自覚
ようやくルークとアクシオンが戻ってきた。酒の匂いを嗅ぎ付けて、グレーテルが腰を上げる。
「何よ、飲んできたの?飲むなら誘ってくれれば良かったのに」
「いえ…その予定では無かったのですが」
アクシオンが苦笑で答え、よろよろしているルークに肩を貸しながら壁際へと歩いていった。
椅子にルークを降ろし、少し周囲を見回す。
「お水取ってきますね」
離れかけたアクシオンの手をルークが掴んだ。ぐいっと引っ張られて、逆らわずにルークの腕の中に収まる。
「すみません、グレーテルさん、お水を入れてきて下さい」
「OK、いい酒じゃ無かったみたいね〜」
「酒くさ〜。あたし、あっちの部屋に行っとくから」
カーニャはさっさと部屋を出て、グレーテルは水を汲みに行った。外野は全く見えていないようで、ルークは腕の中のアクシオンをぎゅうっと抱き締めた。
「行くなよ〜」
「はいはい、リーダーの許可無しには、行きませんから」
ぽんぽんと宥めるようにアクシオンはルークの腕を叩いたが、少しも力は弛まなかった。
そうしていると、グレーテルがグラスと水差しを手に戻ってくる。
「ルーク、お水が来ましたから」
「いらねぇよ〜」
「飲んで下さい。脱水になりますし」
「アクシーの口移しなら飲む〜」
「…ホントに飲ませますよ、そういうこと言ってると」
抱き締められたままの体勢でルークの顎にキスをする。それでもあぐ〜あぐ〜と唸っているルークに溜息を吐いて、アクシオンは自分が楽なように体勢を変えた。つまり中腰ではなく、ルークの膝の上に座った、ということだが。
「何?どうなったの?」
グレーテルの問いに、顔も向けられないまま説明する。
「酒場に行きますと、ちょうど依頼があったところで…つまり、<レインボウ>のソードマンの婚約者が、帰ってこない婚約者の探索を依頼しにいらっしゃってて、ですね」
あちゃあ、とグレーテルは顔を覆った。婚約者の目の前で、おそらくは亡くなったという証拠を取り出す羽目になったらしい。
人が良い、というか、他人の感情に巻き込まれやすいルークのことだ、また泥沼に落ち込んだのだろうと想像は付いた。
「その婚約者という方がまた…ルークと一緒に飲みたい、なんて仰有いまして…彼の想い出を語りたい、とのことで」
アクシオンの口調に微妙な棘が混じった。<レインボウ>を見知ってはいたが、想い出を語るほどの話題は無い。一方的に彼女が想い出を語るだけだ。それが喪失感を埋める手伝いになる、ということはメディックとして理解はしている。
しかし、それがルークを落ち込ませるとなれば、たった今、知り合いになったばかりの女のことなどヘヴィストライクでどこかに叩き飛ばしたいくらいだった。
しかも、どうもこの女がルークに色目を使っている気がする、とアクシオンは思った。自分が冷静な判断を下しているかどうかについては、今回ばかりは自信が無いが、それでも、婚約者を亡くしたばかりで慰めを欲している女が、<レインボウ>よりも有名になったエトリア最高ギルドのリーダーに乗り替えようとしているように思えてならなかったのだ。
もちろん、それはただのアクシオンの悋気が感じさせる誤解で、ただ悲しみに打ちひしがれて誰でも良いから縋りたがっているのかも知れなかったが。
アクシオンは、表面上は哀悼の意を示して穏やかに婚約者を慰めていたが、内心では己の判断に理性ではないただの感情が混じったことと必死で戦っていた。それはどうも自分のスタイルではないし、危険なことのように思えたのだ。
そんな風だったから、アクシオンは大して酔ってもいないし、<レインボウ>の死んだソードマンのことなどとっくに意識の片隅どころかすでにこぼれ落ちているも同然であったが、ルークは違っていた。
本気で死んだソードマンを悼み、婚約者を亡くした女を悼み、間に合わなかった己を責め、結果として酒量の割には悪酔いしていた。
まあ、そうして理性が吹っ飛んだ結果として、人目も気にせずアクシオンをぎゅうぎゅうと抱きしめていたので、彼女に対する牽制にもなったし、アクシオンの自尊心も満足する結果にはなったが。
「ルーク。俺は、死ぬ気はありませんよ。大丈夫」
灰色の髪を撫でつけながら囁くと、呻くような返事が戻ってきた。
「俺は、結構、我が儘ですから。死んで、他人の手に渡す気はありません」
何を、とは言わなかった。他の人間には聞こえない声量だし、聞こえる相手も酔っぱらいだ。
「ルークが望む限りは、一緒にいますから」
もしも、望まなくなったら。
その時、自分がどんな行動をするかは分からない。にっこり笑ってお別れ出来るのが理想なのだが…最悪の場合は、挽肉加工だ。たぶん、その時にも、自分は笑っているだろうが。
「…彼女もさぁ…」
