レンジャー次男、登場




 そのレンジャーは一人で迷宮に潜り込んでいた。
 本来ならギルドに所属しないと冒険者としては認められず、奥にも入れないはずだったが、入り口付近には伐採用レンジャーがたむろしていることもあり、兵士の目を盗んで奥に行くことは容易であった。
 もちろん問題は奥に行けるかどうかではなく、初心者で、かつ一人旅、という時点で、探索は全く容易では無いことの方が重要だったが。
 彼の名はショークス。
 兄妹揃ってレンジャーの家系である。
 弓の腕を磨くんだと一人飛び出したショークスだったが、結局は実践に勝る経験無し、とエトリアまでやってきたのだ。
 そこで知ったのは、どうやら己の兄妹がエトリアでも最も有名なギルドの一員となっていて、かなり下の方まで採集に行けるほどに強くなっている、と言う事実だった。
 弓を捨て、採集の道を選んだはずの兄妹の方が強くなってるとなると、弓の腕を磨くと出ていった己はもっと強くなっていなければ合わせる顔は無い。
 ということで、こっそりと一人で潜っているのである。幸い兄妹たちは磁軸とやらを使ってもっともっと下に向かっているようだったので、1階で顔を合わせる心配は無かった。
 とは言うものの、一人では効率が悪いことこの上無い。
 しかし、ギルドに登録するとなるとここに来ていることがばれそうだし…と、ショークスはその辺の草を蹴りながら2階へと向かった。
 敵も強いはずだがその分経験も積める。相手が多ければ逃げれば良い。
 そうして降りてみると、途端に、何か聞こえた気がした。

 <…俺のものにしてやろう…>
 
 陰鬱そうな男の声だったが、幻聴とは思えないほどはっきり聞こえてきたそれに、何だ?誰の声だ?ときょろきょろしていると、何やら奥からばたばたという音がし始めた。
 だから一体何なんだ?と弓を構えながら様子を窺うと、紫色の蝶が一人にまとわりついているところだった。確か、あれは毒を持っている蝶だ。初心者には荷が重い。
 しかし、漆黒のローブに身を包んだそいつも、大した実力は持っていないようだった。時折杖を振るが、蝶が1匹2匹ふらつくだけで、すぐにまたばさばさと飛びかかられている。
 フードの陰から僅かに見えたのが白髪であったため、ショークスは眉を上げた。
 まさかとは思うが、冒険者じゃなくて一般人、それも爺さんなのか?入り口付近には日光浴に来ているという暢気な爺さんもいたし。そういうのが間違って奥に来てしまったのかもしれない。
 何やってんだ、見張りの兵士、とショークスは舌打ちした。まあ、自分もその兵士の目を盗んでここまで来たことは棚に上げておく。
 しょうがねぇなぁ、とショークスは矢を番えた。
 ひゅ、と空気を切り裂いて矢が蝶を貫く。
 こちらを認めた毒の蝶が飛んでくるのをさっさと背中を向けて走って離脱し、また振り返ってこっそり近づく。
 そうして何とかこちらのダメージ無しに倒せたのは、そこでくたばってるローブの男が蝶の標的だったからだろう。
 紫の蝶が全部落ちたのを確認して、ショークスは弓を背にかけた。
 「おーい、生きてっか?」
 蝶の欠片を踏み潰しながらそちらに向かうと、漆黒のローブがぴくりと動いた。
 よいせっと転がしてみると、顔色は紫色で、如何にも毒で死にかけという風体だ。というより、ほとんど死体に見えるのは、骸骨に皮膚を貼ったような痩せこけた顔なのと、ぱさぱさの白髪のせいなのかもしれない。
 「しょうがねぇなぁ。爺さんを見捨てんのも気が引けるしよぉ」
 ぶつぶつ言いながらショークスはとっておきのメディカを白髪の男の口に突っ込んだ。
 「毒消しは持ってねぇんだ。我慢しろや」
 返事は無い。まあ、文句があったって聞かないが。
 ショークスはローブの男を担ぎ上げた。
 爺さんだと油断したら、意外と重い。ひょっとしたら、飾りのように巻き付いている金属の鎖が重いのかも知れないが。
 「あぁ、もう、くそったれが」
 敵が出ないことを祈りつつ、ショークスはそれを担ぎ上げて階段へと向かった。

