猫組の拠点




 「さぁて、では普通に2階に参ろうかの」
 こちらは武具こそ質が良いものの、レベル的にはまだまだ足りないサブパーティーである。地道に5人でレベルアップしていくしかない、と覚悟を決めたところだ。
 「狂える鹿、と言う獣が強敵だと聞いておりまする」
 おそらく、実力では…というか装備的には勝てるだろうが、混乱させられると同士討ちが痛い。まあ、主に危険なのは小桃が混乱した時であろうが。
 全く怖くもない1階を通り過ぎ、2階へと降りる。そこでウサギだの毒蝶だのと戦っても、やはりこちらが圧倒的に有利である。
 小道をうろうろ行ったり来たりしている大きな鹿を眺めながら、ミケーロは鞭を振った。
 「いけんじゃね?やってみれば分かるしさー」
 文旦はしばし躊躇った。
 攻撃力は、確かにある。武器のおかげで。だが、技術は未熟で、特別な技も無ければ、仮に傷を負った場合の、回復技能もまだまだなのである。
 つまり攻撃には強いが、もし相手が強くて反撃された場合にはすぐに壊滅、という可能性があるということだ。
 しかし、2階の雑魚相手にはダメージ無しに戦えるのだ。先行パーティーは雑魚相手にも辛い時に鹿と戦ったと聞いている。
 「まぁ…やってみるかの。危うければ、フレア、逃げるのじゃぞ」
 「…は、はい…頑張ります…」
 カースメーカーは真っ青な顔でバトルメイスを握り締めた。一応レベルアップした分、スキルも上げているはずだが、なかなか実用レベルにはなっておらず、戦闘では全くあてにならない。
 「まだボクも防御陣形覚えて無いしにゃ〜。でも、攻撃するにゃ!」
 リヒャルトからパラディンとは防御にこそ真髄があると教えられてはいるが、まだまだ理解も出来ていないし、実力も伴っていない。まだしもでっかい剣を技術もなく振り回す方が役に立っている。
 傷一つ付いていないぴかぴかのシルバーシールドを重そうに持ち上げて、シエルは鹿の方に歩いていった。その両脇から、ミケーロは退屈そうに両手を頭の後ろに組んで、小桃は油断のない鋭い目で前を見据えながら進んでいった。
 鹿がこちらに気づいて、大きな角を振り翳して突進してきた。
 「…きゃ…」
 フレアが息を呑んだ。
 「腕試しじゃ、行くぞ!」
 「はい!」
 
 結局。
 「案外、あっさりと倒せたのぅ」
 幸い大した混乱にもならず、ざっくりと殺れてしまった。まあ防具も良いものを着けているので、そんなに一撃死することもなかったろうが。
 「ほらな、いけるじゃねーか。どんどんいっちまおうぜ、どんどん!」
 「大きな敵に立ち向かうのは、雑魚を散らすよりも武士道の本懐かと」
 「おもしろかったにゃ〜」
 意気盛んな前衛に比べて、後衛は盛り上がらない。回復をする以外には大した攻撃力の無いメディックと、かかりの悪い昏睡の呪言を失敗し続けた挙げ句に、ざくざくと斬られて血溜まりの出来た鹿の死体に気を失いかけなカースメーカーでは、盛り上がりようも無いが。
 目を逸らして真っ白な顔で大きく息を吐いているフレアの背中を文旦がさすった。
 「大丈夫かの」
 「…ご、ごめんなさい…私…役に立たなくて…」
 フレアにとって、この樹海はお化け屋敷も同然であった。極度の緊張を強いられ、脅かされてる一方である。そんな精神状態では、前衛が攻撃するのも夢の中ででも見ているかのように現実感が無く、ただおろおろと見守るだけであった。
 不意に鳴る茂み、受ける傷、誰かの悲鳴、冷たくなる肉。
 何もかもが恐ろしく、目も耳も塞いで座り込みたくなる。
 がくがくとバトルメイスに縋り付いていると、その辺の葉っぱを切り裂き鞭で叩いていたミケーロが怠そうな足取りで近づいた。
 「あのよー」
 「…は、はい…」
 「俺もまだ、縛り、成功してねぇし。シエルなんか防御陣形を覚えてもねぇし。小桃だって構えてるだけじゃん?」
 「呼び捨てにするでない」
