鞭使い




 ギルド<ナイトメア>の部屋で、ルークは正座をさせられ、小桃の話を聞かされていた。ちなみに、くしゃみをしたため、アクシオンに肩からパステルカラーというどう見ても男性向けではない可愛らしい色合いのストゥールを掛けられている。
 「そも、武士道というものは、決して死を恐れてはおらぬ。『武士道とは、死ぬことと見つけたり』という言葉もあるほどじゃ」
 「…はぁ」
 「我らにとって恐るるは<恥>である。恥を濯ぐためならば<死>など何と言うことも無し」
 「…はぁ」
 ブシドーという職業は、レンを見たことがあるとはいえ未知の世界であったので、どのようなものかと聞いてみれば、まるで説教のように懇々と説明されてしまった。
 正座などという慣れない姿勢をさせられて、ルークはもぞもぞと親指を組み替えた。
 「聞けい!背筋を正せ!」
 「…はぁ」
 その間に、アクシオンは兄の方から聞き取りを開始している。何の打ち合わせも無しにそうするあたりが、もう阿吽の呼吸というやつである。
 「さて、ブシドーの理念ではなく、実際的な話を伺わせて頂きたいのですが。具体的には、弱点などを」
 「ふむ」
 上半身はさらしを巻いただけ、濃い灰色の袴を履いたその上に白衣を羽織るという珍妙ないでたちのメディックは、ずり落ちそうな眼鏡をちょいと鼻の上に置き直した。
 「武士道はあれが言う通りの職業じゃ。つまり、身を賭して敵を葬ることを身上としておるゆえ…要するに、攻撃力は高いが防御を捨てておっての。それゆえ拙者は、小桃の怪我を治せる医術の道を選んだのじゃが」
 「…つまり、薄くて良くダメージを受けるんですね」
 顎に人差し指を当てたアクシオンに、文旦は身を屈めて小声で囁いた。
 「さりとて、鎧を着けるのは抵抗してのぅ。身を固めるのは武士道に反すると言うて聞かぬのじゃ」
 「なるほど」
 柳眉を上げてびしびしとルークに斬り込むように説明している小桃を見て、アクシオンは頷いた。情の強そうな女性であるのは、ほんの1時間以内のことでも分かっている。
 「本人は防御力を上げようとはしない、と言うことですね。では、二つの方向性がありますね。一つは、攻撃力と素早さを特化させて、攻撃を受ける前に倒す、という伸ばし方。もう一つは、本人以外の方法で防御力を高めたり、相手の攻撃力を減らしたりするパーティーの組み方をするか、です。前者は雑魚には良いでしょうが、倒すのに時間がかかる強敵には辛いかもしれませんが」
 小首を傾げたアクシオンに、文旦は感嘆の声を上げた。
 「ほほぅ、見かけによらず戦術論がしっかりしておるのぅ」
 「戦術論かどうかは分かりませんが、これでも熟練の冒険者、というものですので」
 照れもせずに言ってのけて、アクシオンは文旦を正面から見つめた。
 「それで…どうします?前者なら、素早いレンジャーやダークハンターを集めるべきですし、後者ならパラディンや鞭使いを募集した方が良いでしょうし」
 「拙者は、無論後者じゃ。…あれは嫌がるじゃろうが…怪我はして欲しく無いからのぅ」
 「分かりました。では、パラディンとか鞭使いの説明をさせて頂きます」

 そうして、二組が懇々と話し合いを続けた結果。
 ブシドーの攻撃力はそのままに、その他のメンバーで補助する、という結論になった。
 「されど…拙者、この地に参ったばかりで、知り合いなどおらぬしのぅ」
 「パラディンは募集をかけておきましょう。鞭使いには、心当たりがありますので、ちょっと当たってみます」
 「俺は、酒場でカースメーカーにつてがある奴がいないか探してみるわ。レンが組んでるくらいだ、カースメーカーはブシドーと相性が良いんだろ」
 ようやく小桃から解放されたルークは、存分に伸びをしながら楽しそうに言った。ブシドーの理念を説明されるのも、まあ吟遊詩人としては悪くない情報なのだが、背筋を正して聞かねばならぬ、というのは些か疲れる。
 話し合いが終わったと見て、他のメンバーが近寄ってくる。
 「なぁ…仲間が増えるのか?」
 「おう、その予定。あと3人追加できたら、こいつらだけで探索に行けるな〜って」
 「そうか」
