コランダム原石
夢を見ていた。
いつもの夢。何度見ても、結果は変わらない決まった夢。
私たちは兄妹4人でいつものように山に狩りに行っていた。罠を仕掛けた場所へと、私とクゥが先行した。
兄さんたちが「早いよ、待てよ」とぶつぶつ言うのが面白い、ただそれだけの理由で。
私たちは、まだ怖さを知らなかったのだ。
小動物を狩って、肉や毛皮を取り、果実を採取し、そして得たお金で必要なものを買う。それは裕福では無いけれど、楽しい生活だった。
慣れ親しんだ山に牙があるなどとは思っていなかった私たちは、きゃあきゃあ言いながら山道を走って…それに出会った。
今思えば、向こうも驚いていたのだろう。ひょっとしたら、こんなに下の方まで降りてきたことのない若熊だったのかもしれない。
それは猛々しい雄叫びを上げ…クゥは腰を抜かしたように座り込み、4つ足の熊が頭突きをするように突進してきて、それに跳ね飛ばされた。
私は、それをぼんやりと見つめていた。
声も出せず、動くことも出来ずに。
背中には弓も矢もあったのに、それに手を伸ばすことを思いつきもしなかった。
後ろから、誰かが叫んでいる。
けれど、私は馬鹿のように突っ立ったままで…そうして、世界が赤く染まった。
目を開いた私は、目の前が真っ暗なことに危うく叫び声を上げるところだった。けれど、すんでの所で、自分がまた夢を見ていたこと、ここは安全なギルドの部屋で、暗いのはただ夜だからだ、ということに気づいた。
私はゆっくりと息をしながら、夜の静かな空気を乱さないように、そっと手を上げ自分の顔に指で触れた。
いつもと変わらない。
右の頬から額にかけて、皮膚が筋になって醜く盛り上がっている。そして、目のところにあるはずの盛り上がりは無く、空虚な柔らかさでへこんだ。
熊の爪は、私の顔の一部と、目玉を切り裂いた。
町医者は目玉を再生させることは出来ず、取り出したなら、そこから悪い風が入らないように、縫ってしまうしかない、と言った。
顔の1/3を切り裂いた熊の爪は不潔だったらしく、私が高熱から醒めた時には、まっすぐに切り裂いたはずの傷は赤くひきつれたように盛り上がっていた。
私本人でさえ、鏡で見れば目を背けたくなるような顔。
だから、私はいつも黒い布で顔の右半分を覆っている。
片目を失った私は、弓を射ることが出来なくなっていた。それは的を見ることが出来ないためかもしれなかったし、ただ精神的なものなのかもしれない。
私たちは、飢えるほど苦労はしていなかったが、一人お荷物を抱えるほど裕福でも無かった。
長兄は、もっと稼げるところ、つまりエトリアで冒険者となる道を選んだ。次兄は、弓の腕を磨くと言って抜けた。
そうして、私たちはここにいる。
私たちは、エトリアでも一二を争うほど有名で実力のあるギルドに加入したのだ。もちろん、そんなギルドになるとはクラウドでさえ思っていなかっただろうが。
それには利点もあるし、欠点もある。
利点は、もちろん稼ぎが良く分け前も多いことだろう。
欠点は、最先端を行くギルドである分、私たちが連れて行かれる場所もかなり深くて敵が強いところだ、ということだ。彼らは私たちを守ってくれるが、それでも後衛に攻撃が来たら一撃でやられる。そんなところを、彼らは探索していた。そこでは、私は「弓なんて射れない」などと言っていられなかった。技術は吟遊詩人であるリーダーと変わらないような腕前だが、それでも必要に駆られて攻撃に参加するより他無かった。
それから、もう一つ。
個人的な理由だが…<ナイトメア>が有名になればなるほど、所属している私たちまで有名になる。金は払うから採集してきてくれないか、という申し込みも来ているほどだ。クラウドとクゥは良いが、私は有名になどなりたくなかった。街を歩けば、誰かに見られている気がする。私は、この顔を皆に見られたくないのに。
彼らはついに第三層に入り、私とクラウドに依頼があった。採掘場所があり、そこでコランダム原石が採れないか、というものだった。