 「んー…だからよー、どっちが先に縛れるか競争しねーか?頭縛り覚えるんだろ?」
 苦々しく口を挟んだ文旦を無視して、ミケーロはにやっと悪戯っぽく笑った。
 「…あ…えっと…」
 フレアにとって、このダークハンターも苦手の対象であった。半裸に近い格好に、鋭い野良猫のような目をした若い男。出来れば街で見かけても擦れ違いたくは無い相手だ。
 けれど、凍り付いたような頭でも、ミケーロが気を遣っているらしいことは分かった。
 「わ…私…頑張る」
 昏睡の呪言も罪咎の呪言も中途半端だけれど、そのうち頭封じの呪言を使えるようになる。全身を縛れるようになれば、敵は手足も出せない。
 「覚えれば…私の方が、強力なはずだから」
 「おー?言ったな、この野郎。俺だって負けねーし」
 しゅぱーん!と鞭が振るわれる鋭い音にフレアはびくりと身を竦めた。
 ミケーロは手の中の鞭とフレアとを交互に見てから、また怠そうに前へとふらふら歩いていった。
 そうして、前に行くと小桃に冷たく言われていた。
 「…構えているだけ、とは、言うてくれる」
 「だって、そーじゃん?」
 「良いか、まず体力などの基礎的なものがしっかりしてこそ、技が冴えるというものなのじゃ。技だけを追い求めるなど小人の道よ」
 「だって、俺、縛るために雇われてんだしよー」
 「己を磨こうとは思わぬのか」
 「俺は、メシが食えて金も貰えりゃそれでいーや」
 「何と自堕落な。良いか、男たる者…」
 目をきりりと吊り上げて説教する子桃をちらりと見て、ミケーロはどうでも良さそうに前を向いた。
 「男たる者?それ、何?あんたもシエルも女だから俺が守れってか?」
 「い、いや、そういうことでは無く…」
 「ここに入っちまえば、男も女も関係ねーじゃん。女だけどパラディンだからシエルは俺らを守るし、女だけどあんたが一番攻撃力がある」
 「む…」
 小桃は腰の物干し竿を撫でた。ミケーロはやはりかったるそうな(つまりブシドーから見ればだらしないとしか言い様の無い)足取りでたらたらと歩いていたが、小桃がぴたりと足を止めたので数歩進んでから振り返った。
 小桃はびしりと手を両脇に付け、直角に腰を曲げた。
 「すまぬ。私の誤りであった」
 「んあ?」
 「女だてらに武士道を貫くなど滑稽じゃと言われて、それが許せぬゆえ出て参ったと言うに、男の女のと拘っておるのはわたくしも同じであった。許せ」
 「…べっつにー。気にしてねーし」
 ミケーロは目をきょろきょろと泳がせて口の中でもごもごと言ってから、文旦の強烈な視線に気づいて後ずさった。何だ何だ、今のは俺のどこが悪いんだよ、と睨み返そうとして…やっぱり殺気までこもった視線に耐えられず目を背ける。
 兄の視線には気づいていないのか、それとも慣れているのか、小桃は背筋を伸ばしてミケーロに微笑みかけた。
 「そなたは、年端もゆかぬ子供じゃと思うておったが、なかなかしっかりしておるわえ。国の男どもに聞かせてやりたいわ」
 「…いやだから、子供扱いすんなって」
 「戦地では男も女も無いわえの。その通りじゃ」
 小桃は吹っ切れたような笑顔を見せた。いつでも抜いた刃のような雰囲気を漂わせていたのが、少し和らいだ印象になる。
 そうすると『怖い女『から『年上の綺麗なお姉さん』というイメージになったため、ミケーロは目をぱちぱちさせて小桃を見つめた。
 「あんた、怖ぇと思ってたけど、結構はくいよな」
 「はくい?」
 「ボク知ってるにゃ!美人ってことにゃ!」
 にゃはー!と手を振ったシエルが、その手をにぎにぎさせながら小桃を見て笑った。
 「ボクもそう思うにゃ!小桃は美人なのにゃ!」
 また小桃の眉がきりきりと吊り上がった。
 「戦地に顔の美醜など関係なかろう!」
 「んー、関係ねーから、ただの感想ー」
 「ボク、美人のお姉さんは好きにゃー」