 クラウドが困ったように頬の傷を掻いたので、ルークは「あぁん?」と声を上げた。
 「どうかしたか?」
 「いや、ほら…部屋を替わるのか、と思ってさ。…ベッド、中で組み立てたから、部屋を替わるのなら、またばらして組み立てなきゃならないんだ」
 「うわ、そういや、そうか」
 この部屋はレンジャー組が加入したときに貰った10人部屋である。小桃と文旦を入れてちょうど10人なのだが、これ以上増やすとなると今度は15人部屋を申請しなくてはならない。
 「随分、ここにも馴染んだんだがなぁ…いっそ、どっか家でも借りるか?」
 「せっかく無料で住めるんですから、ここの方が有利だと思いますが」
 せっせとこの部屋の手入れをしていたはずのアクシオンが淡々と言った。掃除はするが、愛着というものは無いらしい。
 「ま、とにかくおっさんに相談しとくよ」
 「…俺も、3段ベッドの設計でもしとくかな」
 木工技術としては趣味の範疇だったクラウドだが、ベッドだのテーブルとイスだのを作り続けた結果、ちょっと腕が上がった気がするのだ。どうせなら、部屋は広く使えた方が良いから、5人分のベッドをただ横に並べておくのではなく、3段ベッドを5つ作れば、15人がともかくは休むことが出来る。まあゆったりと、とまでは言えないが。
 大所帯になったよな〜としみじみ思う。
 これで第2パーティーとして5人集まれば、全部で13人。…少々不吉な数字だが。
 一つのギルドは16人まで、と決まっているので、後3人までは加えられるが…3人で何が出来るというのでもなし、たぶんはこのままやっていくことになるんだろうな、とクラウドは思った。
 本当は、ここにショークスが来れば、戦闘レンジャーということで役立ちそうだが…しかしパーティーとしては端数になる。まったく、どこをうろうろしているのか知らないが、さっさとエトリアに来ていれば、このギルドに入って弓の腕を磨くことも出来ただろうに。
 今更もしもやってきても、端数になるのが分かっていながら仲間に入れてくれとは言えない。まだ、第2パーティーが揃わない間にやってくれば間に合うかかも知れないが…何をやってるんだ、ショークス。
 クラウドは心の中だけでぶつぶつとどこかにいる弟に文句を垂れて、ベッドの方に向かった。
 何となく板の強度を確かめたり、大きさを測ったりする。
 まあ、エトリアに来るかどうかも分からない弟のことで頭を悩ます暇は無い。クラウドには、ともかくはここにいる妹たちを守り、養っていくという大事な使命があるのだから。
 

 酒場に向かったルークは、久々に金髪バードを見つけて相好を崩した。
 「よ、久しぶり。やー、良かったよ、会えて」
 「うん、久しぶりだね。…ちょっと来ない間に、もう14階を踏破したって?」
 「やー、まだ踏破したってとこまではいかないなー。一応15階に降りる階段は見つけたんだけどさ、13階に上る階段を探してるとこ。13階でさ、川向こうに宝箱が見えるんだよ。やっぱそこまで行かないと精神安定上悪い」
 けらけら笑いながら、あっさり自作マップを見せるルークに、金髪バードは溜息を吐いた。手で目を覆いながら、陰鬱に呟く。
 「相変わらず…あのね、自作マップも重要な知的財産だって分かってる?無料でほいほい他の人に見せてどうすんの」
 「あん?お前、悪用しないだろ?」
 全く理解していない顔で自分の地図を見下ろして腕を組むルークを見つめて、金髪バードはまた溜息を吐いた。
 「…ま、僕が心配する義理も無いんだけどね。…で、何か用?」
 「あぁ、ちょっと聞きたいんだけどさ。…カースメーカーと会えるツテを持ってないか?」
 一応声を潜めて聞いたルークだったが、たいていは落ち着いている金髪バードが噎せ返ったので目をぱちくりさせた。金髪バードは慌てて水を飲み下して咳き込みを押さえようとしている。バードにとって喉は非常に大事な財産なのだ。
 「…おーい、大丈夫か〜」
 「だ…だいじょ…ぶ…」
 何度も水を飲み込んで、金髪バードは額の汗を拭った。深呼吸してから、「あ〜あ〜♪」と声の調子を確かめ、じろりとルークを睨んだ。