もちろん、私たちは承知し、ソードマンとメディック、それに錬金術師が一緒に行くことになった。
「本当は、もっと私たちが強くなってから連れてきてあげたいんだけど…婚約指輪にしたい、なんて依頼だったからさ、急いであげなくちゃって思って」
錬金術師が歩きながら説明した。
「婚約指輪?」
「細工師らしいんだけどね、コランダム原石を材料に、自分でデザインした指輪を婚約者に贈りたいんですって。ロマンチックよね〜」
「そうですな、自力で求婚、というのは、ただ買うよりは誠意が伝わるやもしれません」
クラウドの問いに錬金術師がうっとりと手を組み、ソードマンが生真面目に頷いた。
婚約指輪、か。
ただ買うよりは確かに気が利いているかもしれないが…それならば。自分で採りに行けば良いのに。一番苦労する部分を他人に頼んでいるようでは、大したことがない。
…たぶん。
そんな風に思うのは、私の性格が歪んでいるせいなのだろう。
私は、この錬金術師のように手放しで応援する気になどなれやしない。
メディックが手にした地図の案内通りに進んでいき、どうにか無事に採掘場所へと辿り着いた。
私とクラウドは作業に入り、他の三人は見張りを始める。
クラウドは私ほど採掘が得意では無いが、それでも私がこの場所でのコツと価値のあるものを教えれば、すぐに採掘を始められた。
出てくるものは、大カニの曲肢、岩サンゴ……。
積み上げられるそれらを見て、錬金術師が溜息を吐く。
「…ここじゃないのかしら」
「焦ることはありますまい。もしもコランダム原石とやらがあるのなら、ターベル殿なら必ず見つけ出すはずであります」
そう言って、私を安心させるような大らかな笑みを浮かべたので私は目を逸らした。
…私は、このソードマンが苦手だった。
礼儀正しくて育ちの良さを伺わせる若い男。
彼はたいていは外で鍛錬しているが、部屋に入ってくると、私に声をかけるのだ。それは、ただ、私がいつも部屋の中にいるせいなのだろうが…それでも、私はそっとしておいて欲しかった。
彼は、私の顔を見ても、目を背けたり囃し立てたりなどはせず、ただそれを自然に接してくれていたが、それでも、私は彼といるのが苦手だった。
聞けば、彼は大国の騎士の生まれらしい。いずれは生家に帰って跡を継ぎ……貴族の娘を娶るのだろう。たおやかに美しく、こんな泥まみれになって手にまめを作ることなど無い娘を。
彼を愛しているのでもなく、彼の妻になりたいなどと夢を見ているつもりはないが、それでも、私は彼のような若い男といるのは苦しかった。
まるで、私には恋をする資格も結婚する資格も無いのだと、突きつけられているようで。
私に出来ることは、こうして採掘することくらい。泥にまみれ、爪を真っ黒にして価値あるものを掘り出すだけ。
かちり、と何かに触れた。
光を受けて海色に煌めく石。きっと磨けば引き込まれるような深みを出すだろう。
私は無言でそれを岩サンゴの隣に置いた。
錬金術師が目敏く見つけ、しゃがみこんで私に聞く。女同士とはいえ、白く柔らかそうな大腿が目の前に来て、少々目のやり場に困る。
「ね、これがコランダム原石?」
私が頷くと、歓声を上げて他の二人に見せに行った。
クラウドも確認して、「あれを探せばいいんだな」と頷き作業に戻った。
私は依頼を達成した。
彼らはあれを依頼人に渡し、その人は婚約者に指輪を渡すのだろう。
私がこうして掘り出したことなど知りもせず。
顔も知らない赤の他人の不幸を願うなど馬鹿なことだったがそれでも、呪われろ、と思った。
結婚など出来ない女に婚約指輪の材料を採掘させる男なんて、地獄に堕ちてしまえ。
そんな風に胸を焦がしていたせいだろう。
私はもう一つ見つけたコランダム原石を、そっとポケットにしまった。
ただの軽い意趣返しだった。
そんな任務に駆り出した彼らに対する。
