、こっちも真っ当な冒険者だぜ?そんな真似しねぇよ」
「子供にお酒を飲ませようとしているのに?」
「ガキにちょっと現実ってもんを教えてやろうと思ってだなぁ」
「現実ってもんなら、あんたに私が教えてあげるわよ。どう?私と飲み比べしない?」
「望むところだ!」
あたしの目の前で、あたしを無視して話が進んでいき、美女と男は別のテーブルに移っていった。
な、何なのよ、一体…っていうか!
「ちょっと!あたし、子供じゃないわ!」
いつの間にかイスに腰掛けていた子供が、ちょっと困ったような顔でグラスの中をストローで掻き回した。
それから、手を伸ばしてあたしの手を取る。
「何すんのよっ!」
振り払うと、やっぱり困ったような顔であたしを見上げた。
「あの…14歳…ひょっとしたら、13歳くらいに思えますが…」
「だ、誰が14歳よ!もう15歳になったわよ!」
つい、この間だけど。
誰かの溜息が聞こえた気がした。
酒場のどこかから「子供だよ」という声もした。
あたしは思い切りテーブルを叩いた。
「あたしは、もう大人よ!冒険者になりに来たんだから!ちゃんと一人で戦える大人なの!」
な、何よ、何よ、この空気。
15歳なんて大人でしょ?あたしなんてもう結婚の話も出ちゃったし、一人前の働き手として数えられるのが当たり前の年齢でしょ?
おまけに。
あたしの前に座っている子供は、あたしよりも若いように見えた。
赤みがかった金髪に大きなリボンを着けて、顔だって幼いし、白い上着から覗く腕だって細っこくて本当に子供みたいなのに。
その子供は、後ろを振り返った。
視線を受けて、すぐ後ろのテーブルに座っていた男がこっちにやってくる。
ばさばさの灰色の髪を無造作に流している何だかだらしなさそうな男。
萎れた葉っぱを口から垂らしているのが、一段と不潔な感じ。
「聞こえてたけどさ。…君、親御さんは?」
「な、何でそんなこと言わなくちゃなんないのよ!」
「…家出、かな」
同じテーブルに座っていた短髪の男もやってきて、腕を組んであたしに言った。
立ったままあたしを見下ろして言ってるけど、柔らかな口調のせいか、威圧的な感じはしない。
「参ったな〜」
灰色髪の男がぼりぼりと頭を掻いた。ホント、不潔。
「親御さんに心配をかけるのは良くないことだ」
青みがかった短髪の男が生真面目な口調で言った。
目の前の子供が、どこか笑いを含んだ目であたしを覗き込んだ。
「俺たちは…あ、俺とこっちのバードのルークですけど、新しくギルドを設立したんです。冒険者のね、仲間を募集してるんですけど…家出の娘さんなら、駄目ですけどね」
あたしは必死で考える。
目の前のどう見ても少女が「俺」と言ったことはさておき、これはチャンスなのだ。
あたしが家出娘じゃないってことを説明しなくちゃならない。
「あ…あたしは、その…家出じゃないのよ。ただ、その…両親は、ね…えっと…そう!このエトリアに来るって言ってそれっきり戻ってこなかったよ!あたしはだから両親を捜しにやってきて、冒険者としてお金を稼ぎながら、父さんと母さんを捜したいの!」
我ながら、ちゃんと筋の通った説明だと思う。
青髪の男は、うんうんと頷いてるし。
「そうか…そのような理由が…」
灰色髪…ルークとかいうのは苦笑に近い表情で、あたしの前の少女(?)の頭を撫でた。
「アクシオン…」
「だって、他のギルドに入るより、俺たちで保護する方が気が楽じゃないですか?心配ですよ、やっぱり」
…何よ、それ。
「まあ、ねぇ…あんなので騙されるこいつもどうかと思うけどな」
その小さい声は青髪の男には聞こえなかったようだった。
ルークは改めてあたしをまじまじと見た。特に腰の辺りをじろじろ見てる。
胸は結構でっかい方だと思うんだけど、ウェストにはちょっと自信が無いから、どうせ見るなら胸の方にして欲しいんだけど。
「ダークハンターの格好だとは思うんだけど…鞭は持ってないんだね?剣を使うタイプ?」
「え…えぇ、まあ」
正直言うと、あたしはダークハンターなんて叔父さんの話で聞いただけで、どんな職業なのかも分かってない。
でも、鞭は嫌い。牧場を思い出させるから。
普通の護身用ナイフしか持ってないけど、何とかなると思って、あたしは曖昧に頷いた。
「んー…あのさ、ダークハンターには前衛を勤めて貰うことになるんだけど…大丈夫かな?」
あたしは叔父さんの話を一所懸命思い返した。
冒険者には前衛と後衛がいて、こいつみたいな吟遊詩人は後衛、剣を使うような職業は前衛…そっか、あたしは前衛になるんだ。
「何よ、頼りないって言うの?」
「女の子に前衛をさせてしまうのは、ちょっと忸怩たるものはありますが…しょうがないですね、ダークハンターの技は後衛からは届かないし」
アクシオンは困ったように眉を寄せて、へらっと笑った。
「大丈夫よ。女の冒険者も大勢いるって聞いてるわ」
「うん、いるよ。前衛でばっちり戦ってる剣士だっているし。…ま、いいか。俺たちはまだ駆け出しで、そんなに奥まで行ってないんだし」
うん、とルークは頷いて、あたしに手を差し出した。
何よ、立ち上がるために手を貸すって言うの?そんなのいらないわよ、子供じゃないんだから。
あたしがぷいっとそっぽを向くと、怒るでもなくその手を自分の頭に持っていってぽりぽり掻いている。
「俺は、嫌われちゃったかな」
ぼそりと呟くルークを見上げて、アクシオンがまたへらりと笑ってからあたしの方を向いた。
「それで、どうされますか?俺たちのギルドに加入します?どこかのギルドに登録しないと、冒険者としては迷宮に入れませんが」
「そうねぇ…」
あたしは勿体ぶって腕を組んだ。
本当はもっと強い人が大勢いるギルドに入って、剣の使い方を教えて貰ったりお給料を貰ったりしようと思ってたんだけど。
でも、あんまり強い人たちだと、あたしなんか入れてもくれないかも知れないし、むさい男ばっかりのギルドより、この暢気そうな二人の方がマシかもしんないし。
「ま、いいわ。入ってあげる。二人きりのギルドなんて、弱そうだから」
アクシオンとルークは顔を見合わせて笑った。
あたしを馬鹿にしてるんじゃなく、何て言うか…ちょっとほのぼのって言うか…冒険者とは思えないような穏やかな笑い方だった。ホントに冒険者なのかしら、この人たち。
「じゃあ、改めて。メディックのアクシオンです」
「バードのルークな。ま、腕前については、またおいおい」
「あたし、カーニャ」
まあ、冒険者として自分でやっていけるようになったら、さっさと出ていけばいいんだし。
それまではこの頼りない二人で我慢しておこう。