 「何、それ。カースメーカーなんて、実在してると信じてるんじゃないだろうね。あんなの、お伽噺でしか存在しないよ?」
 「や、いるのは確かなんだわ。ただ、ツテが無い」
 あっさり言い切ったルークに、金髪バードは眉を上げた。また「あり得ない」とか言われる前に、ルークは金髪バードの耳を引っ張り、内緒話の体勢になる。
 「いや、その…これは言ってなかったんだけどさ、レンとツスクルって二人組と迷宮内で出会ったって言ったろ?それがブシドーとカースメーカーのペアなんだわ。…執政院の眼鏡に教えて貰ったんで、ある程度情報はフリーかとも思ったんだけどさ、カースメーカーが実在するって情報流していいのかどうか分かんなくて黙ってたんだわ。悪ぃ」
 「…君、一応、考えて情報流してたんだ」
 「あのな」
 「誉めてるんだよ」
 金髪バードは乱暴に髪を払って、足を組んだ。金髪バードにとってルークのイメージは『自分が体験したことを無料で他人に喋りまくる間抜け』である。吟遊詩人にとっては、新鮮なネタなんて飯の種のはずなのに、それをぺらぺら平気でばらまくお人好し。だから、まさかその垂れ流しの情報に、隠していることがあるとは思っていなかった。
 案外策士なのか?と改めてルークを見つめたが、その間抜け面を見ていると、やっぱりただのお人好しなんだろうと思えた。情報隠しも、ただツスクルに迷惑をかけちゃいけないとか、街の人を怯えさせちゃいけないとか、そんな理由だろうし。
 はぁ、とまたも大きな溜息を吐いてから、金髪バードはキタラをぽろぽろと弾いた。しばらくそうして自分を落ち着けてから、ルークの方は見ずに小さく問う。
 「…で?もしもカースメーカーが実在したら、ツテを辿ってどうするつもり?」
 「や、今日、うちにブシドーの仲間が加わったんだけどさぁ。レンもカースメーカーと組んでるし、ブシドーとカースメーカーって相性が良いんかな〜と思って」
 「…つまり、カースメーカーも仲間に入れたい訳だ」
 「そ。…いや、まあ、どんな職業なのか、いまいち分かってないけどな」
 けろりとして言うルークを金髪バードは半目で睨む。
 カースメーカー、というのは、一般人にとってはお伽噺の登場人物であって、仮に実在すると知られたら狩りの対象になってもおかしくない存在である。呪い、という理解できない力で、命さえ奪う存在となれば、畏れて被害を受ける前に殺したくなるのも無理は無い。
 もしも<ナイトメア>にカースメーカーが来たとしたら…確実にその情報はエトリア中に広まる。さすがに<ナイトメア>に正面切って喧嘩を売ってカースメーカーを殺害しようとする奴はいないだろうが…<ナイトメア>も忌み嫌われること間違い無し。
 …が、それを気にするギルドで無いのも確かだ。何せ、自分たちが憧れられている、というのにすら気づかないのだから。いや、そういうのには疎くても、悪意には敏感、という可能性もあるが。
 「あのさ。もしも、だよ?カースメーカーが仲間になったら…どうなると思ってんの?」
 「どうなるって何だ?…普通に一緒に探索して、普通に分け前を与えるつもりだけど。…特別な配慮が必要だったりするんかなぁ。夜しか駄目とか」
 あぁ、これは何も考えてないな、と金髪バードはがっくりと肩を落とした。
 だが、ルークは気にした様子もなくへらへらと指を振って、悪戯っ子のようににやりと笑った。
 「ま、実際仲間になってみないと、どんな相手か分からないしさ。…つーか、その反応は、ツテがあるんだな、お前」
 数秒だけ、金髪バードは下を向いたまま「いっそ、しらばっくれようか」という誘惑に駆られたが、ゆっくりと顔を上げた。
 「…まあ…君には世話になってるし…聞いておくよ」
 「お、助かるよ。もしうまく渡りを付けられたら、ここかギルドに伝言残しといてくれ」
 「OK。…君達は、今から?」
 「ん、今晩は、もう寝るだけ。明日は13階の向こう岸予定だな」
 「…2〜3日中には、連絡するよ」
 「ありがとさん」
 そうして、ルークは酒場から出ていった。
 しばらく間をおいて、金髪バードも立ち上がる。
 どうしよう、と思う。
 カースメーカーを表に出して良いんだろうか。ひょっとしたら、狩りが始まってしまうかもしれない。もしもそんなことになったら、自分を呪っても呪い足りない。