 ふらふらと歩く金目のダークハンターと、目を糸のように細めて笑って口元から八重歯の覗いているパラディンを交互に見て、小桃は、ぷっと吹き出した。
 「猫のような御子らじゃ。…良い、わたくしが気にし過ぎじゃったの」
 自らの刀の腕を磨き、誰にも「おなごじゃから」とは言われぬような境地に至って見せようと勇んでいた小桃であったが、この刀の技で敵を葬り、この子らを護ってやろう、と心に誓った。
 「わたくしが、一番強いのじゃからの」
 口元に手を当てころころと笑ってから、小桃は二人の後を追った。
 背後では、文旦がミケーロを怒って良いのか感謝したら良いのか悩んでいた。

 そうして2階の鹿と牛を全てやっつける。
 「にゃはー!レベルが上がったにゃー!」
 「3階!3階!」
 「この分なら行けそうじゃの」
 慢心では無かろうかと己と相談してみた結果、客観的に判断してもこれなら行けるだろうということになり、文旦はそのまま下へ行く決断を下した。
 幸いカマキリは本パーティーたちが掃除していたため雑魚しか出ず、やはり大したダメージは受けない。
 そうして4階、5階へと降りていき、スノードリフトには遭わずに6階の磁軸まで降り立つことが出来た。
 「第1層踏破完了じゃの」
 「もう、俺、疲れたー」
 「ボクもへろへろにゃー」
 いくらダメージは受けていないとは言え、夕刻からずっと歩き通しで1層分降りてきたのである。ミケーロとシエルは背中合わせで座り込み、だらしなく足を投げ出している。
 いつもならそれを叱り飛ばす小桃も、さすがに疲れているのか苦笑するに留めた。
 「兄上、いったん帰りましょう」
 「そうじゃの。TPも心許ないしの」
 全く技を使っていない面々に比べて、文旦だけは回復にTPを使用している。まあ、主には戦後処置で頑張れ、という方針だが。もちろん、小桃以外には、だ。
 「今度こそ、オレンジゼリーにリベンジだぜ!」
 1層の敵を撃破出来るからには、そろそろ2層の敵にも立ち向かえるようになっているだろう。休んだ後には、1階の獣道の奥へ進めるかもしれない。
 
 
 そうしてギルドに帰って5階まで踏破したと報告すると、リーダーに首を傾げられた。
 「あれ…じゃ、ひょっとしてレベル10越えた?」
 「言われてみれば、さよう、10前後になっており申す」
 「んじゃ、どうする?シエルんちの掃除するか?」
 レベル10を越えたらゴミ屋敷を掃除して人が住める状態にしようと言っていたのだ。シエルに聞くと、
 「うん、分かったにゃ!みんなで一緒に住めたら楽しいにゃ!」
 と乗り気であったので、改装開始ということになった。
 とは言うものの。
 あれだけの凄い家である。そう簡単にはいきそうにない。
 「材木は再利用出来ないかな」
 「…汚物付きですから、どうでしょう…」
 「あ、俺がスラムのガキどもに話つけとくぜ。洗って売りとばしゃあ、多少の小遣いになんだろ」
 「片づけや掃除は私たちがやるから、男は力仕事っていうのはどう?」
 「片づけに入れるまでが大変そうなんだが」
 「ご近所の方にもご迷惑でしょうし、先にご挨拶をしておいた方が良いかもしれません」
 「はーいはーい!あたし、お菓子作って配る〜!」
 「あ、そりゃいいや」
 とまあ、ごちゃごちゃと相談した結果、女性はまずはギルドに残ってご近所のご機嫌取り用のお菓子、及び男どもの昼食を作る、男性陣はともかくはバリケードを撤去、ミケーロが代表でそれをスラムに持っていって子供たちに処理させる、ということになった。
 決行日には、朝一番にご近所にシエルと共にご挨拶をして回った。
 「みんなが一緒に住んでくれるにゃ!」
 「大丈夫?シエルちゃん…冒険者なんか…」
 「みんな、いい人にゃ!」
 「そう?危なかったら、すぐに声を上げるのよ?」
 女性陣がギルドに残っているため、挨拶に来ているのが男ばかり、というのがまた近所の人の心配を呼び起こしているようだが、実績で証明するしかない。
