蒼樹海
休暇中に<森の破壊者>を趣味で倒したアクシオンを除けば、あとのメンバーはそれなりに穏やかな三日間を過ごした。
「リフレッシュ出来たか〜」
「ばっちり!」
その三日間にアクシオン実家からルンルンリンクス基礎化粧品が届いたため、お肌のお手入れをばっちり仕込めたグレーテルは輝く笑顔で親指を立てて見せた。
カーニャもウィンドウショッピングを楽しんだようだし(買う金はあるはずなのだが、いざ買えるとなるとどうでもよくなったらしい)、リヒャルトもそれなりに休養していたようだ。
「それでは、11階に…の前に、依頼を消化するぜっと」
10階で採集だの異常増殖した植物の駆除だの害虫退治だの…ざっくざっくと片づけて一息つく。
クリアした依頼を酒場に報告しに行くと、扉を開けた途端に緊張した面もちの女将が目に入ったので何事かと思ったら、女将はルークの顔を見て、ほっとしたように笑った。
「良かった…無事だったのね」
首を傾げながらカウンターまで歩いていくと、その前に帽子を握り締めた爺さんが立っているのに気づいた。おろおろと泣きそうな顔でルークと女将の顔を交互に見つめているので、ルークは安心させるように営業用の笑顔を浮かべた。
「はぁい、皆様御用達の何でも屋さんですよ〜。何かご依頼ですか?」
「…あ…あんたらが…」
喉が詰まったような声で呻いてから、爺さんはごほんと咳払いをした。
「あんたら、行かなんだのか…良かった…」
「…えーと、話が見えないんだけど」
女将を見ると、困ったように笑った。
「こちらが、あのエドゥの宝の地図を持ってきた方なの」
「あぁ、やっぱ、地図が間違ってた、とか?一応それっぽいとこ掘ってみたけど、宝なんてありそうにも無かったし」
「行ったのね!?」
「そりゃ、行きますがな。で、めぼしいものと言えば、これくらいかなぁ。ゴーレムに踏まれて潰れてるけど、誰かの落とし物かなって」
ルークは懐からペンダントを取り出した。
金の鎖にぶら下がるペンダントトップが平らな楕円形になっている。かなり傷んで歪な形だが、どうやら150年も前の宝ではなく割と最近のもののように思えるので、何となく拾ってきたのだが。
爺さんが、それを奪うようにルークの手から取り上げ、光にかざした。見る間に、両の目から涙が溢れる。
「これは確かに…うちの子のものだ…すまん、ありがとう!」
爺さんがペンダントを持ったまま、いきなり腰を屈めて床に膝を突いたかと思うと、土下座をしたのでルークは慌てて自分も腰を屈めて手を差し伸べた。
「ちょっ、爺ちゃん、何もそんな謝らなくても…つーか、やっぱ話が見えないんですけどっ」
「すまん…すまんっ!エドゥの宝というのは嘘じゃった!」
「…いや、そんなの、最初から分かってるっつーか、本気に取ったと思われる方が恥なんだけどさぁ」
爺さんの脇の下に手を入れて、無理矢理立ち上がらせ、ついでにカウンターの席に座らせる。
自分も座ってから、女将に問うような視線を投げかけると、女将は果実酒の入ったグラスをルークの前に出しながら言い辛そうに口を開いた。
「お孫さんが、そこで魔物に殺されてしまったのですって。この方は、何とか仇をとりたいと思ったんだけど、普通に依頼しても冒険者は行ってくれないだろうと、エドゥの宝って…」
「じゃが、その冒険者にも家族はおる。ひょっとして返り討ちにでもなったら、ワシのように悲しむことになるじゃろうと気づいて、依頼を取り下げに来たんじゃ…」
「したら、もう俺たちが依頼を受けてた、と」
依頼があったのは一昨日のことだし、まさかもう馬鹿が引っかかって出発しているとは思ってなかったのだろう。
「いやぁ、爺さん、普通に依頼してくれれば良かったのにさぁ。俺がバードだったから良かったようなものの、そうじゃなかったら死ねるよ、普通に」
「…吟遊詩人?吟遊詩人が、強力な魔物と戦うのに、何の役に立つのかね?」
本気で怪訝そうな爺さんに、ルークは苦笑した。まあ、ああいう魔物じゃなければ、またリーダーだけ役立たず、ということにもなりかねなかったが。