 けれど。
 でも、ひょっとしたら。
 <ナイトメア>なら、カースメーカーを普通に受け入れるのかもしれない。そうして、世間の人にも受け入れられるようになるかもしれない。
 もしも、そうはならなかったら。
 全ての責任は<ナイトメア>に負わせて、自分たちは逃げれば良い。<ナイトメア>のような暢気な集団が、世間に後ろ指を差されるようになった時、どんな風に凋落していくのかを見るのも一興だろう。
 そうして、金髪バードは唇を歪めて、夜の街に消えていった。


 アクシオンはスラム街に来ていた。入り口からいつものダークハンターを呼び出して貰うと、鞭を携えた可愛い少女が二人道案内に来たので付いていく。
 ダークハンター養成所(自称)の建物に入ると、すぐに金髪美女が現れた。
 「あれぇ?メディックの坊やじゃなぁい。どうしたのぉ?」
 「いつもお世話になっております。単刀直入に申し上げますと、ミケーロは使いものになってますか?」
 金髪美女が顔を顰めるのを見て、あぁ、これは駄目だな、とアクシオンは思った。さぼってるのかそれとも本当にとことん見込みが無いのか。
 金髪美女は髪を掻き上げて、真っ赤な唇を尖らせた。
 「…あの子ねぇ…止めちゃったのよぉ。悪い仲間に引っ張られちゃってねぇ。今は、強盗予備軍の下っ端じゃないかしら。一応、不良少年どもの集団なんだけどさぁ、結局はバックに大人のワルが控えてるって、よくある話」
 「…馬鹿ですね」
 はぁ、とアクシオンは溜息を吐いて、首を振った。そんなことじゃないか、とは思っていたのだが。
 「もうずぶずぶですか?」
 「…まだ、ただの下っ端で大きな<仕事>もしてないはずよぉ」
 「間に合うかも?」
 「かもねぇ。…本人が、望めば、だけど」
 金髪美女も、苛立っているようだった。スラムでいる分、行く末が見当付いているのだろう。それよりダークハンターとして一人立ちする方が、随分マシなはずなのに…当の本人にはその気持ちは伝わっていない。おそらく「余計なお世話だ!俺は自分のやりたいようにやる!」って感じだろう。それはそれで自立心旺盛だと誉めてやっても良いが…犯罪人になったら、もう遅いのに。
 「すみませんが、ミケーロに会える場所を教えて頂けますか?」
 「どうすんの?説教なんて聞かないわよぉ?あいつ」
 「説教なんて、しませんよ。一応、一回はチャンスをあげるだけです。うちのギルド、サブパーティーを作ることになったので、鞭使いを募集してるんですよ」
 「あら」
 きらーんと金髪美女の目が光った。<ナイトメア>の鞭使いとなれば、将来を約束されたも同然なのだ。養成所の長としては、見逃せる話では無い。
 「もし、ミケーロが拒否するなら、こちらで一人お願いします」
 「うふーん、もうとびっきりの子を送っちゃうわよぉ。…でも、ミケーロがいいの?あの子、結局、まだボンテージの一つも覚えてないんだけど」
 「まあ、一回はチャンスをあげようと思いまして」
 アクシオンが一回と言ったら、本当に一回である。何度も温情をかけるほど甘くもなければ非合理でも無い。もしも拒否したら、あっさり引き上げるつもりだった。後でミケーロがどうなろうと、それはアクシオンの関知するところではない。
 「しょうがないわねぇ。案内するわ」
 「ありがとうございます」
 
 もう夜も更けて真っ暗な中、金髪美女に案内されて入り組んだ小路を進んでいった。
 「いつもならねぇ。この辺にたむろってんのよ」
 崩れた建物の、ちょっとした空間で金髪美女はきょろきょろした。
 むき出しの土の床には火を炊いた跡があり、骨やら瓶やらが転がっている。
 アクシオンはその木ぎれの上に手を翳してみた。まだ温かい。てことは、消してすぐだ、ということだ。
 「<ナイトメア>のアクシオンが、ミケーロを呼んでいます」
 アクシオンは周囲の真っ暗な空間に向かって声を上げた。決して怒鳴り声では無いが、男にしてはやや高めの透明な声質は、夜の静寂によく通っていった。
 「一度だけ、です。もしも、100数える間に出てこなければ、もう来ません。…1、2、3、4、5、6…」