 「本日は少々騒がしくしますが、今後はそんなにうろうろしませんので…」
 この辺りの一般住民からしてみれば、冒険者が集団で住み着くなんて犯罪者が近所を彷徨いているのも同然だろう。なるべく目立たぬようにするしかない。
 そうして手前からバリケードを撤去していくが、積み重なっていて思ったほどはかどらない。それに、間違って手でも滑らせたら自分が怪我しそうな攻撃力を持った材木だの石だのだし。
 「こりゃ、一日じゃ終わらないかな〜」
 「しかし、中途半端に撤去するのも危険かと」
 「そうなんだけどな」
 バリケード無しでみすぼらしい家、というのは犯罪者を誘発しそうだ。いっそ小綺麗になっていた方が、手入れされている家という印象で手出ししにくい。
 「人手を増やしますか?」
 「でも女性陣には言いにくいしさ」
 「ちょっとギルドを覗いてきます」
 アクシオンが手を洗ってから走って行った。いつもの白衣は着ていないので、一見この付近の子供のようだ。
 誰か暇な奴が捕まればいいが…日当が必要だろうな、とルークは肩をすくめた。
 「さぁて、ともかくは玄関まで掘り進めるか〜」
 「ボク、落とし穴埋めたにゃ!もうその辺歩いても大丈夫にゃ!」
 「おー、じゃあ、シエルは猫たち連れてお散歩行ってな。猫が怪我したら困る」
 「にゃ。でも今度は裏の落とし穴埋めるにゃ」
 「…あ、まだあるのか。じゃあ、よろしく」
 「にゃあ」
 クラウドが身軽に屋根に登り、上から材木や石を下に落としていく。それをリヒャルトや文旦が仕分けていき、ルークが台車に乗せてミケーロがスラムへ往復する。
 太陽が姿を現す時刻から初めて、そろそろ10時頃になっただろうか。何とか玄関が見えてきたあたりで、アクシオンが帰ってきた。
 「女性陣もクッキーを焼き上げてご近所に配りに来てます。これはお茶とおやつ。男手は…」
 「ギルド<ライジング>参上!」
 「え、え〜と…ギルド<イシュタル>さ、さんじょお!」
 びしぃっとポーズを決めた褐色ソードマンと、その後ろで額を押さえている触覚メディックとアルケミスト、それに真似をして微妙な腰の引けたポーズを取った若手冒険者の一団がアクシオンの背後から現れた。みんな冒険者の装備ではなく普通に私服で来ているので、どう見てもその辺の気のいいあんちゃんたちであるが。
 それにしても、恩を売ったギルドを呼んでくるあたりがアクシオンらしい。
 「はっはっは、力仕事なら俺に任せろ!」
 「…脳筋だからな…」
 「俺たちも手伝います!せめて利子分だけでも働かなきゃ」
 「はい、では怪我をしないように気を付けて。家ではなくトラップだけを解体して下さい。ルークたちはとりあえずお茶とおやつをどうぞ」
 さも当然のようにアクシオンが若手たちに指示をして、<ナイトメア>の男たちを呼んだ。少々小腹が空いていたのも事実なので、屋根の上のクラウドや裏手のシエルも呼んでくる。
 「手をしっかり洗ってから食べて下さいね。包み紙でも持ってくれば良かったですね」
 洗っても洗っても手から臭いは取れないので、まぁいっかと諦める。切り取ったケーキをクラウドは器用に小刀で刺して食べ、リヒャルトはハンカチで包んで食べた。シエルは気にせず手掴みで取って、文旦は端を摘んで指の触れたところは残している。
 さぁて俺はどうやって食べるかな、手掴みでもいいんだがアクシオンがうるさいだろうし、とケーキを見ていると、自然な動作でアクシオンがそれを口元へ持ってきた。
 「はい、あーん」
 「あーん。…あ、うまいわ、これ」
 「クゥちゃんに言ってあげて下さい。喜びますよ」
 「あぁ、クゥが作ったのか。道理で木の実が多いはずだ」
 香ばしい木の実を噛み締めていると、カップに入れたお茶が手渡された。
 「ミケーロは…」