喉が押し潰されたような掠れた声にアクシオンは眉を顰めた。いくらオカリナ奏者とはいえ、バードが声を潰すのは良くない。早く水を飲んでくれればいいのだが。
「…ずぅ〜っと一緒にいてくれって望んでたのになぁ…一人で枯れ森なんか行って、一人で死体になってるなんてなぁ…ひっでぇよなぁ…」
ぐすん、と鼻を啜る音に、アクシオンは辛うじて動く首を伸ばした。鼻も目も真っ赤にさせたルークに、さてどうしようと思っていると、大きな手が頭も押さえてぎゅぅっと抱き締められたので、また身動きとれなくなる。
「ルーク、とにかくお水を飲んで下さい。喉が嗄れてます」
「ん〜」
しばらくして、巻き付いた腕の片方が弛んだ。ごくごくと水を飲み干す音に、ともかくは安堵する。
「アクシーは〜冷静だなぁ〜」
「いつでもそうありたいと思っています」
「死人なんて、珍しくもないかぁ?」
以前、冷たいと責められた気がするので答えを少々躊躇ったが、それでも何とかしてルークの気を楽にしてやりたかった。
「だって、見知らぬ他人がいくら死んでも、そんなことにまで責任持てませんし。今、この瞬間にだって、迷宮の中で…いえ、エトリア中、あるいは世界中で、何人もの人間が死んでるんですよ?そんなこと、いちいち考える必要は無いでしょう?…ルークにも、そんな義理は無いはずです。一人前の冒険者が一人で挑んで死んだからって、ルークが胸を痛める必要はありません」
「…俺が死んでも、泣く必要は無いってか?」
「そんなことは、一言も言ってません」
何をどう聞いたらそんな発想になるのか見当もつかないが、相手は酔っぱらいだ。まともな判断は出来ない状態だろう。
というか、いつもそんな風に思っているから、今、口に出したのだろうか。ルークは、アクシオンに片思い中で、それは全くの一方通行だと思いこんでいるのだろうか。
「アクシーはぁ、俺が死んだらぁ〜どうする〜?泣いてくれるかぁ?」
かぁっと目の前が真っ赤に染まった。
渾身の力で酔っぱらいの戒めを振り解き、驚いた顔のルークの襟首を捻り上げた。
真正面から睨み付け、低く呟く。
「…死なせませんよ」
ぎりぎりと、襟と拳が擦れる音がした。
「前衛として。メディックとして。俺は、貴方を守ります。死なせるものか」
この人は、俺を好きだと言いながら、俺の何を見ているのだろう、と思う。
仮にも好きだと言った相手を守りもせず死なせるような男だと思っているのだろうか。あの女のように地上でただ待っているだけではない、危険な場所に共に挑んでいるにも関わらず、一人死なせるとでも?
ルークが死んだら泣くか?だって?
そんあことはあり得ない。
何故なら、ルークが本当に死んだ時には、自分も死んでいるからだ。
誰がおめおめとルークだけ死なせて生き残っているものか。
無論、逆の立場を考えれば、ルークもアクシオン一人を死なせたくはないだろうし、だからこそ一人で試練に挑むことを反対しているのだろうが…仮にルークが一人で迷宮に入って死んだとしたら?それでもアクシオンはまず泣くことはないだろう。その時やるべきことは敵の殲滅だ。一匹残らず殲滅して…それでも己だけ生き残ってしまったなら、それから泣くかどうするか考えるだろう。
ぎり、とまたルークの襟を掴んでいる握り拳が鳴った。
何だか不思議なものでも見ているかのようなルークの目を真正面から見つめて、アクシオンは心の中だけで呟いた。
もしも、勝手に死ぬなら、この俺の手で殺してやる。
ゆっくりと手を離し、ルークの膝の上から降りる。
白衣をふわりと翻して歩き出しながら、振り返らずに告げる。
「ルークも頭を冷やして下さい。俺も冷やしてきます」
「…アクシー?」
「初心者を連れていくんですから、そう危険な場所には行きませんよ。約束します」
「…結局、俺をおいて行くんじゃないか」
「酔っぱらいの戯言を聞く気はありません」
冷たく言い捨てて、アクシオンは部屋の隅に蟠っている二つの陰の前に歩いていった。
「支度をどうぞ。迷宮に潜ります」
今までぐっすり眠っていたかのように見えたレンジャーが、ぱちりと目を開けた。
「おっし、そう来なくちゃな」
喜々として立ち上がるショークスと、無言で揺らめいたネルスを見て、アクシオンはまだ冷ややかな棘を潜ませながら告げた。
「残念ながら、これはあなた方のレベルを強制的に上げるためのものですから。少々不本意な戦いかも知れませんが、我慢して下さい」
「…へ?どんな?」
「行けば分かります」
つかつかと扉へと向かうアクシオンの後を追いながら、ショークスはちらりとリーダーを見やった。
だらしなく椅子に体を預けて、顔を手で覆っている。頭が痛いのか、それとも何かを嘆いているのか。
レンジャーの性として、眠ってはいたが意識は一部様子を眺めていたので、リーダーとメディックが言い争っていたというのだけは感じ取っていた。
