猫組、出陣




 思う存分猫と戯れてから帰ってくると、問答無用でアクシオンに水浴びを強制されたミケーロは不機嫌だった。今までそんなに頻回に体を洗うなんてことはしたことがないのだ。
 もちろん、他のメンバーも水浴びさせられていたが。
 そしてこざっぱりしたところで連れて行かれたのはシリカ商店。
 そこに並んだ武器や防具の数々に、ミケーロは目を丸くした。ついでに、それに付いている値札を見て、もっと目が丸くなった。文字は読めないが、数字とその意味くらいは分かっているのだ。
 養成所で支給された皮の鞭だの、金属片を繋いだ自作鞭なんぞとはかけ離れた性能を持っているものらしいが、値段も信じられないくらい高い。
 「いらっしゃーい!お、ルークじゃん!新しい階層に入ったって?新しい材料でも見つかった?」
 「悪い、まだ潜って無いんだ。今日は、サブパーティーの装備を整えようと思って」
 「ちぇー。早く探してきてよー。職人さんたちが<ナイトメア>はまだかってうるさいんだから。ボクも新しい装備考えるの楽しいしね」
 「あいよ。また今度な」
 その会話に、改めて自分が所属したギルドは最先端を行く実力者ギルドなのだと思い知る。
 まだ入ったこともない迷宮だが、彼らが向かう4階層とやらに自分たちが挑めるのはいつになるのだろう。ひょっとして、彼らとは永遠に差は縮まらず、自分たちはただのサブに過ぎないのだろうか。
 ミケーロが不機嫌なのは放置して、ルークはまずは弓や剣という自分たちの武具をチェックした。
 「あ、アルカナワンド出来たんだ」
 「いいタテガミだったよー。一本しか出来なかったから、もっと欲しかったら、またタテガミよろしくね!」
 「まー、ケルちゃん自体は大したこと無いけどなぁ。なかなかタテガミを無傷で残せないんだよな…」
 何気なくその杖を覗き込んだミケーロは、そこに積まれた金貨の山を見て、ぎえ、と呻いた。
 信じられない。何年分の食費だ。
 その声に気づいてルークが振り返った。
 「ん?何だ、ミケーロ、早く装備が欲しいのか?」
 全然違う。
 「こいつ、うちでは初めての鞭使いなんだ。よろしくなー」
 「へー」
 シリカ商店の店主の目がきらりと光った。店主を見て、乳がはみ出しているのに気づいたミケーロは慌ててまた視線を杖に戻した。
 「鞭はせっかく作ってもあんたたち買ってくれなかったからねー。これで新作を考える甲斐があるってもんだわ」
 「他のギルドが買うだろ?」
 「これだけ高価になると駆け出しは買ってくんないし。…ってことで、鞭の良い奴は…うん、これだ」
 ルークはそれを確かめもせず、防具の方に目をやった。
 「ダークハンターが使える鎧と〜…そうだな、素早さよりも防御力重視で手甲もいいかな」
 「あいよ」
 カウンターの上に色々と積み上げられていく。
 「ミケーロ、合わせてみて」
 「あ、こちらにどうぞ〜」
 営業用の声に促されて、奥の職人部屋に行くと、鎧のサイズ合わせが始まった。
 その間にも、どんどんカウンターには武具が出されていく。
 「ブシドーさんには物干し竿かな。名前はこうだけど、有名なブシドーの刀の名前を貰っただけだよ」
 「おぉ、かの有名な武道者の得物にございますな!」
 「えーと、それから防具ね。次に…パラディンは剣だね」
 「あ、そういやアルカナワンド買ったらジュエルスタッフが一本浮くわ。悪い、杖は一本でいいや」
 「あいあい」
 ミケーロが出てきた時には、他のギルドも買い物に来ていたのだが、やはり同じようにカウンターの上に積み上げられる装備を見て目を丸くしている。
 「えーと…はーい、しめて63800enでーす」
 「へーい。うわぁ、だいぶ減ったなー」
 減ったなー、で済むのが凄い。
 ミケーロなんぞ、目が回りそうな気がしている。
 新品の防具に新品の鞭を下げ、一度も迷宮に入ったことがないのに装備だけで1万enを身につけていると思うとくらくらしそうだ。