私にコランダム原石で婚約指輪を作ってくれるような男はいないから、私は私にコランダム原石を贈ったのだ。
荷物が一杯になったので、アリアドネの糸で帰った。
私は、どうもこの糸も苦手だ。クゥなどは楽しんでいるようだが…人間は、宙を飛ぶようには出来ていないのだ。
糸で縛られるのを最後までぐずぐずしていると、ソードマンが糸を結ぶ手を止めて私に聞いた。
「ターベル殿は、糸が苦手でありますか?」
「そりゃ、落ちそうだし、やなもんよねぇ」
錬金術師は私のフォローをしたつもりだったかも知れないが、ソードマンは生真面目に頷いて、大きな手を差し伸べてきた。
「このリヒャルト、必ずやターベル殿を支えてみせますゆえ、ご安心を」
頬が熱くなったのが分かった。若い娘を抱き締めようなどと…それとも、やはり私は<若い娘>には見えていないのだろうか。
「リヒャルト、そういうのは、大人しいお嬢さんには厳しいと思いますが。一種のセクハラです」
「む…そうでありますか。難しいものであります」
真剣に頷くソードマンの代わりに、クラウドが手招きをしたので私はそちらに向かった。
兄に手を繋がれ地上に帰り着くと、ソードマンがすぐに私の糸を切った。
「大丈夫でありますか?」
私が頷くと、ソードマンはやはり生真面目な顔で直立不動になり、私に頭を下げた。
「自分がもっと強くなり、ターベル殿を守るだけの自信があるなら、糸など使わずに済むのでありますが…申し訳ありません」
クラウドもクゥも文句一つ言わずに採集に来て糸で帰っているはずだ。このアイテムが苦手だというのは私の我が儘のはず。…私も、拒否をした覚えはないが。
なのに、何故、そんな自分の責任のように謝ったりするのだろう。
クラウドが何も言えない私の前に来て、ソードマンの頭を上げさせた。
「まあまあ。ターベルも、ちょっと苦手ってだけで、そんなに嫌がってるんじゃないし」
…私は、やはりこの若いソードマンが苦手だ。
夜になって、私はいつものように私の石たちを磨いていた。これまで見つけたもの達に、そっと混ぜたコランダム原石をぼんやりと眺めていると、背後から手を掴まれた。
「…おい!これ、コランダム原石じゃないのか!?」
油断していた。
私の石に興味があるのは私だけで、私が石を磨いている時に覗きに来る人間はいなかったから気を抜いていた。
兄はきつく私の手を握り、コランダム原石を取り上げ、ランプの光に翳した。そして、確信したのだろう、私の手を引っ張って、リーダーの方へとずかずかと歩いていった。
私たちとは部屋の逆側にいたリーダーたちが、私たちを見て雑談を止めた。ちょっと困ったような不安そうな顔で私の顔とクラウドの顔を交互に見ている。
クラウドは私の手を離し、彼らに勢い良く頭を下げた。
「申し訳ありません!ターベルが、本日、コランダム原石を一つ、懐に入れていたようです!」
「…はぁ」
「採集したものは全てギルドの共有財産であるとの契約なのに、これは罪だとは分かっていますが…この兄の監督不行届です!本当に、申し訳ありません!」
クラウドが卑屈に頭を下げるのを、私はぼんやりと眺めていた。
クゥがそっと近寄ってきて、私の手を握る。
お人好しのリーダーは、がりがりと灰色の髪を掻き回して、「あ〜」とか「いや〜」とかもぞもぞと口の中で呟いている。
私の罪だ。
でも、私は謝らない。
誰にも分かって貰えなくていい。私が欲しかったのは、この原石そのものでは無かったが…それを説明する気は無かった。
ソードマンがリーダーに向かって、手を上げた。
「その…ターベル殿は石がお好きですから…何と言いますか、欲しくなるのも道理、原石の一つや二つ…」
「リヒャルト」
メディックが柔らかな声で遮った。このメディックは一見優しいが、性根は冷酷と言っても良いくらいなので、この人が一番厳しいことを言う可能性がある。
私たちとの契約を解除するとか…あぁ、でも私たちも、もうこのギルドには無くてはならない稼ぎ頭なのだ。そうそう切り捨てたりは出来ないだろう。