 何とか地上まで出てきたショークスだが、はたと立ち止まった。ここからなら施薬院の方が近いのだが、見知らぬ爺さんにかける金が無い。いや、全く不可能と言うのでは無いのだが、己の財布が空になる。
 「…しょうがねぇなぁ」
 ショークスは口元の布を鼻まで押し上げた。ついでにゴーグルも下げてしまうと、顔がほとんど見えない怪しい風体になる。とは言うものの、冒険者なんて皆どこか妙なのだ。そんなに目立つほどでもない。
 そうして、施薬院を通り過ぎ、黒猫印のギルドの扉をくぐった。
 「ちわーっす」
 「おう…って、見かけねぇ面だな」
 「この面ぁ見慣れてたらびっくりするぜ、俺ぁ。…<ナイトメア>ってぇのはどの部屋だ?」
 ギルド管理長が無事な方の目を胡乱げに細めた。どうやら疑われているらしいと気づいて、ショークスは渋々言った。
 「俺の名はショークス。<ナイトメア>にクラウド、ターベル、クゥってぇレンジャーがいるだろ?そこんちの2番目だ」
 「…確かに、聞いたことあるな。…まあいい。<ナイトメア>は2階の左翼、一番奥と、奥から2番目だ。看板がかかってる」
 「ありがとさん」
 よいせっと担ぎ直して、ショークスは左の階段を上がり始めた。
 奥、奥、と並んだドアを見ながら歩いていくと、一番奥の部屋から出てきた少女が目を見開いて叫んだ。
 「小兄ちゃん!」
 「よぉ、久しぶりだな、クゥ」
 たたたっと駆け寄ってきたクゥが飛びついてきたので、ショークスは呻きながら何とか持ちこたえた。余計な荷物を担いでいるので受け止められなかったのだ。
 「小兄ちゃん、どこ行ってたのよぉ!」
 「いや、クゥ、話は後で。お前んとこのメディックいるか?これを何とかして貰いてぇんだがよ」
 クゥは初めて気づいた、というように兄の背中の塊に気づいたようだった。
 ぱたぱたと駆け戻り、奥から2番目の扉を開く。
 「ブンにいたん!回復できる!?」
 …ブンにいたんって何だ、クラウドはそんな名前じゃねぇし、まさかターベルが結婚したんじゃあるまいな、と顔を顰めながらクゥの後に付いて入ろうとすると、奥からその兄も顔を見せた。
 「ショークス!お前…」
 「話は後にしてくれよ。とりあえずは、これ」
 これ、と背中を揺すり上げてショークスは<ナイトメア>の看板がかかった部屋に入っていった。
 ぱたぱたとクゥが走り回って、床にクッションを敷いたので、そこにどさりと荷物を降ろす。
 「あ〜、重かった」
 一息吐いていると、のっそりと眼鏡の男が近づいてきた。…上半身裸にさらし、黒っぽいスカートのようなものを履いているが、鞄から試験管を取り出したところを見るに、メディックなのだろう…たぶん。
 「お初にお目にかかる。拙者、文旦と申す。メディックとしては未熟じゃが…これは、毒かの?」
 「あぁ、2階の毒の蝶にたかられてた」
 「ふむ、拙者、まだ毒は治せぬしのぅ。テリアカβを飲ませるとするか」
 ぐいっと骸骨のような男の頭を持ち上げ、口に何かを突っ込む。
 「そして、キュアを…」
 それを眺めていると、耳を思い切り引っ張られてショークスは悲鳴を上げた。
 「いてぇよ、糞兄貴!」
 「ショークス!お前、一人で何やってんだ!エトリアに来たんなら、顔くらい見せろ!ここに来たってことは、俺たちもエトリアにいるのは知ってたってことだろうが!」
 「仲良しこよしをする気は無かったんだよ!いいから、離せって!」
 あててて、とショークスは何とかクラウドを振り払い、耳を押さえた。ぱたぱたと自分の手で耳に風を送っていると、クラウドの背後に赤褐色のマントを羽織った少女がいるのに気づいた。顔には血のような入れ墨が施されているが、どちらかというと気弱そうな表情なので、何か呪術的なものなのだろう、と思う。
 「あの…あの人…」
 「フレア?」
 「…同族…」
 「カースメーカーってことか?…ショークス、お前、カースメーカーと二人旅してるのか?ちゃんと守ってやれよ、カースメーカーはひ弱いんだから」