 ようやく、何でレベル1が一人でうろうろするな、と言われたのか理解できた気がする。そりゃいいカモだ。俺だって目の前に素人が1万en持ってたら奪いに行く、とミケーロは思った。
 「ははは、何やら一人前の冒険者になった気分じゃのぅ」
 「このような素晴らしき刀を振るうことが出来るとは…感激にございます。ほんに有り難いこと」
 「ボク、頑張るにゃ!」
 暢気に喜んでいるメンバーを見て、ミケーロは眉間に皺を寄せた。街中の方が危険だって分かってるんだろうか。
 いや、待てよ。むしろこいつらを陥れて全員の装備を剥ぎ取って売り飛ばせば、4万enになるわけで…それでとんずらすれば…。
 「まー、最初は1階で鍛えるくらいだろうけどな。いくら装備が良いったって、実力はまだまだなんだから」
 「良いのかのぅ、このような大金を使わせて」
 ルークはひらひらと手を振った。
 「いいっていいって。いちいち死んで戻ってきて蘇生するより、さっさと稼げるようになるしな。初期投資、初期投資」
 「…なぁ」
 ミケーロはさりげなく聞いてみた。一応、流れに沿った話題なので、不審には思われないだろう。
 「うまく行ったら、この1万enってどのくらいで稼げるようになるんだ?」
 「んなの、鍛え具合によって違うわい。…そうだなぁ…」
 しばらく考えて、ルークは指を立てた。
 「まず…雪ドリフ倒せるくらいになったらカマキリ4体倒しに行って…半日で3〜4000enってとこか」
 「…は、半日で…」
 「で、大王狩りまで行けるようになったら〜…10階には5頭くらいいたから…うーん、3時間で5〜6000enくらい?」
 「…ちょっ…」
 いったん狩り尽くしたらしばらく出てこないので、そんな簡単に金儲け出来るわけでもないのだが、ルークはその辺は言わなかった。不良少年が、目先の金に誘惑されていることくらいお見通しなのだ。そんなことは考えるな、と言うよりも、もっと長期的に稼げる道を示してやった方がいい。
 …もちろん、魔物で稼ぐには自分も命がけで戦わなくてはならないので、労せず金を奪おうと思えば、仲間の装備を剥ぐ方が手っ取り早いのだが。
 ミケーロは頭の中でぐるぐると考えた。
 このまま装備を売っぱらう。
 あるいは4万enくらい残っているらしきリーダーの財布を狙う。
 そして、自分が頑張ってせっせと稼ぐ。もちろん、報酬は山分けらしいので、3時間で6000en稼いでも一人頭1000enだが、それを1日2回、1週間続けたら10000en以上だ。ちなみに、金額の多寡は分かるが、ミケーロに計算は出来ない。
 結論。
 <ナイトメア>で冒険者やっていった方が儲かる…と思う、たぶん。
 「よーし、それじゃ、その大王狩りってのに行ってみよーぜ!」
 「無茶言うな。まずは1階で雑魚相手に戦い方だとか連携だとかを育てて来いって」
 ぴかぴかの武具を装備したレベル1のパーティーを、シリカ店主は暖かく見送った。
 「危ないと思ったら、どんどん新しい装備に変えればいいからねー」
 「…悪い、しばらくはあれで頑張って貰うわ。新しい材料持ち込んだら、こっちの装備も買わなきゃならんし」
 「よっろしくー」
 一気に68000enを落としていったルークに、店主は心からの笑みを見せた。
 これで<ナイトメア>が買う装備は13人分だ。これをお得意さまと言わずに何と言う。
 それとは対照的にルークの顔色は冴えなかった。
 もちろん、装備を調えることを優先しているのは自分だし、その判断に間違いは無いと思っているが、財布の中身が半減したのも確かだ。新しく出来る武具は値段も更新していっているので、もう少し余裕が欲しい。
 早めに新しい採集場所を探してレンジャーたちに頑張って貰うか。
 そんなリーダーの計算も知らずに、ミケーロたちは意気揚々と迷宮へと向かったのだった。



 迷宮入り口で、もう彼らは揉めていた。
 前衛が鞭使い、パラディン、ブシドー、で、後衛がメディックとカースメーカーというのはあっさり決まった。が、その並び順で揉めたのである。
 「ボク、盾になるのにゃ?だったら真ん中でみんなを守るにゃ!」