 淡々とした数字が流れていく。
 目を閉じて周囲の気配を探ると、幾つかの動きが見られる。警戒はしているが、こちらに向かってくるような敵意は無いようだ。<ナイトメア>のアクシオン、と言えば、ここでもある程度の尊敬は得ているのだ。もちろん、熊殺しの実力も知られている。そうそう立ち向かってこられる者はいない。
 89まで数えたところで、アクシオンは目を開けた。
 目にはまだ映っていなかったが、一人の少年がのろのろと柱の陰からこちらに向かってきていた。
 それは、如何にもイヤそうにじりじりと進んできて、5mほど離れたところで止まった。
 「…何の用だよ」
 「迎えに来ました」
 「はぁ?」
 アクシオンは軽く手を差し伸べた。
 「<ナイトメア>に本日ブシドーとメディックが加わりました。彼らをサブパーティーとして機能させるべく、パラディンと鞭を使うダークハンターを募集することにしたんです。…まあ、坊やをまず選ぼうとしたのは、ただの気まぐれですけどね。坊やが特別強いってわけじゃなし」
 穏やかな口調だが、内容は辛辣だ。ミケーロが、けっと唾を吐いた。
 「俺はもう、ダークハンターなんざ…」
 「チャンスは一度だけあげます。もしも、今断れば、こちらの方にお願いして鞭使いを一人斡旋して頂いて、坊やとはもう二度と会う気もありません」
 ミケーロの言葉に被せるように、アクシオンは淡々と告げた。にっこり笑って両手を広げる。
 「全ては、坊やの判断に任せます。今、俺の手を取るのも、振り切るのも、それは君の自由」
 「ふざけんな!」
 「語彙が乏しいですよ、坊や。…俺はね、君を特別扱いする気はありませんよ。だって、君程度の鞭使いは掃いて捨てるくらいいるんですし。…まあ、うちに来たブシドーとメディックも素人に毛が生えた程度でねぇ。一緒にハイハイから始めるにはちょうど良いと思いますので、もしもやる気が少しでもあるならいらっしゃい。己の無力を知るには、良い機会です」
 誘ってるのか怒らせてるのか微妙なところだが、アクシオンはミケーロを煽てて呼び寄せるつもりはなかった。君でしか駄目なんだ、なんて思ってもないことを言う気など欠片も無い。己が特別な存在ではなく、ただの有象無象であることを弁えた上で、この手を取るならフォローはするが。
 ミケーロは何も言わなかった。
 ただ、ぐずぐずと体を蠢かせ、背後を振り返ったり、アクシオンを見つめたりしていた。
 たぶん、これまでもそうだったのだろう。自分で決定することを避けて、その癖「あいつが言ったからそうしたんだ」と文句だけを言うような。
 また数を数えた方が良いだろうか、とアクシオンが思い始めた頃、ミケーロの背中を押した者がいた。
 文字通りである。背中を蹴っ飛ばされて、ミケーロはアクシオンのすぐ近くにまで転がってきた。
 「ばっかやろー!さっさと行きやがれ!」
 「お前みたいな、愚図野郎、うちにはいらねぇんだよ!」
 「ぐずぐずぐずぐず愚痴ばっか一人前で、お前なんざいない方が清々すらぁ!」
 暗闇から、口々に罵りが聞こえてくる。
 背中を押さえながら立ち上がったミケーロが、追い詰められたネズミのような様子で周囲を見回した。
 「な、なんだよ…何なんだよ、お前ら…」
 「もう帰ってくんな!」
 「ここにはお前の居場所なんざねぇんだよ!」
 聞こえてくる声は、子供ではないがまだ若い男の声ばかりだった。おそらくは10代後半から20代前半まで。更に年上は、また別のグループになるのだろう。
 ミケーロは地団駄を踏んで叫んだ。
 「うるっせぇよ!こっちこそ、お前らなんざ大っ嫌いだよ!こっちから捨ててやらぁ!」
 アクシオンは眉間を揉んだ。出来れば、本人の意思で決定して欲しかったが…ここまでされないと自分ではどうしようもないらしい。とことん、他人に反発するのを優先するのは、根っからの性格なのか、それとも単に反抗期だからか。
 「どうも、お騒がせしました。<ナイトメア>は平等をモットーとするギルドですので、たかが駆け出しのぺーぺーにも同じように分け前を与えて、現在手に入る最高級の武具を支給することを約束します。まあ、絶対に死なせないとまでは言えませんが、責任は持ちますよ」
