守護者コロトラングル




 岸辺から花に乗り込む瞬間というのは、いつも少し緊張する。柔らかく沈み込む感触に、そのままごぼごぼと沈んでいくのではないかと感じるからだ。
 しかし、5人が一度に乗っても、意外と丈夫らしくそれは半ばまでしか沈まず、水も入ってこないので岸をとんと突いて向こう岸までゆらゆらと進んでいった。
 「…この頼りない感じがイヤなのよねぇ…」
 花に乗る度に顔色を悪くしてグレーテルは呟いた。どうもこのぐらぐらする感覚が気色悪いらしい。
 「もう少しの辛抱ですよ。13階の採集は、こちらでやりますから」
 ようやく14階のマップを完成させ、13階へと上がる階段も見つけてそちらの探索も済ませたのだ。採取ポイントと採掘ポイントも見つけ、今度はレンジャー組を連れて来ようと言うことになっている。
 「後は…15階へ進むだけなんだが…」
 ルークは岸に上がりながら遠くを見つめた。
 緑色の葉っぱを纏ったような少女に出会った方向を透かして見たが、青黒く染まる景色が映るだけで、動く者は何も見えない。
 「あれが、執政院に言われた人型だよなぁ」
 「そうねぇ。見た目はまるっきり人間だったけど」
 「そうですか?緑色が透けて見えてましたから、如何にも人外でしたが」
 同意するグレーテルに、アクシオンは気のない様子で呟いた。アクシオン的には、喩え人の言葉を喋ったとしても、あれは人間では無かった。もちろん、どのような中身になっているのか、というメディックとしての興味はあるが、それだけだ。
 だが、ルークにとっては、あれは人間の少女に見えた。これ以上進むな、と警告する少女と敵対するのは憚られた。
 とは言うものの、結局は好奇心に負けて進んでしまっているのだが。
 何故、彼女は進むなと言うのだろうか。
 自分たちのコミュニティがあって、それを荒らして欲しくないのだろうか。それとも、迷宮の謎を明かすと、更に地上の人間が乱獲を始めるような何かがあるのだろうか。
 まだ、さっぱり分からないが、それでも行ってはいけないという強い抑制も感じない。どちらかというと、何があるのだろう、と余計に好奇心をそそられた。
 でも、もしも彼女の方に正当な理由があるのなら、自分たちが仲立ちになって、執政院との話し合いを持ってもいい、とルークは思った。こちらに、彼女たちのテリトリーを荒らす正当な理由など無いのだから。
 「ま、15階の探索を済ませてから、報告するか」
 まだ余裕があるので手元の地図を見ながらピンクの花を乗り継いでいく。
 そうして15階に降り、少し進むと。
 「…強敵の気配であります。スノードリフトやケルヌンノスと同じような感覚かと」
 どうやら5階ごとに強敵が待ちかまえているらしい。
 「TPは…」
 「ありますね」
 「怪我は無いよな」
 「あってもかすり傷程度です」
 「糸もあるし、荷物の空きもある…行くか」
 どうせ出直してきたところで大した違いも無いだろう、と先に進むことにした。
 ぎ、と扉を開けると、そこは一段と広々としていて、まるで湖のように水をたたえていた。今のところは、しんとしていて、何も待ちかまえてはいないようだったが、何かが潜んでいる、という予感だけはぴりぴりとした。
 「…警告は、したはずだ」
 広間の中央に、緑色の少女がいた。
 まじまじ見ても、髪の毛がやや葉っぱっぽいだけで、目や鼻、口はどう見ても人間で、手足と胴のバランスも人間としか言いようが無い。
 人魚だとか狼男だとか、人間と何かが混じった形態の伝説はあるが、葉っぱと混じってる生物の伝説はあったっけ、とルークは自分のデータベースを検索した。
 えーと…マタンゴ。…だいぶ、違う。
 「樹海の外に隔離された者よ。盟約を破り、我らの聖地を侵すというなら容赦はしない。いでよ!守護者コロトラングル!」
 うわあ、どう聞いてもこっちが悪役か!というセリフに身構えていると、奥の方でざぱりと水面が蠢いた。そちらを窺っている間に少女は身を翻して奥へと消えていった。
  ざぱりざぱりざぱり…ざっぶーーん!