 「ちゃうわ!」
 <誰がひ弱だ>
 「ひ弱いってのは当たってっだろうがよ。蝶にたかられてへろへろだったし…じゃなくて!俺はたまたまこれを拾ったの!2階に降りたらやられてっから…」
 「お前…駆け出しのくせに、しかも一人のくせに2階まで降りたのか!?無茶するな!」
 「逃げ足ははえぇんだよ!」
 <では、やはり、俺のものにしてやろう>
 「って、あれも、お前が言ったんかい!何だよ、俺のものって!俺様を買おうってか、この爺ぃ!」
 <爺ぃ?俺は20歳だ>
 「ふかしこくにも程度ってもんがあらぁな!どこがタメだよ、この爺ぃ!…ってマジで20歳?」
 途中からはクラウドではなく起き上がってきていた漆黒のローブの男に向かって怒鳴っていたショークスだったが、ふと口を止めた。
 ローブの男の前に腰を落とし、手を伸ばしてフードを外す。
 ばさばさの白髪を掻き分け、骨と皮のような顔をじーっと見つめる。
 「皺…っぽくはねぇしなぁ、確かに。結構、体も重かったし…何、マジで20歳?」
 <記憶によれば、20歳のはずだ。1〜2歳の誤差は知らん>
 「うっわ〜、マジで?悪ぃ、白髪で干涸らびた爺ぃだと思ったぜ。そりゃ悪いこと言ったな」
 <ふん、別に>
 ぽんぽん、と肩が叩かれたので、ショークスは振り向いた。微妙に心配そうな顔のクラウドが背後から覗き込んでいる。
 「ショークス…何、独り言を言ってるんだ?」
 「はぁ?独り言?」
 ショークスは目を眇めて兄を睨んだ。
 「何だ?兄貴は耳でも遠くなったのか?んな小さい声じゃ無かっただろうが」
 「いや、だから…誰が喋ってるって?」
 「誰って…これだろ」
 <これ、は無いだろう、これ、は>
 「だって名前知らねぇしよぉ」
 <ネルス>
 「はいはい、ネルスね」
 ほら聞こえてるだろう、と振り向くと、兄はやはり困惑した顔で見返し、隣のクゥを見た。
 「聞こえたか?クゥ」
 「え?ぜーんぜん。小兄ちゃんが一人で喋ってるようにしか聞こえないよ?」
 「はぁ!?普通の声で喋ってっだろ!?」
 「誰か、聞こえた人〜」
 クラウドが周囲に聞く。近くにはクラウド、クゥ、フレア、文旦、そして少し離れて小桃とシエルとミケーロがいたが、全員揃って首を振った。
 文旦が眼鏡の位置を直しながら不思議そうに言う。
 「拙者が一番近くにおるようじゃが、何も聞こえなんだがの」
 「はいはーい!ボク見てたにゃ!口は開いてなかったのにゃ!」
 「すっげーな、よく見えんな、ここから」
 「ボク、目はいいのにゃ!」
 にゃはははと笑うシエルを見てから、ミケーロは冷たい目でショークスを見た。こっそり頭の横で指をぐるぐるさせたところを見るに、ショークスの頭の方がいかれていると思っているらしい。
 「何でだ〜!」
 がーっと叫ぶショークスの耳に、意味の分からない妙な響きの言葉が聞こえた。
 何だ?と見ると、ローブの男…ネルスがぎょろりとショークスを睨め上げた。
 <…知らぬうちに封が解けたのかと思ったが…何故お前には俺の声が聞こえる?>
 「はぁ!?むしろ、俺が聞きてぇよ!何で他の奴にはお前の声が聞こえてねぇんだよ!」
 「…あの…」
 「あぁん!?」
 勢い良く振り返ると、フレアと呼ばれていた少女が怯えたように一歩下がった。文旦が素早く立ち上がりショークスとフレアの間に入る。
 「フレアに怒鳴らんで下され。怯えておる」
 「脅してるつもりはねぇよ!こりゃあ地だ!それより、何の用だ、何の!」
 ますます文旦の背後に隠れたフレアがぼそぼそと何か言った。文旦が聞き取ってショークスに伝える。
 「その男は声を封じておるのだそうじゃ。故に、他の者には声は聞こえん。…と言うか、そもそも喋っておらぬ」
 <その通り。俺は会話をしている気も無い>
 「って、普通に喋ってるじゃねぇかよ!」
 がすっと裏手で突っ込むと、不機嫌そうに顔を顰めた。
 <痛いだろうが>
 「お、悪ぃ、やっぱひ弱なんだな、お前」
 <ひ弱ではない!>