放っておいていいんだろうか、と思ったが、これからせっかく迷宮に入れるというのに機嫌を損ねるのはまずい気がして黙っておいた。
外はもう薄暗くなっていて、カースメーカーがおかしな移動をしていても、そんなには目立たない。まあ、まるっきり見えない訳でも無いが。
「どうするよ、昼間に移動する時にゃあ俺が担いだ方がいいのかね」
<止めろ。俺なら自分で移動する>
「目立つじゃねぇか。浮いてっだろ?それ」
カースメーカーはどうやら足も鎖で戒めているらしく、普通には歩いていない。ローブが念の力とやらでもぞもぞするのと同じように、石畳から浮いて移動しているのだ。
ショークスは別に気色悪いとも思わないが、どう見ても滑るように移動している姿は、目立つとしか言いようが無い。
<そもそも昼間などに外に出たくは無い>
「しょうがねぇだろ、順番に迷宮に行くんなら、そうも言ってらんねぇだろうし」
<その順番など守る義理は無いだろう。二人で行動できるようになれば勝手に行けばいい>
「ま、俺もそうは思うけどよぉ、でも、一応ギルドに所属するからにゃギルドの規律に従わねぇとさぁ」
「…何か問題でも」
アクシオンがふと振り返ったので、ショークスは手を振った。
「や、こっちの話。ネルスが探索に行くのは夜がいいっつってるだけ」
アクシオンは小首を傾げて数歩進んでから冷静に言った。
「別に良いですよ。問題ありません。そもそも、夜の清水にTP回復の力があるので、我々も最初は夜だけ行動してましたし」
「へ?何、それ?…まあいいや、じゃあ、二人で行くようになったら、夜にするわ」
「どうぞ、お好きなように」
微妙にまだ怒っているのか、素っ気なく言って、アクシオンは到着した磁軸通路で二人を振り返った。
「では、11階に行きます。二人とも、俺の後ろにいて下さい」
「11階!?いきなり!?」
<危険なのか?>
「そりゃ、俺ら2階でもやばかったじゃねぇか、11階なんて一撃で死ねらぁ」
「死んだら蘇生しますよ、ご心配なく」
「や、心配ならするって…」
「ハイリスクハイリターン。ご希望なら、ローリスクローリターンでも良いですが、俺も暇じゃないので、そうそうは付き合えませんよ」
「…ハイリスクの方でいいです…」
まあ、一応は大丈夫だと判断して行くんだろうし、そうは見えないが高レベル冒険者なのだから一人でその階をクリアする自信があるのだろう、とショークスは渋々とアクシオンに付いていった。
ネルスは死ぬ可能性についてあまり考えないのか、それとも死が怖くないのか、手っ取り早くレベルアップ出来る方が良いと思っているし。
そうして、赤い光に包まれて来た場所は、上とは全く異なる蒼い階層だった。
「…何じゃこりゃ。何で樹木の中が青いんだよ」
「さぁ。光の関係らしいですよ」
アクシオンは磁軸のある部屋から出ていき、少し離れた通路に向かった。
「さて、と。指示通りにして下さいね」
「…了解」
<何故俺が冒険者如きの指示に従わねばならんのか>
ネルスは頭の中で反発したが、どうせ従わなければならないのは理解しているようだった。だからこそ、余計にむかついているようだったが。
「…あぁ、蟻とカエルですね。まずは蟻を潰します。一応そちらも蟻を攻撃して下さい」
ひゅ、とアルカナワンドが鳴り、蟻を叩き潰した。だが、完全には潰し切れていないので、ショークスも弓を撃ち、ネルスも杖で攻撃する。
<…一撃で殺せんとは大したこと無いな。こんなのがレベルアップの手伝いなどと大口を叩いて>
うんざりしたような気配にショークスは肩をすくめた。多少、同感ではあるが、熟練の冒険者というからには、もっと別の意図があるんじゃないか、もっと様子見てもいいんじゃ、と思ったのだ。
目の前にはまだ無傷のカエルが残っている。何だかぶよぶよして体のあちこちが膨れているくせに目だけは大きくて不気味な顔立ちだ。
アクシオンは背後の不穏な気配など気にも留めずにあっさり言った。
「では、あれは二人で傷つけて下さい。攻撃は俺が受けますから」
<自分でやらんのか>
「えーと、俺たちじゃ時間がかかりそうなんだけどよ…まぁ俺的には弓が使えて嬉しいんだが」
きりきりと弦を引き矢を放つ。気持ちよく撃てるのはいいのだが、どうもカエルは粘液でも出しているのか思ったほどうまく刺さらない。
2回ほど攻撃すると、カエルがぎょぎゅぎゃ!と声を上げた。まだ断末魔の悲鳴でも無いだろうに、何の声だ、と思っていると、茂みからもう一匹カエルが跳んできた。
「おい!増えたぞ!」
<なるほど、仲間を呼び寄せる声か。早く倒さねば厄介だな>
「はい、後ろは防御して下さい」
「はぁ!?」
<何故だ?>
ぐぶしゃあ!