「リヒャルト。問題は、原石の一つがどうした、では無いんです。もしも、ターベルが『欲しいので下さい』と言っていたなら、『どうぞ』という確率は高かったでしょうが、この場合はただの横領ですから」
「し、しかし、ですな…」
「何か、間違ってますか?」
ソードマンは呻いてから頭を下げた。
「間違っては…おりませんが」
横領。窃盗。
自分の行為が、そんな名前が付くものだと、ようやく私にも薄々分かってきた。
だからといって、謝ることもないけれど。
「…あ〜…何つーか…俺個人は、別にどうでもいいっつーか…けど、そうもいかないわけで」
リーダーは、ちらりとメディックを見て、あっさりと許すという選択肢を捨てたようだ。額を押さえながらメディックにひらひらと手を振る。
この場の主導権を得たメディックが、クラウドと私に向かって淡々と言った。
「金銭の多寡ではありません。契約及び信頼関係を傷つけた、ということになりますので、無罪放免では示しが付かないでしょう」
「…誰に対しての示しだよ…」
ぶつぶつ言うリーダーを視線の一つで黙らせておいて、メディックは私に鮮やかな笑みを浮かべて見せた。男の癖に少女のような愛らしさと、無邪気な残酷さを併せ持つ笑顔を。
「そうですね、とりあえず、横領した分を労働で返して頂きましょう。具体的には、コランダム原石5つ。もちろん、その他に採掘されたものもお金に換えるとして。…では、採掘にお出かけ下さい」
にっこり笑って手を振るメディックは本気なようだった。
もう夜も更けようかという時に、私だけで採掘に行けと言うのだろうか。それは、死ねと言うのも同然だ。
「お、俺も行きます!兄として、妹の不始末は俺の責任で…」
「別に、誰が余分に行こうと自由ですが」
「自分も行きます。護衛が必要でしょうからな」
リーダーはちらりとメディックの横顔を見て溜息を吐いた。
「…アクシーは連続出勤になるから、休んどけ。俺が行くわ。警戒歩行、無いよりマシレベルだけど、まあ、無いよりマシ…だろ、たぶん」
「あたしも行こうかな。今日、暇だったし」
ダークハンターが欠伸をしながら言った。
錬金術師は目を細めて私たちと仲間を見比べていたが、何を思ったのかにやりと笑った。
「ま、いいんじゃないの?雨降って地固まるって言うし。いってらっしゃーい」
またやってきた11階で、ソードマンが歩きながらぶつぶつと言った。
「アクシオンは厳しすぎますな。身内での窃盗など、罪にはなりませんでしょうに」
「…それって、何か違うと思うけど。あたし、別に石の一つや二つどうでもいいとは思うけど、でもやっぱり勝手に持って行かれたらむっとするもん」
「ほー、むっとしてんのに、よく付いてきたなー。眠いだろうに」
「べっつにー。今日留守番で暇だったし」
ダークハンターはどうでもよさそうに言って、歩きにくそうなピンヒールのブーツの足を進めた。
私は知っている。このギルドはお人好しの集団だ。この反抗期の少女でさえ、私たちが敵に遭うのを心配して付いてきているのだ。
盗人に、自分の睡眠時間を削ってまで付き合うなんて。
本当に…お人好しだ。
「しっかしなー。ただ、アクシーは、何か企んでるように見えたんだよなー」
首を捻るリーダーにソードマンが素早く問うた。
「何を、でありますか?」
「それが分かったら苦労しねーっつーの。まあ、アクシーのことだから、悪い方には転ばないだろうけどさ」
それは惚れた欲目というものだろう。あのメディックは、他人にはかなり容赦無い。
「俺は、それよかリヒャルトが気になるね。お前さんはもっとがちがちに正義の味方で、罪には厳しい態度で臨むかと思ったよ」
「じ、自分は…別にそのような…正義の味方などと自惚れたことは…」
話を変えたリーダーに、ソードマンは狼狽えて手を振った。だが、ダークハンターもちらりと私の方を見てから、ソードマンに意地悪な口調で言う。