 巨大な白いエイが姿を現した。水飛沫を頭から被ったカーニャが悲鳴を上げる。
 「この〜!びしょぬれじゃない!」
 額に張り付いた髪を払って、剣を構えて走り出そうとするカーニャの肘をアクシオンが掴んだ。
 「まあまあ。あっちの有利な場所に行くことはありませんよ」
 「どういうことよ!」
 「こういうことです」
 アクシオンの言葉を聞いて、構えるだけ構えて待っている冒険者一団を見下ろして、エイは「きゅいい?」と声を上げた。
 しばらく水際でうろうろしてから、思い切ったようにぶわりとひれを広げ、中央まで飛んできた。
  ざっぶーん…びたびたびた
 「ま、要するに。地上で戦うに限るってことです」
 「いやー、あっちが魚介類の脳味噌で良かったなー」
 残念ながら、口はぱくぱくうごいているものの水から出ただけで死んだりはしないらしい。尾を支えに身を起こしたエイ…コロトラングルに、冒険者たちは改めて戦闘態勢を取った。
 命令されたのでしょうがなく地面なんぞに上がる羽目になったコロちゃんには気の毒だが…こっちも倒さないと奥に行けないので、全力を尽くさせて貰う。
 ともかくはいつも通りに医術防御とショックバイト、それに長期戦を見越して安らぎの子守歌をかけておく。そして、相手が1体なので単体攻撃術式を使って。
 「氷結!…あら」
 「チェイスフリーズ!…何と」
 「…ははは、相手はよっぽど冷たい水底に棲んでるんだな…」
 ほとんど与えられなかったダメージに苦笑して、ルークは次に猛き戦歌の舞曲を奏でた。
 「では、俺も攻撃に転じます」
 アクシオンが嬉々として殴りかかる。このノリからするに、そろそろヘヴィストライクを取りそうだ。
 「じゃあ、大爆炎!」
 「チェイスファイア!」
 切り替えた錬金術師・チェイス組がダメージを叩き出す。
 「あ、炎は利くんですね。火劇下さい」
 「おぅ、それじゃ次に…」
 …などと調子に乗っていたら。
  きゅいい!きゅいいい!
 コロトラングルがじたばたと跳ねると、地面が揺れた。まさか沈むんじゃないだろうな、と身構えたが、そこまで柔な場所では無かったらしい。…が、振動で水面が揺れてざぶりとコロトラングルの前に波が押し寄せた。
 「…やだ、大爆炎流された!」
 「チェイスファイア…申し訳ない、こちらも駄目であります!」
 「…あっちゃあ」
 氷も駄目、炎も水で消される、かといって雷系は全く覚えてなし。
 「持ってて良かった、沈静の奇想曲ってね」
 ルークはオカリナに口を当てた。旋律と言うよりも、相手の術を打ち消すような音波を放ち、コロトラングルの前にある水の壁を細かく砕いて押し流す。
 「そろそろ医術防御いきます」
 幸い、エイのヒレアタックも、津波攻撃も大したダメージにはなっていないのだが、とにかく大爆炎とチェイスファイアが機能しないと辛い。カーニャのショックバイトが地道にダメージを与え続けているが、アクシオンの普通殴りはあまり大きなダメージにはなっていないし。
 「…火劇〜」
 本人にもそれは分かっているのだろう、ちらりと振り返って切ない目でルークを見つめた。その縋り付くような視線に、ルークは苦笑して手を振った。
 「分かったよ、次には火劇かけるから。んで、ひたすら打ち消しし続けるかな」
 まあ、そんな感じで。
 ケルちゃん戦よりも泥臭く粘い戦いではあったが、ともかくは回復をかけることもなくコロトラングルを倒すことが出来た。
 ひちひちと弱々しく地面を打っているヒレをざっくりと切り取って、アクシオンはしげしげと眺めた。
 「うーん…早く帰って届けた方が良いみたいですね。如何にも生ものって感じです」
 「まあ、これまでと同じ構造だとすると、すぐ下に磁軸があるはずだから…」
 一応周囲を探索している間に、アクシオンとグレーテルが巨大エイを手早く解体した。他に使える素材はないか、と探したようだが、単に淡泊そうな魚肉を夕食分くらいゲットしただけに終わったようだ。
 が、内臓を水面へと落としたアクシオンが、首を傾げて下を探った。生臭い血液とエイの体液に濡れた地面を掻き分ける。
 「何してんのよ、臭いじゃない」
 鼻を摘むカーニャを無視して、アクシオンはどろどろに汚れた何かを掴み上げた。
 「…何でしょうね。ただのタイルにも見えますが、字が彫り込んでいるようにも…」
 滑らないように両手で掴んだそれは、石板のように見えた。言われてみれば、規則的に模様があるように見えなくもない。
 アクシオンは慎重にそれを洗い、タオルに包んでルークに差し出した。
 改めてそれを見つめるが、吟遊詩人の知識でもってしても、どこの言葉とも分からなかった。
 「…うーん…これも執政院が言うところの人型調査の証拠かもしんないし、提出するか」
 ひょっとしたら、「ここから先、立入禁止」とか書いてあるのかもしれない。