新しく現れて無傷だったはずのカエルが、一撃で叩き潰された。
飛び散った何かを平然と眺めながら、アクシオンは背後を振り返ってにっこり笑った。
「こういうことです。このカエルは仲間を呼ぶんですよね。どうも傷ついている方がよく呼ぶようなので、少し傷を入れて貰いましたが、もう後は呼ぶのを待つだけです」
「えーと…よく分かんねぇんだけど…」
<傷ついた同族のために現れたカエルをひたすら叩き潰す、という訳だな。…ふん、これだから<冒険者>と言う奴は…>
嫌悪の目で睨むネルスを感じて、ショークスは僅かに前に出た。一応、何かあったらアクシオンとネルスの間に立てる位置である。まあ、アクシオンに立ち向かえる力があるとは思えないが、気分の問題だ。
ぎょぎゅぎゃ!
ぐぶしゃあ!
ぎょぎゅぎゃ!
ぐぶしゃあ!
ぎょぎゅぎゃ!
ぐぶしゃあ!
ぎょぎゅぎゃ!
ぐぶしゃあ!
ぎょぎゅぎゃ!
ぐぶしゃあ!
ぎょぎゅぎゃ!
ぐぶしゃあ!
……………………
以下繰り返し。
時折鳴き声を上げずに攻撃してきたりもしていたので、少々アクシオンも怪我をしているが、全く気にしている気配は無い。
ひたすらにこにことアルカナワンドを振り翳している。
一応後衛で防御姿勢を取りながら、ショークスは呟いた。
「…高レベル冒険者って…すっげぇなぁ…」
ネルスは何も言わなかったが、最初の嫌悪は薄れたらしい。まあ、それが尊敬に変わった、とかではなく、ひたすらの虐殺光景に心が麻痺しただけのようだが。
「えーと…そろそろいったん中止しますね」
そう言って、傷が入ったまま逃げ出すことも許されずひたすら悲鳴を上げていたカエルが叩き潰された。
休憩でもするのかと思えば、メスを取り出し淡々とカエルの皮を剥ぎだしたのを見て、ショークスは溜息を吐いた。
「いやぁ、マジすげぇわ、高レベル」
<不愉快だ>
「分かんねぇでもねぇけど、カエルに同情してどうすんだよ。実際、レベルが上がったのは確かだしよぉ」
カエルの頬皮だの岩サンゴだのを袋に詰めていたアクシオンが立ち上がった。アルカナワンドを頭上に突き上げて肩を回す。
「よし、ストレス解消。多少、気が紛れました」
<…ストレス解消で殺された方はたまらんな>
「聞いてもいいかい?何かリーダーと喧嘩してたみてぇだけど、何があったんだ?」
<おい>
聞きたいことは聞くに限る、とあっさり口に出したショークスを、横のネルスが慌てたように引き留める気配がした。文句は言いつつも、高レベル冒険者の実力は認めて、逆らうのは得策では無いと判断したらしい。
「お気になさらず。俺が一方的に怒っているだけですから」
「いや、気にすんなって言われても。…そらまぁ、別に関係ねぇっちゃ関係ねぇんだがよ」
「えぇ、あなた方には関係の無い話です。…あぁ、でも、これは言っておきましょうか」
微笑んだまま、アクシオンはネルスにずいっと顔を近づけた。
苛烈、と表された目が爛々と光っている。
「俺に敵意を持つのは構いませんが…もしもルークに害を成そうとするなら、殺します」
ざわり、と背筋の毛が逆立つのが分かった。今までカエル相手に楽しんでいたのとは明らかに違う、底冷えのするような殺気。
<この男は、むしろ同族に近いな。…おい、今はお前たちに害をなす気は無いと伝えろ>
「あいよ。アクシオン…だっけ、ネルスは俺たちには敵意は無いってさ。うん、俺もそう思うし。こいつが殺そうと思ってんのは、特定の<冒険者>で、<ナイトメア>はその助けになるんだから、変なことしねぇって」
<そこまで言っておらんし、俺は「今は」と言ったのだが>
「ほら、ネルスもそう言ってっしよぉ。…あ、聞こえねぇか」
けらけら笑って、ショークスは通訳した。別にネルスを庇う気は無く、本当に敵意は無いとショークスが判断してのことだ。
あどけない少女の顔に凄絶な笑みを浮かべて、アクシオンは一歩下がった。
「…いいでしょう。そういうことにしておきます」
「それよかよぉ、その反応って、あんたもリーダーが好きってことか?何かリーダーの片思いって聞いたんだが」
<貴様は本当に何も考えずに口に出すな>
「だって気になるじゃねぇか。どう見たって両思いだし」
<仮にそうだとして、お前に何の関係がある>
「いや、全くねぇけど。単に興味」
<…少しは、空気を読め>