 「見るからにひ弱だろうがよ!何だよ、この筋肉の一つもなさそうな面は!」
 頬を摘むと、予想通り肉のない皮だけの感触だった。
 <摘むな!>
 「もっと肉食え、肉!好き嫌い大王かよ!」
 <摂食など、動くだけのエネルギーさえ得られれば良いだろうが!>
 「んなの、人生の大半を損してるっつーの!飯を食え!肉付けろ!鍛えろ!」
 <カースメーカーに筋肉はいらん!>
 「戦うなら筋肉はいるだろうが!…って、カースメーカーってあれか?呪いの力で敵を倒すとか言う…」
 <その通り。筋肉で倒すなどという下品なことをするのは冒険者どもくらいだ>
 「いや、それが普通なんだよ!つーか、樹海にいたってことはお前も冒険者だろ、ばーかばーか!」
 <俺をあんなものと一緒にするな!汚らわしい!>
 「汚らわしいって何!つーか、お前のその冒険者って時のいやーなイメージは何だよ、そのどす黒いイメージはよぉ!お前も冒険者しに行ったんだろうが!」
 <違う!俺は…>
 ちらり、と何かのイメージが浮かんだ。
 血の色と、息詰まるような悔恨と憎悪。少し触れただけでも頭が重くなるような黒いイメージが感じ取れてから、ぴしぴしと音を立てて何かが閉じられた。
 先ほどまで打てば響くように聞こえてきていた返答が完全に消える。
 あん?ときょろきょろと周囲を見回すと、周囲の人間に妙な視線で見られていることに気づいた。気の毒がっているような怯えられているような。
 眉を上げると、クラウドが溜息がてら呟いた。
 「ショークス…お前がひたすら独り言を言ってるようにしか見えんよ」
 「ちーがーうー!」
 どっかりと腰を下ろし、腕を組む。
 <…ここまですれば、聞こえなくなるようだが…>
 「…って、今のは聞こえたっつーの!」
 <もう、か!少しでも気を抜くと筒抜けか!勘弁してくれ!>
 「勘弁して欲しいのはこっちだ!何で俺がきちぴー扱いされにゃならんのだ!」
 <こっちが聞きたい!何で、お前には聞こえるんだ!>
 ネルスも小さく溜息を吐いた。そして、じろりとフレアを見上げる。
 <「…おい、そこの落ちこぼれ」>
 びくっとフレアが肩を揺らしたが、間髪入れずにショークスはネルスの頭をはたいた。
 「てめー、いきなり『落ちこぼれ』って何だよ、失礼じゃねぇか!」
 <貴様には関係無い!…とにかく、だ。「お前、これに念話してみろ」>
 お前、がフレアを指していて、これ、が自分を指していることも分かる。それは、ただ言葉が聞こえているのではなく、何となくイメージも伝わってきているからだ。
 念話って何だ、何をしようとしてるんだ、とフレアを見上げたが、目を閉じているだけのように見えた。
 「おーい、何やってんだよ。ねんわって何だ?」
 <…聞こえておらんのか。と言うことは、俺の念だけが筒抜けと…何故だ>
 「んなの、俺の方が聞きてぇよ」
 ショークスは頭をがしがしと掻き毟った。それから、はたと気づいてネルスを見つめる。
 「…ってぇこたぁ、考えて口に出す前に俺に筒抜けってか。うっし」
 <何をするつもりだ>
 「ずばり!お前が樹海に潜る目的は何だ!」
 <冒険者どもを皆殺しにするた…>
 「って、今更閉じても遅いわっ!」
 思考を閉じたらしい漆黒のカースメーカーの頭を景気良くすぱーんと叩いて、ショークスは首を捻った。
 「いやさぁ、お前、マジで樹海潜るんなら自分も<冒険者>だって気づいてねぇの?自爆だっつぅの」
 <俺を<冒険者>などと一緒にするな>
 「いや、だから、一緒なんだって。それとも何か?樹海にいたのは何かの間違いだってか?」
 <…敵を殺し経験を積まぬと、一撃で殺す技を身につけることが出来ぬ…>
 「まぁ、そりゃそうだけどよぉ。だからってお前、あんなへっぽこい杖振り回してんじゃ、敵倒せねぇじゃん」
 <へっぽこ言うな!>
 「カースメーカーなら呪いで殺せよ、呪いでよぉ」
 <それの修得のためにわざわざ地上に来たのだ!>