 …まあ、大昔の遺物に「最近の若い者はなってない」なんて愚痴が書かれていたっていう笑い話もあるし、無意味な誰かの日記だったりするのかもしれないし、それどころか、ただのエイのおやつという可能性もある。ま、その辺で頭を悩ますのはあの眼鏡だし、とルークはそれを背嚢にしまった。
 正面に浮かんでいた蓮の花に乗ると、すぐに下への階段を見つけることが出来た。
 あの少女の姿は無いが、この下は人型のテリトリーなんだろうか、と思いつつ身を屈めて降りていくと。
 その景色に、ぞくりと背筋の毛が逆立った。
 濡れた衣服や皮膚に、細かな砂が張り付いていく。
 何もかもが乾いた世界。淡い褐色の地面、同じ色の朽ちた木々。いや、その欠片が粒子となって地を埋めているのかも知れない。
 砂漠、という単語が頭に浮かぶ。
 知識としてだけはある、水の無い死の世界。
 「…上には豊富な水があるのに…植物は、下にある水を吸い上げる。あぁ、だから更に上は豊かに茂った植物に覆われてるんでしょうか」
 「だとしたら、この更に下には、栄養分だとか水は無いってことかしらね。…何で上の層に水が溜まってるのかは分からないけど」
 ルークはその辺に伸びている木を叩いてみた。
 かこんかこん。
 中身のない空洞特有の音がした。
 「死んでる…のかな」
 「どうでしょう…硬化しているようにも思いますが」
 触れた樹木に、そっと耳を当ててみる。
 …何も、聞こえない。
 水を吸い上げる、樹木が生きている証は何も。
 「こういう景色は、好きじゃ無いな」
 柔らかな草地が好きだ。風に揺れる小さな花が好きだ。伸びる若芽に、ちらつく木漏れ日。
 地上の景色を愛するルークには、この景色は異様過ぎた。まるで大量の白骨死体でも見たような気分だ。
 「確か…砂漠にも生き物はいたわよね。蛇だとか、サソリだとか」
 「完全な砂ばかりでもありませんし、動物もいても不思議ではありません」
 周囲を見回すグレーテルとアクシオンに、カーニャが面倒くさそうに言った。
 「要するに、敵がいるってことでしょ?いたら倒せばいいじゃない」
 相手によって氷系と火系を使い分けて、更に利かなければ雷系を覚えることを考慮しなくてはならないグレーテルに比べて、カーニャはシンプルだ。ただ攻撃をし続けて、怪我をしたらドレインするだけなのだから。
 まあ、そのくらいの気持ちでいる方がいいのかも知れない。どうせ、先に進むことに代わりは無いのだし。
 「ま、ともかくは戻るか」
 目の前には赤く立ち上る光の道がある。
 ぐんにゃりして微妙に生臭いヒレを持っているアクシオンも賛成したので、皆で磁軸に踏み込んだ。


 他のメンバーが速攻でシリカ商店に売り飛ばしに行っている間に、ルークは執政院に向かった。
 出会った少女の話をし、石板を提出すると、情報室長は興味深そうにそれを受け取った。
 「聖地、か。原住民というわけだな」
 オレルスは困ったようにちらりと奥を見やってから、石板に目を落とした。
 「私個人の意見としては、話し合いで何とかしたいのだが…長は異なる意見のようでな。モリビトは危険ゆえ排除、という方向のようなのだ。長がそう仰るのなら、従うしかないのだが…」
 ふぅ、とオレルスは溜息を吐いた。そんな執政院内部の対立なんぞをこぼされる程度には信頼されているらしい。
 「見た目は、人間そのものだったしな〜。俺としても、話し合いの方にしといてくれると嬉しいんだけど」
 「そうだな…もう一度、長に確認しておくよ」
 力無く上げた片手をぱしんと打ち合わせてやった。
 たぶん、この眼鏡もデスクワークでその地位まで上り詰めた人間なのだ。敵が人型だったから何とか殺し合わずに済ませたいというのは、甘いと罵られても仕方が無いことなのだろう。だが、それでも、ルークは出来れば殺したくなどないし、オレルスが頑張ってくれるといいと思う。
 でも、もしも。
 モリビトを殺せ、と言われたら。
 どうしたらいいんだろうなぁ、とルークはげんなりした。
 そりゃ、この迷宮を解き明かす義理も使命も無いのだから、「俺たちにはそんなこと出来ませ〜ん」と言ってとんずらこくのも自由ではあるのだが。
 けれど、もう<ナイトメア>はエトリアの中でも有名なギルドになってしまっている。なかなか気軽に解散も出来ない立場になっているような気がする。
 おまけに、これから鍛えるべきメンバーまで抱えてしまったし。
 まあ、モリビトの守護者を倒すのは気が引けるが、目の前に立ち塞がるならしょうがない。


 後に、ルークは、己の予測が甘すぎたことに臍を噛む羽目に陥る。
 この時点では、まだ妨害してくるのはモリビト配下の魔物たちなのだと思いこんでいたのだ。



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