「あ、俺、それ苦手。何で聞きたいこと聞いちゃ駄目なのか分かんねぇし」
<まったく…人間関係を円滑に…俺には関係が無いがな>
「お前も結構世話焼きだなぁ。心配してくれんのはありがてぇけど、もう20年も生きてりゃ矯正はきかねぇわ」
<心配などしておらぬわ>
「そうか?意外と俺のこと気にしてるように感じるんだけど」
<貴様は大事な「足」だからな>
「あっそう。で、その<足>だけど、俺はもうアザーステップまでいけるようになったけどよぉ、お前のペイントレードはまだかよ」
<…まだ、だ。かなり経験を積まぬと出来ぬ技なのでな>
「お前、よくそれで一人で鍛えようとか思ったな…ぜってぇ無理じゃねぇか」
<そうでもない。冒険者どもを操り、駒にすれば…>
「こっちの方がはえぇだろ?カエル狩り」
<まあ、な>
渋々同意が得られたところで、そういえば、アクシオンに質問していたんだった、とそちらに顔を向けると、もう杖を構えて敵を探しているところだった。
「…もしも俺とルークが両思いだと言うなら、あなた方も両思いでしょうよ」
「はぁ!?俺とネルスがかよ!」
<両思い…俺は同性愛の趣味は無い。仮にあっても、こんな男と…>
こんな、と言う時に想起されたイメージが、顔も隠され、だぶだぶの衣服で体の線も分からないちょっと小太りな男であったため、ショークスは吹き出した。
「ちょっ、お前の俺のイメージってそんなん!?いや、顔は確かに隠してっけどよぉ!」
げらげら笑って、ネルスの肩をばんばん叩く。
「やー、俺のお前のイメージを見せてやりてぇよ!…って、そういや何でお前の考えは俺に筒抜けで、俺の考えはお前に読めねぇんだろうな」
<貴様の考えは本当にぽんぽんとどこにでも飛ぶな。じっくり考えるということは無いのか>
たぶん本人には繋がった連想なのだろうが、聞いている方からすると、無関係なところに話が飛んでいくとしか思えない。疲れると言えば疲れる相手だ。こちらが深く考える暇などありはしない。まあ、深く考えない分、思ったよりも疲れない、とも言えるが。
「だって、気になることって色々あんだろ?これが気になってたら、あれが気にならないってこたねぇだろ?」
きょとんとして聞くショークスは、当たり前のことを言っているとしか思っていない。即座に危険に対応する必要があるレンジャーとしては優れた特性だと言えるが、一般生活には少々向いていなかった。
<…仮に、貴様の思考が読めるとしても…読むのは大変だろうな…>
全く読めはしないが、もしも読めたとしても、おそらく大雑把なイメージが1秒間に数十枚切り替わるような意識なのではないかとネルスは思った。「考えるんじゃない、心で感じるんだ」という奴である。
「何かよく分かんねぇけど、不公平だよなぁ、一方通行って。口に出さなくても意図が通じるって便利なのによぉ」
<知られたくないことを勝手に聞かれて不便だとは考えないのか>
「いや、俺、そんなご大層なこと考えねぇし」
<確かにな>
「同意すんなよ、こん畜生。俺的には、どっちかっつぅと、誤解されずに考えが通じるっつぅ方がありがてぇよ。今までどんだけ誤解されてきたことか」
<それだけ空気読まずにチンピラ口調で立て板に水していればな…>
「ひでぇ、チンピラ口調かよ」
<お上品なつもりか?>
「いや、そこまでは思ってねぇけど」
ぺらぺらとネルスと話している間に、またカエルの死体が積み上がっていく。
レベルは確かに上がるのだが、達成感は無い。まあ、最初から忠告されているので文句も言えないが。
アクシオンが杖を拭き、一息ついた。
「さて…と。そろそろペイントレードは習得出来ましたか?」
<一朝一夕で習得出来るものではない。…まあ、初歩の初歩は何とか、というところか>
「一応覚えたってさ。まだ実践レベルじゃねぇみてぇだけど」
「どのくらいの威力なのか試して貰えますか?」
何故かネルスが躊躇ったので、ショークスは首を傾げた。あれだけペイントレードペイントレード言ってたのに、使いたく無いのだろうか。
流れ込んでくるネルスの意識は、血と痛みが一瞬連想されて、それからぴたりと止まった。どうやら閉じたらしい。
「何だ何だ、カースメーカーの秘術だから知られちゃ困るってか?」
<…まあ、そのようなものだ>
それだけ告げて、ネルスはふよふよとアクシオンに近づいた。促されたようにアクシオンとネルスはショークスから少し離れたところに移動する。