「そこにいたのはさ、ゴーレムっつーの?かったい石で出来た魔物だったんだが…ちょっと傷つけてもすぐに自分で直していくんだよ。だから、普通の冒険者では、よっぽど攻撃力が無ければ、結局競り負ける。…でも吟遊詩人には、敵さんの能力を邪魔する呪歌があるからな〜。再生さえなけりゃ、俺たち程度でも何とかなるってわけだ」
医術防御をかけて、チェイスフリーズと氷結、それに猛き戦いの舞曲と火劇の序曲をかけた攻撃でどんどん削っていけば、時間はかかったが一人も死なずに倒すことが出来た。石像の欠片も売り飛ばせたし。
まあ、その後に宝を探しても、何にも無かったが。一瞬とはいえ、こんな強力な守護者がいるのなら宝の話も嘘じゃないのかも、とか思ってしまった自分が悔しい。
ちなみに、この金のペンダント以外に、思い切り潰されてぺっしゃんこになった兜(中身がどうなっているのかは見たくなかったので詳しくは調べなかったが)だとか、粉々に砕けた斧の名残だとかは見つけたので、誰か先にこれと戦った冒険者がいるんだろうなぁ、とは思ったが…まあ、爺さんには言わない方がいいか。
「そうか…うちの孫の仲間には吟遊詩人はおらんかったはずだしの…確か、錬金術師もおらんで、最後に勝つのは筋肉だ!と言っておったからの…」
そら駄目だわ、とルークは頭を抱えた。ものすごーく高レベルなら、ガチに物理的な攻撃でゴーレムにも勝てるかもしれないが…相手はでっかい岩の塊のようなものなのだ。よっぽど根性を入れないと、先に刃が潰れてしまう。
「…まあ…相性が悪かったんだな…」
「アホな子じゃったが、ワシにとっては可愛い孫じゃったよ…ありがとう」
爺さんはルークの両手を取って握りしめた。それから、鞄から革袋を取り出した。
「もしも依頼を受けた奴らがおったら、キャンセル料として出そうと思っておった金じゃ。孫の仇をとってくれた、あんたらにやる。本当に、ありがとうよ」
「…まあ…ありがたく受け取っておくよ。今度から、冒険者に用があったら、正直に情報出してくれよな。その方が生き残る確率が高くなる」
爺さんは立ち上がって、少し寂しそうな笑いを浮かべた。
「…そうじゃな。…もう、冒険者とは縁の無い生活を送るじゃろうが…近所の連中には言っておくよ」
爺さんと冒険者を繋ぐものは孫だけだったのだろう。そうでもなければ一般市民が冒険者と直接関わることなど滅多にない。
たぶん、生粋のエトリア人あたりだと身内が冒険者になった、というのは身を持ち崩したとかそういう感じなのかもしれないのだが、それでも冒険者にも良い奴(と言うより間抜けな奴かもしれないが)がいると一般人に広めてくれればいいな、とちょっぴり思った。まあ、基本的に、こっちも一般人とはあまり関わらないのでどうでもいいといえばどうでもいいが。
爺さんが酒場から出ていってから、女将は穏やかに笑った。
「貴方たちが受けてくれて良かったわ、この依頼」
「結果的にはなー。…あ、やべ、執政院に言っとかないと、3階の抜け道広げたから、初心者が間違って奥に行くかもしんない」
カマキリを避けて逃げ込んだ先で赤い象に出逢ったら洒落にもならない。酒場の情報網にも流しておくが、執政院の方にも看板か何か立てて貰おう。この奥2層の敵出ます、とか何とか。
「あら、奢ろうと思ったのに」
「また今度な〜」
果実酒を一杯だけ飲み干して、ルークはあわあわと立ち上がった。
手を振って出ていくルークを見送って、女将は軽く肩をすくめた。
「ホントにお人好しねぇ」
<ナイトメア>が終わらせた依頼の紙を報告用封筒に入れながら女将は少し溜息を吐いた。彼らのように迅速かつ丁寧に依頼をこなしてくれる冒険者のおかげで、街の人からの依頼が増えているのだ。それは良いことなのだが…何かが変わってしまいそうで、何だか落ち着かない。
真面目に探索するギルドなど数えるほどで、その他ののんべんだらりとした冒険者を相手に商売して、いつまでも迷宮は謎のまま、新しく加わる冒険者と同じだけ去っていく人たちもいて…ずっとずっとこの世界が続くと思っていたのに。
確かに、店の売り上げは増えている。
街に活気が溢れている。
でも、それから?