「あたしも、それは思った。リヒャルトって、ターベルに甘いんじゃないの?」
「じ、じ、じじじ自分は!…正義、などではなく、もっと柔軟な思考で、ですな!」
「…ふぅん?」
全く納得していないような声に、ソードマンは困ったような顔になってから、ダークハンターとリーダーの手を取って、少し離れたところまで引っ張っていった。
なにやらごそごそ話しながら、ちらちらと私の方を見ているので、私に関係のある話ではあるのだろうけど…きっと、私などに興味は無いのだ、と説明しているのだろう。
その間に、クラウドがぼやくように呟いた。
「…こんなにいい人たちなのに…何でお前は信頼を裏切るようなことしたんだ?恥ずかしくないのか?」
…私の気持ちなど、分かりっこない。
兄でさえこうなのだから、他の人間には、もっと理解出来ないだろう。
採掘場所に着いて、私たちは作業に入った。
残念ながら、コランダム原石は4つしか見つからなかったが、リーダーは頭を掻きながら言った。
「ま、いいんじゃないの?これで駄目っつったら、俺がアクシーに謝るから」
私がコレクションに加えた石を足せば5つだが…いや、あれはメディックが取り上げた。きっと今頃商店に売られていることだろう。
そうして、私たちは糸で帰っていった。
すると、そこにはメディックと錬金術師が待っていた。
「アクシー。寝てればいいのに」
すぐに駆け寄るリーダーに、メディックは悪戯っぽい笑顔を浮かべた。
「そうですね、伝言さえ済めば、帰って寝ますよ」
そう言って、リーダーの耳に口を寄せた。
リーダーの怪訝そうな顔が、次第に綻ぶ。腰を屈めていたのをまっすぐに伸ばした時には満開の笑顔になっていて、メディックの頭をがしがしと撫でた。
「さすが、アクシー。惚れ直すぜ、畜生」
「感情に疎い割には頑張ったでしょう」
誉めて誉めて、と言っているような顔に、もう一度リーダーが頭を撫でる。案外、満更でもなさそうだ。
その間に錬金術師が寄ってきて、眠そうなダークハンターの分の荷物を取り上げた。
「ほら、あとは私がやるから、カーニャは帰って寝なさいよ」
「あ、グレーテルさん、行くつもりですか?」
「そりゃ、こんなの見逃してたまるもんですか」
…何があるのだろう。
胸を張った錬金術師が、すぐにぺろっと舌を出して、「いけないいけない」と小声になり、今度はリーダーの荷物を取り上げた。
「ルークはアクシオンと一緒にカーニャを送ればいいわね。クラウドは…帰っても良いけど、どうする?」
「俺は最後まで妹を見守る責任がある」
「兄ちゃんねぇ。ほら、あんたこれ持って」
訳が分からない、という顔で突っ立っているソードマンにリーダーの分の荷物を押しつけて、錬金術師はダークハンターの分の荷物を背負った。
「じゃ、後は任せて!」
親指をぐっと立てた錬金術師に、リーダーとメディックが同じく親指を立てて合図した。
「何なのよぉ」
「カーニャには帰りながら説明しますよ」
「う〜…楽しそうなこと?」
「どうでしょう」
ダークハンターを挟むように3人連れだってギルドに向かうのを見送って、私たちは商店に向かった。
夜中…と言うより、明け方近い時刻だ。
いくら冒険者相手の商売とはいえ、商店にも迷惑な話だろう…と思ったのだが、私たちが入っていくと、若い店主は元気良く「いらっしゃーい!待ってたよ!」と迎えてくれた。
…待っていた、というのは、何なのだろう。
私たちが荷物を降ろして、採集してきたものを確認して値段を付ける間も、店主も錬金術師もどこかそわそわしているようだった。
さて、お金も貰って帰ろうか、という時に、店主がカウンターの下から小さな箱を取り出した。
「ほら、リヒャルト!ぼーっとしてないでこっち来る!」
「自分に、何か?」
どう見ても女性二人には分かっているが他は置いてきぼりという状況なので、ソードマンは怪訝そうな顔だったが、それでもきびきびとした動作でカウンターに向かう。