 アクシオンは闇の中に潜む男たちにそう伝えて、頭を下げた。ミケーロはぶすっとして突っ立っている。
 男たちは何も言わなかったが、安堵するような気配は伝わってくる。ミケーロは、彼らに愛されていることに気づいているだろうか。自分たちの仲間ではなく、冒険者になった方がいい、ミケーロだけでもここから抜け出せ、と背中を押してくれたことを分かっているだろうか。
 今は無理でも、いずれ気づけるといいな、とアクシオンは思った。
 アクシオンは合理的でただの温情には興味が無いが、こういう他人思いの行動には好意が持てた。いつか、彼らにも報いることが出来れば良いのだが。
 アクシオンは、まだ1mほどの距離で突っ立っているミケーロにつかつかと歩み寄って腕を掴んだ。ぎょっとした様子で振り払おうとするのを器用に力を抜けさせて、さっさと引っ張る。
 「それでは、失礼いたします」
 「あぁあ、残念。うちの子を推薦しようと思ってたのにさぁ」
 黙って見守っていた金髪美女がミケーロの頭を小突いた。
 「んだよ!悪かったな!」
 「ホントよぉ?もっと<ナイトメア>に相応しい子はいるのにさぁ」
 確かに、ミケーロを選ぶ必要性は全くない。ただアクシオンと喧嘩をした、というだけの間柄だ。
 「まあ、うまくやれればいいですけどね。…あぁ、鞭の腕は期待してません。そんなものは、実践で鍛えれば良いんです。ただ、ブシドーとメディックがねぇ…東方人でねぇ…」
 「…何だよ、言葉が通じねぇのか?」
 「いえ、言葉は通じるんですが、少々礼儀作法には厳しそうな方々でねぇ…ルークですら怒鳴られてますので…」
 ぎょっとしたようにミケーロの体が揺れた。礼儀作法、なんて見たことも舐めたことも無いのだ。
 「ま、ともかくはやってみればいいでしょう。どうにも駄目なら拘束はしませんよ」
 「…くそ、マジかよ…」
 ぶつぶつ言いながらも、ミケーロは付いてきた。どうやら追い出されても帰るところがない、と思っているらしい。
 もしも追い出されたら、おそらく彼らはミケーロを受け入れ、代わりに<ナイトメア>が恨まれることになるだろうとアクシオンは思ったが、そこまで説明してやる義理もないので黙っておいた。

 で、無事ミケーロを連れ帰ってきたのだが。
 文旦はじろじろと目の前の少年を見つめた。
 褐色の肌も露な皮の衣装、今は薄汚れて灰色に近い銀髪に金色の目。どこか野良猫のような雰囲気の少年を見て、溜息を吐く。
 「言うておりませなんだな。…拙者、おなごを望んでおったのじゃが」
 「あぁ、それは聞いてませんでしたね」
 アクシオンは悪いとも思っていない様子であっさりと答えた。ミケーロは体を強張らせたが、とりあえずは何も言わなかった。
 しばらくまたじろじろと見た後、文旦は眼鏡の位置を直した。
 「まあ、アクシオン殿のご推挙とあらば、いた仕方無し。じゃが、最初に言っておく」
 ミケーロの目を覗き込んで、文旦は殺意すら込めた視線で射抜き、低く恫喝するように囁いた。
 「もしも小桃に邪な気持ちを抱けば、即刻切り捨てるぞ。覚悟せい」
 「…あぁ、なるほど、それで女性希望ですか」
 アクシオンはちらりと小桃を見やった。ミケーロにあの女性を口説けるような根性は無いだろうとは思うが…兄は全ての虫を寄せ付けないつもりらしい。
 「はぁ?」
 「つまり、ですね。この方はあちらの小桃さんのお兄さんなのですが、たいそう妹さんを可愛がっていらっしゃいまして…要するに、妹に手を出すな、と言われてるんですよ」
 「…出すわけねぇだろ。俺、年下の可愛い子が好みだし」
 ふん、とミケーロは文旦の手を振り払った。ただの虚勢かも知れないが、それでも異国のメディックを前にしても萎縮する気配は無いので、まあまあやっていけそうだな、とアクシオンは安心した。
 文旦もミケーロの言葉を聞いて相好を崩した。
 「そうかそうか。それは良い。小桃も幼子に目はくれぬじゃろうとは思うが、まあ、一応…な」
 「お、おさなご〜!?」
 「違うのか?まだ元服もしておらぬじゃろう?」
 「げんぷくって何!つーか、俺、17だぜ!?子供じゃねぇよ!」