よく分からないが、自分には知られたくないらしい、とショークスは手を頭の後ろに組んで、その辺をぶらぶらした。
あまり良い気持ちでも無いが、ネルスが知られたくないと思っていることを無理に知る必要も無いだろう。いくら筒抜けとはいえ、隠したいことだってあるはずだし。
ただ、自分無しでどうやってアクシオンと意志疎通するのだろう、とは思ったが…ちらりと見えたところによると、杖で地面に字を書いて話をしているらしい。
しばらくして、ざっざっと地面が掃かれる音がした。どうやら話が終わったらしい。
アクシオンが磁軸の方を指さす。
「では、いったん上に行きます。俺とネルスだけ7階に行って来ますので、ショークスは地上で待っていて下さい」
「へ?何で?俺は行っちゃ駄目なのか?」
「駄目では無いですが、棘床を通りますので、貴方が来ればその分余計に回復しなくてはならなくなるので。エリアキュアは使えないので単独回復する必要があるんですよ」
「エリアキュア使えないって…高レベルメディックじゃ無かったのかよ」
<使用は出来るだろう。俺まで巻き込まれたく無いだけだ>
「何でよ。じゃあ、お前は回復無しってか?」
<…気にするな。少し試すだけだ>
どうもすっきりしないが、この二人はショークスに説明する気は無いらしい。
ぶつぶつ言いながらも磁軸で上がって、二人が消えるのを見送った。
何でだろう、とショークスはその辺の草をむしりながら思った。
おそらくはペイントレードが使いものになるレベルだと判断されたらショークスとネルスのペアで戦うはずなのに、その相棒の自分を外すってのは何なのだろう。そりゃ原理を解説されても全く分からない自信はあるが、それでも相棒なら知っておくべきじゃないのか。
が、ほんの3分ほどで考えるのも飽きたので、今度は次に取るべきスキルについて考えてみる。
とりあえず素早さを上げてアザーステップを使えるようになったんだから、発動の遅いペイントレードをさっさと発動させることは出来るようになっているはず。で、できたらそれを100%発動出来るようにして…後は、先制ブーストと先制ブロック。
早く弓を鍛えたいが、当分後回しになりそうだ。せっかくのコンポジットボウが泣くぜ。
はぁ、と溜息を吐くと、少しゴーグルが曇った。
周囲を見回して、誰もいないのを確認してからゴーグルを外して拭く。
俺の顔を見たら、ネルスはどういう反応をするんだろう、とショークスは思った。もしも、他の奴らと同じような反応だったら…一緒にやっていく自信が無くなるかも。
なるべく、顔は見せないようにしよう。どうせそれに慣れてるし。
ショークスは結構ネルスが気に入っているのだ。出来ればうまくやっていきたいと思う。
しかし、やっていくならあの骨と皮だけの顔は頂けない。何だか虐待しているようだ。もっといいものを食わせないと。
そういやそろそろ芋が掘れる季節だっけか。やっぱ買うと高ぇのかなぁ。街は色々揃うかもしれねぇけど、俺は山にいる方がいい。
そうやって、色々と考えていると、磁軸から二人が戻ってきた。
「お待たせしました。問題外だったので、もう一回カエルを潰しに行きます」
あっさりと言って、アクシオンは11階に通じる磁軸へと足を向けた。
<問題外…か…>
ちょっとがっくりきているらしいネルスの肩を叩いてやる。
「何?やっぱスキル取りました〜って程度じゃ全然駄目?」
<これでも1階の敵は倒せるようだが…レベルが上がった分、1階の敵と戦っていてもレベルが上がりにくい。せめて2層の敵を倒せるくらいになってから二人で動け、と言われた>
「へぇ。さすが熟練。ダメージ見て、どのくらい通じるか分かるんだな」
実はショークスが見ていても、カエルや蟻がどのくらいの強さでどのくらいの体力を持っているのか見当が付いていない。もちろん、まだ見たことのない2層の敵なんて、何本矢を打ち込めば死ぬのかも分からない。
<くそ…ペイントレードとHP…TPも必要か…>
「まあまあ。焦んなって。これでもすっげぇショートカットでレベルアップしてんだし」
<分かってはいるが>
そうして、二人もアクシオンの後を追った。
ぱちりと目を開けたルークは、一瞬状況が飲み込めなかった。
傍らをぽんぽんと叩いて、誰もいないことを確認する。