錬金術師がその耳を引っ張り、何やら囁いた。
…ソードマンは確か21歳で、錬金術師は28歳。
かなり年の差はあるが…錬金術師が若々しく美女なせいか、並んでいる姿はとてもお似合いに見えた。
私が目を逸らしていると、ソードマンの少し困惑したような声がした。
「ターベル殿」
私が目を向けると、ソードマンは小さな白い箱を手に立っていて、私を見つめていた。
呼んでいるのは分かるが、一体何を…。
私が突っ立っていると、クラウドが私の背中に手を回して、押すように一緒に歩き出したので、仕方なく私もカウンターに向かった。
ソードマンの1mほど手前で止まると、隣に立つ錬金術師がぶんぶんと手を振ってもっとこっちにこいと合図しているので、2歩だけ前に出た。
「あ〜…その、ですな。我々が採掘している間に、アクシオンが依頼していたようで…その…」
ソードマンは錬金術師を振り向いて、小さく言った。
「自分が、するのでありますか?」
「あんた以外に誰がやるのよ」
「し、しかし、こういうことは、ですな…何と言いますか…」
「誰も婚約しろとか言って無いでしょ!ただの…」
残りは小声になって分からなかった。
カウンターに肘を突いて見守っている店主も何やら楽しそうだし、いったい、何が起こるのだろう。メディックが依頼した、と言ったが…。
ソードマンは思い切ったのか、白い小箱の蓋を開けた。
「その…ターベル殿、お手を…」
手?
私は分からないままに右手を差し出した。
ソードマンが手甲を付けたままの無骨な指で苦労しながら、その白い小箱から小さく光るものを取り出す。
「その…サイズは中指に合わせてあるそうで…」
ぶつぶつと言いながら、ソードマンは私の右手を取り、それを私の中指に近づけた。
指輪だ。
それもこの深みのある紺碧は…コランダム原石から作り上げた指輪。
私が思わず顔を上げると、ソードマンは真剣な目で私の指にその華奢なリングをはめていて、視線は合わなかった。
少しだけ関節で止まってから、すぐに根本まで入る。
まるで誂えたようにぴったりなそれ。
問うように錬金術師と店主の顔を見ると、してやったりとでも言うような笑顔を浮かべていた。
「アクシオンがね、本当に欲しかったのは原石じゃなくて指輪だったんじゃないかって」
「うちに来てさー、こういうサイズで作ってくれ、それもあんたらが帰ってくるまでに!なんて言うもんだから、頑張っちゃったよー。ま、たまにはこういうの作るのも楽しいよね!」
私は自分の中指を押さえた。
それは左手の薬指では無いけれど。
華奢な銀のリングと、複雑にカットされたコランダムが1つ付いているだけのシンプルな指輪。
あり得ない。
私は、ただ…悔しくて、コランダム原石を自分のものにしただけなのに…あり得ない。
ごほん、とソードマンが咳払いをした。
「ま、まあ、何ですな。ターベル殿には、これまで採掘に励んで頂いておりますゆえ…<ナイトメア>からのその御礼とでも申しますか…」
「何よ、ついでにプロポーズとかしないの?」
「プロポーズというものは!ついでにするものではありませぬ!…で、ではなく!こ、これはあくまで、<ナイトメア>から、でありまして…」
分かっている。
彼は、私に婚約指輪を贈ったのではなく…そのように思われることも迷惑だろう。
けれど…けれど。
私は、心の中だけでも、そう思っていていいだろうか。
私にも指輪を贈ってくれる人がいる。そう思っていていいだろうか。
「ちょ、ちょっと待てって!」
どうやら固まっていたらしいクラウドが慌てて私の手を取った。
指輪を抜こうとするので、私はぎゅっと手を握って抵抗した。
「い、いや、だって、そんな義理は無いだろ!?え!?うちのは、むしろ迷惑を掛けた方で…!」
ソードマンは理解できないという顔で首を傾げ、錬金術師は楽しそうに手をひらひらと振った。