 「あぁ、今はスラム。そろそろ帰って来るんじゃないか?」
 「じゃあ、包んでおきましょう」
 非常に自然に話が流れていっているが、一般論として男同士で「あーん」は無いのではなかろうか。誰も突っ込まないが。まあ、ルークとしては嬉しいので異論を唱える気はないが。
 「さ、お昼ご飯まで頑張るかぁ。あいつらの分まで昼食頼んでる?」
 「抜かりはありません」
 「さすが、アクシー。じゃ、始めるか…って玄関はあいつらがやってくれてるから、後ろに回るか」
 ひたすら外回りから片づけていって、昼御飯頃にはバリケードが全部撤去された。
 「やっぱこう言うときには人手が多いに越したことないな〜」
 腰に手を当て、だいぶ片づいた家を眺めていると、ライジングのリーダーがびしっと親指を立てた。
 「はっはっは、俺もこういう作業は大好きだぜ!何も考えなくていいし!」
 「あ、すみません、この恥ずかしいリーダーはちょっとしまっておきますので…」
 「…若手も来てるんだ…黙っていろ…」
 「な、何をするお前ら〜!」
 それはともかく。
 昼食をわいわいと摂っていると、ご近所のおばさんがやってきた。
 「あ、うるさくしてます、すみません」
 代表でルークが謝ると、にっこり笑って鍋を差し出された。どうやらスープを差し入れしてくれているらしい。文句を言いに来たのでは無いと分かって、ありがたく受け取った。
 「いや、綺麗にしてくれんのは嬉しいよ。シエルちゃんはあたしらの言うこと聞いてくれなかったからね」
 「だって、ボクも自分の身を守りたいにゃ」
 「そうなんだけどね。もっとあたしらを頼って欲しかったよ。…まあ、実際、ずっとほったらかしになっちゃったけどね」
 「ボク、一人で大丈夫だったにゃ」
 「でも、やっぱり、子供だからね…」
 にゅう、とまだ何か言いたそうなシエルの頭を撫でつつ、ルークは頭を下げた。
 「これからもよろしくお願いします。うちの仲間が一緒に住むはずですが、全員留守にする時もあるかと思いますんで」
 「何だい、金目のものでも置くのかい?」
 「…置かないな、そういえば。一番、金目のものって装備だから着て歩いてるわ。…あ、猫たちをよろしく、とか」
 頭をぼりぼり掻くと、おばさんは目を細めて大きく笑った。
 「綺麗な猫なら構ってあげるよ。糞だらけのは勘弁だけどね。…じゃ、後で鍋は取りに来るから、その辺に置いといとくれ」
 「ありがとうございました」
 ご近所の皆さんを味方に付けたら、こんなに心強い地区は無い。もちろん、逆も恐ろしいことになるが。
 曲がりなりにもシエルがこれまで無事生きて来られたのはご近所の底力、と言う奴だろう。シエル本人には自覚は無いかもしれないが、子供が一人で生きられるほど、この街も甘くない。
 「さぁて。シエルは落とし穴を埋めたら、次は猫たちの入浴だ。お湯を沸かすか…」
 まだ埋まっている台所を思い出して、ルークは訂正した。
 「ご近所にお湯を貰って、猫たちを綺麗にするといい」
 「みんな、自分で舐めてるから綺麗にゃ」
 「…うん、まあ、そうなんだけど、人間が舐めても大丈夫なくらいに綺麗にしといてくれ」
 <ナイトメア>に所属して小遣いを貰ったシエルは、一番に猫たちのご飯を買ったので、如何にもあばらが浮き出て栄養失調だった猫たちも、それなりに艶を取り戻している。これで洗ってブラッシングまですれば、清潔な下町を歩いても石を投げられない姿になるだろう。
 「分かったにゃ。アクシオンに組み紐も貰ってるにゃ。みんなに付けるにゃ」
 安物だが鈴だの飾り玉だのがぶら下がっている組み紐のバンドを懐から取り出して、シエルはうっとりと眺めた。自分のお洒落には興味が無いが、猫たちが首輪を付ける姿を想像すると嬉しいらしい。
 カップに入れたスープを啜って、ルークは立ち上がった。
 「さぁて、もう一踏ん張りするかぁ」
 