祭りはいつか終わる。終わったとき、ここには何が残るのだろうか?
「私は…変わらない生活が、好きだわ」
毎日毎日、冒険者たちに酒や食事を提供して、たまには愚痴も聞いてやって。
激しくはないが、安定した生活。
けれど、それを守るために、何か行動を起こすことも出来ない。ただ、流れに身を任せるだけ。
女将はほんの僅かに自嘲に似た笑いを浮かべた。
それから、冒険者たちに出来上がった料理を運んでいった。
いつも通り。
「さて、心おきなく11階の探索に励もうか」
「えーと、採掘場所を見つけないといけませんね」
「ま、どうせマップのためにも、隅々まで行くから、どこかでは見つかるだろうけどな」
2層で出来る依頼は全て終わらせておいて、心おきなく蒼い階層の探索である。
ちなみに、青いのは単に光の加減で、岩や植物が本当に青いのでは無いという結果だったが。
しばらく歩いていって、ある程度新しい敵の特性を把握した。
「蟻にカエル、それにザザ虫…ってとこですか。本当に海辺の洞窟って感じですね」
「やっぱここはコウモリの出番だと思うんだが…」
「真っ暗な中、ばさばさばさっとコウモリが…定番ですね」
暢気なことを言っているが、実はそう楽勝でも無い。何せ蟻が小さいので的に当たりにくいのだ。そのくせ、顎は強いのか噛みつかれると結構痛いし。
カエルはカエルで何やら剣を弾くような粘液でも出しているのか、ダメージが通らないし。まあ、叩き潰すタイプは結構通じているので、アクシオンはご機嫌だが。…杖がぐっちゃんぐっちゃんなのはあまり気にしていないらしい。ルークは自分が弓なので、あんなもこもこの気持ち悪い両生類を直接触らないで済むことを密かに喜んでいるほどなのに。
グレーテルの氷の術式をこまめに使いつつ進んでいくと、採掘場所を見つけることが出来た。ここからコランダム原石が採取できるのかどうかは分からないが、今度ターベルを連れて来よう、と地図にメモする。
もう少しだけ、と進んでいくと、何もない小さな部屋で、レンが一人で佇んでいるのに出会った。この階に一人でいられるってことは、やっぱり相当のレベルなんだろうな、と思う。相棒のツスクルも同様。
「君たちか…」
青い壁を見つめていたレンが、こちらに気づいて振り向いた。
「一人?ツスクルさんは、またどっかで回復の泉係でも?」
「…いや…別の仕事だ」
僅かに苦みが混じったのは気のせいか?
ルークはゆっくり瞬きしてから、どう口を開こうかと躊躇ったが、その間に、先にレンが言った。
「君たちは…何故、この迷宮に挑む?強さか?名誉か?それとも、全ての謎を解きたい…と?」
「特に、理由は無い。…という結論に、この間なったんだけど」
ルークは肩をすくめて、なるべく軽く聞こえるようあっさり言った。実は少々緊張していたが。
何となく、緊迫した空気を感じたのだ。返答次第では、目の前の相手が牙を剥く予感、とでも言うか。
レンはその答えを聞いて、僅かに笑った。
「そうか。そこに迷宮があるから…ということか。冒険者らしいとも言えるな」
ほんの少しだけ、和らいだ気配に、やはりこの人も、奥には行って欲しく無いんだろうか、と思う。
「君たちを押し留める権利など無いが…それでも、君たちが迷宮の謎を全て解いた時、何が起こるのか、それは考えて欲しい」
うわ、やっぱりか。
「…街のため?」
ぼそりと言うのには答えず、レンは懐から紙の束を取り出した。
「これは我らブシドーの秘伝の書だ。何かの役に立つこともあろう。…では、壮健でな」
レンが小部屋を去って、完全に気配が消えたと思ってから、ルークはその紙束に目を落とした。最初は、裏を見ているのか、と思ったが、どうやらエトリアとは違って右で綴じる本らしい。
一応中も確認したが、とても理解できそうにも無かった。ブシドーなら読み解くことが出来るのかも知れないが。
「これは…あれか?私の大事なものをあげるから、私のお願いを聞いてね☆…ってことなのか?そう考えると、無碍にも出来ないんだが…」
可愛らしく女の子口調で言ってみると、カーニャが馬鹿にしたように鼻を鳴らした。
「そんな義理ないじゃない」
「ま、なー。…これが吟遊詩人垂涎の的、伝説の白いギターの男の詩、とかなら、少々考えないでもないけど」