「いいのよぉ。女の子なんだから、やっぱり指輪の一つも持っておくべきよね〜。…アクシオンが言い出したってことは、ルークも認めるだろうし、私は賛成だしリヒャルトも…」
「そうですな。これまでの働きに見合う正当な報酬だと思いますが」
「ね?気にしない、気にしない」
私は握った右手の上から左手を被せた。触れる指輪はあまり自己主張しておらず、邪魔になることはなさそうだ。
「い、いや、でも、無料じゃないんだし!…ちなみに幾ら?」
「うっわ、指輪の値段聞くなんて下品〜」
「だってなぁ!」
「ちなみに3000enとなっております。妹さんにも如何ですか?」
商売人の笑顔で言ってのけた店主に、クラウドがまた固まった。
3000en…。
さすがに、私も改めて自分の指を見つめる。
「さ…3000en〜!?だ、駄目だ、駄目だ!そんな高価なもの…」
「3000enでありますか…それではやはり婚約指輪にはなりませんな」
何となくほっとした様子のソードマンに、素早く反応した店主が営業用スマイルで聞いた。
「何?婚約指輪だと予算幾らのつもり?その際にも当シリカ商店をよろしく!」
「ふむ、婚約指輪となると…そうですな、3万enは必要でしょう。自分はまだまだであります」
「…あんた、どこのお坊っちゃんよ」
呆れたように店主は首を振った。さすがに常識が商魂を上回ったらしい。
その常識が強すぎる長兄は、ようやくまた硬直が解けたが、何か叫ぶ前に錬金術師にさっさと腕を掴まれて引っ張られていた。
「いいの、いいの!気にしない!」
「しかし、ですねぇ!」
「あ〜楽しかった!今度はクゥちゃんにも何かアクセサリー見繕って…」
「もう、いいですって!」
叫びながら出ていった兄の背中を見送ってから、私もようやく気づいて店主に頭を下げた。
「まいど〜。またよろしく!」
手を振る店主に見送られて、私とソードマンは店を出た。
外はもう白んでいて朝の香りになっていた。
こつこつと規則正しい音を立てて私の隣を歩いていくソードマンがふと立ち止まった。
「その…自分は、まだ良く見ておりませんので…よろしければ、見せて頂けますか?」
躊躇ってから、私は右手を差し出した。
採掘をしてそのままだったので、薄汚れて傷もある手。
貴婦人のように手入れされた爪とは正反対に、欠けて爪の間に黒く汚れの入っている手。
そんな手を見せるのは恥ずかしかったのに、ソードマンは恭しく私の手を取り、朝の光に当たるよう体の向きを変えた。
「ふむ…ターベル殿は、戦う人だと思っておりましたが…装身具一つで変わるものですな。如何にも、細い」
頼りにならない、と言っているのだろうか。
私は、彼に相応しいような貴婦人ではなく…冒険者としてすら隣に立つことも出来ないのだろうか。
もちろん、私はただの穴掘り坑夫で、共に戦える射手ではないのだが。
「自分は、もっと研鑽を積みます。レディを守れぬようでは、男として情けないですからな」
はは、と照れたように笑って、彼は私の手を離した。
私は彼の半歩後ろを歩きながら、俯いて考え込んでいた。
彼の言う「レディ」とは誰なのか。
一般論か、それとも特定の誰かなのか…万が一にでも、私を指しているという可能性はあるのだろうか。
私はゆっくりと首を振る。
夢を見てはいけない。
私は皆が目を背ける容姿で…地面を這いずる坑夫なのだから。
ギルドに帰ると、日常が待っていた。
まるで何でもないことのように、その指輪は私のものとなった。
クラウドはかなり抵抗したが、リーダーがのらりくらりとかわし続け、他のメンバーもそれに同調した。
クゥは「何か欲しい?」と聞かれて「大王の牙の首飾り!」と答えて、もっと女の子らしいものを欲しがれ、と呆れられていた。
私は夜中に目が覚めた時などには、こっそりと指輪を付け替えてみる。
右手の中指から、左手の薬指へ。
そうして、少しだけ夢を見る。
白いベールを付けて、白いドレスを着て教会の階段を降りていく自分。
その隣に立つのは……