 「だってよー、俺だって鞭で相手を縛るんだぜ?真ん中にいた方がいいじゃねーか」
 「やはり武士道たる者、中央にて敵を倒すことこそが本懐かと」
 要するに、みんな真ん中に行きたい、と。
 文旦は、むぅ、と呟きつつ眼鏡の位置をを直した。
 本パーティーから、真ん中は敵からの攻撃も食らいやすいと聞いているのだ。ちなみに、それは理屈で分からないでも無かったが、左端も結構攻撃を食らうというのは原因不明。
 文旦としては、小桃の意志を最優先してやりたいのは山々であったが、同時に小桃の安全こそが最優先事項である。
 従って。
 「左より、ミケーロ、シエル、小桃の順かのぅ。小桃の隣に男が立つのは好かぬしの」
 「んなこと考えてねーっつーの!」
 「良いではないか、ともかくはその陣形で参ろう。シエル、しっかり盾になるのじゃぞ」
 「にゃはーっ!」
 新品の盾を重そうに持って、それでもシエルは元気良く叫んだ。
 「行くにゃ行くにゃ行くにゃ!」
 てってってっと歩き出したシエルに合わせて、ぶつぶつ言いながらもミケーロもその左に並んで歩き始めた。小桃も何となく釈然としないような顔ながらもシエルの右に向かって歩き出す。
 文旦は大人しく傍らに立っていたフレアを促して3人の後を追った。
 迷宮の1階は、とても穏やかな日差しが落ちてきていて、まるでピクニックにでも来たかのような光景だった。
 「このようなところに敵が?」
 訝しげに小桃が眉を顰める。
 「おう、ここにゃあ突然変異とか言う上とは違う獣が出るって話だぜ。モグラはモグラでもやたらとでっかくって鋭い爪の……出た〜!」
 得々と説明していたミケーロが腰の鞭を手に取った。
 「む、敵か!?」
 「モグラにございますか!?」
 「チョウチョにゃ〜。綺麗だにゃ〜」
 「ばっか、あれが敵なんだよ!」
 ばさばさと蝶が集団で舞い上がり、こちらに向かってきている。
 ミケーロは舌なめずりして鞭を構えた。
 正直、本当に戦うのは初めてなのだ。いきなりこんな攻撃力の高い鞭を使うことになるとは思っていなかったが、上級者向けなのに使い易さも追求されているらしく、その鞭はミケーロの手にしっくり馴染んでいた。
 「行っくぜー!」
 しゅぴっと空気を裂いて鞭が跳ねると数体の蝶が切り裂かれて落ちた。
 「えーとえーと…ボクもやるにゃ!えーい!」
 子供の掛け声と同時にエクスキューショナーがぶんぶんと振られて、やはり蝶がはらはらと舞い落ちる。
 「参ります!」
 小桃の長い刀が腰から抜かれたかと思うとひゅんっと音を立ててまた鞘に戻る。
 文旦は一応構えていたバトルメイスを持った手を降ろした。
 「ふむ、雑魚であったの」
 「すげー!俺、つえー!」
 ミケーロは興奮して切り裂き鞭を振り回した。本当の初心者が初期装備で入ってきた場合、この森林蝶にすら苦戦することを知っているのだ。
 ばらばらの欠片になってしまったチョウチョを見て、フレアの顔色が悪くなった。血は出ていないが、それでも凄惨な光景だと言えなくもない。まあ、子供が遊びでチョウチョをばらばらにしたのと大した違いは無かったが。
 「フレア、行けるかや?」
 「は…はい…」
 そうして、彼らは意気揚々と1階を進んでいった。

 その頃の本パーティー。
 「ちょっとちょっと何これ〜!」
 「…沈んだら最悪生き埋めですが…そこまでの勢いは無くて良かったですね」
 「あーん、ブーツに砂入った〜!」
 「…あ、敵がこっち見てるけど…通り過ぎちまったよ、おい」
 彼らは思う存分、流砂を楽しんで(?)いた。

 キュアの一つも使わないまま敵を惨殺していた文旦たちは、清水まで来ていた。
 「えー…何々、夜であればTPが回復する、と…しかし、今は何も起こらぬのじゃの」
 ルークに書き写して貰ったマップ(メモ付き)を文旦が読んでいると、小桃がふと脇を見た。
 「兄上、こちらに道があるようにございますが…」
 「…ふむ、そちらにも道が書かれておるの。…えー…ただし、一方通行…ふむ、こう回れば元の区画に戻ってこられる、と」