 女性陣も合流して、家の中のゴミも全部出していく。男性陣が家の外回りの屋根だの壁だのをひたすら洗い、女性陣は家の中を拭いて回った。
 時々「いやーん!蜘蛛の巣が髪に付いた〜!」だとか「カビだらけ〜!」だとか悲鳴が聞こえてくる。猫の家なので、ネズミがいないのだけが取り柄だろうか。
 それでも、日が落ちる前には、何とか人が住める状態になった。
 アクシオンが神経質なほどアルコールを吹き付けた結果、猫すら入れない状態になったので、とりあえず家の外で解散宣言する。
 「はい、お疲れさーん。家具とかカーテンだとかはこれから揃えていこうな」
 「にゃあ…おうちだにゃあ」
 まるで初めて見るかのように、シエルが家を見上げた。土間状の台所があって、部屋が3つあるだけの家だが、中身を全部出すとやけに広く見えた。
 「すっげー!俺、家って住むの、初めてだぜ!」
 「いや、お前の家じゃないから」
 「いいじゃねーか、俺も住んでいいんだろ?」
 ぽかーんとしているシエルとは対照的に、ミケーロは興奮状態だ。そもそも一戸建て、というものをまじまじと見たこと自体が初めてらしい。
 「我らが住まうは、あくまでシエルが一人では心許ないであろう、ということからじゃ。この家を我らのものにする、というのではない。シエルという家主の厚情をもって住まうということを忘れるでないぞえ」
 小桃がたしなめたが、ミケーロは聞いておらず、家の外からぐるぐる回って中を見ている。
 「すっげーよなー。これから冬なのに、凍え死ぬ心配しねーでいいんだよなー」
 窓の外から中の暖炉を見て、ミケーロはうっとりと呟いた。
 暖かく火の入った暖炉、丸まる猫たち、美味しい料理。幸せの象徴のような光景を思い浮かべて、ミケーロはくるりとみんなを振り返った。
 「俺!これから一杯稼いで、自分の家、買うぜ!」
 「おー、その意気だ!」
 「はっはっは、少年よ、手っ取り早い方法を教えてやろう!家持ちの女性と結婚すれば万事解決だ!」
 偉そうに両腕を組んだ<ライジング>のリーダーの耳を触覚メディックが引っ張った。
 「いてぇよ!」
 「すみません、このリーダーはどんどんしまっちゃいますんで…」
 「…それでは、失礼する…」
 「あ、日当払うから待てって!」
 「いらねぇよ!自分で稼ぐ!…いてぇって、離せよぉ〜!」
 騒がしい<ライジング>を見送ってから、<イシュタル>も頭を下げた。
 「では、俺たちも引き上げます。宿代、借りたままなんで、もちろん俺たちもお代はいりません。ご馳走様でした」
 こちらは少々頼りないほどに過剰にぺこぺこしつつ帰っていった。
 とりあえずこの家にはまだ何も無いのだが、空っぽな家とはいえカーテンもなく中が丸見え状態で放置するのも気が引けたので、文旦組がもうそこに住むことになった。もちろん、ベッドもないので床にごろ寝という<家の中だが野宿状態>ではあるのだが、本人たちは喜んでいるようだった。
 ようやく乾いた家に入っていって、猫たちと遊び始めたシエルやミケーロを見て、小桃は腕まくりをした。
 「では、わたくしが料理をいたしましょうぞ。食材があれば、武士道の精進食が作れるのじゃが」
 「エトリアには醤油が無いからのぅ。味噌や醤油が懐かしい」
 しかし、まずは埃まみれの体を何とかせねば、と、ルークたちが帰った後、小桃はまずは大量の湯を沸かした。
 「兄上、ミケーロを」
 「承知しておる」
 男を排除しておいて、なるべく陰になった場所で小桃とフレア、自分の体を拭いた。バリケードを撤去した男たちほどではないにせよ、掃除だけでもかなり汚れている。まあ、フレアは動けないためギルドで留守番だったが。
 「ゆっくりと手足を伸ばして湯に浸かりたいものじゃのう。そなたはそうは思わぬのかえ?」
 フレアの鎖に苦労しつつあらかた拭ってやった小桃は、そう溜息を吐いた。
 「…カースメーカーは…入浴の習慣が無くて…」