 「へぇ…ってこたぁ、今の時点じゃあんな蝶の一匹も殺れねぇんかい。とろくせぇな、おい」
 <…貴様…やはり俺の呪力で縛り付けて人形にしてくれるわ!>
 「へっへぇ、やれるもんならやってみぃ!どうせそれも経験積まねぇと出来ねぇんだろ、このすっとこどっこい!」
 びしぃっと中指を立てたショークスの頭が、がくんっと垂れ下がった。背後から殴られたせいだ。
 「いってぇなぁ!」
 頭を押さえて後ろを振り向こうとするショークスの頭を更に押さえつけて、クラウドがネルスに片手を上げた。
 「すまんな、うちのは口は悪いし性格も悪くて…どうやら初対面みたいなのに、気を悪くしないでくれるといいんだが」
 「気ぃならとっくに悪ぃよ、こいつ!っつぅか、最初から俺ら全員に敵意満々だっつぅの!」
 「お・ま・え・が、喧嘩を売ってるんだろうが!」
 「ちゃうわ!」
 ぎゃあぎゃあ言い合う兄弟を見て、ネルスは横を向いた。
 <…ふん…馬鹿馬鹿しい>
 それに何となく郷愁のようなものを感じ取って、ショークスはちらりとネルスの横顔を見た。こんなんでも兄弟がいるのか。まあ、気配からするに、いたとしても、もういないようだが。
 すっかりレベル差があるせいで兄に押さえつけられた床で、ショークスは頭の中だけで考えた。
 どうするかなぁ。どう考えても、このカースメーカーは冒険者に害をなす気満々なんだが、今のところそれを知ってるのは俺だけで、信じて貰えるかどうかも分からないんだが。このまま放置してもいいものかどうか。
 兄弟でじったんばったんしているとネルスの気が抜けているのか、様々なイメージが流れ込んできていた。大半は如何にして冒険者を呪い殺してやるか、というような暗いものだったが、その対象は少なくともここにいるメンバーで想像はしていないようだったので、まあいっか、と一安心する。
 そうしていると、部屋の扉が開いて複数の気配がした。
 「ただいまー」
 「…何してんの?」
 「おや、見かけぬ顔でありますな」
 ばたばたと入ってきたのは5人。どうやらこれが本パーティーらしい。ネルスの気配が僅かに緊張したが、すぐに解ける。どうやら、呪い殺す対象は、不特定多数ではなく固定であるらしい。まあ、その他大勢にも気を許してはいないようだったが。
 クラウドがすぐに立ち上がって、灰色の髪のバードに挨拶する。
 「お帰り。これが、うちの2番目でショークス。そっちは、うちのが連れてきたカースメーカー」
 <…連れて来られたわけではない>
 「連れてきてやったろうがよ。俺が見捨ててたらそのまま死んでたくせに良く言うぜ」
 <ふん>
 「ふん、じゃねぇっつーの!」
 「…ショークス、挨拶くらい出来ないか?」
 クラウドが溜息を吐いたので、ショークスは渋々ネルスから視線を外し、バードの方を向いた。
 「どうも」
 ぶすっとして軽く頭を下げると、クラウドに殴られた。
 「…そんな挨拶があるか!」
 「いやー、お話はクラウドやクゥちゃんから、かねがね。<ナイトメア>リーダーのルークです。やっぱエトリア来たんだなー。歓迎するよ」
 へらへら笑って手を出すバードの手を握ると、意外と固くて戦う男の手だった。よく見ると背中の弓は結構な代物だし。良いなぁ、とショークスは弓を見つめた。自分もあんな弓を扱えれば、蝶の一匹や2匹、楽に倒せるのに。
 その隣に立っている白衣の少女は小首を傾げてカースメーカーの方を見ているようだった。
 「カースメーカー…ですか。どのようなお知り合いで?」
 若草色の大きな瞳に見つめられて、ショークスは目を逸らした。可愛い子だなぁとは思うが、ショークスは正直女の子が苦手だった。
 「…いや、別に連れてきたわけじゃ…」
 そうしてぼそぼそと状況を説明する。
 リーダーとその脇の少女は熱心に聞いていて、肌も露な少女は興味を無くしたように部屋の隅に向かった。そこで同い年らしい少年少女と話をし始める。
 豊満な肉体の美女が入れてきたお茶を飲んで、リーダーはネルスを見つめた。そのネルスは、ふんっとそっぽを向いている。