 文旦が指でなぞる地図を一緒に覗き込み、小桃はそのメモを指さした。
 「この区画の敵は2階層…どういう意味にございましょう」
 「下の階の敵が出る、と言うことかの」
 「あん?2階の敵が出んのか?」
 つまらなそうにその辺の葉っぱをちぎって清水に投げ込んでいたミケーロが反応して奥を見た。
 「この付近の敵では弱すぎて修行になりませぬ。2階の敵と戦った方がよろしいのでは」
 文旦は悩んだ。
 2階には降りるな、と言われている。もしも鹿に突っ込んで混乱させられたら、下手に攻撃力が強い分、同士討ちが凄まじいことになりそうだからだ。
 だが、その鹿と遭わずに2階の敵と戦えるのならば、その方が良いのでは無かろうか。奥の一方通行の道から帰ってくれば、ちょうど清水に戻れるし。
 「…ふむ、では行ってみるかの」
 文旦は、エトリア語に疎かった。
 それゆえ、『2階層』と『2階』の区別が付いていなかった。
 で、奥に入って。
 「なーんだ、別に景色も変わんねーじゃん?」
 つまらなそうに歩いていたミケーロの足下で、何かが跳ねた。
 「あん?…うぉっ!」
 オレンジ色のぷよぷよした何かがぼしゅっと何かを噴き出した。
 くらりと目を回らせて、ミケーロは柔らかな草地に倒れた。ぼんやりと開いた目に、シエルや小桃も倒れていく姿が映った。だが、それも目の前に来たオレンジ色に覆い隠される。
 息苦しい、と僅かに思った。
 だが、腕を上げて振り払うよりも、このまま眠ってしまえ、という誘惑の方が甘美だった。


 その頃の本パーティー。
 「たっだいまー」
 「お帰り。随分早かったな。やはり敵が強かったのか?」
 「や、そうじゃなくてさ…」
 心配そうにやってきたクラウドにルークは手を上げて見せた。よく見ればみんな全く怪我をしている気配も無い。
 「それがだなぁ…」
 クラウドたちに16階の流砂の説明をする。面白そうに聞くレンジャーたちに大体のことを説明して、一つお願いをした。
 「…ということで、簡易の組立式いかだか何かを作ったら良いんじゃないか、ということになってさ。今、アクシオンは丈夫な布を買いに行ってるんで、クラウド、悪いんだけど組立式の枠組み作ってくれないかなぁ」
 「そりゃお安い御用だが…邪魔じゃないか?」
 そのまま足を踏み入れても沈んでいくわけではない流砂なので、たぶん簡易筏でも大丈夫だとは思うが…まあ、無いよりマシってくらいで。
 ルークは苦笑しながらクラウドに声をひそめて言った。
 「うちの我が儘お姫様が、やれブーツに砂が入っただの服に砂が入っただの、うるさくてさー。持ち歩きは邪魔かなーとも思ったんだけど、ご機嫌損ねると面倒なんだわ」
 「…ははは、まあ、やるだけやってみるよ。軽くて丈夫な樹木だな?クゥ、付いてこい」
 「はーい」
 そうして気軽に出ていったクラウドとクゥが帰ってくるのは予想よりも早かった。伐採がえらく早く済んだんだな、と思いながら、叩かれたドアを開きに行くと、厳しい顔のクラウドが立っていた。
 その足下に人間が転がっている。
 「リヒャルト!運びに来い!アクシー!リザレクションの用意!」
 リーダーの声に、一気に部屋の中が緊張した。
 リヒャルトのみならず、カーニャとグレーテルも戸口に向かう。
 固定した扉から、まずは文旦を運び入れた。リヒャルトがミケーロを抱え上げ、グレーテルとカーニャが小桃を持ち上げる。
 クラウドはフレアの腕からシエルを抱き取った。
 「よく頑張ったな。もう大丈夫だ」
 クラウドの優しい声を聞いた途端、その場に崩れ落ちたフレアにクゥが慌てて背中をさする。
 床に死体を4体並べ、最後にクゥが脇を支えながらフレアが入ってきて、全員が揃った。
 「リザレクション」
 アクシーが手早く調合した薬を4人の口に含ませていく。
 「エリアキュアかけますので、フレアもこちらに」
 淡々とした職業的な声かけを聞いて、クラウドはクゥの逆側からフレアを支えた。