 「何と、十七!」
 アクシオンはミケーロの年齢を聞いても驚きはしなかったが、見た目がやや幼いことは理解している。それはおそらく大事な成長期に栄養不足だったためだろうが、13〜15歳と言われてもおかしくない外見なのだ。まあ、アクシオンほどではないが。
 文旦は、その年齢が気に入らなかったようだ。小桃21歳、17歳となら釣り合わなくもない。
 が、まあ外見は目の大きなやんちゃな幼子、小桃も男性扱いすることはあるまい、と無理矢理自分を納得させる。
 「敵の攻撃を妨害する職業と聞いたゆえのぅ…小桃に害が及ばぬよう、励むがいい。そして、拙者が言うたこと、ゆめゆめ忘れるな」
 そうしてきびすを返し、小桃の方へと向かう文旦を見送って、ミケーロはぎこちない動作でアクシオンを振り返った。
 「…あれ…何」
 「ですから、あれが貴方のパーティーリーダーですよ。ブシドー上がりですので少々厳しいですが、実際は刀も持たない後衛です。今のところ、君はうまくやってますよ。その調子でどんどん立ち向かっていけばいいでしょう。…ただ」
 「ただ…何だよ」
 「メディックっていう者はねぇ、回復をする専門家なんですよ。…つまり、彼のご機嫌を損ねると、回復して貰えない可能性はあります。…俺はそういう役に立たない情緒は持ち合わせていませんけどね」
 自分の好き嫌いで回復が遅れれば、パーティー全員の不利益になる。もちろん、アクシオンは今のギルドメンバー全員を好きなので問題ないが、仮に気に入らない人間がメンバーになったとしても、同じように平等に回復する自信がある。
 だが、文旦も同じとは限らない。小桃を最優先するだろうことは予想は付いているが、それ以外のメンバーについては分からない。
 今のところ、ミケーロがきゃんきゃんと噛み付いても、小桃にさえ関わらなければ全く気にしていないように見えるが、実際には探索に向かってみないとアクシオンにも判断できないのだ。
 「…マジかよ…」
 がっくりと肩を落としたミケーロの頭を、アクシオンは撫でてやった。
 「大丈夫。俺なんかは、坊やみたいな跳ねっ返りを見るのは好きですから。まだ文旦がどういう仲間が好みかは知りませんが、大人しい少年よりも気に入られる可能性はありますよ」
 「いや、別に気に入られなくてもいいんだけどよ…回復さえして貰えりゃ」
 とにかく、小桃に近づかなければ良いのか。しかし、その小桃を守るために雇われたらしいし。どうしろってんだ、とミケーロは腰を下ろした。
 「本格的に探索に向かうのは、後パラディンと、ひょっとしたらカースメーカーが仲間に入ってからになりますから。それまではあの二人と親交でも深めておいて下さい」
 うんこ座りのミケーロの頭を撫でていると、ぱたんと扉が鳴った。途端に背後から悲鳴のような声が上がる。
 「あ〜!アクシー、何やってんだよ!」
 「あ、お帰りなさい、ルーク」
 振り返ってにっこり笑い、アクシオンはミケーロの腕を掴んで引き起こした。
 「以前会ってるから知ってますね?こちらがうちのリーダーのルーク。ルーク、この子をダークハンターとして捕まえてきました」
 「アクシーの顔に傷入れた奴だな!覚えてるぞ、ちくしょうめ!」
 ずかずかやってきたルークが、ミケーロの首もとを捻り上げた。
 「いいか、最初に言っておく。…アクシーに手ぇ出したら追い出すからな!」
 ミケーロは泣き笑いのような顔でアクシオンを振り返った。
 「…こいつも?」
 「まあ、いつものことです。大丈夫、小桃さんと俺に手を出さなければ、それで問題無しですから。カーニャはフリーですよ、良かったですね」
 「んなことは聞いてねぇよ!」
 うわあああ、とミケーロは頭を抱えた。
 ダークハンターとしてやっていく、それは主に技術とか怪我とかそういう意味で困難な道なんだと思っていたが、それ以前に挫けそうな気がした。
 何なんだよ、こいつら。何で俺なんかに威嚇してくるんだよ。
 決して、新しい仲間として諸手を上げて歓迎されるとは思っていなかったが、それでもまさか、いきなり敵意を持たれるとは思ってもいなかった。