 「えーと、つまり要約すると。ネルスは冒険者を皆殺しにするために、地上にやってきたが、とりあえずは鍛えるために樹海に行った、と。そういうことか」
 改めて言葉にすると、ものすごーく極悪非道な動機に思えるのだが、リーダーは暢気にお茶をずずっとすすった。
 「そうですね。要約すると、現時点では蝶の一匹も倒せる能力は無い、ということですね」
 こちらももの凄い要約である。顔の割には容赦ねぇなぁ、とショークスは改めて白衣の少女の顔を見た。赤みがかった金髪を一つにくくった少女は、ショークスの視線に気づいたのは顔を向けて、にっこりと微笑んだので、ショークスはまた顔を逸らした。
 「フレア、ちょっと良いか?」
 「…はい…」
 「フレアに何用じゃ?」
 入れ墨の少女がおずおずと近づき、文旦はその傍らに寄り添って来る。
 「ちょっと聞きたいんだが、呪いで他人を殺せるようになるのは、かなり修行が必要なのか?」
 フレアは少し躊躇ってから、文旦の白衣を掴みながらこくんと頷いた。
 返事を聞いて、ルークはがしがしと灰色の髪を掻き回した。すぐに白衣の少女が指先でその髪を整える。
 「あ〜…ネルスとか言ったな。ぶっちゃけ、お前さんは、もし呪いで人を殺せるようになったら、まずどうすんだ?」
 すぐに思い浮かんだ光景は冒険者たちが苦悶の表情で倒れていく姿だった。けれど、それはこの場にいる誰の顔でも無い。
 「<冒険者>と名が付くなら誰も彼も皆殺し〜ってんなら、さすがにうちに入れるわけにはいかないんだが…」
 <…そうではないのなら俺を受け入れるとでも言うのか>
 「そうなんじゃね?ここはお人好しって聞いてっし」
 <馬鹿馬鹿しい>
 「そういうこと言える立場かよ。蝶の一匹も呪い殺せねぇ分際で」
 <貴様に言われる筋合いはない!>
 「まだ今は俺の方が強いっつぅの。俺が蝶を倒してやったんだぜ?」
 <ペイントレードさえ使えるようになれば、貴様如きに…>
 「だから、そのペイントレードとやらを使えるようになるには鍛えなくちゃならねぇんだろ?で、その鍛えるためにゃあ<冒険者>になるのが手っ取り早ぇってこったろ?だったら、お前、素直に『ここのギルドに危害を加える気はございません』ってな証文出して入ってりゃいいだろうがよ」
 <…この俺が<冒険者>としてギルドに、だと?>
 不愉快そうな感情が渦を巻いているのは分かったが、ショークスは手を頭の後ろに組んだまま平然とそれを見ていた。
 ショークスにとって、ネルスは畏怖の対象では無い。そりゃ一般論としてカースメーカーに対する畏れというものはあるが、少なくともショークスにとってのネルスのイメージは、頼りなく杖を振って蝶をぺしぺししていた姿である。畏れも糞もあるかってなもんだ。
 「…いやー、うちのギルドに限らず、冒険者一般に手を出されると困るんだけどな…特定の冒険者に復讐したい、とかそういうのならまだしも…」
 ぶつぶつと困ったように笑いながら呟いているルークの言葉を聞いて、ネルスの脳裏にまた特定のイメージが湧いた。
 闇。血。女の死体。激しい憎悪。荒い息。笑っている冒険者。冒険者。冒険者。
 捉えにくい映像だったが、どうも<冒険者>だとか<呪い殺す>だとかに反応して浮かぶそれはいつも同じ人物を指しているように思える。
 「まぁ…たぶん、特定の冒険者だと思うんだが。20代の男?斧と剣と…ガントレット?そんな感じ…って、いってぇよ!いや、痛くはねぇけど精神的にいてぇって」
 解説していたショークスの頭に、ぎりぎりと射し込むようなイメージが投射された。実際に手は下されていないが、ぎりぎりと錐でも揉み込まれているような感覚。
 <余計なことを言うな>
 「余計なことじゃねぇだろ!必要な情報だろうがよ!」
 あんまり痛いので、ショークスはネルスの首に腕を巻き付けて、もう片方の拳骨で頭をぐりぐりとしてやった。
 <痛いだろうが!>
 「こっちだって痛かったわい!…あ、この野郎、噛みつきやがったな!」