 フレアがぼそぼそ呟いた言葉に、小桃は眉を吊り上げた。
 「何ということじゃ!おなごがそのようなことでは不潔であろう!常に清潔にしておることは、華美な着飾りではなく、基本的な身だしなみじゃぞえ」
 「…ごめんなさい…」
 身を竦めておどおどと窺う目に、小桃はまた溜息を吐いた。何も脅しているのでも怒っているのでも無いつもりなのだ、本人は。難しいのう、どう言えば良いのか、と悩んでから、なるべく優しい声を出す。
 「習慣なれば仕方あるまいが…なるべくこうして汚れは拭き取るのじゃぞえ?戦いに赴けば、嫌でも汚れるのじゃからの」
 「…わ、私…自分で、拭くことも…出来なくて…」
 「良い。わたくしがやるゆえの」
 そうして腰を上げれば、堂々と素っ裸で全身を拭いているシエルが目に入った。
 「これ、シエル!おなごがそのように肌を晒すものではない!」
 「え〜?だって誰も見てないにゃ」
 「誰が見ておるとも限らぬわ。それに見られておらぬ時でも、慎みは忘れるものではない」
 そういう小桃は着物を着たまま器用に肌を拭き取っていった。そもそもがエトリアの仕立てとは違うのだ。
 そうして清潔になったところで、男どもに湯を渡し、買い物に行くことにした。
 「シエル、来よ。猫たちも食べるとなれば、やはり魚かの」
 「にゃ!おいしい店があるにゃ!だいぶ暗くなったから、早くしないとしまっちゃうにゃ!」
 「おぉ、それはいかんな。急ぐぞえ」
 慌てて小桃とシエルが行くと、ちょうど店じまいの時刻であったため値引きして貰えた。エトリアでは川魚が主であるためやや小ぶりの魚が多く、数で勝負、と大量に買い込む。
 野菜も買って帰り、猫たちにちょろまかされたりしながらも、何とか夕食の支度が出来た。
 が。
 「これ、ミケーロ!シエル!手掴みはよさぬか!」
 「ほえ?らって、食えればいいじゃねーか」
 「ボクも食器使ったことないにゃー」
 猫たちに混じって手掴みで焼き魚を貪っている二人が、きょとんとした顔を上げた。小桃の顔を見て、お互いの顔を見て不思議そうに首を傾げる姿は、これまた双子の猫のようで可愛かったが、これでは躾にならぬ、と小桃は兄の方を助けを求めるように見た。
 その文旦は、手足を縛っているために身動きのとれないフレアの口元に運んでやっている。
 「フレア、あーん」
 「………」
 「汁物は気を付けるのじゃぞ」
 「………」
 雛に餌をやっているかの如き兄に助力は無理と判断して、小桃は孤軍奮闘の決意をした。
 「こりゃ、二人とも、箸を使えとまでは言わぬ、せめてフォークとスプーンを使え」
 「えー、めんどー」
 「ボクもにゃー」
 野菜の盛られた椀を持って直接食べているシエルにこめかみを揉んで、小桃は声を張り上げた。
 「人の子として恥ずかしくない最低限の礼儀くらいは身につけよ!えぇい、わたくしが指導してくれるわえ!」
 そうして。
 小桃は21歳の若さながら母になった気分で、この二匹の猫じみた少年少女を人がましく育てる決意をしたのだった。



 わいわいとキャンプを楽しむらしい文旦組を置いて、ルークたちもギルドへと帰っていった。
 「でも、帰る前に公衆浴場に行くか?水浴びは寒いだろ」
 「ですね。しっかり洗い流したいですが…でもまずは着替えが欲しいです」
 もちろん女性陣は諸手を上げて賛成したし、リヒャルトも皆が行くのなら、と賛成したので、着替えを取ってから浴場に行くことにした。
 道すがら、改めて<家>というものについて考えてみる。
 リヒャルトはいずれ領地に帰るだろう。カーニャも継ぐべき家がある。帰るかどうかはともかく。グレーテルはよく分からないが、アクシオンもいずれはルンルンリンクスを継ぐことを期待されているだろう。
 「俺は…根無し草かなぁ」