 だが、その関係者の一人であるアクシオンは長閑に笑って、ミケーロの耳に口を寄せて囁いた。
 「大丈夫。少なくとも、ルークのはただの挨拶に近いですから。仲間内だけで通じる冗談みたいなものです」
 そういや、リーダーと出来てるって噂はあったな、とミケーロは思い出した。てっきり、アクシオンが少女として誤解された上での噂だと思っていたのだが…世の中奥が深い。
 「恋敵にもなりうる一人前の男性として認められてるってことですよ。そう考えて、喜んでおきなさい」
 くすくす笑って、アクシオンはミケーロから離れた。ご機嫌斜めにぶつぶつ言っているルークを宥めつつ、少しずつ離れていく。その二人の会話は聞こえてこないが、自分に対するよりももっと自然で、距離が近いように思えた。
 けっ、と毒づいて、ミケーロはまたその場に座った。
 元からいる5人は5人で固まり、文旦と小桃は一緒にいる。
 そこにミケーロの居場所は無い。
 やっぱ来るんじゃなかったかな、と後悔していると、目の前が翳ったので目を上げた。
 「あんた、鞭使いだって?」
 部屋の中なのでブーツを脱いでいるため、少女の張りのある両足が露になっていて、ミケーロは思わず目を逸らした。
 「あたしは、剣の方が強いと思うけど。…ま、いいわ。どうせサブパーティーのメンバーみたいだし」
 つけつけと言われて、むっとして上げた顔に、ぱふっとタオルがかけられた。
 「とにかく、水浴びしなさいよ。臭いのよ、あんた。野良犬みたい」
 「んだと、こるぅあ!」
 思わず怒鳴ると、一瞬だけ身を竦めてからカーニャは胸を張って手を腰に当てた。
 「ホントのことじゃない。臭いものは臭いの!あたし、不潔な人って、大っ嫌い!さっさと水浴びしてきてよ!」
 年下の少女からずけずけと言われて、ミケーロは思わず立ち上がった。カーニャもむっとした顔で睨んできたが、すぐに鼻を押さえて一歩下がった。
 代わりのように、短髪のソードマンがやってきてミケーロに笑いかけた。
 「まあまあ。自分が案内するであります」
 気の良さそうな大らかな笑いに毒気を抜かれて、ミケーロはふんっと鼻を鳴らしつつタオルを掴んだ。リヒャルトは先に立って扉を出ていく。
 「カーニャは口は悪いが、良い子でありまして。お気を悪く召されるな」
 「…別に」
 そうして案内された井戸で体を洗い…というかリヒャルトにがしがしと洗われ、どうやらリヒャルトのものらしい大きなシャツを着る。
 部屋に戻ると、アクシオンに捕まって頭に顔を埋められたので、ルークが悲鳴を上げた。
 「アクシー!」
 「…ん、大丈夫。もう臭くないですね。それじゃ、ベッドで休んでも良いですよ」
 そこにあるのは、ベッドが5つ。2人で寝ることも想定されているのか、やや大きめとはいえ、どう考えても数が足りない。
 が、よく見れば文旦と小桃の姿は見えない。
 「あぁ、彼らはまだ慣れてないので、宿で休むよう言いました」
 壁際のベッドにはクゥとターベル、それからカーニャ、グレーテル、リヒャルトという順で座っている。どうやら、その残り一つに休めと言われているようだ。 
 「…あんたらは?」
 クラウドとルーク、それにアクシオンを見ると、とんとんと床を叩かれた。どうやら寝袋で休むらしい。
 「ま、明日には交代だからな。いつもベッドで休めるとは思うなよ、こんガキ」
 「部屋が決まり次第、3段ベッドの作成に入るよ」
 「今日はともかくそこで休みなさい。明日からも気疲れするでしょうから、せめて夜はゆっくり休んで、精神を万全に整えておくこと」
 「…あっそ」
 ミケーロは戸口側のベッドに横になった。すぐにランプが消され、窓から入る月の明かりだけになる。
 青く染まる天井を睨み付けてから、ミケーロは目を閉じた。柔らかなベッドで休むなんて、記憶には無い。
 まあ、ここは随分とおかしなギルドだし、明日からは酷い目に遭うのかも知れないが、衣食住を保証されてるのは悪くない。
 気にくわなけりゃ、金だけ奪ってとんずらすりゃいいか、とミケーロは夢うつつに思った。



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