 <腕を戒めてなかったら殴ってやりたいところだ!>
 「ほぉ、腕は縛ってんのか。んなら押し倒〜す!マウントポジショ〜ン!」
 普通なら後ろに突き倒されたら腕で防ぎそうなものなのに、本当に普通に倒れた。ごちんっと頭が痛そうな音を立てる。
 <貴様〜!>
 「悪ぃ、マジで痛そう」
 腹に乗っかって頭を撫で撫でし始めたショークスに、ネルスは奇妙な目を向けた。
 <自分でやっておいて、何だ>
 「いやぁ、思ったよりいい音がしたんでなぁ」
 <貴様、考えるより前に行動しているだろう>
 「よく言われらぁな」
 <妙な奴だ。そもそも、カースメーカーの俺に平気で触るところがもうおかしい>
 「そういうもん?…そういや、触ったら呪われるとか何とかいう話はあったような気もすらぁ。…ま、いいや、とっくに触ってっし」
 わははは、と笑いながらネルスの頬を引っ張る。
 <引っ張るな!>
 「おぉお、肉がねぇからよく伸びるわ」
 うりゃうりゃと頬を両側に引っ張っていると、背後で吹き出す声がした。
 振り返ると、リーダーが声も無く笑い転げていた。
 「いやー、いいコンビだな〜」
 「そうですね、ペイントレードとやらがどんな能力かは知りませんが、カースメーカーである以上、発動が遅い呪いだと推測しますので、アザーステップを使えるレンジャーがペアになっているのは理に適っているかと」
 「…いや、そういう意味じゃなく」
 ひっそり裏手で突っ込んでいるのを無視して、白衣の少女が小首を傾げてショークスを見つめた。
 「ということで、我々はお二人を迎え入れる用意がありますが。如何なさいますか?」
 「ちょっと待て。お二人を…って、仮に入るんなら俺もセットかい!」
 「いやー、だって、俺らにはネルスが言ってること分からないしー。お前さんが一緒にいたら通訳してくれるしー」
 「アザーステップかける人がセットの方が良いかと」
 にこにこと笑っているリーダーと隣のメディックを見て、ショークスは額を押さえた。
 そりゃ、弓の腕を鍛えようとは思った。が、出来れば兄妹がいないところで鍛えたかったんだが。
 「ちなみに、当ギルドに加入した場合、現在入手できる範囲で最高の装備を支給することを約束しますが」
 ぴくん、とショークスの耳が動いた。
 弓。
 バード如き…いや、レベルはかなりかけ離れているので、たぶん今のショークスよりもよっぽど強いだるが、それでも弓の本職では無いはず…が持っているにはもったいないほどの立派な弓が、労せず自分のものに。
 ちらり、と横を見る。
 よく見れば、クラウドとターベルも立派な弓を携えている。クゥは少し劣るようだが、それでも今のショークスのものとは段違いだ。
 正直、心は動いた。コインを乗せた天秤の上に岩を乗せるくらいの勢いで。
 「えー…ちなみに、俺とこれが加入した場合…どういう組み合わせで樹海に行くことに?」
 <だから「これ」は止めろ>
 「へぇへぇ。自分からは情報出さねぇくせに自意識過剰なんだよ、お前」
 <物扱いされて嬉しい奴がいるか!> 
 「へぇへぇ。で、ネルスちゃんは…」
 <「ちゃん」も付けるな〜!>
 「文句が多いぜ」
 <普通にネルスと呼べんのか、貴様は!>
 「名前を呼んで欲しいの、なんてどこの乙女だ」
 <気色悪い>
 ショークスは、正直考える前に手が出るタイプである。そして、口もまた、あまり考えること無しに勝手に動くのである。
 そして、ネルスは口を封じていなくても熟考してから話し出す寡黙なタイプかも知れなかったが、言葉に反応して反射的に浮かぶ思考をショークスに読み取られているので、これまた即座に反応した会話になっている。
 結果として、ほんの数秒間で凄まじい勢いで会話がなされていた。ほとんど脊髄反射の応酬である。
 まあ、他人から見れば、ショークスが一人で喋っているようにしか見えなかったが。



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