 バードというのは、各地を放浪するものだ。いつか旅もできなくなったら、どこかに留まって歌うかもしれないが、それまでは居を定めないだろう。それがバードとして当たり前だとは思っていたのだが…<家>というものを意識すると、それも悪くないかなぁ、なんて思ってしまった。
 「ルークは仕立屋さんは継がないんですか?」
 「俺、バードだし。そりゃちょっとは針も使えるが、やっぱ旅を続けていたいしなぁ」
 けれど。
 その<自分の家>に。
 「アクシーが一緒に住んでくれるんなら、家ってのもいいかなぁ〜なんて思っちゃったけどな」
 「エトリアで家を買うって、どのくらいお金がいるんでしょうねぇ。もちろん、ピンキリでしょうが、こじんまりとした家なら…えーと、30万enくらいでしょうか」
 んー、と小首を傾げて考えている姿は、たったいま遠回しなプロポーズが入ったことには気づいていないようだった。まあ、気づいて「ごめんなさい」と言われるのも怖いので流して貰える方が助かるが。
 「あら、案外、夢でもない金額よね」
 グレーテルが意外そうに言ったのでアクシオンはぱたぱたと手を振った。
 「いえ、勝手な想像ですけど。俺の実家あたりがそんなものなので、そのくらいかな〜っと」
 「たっかいわねぇ」
 カーニャがしみじみと呟いた。生まれてこの方、家があるのが当たり前で、ご近所もたいてい農家か酪農家で広い土地と手作りの家を持っているので、そういうものだと思っていた。土地に所有者があって、それを買わなくては権利が無い、なんて想像したこともないのだ。
 「グレーテルさんはどうなんですか?おうちが欲しいですか?」
 「私?…そうねぇ、自分の家、なんてのは興味ないんだけど、ちょっと考えてることがあって…」
 「何?」
 ルークの問いにグレーテルはしばらく考えてから、首を振った。
 「まだもやもやとした空想くらいだからさ。もっとちゃんと形になったら言うわ」
 グレーテルは夢見る乙女だが、恋愛以外のことに関しては非常にシビアな現実家なのだ。エトリアの土地事情と建築費用、及び需要について調査した後でないと夢すら描けない。
 「ふむ、グレーテルは家を持っている金持ちの男性との縁談を希望していると認識しておりましたが」
 「えぇ、そうよ。自分の家は旦那に建たせるわよ。私が考えてるのは、それ以外。そう言うあんたはどうなのよ。いずれは自分ちに帰って結婚するんでしょ?」
 話を振られて、リヒャルトは苦笑いをした。
 「まぁ…いずれはそうなりますでしょうが。漠然とした未来を想像することはありますが…今の自分はまだまだ未熟でありますゆえ」
 「ま、この迷宮の謎を解き明かしてからだよな。…解き明かせるのかどうか分からないけど」
 もしも100階とかあったらどうしよう。16階に降りるのに約半年かかったのだ。5年だの10年だの潜り続けるのは辛いかもしれない。
 それでも。
 いつか終わるよりは、ずっとこのままの生活が続いた方が良いのかも知れない、とルークは思った。
 世界樹の底まで降りてしまってギルドを解散するよりも、ずっとずっと一緒にいられたら。
 それがあり得ない夢だとは分かっている。いずれ、終わった時のことを考えなくてはならないのも分かっている。
 それでも…ずっとアクシオンと一緒にいられる夢を見ていたい。
 「まずは、与えられたミッションをこなすことから考えましょう。今までも、そうやって少しずつ進んできた結果、最先端のギルドになってるんですし」
 「モリビト殲滅作戦、ねぇ…」
 いくら敵対してくる種族とはいえ、人型と争うのは気が引ける。
 そう、未だにルークは、直接戦うのは、モリビトの護衛の魔物だと思っていた。そもそもミッション名が『モリビト殲滅作戦』だというにも関わらず。
 そうして、暢気な集団は公衆浴場へ向かうべく、日の落ちた道を歩いていったのだった。 



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