暗闇の中、くらくらする頭で必死に思い返してみる。
そうして、どう考えても柔らかく温かな体が夢の中だけのものであったことを納得して、のろのろと起き上がった。
床が冷たいので身震いしたが、どうやら他のメンバーも寝ているようなので、そのままそぅっと部屋を出ていく。
水場でこっそり洗濯をしながらぼんやりと思う。
散々、悪酔いした。それは確かだ。
それから、アクシオンを怒らせたのも、本当のことだと思う。が、どう思い返しても、何故怒らせたのか分からない。
「…やばいよなぁ、俺」
怒らせたこととか、夢のこととか、色々な意味で。
乾いた衣服に着替えてから、ルークはしばらく誰もいない大部屋で考えて、それから装備を整えて、そっとギルドから抜け出した。
まだ秋というには早いが、それでも夜は涼しくなってきていた。
人通りの少ない道を歩いていき、磁軸に通じる広場へと向かった。
そこには誰もいなかった。昼間は立っている兵士も、夜にはいなくなるらしい。
全ての磁軸が見えるところに座って、ぼんやりと眺める。
アクシオンは、二人の初心者を連れてどこかに行っているはずだ。自分も見に行ってもいいが…それこそ一人で行くのは憚られる。こんなに酔って霞んだ頭ではなおさらだ。
アクシオンが強いことは知っているし、初心者を連れているからと言って遅れを取るような実力でも性格でも無いとも思っている。下手に庇おうとはせずに、あっさり死なせてから蘇生しそうだし。
けれど、やはり怖いと思う。
もしも、いつもよりも強い敵がいたら。
もしも、状態異常になって身動きとれなくなったら。
もしも…帰ってこなかったら。
怖いなぁ、とルークは膝に顔を埋めた。
アクシオンが死んでしまったら、と思うと、とてもじゃないが耐えられない。ここまで好きになっているとは自分でも驚きだ。
そりゃ、一目惚れはした。可愛いと思うし、大好きだと思っていた。
けれど、同時にアクシオンが男であり、恋愛成就の目は無く、ただ片思いごっこを楽しんで、二人で仲良くやっていけたらいいと思っていたのに。
仮にアクシオンが言う通りに、アクシオンが男らしく成長して女の子を好きになったら、笑って見守ってやれると思っていたのに。
やっばいなぁ、とルークは目を閉じて溜息を吐いた。
何か、すっごく好きになっている。絶対、手放したくなんか無い。出来れば、片時だって離れたくない。…どこの乙女だよ、俺。
いっそ、自分のものにしてしまえば、少しは楽になるのだろうか。アクシオンが一人で樹海に潜っても安心していられるだろうか。
…まあ、無いな。アクシオンが自分のものになるかどうか、というのを置いておいたとしても、仮に本物の恋人になったって心配なことに変わりはない。むしろ余計に手放せなくなりそうだ。
うわああああ、やばいな、俺。
母ちゃん、ごめん。俺はマジで男に惚れてしまったようです。店の跡継ぎは生まれそうにないや、畜生。
大切で大切で大切で。誰にも渡したく無いくらい、大切で。
でも、この気持ちがばれるのはまずい。いくらルークの一目惚れが知られているとは言え、それはあくまで「疑似恋愛」とアクシオンに認識されているはずだ。疑似恋愛なら笑っていられても、本当の本気で、肉体まで込みで欲しがられているとばれたら、気持ち悪いと思われるに決まっている。…どう頑張っても、己が男役で、アクシオンが女の子役だとしか考えられないし。
だとすれば、せめてこのままの関係だけでも続けていかなくては。疑似恋愛として、冗談のように愛を囁く程度に収めておかなくてはならない。
どうやってたっけ、最初の頃は。あまりにもアクシオンが側にいるのが自然になっていたから、どう接していたのかも忘れている。
これからどう顔を合わせよう……って、そういえば、最後に怒らせたような気がする。
何があんなに怒らせてしまったのだろう。アクシオンはたいてい内心不愉快でもいつも同じ顔で微笑んでいるのに、夕べは本気で怒っていた。
確か、俺が死んだら泣いてくれるか、とか言ったような…死ぬという単語がまずかったとは思わない。普段からむしろ「死」という単語を避けているのはルークの方で、アクシオンは平然と使っていたから。
だとすれば…試すようなセリフなのがいけなかったのだろうか。疑似恋愛でもいいから、俺のことを少しでも好きですか?というように聞こえ無くもない。