 真っ青な顔でがくがくと震えているフレアを近くまで導いたのを確認して、アクシオンはエリアキュアを撒いた。
 「…泉で回復して帰ってきていたから良かったようなものの…というか、そもそも、俺たちが帰ってきてたのもたまたまですが」
 「うーん、探索に出るのは1パーティーずつにしとくかな、万が一のために。…で、クラウド、報告頼む」
 「分かった」
 回復して起き上がってきているサブパーティーの面々に、グレーテルがお茶を入れて配った。
 その間に、クラウドは、迷宮に向かったら、ちょうど入り口に糸で帰ってきた彼らを見つけたので何とか運んできた、と説明した。
 どうやら辛うじてフレアだけが生き残り、一方通行ということもあって1階ではあるものの糸を使わざるを得なかったらしい。
 「良い判断だったな、フレア」
 真っ白な顔を俯かせたフレアを、クゥが心配そうに覗き込んだ。クラウドがフードの上からその頭を撫でる。
 「大丈夫。全員生きてる。君のおかげだろう」
 兄が妹に向かって言うのと同じような優しい口調に、文旦が眉を上げたが、何も言わなかった。どうやら今の状況では「拙者の妹ゆえ手を出すな」とは主張できなかったらしい。
 「で、何でそんなことに?しっかり装備させたから大丈夫だと思ってたんだが…」
 やはり装備がばっちりでもレベルが低ければ1階でも駄目なのだろうか。
 文旦が唸ってからあぐらをかき、深々と頭を下げた。
 「拙者の判断誤りにござる。処分は如何様にも…」
 「や、処分とかじゃなくて。それは死んだことでちゃらってことで、とにかく、何にやられたんだ?」
 「んー、オレンジゼリーみたいな奴」
 ミケーロが手で喉のあたりをさすりながら言った。思い出したら息苦しくなったらしい。
 「…はい?」
 ルークは目を剥いた。
 何で1階に入ってスリーパーウーズと戦ってるんだ、と自分の地図を見直してみて。
 「まさか…清水の横の通路に入っちゃった?」
 「うむ、1階の敵では物足りぬゆえ、鹿に遭わずに2階の敵と戦えるのならばこちらの方が良いかと…」
 「兄上が悪いのではございませぬ。この小桃が戦いたいと申し上げたがゆえ…」
 正座をした小桃が背筋を伸ばしてきりりと眉を吊り上げた。
 「…あ〜…」
 ルークは手で目を覆って、それから呟いた。
 「悪い、それ、2階の敵じゃなくて、第2階層の敵…つまり、6階以降の敵が出るんだわ…俺たちにとっては当たり前のことだったから、第2階層って書いときゃ行かないだろうと思ってた俺が悪かった」
 「6階以降の敵…それで強かったにゃ」
 シエルが感心したように言った。人生で初めて死んだはずだが、あまり気にしていないらしく、平然としている。
 ミケーロが悔しそうに腕を組んだ。
 「蝶とかネズミとかさー、あっちが動く前に全滅させられるもんだから、ちょろいぜ!って思っちまったんだよな。くそ、あっちに先手取られると、何も出来なかったぜ」
 先制攻撃をされたわけではない。ただ、向こうが動くのが早かっただけだ。というか、レベル差のせいでこっちが極端に遅いのだが。
 大体、状況は飲み込めた。
 スリーパーウーズに眠らされて、一人ずつなぶり殺しにされたらしい。
 「よく、目が覚めたな〜」
 全滅してもおかしくない状況でありながら、何とか生き残れたフレアに目を向けると、その時のことを思い出したのかまた一段と顔色を白くした。
 「わた…私…何も出来なくて…に…逃げるのが、精一杯で…」
 カースメーカーらしいことは何も出来ず(いや昏睡の呪言があったとしても、スリーパーウーズが眠るかどうかは甚だ疑問であるが)、もちろんバトルメイスで殴ったとしても大したダメージを与えられないフレアは、鎖で戒められた体をますます小さく縮めて俯いた。
 「いやいや、よく逃げたって。逃げられなきゃ今頃全員ホントに死んでる」
 「糸を使ったのも良い判断ですね。あそこ一方通行ですから…」
 「ともかくは、全員生きて帰れて良かったですな」
 本パーティーに口々に慰められて、フレアはぽろぽろと涙をこぼした。その体を非常にさりげない動作で抱き寄せて、クラウドは肩のあたりを撫でてやった。