「やめてよ」
「何でも国で1番なんだぞ〜。そこに痺れる、憧れる〜」
うっとりと遠くを見ていると、さっさとアクシオンが手の中の本を取り上げて背嚢にしまった。
「…もし、レンさんが可愛くそう言ったら、お願いを聞くつもりですか?」
何となく。
亀のブレスもかくや、という冷ややかさを感じて、ルークは眉を上げた。
レンのお願いを聞く、ということは、迷宮の探索を止める、ということだろうから、アクシオンとしてはそんな気もないのに強制終了させられることになってそれが不愉快なのだろうが。
「何だ、アクシー、妬いてくれるのかー?」
冗談のつもりで軽く言ったら。
アクシオンが激しく瞬きをした。
「…は?」
その如何にも全く考えてもいないことを言われました、な反応に、予想はしていてもちくちくと胸が痛んでルークはわざとらしく胸を押さえた。
「あぁ、もう、冷たいんだから…俺のハートはボドボドだよ」
アクシオンは瞬きを繰り返しながら、まるで初めて出会ったかのように、ルークの顔を見つめた。
「妬いてる…焼き餅…この、俺が?」
ちょっと待て、そんなに怒るようなことか?前にも言ったことあるんだし…。
が、アクシオンはルークの慌てっぷりなど見えてもいないように、ふむ、と指を顎に当てた。
「…何とまあ…この俺が、焼き餅、ねぇ…ある意味、快挙ですね、うん」
あれ。
どうでもよさそうに部屋を眺めていたグレーテルが、勢い良く振り返った。
「え…ひょっとして、シーちゃん、ホントに妬いたの!?」
「…何ですか、そのシーちゃんって」
「アクシーのシーちゃん。…そんなことはどうでもいいのよ!妬いたの!?妬いたのね!?」
「あんまり、自分の名前を呼ばれてる気がしないような愛称を付けないで下さい」
両手を握られて、ぴょんぴょんと思い切り上下に振られながら、アクシオンは冷静に突っ込んだ。
それから、首を傾げて困ったように微笑む。
「焼き餅、というのが、どういうものなのか、そもそもよく分からないので、何とも言えませんが…何となく、この辺がもやもやっとしたんですよね。冷静に考えれば、ルークの好みの外見が俺である以上、如何にも年上なレンさんを好きになる確率は低いと分かっていながら…何となく」
ついでに言えば、あっちがルークを好きになる確率も低いだろうが。
アクシオンは、グレーテルの手から自分の手を取り返して、うーんと腕を組んだ。
「グレーテルさんやカーニャがルークの隣にいても、別にどうも無いんですけどねぇ…何が気に入らなかったのやら」
グレーテルやカーニャと、何が違うのか、考える。
そうして、どうも「レンがお願いをした」それに対して「無碍には出来ない」とルークが思った、その部分が引っかかったらしい、と思い出す。グレーテルやカーニャがルークに何かを頼んだことは無い。
一般論として、女性の頼みを男性が断らないのはどちらかというと<格好良いこと>に分類されるはずなのに、何となくむっとしたというか。
ふむ、これは独占欲か、とアクシオンは分析した。
アクシオンは、正直、ルークを振り回している自覚がある。我が儘を言って、それを受け入れて貰うことで、本当に好かれているのだという充足感を得ている。
そこまでは、まあ、いい。ルーク的には良くないかもしれないが、それはおいとくとして。
要するに、他の誰にもルークが同じように優しいのが気に入らない、ということか。
それは、良くない傾向だ。アクシオンが考える<許容できる範囲の我が儘>を逸脱している。
ここで考えるべきは、独占欲を感じるほどにルークを好きになっている自分、という命題なのだが、どうもそれは自分の手に余るような気がしたので、とりあえず心の棚(未処理の札付き)に上げておくことにした。
とりあえずの処理として、とっておきの笑顔でルークには謝っておくことにする。
「すみません、これからは、そういう余計な反応はしないよう心がけておきますので…」
が。
ルークの反応が無いので、あれ、と目の前で手をひらひらと振ってみる。
それでも、反応無し。
代わりに、開いた口からぽとりと葉っぱが落ちた。
ルークの思考は、完璧に停止していたのだった。へたれの面目躍如である。