アクシオンはルークを好きだと明言している。それがたとえルークの好きとは異なっているとしても、だ。だとすれば、それを疑われたら気分が悪いのかもしれない。
あぁ、もう、早く帰ってきてくれないかなぁ。そして、いつものように笑ってくれてもいいし、怒ってくれてもいい。何でも良いから、早く帰って来てくれ。そうしたら、謝れるのに。
まだ酒の抜けない頭でうだうだと考えていると、11階に通じる磁軸が揺らめいた。
現れた3人を見てルークは立ち上がり…少しよろめいた。
すぐに先頭の人影が走り寄ってきてルークの体を支えたので、ルークはそのままそれをぎゅうっと抱き締めた。
「酔っぱらいさん、危ないでしょう、こんなところに来たら」
「磁軸を使う気は無かったよ。単にアクシーを待ってただけ」
「それでも、いつ帰るか分からないのに。風邪を引きますよ」
優しい手がルークの頬を撫でて、その温かさに触れてようやく自分が冷えていることに気づいた。
「あ〜、あったかい」
「じっとしているなら、マントも着てくれば良いのに…」
「ん〜忘れてた」
「…酔っぱらい」
くすくす笑ったアクシオンの手を取って眺めた。白くて小さな手だが…それでも明らかに男の骨張った特徴を備えている、と初めて気づいた。今まで、可愛らしい手だとしか認識していなかった…というか、男の手だとは思いたくなくて無意識にまじまじ見るのを避けていたのかもしれない。
きょとんとした顔で、アクシオンが小首を傾げた。
「あの…何か?」
可愛らしい少女の顔。けれど、だぶっとした白衣に隠されているが、中身は薄い筋肉の乗った男の体で、胸の膨らみの一つも無いし、尻だって薄い。そんなのは、抱き締めていれば分かる。分かっていたはずなのに、気づかないふりをしていた。自分が一目惚れをしたのは、あくまで女の子だと思っていたかった。
目の前にいるのは、19歳の男。
それでも、好き。
「何かおかしな顔をしてますけど…」
「ん〜まあね〜。何か、全然後ろめたくなくて、むしろ爽やかな気持ちになった自分に驚いてさぁ」
そうか。好きなのか。男でも。
今まで後ろめたいような忸怩たる気分が付いて回ったのは、どうやら相手が男だからではなく、その男を女の子として好きになったかららしい。
てことは、俺は根っからの同性愛者なのか?…ま、他の男なんぞ吐いて捨てたいから、アクシオン専用同性愛者ってことでいいや。
改めて、ルークは傍らの小柄な体を抱きしめた。
「おかえり、アクシー」
「ただいま。もうあの二人で放し飼いに出来ますよ」
「そっか、もうアクシーが付き合わなくてもいいんだな?」
「あ、後一回、本番に出る前に棘床に連れていく必要がありますけど…そんなの30分もあれば済みますし」
「ん〜…まあ、そのくらいは仕方ないか」
嫌がられないのを良いことに、ひたすらぎゅうぎゅう抱き締めているのだが、どうやらまだ酔っぱらいの行為だと思われているのか、別に文句の一つも言われなかった。
そうして思う存分いちゃいちゃしているリーダーとメディックを眺めて、ショークスはこっそり笑った。
「はっはっは、放し飼いだってよ、畜生。俺らは豚か牛かよ」
<言葉は気に食わぬが、好きにさせて貰えるのは良い。もうカエルにはうんざりだ>
「違いねぇや。もう頬皮も見たくねぇ」
<2層の敵は、ウーズと蜂だったか。…ペイントレードで倒せるはずだ>
「え…何で見てんの?あ、さっき棘床がどうとか言うときに遭ったのか」
<あぁ。その2層の敵だが、1階の清水近くに獣道があり、その奥にも出現するのだそうだ。夜に清水でTPを回復しつつ2層の敵を倒して経験を積むと良い、と言われた>
「へぇ。どうする?今から行く?明日にする?」
またネルスの思考が閉じた。どうもペイントレードの下準備のあたりを考えるときに、意識的に閉じられているらしい。そこまで企業秘密なのか。
<あれでは、今晩行けそうにないゆえな…明日になるだろうな>
諦めたような意識と共に、ルークとアクシオンへと視線がやられた。確かにリーダーがメディックをしっかり捕まえていて、離しそうにも無かった。
「ま、いっか。帰って寝よっと」
<そうだな>
どう見ても恋人同士がいちゃいちゃしているように見える光景に背を向けて、ショークスとネルスはギルドへと帰っていった。