 性格からして女たらしの気はいっさい無い男のことであるので、たぶん、妹と同じように見えているのだろう。
 ここにはシスコンしかいないのか、と妹のいないルークは思った。しかし、出会う女が全部妹に見えたら、恋仲にもなれないんじゃないかなぁ、とも思ったのだが、それはこれからクラウドと文旦を観察して判断することにしよう。
 さて、それはそれとして改めて彼らを眺める。
 文旦はリーダーとして皆を危険な目に遭わせたことを悔やんでいるようだし、小桃も逸ったことを自戒しているようだが、死んだからと言って弱気になったりはしていないようだった。
 ミケーロとシエルは、
 「くっそー、今度遭ったら、びしばしに切り裂いてやるぜ!」
 「にゃー!ボクも斬ってやるにゃー!」
 と意気盛んだし。
 フレアは…まあ、最初からあんまり行きたくて行ってるのではないから同じだとして。
 「ま、何だ。ちょっとフライングしちゃっただけで、諦める気は無いんだな?」
 4人が一斉に頷いた。よく見れば、フレアもかすかに頷いている。
 「よーし、今度はホントに2階に降りてみろ。1階よりは2階の方がちょっとは手応えがあるはずだ。…ま、今日はもう休むといいやね」
 「こっちは出ますか?」
 「筏を作ったらな」
 早速、ミケーロが目をぱちくりさせながら寄ってきた。
 「いかだ?」
 それにアクシオンが16階の様子を説明しているのを横目で見ながら、ルークは文旦に言った。
 「いざって時のために、両方が探索に行くのは止めようと思うんだ。どっちかが行ってる間、片方はお留守番。そっちが怪我して帰ったらアクシーが回復、こっちが怪我したら文旦が回復…まあ今はまだ大した回復量じゃないかもしれないけど」
 「分かり申した。拙者、戦後処置を取っておりますゆえ、他者にかける回復量に自信がござらんが、これから鍛えていく所存」
 アクシオンが取っていない戦後処置スキルにちょっとルークは面食らったが、考えてみれば彼らにはバードがおらずTP回復が出来ないのだ。TP節約をするのも無理は無い。
 一通り筏の説明を終えたアクシオンが、帆布を手にクラウドの方へ行った代わりに、グレーテルがミケーロとシエルを手招きした。
 「にゃ?」
 「あんだよ」
 「ふっふーん」
 楽しそうにお子さまを呼び寄せたグレーテルは、腰に手を当ててにやりと笑った。
 「さーて、お勉強しましょうか」
 「え〜!?」
 「ぼ、ボク、文字なんて読めなくてもいいにゃ!」
 「だーめ。最後に勝つのは知力よ、知力」
 楽しそうに二人の腕を捕まえてずりずりと引きずっていく。
 今にも逃げそうな二人の耳を捕まえて囁いた。
 「ぶっちゃけ、文旦と小桃もエトリア語が苦手っぽいのよ。ちゃんとメモが読めてれば、あんなことにはならなかったんだし。だから、基本的な文字くらい覚えておきなさいよ。それが駄目なら、頭で覚えてもいいわ」
 「何をにゃ?」
 文字を覚えるよりはそっちがいいと思ったのだろう、シエルが食いついた。
 「敵の特性とか危険性とかよ。たとえば、2階に降りたら鹿や暴れ牛とかいるけど、どんな攻撃をするか知ってれば、足を縛ればいいや、とか分かるでしょ?」
 今度はミケーロの目が光った。
 まだボンデージ系はいっさい覚えていないが、今日の敵にしたって、もしも手段を持っていたとしてもどこを縛って良いのかは分からなかったのだ。
 「じゃあ、こいつはここを縛ればいいってのを教えてくれるのか?」
 「覚えんの大変よ?」
 「メモ書いといて、戦闘中に読む方が大変だろ」
 「ま、それもそうだけど」
 あっさり頷いて、グレーテルは二人に知識を伝え始めた。この二人は、育ちのせいで一切教育というものをされたことがない。
 だが、今日死んだことで気合いが入ったのか、非常に真剣にグレーテルの話に聞き入った。

 


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